アソシエーション

 1995年の阪神大震災は後に「ボランティア元年」と呼ばれることになった。金銭関係ではなく、志で集まる人々に始めて注目が集まった。その後NPO法人の族生、グラミンバンクのユヌス氏へのノーベル賞の授与、社会起業やプロボノといった言葉がマスコミで取り上げられることが多くなった。

 そして今回の震災。マスコミは「がんばろう」という標語を掲げたが、むしろ「絆」という言葉が多く使われている。多くの人が、安全な場所から「がんばろう」と声をかけることよりも、時と空間が隔たっていても何らかの絆を結びたいと感じている。そしてこうした動きと全く無関係に見えるかもしれないが、今回の震災を契機として、多くの企業が拠点の分散化、現場への権限や判断の委譲を計っている。人と人との関係のあり方、そして組織のあり方が根底から考え直される時代が来ているようだ。

 現在の組織形態の多くがモデルとしている株式会社は20世紀の産物である。それも第1次世界大戦を契機として広まったという側面が大きい。意外に思う人も多いかもしれない。20世紀的社会の始まりである産業革命は、18世紀後半おそくとも19世紀には始動し、それとともに大規模工場制も始まったと思われているからだ。しかしこの時代、中心となっていたのは個人所有の工場であり、その多くは大資産を所有する特権階級のものであった。確かに当時も「株式会社」という形態は存在していた。しかし現在と違って株主は無限責任を負わなくてはならなかった。

 労働者は(今もそうだが)資本家が所有する「大組織」に雇用され、自分たちの生活形態まで決定されていた。この当時の労働者は主として肉体労働者であり、1日18時間に及ぶ長時間労働も普通であった。彼らの生活水準のひどさや教育不足は社会問題として取り上げられ、なかには労働者の生活改善運動に乗り出す資本家も多くいた。労働者のために住宅を敷地内に建設したり、教育を施していたりした。今風にいえば福利厚生施設の充実であり、その代わりに雇用主である資本家は労働者の「勤勉さ」と「命令系統への秩だった服従」を獲得しようとしたのである。

 しかしこうした労働形態や組織のあり方そのものに根本的な疑問を投げかけ、新たな組織形態を提唱するものたちもいた。今回は、J.S.ミルの議論を中心としながら当時「アソシエーション」と呼ばれたこの組織形態を紹介していきたい。

 アソシエーションを日本語にするのは難しい。通常は「団体」や「協会」と訳されるが、「結社」「おつきあい」といった訳語も出てくる。まずは「志を同じする個人の集合体」という広い意味で受け取っておいほしい。19世紀初めから半ば、このアソシエーションという言葉はちょうど現在の社会起業と同じように一種のはやり言葉であるとともに、社会の将来像を指し示す用語として、色々な人々によって使われていた。たとえばサン・シモンに始まるサン・シモン派は、アソシエーションの根本を連帯感情とし、連帯感情に基づいた協同性を信条に据えた。彼らは当時(1820年代から30年代)の状況を「愛情のあらゆる絆が打ち砕かれ…不振と憎悪、まやかしと術策とが全体に関わる関係の中で大きな役割を演じ」ているとしている。こうした中で新たな「絆」を宗教という形態を通じて、人々の愛情と秩序を通じて結び直そうとしたのがサン・シモン教のアソシエーションであるといえるだろう(参考 佐藤茂行「サン・シモン教について:サン・シモン主義と宗教的社会主義」経済学研究,35巻4号,1986年)。彼らは最終的に宗教団体という形態をとるのだが、現実の労働者・生産者の身体的、精神的、道徳的境遇の改善を旗印としていた。ただ、「秩序」を強調するあまりにかテクノクラート的な側面が強いアソシエーションでもあった。

 同じくフランス人としてサン・シモンと並び称されるのがフーリエである。彼は自らのアソシエーションに「ファランジュ」という名前をつけている。そして人々の色々な情念を4つに分類し、それぞれの情念の間には(重力のような)引力と斥力があるとした。ファランジュはこうした情念の系列に沿って、人類や動植物の潜在的な能力を最大限引き出すための共同生活を行う場である。フーリエおよびフーリエの後継者たちは、ファランジュでこそ「富と正義が一致する共同社会」が実現するとしている。このファランジュの仕組みは非常にユニーク(労働者は1日のうちに複数の活動に従事する=1種類の労働に専念してはいけない。子供はある年齢に達すると自分の親を複数選択し、その元で暮らしながら仕事を覚える等々)なのだか、そのいちいちを紹介していると紙数が尽きるので、興味ある方は『産業的協同的新世界』や『四運動の世界』を実際に手に取ってみてほしい。ただ一つ強調しておきたいのは、フーリエがファランジュでは「労働が苦痛ではなく快楽になる」と主張していたことである。

 こうした初期の動きの影響を受けて、19世紀の半ばにJ.S.ミルは『経済学原理』で、「雇用関係の廃棄(disuse使わなくなること)」を打ち出す。そして彼なりのアソシエーション論を展開する。それは労働者自身が自らの資本を持ち寄って形成する企業体である。そのため通常ミルのアソシエーション論は「労働者協同組合」といった解釈をされている。しかし私はミルのアソシエーション論の特質は、アソシエーションに参画する個々人の平等なパートナーシップであり、志を中心とした入退出自由な組織体であることだと考えている。まずは志を中心にしているという点から説明していこう。そのためにはミルが有限会社と有限会社に対する投資をどう考えていたのかから説明していきたい。

 当時イギリスではフランスで認可されていた有限会社形態を法的に認めるかどうかが議会で議論されていた。議会証人として呼ばれたミルは有限会社を少額の貯蓄しか持たない労働者が新規事業を始めるための唯一の方法として推奨する。先程も述べたように、当時は無限責任が唯一の形態であった。そのため会社を興すのに十分な資金を持たず、社会的地位も低い労働者は、資金の借り入れも投資も受けられない状態であった。有限責任であれば、出資者は出資金の範囲で責任を負えばよいことになる。見所のある事業、これまで信頼していた仲間に対する出資がしやすくなり、労働者自身が自らの手で事業を興しやすくなるとミルは訴える。さらにこうした会社形態が個人所有の会社に対して持つ利点として、多くの出資者に対して事業内容や事業収支を明確化しなくてはならず、そのことが事業の透明性を高める点を挙げる。そしてそもそも投資とは事業内容すなわち事業を興すものの志への投資であるとする(この点は現在のように株式市場が整備され巨大化した現代との大きな違いだろう)。この点はアソシエーションに関しても同様で、当初志を同じくし、資金を出し合った仲間であったとしても、志が異なってくれば直ちに脱退可能である。

 このように投資にしろアソシエーションの結成にしろ、「いかに儲けるのか」ではなく「それで何をしたいのか」という意志がまず最初にある。意志に集う仲間が形成するのがアソシエーションなのである。しかしアソシエーションといえども、組織形態である限り役割分担や命令系統は必要となってくる。その点をミルはどのように考えていたのだろうか。

 彼の議論が面白いのは、アソシエーション論と男女の夫婦関係論とが同じ「イコールパートナーシップ」という言葉で表現され、類比されながら考えられていることである(ちなみに夫婦関係の方が子供を育てなくてはならない分、継続性が重んじられる)。そしてどちらにおいても、役割の固定化は自明の理ではない。ただ、アソシエーションの場合、異なった才能や能力により、それぞれの得意分野が次第に固定される傾向があること、さらに対外的な(他社との交渉等)必要性から、ある程度の固定が望ましいことが主張されはする。しかし、リーダーシップをとる人間も、その指示に従う人間も、同じアソシエーション内の個人としては「イコール」である。その分評価も厳しくなるだろう。逆に個人の状況に合わせた働き方を認容する余地も出てくるだろう。だからこそ、ミルはアソシエーションは旧来の企業形態よりも遥かに高い生産性をおさめると主張したのである。それは単純に、同じ立場のものが集まって意気盛んだからという理由だけでは無いだろう。志を同じくする仲間と厳しいながらも同一の目的に向かっているとき、そして仲間が互いの弱点も長所も十二分に開示し、信頼し合っているとき、「労働は快楽」になるとミルは考えたのではないか。なぜなら、ミルは19世紀初期の様々なアソシエーションの内、フーリエ派を最も高く評価しており、その理由がフーリエにおいては「労働が快楽になる」という点だったからである。

 現代社会でも「労働が快楽」というと新興宗教かと言われるだろう。しかし、本当に労働は苦痛なだけなのだろうか。そして、投資や消費は単純に利益と利便性のためだけに行われているのだろうか。今回の震災が私たちに見直しを迫っているのは、今までの組織内での労働とお金の使い方そのものではないだろうか。

最小不幸と最大幸福(2)

 ミルは一応ベンサムとともに功利主義の論者とされている。「されている」と書いたのは、最初に説明した快苦スケールに量だけではなく質も含まれるべきと主張したという点で非常に扱いに困る論者だからである。スケールが一つではない場合、どのようにある快楽とある快楽を比べるのかという問題がでくる。その上彼はArt of Life として正義や倫理の分野、政策等の分野(深慮)、そして美や高貴の分野に分けて人間の行動を評価しようとする。スケールに量だけでなく、分野が入ってくるのだから、単純になにが「最大」なのかわからなくなってしまう。というわけで、研究者の間でも彼がどのような功利主義者なのか、そもそも功利主義者なのかを巡って、今も論争が続いている。

 それはさておき、私が注目したいのは、彼がArt of Lifeを追求する上で、そして幸福を最大化するときに、各個人が生存する上で必須と考えられる要素(vital interest )が確保されている(secure)ということを基礎としていることである。そしてその上で、各個人が他者と協力して(あるいは反発しながら)自らの生、生き方を自由に追求していくことを求めた点である。この必須要素はセンのベーシックケイパビリティとよく似ているのだが、何が必須要素にあたるかは時代ごとに、社会ごとに、地域ごとに異なっている。逆に言えば個別事情に応じて、各個人が、あるいは各地域がその場における必須要素が何かを考えなくてはならないのである。極度の貧困に喘ぐような社会では必須要素に関する合意は達成しやすいだろうし、他の社会から見ても判断しやすいだろう。世界的な機関による全般的な救済策や災害時の緊急要請などがそれにあたる。しかし慢性的な貧困や豊かな社会に偏在する貧困や必須要素の欠如は、個別事情を勘案しつつ解決を図るしか無い要素をはらんでいる。だからこそミルは統治を「人々の教育」として位置づけている。各人が他者の利益関心に興味と関心を寄せつつ、当該社会の必須要素欠如をどう解消していくのかを真剣に考えることが、「統治」であり、それは代表者のみが行うもの、行政が一律に行うものではない。むしろ各人が作り出していくものである。

 その上で、各個人は自ら求める理想の人生像を求め続けるための活動を行うことになる。こうした活動を経済的に支えるものが何かといえば、労働である。しかし、ミルにとって労働は「誰かに雇用される=資本に雇用される」労働ではなかった。むしろ人々が自由に資本を雇用して活動することが将来像として提示されている。そしてその場合「投資」は一攫千金のためではなく、各人がそれぞれ、あるいは協同して行う事業の理念に対する賛成票であり、応援手段である。

 ミルが求めた社会において、最小不幸は人々がその内容を考え、自ら達成するものであり、そのためにも各個人の自由な活動と、その活動を支える様々な人々の投資が必要だと考えられていたのではないか。最小不幸を何か一つの概念として固定するのではなく、常に考え続け、常に解消につとめることの中に、人間の進展があるというのが私がミルから学んだことである。

 とここまで書き進んだところで、3月11日を迎えた。その日から以降の事柄を今更事々しくかき立てるつもりはない。また通常ならば「東北地方の未曾有宇の災害に云々」というフレーズを付け加えるところだろうが、それもしたくはない。起こった事柄はそこに厳然として「ある」。その厳然としてあるものに対して、単なる決まり文句を繰り返すことはしたくないからだ。ただ、支援の輪が広がる中で、また今回の災害の中で気になっていることをミルに引きつけながら、書いて終わりとしたいと思う。それが今の私にできるわずかながらの支援だと考えている。

 まず第一にソーシャルメディアの広がりとその中で垣間見えた「教育=共育」の可能性である。すでにソーシャルメディアの活躍とその功罪については、マスメディアでも取り上げられているのでご存じの方も多いと思う。これからの議論はアカウントを持ちリアルタイムで体験した一個人の考えとして読んでほしい。今回に限らずソーシャルメディアでよく見られるのは誤報である。悪意を持ってではなく、善意から流される誤報もあれば、時間的に古くなっていて結果的に誤報となっている場合もある。今回震災直後からみられた私個人のTwitterアカウントでもそうした情報が流れていたし、注意を喚起する情報が流れた。その中で情報源を確かめより精度の高い情報を出しているアカウント、それを拡散するアカウント、さらに誤った情報を訂正するアカウント、誤報を自ら訂正し削除したことを表明するアカウント(マスメディアと比べてほしいのだけど)もあった。ずっと誤報なり偏った情報を出しているアカウントもある。結果的にアカウントを持っている各個人は、自分が情報の精度や確実度の高いと考えたアカウントから発信された情報を選択し、場合によっては拡散する。

  ミルは自らのことを社会主義者と呼び、当時の資本中心の社会に対して根底から批判的であったが、当時の一般的な社会主義者のように「競争」そのものには反対しなかった。彼が反対したのは巨大な力が圧倒的な力を持つ場での競争であり、生存のためには他社を蹴落とすことが第一義になるような競争である。ミルにとって本来の競争は「互いに互いを高めるため」「互いの違いを鮮明にするため」の競争であった。Twitterのタイムラインと、マスメディアの視聴率優先の報道を眺めながら、各個人の持つ発信力とともに個人だからこそ互いに対等に競争(時には罵倒も伴いながら)する情報市場では、情報の精査だけでなく、受け手の情報感度も教育されるのではないかと考えたのである。それは誰かのアカウントが(著名な知識人だからといった理由で)誰かのアカウントを教育するというものではなく、相互のアカウント同士がフォローや削除を通じて、互いの価値を互いに知らしめるという意味で「共育」である。おそらくこれが本来の共育なのだろう。

  そしてもう一つ、義援金や寄付以外の支援の動きである。それは「雇用創出のための消費活動」。自粛という言葉が日本中に蔓延し始めたころから始まった、ある意味政府や世間的常識に逆らう、静かなしかし芯の通った一人一人の行動の呼びかけである。義援金も寄付金も地元に届くまでに時間がかかる。そして避難者とひとくくりにラベル付けされ「支援されるーする」関係性の中に絡みとられると、人間は「依存する」ことになれてしまう。ミルが19世紀の半ば工場経営者が労働者住宅を建てることに強く反対してのもこの点ゆえだ。経営者が建てた住宅に住み、経営者が支給する支援金になれてしまえば、労働者は「個人」ではなく「経営者のお抱え奴隷」になってしまうとミルは考えたのである。この奴隷は身体的には拘束されていない。しかし自ら人生を自ら考えることをしなくてもよい,それは経営者に任せればよい考えさせられてしまった精神的奴隷なのである(同様のことをミルは女性問題でも論じている)。

  緊急時の支援は必要である。けれど1月先、半年先を見通すなら、必要なのは「自立」であり、そのためには何より自分の力で生活を再建できる見通しがあることが第一である。だからこそ、被災しなかった、日常を無事に過ごせる私たちは、日常通りに消費をし、被災地の産品を好んで消費することによって、被災地の雇用再建の道を閉ざさないことが肝心なのだ。上記の呼びかけをした多くの人がそう考えたのであろう。彼らは、経済が互いにつながっていること、自らの手で生活することが人間の自尊心にとっていかに重要か、そしてそれがいかにもろいものかをよく知っているのだと思う。被災者ではなく一人の人間として仲間とともに、自らの人生を生き続け自分自身の幸せを追求するために「必須な要素」は一方的な支援ではなく、「自立」である。そのためには、消費行動からさらに踏み出して、「被災者」だからではなく「あなただから」という信頼を基盤とした投資というミルが提唱した方法も有効な手立てだと考えている。