教育スタイルそのものが世界で変わる

<コロナで身動き取れない子供たち>

 カンボジアも日本と同様に突如3月半ばに学校が閉じられました。その翌日からすぐにCWAカンボジアではSCYの畑に行ける生徒たちを送り込み、最終的にはお留守番のマシャー(学生リーダー)以外、全員が畑で作業です。ちょうど今年の開墾と新しいカシューの苗を育てて植える準備もありましたので、それが普段通りに学校に通いながら週末に行き来するだけでは追い付かないくらいの仕事量だったので、ずっとSCYの畑で彼らがやってくれたことは、遅れを取り戻すのに大いに役立ちました。

 そして1か月経った4月11日、クメールニューイヤーが始まりました。本来はプーンアジで父母会を行って、そのまま親が生徒たちを実家に連れて帰るという予定で考えていましたが、ロックダウンのおかげで集会もできず、結局はSCYで現地解散となりました。久しぶりに実家に帰るのをみんなさぞかし喜んでいるだろう…と思っていたのですが、再び集合する18日を前に数名の生徒が帰ってきました。「あれ?実家にもういなくていいの?!」と聞くと、「寝ているばかりで飽きちゃった」とか「お母さんがいない」という返事。本来このお正月は普段プノンペンや海外へ働きに出ている兄弟や親戚、ご近所さんも民族の大移動で一斉に田舎に戻ってきて、そこでお祭りが開かれたり、サンボープレイクック遺跡でも出店が出て大音量で音楽をかけてダンスが披露されたり、イベントが開かれます。それが軒並み中止、しかも1家族4,5人くらいの規模で過ごしなさいという通達。たくさん家の中にいると警察にチェックされる徹底ぶりだったようで、何もできない状況はまさに今の日本と同じではないでしょうか。1,2日は何もせずにゴロゴロできて幸せですが、これがずっと続いてもケータイでYouTubeを見るだけ。寝て起きてずっと見ていたら頭も痛くなるの繰り返し。外にも出られない。気晴らしもできない。日本の子以上に元気に動き回るカンボジアの子供たちからすれば苦痛そのもので、結局早くプーンアジに帰ってきて動きたい、仕事しようと思ったようなのです。子供たちも必要とされたところで自分の居場所を見出すんだなと改めて感じました。昨日ほぼ全員がそろって久しぶりににぎやかな声が聞こえてきて、みんなで木登りをして木の実をとったり、ワイワイ自炊が始まっています。そして今日これからみんな畑へ移動して仕事と勉強が始まります。

<プーンアジの方針は間違いなかった>

以下、私たちの活動紹介を簡単に表でまとめてみました。文化、農業、ビジネスの勉強をしつつ、上の学年に上がっていったらそれぞれの専門性を磨いていく。これらを通じて単にここで町中にある寄宿舎として過ごすだけではなく、中学を卒業した後の専門性をどう磨くか、高校を卒業したらどういう道に進むのか、そんなことを思い描けるようなステップアップにしていけたらいいなと思っています。

今、左側の矢印の部分は公立中学(7~9年生)高校(10~12年生)のレベルを書いたのですが、ここが完全に閉じられているので、そこの勉強も現在SCYでデン君を中心にフォローしています。

伝統に誇りを持ち、田舎での農業に若者を投入して活気づける、そして起業を応援する、この3つの方針がプーンアジに来た子たちにまず理解してもらい、実践することです。最初はそれがわからなくても、だんだんとチームで仕事をしていき、そこで責任ある役割を果たし、お金をお客様からいただく、そして自分たちの給与や食費をそれで賄う、これをオープンに生徒たちに見せています。

<日本の大学生もチャンスが広がるはず!>

これまでプーンアジも大学生インターンとして桜井祐子さん、田中彩琳さん、そして現在いる永山涼さんはじめ、学校を休学してここで何かを得るぞ!と覚悟して10か月なり1年という歳月をここで過ごしてきました。  しかし、これからどういう世界になるのでしょう?現在私が講師登録をしている産能大学でもネットを使った授業になるという説明会がつい先日あり、松井先生の松山大学も5月末からそのような方向で動くとおっしゃっていました。どの大学もどんどんオンラインの授業に切り替わっています。そして今日お昼ご飯を食べながら涼さんに「これからオンラインの学校になるんでしょ?だったらここにそのままカンボジアにいても大丈夫だね?」といったら「そうなんです。私も生徒たちと一緒に朝と夕方畑をして、お昼間に勉強のスタイルにしようかな…」と。わざわざ学校に行く必要がない、むしろ実践としてアジアなどのフィールドで知恵を出し、現場で試行錯誤をし、そして時間を作ってオンラインで自分で勉強をする、自分の深めたいところをインターネットを通じて学ぶ、こういうデュアルな学び方に変わっていくはずです。そこでチャンスをつかみ取れるかどうか。今までの大学生の4年間以上のもっと濃い時間を過ごすことができて、これからの若い世代の人たちの実践に大いに期待したいところです。楠クリーン村やカンボジアの私たちのようなところが実践の現場を提供できるところをもっと増やしていく必要がありそうです。

<体を動かす・汗を流す+頭を使う+パソコンで世界と発信するの三位一体が教育に>

 終日在宅ワーク、ずっと終電まで会社、あるいは農作業だけ、こういう働き方には限界があると思います。より健康に、心身ともにリフレッシュし、頭も体も動かすには、プーンアジの実例は胸を張って自慢できます。朝5時に起きて涼しいうちに作業を始め、10時半にはいったんお昼寝。お昼ご飯を食べてから暑い日中は木陰で勉強をしてまた夕暮れから日が沈む前に外で思い切り体を動かして働き、おいしいご飯を食べて真っ暗になったら疲れて眠る。当たり前のサイクルなのですが、今、これが特に都会ではできないのです。

 例えば都会で通勤だけでは運動不足だといってフィットネスジムがあるわけですが、SCYにいればジムに行く必要はありません。否が応でも足元の悪い砂地を一歩一歩力を入れて歩みを進めていかねばなりません。パソコンばかりに向かっていたら目が悪くなって眼鏡も必要になりますが、SCYにいれば電線もない広いお空を眺めて緑に囲まれてリフレッシュ。だからといって事務作業を何もしないのではなくて、お昼間にソーラーパネルで発電してその電気でパソコンを使ったり、ノートとテキストを開いて勉強を進めたり、自分のやるべきことはきちんとやるということです。

そして国境は封鎖されていたとしてもオンラインで世界と仕事もできるし、友達ともやり取りできる時代です。自分のことも発信することも大事です。遠くまで通わなくても得られる情報時代ですので、豊かに生きていくためには自分が毎日必要だと思うことをたくさん考えて、周りから必要とされる自分であり続け、行動することです。先生の言うことをおとなしく聞いている子が成績優秀者ではなく、自分がどう貢献したらいいか想像を働かせて動くことができる力を備えたら、将来指示待ちのサラリーマンではなく、どこでも働くことができる、必要とされる人材となるのではないでしょうか。  カンボジアの子供たちも何もしないで1週間も家にじっとしていることはできませんでした。きっと1か月以上学校に行けない日本の子供たちはよりフラストレーションがたまっていることでしょう。でも、そこを変わるチャンスとしてとらえ、体を動かし、頭も使い、パソコンで発信する、この3つをバランスよくできる生活設計、そのための移住も含めて考えてみてはいかがでしょうか。効率化を優先させた都市集中は完全に崩壊です。分散し、自立していくことが今、ますます求められているのです。

デマと言論の自由

松井 名津

 さて、今回のコロナウィルスなのだが…海外にいて「トイレットペーパーが買い占められている」というニュースを聞いて「え、また?!」という思いになった。つい先日、オイルショックの時のことを絡めて原稿を書いたのもあって、余計その感が強いのかもしれない。ついでにコメントしておけば、オイルショックの時より今回の方が買い占めに至る因果関係はちょっとわかる気はする。(オイルショックの時は何がどういう理屈でトイレットペーパーに至るのか、さっぱり訳がわからなかった)。その他にも「〜を飲めばコロナウィルスを撃退できる」とか、「〜では…がもう手に入らないから、早めに買っておくべき」というような話は結構蔓延しているらしい(FBのタイムライン上で、これはデマですと回ってくるニュースを見る限りだけれど)。

 デマというと、悪意があって間違った情報を広めると考えがちだが、実は善意に基づく誤った情報がデマを引き起こす可能性の方が高い。「善意」なので情報を出している人は「正しい」と確信している。だからその正しさを疑うことがない。そういう人が出した情報に対して、「間違っていませんか?」と疑うような意見を呈すると、酷く躍起になって疑う人を攻撃したりする。周囲の人も、その人が善意で行動していると知っているので、なんとなくその人の味方になったりする…。と、善意で行動する人が出す誤った情報ほど拡散しやすいし、否定されにくい。これは一般人に限らず、専門家といわれる人もそうだ。専門家とはいえ、これほど専門が細分化していると、つい隣の分野のことであっても門外漢である場合が多い。だから慎重な専門家は性急なコメントを控える。積極的に発言する人は自分が科学的に正しい判断をしており、一般にその判断を知らしめ、啓蒙しなくてはならないと考え行動している。ただ、現実は複雑で理論通りではない場合が多い。理論上最善の対応も、現実を考えれば費用がかかりすぎて実質上不可能という場合もありうる。けれど理論的には最善だから、現実にできないのはおかしい、という発言をしてしまうことがある。こうした善意による発言に対して慎重になった方がいいとか、不安を煽るような発言は控えた方が良いという真っ当な意見を呈すると、時に「言論の自由」を迫害する行動だという反応が返ってくる。

 であるならば、ここは一番「言論の自由」を真っ正面に据えたミルに登場してもらうことにしよう。ミルは『自由論』の中で、数ある自由のうちでも言論の自由を幅広く認めている。しかしこの言論の自由にも制約がある。それは他者の利益に損害を与える場合(harm principleともいわれる)である。言論、まぁざっくりいえば公に意見をいうことと考えよう。単に言葉を言うだけなのに、他人に損害を与える場合があるだろうか。すぐに思い浮かぶのは言葉による暴力としての「いじめ」だろう。これは別に子供のうちに限らない。日本語でハラスメントといわれている事態のほとんどは、「いじめ」と訳してしまった方がいいと私は思っているのだが、セクシャルハラスメントにしろ、パワーハラスメントにしろ、何にしろ、その人の人格を否定する表現を使う、その人の個性や能力をある特定の視点(女性である、同性愛者である、部下である…)だけを用いて表現する。このような発言はその人の人格を否定するという点で、その人の必須の利益を害している。例え憲法に良心の自由や言論の自由が謳われているとしても、こうした発言を公にした場合は、何らかの罰が課せられるべきである。

 では善意から発した誤った情報の場合はどうだろう。特に上で指摘したような発言者が特定の影響力を持つ人だった場合や、周囲が不安に駆られている場合に、人々を社会全体にとって不利益をもたらす行為に導きかねない発言を公にする。これは言論の自由で保護されるのだろうか?それともharm principleによって制限を加える(もしくは社会的に罰を与える)べきなのだろうか?実はミル自身がこの問いに答えを出している。食糧不足で人々の間に不満が高まっているときに、パン屋や商社の前で「食糧不足の原因は一部業者の買い占めによるものである」という主旨の発言をした場合、この発言を制止するべきだとミルは述べているのである。

 実はこの一条はミル研究者の間でも評価が分かれるポイントにもなっている。制約が加えられるべきなのは、不安な社会状況の中で暴動やパニックを引き起こしかねない発言や、一定の個人(あるいはグループ)に対する暴力を引き起こしかねない発言とまとめたとする。では誰が「不安な社会状況」にあると判断するのか、誰が「暴力を引き起こしかねない発言」と認めるのかという問題が生じる。もし政府が…と簡単にいってしまうと、それこそちょっとした自然災害だとか、連続傷害事件が発生した途端、戒厳令のように言論の自由を取り締まることができる根拠を与えてしまうことになる。また「暴力を引き起こしかねない発言」の場合も、当事者で意見が分かれることがあるだろう。この一条を認めることによって、言論の自由が大幅に制約される、いや結局骨抜きになってしまう。こう考える学者もいる。その一部に理のあることを認めつつも、私は判断はやはり「最も立場の弱いもの」の側から行われるべきだと彼は考えていたのだと主張したい。なぜなら言論の自由そのものが、社会で異端として抑圧されやすい少数派の意見を多数派から保護するために主張されているからだ。そしてまた、パニックや暴力を引き起こす発言を抑制する・制止する必要性があるとミルが考えたことは正当だと考えている。ただし、抑制するのは政府ではなく、個々人であり、発言に責務を負う人々(ジャーナリストやマスコミ、もちろん政治家もその中にいる)だと考えている。

 というのもチェルノブイリ事故の直後にヨーロッパに旅行したことがあるからだ。テレビでは連日天気予報のように放射能の拡散状況が放送されていた。天気予報のようにと書いたが、実際報じられているニュースの様子は毎日の天気予報とほとんど変わらない。低気圧の雲の代わりに放射能を帯びた雲や風が表示されている。アナウンサーは「明日は〜地方にはソビエト方面からの風が強く吹き付けるとともに、強い雨が降ります。不要な用事のない方、特に幼い子供は家の中で過ごす方が良いでしょう」と淡々と語る。まぁ私が滞在していたのはイギリスで、BBC放送だからだったのかもしれない。でもロンドンも(ずっと小雨が降ったり止んだりだったが)賑わってもいない代わりに、閑散ともしていないというロンドンらしさで、相変わらず傘を持っているのに傘をさしていない人が歩き、コートの襟を立てて薄ら寒そうに人が行き交っていた。ホームステイ先は北海に面していたが、別に避難するという話もなく、雨の中でクリケットをしたり、近くの川縁に生えているクレソンでスープを作ってくれたりしていた。

 ヨーロッパでは核の悲劇は日本ほど理解されていないのだ、そう言ってしまえばそれで終わるかもしれない。けれどそのとき私が痛感したのは、中学生の時に遭遇したオイルショックの日本との違いだった。連日のようにテレビからは激昂したような声が響き、一般紙までがスポーツ紙のような大見出しをつける。スーパーの店頭からは物が消えていく。そんな風景を思春期特有の皮肉な目で見ていた自分を思い浮かべながら、もしこれが日本の近くで起こっていたらこんな風な日常はありえないだろうなと思ったことを鮮明に覚えている。

 別にヨーロッパだから偉いというのではないのかもしれない。ヨーロッパは大陸も島国のイギリスも含め、13世紀以降の十字軍、16世紀から17世紀の宗教改革の中で、流言飛語によって多くの人が虐殺された歴史を持つ。同じキリスト教徒であっても、いや同じキリスト教徒だからこそ「異端」を殺すことは神の御心にかなったこととされた。アルビジョア派を殲滅した十字軍、プロテスタントを虐殺したサン・バルテルミ、逆にカソリック教徒の殲滅を目指したクロムウェルの鉄騎隊。そして近代になれば記憶に新しいナチスとそのシンパによるユダヤ人の虐殺(虐殺されたのはユダヤ人だけではない。ロマの人々、同性愛者などなど)。こうした数々の虐殺を招く豊かな土壌が、自分たち自身の中にあったことを、多分彼らは日本人より見に染みているのだろう。(最もこのところ、そうした記憶が薄れてしまったのか、経済状況が悪いからか、ヨーロッパでも流言飛語と付和雷同が増えているようだが)。

 人間は「目に見えない恐怖」に弱い。放射能、新型ウィルス、ペスト…目に見えない恐怖に社会が覆われたとき、多くの人がよりわかりやすい解決法、目に見える敵を求める。今・ここにある恐怖をなるべく早く打ち消すための本能的な反応なのかもしれない。動物も食糧不足などどうしようもない危機の際にパニック状況になる。そして人間の場合も動物の場合も、行き着く先は同じだ。「共食い」。最も弱い物が殺される。人間はずるいから実際には手を下さないかもしれない。100人が1人に向けて石を投げれば、その1人は死ぬだろう。石を投げた100人は自分が投げた石が殺したとは思わないかもしれない。でもやはりそれは「共食い」なのだ。そして人が人を追い込むとき、人には動物にはない武器がある。「言葉」という強力な武器が。そして本来、武器を持つものは武器の真の怖さを知っていなくてはならないのだ。

 SNSによって人々の言葉はいろんなところに拡散する。それだけ私たちの言葉は強くなった。強い武器を持つ以上、私たちはその怖さも十分認識しなくてはならない。

追記:カミュといえば『異邦人』が有名だが、今ぜひ読んで欲しいのが『ペスト』だ。紹介文には「極限状態における人間の連帯」などと軽い言葉が踊っているが、絶望的な状況の中で絶望しながらも、そこに踏みとどまる人間を描いている小説だと私は思っている。

ちょっと見方を変えたら捉え方も変わる?!

 今のお金がある時一瞬にして価値が変わってしまうのか…。この国のお金の使い方を見ているとハイパーインフレはやむを得ずとも思えます。今のスーパーのトイレットペーパーがなくなる騒ぎの比じゃないことが起きるのではないか・・・。今の国の在り方、決定のプロセス、悲観的に考えれば怖くなるような材料ばかりです。
 
 ただそれは、今の延長を考えているからであって、生き方のシフトチェンジ、お金の使い方、消費の在り方を一人一人が見直す潮目なのでは?と最近思うのです。日本では東日本大震災も1つのきっかけだったと思います。以後、私は8年 前東京を離れて、さらには日本からも離れてインドネシアやカンボジアという違う環境に身を置いたことで、自分の中でのマインドセットはすでに訓練されています。とことん生活水準を変えたら(「落としたら」と書くとみじめな感じがしますが、シンプルにするだけです)どうなるのかという実験の日々。
 ここ、カンボジアでは停電もしょっちゅう起こるし(だから懐中電灯は手放せない)、毎日手で洗濯していますし(今日は井戸水を汲んで)、電子レンジも使わない。生徒たちは薪で毎日ご飯を炊いてくれます。


 1日に買う量は些細であってもちょこちょこお金を使わない。この前、インターンの涼さんと コンビニの話をしたのですが、ついあれこれちょこちょこ買うが、ヨーロッパには多分今もコンビニないよ、と。だから25年前、私が留学したころ、日曜日だとどこもお店が開いていなくて、本当に困ったときはミュンヘンの中央駅の売店に駆け込むしかなかったんだ、と。それがルールになっていれば、みんな困ることがない。毎日24時間開いていなくたって平気なんだよ、と。
 特にアジアはコンビニもたくさんあり、ものにあふれて右肩上がりになった部分もあるけれど、 今後は余分なものは買わない、作らない、簡単に捨てない生活。いい加減なものはそぎ落とされていったり、本物が光る時代、それを取捨選択できるのはいいなと私は思います。

 働き方についても、自宅待機で退屈と嘆く人、はたまた家に長居しすぎて「コロナ離婚」という言葉も現れたとか。高層ビルが立ち並ぶオフィス街の会社に毎日行くのが仕事と思っている人からすれば窮屈なんでしょうか。私は日本にいる時は空いている平日に母と好きな時に一緒に出掛けて、やるべき時はとこんとん集中的にやれる(それで1週間どこにもいかずに勉強して総合旅行業取扱責任者の資格を取りました)、ネットでどこの国の人とも会議ができる、大好きなコンサートは絶対 行く、これほど自由で楽しいことはないと思うのに。その代わり、カンボジアに 戻ってきたら休日はほぼありません。むしろ娯楽があるわけでもなく、必要がないというのか。現場はいろんなことが起きて大変でもあり、でも楽しいので。先日AirBnBで来たフランス人に聴いたら6か月もハネムーン旅行。それでも”サバ ティカル”という9か月休んでも会社に戻れる制度があるそうで、日本みたいな休みがなく拘束時間も長い働き方が信じられないと驚いていました。

 未来永劫、今と同じことが続くことを前提に考える、安定志向の考え方を少し変えてみたら、結構楽しめるのではないでしょうか。ミャンマーで出会ったスペイン人も「私、今回の旅を通じて、バルセロナに住み続けることが人生ではない と気づかされたの」といっていました。彼女はカイロプラクティックの施術をやっていましたが、身軽に住む場所や環境を変えてみる。どこでも生きていける、働けるという力を付けたら、意外と一歩踏み出せることなのかもしれません