お母さんパワーでカシューの生産力増強

CWBカンボジア 奥谷京子

 今回カンボジアで最初に訪問したのは私たちの畑のあるSCYだった。SCYとはSambor Community Youthの略で、サンボーという地区で若い人たちが農の仕事を行っていけるようにということで始まった活動で、現在はカシューナッツの栽培、牛を飼い、さらに太陽光発電を使って鶏の孵化をさせて育てるなど、様々な活動を行っている。

 私が訪問した3月はじめ、2023年のカシューナッツの収穫が始まっていた。みんなで熟れたアップルから固い殻に覆われた実を一つ一つとっていく。それをよく乾燥させて、1年分の製造のためにストックしていく一大仕事だ。その後どうやってあの乳白色のカシューナッツが日本に届くのかは以前にも紹介したことがあるが、殻割、薄皮剥きなど様々な工程を経る。これまでカンボジアのカシューナッツはインドやベトナムなどに持っていかれ、そこで一斉に機械で全工程を効率よく加工し、輸出している。しかし、私たちはカシューナッツの収穫できるその地域で加工をすることで仕事が生まれるので非効率ながらも地域でやることを敢えて選んでいる。

 外側の固い殻割りは生徒たちの出身の村のお母さんたちにお願いしており、1か所から2か所に増えている。薄皮剥きはプーンアジとSCYの生徒の仕事として役割分担をしている。しかし、このところ生徒たちも地域にダンスをしに行ったり、村にパソコンを教えに行ったりと何かと忙しいことが多く、思うように進まない。しかし、日本との輸出の約束は年々増えているのでここをどうするかは気にかかるところだった。

 そんな時に、SCYのメンバーのモニ君の出身の村で薄皮剥きの仕事ができないだろうかという提案を受けた。モニ君は3人兄妹の長男で、2年前にお父さんを亡くし、家のお米を育てながら、妹たちを支えなければならない。また、このエリアは典型的なカンボジアの田舎で、お母さんも家に鶏やアヒルもいるし、周りに何か働きに行くようなところもない(コンポントムの街中でもせいぜい役所、ホテル、銀行くらいだろうか)。家でできる仕事を必要としている場所なのだ。今回、どういうところでやっているのかを是非観に行きたいとリクエストして、モニ君に連れて行ってもらった。SCYからの道すがら、一歩道を入ると辺り一帯稲作をやる場所が広がる。乾季だったので水が干上がって5月の終わりごろの雨季に入るまではお米の仕事もお休みのようだが、大雨が続くと近くのセン川も氾濫して辺り一面湖のようになり、モニ君の家に行くのもボートを使わないといけないくらいだそうだ。このバイクで通った道がすべて水の中というのは驚きだ。

 おうちにはバナナやマンゴーなどいろんな果樹もあり、旦那さんが亡くなっても底抜けに明るいお母さんが迎えてくれた。ここでやっているんですよと、家の中にも案内してくれましたが、こぎれいにしていて、近所の人たちが6人くらい集まり、自分たちの生活のペースに合わせて、時には子どもたちを寝かしつけてから始めて夜22時ごろまでやることもあるという。50キロほどのカシューナッツの薄皮剥きをプーンアジの生徒は1週間かけて行うのだが、わずか3日で終えてしまうほどやる気満々だ。今年の収穫を乾燥させて、いつから始まりますか?と質問をもらった。お金が手に入ると、食費や子供の教育などにお金が使えるというのでお母さんたちはとても熱心だ。またCWBカンボジアは去年以上の量のカシューナッツを日本に輸出できる契約を結ぶことができそうだ。こんな心強いコミュニティのお母さんたちの力を得て、私たちはカンボジアで活動する。

人のつながりと自分が貢献できること

CWBカンボジア 奥谷 京子

 数か月ぶりのカンボジアだったが、今回はその中でも楽しみの1つはカンボジア唯一の少数民族と言われるクイのコミュニティを訪問したことだ。口伝で高度な製鉄方法を信頼のおける人にのみ受け継がれたという歴史があり(しかし、残念ながら第二次世界大戦の頃に安い鉄が手に入ってから伝承も消え、今はもう誰もできないという)、さらには焼き畑をして森を移住しながら生活をしていて、森にある自然の恵みや日本でいう伝統野菜のような地元にしかない種を繋いできて、プラスティックを使わずに自分たちでかごを編んだりしているという話を聞いており、とても興味があった。

 実はこのコミュニティで無農薬、無化学肥料で栽培するカシューナッツ農家からも仕入れて我々は加工して日本に輸出している。実際どういう人たちが携わっているかを見に行くのも今回のミッションだった。

 噂に聞くクイの人々に勝手に “森の民”のイメージを持っていた。しかし、実際は普通に国道沿いに建つ高床式の家に住んでおり、若いリーダーたちは本当に子育てにも熱心な20~30代の男性たちで、服装も普通。これは大いなる勘違い。

 そしてここにも現代の生活の波は押し寄せている。さすがにプラスティックがゼロではなかった。しかし、伝統的な暮らしを守り続けていることは確かである。薪のコンロだったり、野菜などを混ぜる臼や棒はかなり年季が入っている。そして食材に関しても彼らは原種のトウガラシを庭で栽培しており、それを必要な分だけ使う。黒ゴマを炒って潰して塩と混ぜてゴマ塩を常備する。それをプロホックという魚の発酵食品に混ぜて、野菜のディップソースを作ったり、黒米を入れたモチモチのご飯に振りかけたりするのはまるでお赤飯のようだ。日本だとお菓子とかにも使うんだよというので、スマホでいくつか写真を見せたところ、へぇ~と興味津々。そこから日本との比較議論だ。私たちはコミュニティ全体で100人以上が集まり、建築祝いや結婚式なども祝う。都会だとうるさいと言われるけどカラオケも下手な人が歌ったらみんなで笑うだけだよと底抜けに明るい。日本もカンボジアも「ほら、もっと食べて。これも持って行って」と勧められ、田舎のお母さんは万国共通いいなぁとつくづく思う。

 この人たちともっと関係性を深めるためには、今度は私が何かを返さなければならないと直感的に思った。それこそデン君もこの地域によそ者を連れていく意味が出てくる。そこで、プーンアジに戻ってから生徒のいない午後の時間に試作に取り掛かった。黒ゴマクッキーは焼き上がりが若干固くなった印象はあるが、デン君も含めて試食してもらったら「今度カシューの買い付けに行った時にこれをコミュニティに持って行ったらきっと驚くよ」と言ってくれた。彼らとの関係性で何か前進できる材料の1つになるのであれば幸いだ。日本に持ち帰ったゴマでもいろいろ探ってみようと思う。

 今度はその試作のクッキーをプノンペンの新ビル事務所Chnai Market(挑戦市場)のスレイリャックに届け、カンボジアの都会の人たち向けに売れないかを考えようと思っている。やはりクッキーの固さや味にはもう少し工夫が必要そうだと彼女も感じたようだが、早速レシピは教えたので、自分で作ってみると言っていた。また、カシューバターを使ったクッキーも一度作ってみたいと新しい商品を作ることに意欲的だ。

こういう何かが始まる時に立ち会えるのは楽しい。カンボジア国内でも私たちは田舎のものを都会に紹介するというマーケットを広げる一歩が始まった。まだまだカンボジア人たちには値段が高いからと敬遠されることも多いようだが、プノンペンに住む外国人にじわじわと広がっているようだ。私たちには黒ゴマもカシューナッツも直接生産者とつながっているストーリーがある。どんな人が作っているか、カシューナッツのあの形にまでするのにどれだけの工程を経るのかを知っている。これは何よりの強みだと思う。上手にこういうものをアピールしながら広げられたらと思う。

CWB薬草データベース

CWB 松井名津

 アジアには薬草が溢れている。が、どこでも、どの薬草も危機に瀕している。開発による絶滅の危機だけではない(それも深刻なのだが)。急激に近代化とグローバル化の波にさらされる中、薬草に関する知識が失われつつある。これは日本の歩みを振り返れば納得できると思う。戦後、GHQや政府の指導のもと衛生管理が徹底された。おかげで私たちは衛生的な水、国民皆保険制度の中で守られることになった。そして同時に「野原の草」は「雑草」となり、不衛生なもの、口にしてはいけないものになった。高知県では県民食といわれ、スーパーでも販売される「イタドリ」は、他県では見向きもされない。全国区となった「タラの芽」「サンショの葉」「大葉」…スーパーに並ぶ山野草は、栽培され綺麗にパッケージされる。けれどそれは季節の彩りとして消費されるものになっている。かつて、ちょっとした怪我、腹痛、頭痛や発熱は、家の庭やそこらの土手に生えている薬草で癒されていた。薬草はまた腹を満たす食糧でもあった。薬草に関する知識が衰えるとともに、身近な薬草は雑草となり、全ての病は医者の手によって治癒されるものに変化した。それは近代がもたらす福音でもあったが、同時に近代につきまとう集中化の一環でもあった。人々は自分たちが持っていた癒しの手段を忘れ、専門家に依存するようになったからだ。

 アジアでも同様のことが起こっている。ではアジアでも福音は訪れるだろうか。私は疑わしいと思っている。良くも悪くも日本は中央集権化に成功し、一応多くの人が安い費用で医療に接続できる状況が成立した(今その基盤が危うくなっていることは先般のコロナ騒ぎで痛感したところだが)。けれど、アジアの多くの国では満足な治療は一般の人々の手の届かないところにあることが多い。だからこそ、薬草に代表される民間医療を知識としてデータベース化することに意味があると考えている。それは同時に日本では失われてしまった知識を再び見直す画期になると思っている。

 これまでも何度かデータベース化の試みはあったのだが、なかなか前に進まなかった。色々な要因があると思う。が一番の要因は各国の若者を事務局として巻き込めなかったことにあると反省を込めて考えている。今回は、その反省に基づいて若者主体のデータベースづくりに取り組むことになった。若者が主体になり、老人から薬草やその使い方を聞き出すことで、世代交代ではなく世代継承ができるのではないかと期待している。まずはこれまでも薬草とその使い方をビデオに撮影してきたカンボジアが、アジア全体のモデルケースとなることを期待している。特にカンボジアではプーンアジの生徒たちが、近隣の村やクイの村へデジタル知識を教えに行っている。彼らを中心としたデジタルの輪が、古来の知恵を再活性化し、現代に活かす道を拓いてくれると考えている。

 また今回のデータベースの特徴は身近な病気や怪我で検索できることだ。今までの試みはともすれば有効成分の情報に偏っていた。しかし有効成分は「今わかっている」ことにすぎない。薬草の効能の中には、よくわからないけど経験的に効くものもある。それを現在の科学的効能に絞ってしまうのは、とても惜しいと考えたからだ。また、私たち自身がデータベースを使うときにも、かつてのように身近な病を癒す手段を検索してほしいと考えているからだ。薬草は万能ではない。だからこのデータベースで「ガンの特効薬」を探さないでほしい。痩せる薬も高血圧を治す薬も探さないでほしい。それは「薬草」の埒外の問題だと私は思う。薬草は人々が長い時間をかけて発見し、人々が使い続け、人々が守り続けた結果として存在している。私たちの日常に根付いていた薬草を、再び日常に活かすためのデータベースを作り上げたいと望んでいる。