回遊魚の根付き魚

日本創成会議という民間会議が2040年に人口消滅可能性の高い都市を発表してから、色々な所で議論がされているのだと思うが、統計結果が公表されている割には、結果を導きだす前提や全国的にはどうなのかが報道されていないような気がしていた。

 ということで、根がしつこいものだから日本創成会議のホームページで、統計結果を導きだした前提を確かめてみた。まず元になっているデータは国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)。推計モデルは1)子どもをもっともよく出産する女性の人口は20~39歳(平成24年の合計特殊出生率の95%がこの年齢)。2)この若年女性者数が現在のまま減少するとする。3)モデルケース1:人口移動が全くない状態。30年後に若年女性者数は7割減少。人口維持のためには出生率を2程度になる必要が有る。モデルケース2:男女ともに人口が3割程度流出する場合。30年後に若年女性者数は半減する。このケースでは出生率が直ちに2に上昇したとしても、若年者女性数の減少は止まらない。出生率の上昇を女性の流出が相殺してしまう。

 以上が推計の前提とモデルケースで、後は実際に現在の地方自治体の若年助成者数と人口流出率を使って、推計を行った結果を発表している訳である。ごちゃごちゃ書いたけれど、ざっくり言えば「今のまま地方から若者がいなくなると、人がいなくなる自治体が出てくる」という今まで繰り返し問題として叫ばれて来た事を、ことさら新しく見せた統計という感じでもある。ただ、若い女性の減少数に大きな焦点を当てているのが他と違う所だろう。

 では、本当に若い女性だけが流出しているのだろうか。国立社会保障・人口問題研究所の人口移動率推計値に当たってみた。男女の移動率の年齢差が問題になっているようだ。大学生の時期に男性の移動率がマイナスでその後停滞する県で若年女性減少率が高い傾向が見られる、一方高校生時期から大学生まで男性が大きなマイナスを示す県では若年女性減少率は低い。大学生の時期に男性が流出してしまう県の女性は、本人が地元志向であっても同県出身の男性と結婚して出て行くのかもしれない。一方早期に男性が流出してしまう県では、結婚適齢期男性は「地元に残ってくれた貴重な存在」で地元志向の女性を惹き付けるのかもしれない。理由は全くの推測にすぎないし、発表された若年女性減少率そのものは府県単位ではなく自治体単位なので、もっと別の理由がある可能性も高い(元々若年者層が少ない高齢化の進んだ自治体とか)。けれど、若年女性減少率の問題は男性の流出率と何らかの相関関係が有るだろうというのは、経験的にもなんとなく頷ける話である。

 さて、ここで話が終われば「だから地方に大学と職場を!」とか「女性も自律して働ける職場を地方に!」という事で終わってしまうのだが、統計というのは注意が必要だ。最初に書いたようにこの統計は「現在の傾向が変わらなければ」という前提に立っている。確かに全国的に人口減少に歯止めがかからないようだし、地方の過疎化は一段と進んでいる。現在の傾向をそのまま20年程のばしたとしても、何ら変わりがないと言い切る人もいるだろう。けれど府県単位、いや地方自治体単位ですら「マクロ」の視点であって、地方の現場単位では逆転現象を起こしている所もある(というかその例を知っている)。現在の傾向が続くのかどうかを一緒に考えてみたいと思う。
 松山市の沖(乗船時間10分程度)に中島が有る。島に信号機が2台しかない(2台目はつい最近設置されたばかりだ)。設置理由は中学生になって島を出る子供たちの教育用(実際の信号機に慣れるため)である。風光明媚だが典型的な過疎の島…に見える。ところがこの島は人口流出どころか、人口が流入し、結婚式が増え、子どもが生まれている島である。そのきっかけは、島から東京へ音楽活動のために出て行った若者が島へ戻って来た事にある。といって家業を継ぐためではない。島の危機を見るに見かねてでもない。敢えて言えば「東京という暮らし方」に見切りを付けたというのが正解に近いだろう。東京という大消費地に振り回されない自分の音楽と生活の基礎を築くために選んだのが故郷だった訳だ。彼らは「農音」というブランドで無農薬の柑橘類を主として首都圏向けに出荷している。パフォーマンス集団であった事もあり、彼らを訪ねていろんな人が中島に来る。農繁期に手伝いにくるのも入れば、そのまま居着いてしまう人もいる。農音は新しく居着く人と島の住民とのパイプ役の役目も果たしている。農音ブランド自体、慣行農法の島のベテラン農家と協働しているし、農協や役所の指導も受けている。ベテラン農家は農協との付き合いがあるので匿名だが「農音エクセレント」と呼ばれて、農音ブランドの中でも高級品種を定番出荷している。という訳で中島は30代と70代の強力のもと人口は増大傾向にある。

 こういった現象は中島だけに限らない。最初から地方活性化をしたくて、でも地元で受け入れられなくて他所で仕掛人になっている人もいる(マスコミに彼の名前が出る事はないが場所は神山である)。徳島で四国を股に鍋サミットを仕掛けつつ、中山間地域の棚田を教育機関に仕立て上げようとする人たちもいる。私はこういった人たちを「回遊魚」だと思っている。一旦地元から出て色んな所を回遊して、最終的に自分で自分の根がかり地を見つけ出した「回遊魚」である。回遊魚とはいえ群れではない。自分の価値観を持っているが、それが絶対でない事も諸処を回遊して来たお陰でよく知っている。だから地元の人特に高齢者に、この回遊魚たちは謙虚だし、彼らを尊敬している。自分以上にその地で生き延びる術と智慧を持っているのだから、学ばなければ損だと思っている。ただ何せ他所者なので、受け入れてもらうには一定の時間がかかる。この回遊魚に対して、地元に残っていた若者は「根付き魚」だろう。根付き魚が地元のために動き出すと、回遊魚に比べて周りを巻き込む力が強い。私の知っている例で言えば岩城島沖津波島再生を行っている一団がこれに当たる。中心人物は家業を継ぐ修行のために都会に出た事は有るが、元来岩城で育ちで商売も岩城でやっている。見捨てられていた無人島を再生するプロジェクトを立ち上げた彼を支えるのは、村の賛同者と彼の顧客たちである。村の事をよく知っているが故に、行政や村のしがらみに捉えられる事も有るが、それを外側と内側から突破口を開く仲間がいる。お陰で人の交流が活発化し、以前から続いていた村内での試みも有って人口は右肩上がりである。 

 一方「回遊魚」にも厄介なのがいる。群れで行動する一般タイプで、それこそ「小さな魚程よく群れる」という『田舎暮らしの進め』みたいなタイトルに惹かれる一団である。彼らは都会で身に付けた価値観を手放さない。村の旧来のやり方に対して合理的なやり方で対抗する。根回しを嫌い、議論で決着を付ける事を好む。回遊しているようで、実は回遊していない魚たちだ。村の自治会費が不透明だと公開を求める。飲食費が含まれていたら問題にする。けれど村の「役職」は「顔役」であって、顔役は「おお、オレにつけといてくれや」が言えるのが一番なのだ(オレ=自治会なのだが)。不明瞭。公金着服。都会であればなんとでも言える。でも昔ならば村一番の実力者が役職を引き受けていたから「オレにつけとけや」が慣習として成り立っていた。戦後になって役職が選挙だの回り持ちになっても「オレにつけとけや」の慣習は残っていて、役職に就いたものも、その周りもそれを何とな~く容認していたし、それがなければ…というところもあるのだ。そういう「ややこしい」地元のやり方を無視してしまう所は、群れの回遊魚も「地方再生…」等々の会議も根っこは同様だと私は考える。その根っこは「今までの東京のやり方が全部正しい」だ。で、この厄介な回遊魚と地元に挟まれて苦労するのが40代あたりの(地域では若者に入る)根付き魚や群れない回遊魚たちである。

 さて、幸い日経新聞が例の女性が半減する統計結果を地図にしてネット上で公開してくれている。http://www.nikkei.com/edit/interactive/population2014/map.html#!/city=36302/z=10/mode=static/(これは完全版で非常に細かい。簡易版もある)。これで中島は出てこない(松山市になっている)。岩城も合併したので上島町になる。神山に至っては同じ日経新聞が四国のトップランナーとして地方版でも全国版でも持ち上げているのに、なんと-80%の人口消滅都市にランクされている。ちなみに先ほど厄介な所とした地域は-30%と渋谷区、杉並区と同じぐらいになっている。
 さて、皆さんは統計と現実の感覚とどちらを信用されるだろう。是非一度統計地図を見に行って欲しい。現在の趨勢がこのまま続くとする統計と、実際の感覚とのズレや一致を確かめながら、問題は「現在の趨勢が続くとして」の人口増減なのか。それとも意図と意志のある人口がいるかどうかなのか。考える良いきっかけになると思う。