節目どき

「人間五十年、下天の内に比ぶれば…」とは信長で有名になった一節。もっとも人間の寿命が50年という意味ではなく、人間界の50年も天界では夢幻のようだという意味らしい。とはいえ、信長当時からつい70年ほど前まで、日本人の平均寿命は50歳以下、50歳を越えだしたのは1947年ごろ。まして70歳など文字通り「古稀(昔からこのかた稀な)」だった。ところが近年は70、80は当たり前。平均寿命をシフトさせると、今の50歳代は1950年代ごろの30歳代と同じになる。

 しかし、どうも感覚的に納得できない。1950年代の初婚年齢は概算で男性27歳、女性23歳。高度経済成長が始まる頃、自分の子供が育っていくのと同時に、社会も経済も拡大してくといった感じである。あれもしなければ、これもしなければ…と自分自身と家族の今と近い未来に眼差しは向いていたことだろう。高度経済成長期を迎えるとともに食生活も向上し、体力気力も一昔前である1940年の30歳代とは大きく違ったはずだ。上り坂の時代とともに、ともかくも前に、より大きく、より新しくを追求する傾向を持っていたといってもいいかもしれない。

 これに対して、今の50歳代の初婚年齢は男女ともに20歳代後半だから、子供はすでに成人している。高度成長がはっきりと目に見え始めた頃に生まれ、濃淡の差はあれ貧しさも、豊かさも知っているといってもいいかもしれない。私自身が今年の末で55歳になるから、ちょうどこの世代の中間だ。世代論はあまり好きではないから、個人的な話になるが、生まれたのは大阪ミナミの真ん中。乞食や浮浪者(死語?今だとホームレスになるのだろうか)が竹籠を背負って、器用にタバコや雑紙、瓶を集めていた。その傍らで野球のナイター(とかつては言っていた)照明が明るく輝いていた。チョコレートやケーキは年に一度か二度頂く特別なお菓子だったが、都会の真ん中で育った子供の遊び場は百貨店でだった。路地の端は小便の香りが香ばしく、タバコやチューングガムに混じって痰が吐き捨てられていた。3歳になって引っ越した郊外の新興住宅地は田んぼの真ん中。春にはレンゲの真ん中で寝転がり、冬になればセイタカアキノキリンソウの枯れたのを弓矢に戦争ごっこに興じる毎日。スカンポ(スイバ)を齧ったり、たまに「野壺(人糞を貯めておく壺)」にハマってからかわれたり、蛇に追いかけられて怖い目にあったりしたのが小学校時代。そして中学時代。日本がはまり込んだのがオイルショックが引き金になった低成長時代。核戦争の危機が真剣に叫ばれ、人間の未来が急速に暗く思えた時代だった(ある意味今と似ている。核爆弾は人間が自ら作った制御できない化け物だったし、来たるべき世界戦争に備えて日本も再武装すべきだという議論と世界平和を堅持すべきだという議論が互いに平行線ですれ違った)。「スモールイズビューティフル」「ゆっくり行こうよ」が合言葉の時代が続いた。その時代がいつの間にか、本当にいつの間にか、ハッと気がついたら、バブル。空気は180度手のひらを返し「おいしい生活」、自分らしい消費を楽しむ、世界の頂点に立つ日本になった。(まぁ私自身は実家でジャガイモと玉ねぎを剥いていたのだが、大阪の衛星都市堺で1万円の生演奏つきディナーパーティーが可能だったのも、バブルだったからだろう)。そして頂点から真っ逆さま。立ち退き地上げをめぐる暴力団騒動、政治家の賄賂やスキャンダルを経て、失われた10年、20年…。

 こうして振り返ると今の50歳代は「売り家とお家流で書く三代目」なのかも知れない。幼い頃から若い頃にかけて、贅沢にだんだんと慣らされ、子育てが終わって自分の生活をと思った途端、年金問題やら少子高齢化で先行き不透明時代に突入。そんな50歳代に向けて金融機関等々は「年金不足に備えて」「老後の一人暮らしの…」と甘い誘いをかけてくる。そんな誘いが気になりながら、どこか醒めた目で見ている。さすがにバブルの経験は効いてるのだ。国有企業があっという間に民営化し、潰れないはずの大手証券会社が一夜にして倒産した。会社勤務を続けて入るけれど、定年まで無事安泰と決め込んで済ましているわけにもいかない。なにせ自分の周りに転職・失職・非正規雇用者がいるのだ。

 そんな状況を悲観的に見ているのか。そうでもない気がする。どこかで見た風景だなと思っている。自分自身は決定的に貧しい生活を経験していないかも知れないけれど、自分自身は会社に雇われて生きる生活を選んだのだけど、今の自分とは全く違う生き方、生活の仕方をまだ身近で見てきた。小学校の友達のお母さんが内職をしていたり、一人で留守番をしていたりした。中学から高校に進む段階で、高校を卒業したら働くもの、進学するものが明確に分けられた。個人商店主や中小の工場が隣近所にあった。いつの間にか会社勤めが主流になった世の中に生きていて、自分の子供にもそれを勧めながらも、ひと時代前だったら違う道もあったんだけどなと思う自分がいる。では別の道、違う世の中、少しでも望ましい社会を目指して、市民運動やボランティアに邁進することにも醒めていたりする。「みんなで何か」に醒めているのかもしれない。私の周囲にいる人間が特殊だということは大いにあり得るけれど、それでも団塊の世代と団塊ジュニアにサンドイッチされて、「一緒に何か」するにはボリューム不足だということもある。

 だけども、だからこそ、今の50歳代は面白いことができる可能性がある(と自分が信じたい)。正確にいえば50歳の10年間をかけて、60歳からの20年を楽しむ準備ができる、そういう意味でも可能性の時期なのだ。確かに1950年代の30歳に比べれば、体力は落ちている。世間的には将来を楽観できる時代ではない。社会とともに自分の生活が良くなるなんて希望をもてるほど初心でもない。大きなマスとして人が動くと、とんでもない騒ぎになることを実感してきたはずでもある(オイルショックの時のトイレットペーパー騒ぎといい、バブルの浮かれ騒ぎといい)。逆にたった一人のほんの少しの行動が、連鎖的にいろんな人に伝わることをどこかで感じとってもいる。パンチシートとして、データがコンピューターから吐き出される時代から、家のパソコンで世界とつながる時代まで体感してきた。その中で変わったコミュニケーションもあれば、案外変わらないコミュニケーションもあることを肌触りとして知っている。上下を見回してみれば、結構経験豊かで、辛口で、シャイで、斜め目線の人間になっていることが多い。大阪弁の「ほんまにそうなん?」を口癖にしている、けれどなかなか行動にはでれない。でも本当は行動したい。

 ならば10年かけていいじゃないか。10年かかっても余命は20年ある。自分なりに面白い余生を送る準備を始めよう。子供のことはもう放っておくに限る。兎にも角にも20歳あたりまで育てたのなら、そろそろ子離れしよう。頼りないように見えても、案外一人で立てるはずだ。ヨロヨロしても放っておけば、そのうち一人でなんとかするようになる。(むしろ子供の方が親が自由になることを望んでいるのじゃないだろうか)。お金がそんなに役に立たないことは、バブルを見てきてわかっているはずだ。会社人脈が頼りにならないことも、先輩や周りを見て痛感しているはずだ。先に退職を迎えた男性が「濡れ落ち葉」といわれ、専業主婦が図々しい「オバタリアン」呼ばわりされたのを見てきた世代だ。付け焼き刃の格好よさが、いかに儚いかも実感しているんじゃないか?(LEONのちょいワルおやじを気取っても、所詮、足の長さは変わらない。美魔女なんていわれても、首筋は年齢を隠せない)。「自分らしく」という言葉の虚しさも知っているはずだ(「~行きます!」といったかと思えば「父親にも殴られたことがないのに」と目にうっすら涙を浮かべる男の子に肩入れしてきた世代だし)。「何か」になろうとすることにも、「何か」を掲げて大声を上げることにも、どこか疑問を覚えてきたのなら、「何か」をすることを楽しむために準備を始めないか。今までどこかで漠然と感じてきた違和感が「何なのか」確かめること、確かめるための準備を始めないか。
 定年は日本独特の人為的制度だから、定年を超えても元気なのだから働きましょう、老後が大変ですよ…なんていわれるけど、私は定年って案外いい制度だと思う。60歳=還暦。暦が一巡りしたのだから、生まれ変わっていいじゃないか。生まれてくる前に、準備段階があったのかなかったのか、生まれる前だからわからないけれど、暦が一回りして生まれ変わるときは、準備ができる。新人類と(たぶん初めて)呼ばれた世代だから、本当に新人類になってみないか。別段特別なことではなく、単純に「今自分がしたいけど、今の自分ではできないこと」が何かを確かめるだけ。そして本当にしたいことだったら、それができるように準備を整えていくだけ。1年後といわれるとキツイけれど10年後なら準備期間はたっぷりある。ゆっくり確実に、自分と周りを整えていけばいい。たぶん10年はいらない。準備しているうちに機会の方がやってくる。思ったより早く。思ったよりもスムーズに。一歩踏み出すことは怖いことではない。なぜってどうせ残された時間の方が少ないんだ。手にすることよりも手放すことの方が多くなっていく。50歳代はどう転んでもそういう時期なのだから。

「きょうどう」すること

今回のテーマを依頼された時、「きょうどう」を変換すると「共同、協働、経堂、教導、…」と色々出てきますねと言われて、成る程、日本語は賢いなと思った。どの「きょうどう」を取り上げても「きょうどう」の側面を表していると思ったからだ。「何か」を共に目的にしている、同じ目的等を目指して力を合わせている、目指すところを文書にして残しておく、足り無いところを教え導く…。どれも「きょうどう」の場であり得る行為だ。でも、それだけが「きょうどう」ではない気がするし、ともすれば「きょうどう」から外れてしまうようなものもある。「きょうどう」という言葉自体は毎日のように目にするし、耳にするのだけれど、その意味だとか内容を説明しようとすると、途端に言葉が足り無いような、無駄なようなもどかしい思いになる。なぜなんだろう。もちろん、この言葉が外来語だということは大きいと思う。ではと、英語ではどういうのだろうと改めて辞書を引いてみると、cooperation,  joint,  collaboration, community, company, united, publicとこちらも様々だ。

 今話題の農協も農業共同組合だし、今や巨大なグローバル会社のサンキストも最初は農家の共同組織だった。でも農協やサンキストが「きょうどう」の組織だというイメージはない。農家の共同といえば「講」があるが、これはどちらかというとゆるい助け合いの組織だったり、相互保険の場だったりする。「きょうどう」のイメージに少し近いが、そのままというわけではない。こういう風にどれが「きょうどう」にぴったりするものなのかと探っていくと、玉ねぎの皮むきをしている感じだ。

 なぜなんだろう。多分答えは簡単で、これまで書いてきたものと重複する。きょうどうは動きや構え(心や身体の)で、時と場所によって姿を変えてしまうから。一つの言葉で捉えるには複雑すぎるから。

 だとしたら、答えではなく問いを立て直そう。「きょうどうではない」こととはどんなことだろう。「きょうどうしない」と「きょうどうではない」はいささか意味が違う。きょうどうしないといえば、敵対・対立・裏切り…単に同じ目的を持たない、同じことをしないのではなく、積極的に「向こう側」の立場に立って動くこと。これに対して「~ではない」は「~である」以外のすべてという意味合いを持っている。「きょうどうではない」には、最初にあげた漢字が表すものも入ってくる。教導。教える側に立っている方が一方的に教えると、きょうどうではない。同時に導かれる方が、導かれるままでいればきょうどうではない。経堂。目指すところを文書にしておいても、誰も見ないならば、当初のきょうどうではなくなる。では他の漢字たち、あるいは英語たちはどうなのだろう。いつどういう時に「きょうどうではない」になるのだろう。「協働」。「俺たち、一緒にやる仲間だろ、解れよ」。日本でよくある例の「空気読めよ」。これが出てくると「きょうどうではない」だろう。でも空気を読むこと、仲間のやっていることを解っていること、それ自体は「きょうどう」に必要ではないだろうか。「協働」collaboraiton、コラボする時、相手が何をしたいのか、何を目指しているのか、言葉で分かち合う暇などない、アドリブが必要な時もある。ライブのセッションはこれで出来上がっていると言っていいのだろう。指揮者も楽譜もない、その場限りの、絶妙なタイミングで入るリフには総毛が立つ。ステージの上も下もない瞬間。それは「きょうどう」の一瞬でもある。誰も意図していない、でも誰もが参加している、その一瞬。それを作り上げているのは暗黙の空気だし、その場の仲間(観客も含めて)が何を求めているのかを瞬間的に察することだ。でも、これは一瞬の「きょうどう」だ。その一瞬を無理やり継続しようとすると、どこかに無理が来る。絶妙な一瞬は一瞬だから絶妙なのだ。この頃の表記で書けばネ申を継続させることはネ申でない人間には無茶だ。やろうとすると先に書いた「空気読め」になるか、カルト的な組織になってしまう(別段宗教の体裁をとっていなくても、何かが万能の存在でそれ以外のものは全てダメだというやり方は、カルト的だと私は思っている)。

 joint(ジョイント)という英語は耳慣れないけれど、何かをつなげて一緒にやることだから、日本語の協同に近いかもしれない。日本では珍しいかもしれないが、ジョイントパートナーシップといって全く同一の権限を持って、事務所を運営していくというやり方がある。対等の立場、対等の関係がパートナーシップだから、協同よりも共同に近いのかもしれない。私が研究しているミルは将来の労働像をパートナーシップに求めている。互いに同等の立場で、ただし役割権限は互いが納得した上で分担する。ときに役割分担が暗黙のうちに交代することもある。求めるものが異なってしまったと思えば、解散する。それがパートナーシップだという。ついでに彼にとっては婚姻関係もパートナーシップだ。だから互いに求めるものが違っていたり、愛情が消えてしまったり、一方的な権力関係に陥ったりしてしまえば、解消するのが当然なものである。こんなミルからすれば「仮面夫婦」や「上司の命令で…」はパートナーシップではない。となると、今ある働くための組織の大部分は「きょうどうではない」方に入りそうだ。ジョイントストックカンパニーは株式会社なのだが、本当にジョイントしているのは株の利益だけのところがほとんど(いやそれさえも怪しいのかもしれない。その会社の株からの利益じゃなくて、売買益が目的なら、株もジョイントしていないのだろう)。

 さて「きょうどうではない」の代表格をあげてみたのだが、みんなはどの「きょうどうではない」が一番気になるだろう。役割分担が固定化している・一方的権力関係がある・空気を強制される・教え込まれる…。その一番気になる「きょうどうではない」は案外みんな(私も含めて)自身が、自分の身近であるいは自分自身でやってしまっている「きょうどうではない」かもしれない。人間の無意識は面白いことに、自分の嫌いなこと(嫌いなところ)を目の前にすると、それが気になって仕方がなくなるようにできているらしい。

 私が気になっているのは「教導」だ。教員という職業はどうしても「教導」してしまう。知識や方法、考え方は所詮「教え・教わる」ものではなく「身につける」ものだとわかっていても、「わかってほしい」「身につけてほしい」が先に立つ。そうなった途端、私は教えるものになってしまい、教わることがなくなってしまう。相手は教えて貰えばいいになり、教わろうとはしなくなる。それが目に見えていても、教えることもある。けれど、正直に言えばそれは教えているのではなく、愚痴を言っているだけなんだ。「教える側」「教わる側」となった途端、教室やゼミ室にいる人間の顔がみんな一色に見えてしまう。そういう事態が何度かあって、そのたびに嫌になるんだが、なかなか脱することはできない。そんな風に自分で一番気になっているから、時々他人のそれも気になる。たとえば難民支援・災害支援の報道、障害者に関する報道。自分たちが「助ける側」だと決めた途端、役割は固定し、行動は型になり、自分も相手もレッテルとしての存在になる。「助ける側」ー「助けられる側」のレッテル以外の存在としては、互いに関わりを持たなくなるということだ。教導があっても「きょうどうではない」関係で終わってしまう。それはすごく残念なことだ。とくに「教える側」「助ける側」にとって残念なことだ。なぜなら、そこで自分の成長が終わってしまうから。学ぶこと、助けられることを忘れてしまうから。

 なんらかの意味で優位な側にいる(先進国出身だとか、知識を持っているだとか)と、自分が全てにおいて優位だと思い込んでしまいがちだ。それは「きょうどうではない」仕組みしか生み出さない。けれど自分がなんらかの意味で優位だという意識は捨てがたい。正直人間はどこかで自分が他より上だと思いたがっている。たとえそれがどんなちっぽけなこと(親の社会的地位だとか、偏差値だとか)であってもだ。それは助けられる側でも同じなんだろう。「世界の矛盾や困難を一手に引き受けている我らを助けることで、おまえたちは神の国に行けるのだ」という理屈は十分に成り立つし、実際に成り立っている社会がある。助けられる側にも、優位の意識はあり得るし、当然のことだろう。大は国際的援助から小はクラスルームやご近所付き合いまで、人が集まるところには優位性の競争がある。そのなかで「きょうどうではない」ものから「きょうどう」を作り出すにはどうすればいいのか。

 私にも答はない。けれど少なくともアンテナを立てておくこと、他の人間がやることに疑問(?の疑問ではなく!の疑問。そんなやり方があったのか!という驚きを持った疑問)を持つこと。そして不思議なこと、!なことや?なことを当人に聞いてみること。ようは当たり前のコミュニケーションの基本を大事にすること。そして「待つ」こと。一番難しいけれど、結果がわかるのは早くて10年先ぐらいの気持ちでいること。最後に「あきらめない」こと。何度「きょうどうではない」になっても、いつかどこかで…と何度でもやり直してみる、仕切り直してみること。そのうちに答が見えてくるさ~と楽観的にあきらめないことが肝心なのかなと思う。

パッケージと包む

失われた30年、活力のない若者の反動なのか、オリンピックを盛り上げるためなのかは知らないが、近頃某N_Kまでが「外国人が驚く日本のすごいところ」を取り上げる。その中に出てきたかどうかは知らないが、包装紙一枚であらゆるものをきちんとパッケージする、あの技は世界的に例のないものだと思う。町の雑貨屋や文房具屋に行けば、パッケージやラッピングに使うグッズが花盛りだ。高級なところだけではない。昨冬焼き芋を買ったら、きちんとコーン型に畳まれた新聞紙、それも外国新聞紙に入っていてびっくりした(たった100円なのに)。

 日本でもこれほどパッケージが美々しくなったのは、ここ50年ほどのことだろうと思う。ただ日常的にこうした美しく使いやすいパッケージが当然の世界に生きているからだろうか、日本では全てが「美しく、カドも綺麗なパッケージ」に入っているのが当然という風潮があるような気がする。プレゼントならばそれもいいのだが、情報まで「綺麗なパッケージ」に入ったものがいいとなると、これはちょっと困りものだ。

 動画や動画付きの投稿サイト、まとめサイトにウィキペディア。これらはまぁ当然として、官公庁のホームページに置かれているパンフレットの類も含めたい。特徴としては、パッと見てわかりやすい図(動画)や言葉が書かれていること。文章が長くないこと。体裁が整っていること。官公庁の部類は別として、リツイートされたり、「いいね」されている数が多いこと。そして一番肝心なことなのかもしれないのが、グーグル検索でトップ10位に入っていること。インターネットならば、こうしたものがパッケージに入った情報になる。テレビのニュースなら…テロップ(死語?)。画面の中の人がしゃべっているときに下に流れる字幕。あの字幕だけ見ていれば、わざわざ前後の発言に耳を傾けていなくても大丈夫。新聞ならば1面の見出しかな?週刊誌なら吊り広告。どれもコンパクトで、短い注意だけで「わかった」と思えるもの。

 なにが分かったのかと改めて問い直されると、自分でもなにが分かったのかよく分からない。でもネットの画面を見ているとき、テレビを見ているとき、広告を眺めているとき。「あぁなるほどね」と思う。「あ、そうだったんだ」と納得する。パッケージが綺麗だというだけで、何かが分かった気になるというと、言い過ぎなのかもしれない。けれど、パッケージが綺麗、つまり余分の手間をかけずに済めば済むほど、それ以上の探索をしなくなる。そしてパッケージの情報以上の情報は「探す必要がない」情報だと思い始める。実際の旅行であっても、パッケージ情報以外のところに行こうとはしない。というより情報がないところは行く価値がない、極論すると「ない」場所になってしまう。

 昔、いわゆるマスコミのない時代、情報は生でしかなかった。だから誤りが多かったし、枝葉がてんこ盛りに茂っていた(のだと思う)。噂話や幽霊話、言い伝えに「昔ある時に」から始まる話。そんな話の中から、自分なりの経験で自分なりの生を作っていかなくてはならなかった。もちろん一人でできる作業ではない。同じようなコトをしている仲間(それは村単位かもしれないし、性別・年代別、あるいは同業種の集まりかもしれない)が寄ってたかって、大風呂敷を広げては畳み、畳んでは広げしながら、枝葉を落としたり、隙間をなんとかかんとか押さえたりしながら、自分たちに役に立つものとしてまとめて、包みあげていく。そんな形で情報と付き合っていたのだろう。今でもこうした方式で情報と付き合っている人は多い。大概は自然という人間を包み込んでいるものと、直面しなくてはならない機会が多い人だ。日本だと農・林・漁業の現場に限られるかもしれない。がアジア各地だとまだまだ日常生活で自然に包まれている(それは決してリラックスできる環境ではない)。情報を包みながら日常を送っている人たちの方が多いかもしれない。

 情報を包むことと、情報をパッケージすることとは、大きな違いがある。パッケージにする場合は、パッケージの形態があらかじめ決まっている。自主規制のことではない。見やすく滑らかにするための形態(文字の大きさ、字数、一度に処理できる情報量)があるということだ。形態の中に収めるために、複雑な背景は切り縮められれる。あるいは抹消される。データも結論に合わせて加工される。情報を加工して、結論に至りやすい道筋に印をつけておくだけ…だから情報を偽装するわけではない(はずだ)。包む場合はどうだろう。まず何が重要なのかわからないから、枝葉を最初っから切ってしまうわけにはいかない。マルッと包み込もうとしても、「生」だから動いている(語句上の洒落ではなくて、生の情報は一瞬一秒で変わるものだ)。落ち着き先の形態もわかっていない。なんだかんだと取っ組み合って…ということを毎回繰り返す。その中で体感として情報との付き合い方を覚えていく。そんな情報が蓄積していった結果が口伝だ。口伝は聞いただけでは何を意味しているのかわからない場合が多い。実際にその場に立って体験を続けていかないと口伝の意味合いはわからない。

 パッケージ情報はスベスベとして付き合いやすい。それに科学的な理屈にバックアップされている。最初に書いたようにパッケージ情報だと考えずに済むから楽だ。だから、今の日本ではパッケージ情報が流通しやすい。口伝といった包まれた情報は何を表しているのかよく分からない。包まれた情報を自分の生身で持って解読する必要がある。手間がかかるし、考えなくてはいけない。天気予報がパッケージ情報だとすると、「あの山に雲がかかるとそろそろ…」というのが包まれた情報だ。スマホが普及しSNSを利用した情報収集が行われ、天気予報の精度は上がってきている。それでも天気予報は今・ここの数時間後あるいは数分後の天気には弱い。なぜなら、天候を左右する条件が複雑すぎるからだ。あくまでも大雑把な予想しかできない。その大雑把な予報にこの頃精度が求められるものだから、10%の降水確率何て予報になる。10%なら傘がいらないかというと、夏の夕立・冬の時雨にあったりする。でもそれは天気予報が悪いわけではない。初めから確率でしかないといっているのだ。まして夕立のような短時間の驟雨は、24時間のうち2時間だけのことが多いのだから、なおさら文句は言えない。

 今の日本に限らず、先進科学が蔓延しているところだと、人は天気予報を当てにする。そしてそれで十分だったりする(突然の驟雨にはコンビニで傘)。それでも想定外の災害が起こるものだから、ラジオやテレビで「突然空気が冷たくなったら豪雨の恐れがあります」と口伝を、包むやり方を教えている。でも、木立の前を通っても、打ち水をした道を通っても、冷房が効いたデパートの自動扉の前を通っても「突然空気が冷たくなる」。揚げ足取り、というかもしれない。そう、この事例は揚げ足取りだ。でも豪雨や驟雨の前の空気の冷たさと他の空気の冷たさをどう伝えたらいい?雨の匂い。それもある。が、雨の匂いってどんな匂いだろう。足首をさっとすり抜ける、ベタッとしている風。うん、私ならそう説明する。なぜって瀬戸内あたりではそうだから。でも高知ではどうだろうね。埼玉や熊谷ではどうなんだろう。北海道では?日頃体感している風は土地によって質が違うはずだ。そして「そろそろ」と予報できるのは、口伝を体感している人だ。観天望気という言葉の通り、雲の形、空気の温度や湿度を感じ、自分の今までの経験と蓄積された経験である口伝をすり合わせて、「そろそろ…」という。だから情報を包む方法は土地によって違うだけじゃない。その人なりの包み方がある。こちらは口伝にならないので、残ることは少ないけれど「~の芸風は」なんていうのがそれに近い(周囲の人の中に立ち居振る舞いが綺麗な人、一目見てこれはあの人がやった仕事と分かる人がいないだろうか)。こんな複雑で正体がわからない情報との付き合い方が、スピードと効率そしてわかりやすくが優先される世の中で、廃れていったのは無理もないかもしれない。

 でも、包むやり方の根幹、なんだかわからないものに対処するときのやり方は捨ててはいけないと思う。それはどこであれ生き残るためのやり方のはずだからだ。「そろそろ」と予報できる人が、「そろそろ…」という時、その「そろそろ」に従った方が無難であることが多い。「そろそろ」で始まる事態は、大概その場で生き続けるために避けなくてはならない(あるいは実行しなくてはいけない)事態だからだ。その判断の根幹にあるのは、複雑な事態や事象の中で、自分自身の中で形成された経験や智慧を、今・ここの事態や事象とすり合わせることだ。それは硬いパッケージではできない。かつての「無駄」を切り捨て、複雑さを縮小したパッケージには、今・ここの複雑さに対処できるだけの余裕がない(天気予報が今・ここに対処できないように)。包むやり方の根幹にある対処の仕方。それは複雑さを捨てないこと、訳のわからないものを訳のわからないものとして受け止めること、すべて分かったと思わないこと、そして自分で今あるここを感じ、考えることだと思う。

「活」ー人工でもなく、天然でもない

活」という漢字。いろんなところで目にする。一番多いのは「活魚」「活ホタテ」といった看板類。近頃やたらと多いのが「活性化」。こちらの方は店頭ではなく、テレビや紙面で目にする事が多い。一方で魚介類の鮮度を誇る漢字、一方でなにやら人が沢山いる(賑わっている)事態を表す漢字。一体本来の意味はどうなっているのだろうと思って『字源』をあたってみた。

 「活」:生存する、蘇る、勢いが強い、生気に満ちる。右側は舌ではなく、丸ノミで削ったその後をあわらす字。勢いのある様を表すのだそうだ。そこに水を表すさんずい偏が付いているのだから、奔流がほとばしるかのように下って行く様が「活」なのだろう。さらに字典をたどって行くと「活句」といった言葉に出会う。文章や詩の中で、その言葉があるから全体が生き生きとしてくる、そういう一句を「活句」というのだそうだ。

 さて字源を尋ねれば成る程、ピチピチの鮮魚だから活魚は納得である。だけど活性化の方はどうだろう。確かに蘇るという意味がある。一旦衰えたものを再度復活させよう、賑わいを取り戻そうという意味合いで使われるのも納得できる。ただ取り戻すべき賑わいを表すもう一つの活、「活気」と「活性化」とでは「活」が微妙に色が変わっているような気がする。例えていえば天然染料の青と人工染料の青の違いみたいな感じだ。色の鮮やかさ、色あせのしにくさは人工染料に軍配があがるのだが…「なんとなく…ね、違うのよね…鮮やかすぎるっていうか…」と戸惑う時のあの気分。あの戸惑いを感じる違いを「活気」と「活性化」の間でも感じてしまう。

 それは人の手が入っていないという意味合いではない。天然染料だって、人の手を経なければ「色」がでないのだからそこは同じだと思う。人の手が入っている・いないではなく、人の意図だけで出来上がっているのか、人の意図以外のものが働いているのかが、その違いなのではないかと思う。なんだか禅問答みたいになってきたけれど、染料の例えをこのまま続けて説明してみたい。

 人工染料は天然染料の成分分析を経て誕生したものだ。どの成分が必要で、その成分をどのように組み合わせれば、人間が望む「青」を手に入れることができるのかを追求した結果出来上がったものだと言っても良い。現在の人工染料はその上に色あせがしない、にじみにくい、色落ちがしないといった機能が付け加わり、ますます「便利な」「手軽な」染料になっている。極端にいえば、誰がいつ使っても、使い方さえ間違えなければ、世界中で同じ「青」ができる。人間の意図に限りなく100%に近い出来上がりが保証されている。天然染料だとこうはいかない。例えば藍で青色に染めることを想像してみよう。藍から取れる染料に布を付けただけでは「青」にはならない。灰汁などの媒染剤がいるということではない。瓶覗(かめのぞき)という色目があるように、1度目はごくごく薄い青ともいえぬ青色になる。何度つけたら「青」になるのかは、その時々の天候や温度湿度に左右される。ココと決めてあげても望み通りの青ができるかどうかは、染め上がるまで確証が持てない。なぜこんなことが起こるかというと、布を染め上げているのは人間だけではないからだ。先ほど挙げた天候、つまり自然が勝手に手を出してくる。その手の出し方は一様ではないし、予想も難しい。だから天然染めには味が出る…というと聞こえはいいが、マダラあり、染め抜けあり、色落ちありで、染め上がってからも付き合いが必要だ。

 さて、活性化には必ず出来上がり予想図がある。この予想図に限りなく結果を近づけようとして工夫を凝らすのが「活性化策」になる。出来上がり予想図はこれまでの成功例をモデルとしたものだ。数々の成功例の中から、これが成功の要素だ!と思えるものを抽出し、活性化しようとしている対象地区に当てはめる。もちろん海がない、山がない、特産物が違うという要素は考慮されるが、それは代替可能なものである。「ひこにゃん」が当たった後のご当地キャラクターを「ゆるキャラ」と一まとめにすることができるのも、「ご当地名物」+「なんらかの動物らしきもの」+「癒し系的」といった共通要素があるからだ(鰹人間やふなっしーが妙に目立つのは、共通要素から外れてしまっているからでもある)。「くまモン」のように周到な計画のもとに確立されたキャラクターもある(おかげで「くまモン」がどこのご当地キャラクターなのか、この頃だんだん不明になっている気もする)。活性化策が成功すれば、人が大勢やってきて賑わいが生まれる。結果的に衰退していたその土地が永続的に発展する契機を作ることができる。そういう人間の意図のもとに製作され、実行されていくのが活性化だ。

 「活気」はもう少し曖昧なもののような気がする。確かに人の多い商店街は「活気がある」といわれる。人気のないシャッター通りは活気がない。けれど、この二つの通りの違いは、人の数だけで決まっているのだろうか。東京新宿西口の朝出勤時刻。おそらく日本中で一番人出が多いところだ。その新宿西口の通勤風景は「活気ある」風景だといえるだろうか。あるいは山の手線の駅でもいい。通勤ラッシュの人混みは殺人的とさえいわれる。人数の多さ、人々が目的を持って急ぐスピード、どれを取っても勢いのある風景だ。けれどなぜか「活気がある」という言葉を使うのがはばかられる。なぜだろう。同じ人数がいて、同じように混雑していても、TDLの風景を活気にあふれていますと表現するのにあまり違和感がないのに、山の手線や新宿西口通勤風景を活気にあふれていると言いにくいのだとすれば、その相違はただ一つ「そこが目的なのか」だ。通勤客の目的は駅や西口そのものではない。そこは通過点だ。だからできるだけ多くの人数を効率よく運んでくれればいい。人間もそこでは運搬される荷物(自分で運搬しているけど)でしかない。一方のTDLはそこが目的である。そこにいる人間は荷物ではなくて、それぞれ自分流の何かを楽しむことを目的としている。「楽しみたい」「楽しもう」「ここは楽しい場所だ」、そう思っている人の姿はイキイキしている。

 TDLはそういう仕掛けを人工的に作り出している。その点では活性化策に近い。そしてそこに集まる人はTDLという「夢の国」=現実世界ではないところを楽しむために集まっている。そういう点ではTDLは隅々まで人の意図を徹底した「夢の国」である(活性化策の多くがどことなくテーマパークに似てくるのはそのためかもしれない)。

 これに対して商店街の活気はどうだろうか?確かに人は商店街に「買い物」にやってくる。日頃目にしない服飾雑貨を手にしたり、はやりの飲食店を目当てにやってくる人もいる。こうした人たちによる活気はテーマーパーク的だ。無目的に見えて目的がある。ところがこうしたテーマパーク的に活気がある商店街の裏には住宅地がないことが多い。かつてあったにしろ、だんだん少なくなっていく。なにしろ休日ともなれば車も人もいっぱいになるのだから、住んでいる住人はたまらないのだろう。より静かな場所を求めて人が出て行く。そしてテーマーパーク的仕掛けが二兎を呼べなくなってくると…平日の買い物客に乏しい商店街は一挙に活気のない商店街になる。
 TDL的商店街ではないが活気のある商店街もある。大概は無秩序に広がっていることが多い。平日昼間は人通りも少ない。シャッター街一歩手前にも見える。けれど、どことなく人の暮らしの気配が漂っていて、一概にシャッター通りといえない雰囲気がある。暇そうにしてる魚屋は夕方の惣菜の仕込みをぼちぼち始めている。店の中で常連客とお茶を飲んで、かれこれ1時間以上しゃべっている婦人服の女将さんがいる。そんな雰囲気が通りを歩いていると、どこからともなく漂ってくる。「ああ、繁盛しているんだな~たぶん」と思わせる、そんな「気配」がある。

 こうした静かな活気はなかなかわからない。そこに住んでいる人も自分たちのところが活気があるとは思っていないかもしれない。なぜなら「誰かが意図を持って」作っていないからだ。誰かの意図を反映していないから、人が作ったとは言えない。けれどそれを作っているのは人でもある。こうした静かな活気がどうやってできるのか、誰も明確な処方箋を書くことができない。生み出そうと思っても、必ず生み出せるとは限らない。天然染料の青に似たところがある。人以外の何かが「活気」を生み出している。それは、人と人との間で自然と醸し出される何かとしか言いようがないものだ。

 静かな活気は商店街に限らない。地方のひっそりとした家並みに、田畑に感じることもある。自然が豊かなのではない。自然がよく手入れされているのだ。人の手がマメに入っていることがよくわかる土地。人が人と、そして人以外のものと会話していることがわかる土地。そこには静かな活気がゆっくりと息づいている。

 20世紀、人間は常に意図と目的を持って行動をしてきた。人間以外のものは意図と目的に従うものだった。その時代の活気は意図と目的を同じにしている人が大勢集まっていることだった。これからの時代、多くの人が全く同じ意図、全く同じ目的で、同じ方向を向いて歩くことは期待できない。では活気がなくなるかというと、そうではないと思う。目的はバラバラだけど、そこで自活しようと集まってきた人たちが、人同士と、周囲の人以外のものたちと、ゆっくり付き合うことで醸し出される静かな活気が、もっと重要になってくると思うからだ。実際「活」には生業で生きているという意味もあるのだから。

「地域」の「計画」

地域計画という言葉にはどこか古めかしい印象がある。もっともそう思うのは行動成長期に生まれ、農村地域だとか第○次計画と言った言葉を習ってきたせいかもしれない。ともあれ、地域にしろ計画にしろ、各々の単語は今まで使われてきた言葉だ。

 まず「地域」を取り上げてみよう。地域には行政区画、集落区画のように地続きになった土地をまとめて呼んだり、商業地域、工業地域のようにその土地の性格でひとくくりにしたものもある。このところ衆目を集めている言葉では、地域ブランドに地域資源がある。何れにしても地域の特徴は「地続き」にある。地域資源と資源は付いているが、石油や金、ダイヤモンドと言った資源のように国境をまたいで存在するわけではない。同じように蕎麦が売り物だからといって信州と出雲を同じ地域としてひとくくりにして、活性化しようとは誰も思わないだろう。地域という言葉には土地に区画線を引いて、内と外に分けることが含まれている。地続きの地域が、地域資源をブランド化(地域ブランド)して、生き残りを図るというのがここ数年の動きだ。この方向性に本当に生き残りの可能性はあるのだろうか。私自身は低いと思っている。0だとは言わないまでも、極めて低いと思っている。こうした地域の活性化には二つの障壁があると思うからだ。一つは「金太郎飴」、もう一つは「人材不足」という壁である。

 この二つの壁を説明する必要はないと思う。が、なぜ金太郎飴になるのか、人材不足は何なのかは説明しておきたい。地域ブランドにしろ地域活性化にしろ、掛け声は「その土地特有の良さを活かす」である。けれど何がその地域特有の良さなのかは自分たちで考えなくてはいけない。ところが大概「そんなものはない」「何が良いのかわらかない」という答えが返ってくる。そこでいち早く成功した地域へ視察旅行が始まる。そして「あれが良かった。自分の地域でもあれを」になる。農家が競争的に出荷する産直市が成功すれば産直市を、ゆるキャラはいうまでもなく、擬人化キャラを募集し…とどこかで見たような企画がならぶことになる。さらにこうした金太郎飴企画を策定しているのが、東京の某大手広告会社の出先機関だったりする。地元に人はいないのか?という声が上がりそうだが、すでに流出済みか、いても「信用」されていなかったりする(この田舎にそんな才能のある奴はいないはずというわけだ)。ようは金太郎飴と人材不足は根っこが同じなのである。「内向き志向」という根っこを同じにしているのだ。

 この内向き志向という奴は、思っている以上に厄介なところがある。前も書いたことがあるが日本という土地は「外から良いものがやってくる」土地である(ユーラシア大陸の吹き溜まりといった人がいるが、言い得て妙だ)。だから良いものを生み出そうとするときに、「外のものを模倣する」という性向をどうしても持ってしまう。そのこと自体は決して悪いことではない。しかしその性向が行きすぎて、自分たちで課題を解決しようとせずに「外から来る良いものを待っている」となると話は別である。砂漠に頭を突っ込むダチョウと同じで、逃げているようで逃げていないことになる。そして残念ながら、現在の日本ではどこの地域でもこの行きすぎた内向き志向が強い(東京は?と聞かれるかもしれないが、東京こそ「外からの良いもの」を待っているところじゃないかと思う。変に「方言」が流行り、NYやどこやらで流行った「健康的な」「環境に優しい」ナントカカントカがすぐに進出して、歓迎される)。

 では「計画」の方はどうだろう。近頃は教育現場でも税金等費用をかける(金を払う)のだから、それに見合う実績をというわけで、PDCAが叫ばれている(PDCAとPTSDとよく取り違えてしまうのだが、私の深層心理がそうさせているのだろうか?)。PDCAが典型的だが、まずしっかりとした計画を立てて、計画通りに進んでいるか、進まなかったらその原因は何か…という文脈で計画は使われる。それがマズイわけではない。マズイわけではないのだが…得てして「計画倒れ」が起こったり、計画通りにいかなかったときの「隠蔽」が起こったりする。どうも日本(政府だけでなく個々人も)は計画性をもって事にあたり、事実を冷静に客観的に検証し、原因となる「こと」(人ではなく)を追求するのが苦手なのではないかと思う。ついでに言うと、確証がない印象論なのだが、鰯のような小魚を食べるていると「ザッと」してしまうのではないか、綿密な計画を立てて…ということは苦手になってしまうのではないかと思ったりもしている(ヨーロッパだとイタリア・ギリシア・ポルトガル・スペイン…財政破綻したところばかりー笑)。ただ、こうした綿密な計画だけが計画ではないと私は考えている。ザッとしたなりの計画があっても良い。ザッとしたなりの計画は、破れが多いしその場でつくろわなくてはいけないし、いったい最初はどこを目指していたんだというところが出てくる。が、ザッとしたなりに何となく、キチッとはしていないけれど、取り敢えずのことはできる。やりながら考えるのか、考えながらやっているのか、やってから考えるのかの別はあれ、考えてはいる。そしてザッとなりでよければ、地域は「土地続き」の「内向き志向」から脱出できるかもしれないと考えている。

 綿密に考えれば地域は地続きで一体になれるところだし、何か共通項がキチンとあって、目的を共有して、プランやビジョンを立てて活性化しなくてはいけないところだ。(ここでは「活性化」が何を目指してかは問わないでおこう。話が長くなるから)。でも、ザッとでよければ、「問題や課題が一緒のところ」でも「気候や特産物が似ているところ」でも「歴史的に縁ー因縁も含めてーがあるところ」でも、繋げる要素はでてくる。実際に藩主の縁続きで共同して地域おこしをやっているところがある。東北仙台と四国宇和島だ(双方とも伊達氏)。

 だとすれば換金できる地域産業に乏しい、若者がいなくなる、女性が貧しいといった課題ごとに、土地を飛び越えて連携することも可能なのではないか。連携主体は自治体でなくていい。その土地に住んでいるごく一部の人でもいい。いやむしろ少数のほうがいいかもしれない。少数のコアとなる人が動き出すと、内向き志向の地域では大概「孤立」という運命が待ち受けている。より正確に言えば、尖った面白いコアな動きをすればするほど、内向き志向から浮き上がることになる。今まではそこからその地域で活動を広げることが大変なことだった。けれど、もうそれは必要ないのではないだろうか。ある地域にいながら、その地域とは別の地域とつながっている。それは日本の他の地域でもいいし、アジアでもいいし、アフリカでもいい(先進国でないほうが面白いと思う)。課題の解決方法を共有する必要すらない。ザッとしたものでいいのだ。極端な話、「俺ら、こんな面白いことやってるけど、あんたとこは?」「うちとこは、こんなんしてるで。なかなか売れへんけど」「同じやな」で始まって全く構わないと思う。大事なのは実際にやっている、やってみた経験の交換、知恵の交換である。

 ちょっと妄想してみる。フィリピンにユネスコ世界遺産に登録されているコルディエラの棚田がある。世界遺産になったものの、現金収入を求めて若者が流出し、耕作放棄地や畑になるところが続出。一時危機遺産リストに登録されたことがある。2012年に危機リストからは外れたものの、今でも課題は山積みだ。棚田を維持するためには石積みの技術が必要だが、その技術を継承している人が減ってきているなど、私が学生と一緒に行っている里山も同様だ。作っている作物や規模は違っても、日本各地の棚田も同様である。だとすれば、お互いに技術の継承し合いっこは出来ないだろうか?日本とフィリピンでは天候も違う、使う石も違うだろう。でもザッと「石積みをする」ところでは何か共通のものがあるかもしれない。たとえ片一方で技術がなくなったとしても、もう一方が継承していれば、またその技術を応用して復活させることも可能かもしれない。あるいは「石」でなくてもいいかも?という新しい知恵が生まれるかもしれない(ペットボトルの再利用なんてことが起こったら妙に面白い風景が出来上がりそうだー耐荷重的に無理だろうが)。

 妄想である。妄想ではあるけれど、日本に限らず地続きという性格を持つゆえに、どうしても内向きになってしまう「地域」を活かすためには「外」という要素が不可欠だということは、これまでも言われ続けたことだ。今問われているのは、外とどう繋がるかという繋がり方のための計画だと思う。かつての地域連携は、連携地域が遠すぎて実効性がない(姉妹都市など)か、最終的に合併を視野に入れたものだった。結局「外」をなくしてしまったのだ。「外」を無くさずに「外」と繋がるための緩やかな方策。どこか一地域と固定的につながるのではなく、多くの地域とゆる~く、でも手放さずに繋がっていける方策。そんな方策がこれからの地域計画なのではないかと私は思っている。

冒険

 冒険と聞くと大概危険なこと、大変だけど見返りとなる栄誉や利益がたいそう大きなものを想像する。確かにこれまでの冒険は未知への挑戦であり、何か特別なことだった。またこれまでの冒険には明確な特定の個人がいた。主人公というべきかもしれない。漫画のワンピースだったらルフィーと麦わらの一味といったところだろう。特別な能力なり先見性がある人が、通常の人がやらない事を平然と実行する。一般の人々は呆気にとられたり、その無謀をあざ笑い、嘆いたりする。けれど一旦成功すると万雷の拍手を持って迎える。そんな感じだろう。

 では渡り鳥はどうだろう。彼らが地球を股にかける冒険をしていることに異存がある人はいないだらう。しかし渡り鳥に特定のリーダー、他に秀でたリーダーがいて、すべての群れがその決定に従って渡りを始める…のではない。

 渡り鳥に限らず鳥たちが集団で移動する時、どこからともなく同種の鳥たちが集まってくる。電線の上に、木々の梢に、一羽、二羽、と見る間に群れになる。群れになってしばらくは動かない。一羽が飛び立っても全体は動かない。そのうちパラパラと飛び出しては戻ってくるのが現れ、やがていつともなく全体が一団となって移動する。渡り鳥も都会の雀やカラスも基本は同じだ。こういう集団行動の始まり方は鳥たちに限った事ではないらしい。幸島の猿で有名な猿が芋を海水で洗う行動も、子猿ー好奇心満タンで怖いもの知らずーが始め、それが集団に広がったとはいえないらしい。というのも、少なくともその付近の海に面した猿の集団で同時多発的に芋洗いが始まっているからだ。最初の行動が何かを始めるきっかけになるのではなく、初めての行動を模倣する個体が出てきて集団の行動が変わって行くのだという。

 実は人間でも同じように先駆者が一人いても変化は起こらないのだという。先駆者に続く第二の人がいるかどうかが鍵を握っている。実際に実験している動画がYouTubeにあるので検索して確認してみて欲しいのだが、スポーツ観戦中の観客が一人、いきなり服を脱いで踊りを始める。しばらくは誰も続かない。が、もう一人が同じように服を脱いで、踊りだし、一緒にやろうぜという風に手招きをすると、続いてやりだす人が増えてくるのだ。奇妙な行動、突飛な行動であっても「みんな」であれば怖くない、というわけではないのだろうが、後続者がいて変化が起きるという点が面白い。そして私は「冒険者」が現れるのも、こうした人間や鳥のような動物に共通の行動パターンが関係しているのではないかと考えている。

 冒険は一人ではできない、仲間が必要ということではない。冒険には資金がいる。時代や社会が変わっても、資金ではなく資材や人望であれ、何か突拍子もないことをやる人をバックアップしてもいいという人が必要だ。一緒に冒険する仲間ではない。率先して支持する人だ。いいねマークを押す人、すごい、かっこいいと言ってくれる人、資金等を持っている人につなぎをつけてくれる人、実際に資材や資金を出す人…等々。なんでも、どんな形でもい。理解者、味方である人たちが必要なのだ。

 しかし支持する人たちを作り出すことは不可能だ。自分の冒険への賛同者を得ることは難しいけれども可能だ。自分の熱意なり確信なりを共有するのが賛同者だ。だから確信の証拠なり、熱弁なり、人間的な魅力なりで惹きつけることはできる。けれど賛同者は賛同した時点で冒険者と同じ立ち位置になる。今まで誰も考えつかないようなアイデアを実現し、商品として売り出すこと(これもまた冒険だ)を考えてみると分かりやすいかもしれない。既存企業の中でやるにしろ、新規に立ち上げるにしろ、まずは自分のアイデアをわかってくれて、一緒にやってくれる人(=賛同者)を得ることは大切だ。だが、賛同者が集まって自分たちで資金を得て商品を開発することができたとしても、売れるかどうかは別だ。今まで誰も考えつかない訳だから、事前に「~のような商品を買いますか」と商品調査をしても、答える方も困るだろう。なにしろ「考えてもいない」商品なのだ。売れるかどうかは市場に商品を出して、「いいね」と言ってくれる人がいるか、お金を出して買ってくれる人がいるかどうかにかかっている。そして最初に飛びついた人を真似して続く人たちが必要になる。トレンドを作るというやつだ。(それでも想像しにくい場合は、スカートの下にズボンを重ね着することが「普通」になったのが何時からだったか振り返ってみてほしい)。

 確かに高度に情報化された先進諸国では、トレンドセッターといわれる一群の人たちがいる。彼ら・彼女たちに対して商品をプロモートしてトレンドを「作る」ことは可能なように思える。けれどもそうして作られたトレンドは小さなもの、長続きしないものであることが多い(陳腐化するともいう。ようは飽きられやすいということだ)。これに対して世の中を変えた商品は最初は「誰が買うんだ?」といわれ、ごくわずかな人が買い、それを真似る人がでて…と小さな流れが大きなうねりになるように広がる。こうした大きなうねりを人工的に作り出そうと様々な仕掛けがなされるが、うまくいった試しがない。本来のトレンドは作ることはできない。だた「ある」。いわゆる「時代の空気」というやつだ。この時代の空気がなければ、どんな冒険も帆を張ることができない。コロンブスはイスパニアの援助で世界一周を成し遂げた。その前に彼はベネチアに援助を断られている。コロンブスが説いたこと、彼自身は変わらない。変わったのはイスパニアとベネチアという違った「時代の空気」を持つ土地だ。

 さて、現在はどうだろう。冒険が認められる空気があるだろうか。少なくとも日本には「ない」という答えが返ってくるだろう。その答えは半分正しく、半分間違っている。正しいというのは、かつてのような「勝者総取り」「一攫千金」の冒険が認められ、賛同され、支持される余地はなくなりつつあるからだ。これは日本だけではない、世界的にそうだ。金融バブルを期待するなら別だが「画期的」なものが産まれる余地を見いだすのは難しい。技術が高度化し開発に多額の資金がいる分野が多すぎるからだ。じゃあ、全く冒険の余地がないのか、ずっと毎日同じ生活を続けていくしかないのか。確かにそういう閉塞感はある。が、逆に閉塞を感じる(息苦しいと感じる)ということは、余地を求めている人が多いということだ。もし、少しでいいから「余地」が見えたら、自分では余地を作れないと感じている人たちは猛反発するか、熱く支持するかのどちらかになる。「極論」と同じ構造だ。針の触れやすい時代状況だ。風は滞留している。風穴が開くのを待っている。 

 かつての近代であれば、ここから極論の時代へは一飛びだった。なぜなら冒険が大きな冒険、一攫千金の冒険だけしかなかったからだ。今は違う。少なくとも主婦や学生の「小さな冒険」が社会的に紹介されるようになったというだけでも違う。確かに報道のされからは大げさだ。たった一つの成功例がすべての解決策であるかのように紹介され、冒険せずに形だけを模倣しようという動きの方が大きい。そして形だけの模倣がうまくいかなければ、成功例は特殊な人の特殊例であるかのようにみなされ、閉塞感が加速する。だけども小さな一歩を踏み出す人は着実に増えている。冒険とは当人自身も思っていないかもしれない。従来のやり方と異なったやり方、異なった生き方を選ぶ、あるいは選ばざるを得ないことで、人とは異なった生き方自体が命をかけた冒険だった(である)時代(土地)がある。今は異なることに対して非寛容だ。しかし非寛容さの前に、異なること(生き方)が「ある」事実がある。本当に「みんなが同じ」ならバッシングも排除の余地もない。日常的なちょっとしたことが非寛容につながる時代は、逆に非寛容さを招き寄せる多様性が棲息し広がり続けている時代でもあると私は考えたい。

 ようは、時代の風があるといいたいのだ。ちょっとした冒険に尻込みするほどの逆風が吹く時もあるかもしれない。けれど騒ぎ立てている人は、本当は恐怖に駆られて騒ぎ立てている場合が多い。ちょっと引いて、あるいは逆に近寄って、「怖がらなくていい」と言ってあげる。そんな余裕を持ってもいいのだ。目くじらを立て、バッシングをする人たちの反対側には、何も言えずあるいは何も言わない沈黙の大多数がいる。この沈黙した人たちがどちらかの支持者になるとすれば、それは「余裕を見せた方」だ。自分を支持する人が少なくても、淡々と自分がやることをする。多数者は変化を恐れるが、変わったことをする人が淡々としているとそれは変化に見えない。変化に見えなければ、後続者が出やすい。形だけの真似であっても実行する人が多ければ、なんだか普通に見えるものだ。先のスカートの下のズボン。私は慣れるのに3年かかった(ファッションに関しては保守的なのだ)。未だに自分ではやる気にならない。でも「アリかな」といつの間にか思っている。

 淡々と堂々と冒険しよう。それがごく当たり前で誰もができることだと心の底から信じてやってみせよう。引きながらも、遠巻きであっても「なんだかいいかも」と思う人が多数いると信じよう。それが余裕を生み、支持者を増やしてくれるはずだ。ちなみに、変わることだけが冒険ではない。止まることも冒険の一つ。変化が多い世の中で、今まで通りの生き方を続けるのも冒険なのだ。渡り鳥の中にも渡りをしない渡り鳥がいる。留鳥となって厳しい季節を耐え忍ぶのだという。

回遊魚の根付き魚

日本創成会議という民間会議が2040年に人口消滅可能性の高い都市を発表してから、色々な所で議論がされているのだと思うが、統計結果が公表されている割には、結果を導きだす前提や全国的にはどうなのかが報道されていないような気がしていた。

 ということで、根がしつこいものだから日本創成会議のホームページで、統計結果を導きだした前提を確かめてみた。まず元になっているデータは国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)。推計モデルは1)子どもをもっともよく出産する女性の人口は20~39歳(平成24年の合計特殊出生率の95%がこの年齢)。2)この若年女性者数が現在のまま減少するとする。3)モデルケース1:人口移動が全くない状態。30年後に若年女性者数は7割減少。人口維持のためには出生率を2程度になる必要が有る。モデルケース2:男女ともに人口が3割程度流出する場合。30年後に若年女性者数は半減する。このケースでは出生率が直ちに2に上昇したとしても、若年者女性数の減少は止まらない。出生率の上昇を女性の流出が相殺してしまう。

 以上が推計の前提とモデルケースで、後は実際に現在の地方自治体の若年助成者数と人口流出率を使って、推計を行った結果を発表している訳である。ごちゃごちゃ書いたけれど、ざっくり言えば「今のまま地方から若者がいなくなると、人がいなくなる自治体が出てくる」という今まで繰り返し問題として叫ばれて来た事を、ことさら新しく見せた統計という感じでもある。ただ、若い女性の減少数に大きな焦点を当てているのが他と違う所だろう。

 では、本当に若い女性だけが流出しているのだろうか。国立社会保障・人口問題研究所の人口移動率推計値に当たってみた。男女の移動率の年齢差が問題になっているようだ。大学生の時期に男性の移動率がマイナスでその後停滞する県で若年女性減少率が高い傾向が見られる、一方高校生時期から大学生まで男性が大きなマイナスを示す県では若年女性減少率は低い。大学生の時期に男性が流出してしまう県の女性は、本人が地元志向であっても同県出身の男性と結婚して出て行くのかもしれない。一方早期に男性が流出してしまう県では、結婚適齢期男性は「地元に残ってくれた貴重な存在」で地元志向の女性を惹き付けるのかもしれない。理由は全くの推測にすぎないし、発表された若年女性減少率そのものは府県単位ではなく自治体単位なので、もっと別の理由がある可能性も高い(元々若年者層が少ない高齢化の進んだ自治体とか)。けれど、若年女性減少率の問題は男性の流出率と何らかの相関関係が有るだろうというのは、経験的にもなんとなく頷ける話である。

 さて、ここで話が終われば「だから地方に大学と職場を!」とか「女性も自律して働ける職場を地方に!」という事で終わってしまうのだが、統計というのは注意が必要だ。最初に書いたようにこの統計は「現在の傾向が変わらなければ」という前提に立っている。確かに全国的に人口減少に歯止めがかからないようだし、地方の過疎化は一段と進んでいる。現在の傾向をそのまま20年程のばしたとしても、何ら変わりがないと言い切る人もいるだろう。けれど府県単位、いや地方自治体単位ですら「マクロ」の視点であって、地方の現場単位では逆転現象を起こしている所もある(というかその例を知っている)。現在の傾向が続くのかどうかを一緒に考えてみたいと思う。
 松山市の沖(乗船時間10分程度)に中島が有る。島に信号機が2台しかない(2台目はつい最近設置されたばかりだ)。設置理由は中学生になって島を出る子供たちの教育用(実際の信号機に慣れるため)である。風光明媚だが典型的な過疎の島…に見える。ところがこの島は人口流出どころか、人口が流入し、結婚式が増え、子どもが生まれている島である。そのきっかけは、島から東京へ音楽活動のために出て行った若者が島へ戻って来た事にある。といって家業を継ぐためではない。島の危機を見るに見かねてでもない。敢えて言えば「東京という暮らし方」に見切りを付けたというのが正解に近いだろう。東京という大消費地に振り回されない自分の音楽と生活の基礎を築くために選んだのが故郷だった訳だ。彼らは「農音」というブランドで無農薬の柑橘類を主として首都圏向けに出荷している。パフォーマンス集団であった事もあり、彼らを訪ねていろんな人が中島に来る。農繁期に手伝いにくるのも入れば、そのまま居着いてしまう人もいる。農音は新しく居着く人と島の住民とのパイプ役の役目も果たしている。農音ブランド自体、慣行農法の島のベテラン農家と協働しているし、農協や役所の指導も受けている。ベテラン農家は農協との付き合いがあるので匿名だが「農音エクセレント」と呼ばれて、農音ブランドの中でも高級品種を定番出荷している。という訳で中島は30代と70代の強力のもと人口は増大傾向にある。

 こういった現象は中島だけに限らない。最初から地方活性化をしたくて、でも地元で受け入れられなくて他所で仕掛人になっている人もいる(マスコミに彼の名前が出る事はないが場所は神山である)。徳島で四国を股に鍋サミットを仕掛けつつ、中山間地域の棚田を教育機関に仕立て上げようとする人たちもいる。私はこういった人たちを「回遊魚」だと思っている。一旦地元から出て色んな所を回遊して、最終的に自分で自分の根がかり地を見つけ出した「回遊魚」である。回遊魚とはいえ群れではない。自分の価値観を持っているが、それが絶対でない事も諸処を回遊して来たお陰でよく知っている。だから地元の人特に高齢者に、この回遊魚たちは謙虚だし、彼らを尊敬している。自分以上にその地で生き延びる術と智慧を持っているのだから、学ばなければ損だと思っている。ただ何せ他所者なので、受け入れてもらうには一定の時間がかかる。この回遊魚に対して、地元に残っていた若者は「根付き魚」だろう。根付き魚が地元のために動き出すと、回遊魚に比べて周りを巻き込む力が強い。私の知っている例で言えば岩城島沖津波島再生を行っている一団がこれに当たる。中心人物は家業を継ぐ修行のために都会に出た事は有るが、元来岩城で育ちで商売も岩城でやっている。見捨てられていた無人島を再生するプロジェクトを立ち上げた彼を支えるのは、村の賛同者と彼の顧客たちである。村の事をよく知っているが故に、行政や村のしがらみに捉えられる事も有るが、それを外側と内側から突破口を開く仲間がいる。お陰で人の交流が活発化し、以前から続いていた村内での試みも有って人口は右肩上がりである。 

 一方「回遊魚」にも厄介なのがいる。群れで行動する一般タイプで、それこそ「小さな魚程よく群れる」という『田舎暮らしの進め』みたいなタイトルに惹かれる一団である。彼らは都会で身に付けた価値観を手放さない。村の旧来のやり方に対して合理的なやり方で対抗する。根回しを嫌い、議論で決着を付ける事を好む。回遊しているようで、実は回遊していない魚たちだ。村の自治会費が不透明だと公開を求める。飲食費が含まれていたら問題にする。けれど村の「役職」は「顔役」であって、顔役は「おお、オレにつけといてくれや」が言えるのが一番なのだ(オレ=自治会なのだが)。不明瞭。公金着服。都会であればなんとでも言える。でも昔ならば村一番の実力者が役職を引き受けていたから「オレにつけとけや」が慣習として成り立っていた。戦後になって役職が選挙だの回り持ちになっても「オレにつけとけや」の慣習は残っていて、役職に就いたものも、その周りもそれを何とな~く容認していたし、それがなければ…というところもあるのだ。そういう「ややこしい」地元のやり方を無視してしまう所は、群れの回遊魚も「地方再生…」等々の会議も根っこは同様だと私は考える。その根っこは「今までの東京のやり方が全部正しい」だ。で、この厄介な回遊魚と地元に挟まれて苦労するのが40代あたりの(地域では若者に入る)根付き魚や群れない回遊魚たちである。

 さて、幸い日経新聞が例の女性が半減する統計結果を地図にしてネット上で公開してくれている。http://www.nikkei.com/edit/interactive/population2014/map.html#!/city=36302/z=10/mode=static/(これは完全版で非常に細かい。簡易版もある)。これで中島は出てこない(松山市になっている)。岩城も合併したので上島町になる。神山に至っては同じ日経新聞が四国のトップランナーとして地方版でも全国版でも持ち上げているのに、なんと-80%の人口消滅都市にランクされている。ちなみに先ほど厄介な所とした地域は-30%と渋谷区、杉並区と同じぐらいになっている。
 さて、皆さんは統計と現実の感覚とどちらを信用されるだろう。是非一度統計地図を見に行って欲しい。現在の趨勢がこのまま続くとする統計と、実際の感覚とのズレや一致を確かめながら、問題は「現在の趨勢が続くとして」の人口増減なのか。それとも意図と意志のある人口がいるかどうかなのか。考える良いきっかけになると思う。

「伝統」と「変化」

タイトルを見て、「え?伝統って変わらないものでしょ?それと変化ってどう結びつくの?」と思う人が多いだろう。伝統的な技術たとえば西陣織に使う型紙が、現代の生活の合わせて洋服のプリントに使われ、海外で人気を博しているというような「伝統技術の新しい展開」を思い起こした人がいたら、アンテナ精度の高い人だろう。けれど、ここで話したいのは「伝統の新しい展開」ではなく「伝統は変化している」という一種逆説的な話である。

 伝統という言葉を英語だと普通traditionになるが、実はもう一つ日本語では通常慣習や約束事と訳するconventionという単語がある。ところがこの言葉は慣習だけでなく、伝統的な決まり事や振る舞い方、日本語では伝統と訳すだろうこともconventionという。ここでまず取り上げたいのは、こうしたconventionに当たるような日常的で、だからこそ変化しないと思われていることがらである。

 西欧系の人に接した人なら、彼らが座る事を大の苦手としている事にすぐ気がつくだろう。これに対して日本で生まれ育った人間は当然のように座る。では「座り方の礼儀作法」はどうだろう。座る文化を身体的な伝統とすれば、どの座り方がふさわしいかは文化的伝統ともいえる。そして通常私たちが伝統という場合はこの文化的伝統の方である。身体的な伝統が変化していないなら、文化的伝統も変化しないのだろうか。

 皆さん自身頭の中で座り方を、堅苦しい方から気楽な方、そして見苦しいというかだらしない方へと並べてみてほしい。おそらく「正座→胡座(女性の場合は横座り)→片膝立て→ヤンキー座り」となると思う(真ん中辺りは人によって違うかもしれない)。しかしこうした礼儀作法の順序が定まったのはおそらく江戸中期ぐらいだといわれている。大正10年出版の入江氏著『日本人の座り方』ですでに「正座」が非常に例外的な座り方(例えば受刑者や身分の高い人に対する庶民の座り方)であったという指摘がある。平安時代では男女とも「胡座」が正式な座り方であり、脇息を使う横座りが「気楽な」座り方、足をたてて座る形(片膝付き、両膝付き)は下人等貴人の近辺で各種用事を果たす「人間外」の者の座り方であり、正座はさらに稀な事(罪人等)であった。時代が下っても男性の場合は胡座が正式な座り方である事は、江戸城登城の絵図などでも分かる。また女性の場合も長らく韓半島と同じく片膝立ての座り方が正式の座り方であった(女性の胡座がなくなったのは、衣服様式の変化とともに胡座で座ると秘部が他人にさらされるからであったろうと著者の入江氏は推測している)。

 では正座はどうだろう。入江氏は江戸時代に入って庶民の座り方としての正座が普及して行ったのだろうとしている。けれどこれはどうも解せない。当時の庶民(大部分が農民。時代劇で見るような「町人」は大都市江戸・大阪と各城下町に限定される)が、恭順の印として正座していたとしても、日常的な座り方として正座を採用していたとは(素人ながら)考えにくいのだ。丁稚奉公等町方に修行をしに行っていた農村の子弟(女性も含む)が町方での作法として、目上の者に対する座り方として「正座」を普及させて行ったという事の方がありそうだ。

 いずれにしろ大正時代にすでに正座は高々200年かそこらの文化にすぎないと指摘されている事は確かである(その後も年代が下がりこそすれ、正座が後代の文化である事は変わっていない)。最後に「ヤンキー座り」は、北斎の絵でも分かるように。農村でも町中でも道ばた等腰をおろすのに適切な場所がないとき、ごく普通に採用される座り方だった。まとめると「胡座(女性では片膝たてか崩した正座・身分が高ければ横座り)→ヤンキー座り→正座」というのが長らく続いた伝統的礼儀作法になる。

 今やお茶でも何でも正統な「日本文化の伝統」の一つとされる正座も、さして歴史の古いものではなかったという事だ(これは面白い事に大正時代でも同じだったらしく、入江氏の本は彼の講演を書き起こして資料を追加したものだが、冒頭に日本独自の、古来からの座り方としての正座という言い回しが出ている)。

 「伝統的」とされているものが、案外新しい文化だというのはよくある事である。神社での神前結婚式も大正天皇の結婚のときに慌てて作られた儀式なので、未だに安定しないらしい。途中で指輪の交換(何のために?)があるし、「平和な家庭を作る事を誓います」なんて甲子園の選手宣誓みたいな誓詞を言わされる。

 いや、そんなことはない。身体的な作法とかは時代に合わせて変わるかもしれないし、冠婚葬祭には文明開化に合わせて急に作られた所があるだろうが、伝統文化として確立しているものは変わらないはずという人もいるかもしれない。では典型的な伝統文化である能楽を取り上げてみよう。

 能楽は室町時代、世阿弥によって大成された形を現代まで連綿と受け継いできたとよくいわれる。確かに現代日本語では決してない発音(「日月」を「にちがった」と読む。ちなみにこの発音はハングルと同じである)があるし、意味が全く違う言葉(「やがて」は今すぐという意味)がある。と書くとまさしく「変化しない伝統」という感じなのだが、実際に演じている能楽師に聞くと、昔と今では随分と違うのだという。現在の能楽では「強吟」と「弱吟」の二つの謡い方があって、同じ記号がついていても音のあがり方や下がり方が全く違っている。ところが、江戸時代辺りまではこうした区別はなかったのだという。現代では訳が分からなくなった記号や、統一すればいい記号が残っていたりするのも、おそらくかつては別の謡方がされていたのかもしれないとも言う。実際に地方に残っている能楽の方が古い演じ方、謡い方を残しているという話もある。

 ではなぜ能楽が変化したのか。理由は非常に単純である。「生き残るため」。そもそも世阿弥自身、ライバルの猿楽者が韓国民俗舞踏のような華麗な足技に長けていたからこそ、その逆を狙って上流階層の上品さ、静やかな身振りを取り入れたという面があるのだ。こうして出来上がった能楽は、武士の時代を経て、より強い武将ものと柔らかい女物を区別する必要にかられて、二つの謡い方を分けるに至った…のではないかというのが私の推測である。

 さて、実はこの文章の最初に出てきたconventionという英単語には、日本中ほぼ至る所にあるコンビニの元々の語が派生語としてある。convenient(コンビニエント)。どちらもその元々は「~くる、なる」という意味合いのラテン語にさかのぼる。伝統=昔からあるもので今まで残ってきたものだとすれば、今まで生き残るために、様々な変化を遂げなくてはならなかったはずだ。そう、生き残った伝統が何故生き残ったかといえば、その時代の保護者(武士階級だったり、裕福な町人だったり、成り上がりだったり)や大衆の好みに合わせて、自らを変化させたからに他ならない。ただし、コンビニのようにではない。もしコンビニのように顧客の好みに合わせて次々と店舗を作ってはつぶし、商品を時間単位で入れ替えるだけの変化をしたのであれば、今、伝統といわれて残っているもの(少なくとも後継者がいるもの)は、現代まで生き残ってはいないだろう。

 では今の顧客の好みに答えつつ、先々の(それこそ100年、200年先の)顧客の好みに合わせるという、気が遠くなる程難しい生き残り術をやったのだろうか。

 そんな事は到底人間の出来る業ではない。おそらくひどく単純な事だったに違いないと私は思う。単に「生き残るため」だから、表装だけ変えよう。ちょっと今風にしてみよか…ありゃダメだわ、やってるこっちの方がギコチナイ、それがお客にも伝わるから受けが悪い。あかん、あかん、元に戻そ。こんな試行錯誤の連続だったのではないか。

 今「変化の時代」といわれて久しい(日本では少なくとも20年間いわれ続けているような気がする)。そしてどうも「変化」というと物事の根本から考え直し、設計し直し、作り直さなくては変化ではないような、そんな風潮がある。けれどそういう変化は案外命が短い。1人の人間が考えだし、設計し直した変化には限界がある。またチョー天才が考えたチョー凄い社会設計も多くの人間に受け入れなければ意味をなさない。そして多くの人間が受け入れる根本的変化なんて、コンビニの商品棚の顔ぶれを変えるようなものにすぎなくなってしまう。とくに社会に関してはそうだ。逆に1つの根本的に異なった発想に基づく商品が、社会を変える事の方が起こりやすい(ウォークマンが音楽を自分だけのものとして携帯できるようにしたように)。とはいえ、そういう商品が次々と産まれていたら、人間の方が追いつかない(ICレコーダーがどんなに精密になろうと、未だにカセットテープは健在だ。感覚的に巻き戻しが可能だからだ)。そして、一つの商品が変えるのは社会のある一面であり、変化が社会の全てに及ぶ変化になるかどうかは未知数だ。クラウドが世界を一つにするといった所で、クラウド端末を手にする事が出来ない人にとっては、それは無縁の世界でしかない。

 変化がもてはやされるとき程、むしろ変化してこなかったものに注目すべきだと私は思う。時代を超えて変化しなかったもの、けれど今は軋みを立てて、あたかも根っこから変わらなくてはならないように見えるもの。その中には時代を超えて変化しなかった根っこと、変化しなくてはならなかったのに、変化できなかった枝葉がきっとある。その見極めがついたときこそ、本当の変化が訪れる。そう私は思うのだ。

戦国BASARA、信長がなぜうける?

 年のNHK大河ドラマは『軍師勘兵衛』で久方ぶりの高視聴率…らしい。面白い事に、この頃四半期13クールで変わる(私たちの頃は1年1クールだったのだが)アニメ業界も戦国物が多い。ただし真面目でお固い(?)NHKとちがって、こちらは時代考証無視、時代背景もどちら側が勝ったなども適当に無視してよいから、結構面白い。

 何しろ信長とアレキサンダー大王が巨大ロボットにのって対戦する(ちなみにアレキサンダー大王を率いて信長に敵対しているのは、かのアーサー王である。チャンと聖杯もでてくる。ものまである。「助さんや、格さんや」で始まり、20時45分になれば「この印籠が…」という台詞が決まって流れていた昔とはエライ違いである。

 今回奥谷さんから「日本の若者は何故チャレンジしないんでしょうね」と投げかけられた時、真っ先に頭に浮かんだのがこの改変された戦国もの(最初は戦国BASARA辺りらしい。バサラといえば室町時代なのだが…)の多さなのだ。で、その一瞬後「なんで改変戦国もの、特に信長の名前とチャレンジしない若者が私の中で結びついたんだろう」と自問自答し始めた。メールだったからよかったが、時々私はこういう風に自分で思いついたり、言った事の理由が分からなくて、自問自答し始める事が多い。同席している人の話には生返事するようになる。慣れている友人によると「シャットダウンして、別の世界に行ったみたい」になるのだそうだ。で、今回もその自問自答モードに入ったのだが、なかなか答えが出てこない。第一社会学者ではないから、いつ頃から増え始めたのか、一体本当に全アニメの中で「多い」と断言できる程の多さなのかはわからない。おそらくは対戦ゲームや戦略ゲームのアニメ化から始まったのだろうと推測するだけだ。少なくとも断言できるのは40年前にはなかったぞ!ということだ。ちなみに40年前のアニメといって分かる人は少ないと思うので、1979年に「機動戦士ガンダム」が放映されているとだけいっておこう。

 時代は日本の経済成長がピークを迎え、やがてバブルへと突入する10年程前。アニメが子ども向けだけでなく、中学高校生を対象として作られ始めた初期の頃である。中高生なりにアニメ世界の登場人物になったり、新たな人物としてアニメ世界に変化をもたらす(同人誌)ことは、オタクと言われない人間にとってもごく普通の脳内妄想の一つだった。

 さて、改変戦国ものに戻ると、このストーリーに「自分らしき人物」(能力や外観は違っていても自分の性格の一部を切り取った人物)を登場させる事が可能なのだろうかと思ってしまう。というのもこういったアニメには「普通の人間」がいないからだ。かつてのアニメはごく普通の人間が巻き込まれて…だった。自分とほぼ同じ年齢、外見も当初の能力も普通の人間が主人公だった(もちろん特殊能力が発現したり、特殊能力を持つためのグッズを持っていたりしても)。けれど改変戦国ものの多くは「既に異能をもった戦国武将」が溢れている。こうした「異能者」に溢れた世界では、ごく普通の人間は異能者のファンとして自分を位置づける事になるのだろう。歴女ブームがいつから始まったのか分からないのだけれど、当初彼女たちがファンになったのは「かっこ良くて爽やかな伊達政宗」であって、歴史上の伊達政宗ではなかっただろう(近頃は某航空会社の旅行案内番組に登場して、ふるう必要のない槍をふるっている)。男性であれば「侠気」だとか「漢」「義」に殉じる姿に憧れるのだろう(かつて学園紛争時代に日活ヤクザ路線の映画が流行ったように。違いは、あの時代に高倉健を見て「かわゆい~」と言う女性がいなかったぐらいじゃないかと思う。「可愛いは世界を制する」時代になったのだー余談)。

 と、ここまで自問自答モードが続いて、やっとこさ私は何故奥谷さんの質問にすぐに「戦国武将もの、信長がなぜもてる」で始めましょうかと答えたのか、何となくわかってきた。

 アニメの戦国武将の中でもダントツ出現率が高いのは信長である(悪役・主人公・脇役を問わない)。それは彼が実際に戦国時代に活躍した…からではないと思う。破壊者として従来のルールを全て破り、一方で建設者として新たな日本を創造しようとしていた。この両面性をどう描こうとも「話」になる。加えて主要な戦国武将と何らかの関係を持っているからストーリーに登場させやすいといった制作会社側の理屈だけではないと思う。歴史上も「異能」を思わせる存在感を持っており、短い人生を燃やし尽くしたと思える人物像。戦国者だけでなく幕末者でも人気があるのはこういう人物だ。

 彼らは何らかの意味で「チャレンジャー」だ。しかし普通の人間ではない。信長は元来領主の息子だし、幕末の人物であれば動乱期とはいえ武士階級か武士階級に認められた人物である。部下もいる。資金もある。アニメともなればさらに「異能」を付与されている。ファンとして仰ぎ見る存在、でも実際自分がその人生を生きられるか?と問われると元々から…?がつく存在(特に普通に生きる事が夢である若者たちにとっては)、喝采を送りながらそのアニメを楽しむかもしれないし、グッズを集めるかもしれないけれど、アニメの世界に入り込もうとはしない…のが大多数だろう。(たとえ参加するにしても登場人物となってであって、自分の分身ではないだろう)。

 日本社会で「チャレンジャーになる」、「チャレンジ」することは、いつもこんな風に「時代を変革する」「社会を変革する」大事としてイメージされていないだろうか。起業家として一世を風靡した人(ホリエモンを含めて)はマスコミに大々的に取り上げられ、彼ら彼女たちの活動がいかに日本社会を変革したかが、些か以上に大げさに風潮される。今流行りの社会起業家だって、マスコミに出てしゃべる事は「世の中を変えたかったんです」になる。彼ら彼女たち個人を攻撃しようとは思わない。むしろ問題視したいのは「取り上げ方」なのだ。あたかも「特別な」「異能を持った」人間でないとチャレンジできないような、そんな報道のされ方が、戦国アニメと二重写しになるのだ。

 かてて加えて何かを始める時のハードルは高い。屋台で食べ物を売るにも資格と許可がいる。アメリカで小学生は屋台でレモネードを売る。そんな事は日本ではあり得ない。小学生が商売をする事はできない。ボランティアだけだ。クラウドファンディングという言葉がない頃、発展途上国で商売を始めたい個人と、寄付してもいい先進国の人をつなぐサイトが、テレビで紹介された事がある。その時発展途上国で商売を始めようとする女性が必要としていたのは、資金と設備だった。資金といっても今までの倍ピーナッツを仕入れるお金であり、設備は作ったピーナッツバターを小売りするためのタッパーウェアだ。さて、日本だとどうなるだろう。自家製のピーナッツバターを売り出すとなると、まず食品衛生法をクリアするための衛生設備が必要となり、小売りのための瓶なりパッケージが必要となり、流通経路を探さなくてはならなくなり…と「教えられる」。そして大げさに「岩盤規制」といわれ、この規制をクリアするためにチャレンジャーがどのような苦労をしたかが大げさに語られる。

 若者にチャレンジ精神がないと日本の大人は言う。そういいながらチャレンジするためのハードルはこんなに高いんだぞと見せつけている。そんな中でちょっとチャレンジ精神のある若者は、まず手近な試みとして「チャレンジして成功した大人」と「やる気のある若者」の交流会を企画する(それを手助けしてもうけている企業もある)。そうすると、周囲の大人は「素晴らしい。立派な若者のだ」とほめあげる。本人は何事かを成し遂げたような気になる。周囲の若い人も「すごいよなぁ」となる。冷静に考えてみよう。当人は何事かにチャレンジした訳ではない。新たな者を作り出した訳ではない。単にコンパを企画して人を集めただけと言われても仕方がないのだ。そしてその企画に出席した若者が、刺激を受けて起業したという話も寡聞にして知らない(地域活性化に成功した中山間地域には次々と視察団が集まるが、一向に活性化の波が起こらないのと同じ構造だ)。聞くだけ、勉強しただけで…という手本を大人が見せているのだから、若者が倣ったとしても不思議はないだろう(ほら、戦国アニメのファンになるのと一緒だ)。

 ハードルは高くとても越えられそうにないけれど、ファンとしてファンの同好会を開いたら褒められるなら、そちらをとるのが人間というものだろう。

 でも、よく見てほしい。君の近所にいる個人商店の人は君と変わった「異能者」だろうか。20年以上続いている個人商店は何故続いているのだろう。特別の技術を持っているのだろうか。そしてそうした商店の親父さん、おかみさんは日々「チャレンジ」していないだろうか。(全ての商店がチャレンジしているとは言わない。でも長年商売を続けるためにはそれなりの工夫が必要なはずだ。それが単純に親父さんの好みを貫いているだけだとしても)。

 小さなチャレンジは報道される事はない。単なる日常茶飯事になる。そんな社会に日本人はいきている。そしてその社会でチャレンジとして認められるには「異能」でないといけない。

 もし、日本の若者にチャレンジ精神を求めるのなら、チャレンジが30センチの幅の溝を越える事にすぎない事だという事、どんな規制にも工夫すればチャンと抜け道があること(それも若者なりの)、味方や仲間は最初からいる者ではない事、でも続けていれば支援する人が現れる事。そういう非常に常識的な事をチャンと伝える事から始めないといけないと思うのだ。

 戦国時代の武将はかっこ良く槍を振り回しはしない。あれは敵をたたき落とすために使う。泥だらけになって、生き残るために、生き延びるために戦う。その戦いに異能はいらない。日常生活の中での工夫と運が必要なだけだ。

複数次元と場

現代物理学の超ひも理論によれば、この世界は小さな紐状のもの(ゴムバンドみたいな)で出来上がっていて、10次元(もしくはそれ以上)からなってるらしい。いきなり何の事だと思わないでほしい。先月号に書いた「多焦点性の」「アメーバー状の」アイデンティティが互い同士、対立したり共同したりしながら作り上げる世界、しかも時空間がかつてない程入り組んでいる世界はどんな様相をしているだろうと必死になって考えていたら、ふとこの現代物理学の先端理論が描き出す世界に非常に似ているのではないかと思ったのだ。

 超ひも理論のひも達は、振動の方向や振動数で姿形を変えるのだそうだ。多分共鳴もするのだろう。それが今まで多様な量子として見えていて、その量子がくみ合わさって出来ているのが原子で、原子がくみ合わさると分子で…となるらしい(非常に不正確でおおざっぱな説明だけど)。ようは多様な物質の始原をたどると「踊るひも」になるということらしい。

 前号で書いた多焦点の、アメーバーのようなアイデンティティも、その時々によって焦点を移しながら(重心を移しながら)その時々のアイデンティティを見せる。でもやはり「ある人」のアイデンティティではある。こういう所が超ひも理論のひもと類似しているような気がする。

 とはいえ、現代物理学で現代社会を論じるのは危険というよりは、人を惑わす結果になるだろう。ここで超ひも理論を持ち出したのは、様々な量子として観察される(その場その場で姿を見せる)ものが単一のものからなっていることが、現実に存在していることをより納得してもらいたいからである。先号で示唆した多焦点をもつ、アメーバ的アイデンティティは現れる場によって、その姿を変形しているかのように見えるが、やはり同一性を保っているということである。そしてこの変形しながらも同一性を保っているー保っていると感じている存在がー相互に作用を及ぼすことで、一つの世界が出来上がって行くことができるということを、現実味のあるものとして感じ取って欲しいからである。宇宙空間というかこの世界全体がそうなっているからといって、人間が作り上げる「社会」もそうなっているとは限らないわけだけれども、世の中に全く例がない話よりは、類推できる物があった方が、想像しやすいかもしれないと思ったからだ。

 では、そういうもの(世界)が現実にあるんだという事を頭に置きながら、もう少し社会とか人間の話にしてみよう。現代社会に関する理論では、国や文化が相違する二つの集団であったとき、双方が対立を回避するために相互の属性(特質や特徴)を弱め、普遍的なルールを追求するか、双方がその属性を保ったまま互いに対峙してデッドロックに乗り上げるのかの二者択一になりやすい(前者を文化普遍的、後者を文化相対主義という)。デッドロックに乗り上げるといってもいきなり戦争になる訳ではなく、それぞれの文化的特色なのだから片一方(大概は先進国)から見れば「人権」問題になるような事象であっても、その事自体だけで追求したり断罪したり、まして介入したりする事は出来ないということである。一方の普遍的なルールという方は凄く公平に見える。けれど、自動車レースのF1やフィギュアスケートの国際ルールの決まり方に何となく不信感を持つ人もいるだろう。なんだかいつも日本がうまくなるとルールが変わるんじゃないかって。でも、大会主催側からすれば「ある特定の国がいつも勝つ」ようなルールは、不公平なルールである可能性が高いという理屈になる。

 なんだかどちらも奥歯に物が挟まったような、何とも気持ちの悪い成り行きだ。一体どうしてこんな変なというか、なんだか小難しいような結果になるのだろう…。専門家はどういうか知らないが、何とも気持ち悪い両方の成り行きの根っこには、現代社会に関する理論が「変容しないアイデンティティ・文化」を置いているからではないかと思う。

 ではアメーバー的な、多焦点的なアイデンティティを持っていること、それを自覚している人たちの場合はどうだろう。かつて伝統というか風習の違う人と出会う事は非常に稀だった。でも今は机の前に座ってPCを開くだけで世界のあちらこちらを見聞し、風習を見ることが可能となった。ある時、全く偶然にネット上で見つけた場所に惚れ込んでしまう場合もあるだろう。私が岩城という場所にであったのがそうだった。単純に「役所なのにユニークなホームページ」というだけで、手紙を出し、宿を紹介してもらい…それから10数年私のアイデンティティの中に岩城はしっかりと根を下ろしている。場所だけではない、全く違う時間感覚で動いている人が同一の場所で生活している。昼夜逆転だけではない。この日本という狭い土地の中に、1秒に判断をかけるトレーダーと、10年単位で考える農家、100年単位で考える林業とが生活をしている。

 それぞれの世界は全くすれ違っているように見えて、どこかで交錯する。あらゆる所に自分の関心や偶然でアイデンティティの焦点を持った人々は、それぞれのアイデンティティの焦点に関して、現地の人よりは少し冷静に(あるいは外からの情報を持って)引いた視点で眺めるかもしれない。逆に現地の人よりもその場の文化を保守する事に原理的にこだわるかもしれない。現地の人(現地を自分の最初のアイデンティティにしている人)にとっては、ありがたいときもあれば、迷惑なときもある。何しろ日常いない癖にどかどか介入してくるからだ。時間が異なる世界でも同じだ。トレーダーが取引しているのは林業会社の株かもしれない。中山間地域では農家と林業は場所を同じにするように見えて、10年単位で考えたときと100年単位で考えたときでは、1本の木を切るにしても利害が対立する。農家や林業はデイトレーダーが動かす世界市場の動向によって壊滅的な被害を、逆に何十年とない利益を手にする事があるかもしれない。トレーダーは現地の情報がないまま数値だけを見続けた結果、林業会社の粉飾決算に巻き込まれるかもしれない。全く異なった時間感覚で動いていても、結果はどこかで絡み合わざるを得ない。それは双方にとって迷惑な事、よそからやってきた天災みたいなものなのかもしれない。けれど時間感覚が違っていても、アイデンティティが少し重なっていたとしたらどうだろう。トレーダーは秒感覚で動きながらも、特定の山にアイデンティティを持つ事で100年先を見越した山か、その時々の利益で動いているだけなのかを知る事が出来る。それは秒単位でしか動いていない短いアイデンティティを癒してくれるだろう(この頃日本に限らず中山間地域等長い年月を感じさせる場所に、事務所を置くIT産業が増えているのは、本来人間が絶える事が出来ない秒単位の判断のストレスを和らげるためではないのか)。が、その一方で頑として動かないその姿にストレスを感じるかもしれない。林業は100年単位で動かなくてはいけないからこそ、秒単位の市場動向の先を自分のアイデンティティの一部として知っておけば、今の我慢に甲斐が出てくるかもしれないし、逆に怒りを覚えるかもしれない。

 アイデンティティが多数の焦点を持つ事は対立を緩和しない。むしろ対立を助長するかも知れない。それでいいと私は思っている。言葉の上で対立するだけでアイデンティティをかけない対立は、言いっぱなしにしか終わらない。そこから産まれるのは「自分を他者より強く見せたい」虚飾だけだ。いくらかでも焦点を置いたアイデンティティに基づいて対立すると、その対立は抜き差しならぬものに発展する。そのままでは武器を取る事になるかもしれない。けれど、アイデンティティが多焦点でアメーバー状だということを、お互いが知っていれば、それぞれが問題となっている事柄に対して、どれだけの焦点を置いているかを探らなくてはならない。生死をかけているのかを計らなくてはならない。生死をかけている方が結局は強いだろう(それは現地に生きている人間とは限らない。ヨーロッパ中を流浪するロマのように「地」ではなく「血」や「文化」にアイデンティティを置いている民もいるのだから)。その生死を探る中で、それぞれが妥協できる所、融合できる所、協力できる所を初めて見いだせるのではないだろうか。

 固定化した単一のアイデンティティでは、吸収か対立かしかない(所詮人間は他者の事など分からないのだから、最初の現代社会の理論通りになるしかない)。多焦点でつかみ所もないアメーバー状のアイデンティティは、凹む事(妥協)も脹らむ事(融合)も、長くなってひも状に絡み合う事(協力)も出来る。それどころか創成する事も出来るのではないかと私は睨んでいる。睨んでいるというのは根拠のない類推でしかないからだ。類推のもとはゾウリムシの接合である。ゾウリムシは正確にはアメーバー類ではないが単細胞の原生生物だ。通常は分裂して増殖するが、異なる遺伝子を持つゾウリムシがくっついて互いの遺伝子を交換する接合を行う。接合の目的は「若返り」だ。特定の遺伝子を持ったゾウリムシの分裂回数は限定されている。接合をする事で遺伝子が混ぜ合わされ、新たな遺伝子を持ったゾウリムシになって若返り、また分裂増殖が可能になる。

 これをいきなり人間の社会だとか、文化に当てはめるのには無理があるかもしれない。けれど多焦点でアメーバー状なのが人間のアイデンティティであるとすれば、行き詰まりが生じた時、その先を目指す時、必要となってくるのは互いのアイデンティティを混ぜ合わせる事ではないだろうか。混ぜ合わさってはいるけれど、元の様相も残している状態から、新しい突破口が産まれてくるのではないかと些か楽観的な期待も込めて思っているのだ。