「学力」「学士力」「社会人基礎力」「地頭力」「地図力」「コミュ力」…

タイトルにあげたのはここ数年官公庁およびマスコミによって喧伝された「身につけるべき」力である。本当はもっとたくさんあるのだが、さすがにコミュ力で力尽きて決まった。この4文字を初めて見せられて、意味をわかる人がどれだけいるだろう(最後の力は力ではなく「カ」と読まれてしまいそうだ)。文字そのものが情報の円滑な流通を妨げていると思うのは私だけだろうか。

 ともあれ、こんなに力のつく言葉が乱立するようになったのはいつからなのかを調べて見た。と、突き当たったのが1996年中央教育審議会第1次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」である。「子供に[生きる力]と[ゆとり]を」と題されたこの答申が悪名高き「ゆとり教育」の始まりとなっている。それから11年たって「ゆとり教育」は「学力低下を招いた」「教育の再生」の掛け声とともに、国の教育方針が180度転換した。ところが[ゆとり]は無くなっても、[生きる力]は残った。曰く「いじめや不登校問題」「家庭や社会での教育」「道徳的…」といった飾り文句をつけて。そしてゆとり教育の弊害として、自主性や積極性の乏しさ、応用力のなさ、大学教育の低水準化が次々と取り上げられ、その度に新しい言葉が生み出されていった。おそらく1996年あたりから赤瀬川原平さんの「老人力」が流行ったのにあやかろうというところもあったのだろう。「老人力」は世間的にマイナス評価をされている特色を、自ら老人となった赤瀬川さんがユーモアたっぷりに逆転させた表現だった。けれども、タイトルにあげた各種の「力」はどれも当事者以外の誰かが作ったものだ。しかもどれも共通してその力がないと社会で生き抜いていけないかのように(少なくとも世間的に真っ当な会社に就職できないかのように)脅迫的に使われることが多い。とはいえ、これだけ「…力」が喧伝される割に一番肝心要の「力」がでてこないのは何故なのだろうといぶかってしまう。

 肝心要の力は幼児期から早期に教育することが必要である。義務教育はもちろん、高等教育とくに大学に入学するにあたって重視されなくてはならない。大学在学中はもちろん、就職においても最も必要とされる力である。もちろんグローバル化社会に適応するためには必須の力となる。家庭での教育も、地域社会での教育もあげてこの力の涵養を目指すべきである。宗教や慣習、民族の別を問わず、日本に在住する限り、この力を身につけてもらわなくてはならない。そういう非常に大切な力である。

 その力とは「生き残る力」である。

 え?!生き残るって?マジィ~?ホントに生き残ること?サバイバル?全員に自衛隊の訓練を義務付けるってか?

 イエ~ス、その通りなのだよ、これが。とはいえまさか1歳児に自衛隊に入ってもらうわけにはいかないからね。年齢相応のプログラムは組まなきゃいけない。でもマジ、生き延びるために必要な様々な手段、工夫、体力、知力…を総合して「生き残る力」なのだよ。

 と茶化してしまってもいいのだが、実は真剣である。考えてみて欲しい。日本という国土がどういう国土なのか。東北大震災以前の1993年から2004年をとっても、マグニチュード6以上クラスの地震の22%は日本で起こっている(たった2割というなかれ、日本の国土面積は0.25%である)。地震に伴う津波の被害はいうまでもない。さらに台風等の気象による災害が多発するモンスーン地帯に属している。災害が起こってもすぐに救援が届くわけではないのは、もう十二分に分かっていることだ。3、4日いや1週間、下手をすれば一ヶ月、冬の最中に電気もガスもトイレもない中で、どうすればなるべく快適に休めるのか、どうすればなるべく栄養価の高い食料を得られるのか。それがその後の命を左右する。阪神大震災直後、一斗缶を使って即席のストーブを作って暖を取っている人たちがいた。昭和30年代に青年期を過ごした人であれば、見慣れた風景だし、実際自分でも作れる人が多いと思う。でもその人たちが亡くなってしまったら…(私も見て知ってはいるが作ることはできない)。『八甲田山死の彷徨』で有名になった明治陸軍の雪中行軍遭難事件で、遭難した大隊の生存者の多くはマタギ等日頃から冬の山に慣れているものだった。生死を左右したのがたった一組の換えの靴下だったりする。

 私たちは今、極度に便利な社会に住んでいる。マッチを使ったことがない子供、ナイフを使えない子供も多いという。大多数がスイッチを押せばなんでもできる生活に慣れてしまったら、いざという時、なすすべもなく「待つ」ことしかできないという最悪の事態になる危険性がある。だからこその「生き残る力」なのだ。

 この力を鍛えるためには、幼児期から不衛生な場所、不便な場所、異臭や悪臭に慣れておく必要がある(滅菌シートなどは病人怪我人優先である)。外遊びが好きな年頃なのだから、できる限り放置された自然の中で自由に遊ばせるのが一番の教育になるだろう。今行われている自然の中でのプレイパークは幼児教育として必須のものになるだろう。その時期に食べられるものと食べられないもの、危険なもの(場所)危険でないもの(場所)を体験しておくといい。図鑑の知識は重要だが、災害時に図鑑も残っているとは限らない。勘を働かせないといけないことが多いだろう。勘は経験によって磨かれるものだ。自然を利用したプレイパーク的な教育活動は幼少期から骨格が固まる小学校高学年あたりまでは、年齢や男女の別なく合同で行うべきだろう。核家族化が進行して、大勢の中ではなかなか寝付けないというというのは、災害時マイナス要因である。でも…そんな自然なんて身近なところにはないという声が出そうだ。実際そうだろうと思う。

 が、世の中良くしたもので今一番問題になっている過疎化して人手が少なくなって、耕作放棄も進んでいる「里山」が日本全国いたるところにある。場所によってはちゃんと「校舎」まで残っている。四季を問わず一定の期間(日帰り等ではなく)こうした里山で農作業をしながら、各種の技能を習うという里山教育は有効な手段ではないだろうか。まだ、今なら縄をなう、石を積む、穴を掘る、水の流れを読む、手持ちの材料で何とかする知恵、山菜等を利用する知恵等々、災害時に必須となる各種技能を持つ人たちがいる。この人たちがいる間ならば、教える人材にも困らないだろう。「教育」を担当してもらうのだから、都会は里山に教育費用を払わなくてはならない。場所は山だけに限らない。これまた幸いにして日本は海岸線にまで山が迫っている。海の技術、川の技術も今なら伝承可能だ。洪水にあって孤立したとき、水が引くまで何ヶ月も耐乏生活をするのか、手近な材料で筏を作り操って安全な場所まで下っていけるかは、重要な分かれ道だ。それ以上に水の嵩がどう変化するのか、風向きによって船が水がどのような挙動をするのかを知っていることが重要になるだろう。山川草木という言葉があるが、日本という土地は四季折々に作物をもたらす土地であり、また四季折々に災害とともに生きなくてはならない土地でもあった。その土地柄を活用しない手はない。

 「でも…それって健康で不自由のない人のためだけじゃない」と言われるかもしれない。とんでもない。災害時に負傷者を見捨ててしまうようでは、その後の社会の成立が危うくなる(危機の時に隣人の助けが得られないとわかっている社会に誰が好んですみたいと思うだろうか)。だとすれば避難訓練の際、健常者が負傷者役を演じるのは滑稽な話だ。健康な人間はどうしても怪我をしているはずの所を使ってしまう。真剣に避難訓練をするのであれば、寝たきりで手足が動かない、動きにくい人の協力が絶対に必要である。訓練の際にはなるべく分かりやすいよう、大げさに呻くなり文句を言うなりしてもらえれば、災害時にどうすれば負傷者をより安全に運ぶことができるかがわかる。こうした有益な協力をしてもらう、それも専門の支援者ではない素人の手による荒っぽい扱いを我慢してもらうわけだから、当然対価を支払ってしかるべきだ。介護保険で足りない部分、しっかり稼いでいただこう。こうした体験を共有することで、介護に対する知識や知恵も普及する。認知症の人たちは貴重な人材である。自治体単位などある大規模で避難訓練を行う際には、必ず認知症の人に出てもらう(GPSを付けてだが)。災害時に情報に基づいて「適切な」行動を全員が取れると想定することほど危うい想定はない。指示とは逆の方向に向かう人、わららず混乱し喚く人、立ち止まる人等々がいて、はじめて災害時の混乱を実感できる。そしてパニックになった状況を想定しやすくなる。

 では障害者は?彼等、彼女たちこそ「希望」である。彼らや彼女たちが、おしゃれを楽しみ、趣味を謳歌し、人を愛し、子供を育てることができる社会であれば、災害後も安心だ。なぜっていつ自分が不自由になったとしても、悲観するタネがそれだけ少なくなるからだ。

 どうだろう。空想妄想と言われるかもしれないが、ちょっと真剣に考えてみてもいいんじゃないかな。少なくとも活動期に入った日本に住んでいる限り。