あえて地獄へ赴かんーDare to down

先日奥谷さんからクリスチャンモニター紙に記事が載りますというアナウンスメントを受け取って、早速ネットで覗いてみた。記事中で記者の神林さんが奥谷さんや女性起業家たちの仕事をdare to earthと表現していた。なるほど「敢えて地に足をつけて(現実に根ざして)」とベテラン記者の表現力に驚くとともに、なんと不思議な縁だろうとも思った。時折この連載中で持ち出すミルが似たような表現を使っているからだ。彼の場合は地に足をつけるのではなく、敢えて地上から墜落するつまり地獄へ行くのだが。

 ミルが生きていた頃は19世紀半ばから末、産業革命も爛熟し機械文明が始まる頃、科学万能の世界が始まったと思われがちの頃だが、同時に神秘主義の時代でもある。有名なところではシャーロックホームズの生みの親であるコナン・ドイルが交霊術や妖精を熱狂的に信じていた。科学と魔術、科学と神秘の境も曖昧だった。現代で万能薬といえばちょっと怪しげだが、当時は著名な医師(その中には近代医学の基礎を築いた人たちもいる)が堂々と万能薬を販売していた。体制を変革し新時代をもたらす主張を掲げた社会主義の中には宗教団体やフリーメイソン的な同業集団になるものもあった。近代科学が進展する一方で、それだからこそいっそうなのかもしれないが、科学を標榜するもの、科学を否定するもの、科学を超越するというもの種々諸々の神秘主義や新興宗教が幅を利かせる時代でもあった。

 この時代に宗教を論じ「敢えて地獄に赴かん」というのであるから、ミルが宗教全てを否定していたかというとそうではない(同時代人ともいえるマルクスは「宗教はアヘンだ」といったそうだが)。彼は宗教の必要性を認め、神の存在も可能性として認める(まぁ正確にいえば不存在を証明できないという消極的なものだけれど)。彼が否定したのは現世の悪や不幸を神の試練とし、耐え忍ぶのが神から与えられた修練であるとする信仰である。彼は神が人間を試し、人間がその人間性を高めるために悪や不幸、不正や罪を作ったのだとしたら、そんな神は神ではないという。そしてその神が神を認めないからという理由で、ミル自身を地獄に落とすというのであれば「私は喜んで、敢えて地獄に赴くであろう」という訳である。

 さて現在と過去は科学主義で神秘主義という点で結構似ている。たださすがに1世紀以上経過すると科学主義と神秘主義の混淆はいっそう進んでいるといってよい。科学主義だから「検査」や「数字」を用いるけれど、実際には数字の神秘を信奉しているだけではなにだろうか。だから、同じ品質であれば高い方が売れるという不思議な心性を現代人はもっているし、どんな検査値であれその意味を考える前に数値の高い低いで一喜一憂しがちだ。混淆ではなく純粋であれば?科学主義を信奉するものは、現在の科学に反するものをすべて非科学的として排除する。逆に科学を疑うものは、科学的な反論を金銭的利益に基づいた歪曲として排除する。混淆にしろ、純粋にしろ、対立する両極端の間をつなぐ橋が見つからないままに互いに排除し合っていないだろうか。そして見過ごされ、見捨てられるのは「現実の」何かだ。それは不幸や不正かもしれない。極論の間でもしかしたらあり得たかもしれない、本来は合意可能な現実的な解決策かもしれない。なんだか様相は違うけれど、現実のこの地上の物事がそのまま放置される一方で、どの神が一番良い神なのかを争い合い、神と神が互いにその信者ごと競い合っているという状況は過去も今も変わらないような気がする。

 だからこそ、今回の原稿でdown to earthという表現が使われたのがすごく響くのだ。世の中には何万人という失業者がいる。根本的解決のためには科学的手法が大事だという声があるだろう(大概エコノミストが唱える)。それに対してエコノミストは企業側や政府側の利害を代表しているにすぎない。起業だの規制緩和だの結局は労働者の権利を侵害するだけだ。もっと人間的な労働政策が必要だという声がある。そしてどちらからもたった1人の起業みたいな小さな問題解決は、あまりに小さくあまりに身近であまりに成果の乏しい「地道な」方策でしかない。 何か松明や幟を掲げる訳ではない。 現実的で些細でちっとも大きな問題の解決にはならない。 ただ目の前の物事をなんとかしようともがくことをどこまででも大事にしているだけ。そういう意味で地道でdown to earthな方策。けれど私は思うのだ。何を掲げるでもなくただ地に足を着いたことを日々続けるのには覚悟と勇気がいる。それこそミルがいうように「敢えて地獄に赴く」勇気がいると。

 理念や理想では動かないからこそ、理念や理想を掲げる人たちから見れば、現実に妥協した「堕した」姿にしか見えないかもしれない。成果はあまりに小さく、身近な人にすらその成果を認めてもらえないかもしれない。それでも続けるためには、小さいけれどもしっかりとした覚悟と勇気がいる。でも人間は本当に弱いから、覚悟と勇気だけではやってはいけない。たとえこの場で認められなくても、世界中のどこかで、いや時代は違え誰かが、きっと自分のことを認めてくれるのだという信念と、その信念を裏付けてくれるような「何か」が必要になる。ミルはそれが宗教の役割だという。

 彼が唱える宗教にはどうも神はいないらしい。正義も善もあまり一意には決まらないようだ(まぁ19世紀の欧州人らしく欧州中心の正義や善が普遍的ではないかという色はあるけれど)。あるのはこれまでの人類がなんとはなくだけど認めてきた人間とその行いの集大成だけだ。もしかするとその集大成に含まれる人々は文化や時代によって、極論すれば個々人によって違いがあるのかもしれない。けれどそういう違いに目くじらを立てるよりも、他人がその集大成に誰を含めようが、自分自身が目指すものとしてある人々や行動を信念の背骨として持つような感じだ。自分がどのような人になりたいのか、何を裏切れないのか、どんな行動を積み重ねたいのか。その見本としての誰かなり、行動の集大成。その集大成から自分の今の行動が、今の生き方が「認められている」という裏付けとしての信仰。 どうも宗教っぽくない。むしろ道徳つまり行動の原理原則という言葉がふさわしいのかもしれない。とはいえ、現実にその人が生きている世の中では認められないかもしれない行動の原理原則を維持する強力な動機になるのだとすれば、やはり道徳という弱い言葉よりも信仰という強い言葉の方が似つかわしいのかもしれない。

 いずれにしろこの宗教には教義がない。いや正確にいえば教義は揺れ動く。新しい行動や人物が出現し、それに多くの人が感動を覚え、その行動や人物を自らの信念の裏付けとする人が現れ、やがて多くの人がそれを認めれば、集大成はその新しい行動や人物を含むものへと変化するだろう。誰の、どんな行動を集大成に含めるかで抗争や闘争が起こる可能性もある(分派もするだろう)。なにしろ道徳にしろ真理にしろ規制のものを疑うことを教育の最大の成果とする人なのだから、宗教に関してもその真理を疑うことを提唱したとしても何らおかしくはない。道徳だから何か一つの原理原則を教えなくてはいけないとか、伝統を遵守させることがモラル教育だなんて、ミルにいわせればおおよそ教育の根本をはき違えた議論だということになるだろう。けれどおそらくたった一つだけ揺るがせにはならない原則があるとすれば、それは「敢えて現実に即する」ことだと私は思う。現実に苦しみ悩む個別の人間に即しているかどうか。これが「敢えて地獄に赴く」といった人が提唱する宗教のたった一つの原則として似つかわしいと思うのだ。そう思うには理由がある。学校でいくら良いことを教えても社会がその逆の様相を示しているとしたら、学校での教育は何にもならない、いや毒にすらなると彼が主張しているからだ。学校でどんな良い理念を教えられても、その理念が現実に踏みにじられていれば、理念は軽蔑され見捨てられ、建前よりも本音、弱さよりも強さが求められてしまうだろう。だからたとえ宗教であっても現実の小さな問題と地道に立ち向かい一つずつでも改善することが原則になるのだと私は思う。

 現代には多くの神々がいる。先進国のほとんどで信教の自由は認められている。科学主義であれ、神秘主義であれ、その混淆であれ、何を信奉するかは自由だ。けれど信仰争いの谷間で地に足をつけた人々の苦しみと悩みが見過ごされることがないことだけを望んでやまない。

人は「育てる」のか「育つ」のか

さてもさても近頃は若人の教育がかまびすしく言い立てられており候。甲論乙駁にて、はてさて何が正しいのやら見当もつきかね候。と昔の狂言風に書き出して見たくなるほど、近頃は「教育論」「人材論」「~の育て方」の本が洛陽の紙価を高めるほどに売れております。よくよく表題を眺めますと、求められるのは「即戦力であり、創造力の高い」人材のようです。が、これは既製服に一点もののオリジナリティを求めるような無理難題ではないでしょうか。即戦力というからには、組織に即座に適応し、求められる仕事を求められる水準で、円滑にこなしていく力ということでしょう。しかしこれはその組織の既成のやり方、水準にそっているということでもあります。一方、創造力といえば、既存のものを打ち壊し、新しい地平を開くことでしょう。既成のやり方を大事にしながら、既成のものを破壊する。いささか無理難題なことを日本社会、いえ日本の企業は求めているようです。そしてその無理難題になんとかかんとか自分を押し込もうと苦労しているのが、今の日本の若者ではないでしょうか。元来、無理難題ですから、どうやったらいいのかわからない、だからこそ「指示待ち」になる、受け身になる(というかならざるを得ない)、自分から関心を示さない(関心を持ったとしてもそれが了解されるかどうかわからないから)。若者に向けられる不平不満の多くは、いわゆる「大人」が作ったものではないかと勘ぐっています。

 とはいえ、次世代の育ち方は近代社会にとってはの喫緊の課題でしたし、これからもあり続けるでしょう。なぜ近代特有の課題かといえば(長い話を大幅に端折りますが)共同で一つのプロジェクトを意識的に成し遂げることが、組織の命運を握ることになったのが近代だからです。そしてこれからもあり続けるとしたのは、これからは「意識的に」という部分が拡大していくと考えるからです。上司にいわれたから、会社の仕事だから、ではなく、自分自身が選択し、自分自身のやり方と能力を存分に発揮して仕事をする部分が(たとえ従来の会社組織に勤めていたとしても)増大してくるだろうと考えるからです。

 さてでは、育成方法はという話になりそうなのですが、ここでタイトルをもう一度見てほしいのです。そう、「育てる」のか「育つ」のか。育てるのであれば育てる方法を、育つのであれば、育つための場作りや育つための基礎作りを考えなくてはならないでしょう。

 普通は「人を育てる」といいますが、本当にそうでしょうか。実は私が専門に研究しているJ.S.ミルという人は、3歳から父親に徹底的な英才教育を受けたことでも有名です。しかもその英才教育は「功利主義」に基づいて人間を「育てる」という目的を持ったものでした。そして父親と周囲の期待に若いミルは見事に応え、功利主義の論客として名を挙げていくことになります。ところがある日、彼は深い失望に陥ります。 彼は徹底的に「育てられた」人間でした。しかし彼は「育てられる」ことによって、自分の中に深い懐疑つまり「自分は作られた機械、教えられたことを繰り返しているだけの機械」ではないのかという思いを抱いたのです。このミルの経験は「育てる」ことの限界をよく表していると私は思います。その限界は、育てる側以上のものには育てられないという限界です。植物を育てる場合を思い浮かべてください。庭の一角を緑に彩るために育てていたクローバーが、庭の通路にまで進出したらどうしますか?引っこ抜きますよね。そうしないと、あらかじめ企画していた庭のイメージにはなりませんから。「育てる」には、「~風に育ってほしい」という完成型の意識がどこかつきまといます。その完成型は育てる側が自分の持っている知識や経験を動員して作り上げたものでしかありません。そして育てられる側が、育てる側の完成型に近づけば近づくほど「良し」とされる訳です。それはミルの例のように「教えられたことを繰り返す」クローンを培養しているにすぎないことになってしまう可能性があります。人を育成するとは、決してクローンを培養することではないと思うのですが、どうでしょうか。

 では「育つ」という場合はどうでしょう。実はこれにも陥穽があります。放任・放置になりやすい。「勝手に育つからほっとけばいい」あるいは「見て学べばいい」というやつです。行きつけのバーで、マスターからこんな話を聞きました。カクテルを作るときシェーカーを振る場合があります。昔は「とにかく振れ」としかいわれなかったそうです。少し丁寧な人であれば、「8の字を描くように」といったアドバイスがもらえたそうですが。でも誰も「何のためにシェーカーをよく振らなくてはならないのか」という根本的なことは教えてくれない。というか、知らない。ですから、新人バーテンダーは訳が分からないまま、とにかくシェーカーを振っていた。かつてどこの企業でもやっていたOJTとよく似ています。ところがある時、誰が言い出したともなく全国的に「シェークするのは、シェーカーの中の材料に空気をよく混ぜ込むためだ」ということがわかった。となると、 先輩は自分のやり方を教えるけれども、それが最善の方法であるとは限らない。新人諸君はシェーカーの中に空気をよく混ぜるためには、どういう風にシェーカーを振ればいいのかを考えればいい。何が目的なのか、よくわかっているからこそ、先輩のやり方を教えられ学びながらも、自分のやり方にしていくことができる。「何のために」という目的がはっきりと示される。そして見本となるやり方は示される。でもそれが唯一のやり方ではない。目的を達成するために、自分なりのやり方を工夫する余地はあるし、また工夫しないと本当に目的を達成することは難しい。同じことは、伝統芸能でもいわれています。「(扇を持った)師の手を見るな。師の手の先を見よ」。 これが「育つ」ということではないでしょうか。どんな名人といわれる人でも、その人のやり方をただひたすらまねするだけ(「育てる」)では、その人を超えることはないでしょう。けれど、その人が目指していた目的や境地を、自分も共有する。そしてそれを目指して自分なりの工夫を重ねる(「育つ」)。そうすればいつか誰かがその名人を超えていくことでしょう。

 ところで、先ほどのバーのマスターですが、彼は普通のバイトの子にはカクテルは教えません。でも本気でバーテンダーになろうとしている若い子には、彼も本気で自分のやり方を見せます。なぜか。普通のバイトの子は単にバイトに来ているので、カクテルに興味も関心も持たないからです。「育てる」のではなく「育つ」ためには、育つ方が何らかの興味や関心を持っている必要があります。それは「なぜ?」という疑問を持つことだと言い換えてもいいでしょう。例えどんなに目的が示され、やり方を教えられたとしても、なぜという疑問がなければ、自分なりの疑問に気づくことがなければ「育つ」事はないでしょう。その理由をミルは次のように言います。どんな優れた教えや真理であっても、それが次世代に伝えられるときに「なぜ?」という疑問を持たれなければ、やがてそれは形骸化したモノ、死んだモノになってしまうと。

 今までの人材育成が「育つ」ことではなく「育てる」ことに重心を置きがちだったのは、育つ人たちの興味や関心、意欲、疑問を持ってもらうことが非常に難しいことだからです。単純に「面白い」「珍しい」ではなく、英語のinterest(面白い、興味、関心)です。interestはつきることがありません。その領域で一つ物事を知れば、その途端、自分の知らない膨大な領域がその向こうに広がっていることがわかります。人とのつきあいでも々で、次から次と興味関心が広がり、人との出会いを求めるようになります。けれどinterestを無理矢理かき立てることはできません。育つ人が自分なりに気づく以外にないのです。そしてその気づきの機会は、違いを自覚することから生まれます。自分と他人との違い、価値観や考え方の違いとであい、その違いをなぜなんだろうと考える事が、育ちへのアンテナを形成します。けれど残念ながら、今の日本社会ではよほど恵まれていない限り、「みんな一緒がみんないい」の風潮の中で、自分自身の特別な関心を持つことが難しくなってきています。いっそ、日本人だということを強烈に自覚しなくてはならない場に放り込んでみること(自ら出て行くこと)が、必要なのかもしれません。そのためには、まずは自分にとって「日本」というのは何なのか。それを考える事、それを考える場を用意することが今最も必要とされていることなのではないでしょうか。

注記:この原稿の最初の3行でわざと昔風の熟語を使ってみました。もはや死語ですが、こうした言葉を使うのが「かっこいい」時代もあったのです。

組織のあり方を考える

 1995年の阪神大震災は後に「ボランティア元年」と呼ばれることになった。金銭関係ではなく、志で集まる人々に始めて注目が集まった。その後NPO法人の族生、グラミンバンクのユヌス氏へのノーベル賞の授与、社会起業やプロボノといった言葉がマスコミで取り上げられることが多くなった。

 そして今回の震災。マスコミは「がんばろう」という標語を掲げたが、むしろ「絆」という言葉が多く使われている。多くの人が、安全な場所から「がんばろう」と声をかけることよりも、時と空間が隔たっていても何らかの絆を結びたいと感じている。そしてこうした動きと全く無関係に見えるかもしれないが、今回の震災を契機として、多くの企業が拠点の分散化、現場への権限や判断の委譲を計っている。人と人との関係のあり方、そして組織のあり方が根底から考え直される時代が来ているようだ。

 現在の組織形態の多くがモデルとしている株式会社は20世紀の産物である。それも第1次世界大戦を契機として広まったという側面が大きい。意外に思う人も多いかもしれない。20世紀的社会の始まりである産業革命は、18世紀後半おそくとも19世紀には始動し、それとともに大規模工場制も始まったと思われているからだ。しかしこの時代、中心となっていたのは個人所有の工場であり、その多くは大資産を所有する特権階級のものであった。確かに当時も「株式会社」という形態は存在していた。しかし現在と違って株主は無限責任を負わなくてはならなかった。

 労働者は(今もそうだが)資本家が所有する「大組織」に雇用され、自分たちの生活形態まで決定されていた。この当時の労働者は主として肉体労働者であり、1日18時間に及ぶ長時間労働も普通であった。彼らの生活水準のひどさや教育不足は社会問題として取り上げられ、なかには労働者の生活改善運動に乗り出す資本家も多くいた。労働者のために住宅を敷地内に建設したり、教育を施していたりした。今風にいえば福利厚生施設の充実であり、その代わりに雇用主である資本家は労働者の「勤勉さ」と「命令系統への秩だった服従」を獲得しようとしたのである。

 しかしこうした労働形態や組織のあり方そのものに根本的な疑問を投げかけ、新たな組織形態を提唱するものたちもいた。今回は、J.S.ミルの議論を中心としながら当時「アソシエーション」と呼ばれたこの組織形態を紹介していきたい。

 アソシエーションを日本語にするのは難しい。通常は「団体」や「協会」と訳されるが、「結社」「おつきあい」といった訳語も出てくる。まずは「志を同じする個人の集合体」という広い意味で受け取っておいほしい。19世紀初めから半ば、このアソシエーションという言葉はちょうど現在の社会起業と同じように一種のはやり言葉であるとともに、社会の将来像を指し示す用語として、色々な人々によって使われていた。たとえばサン・シモンに始まるサン・シモン派は、アソシエーションの根本を連帯感情とし、連帯感情に基づいた協同性を信条に据えた。彼らは当時(1820年代から30年代)の状況を「愛情のあらゆる絆が打ち砕かれ…不振と憎悪、まやかしと術策とが全体に関わる関係の中で大きな役割を演じ」ているとしている。こうした中で新たな「絆」を宗教という形態を通じて、人々の愛情と秩序を通じて結び直そうとしたのがサン・シモン教のアソシエーションであるといえるだろう(参考 佐藤茂行「サン・シモン教について:サン・シモン主義と宗教的社会主義」経済学研究,35巻4号,1986年)。彼らは最終的に宗教団体という形態をとるのだが、現実の労働者・生産者の身体的、精神的、道徳的境遇の改善を旗印としていた。ただ、「秩序」を強調するあまりにかテクノクラート的な側面が強いアソシエーションでもあった。

 同じくフランス人としてサン・シモンと並び称されるのがフーリエである。彼は自らのアソシエーションに「ファランジュ」という名前をつけている。そして人々の色々な情念を4つに分類し、それぞれの情念の間には(重力のような)引力と斥力があるとした。ファランジュはこうした情念の系列に沿って、人類や動植物の潜在的な能力を最大限引き出すための共同生活を行う場である。フーリエおよびフーリエの後継者たちは、ファランジュでこそ「富と正義が一致する共同社会」が実現するとしている。このファランジュの仕組みは非常にユニーク(労働者は1日のうちに複数の活動に従事する=1種類の労働に専念してはいけない。子供はある年齢に達すると自分の親を複数選択し、その元で暮らしながら仕事を覚える等々)なのだか、そのいちいちを紹介していると紙数が尽きるので、興味ある方は『産業的協同的新世界』や『四運動の世界』を実際に手に取ってみてほしい。ただ一つ強調しておきたいのは、フーリエがファランジュでは「労働が苦痛ではなく快楽になる」と主張していたことである。

 こうした初期の動きの影響を受けて、19世紀の半ばにJ.S.ミルは『経済学原理』で、「雇用関係の廃棄(disuse使わなくなること)」を打ち出す。そして彼なりのアソシエーション論を展開する。それは労働者自身が自らの資本を持ち寄って形成する企業体である。そのため通常ミルのアソシエーション論は「労働者協同組合」といった解釈をされている。しかし私はミルのアソシエーション論の特質は、アソシエーションに参画する個々人の平等なパートナーシップであり、志を中心とした入退出自由な組織体であることだと考えている。まずは志を中心にしているという点から説明していこう。そのためにはミルが有限会社と有限会社に対する投資をどう考えていたのかから説明していきたい。

 当時イギリスではフランスで認可されていた有限会社形態を法的に認めるかどうかが議会で議論されていた。議会証人として呼ばれたミルは有限会社を少額の貯蓄しか持たない労働者が新規事業を始めるための唯一の方法として推奨する。先程も述べたように、当時は無限責任が唯一の形態であった。そのため会社を興すのに十分な資金を持たず、社会的地位も低い労働者は、資金の借り入れも投資も受けられない状態であった。有限責任であれば、出資者は出資金の範囲で責任を負えばよいことになる。見所のある事業、これまで信頼していた仲間に対する出資がしやすくなり、労働者自身が自らの手で事業を興しやすくなるとミルは訴える。さらにこうした会社形態が個人所有の会社に対して持つ利点として、多くの出資者に対して事業内容や事業収支を明確化しなくてはならず、そのことが事業の透明性を高める点を挙げる。そしてそもそも投資とは事業内容すなわち事業を興すものの志への投資であるとする(この点は現在のように株式市場が整備され巨大化した現代との大きな違いだろう)。この点はアソシエーションに関しても同様で、当初志を同じくし、資金を出し合った仲間であったとしても、志が異なってくれば直ちに脱退可能である。

 このように投資にしろアソシエーションの結成にしろ、「いかに儲けるのか」ではなく「それで何をしたいのか」という意志がまず最初にある。意志に集う仲間が形成するのがアソシエーションなのである。しかしアソシエーションといえども、組織形態である限り役割分担や命令系統は必要となってくる。その点をミルはどのように考えていたのだろうか。

 彼の議論が面白いのは、アソシエーション論と男女の夫婦関係論とが同じ「イコールパートナーシップ」という言葉で表現され、類比されながら考えられていることである(ちなみに夫婦関係の方が子供を育てなくてはならない分、継続性が重んじられる)。そしてどちらにおいても、役割の固定化は自明の理ではない。ただ、アソシエーションの場合、異なった才能や能力により、それぞれの得意分野が次第に固定される傾向があること、さらに対外的な(他社との交渉等)必要性から、ある程度の固定が望ましいことが主張されはする。しかし、リーダーシップをとる人間も、その指示に従う人間も、同じアソシエーション内の個人としては「イコール」である。その分評価も厳しくなるだろう。逆に個人の状況に合わせた働き方を認容する余地も出てくるだろう。だからこそ、ミルはアソシエーションは旧来の企業形態よりも遥かに高い生産性をおさめると主張したのである。それは単純に、同じ立場のものが集まって意気盛んだからという理由だけでは無いだろう。志を同じくする仲間と厳しいながらも同一の目的に向かっているとき、そして仲間が互いの弱点も長所も十二分に開示し、信頼し合っているとき、「労働は快楽」になるとミルは考えたのではないか。なぜなら、ミルは19世紀初期の様々なアソシエーションの内、フーリエ派を最も高く評価しており、その理由がフーリエにおいては「労働が快楽になる」という点だったからである。

 現代社会でも「労働が快楽」というと新興宗教かと言われるだろう。しかし、本当に労働は苦痛なだけなのだろうか。そして、投資や消費は単純に利益と利便性のためだけに行われているのだろうか。今回の震災が私たちに見直しを迫っているのは、今までの組織内での労働とお金の使い方そのものではないだろうか。

仕事を「創る」

若者の失業率や、職場への定着率が話題になっています。中には「近頃の若者は職場の実態を知らないで就職するから、離職率が高いのだ。従ってインターンシップを行えば…」という短絡的な意見もあるようです。そしてお決まりのように繰り返される「雇用創出」。私は雇用を創出するという言葉に違和感を感じるのですが、皆さんはどうでしょうか。いえ、私が違和感を感じるのはミルとつきあってきたからかもしれません。なにぶん、彼の『経済学原理』の中でもっとも有名といっていい「労働者の将来に関する章」には「雇用関係の廃棄」という部分があるのです。だから、今更「雇用を創出」するなんて…と思ってしまうのかもしれません。現在の問題からはなれるように思えるかもしれませんが、この「雇用関係の廃棄」の話を説明しておきたいと思います。

 日本語訳では「廃棄」という言葉になっていますが、英語ではdisuse。文字通り「使わなくなること」です。使われなくなるのは何かと言えば、資本に使われる(雇われる)こと。その後に始まるのは、働くものが資本を雇うシステムです。以前、この話をアソシエーションとして、起業論として紹介したことがあったと思います。人に雇われて、人の指示に従って働く(自分たちが使用される)立場から、自分たちが資本をを使用する立場になる訳ですから、当然ながら「何に、誰に、どれを、いつ、どこで、どれぐらい、いくらで」を常に考えなくてはなりません。変化する状況の中で、当初立てた計画に固執していてはたちまち倒産するでしょう。試行錯誤と失敗の連続から、顧客が何を考えているのかを読み取っていかなくては、事業は成り立たないでしょう。こうしたシステムが作り出しているのは「雇用」ではなく「仕事」だと私は考えています。そして状況に鋭敏に反応し、試行錯誤から何かを学び取り、その中で自分自身で、自分を成長させながら、自分自身とは何かをつかみ取っていくこと。これが本来の仕事だと考えているからです。本来の仕事は、どんなに単純で肉体作業に見えても、手と足と頭を使い、その人をより鋭敏にするものだと考えます。ではこうした仕事を創り出すことができるのは「起業家」という特殊な人たちだけなのでしょうか。

 私の実家は、私が小学校4年生ぐらいから飲食店業を始めました。当然のごとく私自身も中学卒業まで学校のない時は皿洗いをしていました。私の憧れはホールで働くベテランのパートさんでした。中学を卒業した夜、「もう中卒やからホールにたってもええで」といわれたときの喜びを今でもよく覚えています。それからも本当によく怒られましたし、長い間半人前扱いでした。理由は単純で「言われたことしかできない」からです。常連さんの注文を覚えているのは言わずもがなのこと。初めてのお客さんであっても、目線で何を欲しているのか察するのが当たり前。やることがない時間というのはあり得ず、絶えず次の仕事、次の仕事を考える。お客さんの無理は無理として、別の方法でかなえられないかを考える。それで一人前。おしゃれなスーツに身を固め…というような仕事でも、世界を股にかけて…という仕事でもありません。が、私にとって働くことの原点はいつもここにあります。なぜなら、私が初めて「自分で考えて仕事を創った」ところだからです。仕事を創るといっても非常に単純なことです。ある日お客さんに「ここ、お酒おいてないんか~」と言われ「お酒はおいてないんですけど…レモンティーやったらブランデー入れてます」「ほしたら、多めに入れてきてくれや」。こんなことです。けれど、自分で考え、試行錯誤してやってみたことです。結果的にこの時は、このお客さんは喜んでくれました。けれど数知れない失敗もし、その結果を評価され…という過程を繰り返す日々でもありました。そのたびに、自分の思い込みや勘違い、画一化した硬直した態度を悟らされ、臨機応変に柔軟に対処しつつも、どこか一線はキチンと守らなくてはいけないことも感じさせられました。外から見れば単純なパート労働でしか有りませんが、私にとっては私を育ててくれた「仕事」であり、その仕事を創ったのは、私の周りの人々と私自身だったと思っています。

 そして今、学生たちと一緒に里山で農作業をやっています。里山の農家さんも、ベテランのパートさんと同じです。竹林から竹を切り出して、田植えのための定規を作る。石垣を積み直す。ちょっとしたエンジントラブルなら自分で修理する。百姓というのは「百の姓」の略でそれは百の生業を現していると聞いたことがありますが、里山の農家さんを見ているとなるほどと思います。その農家さんたちですら、「農業は何年やっても、一度として同じ事がない」といいます。だからこそ毎年工夫が必要なのだと。こんな農家さんの元で、学生たちは叱られながら(あきれられながら)農作業をしています。その中で、本当に頭がいい学生はやはり自分で仕事を創っていきます。どうすれば効率的に草刈り機を操れるか。どうすれば自分の身体を楽に使っていけるのか。教えられたとおりにやるだけでなく、色々と自分で試し始めます。最も自分にあったやり方を発見し始め、続いて周囲を見回す余裕を持ち始めます。そうなると今度は次から次とやってみたい事柄が増えていきます。こういう循環にはまった学生は、自分で仕事が創れる学生です。別に起業をしなくとも、どの会社に行こうとも、どんな部署に行こうとも、自分なりに仕事を創ることができ、仕事を通じて自分自身を磨き上げ、新たな自分を育てることができると思っています。

 翻って、「雇用創出」事業はどうでしょう。適性検査を受け、面接セミナーを受け、就職対策講座を受け、そして就職した人たち…。彼らや彼女たちは「仕事に就く」訓練は受けても、「仕事を創る」事が何なのかを体験することがあるでしょうか?インターンシップも同じです。大概のインターンシップではやるべき事柄は、あらかじめ用意されています。どんなに学生の創意工夫を歓迎しますといっていたとしても、それはその企業があらかじめ想定した枠、企業が身を切るような失敗を起こさない枠の中での話です(多いのは、学生の意見を取り入れた新製品開発企画でしょうか)。ちょっとした成功体験や失敗体験をすることでしょう。けれど、定められ、与えられた仕事に就くことに終わってしまうのではないでしょうか。なぜなら、「自分で最初から考え、試してみる」というステップが省略されてしまっているからです。どこかの誰かが考えた枠組みや仕組みの中で、その筋道にしたがって動いていれば、無難に職に就くことができる。いったん職に就けば、またどこかの誰かが与えてくれた仕事を遂行していればよい。雇用創出事業が想定している「雇用」はこれではないかと思うのは、私の勘ぐりすぎでしょうか。でも、そう勘ぐりたくなるほど、雇用創出事業は手取り足取り懇切丁寧なプログラムになっています。

 実はミルの時代にも労働者の悲惨な状況を救済しようとする多様な動きがありました。その中の一つに工場主が労働者用の住宅や教育設備を整え、労働者の生活の安定と健康を計るというものがありました。ところが、ミルはこうした計画に大反対の論陣を張ります。理由はただ一つ。労働者を奴隷にするものだから。衣食住のすべてを雇用主が面倒を見るとしたら、労働者は何も考えなくてすみます。けれども「自恃心」を喪失する。ミルは自恃心を人間の美徳がそこから進展する根っ子であると考えています。自らを恃む心。自分で考え、自分で何かを作り出そうとする意欲。その元となるものが自恃心なのです。すべての事柄を誰か他人に委ねてしまったとき、この自恃心は完全に喪失します。いえ、すべてでなくとも、自分に関する事柄、自分が決定すべき事柄を他人に委ねたとき、自恃心はゆっくりと衰退していきます。

 自恃心を保ち育てる唯一の方法。それは「自分で考え、決定すること」そして「失敗すること」。失敗は自分の今の限界を一番よく教えてくれる教師です。そして失敗を重ねてトライすることで、いつかその限界を突破することができます。ミルが雇用関係の廃棄disuseに期待したのは、単純に起業社会を目指したからではありません。すべての人が、自分で考え試行錯誤し、失敗し、そしてその中から限界を突破する方法を生み出すこと。自恃心を育てること。そのために「仕事を創る」こと。彼が求めたのはこれだったのではないでしょうか。

 雇用創出事業は懇切丁寧に、失敗しないように若者を導こうとしています。けれど失敗した経験が無ければ、失敗することはとてつもなく怖いことになります。失敗するよりは、他人に言われたとおりに動いていよう。そうすれば失敗は自分の責任にはならない。そうして人は失敗を畏れる余りに、自分で考えること、自分で試すことをやめていきます。与えられた仕事を遂行することはこれに似ていないでしょうか。そしてミルはこうした雇用関係の中で、労働者は考えない奴隷になるのだというのです。

 「仕事に就く」、「仕事を創る」。皆さんはどちらが好きですか。

女性の自立って何だろう

あらためてタイトルにしてみると、「何を今更、経済的自立し、個人として自立することでしょ」という声が聞こえてきそうな気がする。経済的に独立できる稼ぎを有していて、自己をしっかりと持ち、職場だろうと家庭であろうと、誰とでも対等に渡り合える…そんな女性像が浮かび上がってくる。

 でも、こうした女性像を描かれるとちょっと引いてしまう人もいるのではないだろうか。男性が…ではなく、女性自身がである。統計は冷静事実を語ってくれる。相変わらず女性の平均給与は男性の7割だ。家事育児等の家庭内労働に費やす時間にいたっては、男性は女性の10分の1程度。「だから今こそ声を上げなきゃ!」といわれるかもしれない。けれど、現実に育児に介護に仕事にと「頑張らざるを得ない」女性にとって、その声はなんだか遠くから響く別世界の声のように聞こえるのではないだろうか。経済的に自立できる所得を得て仕事に邁進する一方、パートナーがいれば、育児や介護も平等に分担する…そんな理想的な生活なんて、私にはとうてい無縁のこと、どこかのエリート女性のことでしょ。そんなつぶやきが聞こえてくるような気もする。

 目指すべき理想は、無いよりは有ったほうが良い。けれど、目指すためにはどこかから始めなくてはならない。そしてその「どこ」は統計に現れたところ、頑張らなくてはならない羽目に陥っているところでしかあり得ない。

 損である。正直何もかもまっさらにして、新しい社会を!!と求めたくなる。でも、ここからしか始まりはしないのだ。かつてボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と宣言した。それは女性らしさが社会的に作られることをうたった高らかな宣言だった。けれど、人は「女になる」のだとしても、既に生きている私たちは「女になって」しまっている。自覚しているかどうかはともかくとして、私たちは自分の振る舞いを、行動を、生き方を「女性」という規定の中で、あるいはそれに逆らいながら決定している。私たちは今ここで女性であることから逃れるわけにはいかない。

 19世紀、J.S.ミルはその時代の女性を表して、次のような面白い例えをあげている。
–ここに一鉢の植物がある。この鉢の半分を日当たりの良い温室で育てよう。そしてその半分を日陰の寒風にさらして育てよう。出来上がるのは何とも奇妙な植物になることだろう。「女性特有の性質」「生まれもっと女性の性質」を言い立てる人たちは、こうして育てられた植物を見て、「その植物の持って生まれた性質どおりに育った」ということだろう–。ミルもまた、女性が「女になる」事を認めていた。けれど、彼はその奇妙な植物を否定し、新たな植物として、理想的な植物としての女性像を提示することはなかった。女性は、「優しく、柔和で、温かく、従順に」と育てられた。その当時、中産階層以上の女性にとって、手に職を持つなどということは自らの身分を落とすこと以外の何者でもなかった。温室で育ったのは、優美で、華やかだけれども寒風にさらされるとひとたまりもなくその色を失うかもしれない花だった。その一方で、女性一人一人が持っていたかもしれない大胆さ、勇気、強情さ、決断力は、寒風の中で見るも無惨にやせ衰えてしまった。こうした彼女たちに、「手に職を持て」「社会に出て自活すべきだ」とミルはいわなかった。むしろ女性の前に「現在有るような(男性が就いているような)職業と、家庭との二つの選択肢が開かれるとすれば、私はどちらかといえば女性は家庭を選ぶのではないかと思う」といっている(お陰でフェミニズムからはとんと評判が悪い)。

 ミルは社会的にその性質をゆがめられてしまった女性を、やはり家庭の中で保護すべき存在と見ていたのだろうか。もう少し彼の考えを聞いてみよう。上の例えが出てくるのはミルの『女性の解放』という本である(ただし原題は『女性の隷従』)。そしてこの本の主題は「家庭内の権力関係」である。男性が結婚という鎖で、女性を奴隷にしているのが今の家庭だというのが、ミルの主張である。より正確には奴隷よりもはるかに劣悪な状態であるという。なぜなら奴隷は、主人の前から下がれば自分自身の時間を持てるが、家庭の女性はそのすべての時間を夫という彼女の主人のために捧げることを求められるからだ(それにはもちろん男女間の性行為もふくまれている。デートレイプとか家庭内レイプといった言葉はない時代だけど、ミルは女性が家庭内で望まない性行為を強いられている可能性をはっきりと書いている)。そしてこの主人対奴隷の関係は、奴隷を奇っ怪な植物のような存在にするばかりではなく、主人である男性の性格をもゆがめてしまうという。男性は「男」というだけで、常に選りすぐれた存在であり、自分の望みが叶えられる存在として、家庭で育てられる。そして社会に出て行く。その結果、社会の中は「おれこそが1番」「俺のいうことを聞かなくてどうする」というエゴとエゴのぶつかり合い、他人を蹴落とし先に行くことが当たり前のエートスが蔓延してしまっている。

 これがミルが家庭内の権力構造から導き出した社会の構造である。

 さて、こうした「社会」に女性が進出するということはどういうことになるだろう。周囲は圧倒的に男性社会である。女性は当然ながら、その男性社会のエートスを身につけていくことだろう。いや、身につけなくては社会で生き延びることはできない。寒風にさらされて縮こまっていた勇気や決断力は、他人を踏みつける勇気へ、他人を出し抜く策を決断する力へと発達を遂げるだろう。そして温室の中で育っていた柔和さ、他人への思いやりは、社会では不用の物としてその花を摘み取られるだろう。それは本当に望ましいことなのだろうか。社会は「女になる」事を求めなくなるかもしれない。けれど女性に「男になる」事を求めるようになるのではないだろうか。そしてもし、家庭内の権力構造が根本から変わらないうちに、女性が社会進出するとしたら…女性は「女になり」ながら「男になる」事を求められはしないか。ミルが危惧していたのはこのことではなかったかと私は思う。

 というのも、ミルは家庭内での教育に人間性の陶冶を託しているからだ。家庭内教育といってもいわゆる学業ではない。美を感じる心、いとおしさや愛情、思いやり…人としての美質を養うことである。そしてこれまで「女」のための物とされたこうした美質を、男も身につけ学ぶことを求める。それは生き馬の目を抜く資本主義的な社会を根本から作り替えるために必要な、人間を形成するためである。その役割を今まで「女」としてこうした美質を押しつけられて育てられた女性に期待するのである。それはミルが女性に対して、社会をよりよい物にするために期待した役割であり、彼女たちの生活の核として提示しものでもあった。

 さぁ論を現在に戻そう。私たちは「今、ここ」から始めなくてはならない。理不尽さや何重にも背負わされている役割を持つ今、ここ。その中で、あなた自身が最も大切にしたいことは何なのだろう?女だからという言葉も外し、逆に男女平等なのだからという思いも外し、ただひたすら自分の中を探ったときに、あなたの核になっているものは何だろう?難しい問いといわれるかもしれない。ではこう聞き直そう。「あなた自身が、あなた自身に対して絶対に許せない、あなたの行為とは何?」。これはある小説で出てくる言葉。推理小説作家として世評は高くなったが、自分の作品の方向性や男性との対等のつきあい方に悩み、故郷といえる大学に帰ってきた女性に対して投げかけられた言葉。彼女はこんな答えを出す。「私が絶対に許せないのは、私自身がつまらない駄作だと思っている作品を義理に駆られてほめること」。彼女にとっての核は「作品の質」だった。そこから彼女は自分の小説を徹底的に見直すというきつい作業に手を染めていくことになる。あなたにとってはどうだろう。会社の仕事、家庭での喜び、地域社会での交流…そんな漠然とした答えではなく、あなたが絶対にあなた自身に対して許せないあなたの行動。それがあなたの核だ。今、ここにいる、ここで生きている、あなたの核だ。 そんなことをいわれても…結局それって「本当の私」探しなんじゃないの?といわれるかもしれない。私はそう思ってはいない。核はどこかにいる、どこかにある「本当の」「理想の」私の中にはない。今の私の中にしかない。だから「今のあなたにとって」と聞いてみて欲しいのだ。

 その核を、今ここから育てていこう。女性全員に通じる理想の姿など無い。無理に肩肘を張って生きる必要もなければ、理不尽さを堪え忍ぶ必要もない。男であれ、女であれ、余計な物を取っ払って、自分自身の「核」を捕まえること。その核を自分の瞳のごとく大事に持ち続けること。今すぐに芽を出さなくても、今すぐに花を結ばなくても、その核を抱き続けること。そしてその核の存在を、周囲の人に伝えること。それが、「今、ここ」から始められる第一歩だと私は思う。蛇足だけれど最後に一言。核は変化してもいい、嫌きっと変化して行くのだろうと思っている。