本の読み方あれこれ

本の読み方というタイトルを見て、なんだか難しそう、敷居が高い、縁がない、読む気になれないという人も結構多いと思う。そもそも本をわざわざ読む必要があるのだろうかという疑問を持つ人もいると思う。今はネットで検索すればありとあらゆる情報が万単位で画面に現れる。無料だし早い。それに比べれば本は有料だし自分が知りたい情報がすぐに手に入る訳ではない。でも検索は万能だろうか。「ニューアムステルダム」という言葉は酒(ジン)であったり、ニューヨークの古い名称だったり、劇場の名前だったり…と色々な意味を持つ。どの意味を選択するかを決定しているのは検索する側だ。どの意味を選択すべきかに関する適切な情報や知識がないと、誤った検索結果を覚え込んでしまうことになる(さすがにジンとニューヨークは間違えないとは思うが)。選択する際に必要な情報や知識という背景があって初めて適切な検索ができる。通常こうした背景情報は検索する側が持っている。先ほどの例でいけば、たまたまその名前のジンを見たのだけれど、どんなものなのか知りたいなどにあたる。さてニューアムステルダムジンがどこで造られるお酒か、名前の由来がわかったとして、それでジンの歴史を知ったことになるだろうか。ジンの歴史を知るためにまた検索をしてみると、ジンを初めて作った人の名前が3種類でてくる。さらに連続蒸留だのオレニエ公ウィレムだの訳のわからない言葉が羅列されている。大学のレポートならばわからない言葉であってもコピペすれば良いかもしれないが、コピペの知識を自分の知識だと思う人はいないだろう。検索で情報を得るのと「知識がある」というのの間には結構な溝がある。

 この溝を埋めるのに役に立つのが本だといってもいいかもしれない。情報の背景を深堀する時、文字面を知っているだけではなくその意味合いも知りたいと思うとき、断片的な情報が詰まっているネットの海を検索エンジンを使って渡る方法はお勧めできない。単純に無駄が多いからだ。「情報を得た」から「知識がある」に進むには、体系が不可欠だ。体系といっても小難しい理屈ではなく、情報がまとまって入っているお弁当だと思ってもらえば良い。数々のお惣菜をあれこれと詰め込んでもなんだか統一のとれないものが出来上がってしまう。幕の内だとか、○○名物だとかの名前がついて売っているお弁当はそれなりに色目がそろっているし、味の統一感もある。本を読むというのはお弁当を購入するものだと思うと良い。手軽に主食と副菜のバランスがとれた食事がとれるのと同じように、手軽に体系だったひとまとめの情報を入手できるし、バランスよく情報が配置されている。とはいえ、このお弁当は食べるのにコツがいる(と思う)。まぁ所詮お弁当の食べ方だから作法というよりも個人的な好みの範疇だとは思うのだが、私のコツを紹介しておこう。

 1)目次と索引は活用しよう。

 大抵の本には目次がある。索引はついていない本が多いがちょっと専門的な本ならばついている。さて、この目次と索引はお弁当の包みと名前のようなもの。どんな内容の情報が入っているのか見当をつけるためにすごく役に立つ。とくに何か特定の情報を背景付きで探りたいときに役立つのが索引だ。自分が求めているキーワードがあるかどうか、あるのなら何頁分の分量になっているのかが一目で分かるのが索引である。索引でキーワードがあって1頁以上の分量があれば、まずそこを覗いてみる。わかりやすそうかどうか、自分が知らない事柄が載っているかどうかを点検する。求めている情報がありそうだとわかったら、その頁が属している章など一定のまとまりをなしている部分を読めば良い。本だからといって、最初から最後まで読み通す必要はない。ところが索引は便利なのだが、ついている本が少ない。なので通常は索引の代わりに目次を使う。目次の場合はキーワードがそのままというわけにはいかないが、それでも似たような言葉が載っていたら、まずその部分に目を通せばいい。当たりかどうかがわかる。さらに目次を読めば、その本の雰囲気とか取り扱っている題材がわかってくる。自分が読もうとする本が適切な情報を含んでいるかどうかを見定めてから、本を読む方が効率的だし、読む気も起きるだろう。ちなみに目次で内容や雰囲気をつかむという方法は情報を探したり知識を得たりするだけじゃなくて、楽しみのために本を読む場合にも役に立つ。私は推理小説が好きだけど、新しい作家の小説を買うときは、目次を見て興味をそそられるかどうか食指が動くかどうかで選んでいたりする。

 2)前書き(はじめに)後書き(おわりに)は概略を示してくれる。

 前書きとか後書きとか、解説とか、本には本文の前や後ろにいろんなものがついている。これだけを読むという方法もある。前書きなどはその本を書いた作者の動機や問題意識が書かれてある。後書きなどは、書き手が作者の場合はその後の課題だったり、書いた後の感想だったりするし、他人だったらその本の意義だとか面白さが書かれていたりする。前書きと後書きを読めばその本の概略が何となくわかると思っていい。それに作家が書いた場合は、その前書き等の文体が合わないと、本文を読むのが辛いだけになる。だから着いていたら目を通すべきだ(一部ネタバレ注意もあるけど)。楽しみのためだけでなく知識を求める場合でも、その本が初心者向けか専門家向けかを判断するためにも前書きは肝心だ。前書きに書かれているのがやたらと細かい情報で、言葉も難しいようなら、その本を読むのはやめて、別の本を探した方が良いだろう。また何となく「合わないな…」と感じる文体で書く人もいる(専門書であっても)。これは私の悪い癖でもあるのだけれど、でも個人的には文体的が合わない人の本を読むのは(仕事などでどうしてもという場合を除いて)お勧めしない。精神衛生上悪いからだ。どんなに有益な情報であっても読んでいてどうにも合わない文体で書かれていると、決して自分の中に入ってはこない。むしろ感情的な反発や嫌悪感が先に立つ場合があるので、注意が必要だ。だからなんだか合わないと感じたときは、その本をおいて、別の人が書いたその分野の本を探した方が良いと思う。

 3)斜め読み、飛ばし読みの勧め。

 斜め読みや飛ばし読みは悪いことではない。小説はそうはいかないが、知識を得るための本であれば、目次を見て良さそうだと思った中で、特にここが面白そうというところから読むのは良いことだと思う。もちろん本は体系だっているから、途中から読み始めるとわからないことが多くなる。けれど、はじめから読んで疲れるよりは、つまみ食いも良いものだ(まぁ幕の内弁当の中の好きなおかずから食べるようなもの)。分からない言葉が出てきたり、前後の脈略がよくわからないと思ってから、最初に戻って読むのは案外苦にならない。なぜって「知りたい」という思いがあるからだ。

 4)多読の勧め。

 図書館でも大型書店でも良い。とにかくたくさん本のあるところで目次読み、前書き等の概略読み、斜め読み、飛ばし読みをたくさん試してみること。そのうちに相性が分かってくる。まぁマッチングパーティーとか合同説明会みたいなものだ。それだけではない。ある特定の分野(図書館でも書店でも同じところに集まっている)でこの読み方をし続けると、なんとな~くだけど知っている事柄が増えてくる。あの本のこの情報と、こちらの本のこの情報って似ているとか、なんか結びつきそうとか、え~嘘!違ってるじゃんなんてことが感覚的につかめてくる。そうなるとシメタもの。それは自分なりに自分のお弁当を作る腕ができてきたということだ。本は他人が作ったお弁当だから、味が濃すぎたり、好きじゃないおかずが入っていたり、逆に食べたいものが入っていなかったりする。ある程度数をこなすと自分の好みもはっきりしてくるし、役に立ち身になる情報とそうではない情報の区別もできるようになる。なにより情報の中身に精通してくるので、材料となっている情報の善し悪しが判別できるようになる。また調理の方法(文体とかね)もよく分かってきて、腕の善し悪しも分かってくる。複数の本の中から特定の情報をうまく取り出して、自分なりに調理することもできるようになる。たとえば北欧の福祉国家の実態を知るために専門書を読むのは有益だし必要だけど、社会派の推理小説を読むのもお勧めなのだ。小説のほうがその社会を切実に鮮明に捉えていたりして興味や関心が湧いたりする。本を読むときに何より大事なのは知識欲だと思う。知識欲を持つきっかけは何だっていい。本を読む究極のコツは好奇心を失わないことだと思う。