CWB秋元さんコラム

山口でやっていた

秋元さんコラム第1回

「何かさ、今さらって感じがするんですよね」。5月25日のCWBイベントの後、片岡勝さんとスカイプで話していたときに、思わず吐露した一言だ。
「地域に貢献する大学」「大学生、まちづくりに一役」「地元の特産品と大学がコラボして新製品の開発」。「女性の起業が日本の活力に」「社会派ユニコーンの育成を」――といった最近の新聞記事だ。
筆者は1999年から2002年まで3年間、某大手紙の山口支局に勤務し、記者として県庁、市役所、地方銀行、ベンチャー企業、平成の市町村合併、原発推進、いや反対とヤジと怒号が飛び交う現場まで顔を出し、取材をしていた。
そんななか、一つだけ心がけていたことがある。「人が書かないことを書こう」と。着目したのが片岡さんが主宰する「市民バンク」を基に始まった「やまぐち女性起業家スクール」、中心市街地の空き店舗を教室にした山口大学の「ベンチャービジネス論」、この講義をきっかけに始まり、発展していった「楠クリーン村」。地元の第二地銀、西京銀行と取り組んだ「しあわせ市民バンク」….。草の根から地域を変えよう、社会を変えようという活動に共感し、紙面に載せようと努力した。

 「よく分かった。で、一言でいうとどういうこと?」と当時のデスク(編集責任者)から疑問が飛んできた。「正確に、分かり易く、そしてコンパクトに」が記事の大原則。当時、こういう動きを一言でどう括ったらいいか、随分と悩み、頭を捻った。結局、片岡さんらがいう「教育、福祉、環境といった地域特有の問題をビジネスの形で解決する『問題解決型ビジネス』」。これでも長い。ソーシャルアントレプレナーという言葉は知っていたが、米国のお仕着せなうえ、20年前の日本では今一つなじめなかったので、敢えて使わなかった。

こういう動きが日本全国にうねりのように広がれば、日本も変わり、いつか適切な単語も派生してくると信じつつ。

20年後。筆者は某大手紙で記事の誤字・脱字や事実関係の正否などをチェックする校閲の仕事に従事していた。「記事の最初の読者」が校閲の役割。それはさておき、「最初の読者」として最近の原稿を読みながら感じていたことは、「何を今さら….僕は山口でそういうことをたくさん取材して書いていたよ」。「世の中の新しい動きを取材、執筆するのが、記者の仕事でしょう。それ、もう山口でやってたよ….」と嘆息することは数知れなかった。いつしか、「女性起業家」という言葉が人口に膾炙し、「社会起業家」「ソーシャルビジネス」という言葉もさほど違和感なく、記事になっている。

一例を挙げる。「女性起業家」といえば、メディアは南場智子氏、佐々木かをり氏、経沢香保子氏、小室淑恵氏といった方々を大きく取り上げるばかり。彼女たちの経歴や業績を否定したり、反論するつもりは全くない。悪いのは記者の側にある。彼女たちの活動拠点は主に東京。東京中心主義というドグマから逃れられないのか、記者は東京でやっていることだけ紹介すればいいという姿勢だ。「地方になんか、そんなことをする人がいるわけがない」という思い込み、悪くいえば偏見だ。

「いつもこの4人の取り組みを紹介して、『女性起業家は以上これだけ。はい終わり』って感じだな。他にもいるんだよ。なぜ探そうとしないの?」と文句を付けたくなる。さらに「彼女たちの後に続く女性起業家が中々出ないのが日本経済、社会の問題点」とまで言い切る。「東京だけ見ているからそう言えるのだ。日本をよく見てよ。女性起業家は続々出ているよ」と一人で憤っていた。

さらに「彼女たちの後に続く女性起業家が中々出ないのが日本経済、社会の問題点」とまで言い切 る。「東京だけ見ているからそう言えるのだ。日本をよく見てよ。女性起業家は続々出ているよ」と一人で 憤っていた。

「社会起業家」「ソーシャルビジネス」の記事も大半が「コンテスト」。つまりアイデアを競い合っているだけ のものが多い。頭の中でならどんなに素晴らしいアイデアでも思い付く。重要なのはアイデアを実践するこ と。審査員は「素晴らしいアイデア。これからの社会に有用だ」と褒めるだけ。「じゃあ、あなたはそのアイデア をどう実行するの?」と指摘する人はいない。コンテストで優れた賞を贈られる例には「AIを利用した高齢 者介護」など、大学の理系研究者が開発した技術を「ソーシャルビジネス」として括っている。

ソーシャルビジネスをどう捉えるのかは見解の相違がある。大事なのはAIの利用なのか? 人手不足が ことさらに深刻な高齢者介護なのか?流行りのキーワードをつなぎ合わせただけで、それがソーシャルビジ ネスだと一人悦に入っているのではと疑問を抱くものもある。(ということで我々は「コミュニティビジネス」に することにフォーカスすることにした)

ただ、校閲はあくまで読者の視点から記事をチェックするだけだ。仕事を通じて親しくなった取材部門の デスクに、「そういう話って新しい世の流れなの?ニュースなの? もうとっくに20年前から取り組んできた人た ちがいるよ」と喉元まで出かかった。しかし「校閲が言うことじゃないだろう」と反駁されるだけだ。人間関係 を自ら悪くしたくもないので、「なるほどねえ。こういう話もあるんだねえ」と心にもなく、虚ろに相槌を打つの が関の山だった。

そんな日々のもどかしい思いをつい片岡さんに漏らしてしまった。 「そうだよな。遅れているよ。オレたちは時代に先駆けていたのだよ」と片岡さんも相槌を打ってくれた。

25日のイベントをリポートした原稿を書き終えた後、片岡さんからメールでこんな話を持ち掛けられた 「そんなことは、もう山口でやっていた」ってテーマでこれまでの取り組みを紹介しよう、と。

編集方針に不満を抱いたことが原因ではないが、先日、筆者は約30年勤めた会社を辞めた。 これを機に連載で既に山口で行っていたことを具体的に紹介していきたい。

山口でやっていたこと全てが成功したわけではない。様々な理由で方向転換したり、あるいは志半ば で挫折したこと例もある。そんなケースにもしっかり向き合っていきたいと思う。

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