リスクと付き合う

松井 名津

 第二近代という言葉はこのシビルの読者にとっては耳になじんだ言葉だと思う。けれど、今一度定義を振り返っておこう。この言葉は1986年『危険社会』(ウルリッヒ・ベック著)で提唱された言葉で、第一の近代が「富の分配」を主題とした社会であったのに対して、第二の近代は「(認知された)リスクの分配」が課題となるとベックは主張した。ベックがこうした概念を提唱した背景には、冷戦構造の崩壊・福祉国家の限界といった国民国家の弱体(第一近代のセイフティネットの崩壊)と、個人化の進展(家族や親族といったセイフティネットの崩壊)、グローバル化(個人や国民国家の枠組みでは対処できない危機の存在)があったといわれる。ザクッとまとめると、既存の枠組みが崩壊しているのがだれの目にも明らかになりつつある一方で、新しい枠組みがなく人々や社会が漂流している状態を表したものだと考えることができるだろう。

 さて、ミルは現代から振り返れば第一近代に生きた人物である。が、彼も含めて彼の同時代人は自分たちの時代を、過去の枠組みが崩壊し未だ新しい枠組みが成立していない移行期と捉えていた。これは哲学者や思想家だけでなく、ディゲンズやカーライルといった文学者も同様に感じていた。既存の枠組みと新しい動きが錯綜する中で、さまざまな理想社会像が描かれる一方で、新しい動き、特に市場経済の発展を脅威と考え、社会の安定・秩序の強化も提唱された。ミルのアソシエーション論もこうしたさまざまな思想的実験の一つだといえる。たしかに第一近代の始まりにおけるこうしたさまざまな思想的実験は(マルクスの社会主義も含めて)「富の分配」をめぐる議論としてまとめることができる。が、今日はあえてベックに倣ってリスクの分配という観点から考えてみることにしたい。

 カーライルやディケンズは市場経済の進展とともに、労働者と雇用主との関係が単なる「金銭的絆(キャッシュネクサス)」に堕してしまったと捉える。金銭を媒介とした雇用契約は、労働者と雇用主を対等な契約者として扱うように見えるが、雇用主は被雇用者である労働者の衣食住に対する責務を一切負わない。一方で労働者もまた真摯な労働、雇用主への人的愛着を一切排除して、ただ金銭のためにのみ労働を行う。労働者にとっては一定の金銭が支払われる時間内でいかに労働量を節約するかが、雇用者にとっては時間内にどれくらい労働量をしぼりとるかが、双方の命がけの闘争の場となる。これに対して南部アメリカ合衆国等で展開されている近代的な奴隷制は、雇用主が奴隷の衣食住に全面的な責務を負う一方、奴隷は雇用主に対して人的愛着を持って奉仕を行うと考えられた(彼らが近代的奴隷制を全面的に擁護したわけではない。たとえば男女や家族が強制的に分離される点を激しく批判している。とはいえ、こうした批判もまた雇用主が奴隷の家庭的生活に責任を負わなくてはならないという視点からなされている)。この主張をリスクの観点から整理してみよう。雇用の安定という点から見れば市場は不安定でリスクを伴う装置である。全体的な好不況の波ばかりではなく、個別業種、個別企業の業績が雇用の継続を決定する。そして、金銭的契約に基づく雇用関係は、こうしたリスクのすべてを労働者に押し付ける。雇用契約が打ち切られると、金銭的収入を雇用に依拠していた労働者は生計の手段を失う。雇用者もまたリスクの海の中で、リスクを回避すべく必死の努力を続けているものと想定されているが、彼がこうした市場のリスクから重大な影響を受けるのは、労働者のすべてが犠牲となった後である。解雇した労働者の生活がどうなるかはあくまでも雇用者の責任の範疇外に位置付けられているのが「金銭的絆」の社会である。

 これに対して奴隷主と奴隷は一家として、市場の荒波を共に渡り抜こうとする運命共同体とされる。船主である奴隷主は一家のために、ありとあらゆるリスクを計算し、最適の航路を選択し、決断と命令を下す。全ての成員は船主の命令に服従し、それぞれの責務を果たす。リスクも責任も奴隷主だけが背負い、全員を保護する責務を全うしなくてはならない。だからこそ、全員は奴隷主に愛情と敬意を抱き、その命令に従う。奴隷制という点だけから見れば、非人道的で時代遅れの議論に過ぎないが、当時こうした雇用主が被雇用者の生活を守るべきだという主張は、保守層だけでなく社会変革側からも唱えられていた。その代表がオーウェンであり「ニューハーモニー」はその実践でもあった。彼らは市場のリスクを「悪」とみなし、このリスクから人々を守る「組織」を形成し、トップダウン方式で人々を保護しようとしたのである。この方式は実は20世紀の様々な組織の原型となっていると考えることができる。会社にしろ、労働組合にしろ、あるいは福祉国家という国家形態にしろ、「組織」を形成し組織のメンバーをリスクから保護する(日本型経営はその主たるものだろう)。リスクはトップに集中し、メンバーはリスクを考えることなく、奉仕(仕事)に専念するという方式である。個々のメンバーにとってリスクは複雑かつ巨大すぎて個人では対処できないものと考えられた。

 こうした方式を拒否したのがミルである。彼は人道的奴隷制にも、オーウェンのニューハーモニーにも真正面から反対した。その根元には人間が元来リスクとともに生きているという認識がある(人間は過去から未来を類推する生き物である。未来の事象は因果律に従っているとはいえ、人間はその全てを把握する能力を有していないために、未来は常に不確定性を帯びる)。人間がリスクの認識から完全に保護されることは、外界世界から隔絶され自分で感じ考えることを排除されることでもある。一部の人間のみがリスクを判断することは、権力の固定化につながるとともに、他の人間の能力を封殺することにつながる。リスクは人間の生を脅かす「悪」であると同時に、人間の生を活性化する「種子」でもある。アソシエーションにおいて、責任が特定の個人に集中するのではなく、それぞれの役割や才能に応じてリーダーシップが交代する形式を求めたのも、全員がリスクを担うという側面を持つといえる。ミルが求めたのは全員が何らかの形でリスクを担うアソシエーションが、市場の中で互いに競争することでもあった。市場はリスクの塊ではなく、人々やアソシエーションがリスクと出会い、格闘し、それぞれの解を見つけるための共通の場である。ミルは別に個々人にリスクに立ち向かう英雄になることを求めているわけではない。各人がそれぞれの経験からリスクに対処する行動様式を形成していく。従ってリスク回避型の人もいれば、リスク追求型の人も出てくるだろう。そのどちらが良いというのではなく、それぞれの場で判断や討議を重ねつつ、市場でその判断を確かめていく。ここで市場はリスクの荒海ではなく、リスクに対する様々な判断が示されるショールーム、リスクへの対処を確かめる実験場である。失敗や成功という判断基準はもちろんあるが、それよりも重要なのは、多様な判断に対する多様な経過と結果の情報・知識の蓄積である。こうした情報や知識は市場参加者の共有財産でもある(ミルが「株式会社」の透明性を重んじたのも、経営判断のプロセスが囲い込まれないことにあった)。

 さて、現代に目を移そう。私たちは、特に日本という土地に生きている私たちは、どんな社会に生きているのだろう。食品偽装が起こるたび「食の安全」が叫ばれ、自然災害が起きるたびに「ハザードマップ」「リスク評価」がうたわれ、子供が事故にあえば「通学路の安全確保」が問題になる。あたかも安全であることが当たり前で、リスクは「あってはならない」ことのようだ。「あってはならない」という言葉もこの頃よく繰り返される言葉だ。「このような事態はあってはならないことで…」「本来あってはならないことが…」という台詞が、いつも出てくるものだから「あってはならない」という言葉の意味が、「あるべきではないが、必ず起こること」に変わらないか心配になってくる。いやもし「あってはならない」が「あるべきではないが、必ず起きること」を意味するとすれば、この言葉はリスクに対する今の私たちの態度を言い当ててるのではないだろうか。私たちはリスクを無視したがる。いつも安全・安心100%を求めている。災害だけではない。自分の将来に対してさえ「安全・安心」な進路を求めている。そしてリスクは「あってはならない」こと、避けて通るべきこと、私たちの生活に「あるべきではないこと」になる。あるべきでないリスクが顕現した時、私たちはリスクの存在そのものを誰か他人の責任にしてしまいたくなる。想定外を想定すべきであったと、100%の安全を確保すべきだったと。けれど、人間が100%未来を予知できない生物である以上、私たちの日常生活にリスクは常について回る。第2近代が「(認知された)リスクを分配」する社会なのだとしたら、私たちがまずしなくてはならないのは、リスクを認知することなのではないだろうか。

 リスクをただ「あってはならない」ものとして忌避するのではなく、人間という存在にとって良くも悪くも欠かすことのできない存在として、私たちはそれを認め、知り、付き合うすべを互いに学び続けなくてはならない。ミルが将来世代に残した「自由への賭け」、将来世代が選ぶ社会への道は、リスクの認知から始まると私は思う。

伝統とは

松井 名津

 伝統とJ.S.ミルは相性が悪いことになっている。個人主義で自由主義、既得権益を批判する…といった特色から当然と思われるかもしれないが、実はミルと伝統が相容れないと考えられている要因の一つに、ハイエクによる批判がある。少し専門的な話になるが伝統を考えるときに重要な要素も含んでいるので、お付き合い願いたい。

 自由主義を擁護する際にハイエクは「真の個人主義」と「偽の個人主義」という考え方を持ち出した。真の個人主義は自由主義を擁護する、あるいは自由主義を促進するのに対して、偽の個人主義は集団主義や全体主義への道を開くものだという。そして真と偽を見分けるメルクマールの一つに伝統がある。ここでいう伝統は、長年続いてきて社会で当たり前になっている物事のやり方、と考えてもらったらいいだろう。ちょっと洒落た言葉でいえば「社会インフラ」としての伝統である。真の個人主義はこうした社会インフラが存在してはじめて個人、あるいは個人の自由が成立すると考える。これに対して偽の個人主義は、合理的計算を行う個人を出発点として社会を考えるから、伝統といった社会インフラを否定し、合理的な法律体系を求める。また人間の理性が無謬の計画を設計できると考えるから、伝統や慣習によって決まっているやり方(ルール)よりも、設計された法律や体制が優れていると考える。したがって、合理的な体制が成立すれば、自由は確保されると考えがちだから、一旦体制が成立すれば体制と摩擦を起こすような自由は抑圧しても良いとする。

 以上がハイエクによる「真の個人主義と偽の個人主義」の荒っぽい要約である。そしてこの中でハイエクはミルを本来なら真の個人主義の伝統に根ざしているのに、偽の個人主義の影響を強く受けてしまった人物として描き出す。その際槍玉に挙げられるのが、既存の慣習や世論の影響を鋭く批判した『自由論』だった。このハイエクの論が非常に有名になったこと、そしてハイエクの議論と軌を一つにするバーリンの「二つの自由論」との相乗作用で、ミルには非伝統主義者というイメージが付着したのである。

 さて本当のところはどうだろう。私自身はミルと伝統は単純に対立とか親和とかではないと思っている。確かに『自由論』でも『論理学体系』でも習慣的なものの見方を疑うという姿勢は一貫している。しかしその一方で、ありとあらゆるものを分析してしまい、行動に伴う感情を失うことの恐怖を、彼自身が自分の経験として文字通り身にしみて知っている。伝統をそのまま丸呑みにすることも、伝統を分析し尽くしてその妙味を失うことも、彼は拒否していると思える。ある意味中途半端というか、折衷的な態度である(そう、ミルはいつも折衷的と批判されるのだ)。しかしこの折衷的な態度こそ、伝統に対して真っ当に向き合う際に忘れてはならない態度ではないかと思うのだ。

 「伝統」とはなんだろう。日本もイギリスも伝統の国だとよく言われる。イギリスの伝統というと何だろうか。山高帽に固く巻いた傘をもつジェントルマンだろうか(「キングスメン」という映画ではこの典型的な紳士姿のスパイが活躍したが)。しかしこのスタイルはミルの時代に確立されようとしていたところだった。イギリスといえば紅茶といわれるが、これまた18世紀以降少なくともジャマイカ等の西インド諸島を植民地としてから、イギリス全土に広がる習慣である。では日本は?日本の伝統ー茶道・華道だろうか。華道は室町時代、茶道は安土・桃山の好機に確立したから、確かに年月を経ている。しかし、どちらにも共通する「家元制度」は江戸時代の産物だといわれている。また同じ茶道であっても近年まで家元制度を採らなかった流派もある。家元とか伝統芸能に見られる一子相伝も、血縁関係によるものではない。むしろ近代特に戦後になってから一子相伝が強まったといえるかもしれない。芸能に限らず、武家も町屋も「家」「商家」を守るために、他所から養子を取ることが当たり前だった。能力が足りない後継を押し込めたり、隠居させたりして、能力のある子どもを養子として家を継がせるのは、生き残りのために必須の作戦でもあった。

 そう、伝統は今ある形のまま伝わってきたのではない。継続させるための努力があって、残ってきているものである。残すためには養子を取るだけではなく、様々な変更を加え続けている。能楽は室町時代の言葉をそのまま現代に残しているとして、ユネスコ世界遺産になった。しかし節回しは大きく変わっている。かつては一つの節回ししかなかったが、江戸の頃に二つ(強と弱)に別れたらしい。失われた曲も多いー演目が人気がなかったとか、作り物が多くお金がかかるとかー、仕舞としてはよく上演されるけど、全曲上演がほとんどない曲はそれ以上に多い。舞い方もちょっとずつ変化するー実際に舞台で演じられるのと、教本として描かれているのにズレがあったりする。そんな時私の師匠は「う〜ん、これは自分もやったことがないですね。これだと舞台でうまく合わないですよ…どうしますかね〜」などと言って、最初は教本通りに教えようとするのだが、やっぱり自分のやり方で教えてくれる。教本が間違っているのではなく、教本がまとめられた時と現在(30年程度)とでは、囃子方や謡の速さや間の取り方が異なっているのだ。もちろん歌舞伎のようにアニメや他国の伝統芸(マハーバラータ)を新演目として取り入れる場合もある。華道では洋物といわれる西洋花を使うことはもう当たり前のことになった。茶道でも椅子席を使った手前が開発され続けている。伝統が博物館の展示物にならないためには、伝統を生かし続ける人々と、その人々を経済的に支える装置(演技場しかり、観客しかり)が必要なのだ。

 この関連する人たちが生かし続ける伝統とは若干異なる伝統というものもある。「礼節を重んじるのは日本が世界に誇る伝統である」とか「日本の伝統でもある謙虚さを世界にアピールする」といった風に語られる伝統である。その多くがいわゆる道徳律である。古いところだと「大和魂」などがある。いつの間にか武士道と一緒くたになってしまっているが、歴史は浅くて明治期以降に流布されたものである。江戸時代の武士道は支配官僚としての武士階層の倫理として確立したという側面が強いから、非常に儒学的で理想主義的で教条的なものがある。実際に武士が戦いに従事していた頃には「7度主君を変えてこそ武士」だとか「卑怯といわれようと臆病といわれようと生き延びることこそが大事」というのちの武士道から見れば、トンデモナイ発言が武将の格言ー自家が生き延びるための手段ーとして残っている。

 さて大和魂に話を戻そう。大和魂といえば本居宣長の「敷島のやまと心を人とわば朝日に匂う山桜花」から取られたとされている。そして大和魂といえば「武士として潔く散る」である。ところがここで歌われているのは山桜である。山桜は柔らかい若芽と蕾が一緒に出てくる。決して一気に咲く花ではない。また散り落ちる時ははらはらとこぼれるように舞い散る花だ。とてもとても一気に咲いて一気に散る花ではない。第一、本居宣長といえば漢学(儒教)に対して「やまと心」を訴えた人ではあるけれど、彼が賞揚したのは『源氏物語』に典型的に現れている「もののあはれ」である。確かに山野の広葉樹林のなかにチラホラと混じる山桜の花が朝日に照らされている風情は、潔さよりも「色気」「艶」という言葉がよく似合う。生来のプレイボーイ光源氏にはよく似合いそうだ。ところがどういうわけか、山桜はソメイヨシノになり、もののあはれは武士道や儒教になってしまった。その転換点はどうやら日露戦後の日本にあるらしい。漱石の『我輩は猫である』の一節に「東郷大将が大和魂を持っている。魚屋の銀さんも大和魂を持っている。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を持っている」「誰も口にせぬものはないが、誰も見たものはいない。誰も聞いたことがあるが、誰も逢ったものはない。大和魂はそれ天狗の類か」と皮肉満点な部分がある。どうやら日露戦争の戦勝に酔って、上から下まで大和魂が掛け声になったのが始まりのようだ。

 とすれば、この伝統は結構眉唾物だといえる。人々の生活の中、あるいは上層階層の文化の中から出てきたものでもなく、守り伝えようと努めたがゆえに現代まで生き続けているものでもなく、ある時代の風潮の上に出来上がり、あたかも古くから存在したかのような顔をしているわけである。しかしそれが「伝統」という顔をしてまかり通るのは、それ相応の時代の風潮とその時代が去った後もこれを「伝統」として振りかざすことが利益になる人たちがいるからである(日露戦争の戦費のために政府が宣長の歌から名前をとったタバコを作ったりしている)。

 ミルが伝統に対して、是々非々とでもいうべき折衷的な態度をとったのは、伝統という言葉で本来は伝統ではないものまで、伝統と呼ばれかねないからだ。それは19世紀半ば「イギリスといえばジェントルマン」の伝統が目の前で作り上げられようとしていた時代に生きていたゆえかもしれない。あるいはまた、戦時の意気軒高に酔いしれて「イギリス一番!!」と気勢を揚げる時代に生きていたからかもしれない。ともあれ、ハイエクが主張したように伝統を重んじるから真の個人主義で、自由主義を守れるのだと、そう簡単にはいかないことは、この20年の日本やアメリカを見ていると痛感することでもある。

 最後にミルだったらいいそうなことを付け加えて終わりにしよう。「伝統とは何か。それは他の伝統と比較した時に初めて分かる何かである」。

籠の中の「ダイヴァーシティ」、食い破るための多様性

松井 名津

 いつの間には多様性という言葉が流行り、いつの間にかダイヴァーシティというカタカナ語になった。カタカナ語になった途端に、毎日どこかで見かけるようになったが、誰もなぜダイヴァーシティが必要なのかきちんとした説明をしてくれたことがない。曰く、経営上望ましい、仕事の上で効果がある、様々な側面から顧客や商品の分析ができる等々。なんだかダイヴァーシティが万能薬に見えてくる。ただし非常に薄っぺらい、流行が過ぎると見捨てられる万能薬に。

 多様性はそんな単純で薄っぺらな存在なのだろうか。少数意見の重要性を説き続けていたミルの意見を聞いてみよう。現代では地球が丸いことを信じない人は誰もいないと思う。この誰もが認める地球が丸いという真理があれば、「地球は平たい」というトンデモ少数意見は必要どころか、頭から否定してイヤ無視して構わないように思える。しかしミルはこの場合であっても「地球は平たい」という少数意見は必要だという。そして真面目に取り上げ、真面目に反論すべきだという。私たちは「地球が丸い」と思っている。学校でそう習ったから、みんながそう言っているから、なんとなく常識だから…。確立された真理はこんな風に「なんとなく」「権威があるから」真理として受け入れられている。そして確立されているがゆえに、この真理に反するような意見は「邪道」「トンデモ」として一笑に付されるか、白眼視されるか、極端な場合は沈黙を余儀なくされる。ここまで来ると真理は真理でなくなるとミルはいう。たとえその真理が「真」であっても、それが真である理由を示さないまま「真なるもの」として人々に教えられる時、それは真理ではなくドグマ(教理)になるのだと。

 地球が平たいという説を真っ当に取り上げ、それに反論し、あるいは地球が丸いということを「きちんと」証明する。ここの「きちんと」は普通の、つまりは専門家でない人でもわかるような言葉で証明するということだ。こういう営みを行なっていれば、誰もが地球は丸いことの根拠を理解して、自分の意見として「地球は丸い」といえるだろう。たとえ真理であっても少数意見が必要なのは、真理が常に人の心のなかで「生きている」真理になるためである。

 さらにいえば、ある時代の「真理」が永遠に真理とは限らない。「平行線は交わらない」はユークリッド幾何学では真理だが、非ユークリッド幾何学では真理ではなくなる。2000年来の幾何学の常識である「平行線は交わらない」が真理でないと確信したガウスは、世の反発を恐れてその発見を隠した。(とはいえその後すぐに他の人が発表してしまうのだが)。私自身も高校で非ユークリッド幾何学だとか、虚数だとかに出会うたびに、常識的な世界ではない世界を扱う「抽象的な数学」に頭を悩ませたものだ。ではこうしたより抽象的な数学が数学者自身の営み(頭の中)から生まれてきたのかというと、そうでもないらしいということを最近知った。非ユークリッド幾何学は、この地球という丸い曲面で最短距離を求めるときには欠かせない概念なのだ。つまり、ユークリッド幾何学は机の上(平面)では役に立つのだが、地球をめぐる航路設定では役に立たないのだ。現代数学の難解で抽象的な概念のほとんどが、数学の外部ー統計学、化学、地理学等々ーの要請に応えようとする試みから生まれ出てきている。そして外部の要請に応えようとした結果、それまでの数学の常識、真理を打ち壊すことになったのだ(ということを遠山啓『無限と連続』を読んで初めて知った。この本を読んで現代数学がわかったかというと、読む前も読んだ後も???の数は減っていないのだが)。

 話を多様性に戻そう。世の中の常識的な真理を、人々の心の中で生きている真理とするために少数意見が必要だというのが、ミルの主張だった。そして場合によっては常識的真理が真理でないことがわかる場合もある(大概それは科学の進歩と呼ばれる)。では少数意見の必要性、つまりは多様性は真理に関わる分野に限定された話なのだろうか。ミルは真理と政治を重ね合わせて論じているところがある。厳密にいえば、ミルは真理をめぐる討議を政治における討議の理想形として描いていたのだと、私は考えている。

 例えば子育て後の女性こそ国政に関わるべきだという主張は、彼女たちが「男社会」では得られない少数意見を持つからこそだ。アイルランドの独立運動に対して、独立よりもブリテンの議会で議席を持つことを勧めるのも、ブリテンの議会にアイルランド在住のカソリック(17世紀以来土地を奪われた人々)の少数意見が反映されないからだ。少数意見が議会に席を得て、自分たちの利益を堂々と主張し、論戦を行うことをミルは求めていた。

 しかし、と多くの人が疑問を呈するだろう。所詮民主主義は多数派が勝つ。少数派がどんな主張をしても最後は数の力が勝つのだと(全くそれを絵に描いたような議会が身近にあるのだから、困ったものだ)。前にも書いたことがあるが、ミルは民主主義というシステム自体にさして大きな期待を持っていない。声の大きなものが勝つという民主主義の限界を知っていたからだ。だからこそ、知性がある人、経験が豊富な人に2票を与えるとか、反民主主義・エリート主義的な施策を提言しているし、政党にではなく意見のある個人に有利な投票システムを提唱したりしている。さらに彼自身が国会議員への立候補を求められた時、立候補しても良いが1つ条件があるといった。その条件は自分は代表者(representative)ではあるが、選挙区から派遣された使節(delegatation)ではない。したがって選挙区に不利な法案、選挙区民とは違う意見であっても、自分が正しいと判断すれば賛成し主張するというものだ。「皆様の〜」を連呼する選挙カー路線とは真反対である。この条件を飲んだ方も方だが、そんな条件付きの立候補者を当選させた選挙区民も選挙区民である(ちなみにミルはシティ&ウエストミンスター区から立候補している)。そして黒人が主体の暴動を「鎮圧」した英国総督を弾劾する委員会を組織した結果、次回の選挙では見事に落選している。

 こうしたミルの議論や実際の行動を考えると、彼が議会に求めていたのは、多様な意見が文字通り論「争」として闘い合うことだと思う。予定調和的な論争ではなく、雌雄を決するための闘争であり、時に自分の主張の非を認めてかつての敵側に身を置くことも辞さない態度であり、同時に論争の中から落とし所を探る微妙な駆け引きだ。多様な意見はショーウィンドウに飾られる彩りのよい花として存在しているのではない。とりあえず「聴きおきました」とご意見拝聴のためにあるのでもない。議場では、他の全ての意見を食い潰して、自己の味方とする論理と修辞、根回しも含む高等戦術を駆使することが求められる。ただ一人、全てを敵に回しても勝利する戦術と戦略が必要なのだ。

 例えばアイルランドの場合、もし彼らが当時のイギリス議会に議席を持ち、彼らの要求を主張したとして、それが多数の名の下に退けられたとしたら、彼らは武力闘争を決断するだろう。だからこそイギリス議会の多数派は何としてでも、彼らを説得しなくてはならない。あるいは彼らの要求と妥協しなくてはならない。アイルランドの側も自分たちの主張だけを通そうとしても、現実的ではないことを論争を通して認識しなくてはならない。ゴリ押しして議会で決裂すれば、イギリス側の武力弾圧が正当化されかねないからだ。議会はこうした現実の武力という危険性を背負いながら、どこで利害を調整するのかという闘いの場である。お互いに負けられないが、逆にこの「場」を破壊することはより大きな危険(武力)を招く。だから理性的な論争が求められるし、妥協点を見出す努力が必要となる。

 それはちょうど、科学の論争が理論の生命をかけて行われるが故に激烈になるのと同じであり、また論争を続けること、論争の場にあることが科学を継続させる唯一の手段であるという認識が共有化されていることとよく似ている。ミルが議会に求めたのはこうした命懸けともいえる論争である。命懸けだからこそ生半可な妥協は許されないが、命懸けだからこそ妥協が可能でもあるのだ。

 多様性をダイヴァーシティとカタカナにして、百花繚乱の彩の一つにするのが日本流なのかもしれない。確かにそれは「美しい」。予定調和の中で誰も深い傷を負うことはない(だろう)。しかしそれは摩擦も論争も生み出さない。いや正確に言おう。論争や摩擦を生み出さないように手懐けられた多様性がダイバーシティというカタカナで呼ばれているのだ。争いを生まないダイバーシティは美しいかもしれない。けれどそこに真の生命力は宿らない。ちょうど真理がただ真理だという理由で、その地位を保持するならば真理から生命力が失われるのと同じことだ。

 多様性は何か(科学、社会、組織)がその生命力を維持するためにこそ必要なものだとミルは考えていたのだと思う。ただし、多様性によって生み出されるのは予定調和ではない。多様性によってもたらされるのは、異なった意見、主張、風習等々が互いに食い潰そうとする命懸けの闘いである。その闘いを経て初めて生命力は維持されるのだ。

アジアで実践、新しい教育

カンボジアのアジア村学校で父母会

 2人の生徒が学校を去りたいと言ってきた。先ずは、ここを運営するNPO・コミュニティワークアジアで事情を聴き、対策を練る。ここの理事は現地のダンス担当のカンボジア人で50代の男性(文化省に勤めるが、今年定年を迎える)、日本人の日本語教師(ボランティア)、そして、ここのスタート時から関わる二十代後半のカンボジア人の若者の三人だ。その若者が代表だ。

 学校を辞める事情を聞く際に、日本人の出番はほとんどない。言葉の問題に加え、家の経済状態や両親の夫婦問題、村の中での評判等は、その地域の歴史を知らないとわからない部分が多い。それを村長や学校仲間からも聞く。

 一人の生徒は両親が離婚し、お母さんの住む村に行きたいというのが原因だった。お父さんが来て最初に言っていたのは「自分が引き受けるので、ここに継続して世話になりたい」ということだったが、生徒に確認するとやはりお母さんの村に移りたいので継続は難しそうだ。お父さんは涙ぐんで説得したが生徒の結論は変わらなかった。

 もう一人は公立中学の勉強についていけないのが引き金になって、仲間と「働き学ぶ」もできなくなり、村に帰りたいという。お母さんは「帰ってきたら腕の骨を折ってやる」とか、最後は「殺してやる」とか息巻いていたが、学校側から「働かないと食事も出ないし、部屋で寝られなくなるよ」だから「これからここでレストランを始めるので、ここで働いたら良い」と勧めたが結局、お母さんが甘やかして連れて帰ってしまった。親が最後は言葉とは裏腹に甘やかすことを子は知っているのだろう。『人をダメにするのは簡単だ。甘やさせばよい』とよく言うが、きっと、その家族は口だけの家族なのだろう。村の他の父母も口出ししなかった。

 これから2か月に1回、父母会を行い、その交通費はNPOが負担することにした。一人5ドルのバス代は両親にとって決して安いものではない。お金がないことが理由で差をつけたくないという配慮だが、経済的には日本が負う部分も多いので依存関係が強くならないように気を付けることが肝要だ。依存と格差の問題は、経済的に優位な日本人にとって課題だ。出せばよいというものではない。

親にも学んでもらう、既にある未来

 両親が来た時に、親にもレクチャーすることにした。カンボジアの教育者の質は悪い。生徒から賄賂をとる先生もいる。特に勉強が遅れたりすると要求するようだ。金額を聞いて驚いた。それを借金して払うのだという。賄賂をもらった分、一生懸命に教えるのかというと違い、単に合格にすることだ。

 アセアン10か国の中でラオスと並んでカンボジアは給与水準が低い。より高い国に出稼ぎに行く。カンボジアに肩入れし、一生懸命教えても、ある日タイに行くので辞めたいと言われることもある。それは私たちも辛い。

 アジア村学校はカンボジアの街(コンポントムという中都市、だが村から来ると大都市に見えるらしい)に来て、遅れを意識するようだ。しかし、もう少し広い視野でみると、団栗の背比べで、良い成績をとって意味があるのかと思いたくなる。そのことも説明する。

「公立学校に行くのは否定しないが、そこに通わなくなったからと言って騒ぐことないですよ。それよりこのアジア村学校でITや伝統文化を学ぶほうがよほど将来価値あるものになります。AIの時代はもう来ており、ホワイトカラー的な職はどんどん減る。都市に出るより、村で農業で自立し、特技を持つことがこれからの社会で重要になります」と話したが、なかなか伝わらない。親向けのレクチャーを父母会で続け、コミュニティで役立つ人材育成の実践学校の意味を伝えていきたい。

 だからと言って、外に出ることを阻むのではなく、むしろ推奨している。コミュニティをベースにしながらグローバルな視点も大切だ。国境を越えて活躍する人材は、自分の村に帰ってくるだけでなく、国境を越えてコミュニティに仕事を作り出す。日本に研修に来て英語や日本語を話すようになる生徒もいれば、全く変わらない生徒もいる。チャンスに気付く育ち方、生き方を教えていくのは難題だが、それが新しい地平を開くと思って実践する。ここに親、先生、地域という三辺の軸は欠かせないようだ。

経済性、社会性、人間性を教育

 その方法として「働き学ぶ」を実践してきた。机の上では学べないチームワーク、社会のリアルな見方、生きる技術などを学ぶ。働きながら学ぶことは、決して金稼ぎの手法を学ぶことではない。むろん経済的にバランスしないと継続できないから重要だが、それ以上に社会の問題、コミュニティの問題解決も学ぶ。そして最後は生きることを文化や歴史から学ぶ。歴史を学ぶとそこからちっぽけな人間に気付き、自然にも謙虚に向き合えるようになる。

 国毎の賃金格差の問題も真正面から捉えたい。それを解決する唯一の道は起業だろうと気付いた。すべての人の格差をなくすことは難しいが成功事例を作り、それを真似て広げていく。努力と責任を教えるのは起業が向いている。そして他国で雇われ働くのでなく、コミュニティにいて、それを実現する。

 こんな目標を立てて現地の若者が代表の会社がアジアに3つできた。今後、日本人が作った組織も、現地の人に引き継がれていく。国籍にこだわらないことになるだろう。そんな意欲のあるハングリーな若者を起業候補として10人選んだ。日本にも研修に来てもらっているが、将来その中から日本の企業の社長が生まれるかもしれない。グローバルであり、かつコミュニティをベースに国境を越えて働く人材をもじってグロミティスタッフとして選任して活躍する仕組みも育成の柱としたい。いずれ、その活躍をレポートしたい。

先見性で次の社会像を選ぶ

 それらの人材が時代を作る。今後どの技術をいかに活用するかの選択だ。環境や人間性の否定になるようなものは採用しない。儲かるから、便利だからで取り入れるのではなく、将来の社会像を描き、選択することになる。それには教える側に先見性が求められる。

 第二近代はリスクを最小にすることに優先順位を置く。技術の暴走に歯止めをかける。ときにはそれが政府の意向に反することもあるだろう。それでも主張し実践する。そんな勇気ある若者育てが第二近代実践研究会の目標だと思えてきた。それは一代では終わることのない永久革命かもしれない。決して暴力に訴えるのではなく、権力に頼るのでもなく、草の根から変えていく。その担い手も自らの生き方を変えていく。目立たないし、ゆっくりではあるが、これが第二近代的な変革だと思われる。

 第二近代という概念を提唱したベック氏は、それはアジアからと言っていた。アジア、そして多様性のインドでの実践は、そんな現場だ。そこから世界の変革を引っ張りたい。

 前号で紹介したITの活用は国境を越える武器として、使い方によって役立ちそうだ。この原稿をバンガロールで書いている。第二のシリコンバレーと言われるところだ。ここにも事務所を持った。国境を越えたIT協働の拠点にしたい。

新しい組織、新しい経営のカタチ

社長をなくせるか?

 研究会に属する10いくつかの会社の中心メンバーがまじめに議論しているテーマだ。アジアから7つ、日本から5つの組織が参加している。

 代表の肩書は社長や代表だが、それは内部的にはいらないが対外的には必要となった。法的に責任を取る人が必要だからだ。あと、ほとんどのことは社長了解が不要なのが理想だとなった。メンバーが自己の自発性と責任で自分のミッション実現を目指す。そんな個々人を管理ではなく動きやすいようにする仕組み作りがリーダーの役割となる。役割も自発的に決まっていくことも多いが、時に調整役も必要になる。英語でいうコーディネーターだ。

職場よりIT組織が優先する

 10を超える組織が組織をも超えてコトをなしていこうとすると法的な役割とは別の原理で動き出す。言語もいくつもあるとコミュニケーションも大きな課題となる。英語が中心になるが、それだけでは現場と繋がれない。地域に仕事作りを目指すには現地語が必要になる。時差もあるからいわゆる勤務時間もフレキシブルになる。残業時間はあってないようなものだ。

  メールを送ってすぐに返事ができないとチャンスを失うことも多い。ルールの一つが24時間内に返事をすること。更に、自分の不得意なことや都合の悪いことを放置することもある。1週間で動かないものは担当を変える。そうすることでブレーキが少なくなる。

加速する仕掛け

動機づけが給料や肩書だった時代から仕事そのものを楽しめるかに人々の志向は移っている。ここでの働く人の動機は社会に役立っているか、そのサービスが笑顔で迎えられるかになっていく。「いいね!」も、その一つだろうが、いかにも軽い。地域で仕事作りをミッションにしていると、そのコミュニティで認められるか、だ。存在感が重要だ。

 例えば、インドネシアの組織はごみ、ツアー、ITを同時並行で経済的自立を目指している。それぞれに社長候補がいる。将来、それぞれが自立してもITソフトは共通で、その傘の下に残る。ソフトがミッションを共有する。

  4キロ四方の地域で「ごみゼロ運動を始めた。スマホに登録するとごみがポイントになる。ポイントは現在お金に交換しているが、将来は地域サービスに交換すると地域経済の活性にもなる。地域通貨の仕組みだが、バリの空港から歩いて数分のロケーションなので旅行者も巻き込める。地域貢献ツアーとでも呼ぶものもネット上に構築中だ。その中心に安いステイ施設を持つメンバーが中心にいるので、そこを新しい働き方で「楽しく働く、遊びも生活」企業呼び込みを計画している。そこから五分も歩けばサーフィンもできる浜辺だ。労働時間に縛られることなく思い切り働き、好きに自分の時間をデザインする働き方改革の提案だ。

AI時代にサラリーマンは?

 ワークシフトが言われている。様々な業種が消えていく。日本では大銀行で年間一万人以上が整理されると読んだ。ATMからスマホ決済へ、従来の銀行窓口はいらなくなっていく。いや、すでにない国もある。役所などもっと合理化すべき筆頭だろう。いわゆる事務作業や、他人に言われてやるサラリーマン要素の強い仕事はなくなっていく。安定志向で行政に就職できたから一生安泰ということはなくなりそうだ。仕事と趣味は別で、会社は金をもらうところ、という人の職場はなくなっていくのだろう。日本の学生の志向も変わりつつあるようだが、変化にどれだけシンクロしているか、一人一人の人生を選択する時代が来た。が、それほどに、その行動も価値観も変わらない。そして、時代の変化から取り残される。

勢いのあるアジア、インド

 数か国の若者が同世代間で一つのミッションに向かって働くようになると、日本人の劣化は明確になる。日本から研究会に参加している農業団体はインターンを年間20人以上受け入れる計画だという。アジアの国では農業が就業人口の70%から80%という状態だから、当たり前に地域に農作業がある。そして、子供の頃からそこで育った彼らはタフだ。暑さに強いだけでなく女の子でも鶏を絞める。肉屋で冷蔵庫にある鶏肉しか見てない日本人とは違う。同じ人間かと疑うほどに自然との共生体験の差は大きい。机上の勉強では学べない部分だ。「働き学ぶ」が問われている。しかも、彼らはとても前向きだ。受験勉強で点数だけのところと、なんでも、これからの人生に役立てようという意気込みの違いだ。

働くことがあって学ぶ

 カンボジアで学校経営をしている団体のやり方は「働き学ぶ」だ。学歴社会は、いつのかにかそれが逆転してしまった。偏差値という物差しで人間の能力を計るようになった。嘘つきであろうが、ポジションを得られる社会になってしまった。それが権力を持てば社会の信を失わせる。もし、カンボジアの汗と現場を知り、コミュニティで共に汗を流して生きることを学んでいれば見える風景も違っただろう。

  法律が先にあるのではなく、必要に応じて作っていけばよい。それが逆転すると、こんなことになる。「忘れました」がまかり通る。社会の仕組みも作り直さなければいけないが、その変革も教育からだ。日本の三権分立が虚構になる中で、吉田松陰の松下村塾は、国境を越えてアジアでそれを教える。

アジアに松下村塾を

  まだアジアでは維新以降の日本の経済発展への評価は高い。親和的だ。いくつかのアジア、インドで講座を持っているメンバーが研究会にはいる。大学闘争世代の先生もおり、日本の失敗を伝えることも忘れない。経済の講義で、自分の運動体験を伝える。石を投げても、大きな圧力団体の長になっても、自分たちの力で政治家を作っても、社会は変わらない。一人一人の市民が自らの価値観と生活を変えない限り、この格差と自然収奪の構造は変わらない。君らの世代の改革はコミュニティから君らが作り出すと教える。社会起業の勧めだ。それをアジア10としてネット上で情報交換し、スカイプで議論し競争し、新しい価値を作り出すのにITは有益だ。次の世代はITで国境をいとも簡単に超えていく。

「超える」が時代の言葉に

 克己、自らを超える。国境を超える、政府を政治を超える。時を超える意識を学ぶことも大事だ。

 何億年の宇宙の歴史から見れば人類なんて小さな存在だ。ブラックホールの存在が写真で見ることができた。

 南インドの大学とも提携しているが、ここの博物館の仮面を見て驚いた。日本の歌舞伎そのものなのだ。そうしてみていくと楽器も、サンスクリット語から派生し、仏教用語が日本人の生活にも入り込んでいる。言葉もインドが原点であることが実に多い。

 カンボジアのアンコールワット建造にはインドの技術者が協力したという。交通がそれほど便利でない時代ではあったが、国境など軽く超えている。世界の政治の風潮が自国主義となっているが小さい小さい。文化を学ぶことだ。