ワークとレイバー

もうふた昔以上前、日本人はウサギ小屋に住む働き蟻だと揶揄されたことがある。過労死は「karoshi」として英語の辞書に収録されている。家庭は妻子に任せ、会社のため、仕事のために粉骨砕身するのが、日本人特にサラリーマンの典型像のように思われている。

 これに対比されるのが、欧米人の仕事よりも私生活というライフスタイルである。かつて家族を同伴して来日した外国人プロ選手が、家族が日本になじめないという理由で退団、帰国したときのマスコミの騒ぎを良く覚えている。その騒ぎの根底には「たかが妻子供のために、大の男が仕事を放り出すのか」という非難めいた驚きがあった、

 時代はそれからもう30年近くたっている。しかし「単身赴任」など欧米ではありえないとか、学会に子供や家族のためのプログラムが用意されているといった話を聞く限りでは、事態はそんなに換わっていないように見える。

 家族重視で仕事とプライベートをしっかり分ける生き方と、仕事とプライベートの境目があいまいになっている生き方。この二つは相容れないもの、まったく異なった生き方に見える。しかし本当に相容れないのだろうか。「仕事」というもの「生き方」というものをもう一度考え直すことからはじめてみたい。

 仕事というとワークという英語が思い浮かぶが、実はレイバーという言葉もある。レイバーは「労苦」という意味合いを含んでいる。実際、今でも経済学の標準理論はレイバーを「できれば忌避したいもの。しかしレイバーなしでは所得が得られないので、所得と余暇とのバランスで最適な労働時間を選択している」と考える。キリスト教的な意味合いではエデンの園を追われ、現在を背負ったアダムとイブの子孫である人間全体におわされた「原罪」の一部と考えられるときもある。ここでの仕事は、仕方なく遂行するもの、義務でしかない。しかし、おなじキリスト教文化の中に仕事を表す別の言葉が存在する。ワークとcallingである。前者はおなじみなの英単語なので、説明を後回しにすることにして、後者のcallingから検討してみよう。これは文字通りcall(命)に応える仕事である。神からでもいいだろうし、自分が感じた使命でもいいだろう。何事かに呼ばれるようにして、自ら「天職」として選んだ仕事である。これはレイバーの対極にあるといってよいだろう。忌避するものではなく、喜んでそのために一身をささげるような、そんな特別な仕事である。そして比較的中立的なワーク。ただし、ワークも同じ言葉が芸術作品に使われるように、レイバーのような重荷感は比較的少なくなる。

 日本語はどうだろう。苦役という言葉はめったと仕事には使わないだろう。稼ぎがもしかするとレイバーに近いのかもしれない。生活のため、食べるためにやらなくてはならないこととしての「稼ぎ」。生業(なりわい)となると、少しニュアンスが違う。callingほどではないが、「これを生業としております」という人(職人さんが多いのだが)は、どこか誇らしげである。仕事という言葉自体は新しい言葉でもあり、比較的中立だろう。面白いのは「なりわい」という言葉が感じでは「生業」とかかれる事だ。どうも、日本では古くから「生きること」と「仕事」はくっついていたらしい。水田稲作という世界一生産性の高い(ただし労働集約的な)生活基盤を持っているからかもしれない。なにせ田んぼを作るのは、家族総出の作業であり、生活を維持することと家族を維持することは同義なのだから。けれど、日本的な生業に私的な生活がなかったかというとそうではないだろう。逆に西欧的な天職には私的な生活はないといってもよい(神から召命を受けたら、家族も家財も放り出して、神の命に従うというのが天職なのだ)。

 実は、家族やプライベートといった私的生活と仕事が分離していくのは、近代社会の傾向である。仕事とプライベートをきっちりと分ける、家族と過ごす時間を別に確保するという典型的な西欧型のライフスタイルは近代の産物である。だからこそ、西欧人にとってはそれが「普通」なのであり、他の社会ならともかく自分たちの社会の中で「仕事第一」と言い放つような人間は、「異質なアウトサイダー」と見られやすい。その逆パターンが日本だといえよう。要は、その社会で承認されやすいスタイルを(無意識に)選んでいるし、それが典型だと考えているわけだ。

 この「承認」という欲求、そして自分が行っていることが意味あることだという「意義付け」。この二つが仕事でもプライベートな生活でも、人が生きる上での大きな決め手となっている。夜遅く帰宅し、休日出勤をいとわなくても「家族は俺の(私の)ことを認めてくれている」し、自分の仕事は会社を通じて社会的に「意義がある」と思うからこそ、モーレツサラリーマンは生まれる。もし会社の仕事に意義を見いだせず、会社の中で自分の仕事や居場所が承認されなければ、仕事はワークではなくレイバーになる。そうなったらどんなに成果主義で飴と鞭を振るっても、労働生産性は上がらないというのが、現代経済学の知見である。プライベートな生活でもそうだ。欧米では休日や帰宅後、地域のボランティアやコミュニティの活動に積極的に参加する。それは「意義」ある仕事であり近隣コミュニティの一員として「承認」が得られるからである。もし義務的な割り当てになってしまったら、途端にコミュニティの様々な活動は停止してしまうだろう(70年代以降、コミュニティが崩壊の一途をたどっているのがアメリカである)。

 仕事にしろ、私的な生活にしろ、その根底にあって人を動かす動力源となっているのは「承認」と「意義」だといってもよい。どの場所で、どのような承認や意義付けが得られるかで、仕事と私的生活が渾然一体となる場合と、明確に分かれる場合があるだけだ。

 そして、今後、人々は自分自身にとって最も相応しいと思える場所での承認と意義を求めて行くことだろう。大手だから社会的に「意義」があるとはいえない事件が続き、仕事と生活の双方を充実させようという動きが徐々に広がってきている。自分自身が「意義」を感じられ、その場で対等の仲間から「承認」される仕事を求め、その中で自分らしい「生き方」も模索していくことだろう。なぜなら自ら意義を感じて集まった対等の仲間であれば、仕事に関する意見の相違を尊重するだけでなく、それぞれのライフスタイルの違いも尊重する可能性が高くなるからだ。そこではもう「仕事と私生活の区別がないのが不思議」という感覚はあっても、それが間違っているという判断はあり得ない。それはその人がその時選んだ「意義」付けの方法なのだから。逆に私生活優先だからといって、組織内の仕事をきっちりと果たしているのであれば、「なんで先に帰るんだ」などという不平も生まれようがないだろう。

 ただし一つだけ注意が必要である。「意義」と「承認」は人間にとって不可欠だが、麻薬のようなものだ。ファシズム的絶対服従を産んだり、舞い上がって、自分の会社さえ良ければなにをしても良いという行動が承認されるようになる。洋の東西を問わず、組織がスキャンダルを起こす場合、その背後にはこうした意義付けと承認のゆがみが隠れている。これは特に外に対して閉鎖的な組織で起こりやすい。逆に、組織や家庭の中で、なかなか承認が得られないとなると、マイナスの承認を得ようとする場合もある(スーパーでぐずって言うことを聞かない子供を思い浮かべてもらうといい。子供は親の注意を引きたい場合がほとんどだ)。これは非常にやっかいだ。生き方においても、仕事においても、何らかの承認が欲しいがために、マイナスでもいいからとなっていくと、マイナスの承認を引き寄せてしまうし、マイナスの承認を自ら求めるようになるというのが、心理学の知見である。

 こうなると、 自分自身に対する評価を低め、常に叱られている方が「安心」するようになる。生きにくそうに見えるのだが、案外本人はそれに気がついていなかったりする。周りが常に自分より優れているように見えるので、周りのまねをしよう、周りの指示通りにしようと必死になることになる。じつはそれが自分自身の意義付けの根っ子を掘り崩していることに気がつかないまま。やがて、根っ子のない、芯のない生き方しか選べなくなってしまう。もしかすると、マイナス承認ばかりを受けすぎて、知らないうちに心が折れてしまい、ふと気がつくと自死しているかもしれない。

 おそらく、今後働き方あるいは生き方の問題としてクローズアップされてくるのは、過労死や自殺の根っ子にあるマイナス承認衝動ではないかと危惧している。しかも真理に関わるだけに、本人が変えようと思わない限り、他人がどのように働きかけようと無駄である。とはいえ、これは人間の自尊や自侍という人間の様々な特質の基本的土台に関わるものである。自尊や自侍なしに創造的なものは生まれない。正直この点に関しては、将来社会が抱える最大の問題ではないかと危惧しているのだ。

競創 「自給自足」と「消耗戦」の間で

グローバリズムという言葉が使われ始めてもう15年以上たっただろう。この言葉が良い文脈で使われることは滅多と無い。ましてグローバリズムと競争となると、悪の温床のように目の敵にされる。逆に自給自足、地域資源、地産地消という言葉は、善の代表選手のように取り扱われている。

 思想史という過去の思想をあれこれとつつき回している人間は、こういう時、ついつい斜に構える。なぜなら、「自由+競争=悪」対「自給自足+共同体=善」という現在にも似た図式で、過去にも論争が行われ不毛になったことを知っているからだ。

 なぜ「悪対善」が不毛なのか。

 例えばの話、自給自足的が善だとしよう。では自給自足できない土地に住んでいる人々はどうすればいいというのだろう。サハラ以南の慢性的飢餓に悩む人々に、自給自足をしたらというのだろうか。いや、そんな遠くまで行く必要はない。日本の大都会そのものが沙漠であり、自給自足にほど遠い。

 自給自足を善とする人の中には、こうした都会的生活そのものを抜本から変革し、自分たちの村を作ろうとする人たちもいる。大正時代の「新しい村」運動、19世紀のロバート・オーウェンなどが過去の事例としてあげられる。彼らは、文字通りラディカルに生活形態を改変し、自給自足的生活を築き上げようとした。そこまでラディカルではなくても都市生活の無機質さや機械的生活から人間性を取り戻すためにと、設計されたのが「田園都市」である(東京多摩田園都市はこの運動が日本に波及したもの)。

 現代でもこうした運動に邁進する人たちがいる。そのこと自体をとやかく言うつもりはない。けれど、ともすればこういう運動は閉鎖的になりがちである。これは無理もないことだ。平凡な人間が何の疑いも持たずに過ごしている生活を根底からひっくり返すわけなのだから、こうした運動に同意する人たちは、当初はごく限定された数になる。またその運動が依拠している根本原則に従う人でないと受け入れられないことになる。結果的にある原理原則を元にした集団が出来上がる。これだけならば、別段不自然でも不可思議なことでもない。通常のベンチャー企業と同じだ。

 しかし、一つだけ大きな違いがある。ベンチャー企業は市場や顧客に対して自分たちの商品やサービスを説明し、売らないと生きていけない。顧客の不満に耳を傾けなければたちまち倒産だ。しかし自給自足的集団は文字通り「自分たちだけ」で生きていける。だからこそ、外からの批評に耳を傾ける必要はない。時として批評を非難として、攻撃として受け取ってしまうこともある。外だけではない、内側からの批判に関しても同様になってしまう危険性を持っている。

 なぜここまで閉鎖的になるのか。その答えは案外単純だと断じた人がいる。これまで時折登場願っているJ.S.ミルだ。彼の答えは「競争の排除が原因」というものだ。彼は自給自足的な組織や、今の生活協同組合的組織、労働者によるベンチャー的なアソシエーション、いずれに対しても「競争」することを求める。それも既存の企業とともにだ。

 そんなことをいわれても、農業組合法人や農業法人と、イオンといった大スーパーでは資金や仕入れの有利さで競争どころかスタートラインにすらたてないじゃないか。こういう反論は当然だろう。しかしそれでも競争をとミルはいう。なぜなら競争が無ければ、組織が閉鎖的になり、新しい息吹が吹かなくなるからだ。そしてミルの主張する競争は、現代的な意味での競争(彼の言葉を借りれば「相手を押しのけ押しつぶす」闘争的競争)ではない。

 ミルのいう競争を理解してもらうために、ちょっと話を変えてみたい。世界陸上・W杯・F1。こういった競技に観衆は何を期待しているのだろう。金に飽かして有力どころをそろえたチームが常勝路線を突っ走ることだろうか。それとも互いが、ギリギリまで鎬を削り、よりすばらしい記録、よりすばらしいプレーを残すことだろうか。単純に自国チームが(たとえダーティーといわれようと)勝利を手にすることだろうか。もしすばらしいプレーヤーやチームだけが見たいのなら、なぜわざわざ弱小チームとの競技会をもうけるのだろう。雪の無いジャマイカのボブスレーチームに世界中が熱狂的な声援を行い、ついには映画にまでなったのはなぜか。結局のところ私達は、同じ目標を持った人間がどこまでの高みを目指せるかに熱狂するのではないだろうか。そしてそのためには、互いに競争しなくてはならないということを暗黙裡に認めている。

 ミルのいう競争は、競い合うことによって、より高度なものを人間社会に提供していくための競争、つまり「競創」である。

 もの(商品だろうとサービスだろうと、記録だろうとなんであれ)を創りだすことは、苦痛に満ちている。だからこそ共に競う相手がいないと、すぐに自己満足に妥協に流されやすい。そしてその結果を批判されると、ついつい敵対的になる。逆に共に高みを目指しているのであれば、批判や欠点の指摘は自分の成長へのチャンスと受け入れることができる。

 ミルは自己目的化した成長、すべての人間が同じ目標(金銭的動機)を持ち、敗者を蹴落とすためには何でもするような競争を拒絶する。彼は人間が人間として、そして多くの人間がその人自身の生を生きるための社会を創り続けるための成長を求め、そのためにこそ「闘争的」競争ではない競争、「競創」を求めたのである。 ミルが「競争(競創)」を常に手放さなかったのは、互いが互いを高め合う機会を喪失してしまうからである。 

 ここからは私の勝手な推論になるのだが、ミルの競創を煎じ詰めると敗者も勝者もいなくなる。ドトールも、スターバックスも、フェアトレードコーヒーも「コーヒー消費市場」で戦っていると考えれば、当然敗者と勝者が出てくる。けれど、この3つの店舗へ足を運ぶ消費者はいつも同一の動機で消費しているのだろうか。コーヒー1つとっても人はいろんな動機で商品を選ぶ。それぞれにあった商品を提供している限り、そして創造的に自分たちの商品やサービスを成長させている限り、敗者も勝者もいないのではないだろうか。

 20世紀「グローバルで競争する」というと、体力勝負(資金力勝負)の消耗戦しかあり得なかった。しかしこれからグローバルで、世界で、競争すべきなのは、体力や資金量ではない。自分たちがどれだけ高い目的や目標を持って、日々変化し創造し続けることができるかだ。海外市場に堂々と自分の商品を売りにいく地酒の蔵元がある。資本金は3000万円に満たない(同業種のトップ企業は資本金6億弱だ)。世界のファッションショーに服地を提供する地方の小さな織元もある。品質の高さで負けない商品を創りだす人々が、いわゆる「発展途上国」に存在している。彼らとサシで勝負するのってワクワクしないだろうか?どちらがより高い品質のものを、どちらがより創意工夫に飛んだものを創造し続けるか。勝負は買ったり負けたりしながら、ずっと続いていく。それが「競創」の世界である。

 さて、いつのまにか自給自足の話題が競争の話題になってしまったが、自給自足を頭から否定している訳ではない。また現在のグローバル路線や自由貿易路線が良い結果をもたらすとは思えない。だからこそ、ここまではあえて「競創」という言葉を使って、別の形態の競争があるということを示したかった。

 私は自給自足という言葉、運動に閉鎖へと向かう危険性とともに、もう一つの可能性もあると考えている。たとえば日本の「民藝運動」。柳宗悦といった民藝運動を主導していた人々は、普通の人が普通に使っていた日常雑器の中に世界に通用する「美」を見いだした。そしてそれを一般に公開することを望んだ。さらに志を同じくするバーナード・リーチとともにイギリスに日本式の窯をつくり、多くの陶芸家を育てたりもしている。彼らの運動には批判もある(なにしろ大日本帝国時代であり、その枠組みから抜け出せなかったのも確かだ)。しかし注目してほしいのは、日常的なものをその土台や根っこを破壊しないまま、より開かれたもの、洋の東西を問わずその真価を問うことができるものへと進化させていったという過程である。

 先述した地酒の蔵元も地元産の米や果実にこだわった製品を作り続けている。そういう意味では「自らのもとに(供)給されるものにこだわって」いるのだ。そして「自らがもって足りとするもの、つまり自信が持てるもの」を送り出している。自分の生きる場所、自分が自信を持ってこれだと決めた仕入れ先や材料を大切にし、自分が自信を持って世界に問うことのできる物を作り出すこと。これもまた「自給自足」では無いだろうか。ただしこの場合の自給自足は、単純な地産地消ではない。自らが決定し自信を持つのであれば、地球のどこから仕入れていい、地球のどこへ供給していい。地球の大地に根を下ろす自給自足である。その時、自給自足はその閉鎖性を逃れることができるだろう。

ノマドと共同体

  20世紀、特に旧ソビエト連邦の崩壊後、グローバル化という言葉が喧伝されている。資本(資金)も企業も国境を越えて有利な場所へと瞬時に移動する。人もまた、能力があれば国境を乗り越えて活躍すべきだと主張される。そして対照的に日本の若者の内向き志向が批判される。

 ここで描かれる資金や組織や人は、自分にとって有利な場所を求めて常に移動を繰り返し、固定したあるいは固着すべき依処を自ら捨てたかのような姿である。

 しかし、同じように楽々と国境を越えながらも、また異なった越え方する人々もいる。この人たちは多言語に通じているわけでもない。多国籍企業に属しているのでもなければ、特別な技能を持っているわけではない。ただ自らの意思の赴くまま、同じ意思や志の人を求めて、国境を越える。ちょうど幕末期に多くの若者が脱藩という形で国境(くにざかい)を越えたように。こうした人たちも、一見すると上に書いた人たちのように、依処自ら捨て、敢えてノマドとなったかのように見える。しかし、こうした生き方をしている人たちの中には、ノマドでありながら、依処を知る人たちがいる。彼らにとっての依処は彼ら自身の志である。だからこそ、表現や手法が違っても、どこか同じにおいのする人のところにいると「帰ってきた」と思うことだろう。あるいは瞬時に「故郷の懐かしさ」を覚えることだろう。

 一方、今回の震災では再び津波の被害を受ける可能性が高いと知りながら、またその地での復興どころか復旧すら非常な困難が伴うことを知りながら、あえてかつての土地に戻ろうとする人たちがいる。放射能による健康被害の可能性を知りながら、土地を耕し田になえをうえるひとたちがいる。こうした人たちは、先ほどのノマド的な生き方をする人たちの対局にいるように見える。だが、本当にそうだろうか。

 この人たちにとって、土地は単純に先祖代々受け継いだというものではなく、その人の生き方の拠り所そのものではないのか。先祖代々受け継いだというだけであれば、バブル期にあれほどの土地の売買は起こらなかっただろう(もちろん裏で相当あくどい地上げがあったのは承知しているけれども)。単にその土地を所有していることではなく、その土地で生きていくことが拠り所になっているのではないか。実際、ある土地で生きていくためには何らかの拠り所が必要であり、それを目に見える形で現しているのが、依代としての神社ではなかったのではあるまいか。(内田樹氏が新興住宅地にはまず神社を設置すべきだといわれていたのを思い出す)。

 拠り所と依代。ノマド的生き方をしている人にとっても、その拠り所と依代は彼らの持つ志であろう。ただ、その志や意思が共通する場所が世界各地に点在しているだけではないのか。そしてある土地を拠り所とし依代を定めた人たちもまた、同じように土地に拠り所と依代を求める人と志を共有化する事が出来るのではないか。それは土地に拠り所と依代をもちながら、様々な理由によってもはやその依代の地に戻れない人も同様であろう(いや、一層強力かもしれない。東北は、特に戦後の高度成長期以降、東京に労働力としての人と、食糧としての米と、エネルギーとしての電力を供給し続けてきた。東京の人たちがなぜか被災地意識が強いのは、あながち東京中心主義とはいえないような気がする。彼らは依代を失ってしまったのだ。いや、依代を残して他所にきてしまったという意識を持ち続けているのではないか)。

 ノマド的に志を依代にして世界を駆けめぐる人たちと、ある土地を依代として、その地で生き続けることを選ぶ人たちと。一見正反対の姿ではある。そしてもし「共同体」という言葉を用いてしまえば、両者はまさしく正反対の存在でしかない。しかし果たしてそうだろうか。人間はただ一つの共同体にしか所属できないのだろうか。志は共同性を生まないのだろうか。私がここまで「拠り所」や「依代」という古めかしい言葉を使い続けてきた根底にはこの疑問がある。依代や拠り所はただ一つとは限らない。また同時に多重に拠り所を持つことも出来る。依代もそうだ。日本での依代とアフリカの依代は異なっているだろう。しかしその働きは、求めるところものものは同一でありうる。依代は表層で異なりつつ、根元で共通になりうる多層性をもつ。私はこの多重性と多層性がこれからの時代の「生」にとって重要な意味合いを持つのではないかと考えている。

 いわゆる国民国家というものが出来る前、人は多重な世界に生きていた。ある村の村役であり、家長であり、農民であり、時には推理県を巡り婿と争う舅であったりした。家そのものも(社会によって相違は大きいが)血縁関係で継続しているとは限らなかった。さらに大きな範囲でいえば、誰が王かということは、日常生活や納税に関わらない限り知ったことでなくてかまわなかった。王もまたどこからどこまでが自分自身の領地かということは、支配勢力圏の問題であると同時に、支配清涼をのばすためには依安上がりな婚姻という手段を執ることも出来たのだから、二重王権(妻との共同統治)の土地があって当たり前であった(もっともヨーロッパでもどこでも争乱の元になるのが常だったろうが)。だからといって、人に拠り所がなかったわけではない。日々の生活そのものが拠り所を形成していた。

 時代は下って21世紀。果たして国民国家はこのまま存続するのだろうか。グローバル化が喧伝されているといった。それは確かに資本や組織の都合でいわれる場合が多い。しかし、拠り所の少ない資本や企業はもとより根無し草であり、根無し草としてもっとも有利な条件として国民国家の敷居がなくなっていく兆候に敏感なだけではないだろうか。

アソシエーション

 1995年の阪神大震災は後に「ボランティア元年」と呼ばれることになった。金銭関係ではなく、志で集まる人々に始めて注目が集まった。その後NPO法人の族生、グラミンバンクのユヌス氏へのノーベル賞の授与、社会起業やプロボノといった言葉がマスコミで取り上げられることが多くなった。

 そして今回の震災。マスコミは「がんばろう」という標語を掲げたが、むしろ「絆」という言葉が多く使われている。多くの人が、安全な場所から「がんばろう」と声をかけることよりも、時と空間が隔たっていても何らかの絆を結びたいと感じている。そしてこうした動きと全く無関係に見えるかもしれないが、今回の震災を契機として、多くの企業が拠点の分散化、現場への権限や判断の委譲を計っている。人と人との関係のあり方、そして組織のあり方が根底から考え直される時代が来ているようだ。

 現在の組織形態の多くがモデルとしている株式会社は20世紀の産物である。それも第1次世界大戦を契機として広まったという側面が大きい。意外に思う人も多いかもしれない。20世紀的社会の始まりである産業革命は、18世紀後半おそくとも19世紀には始動し、それとともに大規模工場制も始まったと思われているからだ。しかしこの時代、中心となっていたのは個人所有の工場であり、その多くは大資産を所有する特権階級のものであった。確かに当時も「株式会社」という形態は存在していた。しかし現在と違って株主は無限責任を負わなくてはならなかった。

 労働者は(今もそうだが)資本家が所有する「大組織」に雇用され、自分たちの生活形態まで決定されていた。この当時の労働者は主として肉体労働者であり、1日18時間に及ぶ長時間労働も普通であった。彼らの生活水準のひどさや教育不足は社会問題として取り上げられ、なかには労働者の生活改善運動に乗り出す資本家も多くいた。労働者のために住宅を敷地内に建設したり、教育を施していたりした。今風にいえば福利厚生施設の充実であり、その代わりに雇用主である資本家は労働者の「勤勉さ」と「命令系統への秩だった服従」を獲得しようとしたのである。

 しかしこうした労働形態や組織のあり方そのものに根本的な疑問を投げかけ、新たな組織形態を提唱するものたちもいた。今回は、J.S.ミルの議論を中心としながら当時「アソシエーション」と呼ばれたこの組織形態を紹介していきたい。

 アソシエーションを日本語にするのは難しい。通常は「団体」や「協会」と訳されるが、「結社」「おつきあい」といった訳語も出てくる。まずは「志を同じする個人の集合体」という広い意味で受け取っておいほしい。19世紀初めから半ば、このアソシエーションという言葉はちょうど現在の社会起業と同じように一種のはやり言葉であるとともに、社会の将来像を指し示す用語として、色々な人々によって使われていた。たとえばサン・シモンに始まるサン・シモン派は、アソシエーションの根本を連帯感情とし、連帯感情に基づいた協同性を信条に据えた。彼らは当時(1820年代から30年代)の状況を「愛情のあらゆる絆が打ち砕かれ…不振と憎悪、まやかしと術策とが全体に関わる関係の中で大きな役割を演じ」ているとしている。こうした中で新たな「絆」を宗教という形態を通じて、人々の愛情と秩序を通じて結び直そうとしたのがサン・シモン教のアソシエーションであるといえるだろう(参考 佐藤茂行「サン・シモン教について:サン・シモン主義と宗教的社会主義」経済学研究,35巻4号,1986年)。彼らは最終的に宗教団体という形態をとるのだが、現実の労働者・生産者の身体的、精神的、道徳的境遇の改善を旗印としていた。ただ、「秩序」を強調するあまりにかテクノクラート的な側面が強いアソシエーションでもあった。

 同じくフランス人としてサン・シモンと並び称されるのがフーリエである。彼は自らのアソシエーションに「ファランジュ」という名前をつけている。そして人々の色々な情念を4つに分類し、それぞれの情念の間には(重力のような)引力と斥力があるとした。ファランジュはこうした情念の系列に沿って、人類や動植物の潜在的な能力を最大限引き出すための共同生活を行う場である。フーリエおよびフーリエの後継者たちは、ファランジュでこそ「富と正義が一致する共同社会」が実現するとしている。このファランジュの仕組みは非常にユニーク(労働者は1日のうちに複数の活動に従事する=1種類の労働に専念してはいけない。子供はある年齢に達すると自分の親を複数選択し、その元で暮らしながら仕事を覚える等々)なのだか、そのいちいちを紹介していると紙数が尽きるので、興味ある方は『産業的協同的新世界』や『四運動の世界』を実際に手に取ってみてほしい。ただ一つ強調しておきたいのは、フーリエがファランジュでは「労働が苦痛ではなく快楽になる」と主張していたことである。

 こうした初期の動きの影響を受けて、19世紀の半ばにJ.S.ミルは『経済学原理』で、「雇用関係の廃棄(disuse使わなくなること)」を打ち出す。そして彼なりのアソシエーション論を展開する。それは労働者自身が自らの資本を持ち寄って形成する企業体である。そのため通常ミルのアソシエーション論は「労働者協同組合」といった解釈をされている。しかし私はミルのアソシエーション論の特質は、アソシエーションに参画する個々人の平等なパートナーシップであり、志を中心とした入退出自由な組織体であることだと考えている。まずは志を中心にしているという点から説明していこう。そのためにはミルが有限会社と有限会社に対する投資をどう考えていたのかから説明していきたい。

 当時イギリスではフランスで認可されていた有限会社形態を法的に認めるかどうかが議会で議論されていた。議会証人として呼ばれたミルは有限会社を少額の貯蓄しか持たない労働者が新規事業を始めるための唯一の方法として推奨する。先程も述べたように、当時は無限責任が唯一の形態であった。そのため会社を興すのに十分な資金を持たず、社会的地位も低い労働者は、資金の借り入れも投資も受けられない状態であった。有限責任であれば、出資者は出資金の範囲で責任を負えばよいことになる。見所のある事業、これまで信頼していた仲間に対する出資がしやすくなり、労働者自身が自らの手で事業を興しやすくなるとミルは訴える。さらにこうした会社形態が個人所有の会社に対して持つ利点として、多くの出資者に対して事業内容や事業収支を明確化しなくてはならず、そのことが事業の透明性を高める点を挙げる。そしてそもそも投資とは事業内容すなわち事業を興すものの志への投資であるとする(この点は現在のように株式市場が整備され巨大化した現代との大きな違いだろう)。この点はアソシエーションに関しても同様で、当初志を同じくし、資金を出し合った仲間であったとしても、志が異なってくれば直ちに脱退可能である。

 このように投資にしろアソシエーションの結成にしろ、「いかに儲けるのか」ではなく「それで何をしたいのか」という意志がまず最初にある。意志に集う仲間が形成するのがアソシエーションなのである。しかしアソシエーションといえども、組織形態である限り役割分担や命令系統は必要となってくる。その点をミルはどのように考えていたのだろうか。

 彼の議論が面白いのは、アソシエーション論と男女の夫婦関係論とが同じ「イコールパートナーシップ」という言葉で表現され、類比されながら考えられていることである(ちなみに夫婦関係の方が子供を育てなくてはならない分、継続性が重んじられる)。そしてどちらにおいても、役割の固定化は自明の理ではない。ただ、アソシエーションの場合、異なった才能や能力により、それぞれの得意分野が次第に固定される傾向があること、さらに対外的な(他社との交渉等)必要性から、ある程度の固定が望ましいことが主張されはする。しかし、リーダーシップをとる人間も、その指示に従う人間も、同じアソシエーション内の個人としては「イコール」である。その分評価も厳しくなるだろう。逆に個人の状況に合わせた働き方を認容する余地も出てくるだろう。だからこそ、ミルはアソシエーションは旧来の企業形態よりも遥かに高い生産性をおさめると主張したのである。それは単純に、同じ立場のものが集まって意気盛んだからという理由だけでは無いだろう。志を同じくする仲間と厳しいながらも同一の目的に向かっているとき、そして仲間が互いの弱点も長所も十二分に開示し、信頼し合っているとき、「労働は快楽」になるとミルは考えたのではないか。なぜなら、ミルは19世紀初期の様々なアソシエーションの内、フーリエ派を最も高く評価しており、その理由がフーリエにおいては「労働が快楽になる」という点だったからである。

 現代社会でも「労働が快楽」というと新興宗教かと言われるだろう。しかし、本当に労働は苦痛なだけなのだろうか。そして、投資や消費は単純に利益と利便性のためだけに行われているのだろうか。今回の震災が私たちに見直しを迫っているのは、今までの組織内での労働とお金の使い方そのものではないだろうか。

最小不幸と最大幸福(2)

 ミルは一応ベンサムとともに功利主義の論者とされている。「されている」と書いたのは、最初に説明した快苦スケールに量だけではなく質も含まれるべきと主張したという点で非常に扱いに困る論者だからである。スケールが一つではない場合、どのようにある快楽とある快楽を比べるのかという問題がでくる。その上彼はArt of Life として正義や倫理の分野、政策等の分野(深慮)、そして美や高貴の分野に分けて人間の行動を評価しようとする。スケールに量だけでなく、分野が入ってくるのだから、単純になにが「最大」なのかわからなくなってしまう。というわけで、研究者の間でも彼がどのような功利主義者なのか、そもそも功利主義者なのかを巡って、今も論争が続いている。

 それはさておき、私が注目したいのは、彼がArt of Lifeを追求する上で、そして幸福を最大化するときに、各個人が生存する上で必須と考えられる要素(vital interest )が確保されている(secure)ということを基礎としていることである。そしてその上で、各個人が他者と協力して(あるいは反発しながら)自らの生、生き方を自由に追求していくことを求めた点である。この必須要素はセンのベーシックケイパビリティとよく似ているのだが、何が必須要素にあたるかは時代ごとに、社会ごとに、地域ごとに異なっている。逆に言えば個別事情に応じて、各個人が、あるいは各地域がその場における必須要素が何かを考えなくてはならないのである。極度の貧困に喘ぐような社会では必須要素に関する合意は達成しやすいだろうし、他の社会から見ても判断しやすいだろう。世界的な機関による全般的な救済策や災害時の緊急要請などがそれにあたる。しかし慢性的な貧困や豊かな社会に偏在する貧困や必須要素の欠如は、個別事情を勘案しつつ解決を図るしか無い要素をはらんでいる。だからこそミルは統治を「人々の教育」として位置づけている。各人が他者の利益関心に興味と関心を寄せつつ、当該社会の必須要素欠如をどう解消していくのかを真剣に考えることが、「統治」であり、それは代表者のみが行うもの、行政が一律に行うものではない。むしろ各人が作り出していくものである。

 その上で、各個人は自ら求める理想の人生像を求め続けるための活動を行うことになる。こうした活動を経済的に支えるものが何かといえば、労働である。しかし、ミルにとって労働は「誰かに雇用される=資本に雇用される」労働ではなかった。むしろ人々が自由に資本を雇用して活動することが将来像として提示されている。そしてその場合「投資」は一攫千金のためではなく、各人がそれぞれ、あるいは協同して行う事業の理念に対する賛成票であり、応援手段である。

 ミルが求めた社会において、最小不幸は人々がその内容を考え、自ら達成するものであり、そのためにも各個人の自由な活動と、その活動を支える様々な人々の投資が必要だと考えられていたのではないか。最小不幸を何か一つの概念として固定するのではなく、常に考え続け、常に解消につとめることの中に、人間の進展があるというのが私がミルから学んだことである。

 とここまで書き進んだところで、3月11日を迎えた。その日から以降の事柄を今更事々しくかき立てるつもりはない。また通常ならば「東北地方の未曾有宇の災害に云々」というフレーズを付け加えるところだろうが、それもしたくはない。起こった事柄はそこに厳然として「ある」。その厳然としてあるものに対して、単なる決まり文句を繰り返すことはしたくないからだ。ただ、支援の輪が広がる中で、また今回の災害の中で気になっていることをミルに引きつけながら、書いて終わりとしたいと思う。それが今の私にできるわずかながらの支援だと考えている。

 まず第一にソーシャルメディアの広がりとその中で垣間見えた「教育=共育」の可能性である。すでにソーシャルメディアの活躍とその功罪については、マスメディアでも取り上げられているのでご存じの方も多いと思う。これからの議論はアカウントを持ちリアルタイムで体験した一個人の考えとして読んでほしい。今回に限らずソーシャルメディアでよく見られるのは誤報である。悪意を持ってではなく、善意から流される誤報もあれば、時間的に古くなっていて結果的に誤報となっている場合もある。今回震災直後からみられた私個人のTwitterアカウントでもそうした情報が流れていたし、注意を喚起する情報が流れた。その中で情報源を確かめより精度の高い情報を出しているアカウント、それを拡散するアカウント、さらに誤った情報を訂正するアカウント、誤報を自ら訂正し削除したことを表明するアカウント(マスメディアと比べてほしいのだけど)もあった。ずっと誤報なり偏った情報を出しているアカウントもある。結果的にアカウントを持っている各個人は、自分が情報の精度や確実度の高いと考えたアカウントから発信された情報を選択し、場合によっては拡散する。

  ミルは自らのことを社会主義者と呼び、当時の資本中心の社会に対して根底から批判的であったが、当時の一般的な社会主義者のように「競争」そのものには反対しなかった。彼が反対したのは巨大な力が圧倒的な力を持つ場での競争であり、生存のためには他社を蹴落とすことが第一義になるような競争である。ミルにとって本来の競争は「互いに互いを高めるため」「互いの違いを鮮明にするため」の競争であった。Twitterのタイムラインと、マスメディアの視聴率優先の報道を眺めながら、各個人の持つ発信力とともに個人だからこそ互いに対等に競争(時には罵倒も伴いながら)する情報市場では、情報の精査だけでなく、受け手の情報感度も教育されるのではないかと考えたのである。それは誰かのアカウントが(著名な知識人だからといった理由で)誰かのアカウントを教育するというものではなく、相互のアカウント同士がフォローや削除を通じて、互いの価値を互いに知らしめるという意味で「共育」である。おそらくこれが本来の共育なのだろう。

  そしてもう一つ、義援金や寄付以外の支援の動きである。それは「雇用創出のための消費活動」。自粛という言葉が日本中に蔓延し始めたころから始まった、ある意味政府や世間的常識に逆らう、静かなしかし芯の通った一人一人の行動の呼びかけである。義援金も寄付金も地元に届くまでに時間がかかる。そして避難者とひとくくりにラベル付けされ「支援されるーする」関係性の中に絡みとられると、人間は「依存する」ことになれてしまう。ミルが19世紀の半ば工場経営者が労働者住宅を建てることに強く反対してのもこの点ゆえだ。経営者が建てた住宅に住み、経営者が支給する支援金になれてしまえば、労働者は「個人」ではなく「経営者のお抱え奴隷」になってしまうとミルは考えたのである。この奴隷は身体的には拘束されていない。しかし自ら人生を自ら考えることをしなくてもよい,それは経営者に任せればよい考えさせられてしまった精神的奴隷なのである(同様のことをミルは女性問題でも論じている)。

  緊急時の支援は必要である。けれど1月先、半年先を見通すなら、必要なのは「自立」であり、そのためには何より自分の力で生活を再建できる見通しがあることが第一である。だからこそ、被災しなかった、日常を無事に過ごせる私たちは、日常通りに消費をし、被災地の産品を好んで消費することによって、被災地の雇用再建の道を閉ざさないことが肝心なのだ。上記の呼びかけをした多くの人がそう考えたのであろう。彼らは、経済が互いにつながっていること、自らの手で生活することが人間の自尊心にとっていかに重要か、そしてそれがいかにもろいものかをよく知っているのだと思う。被災者ではなく一人の人間として仲間とともに、自らの人生を生き続け自分自身の幸せを追求するために「必須な要素」は一方的な支援ではなく、「自立」である。そのためには、消費行動からさらに踏み出して、「被災者」だからではなく「あなただから」という信頼を基盤とした投資というミルが提唱した方法も有効な手立てだと考えている。