お茶という日本文化

 日本に戻ってから2か月半が経って、もう少しでカンボジアに戻ろうと、いろんなことを整理整頓し始めていました。そんな折にふと、WWBジャパンの卒業生のことも思い出しました。日本にいないと連絡の取れない方に電話をしてみようかな…と、真っ先に思い浮かんだのが京都の小泉敏子さん(お茶の先生のお名前は小泉宗敏先生)でした。

 小泉さんはとても不思議な魅力を持つ方で、いろんな提案を京都の女性起業家セミナー卒業生と共に活用させていただきました。一番思い出深いのは東京駅のイベントスペースでの1週間の出展です。もう15年以上前でしょうか。朝7時から晩の23時まで、東京駅に着物を着て、素人の私が売り子になっても飛ぶように女性起業家の商品が売れました。その代わり、小泉さんも粋な演出を考えてくださり、様々なお茶の道具などを用意してくださったり、篠笛の奏者を呼んでくださったり…。その場で手描き友禅を披露するなど、私たちが100年先まで残したいという手仕事を東京駅の中で縦横無尽に行きかう人たちに見ていただきました。おかげさまでこれから京都に行くというのにすでにお土産を買い求めてくださった方、東北から東京に来て京都とは関係ないけれども手作りのものは素晴らしいと喜んで買ってくださった人など、小さくてもきらりと光る女性起業家たちの商品を見ていただく晴れ舞台となりました。京都という場所で女性起業家セミナーをやらせていただいていろんな方と知り合えたことは私にとっても大きな財産でした。

 もう20年近いお付き合いになると思うのですが、小泉さんは何かというと気にかけてお声をかけてくださいます。彼女が開くお茶会は京都でも有名な大徳寺や京都御所の中だったり、普通の人が借りられないような空間で、さらにはその時代考証を経てこのように献茶が行われたのではないかという形を現代に蘇らせたり、皇居で演奏する雅楽の方を招いて名前の演奏をバックにお茶をたてたりと、その演出がまた壮大なスケールです。その時間はまるで夢か現か、日ごろの喧騒を一瞬にしてかき消してタイムスリップしてしまうような気分になります。粋とは何か、雅な遊びとはどういうものか、古典で習うのではない、目の前で味わう得も言われぬ体験はこの先も二度とないものだと思っています。

 小泉さんは京都大学医学部茶道部の立ち上げからほぼ40年近く携わっており、その代々のOB・OG(第一線で活躍するお医者さんたち)からも大変慕われており、このようなお茶会などに集まる方々もそうそうたる顔ぶれであることは間違いありません。しかし、そこに私のようなサラリーマン家庭で生まれた凡人であっても受け入れてくださる懐の深さがあります。私は茶道の心得は全くありません。しかし、お茶会では精通していらっしゃる方もたくさんいて、もちろんその方たちには最高の演出を提供され、選んだ掛け軸や床の間のお花など設えに関してはもちろん、お道具も身を包むお着物も超一流です。そんな最高潮に緊迫する中でもやさしく誘導してくださり、お茶席でお隣の人の見よう見まねで体験させていただきます。どんな世界においても、どんなレベルの人に対してもきちんと対応できるというのが真の指導者なんだなというのを実感させられるのです。

 現在、小泉さんも70歳を超えられ、今年いっぱいで京大医学部茶道部での指導は退官されるということで、自分しかできないことを残りの人生でやっていかなければいけないとおっしゃっていました。その1つが「茶の湯外交」です。お茶席という日本独特の文化を通じて世界と親睦を深める。このような外交手段がほかの文化にあるでしょうか。お酒の入った食事を共にすることもあります。ただ、お酒の入った席なので素面ではありません。ダンスや古典芸能をみんなで鑑賞することもあります。しかし、お茶の席がさらにすごいところは今の時代に寄り添えるメッセージが伝えられます。掛け軸に込めた想いで何かを表現したり、今あるお花を生けることでその季節を切り取り、客人は周りの人々と一緒に自分が能動的に動いて空間を作り上げます。一期一会でその時に集まった人々でしか醸し出せない雰囲気なのです。さらには教養の高い茶人が客人をはっとさせるような言葉を伝えることが気づきにもなる、とても知的なゲーム性をも含んでもいます。そしてこの飲むお茶が混ざりものなしで農家が丹精に作りあげたものであれば、一服飲むごとに味わいが深まり、もともとは薬と同じような効能であったゆえに元気がもらえる。戦国武将が茶人を寵愛していた理由もなんとなくわかります。

人生最後の集大成として、小泉さんはさらに「相手のことを想うお茶」を掲げています。私も含めて一般の人々はお茶の世界は敷居が高いと思いがちです。しかし、上に紹介したような世界平和や外交にも一役買えるようなお茶という文化を一部の人たちだけがやるものではなく、誰もが親しみをもって触れる機会を作り、さらに深めたい人は道に入るという導入部分(彼女は“序の茶”と表現しています)を作りたい、というのです。小泉さんのお宅にお邪魔すると必ずお茶室で私のような素人でもお茶を点てさせてくださるのですが、そのコツの伝授の仕方がとても上手で、初心者や外国人が初めて体験しても難しいと頭をひねらず、自分でもできたという達成感や喜びを実感できます。

「表とか裏とかいう流派でお茶碗の回し方が違ったりいろいろあるけれども、根っこは同じ。特に茶の湯外交の時ははっきり言ってどうでもいいことなんです。なぜお茶碗を回すか。自分のほうに美しい柄があると“もったいない”と思うからそれを避けるという日本人の美意識、ただそれだけのこと。だから回しすぎて再び絵柄が自分の手元に来てもいけない。もしかしたら外国人からしたら、自分のほうに美しい絵柄があったほうが喜ぶかもしれないし…」と相手の立場を慮ってお茶を考えると先生はこういう解釈になるわけです。

この“序の茶”の喜びがなければ広がらない、そのためには初めての人でも点てやすいような環境をまずは整えることが大事だという思いに至った小泉先生は、地元の有名な陶芸作家に駆け寄って、点てやすい器の開発まで始めています。だいたいお茶碗にどのくらいのお湯の量を入れたらちょうどいいか(私が点てたときはポットのお湯です)を一目でわかるような内側に絵付けを頼み、形も丸ではなくて楕円型。この方が茶筅を動かしやすいのだそうです。それをお弟子さんたちが忠実に再現し、特注することで若手作家たちの仕事づくりにつなげたいとおっしゃっています。この器と小泉さんの厳選したお抹茶と茶筅をセットにして、外国人でも自宅で楽しめるようなキットにして少しずつ広げていきたいと考えていらっしゃいます。

また、小泉先生の使うお抹茶は、宇治の生産者で、かつて神社仏閣に奉納する以外に、他のどこにも出していない門外不出の幻のお茶です。26年前に、このお茶をいただいたときに、小泉先生が6歳でお茶を始めようと決意したときに初めて口にしたお茶と同じ味がしたのに感動して、それ以来ずっとその農家に契約栽培をお願いしています。一般的にお茶は宇治、静岡など有名な産地が表記されていますが、多くの場合はその地域のものがある程度の割合で入っていれば名乗ってよいという決まりごとがあるそうです。宇治茶も近隣の関西地方で採れたお茶と配合されて、時には添加物なども配合されて出されているものもあるのだとか。コーヒーでも同じですが、どうしても自然相手の農作物はいい出来と悪い出来の年があります。毎年同じ味・品質を安定させるためにも輸出される港で混ぜられ、均一化させるという方法が長らくとられてきました。しかし、最近中南米の国々ではコーヒーの品質向上を推進し、ワインのようにどの産地、さらにはどの農園の味かといった産地別、農園別といった細かい区分のスペシャリティコーヒーなども登場しています。もともとお茶も戦国時代などは金の延べ棒かそれ以上の価値があったもので、庶民にも飲まれるように手に入りやすくなったことはもちろん大事ですが、小泉さんはコーヒーの今の状況と同じようにちゃんと農家に頑張った分だけの見返りがあるように作ってもらいたいと、代替わりしてもこの契約栽培農家を応援し続けています。また小泉さんの息子さんがつい先日脱サラして、この宇治の茶畑を一緒に守り、推進する手伝いに回ることになりました。

 お茶を点てるくらいで何がそんなに違うのかと疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私がたった1~2時間教わって、自分でやっただけでも大きな違いを実感できます。まずは抹茶のお粉。濃茶は苦くて甘いお菓子がないと飲めないかというと、何回も味わうごとにおいしさを感じられます(そもそもお茶席で何杯もお茶をおかわりすることはありませんよね)。品質のいいお茶だと分量も少なくてもちゃんと点てられます。そして点て方が上手になると味わいが全く変わってきます。茶筅の持ち方、意識の向け方、点てている時の音のコツを教わっただけで変わります。そしてこのようなお茶の歴史や所作がどのようにしたらきれいに見えるかというポイント、さらには今の世の中のことなどを話しているうちに、文化教養に触れて日本人としてのアイデンティティを感じ、メンターから生き方を学ぶ人格形成の場でもあり、そしておしゃべりというヒーリングなんだなぁ…と。小泉さんに会って家に帰るときには気持ちも晴れ晴れ、頭もすっきり、いろんなことを吸収したという満足感で満たされていました。お茶やお花を学びに行くのは憧れの大人たちから生き方を学んで大人になっていくという意味でもあったのかも、と。私はまだカンボジアでも日本でも若い人たちに対して、私が得てきたような学びだったり、気持ちの面で鍛錬されるような時間や場というのを提供できていないと改めて気づかされました。

今回、久しぶりに小泉さんにお目にかかることができて、文化というのは国境を越えてつながれるものだと再確認させていただけるいいチャンスをいただきました。現在、カンボジアで文化を守るということも私たちの活動の柱の1つです。私たちの生徒が昨年日本各地で踊ったことで自分たちのアイデンティティを呼び覚まし、自信をつけたことに私もとても誇りを感じています。現在はノーという女子学生がこのダンスを教えることで生計を立てられるようにするにはどうしたらいいか、スマホを使ってダンス出前サービスやオンラインでダンスを教えることなど、少しずつ形にしていこうという動きが出始めました。

そしてもう1つ、“カシューナッツを文化にしていくには?”という着想を得ました。お茶もそもそもは中国由来のもの。日本でさらに加工法、味わい方が長い歳月をかけて発展して独特の文化になったのだと思います。カンボジアのカシューナッツもルーツをたどれば肥沃ではない土地に何か作物をと40年ほど前に外から取り込まれたものです。まだまだ歴史の浅いものではありますが、それをインドやスリランカでもアフリカでもない、カンボジアだからこそというものにしていくにはどうしたらいいのか、日本のお茶会ではないですが、カシューナッツを味わい尽くす懐石料理的なものなのか、何か他の人がやっていないけれどもこれは面白い!と思うことを産地から発信していくことができるのかなと思い始めています。昨日たまたまプノンペンでカシューナッツバターをもって瓶探しやラベルを印刷してくれる会社を探していたところ、そのスタッフたちがこの商品についてとても興味を持ってくれました。国内の掘り起こしは可能性を秘めているなと手ごたえを感じました。以前のインドネシアのフローレス島でカカオの経験でもそうでしたが、生産している地域では換金作物は収入源としか見ておらず、自分たちで味わう習慣がないと自分の作った作物が美味しいと誇りを持てることが「次世代に残そう」につなげられないのではないかと思っていました。コンポントムという小さな町ですが、プーンアジの位置は産地の畑からは町中で、外国人だけでなく、カンボジア国内の人をも呼び寄せられるところです。カフェのティーダさんとも協力して、こういう話題と人を呼び、お土産を買って帰ってもらう仕掛けができたら面白いかなと少しワクワクしてきました。

教育スタイルそのものが世界で変わる

<コロナで身動き取れない子供たち>

 カンボジアも日本と同様に突如3月半ばに学校が閉じられました。その翌日からすぐにCWAカンボジアではSCYの畑に行ける生徒たちを送り込み、最終的にはお留守番のマシャー(学生リーダー)以外、全員が畑で作業です。ちょうど今年の開墾と新しいカシューの苗を育てて植える準備もありましたので、それが普段通りに学校に通いながら週末に行き来するだけでは追い付かないくらいの仕事量だったので、ずっとSCYの畑で彼らがやってくれたことは、遅れを取り戻すのに大いに役立ちました。

 そして1か月経った4月11日、クメールニューイヤーが始まりました。本来はプーンアジで父母会を行って、そのまま親が生徒たちを実家に連れて帰るという予定で考えていましたが、ロックダウンのおかげで集会もできず、結局はSCYで現地解散となりました。久しぶりに実家に帰るのをみんなさぞかし喜んでいるだろう…と思っていたのですが、再び集合する18日を前に数名の生徒が帰ってきました。「あれ?実家にもういなくていいの?!」と聞くと、「寝ているばかりで飽きちゃった」とか「お母さんがいない」という返事。本来このお正月は普段プノンペンや海外へ働きに出ている兄弟や親戚、ご近所さんも民族の大移動で一斉に田舎に戻ってきて、そこでお祭りが開かれたり、サンボープレイクック遺跡でも出店が出て大音量で音楽をかけてダンスが披露されたり、イベントが開かれます。それが軒並み中止、しかも1家族4,5人くらいの規模で過ごしなさいという通達。たくさん家の中にいると警察にチェックされる徹底ぶりだったようで、何もできない状況はまさに今の日本と同じではないでしょうか。1,2日は何もせずにゴロゴロできて幸せですが、これがずっと続いてもケータイでYouTubeを見るだけ。寝て起きてずっと見ていたら頭も痛くなるの繰り返し。外にも出られない。気晴らしもできない。日本の子以上に元気に動き回るカンボジアの子供たちからすれば苦痛そのもので、結局早くプーンアジに帰ってきて動きたい、仕事しようと思ったようなのです。子供たちも必要とされたところで自分の居場所を見出すんだなと改めて感じました。昨日ほぼ全員がそろって久しぶりににぎやかな声が聞こえてきて、みんなで木登りをして木の実をとったり、ワイワイ自炊が始まっています。そして今日これからみんな畑へ移動して仕事と勉強が始まります。

<プーンアジの方針は間違いなかった>

以下、私たちの活動紹介を簡単に表でまとめてみました。文化、農業、ビジネスの勉強をしつつ、上の学年に上がっていったらそれぞれの専門性を磨いていく。これらを通じて単にここで町中にある寄宿舎として過ごすだけではなく、中学を卒業した後の専門性をどう磨くか、高校を卒業したらどういう道に進むのか、そんなことを思い描けるようなステップアップにしていけたらいいなと思っています。

今、左側の矢印の部分は公立中学(7~9年生)高校(10~12年生)のレベルを書いたのですが、ここが完全に閉じられているので、そこの勉強も現在SCYでデン君を中心にフォローしています。

伝統に誇りを持ち、田舎での農業に若者を投入して活気づける、そして起業を応援する、この3つの方針がプーンアジに来た子たちにまず理解してもらい、実践することです。最初はそれがわからなくても、だんだんとチームで仕事をしていき、そこで責任ある役割を果たし、お金をお客様からいただく、そして自分たちの給与や食費をそれで賄う、これをオープンに生徒たちに見せています。

<日本の大学生もチャンスが広がるはず!>

これまでプーンアジも大学生インターンとして桜井祐子さん、田中彩琳さん、そして現在いる永山涼さんはじめ、学校を休学してここで何かを得るぞ!と覚悟して10か月なり1年という歳月をここで過ごしてきました。  しかし、これからどういう世界になるのでしょう?現在私が講師登録をしている産能大学でもネットを使った授業になるという説明会がつい先日あり、松井先生の松山大学も5月末からそのような方向で動くとおっしゃっていました。どの大学もどんどんオンラインの授業に切り替わっています。そして今日お昼ご飯を食べながら涼さんに「これからオンラインの学校になるんでしょ?だったらここにそのままカンボジアにいても大丈夫だね?」といったら「そうなんです。私も生徒たちと一緒に朝と夕方畑をして、お昼間に勉強のスタイルにしようかな…」と。わざわざ学校に行く必要がない、むしろ実践としてアジアなどのフィールドで知恵を出し、現場で試行錯誤をし、そして時間を作ってオンラインで自分で勉強をする、自分の深めたいところをインターネットを通じて学ぶ、こういうデュアルな学び方に変わっていくはずです。そこでチャンスをつかみ取れるかどうか。今までの大学生の4年間以上のもっと濃い時間を過ごすことができて、これからの若い世代の人たちの実践に大いに期待したいところです。楠クリーン村やカンボジアの私たちのようなところが実践の現場を提供できるところをもっと増やしていく必要がありそうです。

<体を動かす・汗を流す+頭を使う+パソコンで世界と発信するの三位一体が教育に>

 終日在宅ワーク、ずっと終電まで会社、あるいは農作業だけ、こういう働き方には限界があると思います。より健康に、心身ともにリフレッシュし、頭も体も動かすには、プーンアジの実例は胸を張って自慢できます。朝5時に起きて涼しいうちに作業を始め、10時半にはいったんお昼寝。お昼ご飯を食べてから暑い日中は木陰で勉強をしてまた夕暮れから日が沈む前に外で思い切り体を動かして働き、おいしいご飯を食べて真っ暗になったら疲れて眠る。当たり前のサイクルなのですが、今、これが特に都会ではできないのです。

 例えば都会で通勤だけでは運動不足だといってフィットネスジムがあるわけですが、SCYにいればジムに行く必要はありません。否が応でも足元の悪い砂地を一歩一歩力を入れて歩みを進めていかねばなりません。パソコンばかりに向かっていたら目が悪くなって眼鏡も必要になりますが、SCYにいれば電線もない広いお空を眺めて緑に囲まれてリフレッシュ。だからといって事務作業を何もしないのではなくて、お昼間にソーラーパネルで発電してその電気でパソコンを使ったり、ノートとテキストを開いて勉強を進めたり、自分のやるべきことはきちんとやるということです。

そして国境は封鎖されていたとしてもオンラインで世界と仕事もできるし、友達ともやり取りできる時代です。自分のことも発信することも大事です。遠くまで通わなくても得られる情報時代ですので、豊かに生きていくためには自分が毎日必要だと思うことをたくさん考えて、周りから必要とされる自分であり続け、行動することです。先生の言うことをおとなしく聞いている子が成績優秀者ではなく、自分がどう貢献したらいいか想像を働かせて動くことができる力を備えたら、将来指示待ちのサラリーマンではなく、どこでも働くことができる、必要とされる人材となるのではないでしょうか。  カンボジアの子供たちも何もしないで1週間も家にじっとしていることはできませんでした。きっと1か月以上学校に行けない日本の子供たちはよりフラストレーションがたまっていることでしょう。でも、そこを変わるチャンスとしてとらえ、体を動かし、頭も使い、パソコンで発信する、この3つをバランスよくできる生活設計、そのための移住も含めて考えてみてはいかがでしょうか。効率化を優先させた都市集中は完全に崩壊です。分散し、自立していくことが今、ますます求められているのです。

ちょっと見方を変えたら捉え方も変わる?!

 今のお金がある時一瞬にして価値が変わってしまうのか…。この国のお金の使い方を見ているとハイパーインフレはやむを得ずとも思えます。今のスーパーのトイレットペーパーがなくなる騒ぎの比じゃないことが起きるのではないか・・・。今の国の在り方、決定のプロセス、悲観的に考えれば怖くなるような材料ばかりです。
 
 ただそれは、今の延長を考えているからであって、生き方のシフトチェンジ、お金の使い方、消費の在り方を一人一人が見直す潮目なのでは?と最近思うのです。日本では東日本大震災も1つのきっかけだったと思います。以後、私は8年 前東京を離れて、さらには日本からも離れてインドネシアやカンボジアという違う環境に身を置いたことで、自分の中でのマインドセットはすでに訓練されています。とことん生活水準を変えたら(「落としたら」と書くとみじめな感じがしますが、シンプルにするだけです)どうなるのかという実験の日々。
 ここ、カンボジアでは停電もしょっちゅう起こるし(だから懐中電灯は手放せない)、毎日手で洗濯していますし(今日は井戸水を汲んで)、電子レンジも使わない。生徒たちは薪で毎日ご飯を炊いてくれます。


 1日に買う量は些細であってもちょこちょこお金を使わない。この前、インターンの涼さんと コンビニの話をしたのですが、ついあれこれちょこちょこ買うが、ヨーロッパには多分今もコンビニないよ、と。だから25年前、私が留学したころ、日曜日だとどこもお店が開いていなくて、本当に困ったときはミュンヘンの中央駅の売店に駆け込むしかなかったんだ、と。それがルールになっていれば、みんな困ることがない。毎日24時間開いていなくたって平気なんだよ、と。
 特にアジアはコンビニもたくさんあり、ものにあふれて右肩上がりになった部分もあるけれど、 今後は余分なものは買わない、作らない、簡単に捨てない生活。いい加減なものはそぎ落とされていったり、本物が光る時代、それを取捨選択できるのはいいなと私は思います。

 働き方についても、自宅待機で退屈と嘆く人、はたまた家に長居しすぎて「コロナ離婚」という言葉も現れたとか。高層ビルが立ち並ぶオフィス街の会社に毎日行くのが仕事と思っている人からすれば窮屈なんでしょうか。私は日本にいる時は空いている平日に母と好きな時に一緒に出掛けて、やるべき時はとこんとん集中的にやれる(それで1週間どこにもいかずに勉強して総合旅行業取扱責任者の資格を取りました)、ネットでどこの国の人とも会議ができる、大好きなコンサートは絶対 行く、これほど自由で楽しいことはないと思うのに。その代わり、カンボジアに 戻ってきたら休日はほぼありません。むしろ娯楽があるわけでもなく、必要がないというのか。現場はいろんなことが起きて大変でもあり、でも楽しいので。先日AirBnBで来たフランス人に聴いたら6か月もハネムーン旅行。それでも”サバ ティカル”という9か月休んでも会社に戻れる制度があるそうで、日本みたいな休みがなく拘束時間も長い働き方が信じられないと驚いていました。

 未来永劫、今と同じことが続くことを前提に考える、安定志向の考え方を少し変えてみたら、結構楽しめるのではないでしょうか。ミャンマーで出会ったスペイン人も「私、今回の旅を通じて、バルセロナに住み続けることが人生ではない と気づかされたの」といっていました。彼女はカイロプラクティックの施術をやっていましたが、身軽に住む場所や環境を変えてみる。どこでも生きていける、働けるという力を付けたら、意外と一歩踏み出せることなのかもしれません

アジアで実践、新しい教育

カンボジアのアジア村学校で父母会

 2人の生徒が学校を去りたいと言ってきた。先ずは、ここを運営するNPO・コミュニティワークアジアで事情を聴き、対策を練る。ここの理事は現地のダンス担当のカンボジア人で50代の男性(文化省に勤めるが、今年定年を迎える)、日本人の日本語教師(ボランティア)、そして、ここのスタート時から関わる二十代後半のカンボジア人の若者の三人だ。その若者が代表だ。

 学校を辞める事情を聞く際に、日本人の出番はほとんどない。言葉の問題に加え、家の経済状態や両親の夫婦問題、村の中での評判等は、その地域の歴史を知らないとわからない部分が多い。それを村長や学校仲間からも聞く。

 一人の生徒は両親が離婚し、お母さんの住む村に行きたいというのが原因だった。お父さんが来て最初に言っていたのは「自分が引き受けるので、ここに継続して世話になりたい」ということだったが、生徒に確認するとやはりお母さんの村に移りたいので継続は難しそうだ。お父さんは涙ぐんで説得したが生徒の結論は変わらなかった。

 もう一人は公立中学の勉強についていけないのが引き金になって、仲間と「働き学ぶ」もできなくなり、村に帰りたいという。お母さんは「帰ってきたら腕の骨を折ってやる」とか、最後は「殺してやる」とか息巻いていたが、学校側から「働かないと食事も出ないし、部屋で寝られなくなるよ」だから「これからここでレストランを始めるので、ここで働いたら良い」と勧めたが結局、お母さんが甘やかして連れて帰ってしまった。親が最後は言葉とは裏腹に甘やかすことを子は知っているのだろう。『人をダメにするのは簡単だ。甘やさせばよい』とよく言うが、きっと、その家族は口だけの家族なのだろう。村の他の父母も口出ししなかった。

 これから2か月に1回、父母会を行い、その交通費はNPOが負担することにした。一人5ドルのバス代は両親にとって決して安いものではない。お金がないことが理由で差をつけたくないという配慮だが、経済的には日本が負う部分も多いので依存関係が強くならないように気を付けることが肝要だ。依存と格差の問題は、経済的に優位な日本人にとって課題だ。出せばよいというものではない。

親にも学んでもらう、既にある未来

 両親が来た時に、親にもレクチャーすることにした。カンボジアの教育者の質は悪い。生徒から賄賂をとる先生もいる。特に勉強が遅れたりすると要求するようだ。金額を聞いて驚いた。それを借金して払うのだという。賄賂をもらった分、一生懸命に教えるのかというと違い、単に合格にすることだ。

 アセアン10か国の中でラオスと並んでカンボジアは給与水準が低い。より高い国に出稼ぎに行く。カンボジアに肩入れし、一生懸命教えても、ある日タイに行くので辞めたいと言われることもある。それは私たちも辛い。

 アジア村学校はカンボジアの街(コンポントムという中都市、だが村から来ると大都市に見えるらしい)に来て、遅れを意識するようだ。しかし、もう少し広い視野でみると、団栗の背比べで、良い成績をとって意味があるのかと思いたくなる。そのことも説明する。

「公立学校に行くのは否定しないが、そこに通わなくなったからと言って騒ぐことないですよ。それよりこのアジア村学校でITや伝統文化を学ぶほうがよほど将来価値あるものになります。AIの時代はもう来ており、ホワイトカラー的な職はどんどん減る。都市に出るより、村で農業で自立し、特技を持つことがこれからの社会で重要になります」と話したが、なかなか伝わらない。親向けのレクチャーを父母会で続け、コミュニティで役立つ人材育成の実践学校の意味を伝えていきたい。

 だからと言って、外に出ることを阻むのではなく、むしろ推奨している。コミュニティをベースにしながらグローバルな視点も大切だ。国境を越えて活躍する人材は、自分の村に帰ってくるだけでなく、国境を越えてコミュニティに仕事を作り出す。日本に研修に来て英語や日本語を話すようになる生徒もいれば、全く変わらない生徒もいる。チャンスに気付く育ち方、生き方を教えていくのは難題だが、それが新しい地平を開くと思って実践する。ここに親、先生、地域という三辺の軸は欠かせないようだ。

経済性、社会性、人間性を教育

 その方法として「働き学ぶ」を実践してきた。机の上では学べないチームワーク、社会のリアルな見方、生きる技術などを学ぶ。働きながら学ぶことは、決して金稼ぎの手法を学ぶことではない。むろん経済的にバランスしないと継続できないから重要だが、それ以上に社会の問題、コミュニティの問題解決も学ぶ。そして最後は生きることを文化や歴史から学ぶ。歴史を学ぶとそこからちっぽけな人間に気付き、自然にも謙虚に向き合えるようになる。

 国毎の賃金格差の問題も真正面から捉えたい。それを解決する唯一の道は起業だろうと気付いた。すべての人の格差をなくすことは難しいが成功事例を作り、それを真似て広げていく。努力と責任を教えるのは起業が向いている。そして他国で雇われ働くのでなく、コミュニティにいて、それを実現する。

 こんな目標を立てて現地の若者が代表の会社がアジアに3つできた。今後、日本人が作った組織も、現地の人に引き継がれていく。国籍にこだわらないことになるだろう。そんな意欲のあるハングリーな若者を起業候補として10人選んだ。日本にも研修に来てもらっているが、将来その中から日本の企業の社長が生まれるかもしれない。グローバルであり、かつコミュニティをベースに国境を越えて働く人材をもじってグロミティスタッフとして選任して活躍する仕組みも育成の柱としたい。いずれ、その活躍をレポートしたい。

先見性で次の社会像を選ぶ

 それらの人材が時代を作る。今後どの技術をいかに活用するかの選択だ。環境や人間性の否定になるようなものは採用しない。儲かるから、便利だからで取り入れるのではなく、将来の社会像を描き、選択することになる。それには教える側に先見性が求められる。

 第二近代はリスクを最小にすることに優先順位を置く。技術の暴走に歯止めをかける。ときにはそれが政府の意向に反することもあるだろう。それでも主張し実践する。そんな勇気ある若者育てが第二近代実践研究会の目標だと思えてきた。それは一代では終わることのない永久革命かもしれない。決して暴力に訴えるのではなく、権力に頼るのでもなく、草の根から変えていく。その担い手も自らの生き方を変えていく。目立たないし、ゆっくりではあるが、これが第二近代的な変革だと思われる。

 第二近代という概念を提唱したベック氏は、それはアジアからと言っていた。アジア、そして多様性のインドでの実践は、そんな現場だ。そこから世界の変革を引っ張りたい。

 前号で紹介したITの活用は国境を越える武器として、使い方によって役立ちそうだ。この原稿をバンガロールで書いている。第二のシリコンバレーと言われるところだ。ここにも事務所を持った。国境を越えたIT協働の拠点にしたい。

新しい組織、新しい経営のカタチ

社長をなくせるか?

 研究会に属する10いくつかの会社の中心メンバーがまじめに議論しているテーマだ。アジアから7つ、日本から5つの組織が参加している。

 代表の肩書は社長や代表だが、それは内部的にはいらないが対外的には必要となった。法的に責任を取る人が必要だからだ。あと、ほとんどのことは社長了解が不要なのが理想だとなった。メンバーが自己の自発性と責任で自分のミッション実現を目指す。そんな個々人を管理ではなく動きやすいようにする仕組み作りがリーダーの役割となる。役割も自発的に決まっていくことも多いが、時に調整役も必要になる。英語でいうコーディネーターだ。

職場よりIT組織が優先する

 10を超える組織が組織をも超えてコトをなしていこうとすると法的な役割とは別の原理で動き出す。言語もいくつもあるとコミュニケーションも大きな課題となる。英語が中心になるが、それだけでは現場と繋がれない。地域に仕事作りを目指すには現地語が必要になる。時差もあるからいわゆる勤務時間もフレキシブルになる。残業時間はあってないようなものだ。

  メールを送ってすぐに返事ができないとチャンスを失うことも多い。ルールの一つが24時間内に返事をすること。更に、自分の不得意なことや都合の悪いことを放置することもある。1週間で動かないものは担当を変える。そうすることでブレーキが少なくなる。

加速する仕掛け

動機づけが給料や肩書だった時代から仕事そのものを楽しめるかに人々の志向は移っている。ここでの働く人の動機は社会に役立っているか、そのサービスが笑顔で迎えられるかになっていく。「いいね!」も、その一つだろうが、いかにも軽い。地域で仕事作りをミッションにしていると、そのコミュニティで認められるか、だ。存在感が重要だ。

 例えば、インドネシアの組織はごみ、ツアー、ITを同時並行で経済的自立を目指している。それぞれに社長候補がいる。将来、それぞれが自立してもITソフトは共通で、その傘の下に残る。ソフトがミッションを共有する。

  4キロ四方の地域で「ごみゼロ運動を始めた。スマホに登録するとごみがポイントになる。ポイントは現在お金に交換しているが、将来は地域サービスに交換すると地域経済の活性にもなる。地域通貨の仕組みだが、バリの空港から歩いて数分のロケーションなので旅行者も巻き込める。地域貢献ツアーとでも呼ぶものもネット上に構築中だ。その中心に安いステイ施設を持つメンバーが中心にいるので、そこを新しい働き方で「楽しく働く、遊びも生活」企業呼び込みを計画している。そこから五分も歩けばサーフィンもできる浜辺だ。労働時間に縛られることなく思い切り働き、好きに自分の時間をデザインする働き方改革の提案だ。

AI時代にサラリーマンは?

 ワークシフトが言われている。様々な業種が消えていく。日本では大銀行で年間一万人以上が整理されると読んだ。ATMからスマホ決済へ、従来の銀行窓口はいらなくなっていく。いや、すでにない国もある。役所などもっと合理化すべき筆頭だろう。いわゆる事務作業や、他人に言われてやるサラリーマン要素の強い仕事はなくなっていく。安定志向で行政に就職できたから一生安泰ということはなくなりそうだ。仕事と趣味は別で、会社は金をもらうところ、という人の職場はなくなっていくのだろう。日本の学生の志向も変わりつつあるようだが、変化にどれだけシンクロしているか、一人一人の人生を選択する時代が来た。が、それほどに、その行動も価値観も変わらない。そして、時代の変化から取り残される。

勢いのあるアジア、インド

 数か国の若者が同世代間で一つのミッションに向かって働くようになると、日本人の劣化は明確になる。日本から研究会に参加している農業団体はインターンを年間20人以上受け入れる計画だという。アジアの国では農業が就業人口の70%から80%という状態だから、当たり前に地域に農作業がある。そして、子供の頃からそこで育った彼らはタフだ。暑さに強いだけでなく女の子でも鶏を絞める。肉屋で冷蔵庫にある鶏肉しか見てない日本人とは違う。同じ人間かと疑うほどに自然との共生体験の差は大きい。机上の勉強では学べない部分だ。「働き学ぶ」が問われている。しかも、彼らはとても前向きだ。受験勉強で点数だけのところと、なんでも、これからの人生に役立てようという意気込みの違いだ。

働くことがあって学ぶ

 カンボジアで学校経営をしている団体のやり方は「働き学ぶ」だ。学歴社会は、いつのかにかそれが逆転してしまった。偏差値という物差しで人間の能力を計るようになった。嘘つきであろうが、ポジションを得られる社会になってしまった。それが権力を持てば社会の信を失わせる。もし、カンボジアの汗と現場を知り、コミュニティで共に汗を流して生きることを学んでいれば見える風景も違っただろう。

  法律が先にあるのではなく、必要に応じて作っていけばよい。それが逆転すると、こんなことになる。「忘れました」がまかり通る。社会の仕組みも作り直さなければいけないが、その変革も教育からだ。日本の三権分立が虚構になる中で、吉田松陰の松下村塾は、国境を越えてアジアでそれを教える。

アジアに松下村塾を

  まだアジアでは維新以降の日本の経済発展への評価は高い。親和的だ。いくつかのアジア、インドで講座を持っているメンバーが研究会にはいる。大学闘争世代の先生もおり、日本の失敗を伝えることも忘れない。経済の講義で、自分の運動体験を伝える。石を投げても、大きな圧力団体の長になっても、自分たちの力で政治家を作っても、社会は変わらない。一人一人の市民が自らの価値観と生活を変えない限り、この格差と自然収奪の構造は変わらない。君らの世代の改革はコミュニティから君らが作り出すと教える。社会起業の勧めだ。それをアジア10としてネット上で情報交換し、スカイプで議論し競争し、新しい価値を作り出すのにITは有益だ。次の世代はITで国境をいとも簡単に超えていく。

「超える」が時代の言葉に

 克己、自らを超える。国境を超える、政府を政治を超える。時を超える意識を学ぶことも大事だ。

 何億年の宇宙の歴史から見れば人類なんて小さな存在だ。ブラックホールの存在が写真で見ることができた。

 南インドの大学とも提携しているが、ここの博物館の仮面を見て驚いた。日本の歌舞伎そのものなのだ。そうしてみていくと楽器も、サンスクリット語から派生し、仏教用語が日本人の生活にも入り込んでいる。言葉もインドが原点であることが実に多い。

 カンボジアのアンコールワット建造にはインドの技術者が協力したという。交通がそれほど便利でない時代ではあったが、国境など軽く超えている。世界の政治の風潮が自国主義となっているが小さい小さい。文化を学ぶことだ。