コスタリカ:コーポラティズムと国家

CWBメンター 松井名津

ブルーノさんが英訳してくれたコスタリカのコーポラティズムパート1からパート3までを読んで、ひどく不思議に思ったことがある。それはコスタリカではコーポラティズム(協同組合主義)と国家がとても密接な関係にあることだ。

例えばパート2ではコスタリカの協同組合をめぐる法制度が取り扱われている。1940年前後から営利企業に関する法律、労働者に関する法律等々が整備されていくが、その中で、協同組合に関する方が整備されたとされている。しかもこうした法律の淵源に1871年に策定された憲法(マグナカルタ=大憲章と書かれている)があって、そこには国が協同組合(協働型の組織)を促進するとともに労働者の生活水準の向上に取り組むべきとされていた。さらに1947年にはコスタリカ国立銀行が、協同組合を支援し、監督、指導するとともに、協同組合を設立するための動きを促進し、教育する事が定められている。

こうした法制度や条項は政治的動向に左右され変更が加えられるが、1972年には国立銀行とは独立したINFOCOOPが設立され、国家がコーポラティズムの促進と発展に関与する事が表明された。ここで協同組合としているのは消費者協同組合だけでなく(というよりもむしろ)生産者の協同組合であったり、労働者の住環境向上を目指す協同組合であったりと、さまざまな役割を果たす中間団体を指している。

パート3ではコスタリカのコーポラティズムと国家との間の関係性が論じられている。そこでは20世紀前半にコスタリカの協同組合は国家と市場の間に抜け落ちてしまう社会の最も脆弱な部分に浸透することで、その勢力を強めたと論じられる。とはいえ、国家との関係や国家の介入は当初から「ある」ものであって、時に政治的な集票マシーンとして、時には労働者や脆弱な部分をコントロールする機関として働いたとされる。

 なんだか旧ソビエト連邦の組合とか共産党と国家の関係を思い出してしまいそうなのだが、論文全体の調子で見る限り、協同組合が厳しい統制化に置かれているというわけではなさそうだ。どうやらコスタリカ特有の状況があるのではないかと思った。

コスタリカは中南米諸国でも特有の歴史と特徴を持っている[1]。歴史的には厳しい山岳地帯と熱帯雨林に囲まれた地理的状況から、スペイン植民地支配の周辺部分に置かれていた。コスタリカはメキシコやグアテマラと同じく、グアテマラ軍務総監領に属していたのだが、グアテマラやメキシコが独立したのと同時にコスタリカも自動的に独立を果たした―ただし、コスタリカがそれを知ったのは独立後1ヶ月経ってからだったという。それほど植民地統治中央から遮断された領域だったといえよう。その後コスタリカは、1856年隣国ニカラグアから攻め込んできたアメリカ傭兵部隊を退けた「国民戦争」によって一つの「くに」意識を高める一方、18世紀から19世紀にかけて整備され大きな経済動力となったコーヒーとバナナの輸出によって経済力を高めていく。しかし20世紀前半のコスタリカ社会は「珈琲貴族[2]」と呼ばれる一人握りの人たちに掌握されていた。

その一方で1870年にクーデターにより大統領となったトマス・グアルディア将軍により、一院制議会と強い大統領権が認められた1871年憲法が制定された。これが先に触れた大憲章であり、トマス・グアルディアの後も「リベラル[3]」な大統領が続き、権威主義的な「自由主義国家の時代」を迎える。この自由主義国家の時代に、コスタリカでコーポラティズムが生まれ、成熟を始めたわけである。社会的にはコーヒーやバナナによるモノカルチュアの基盤を掌握したエリートたちによるエリート的社会の中で、職人や手工業者、都市労働者の相互扶助を目的としたコーポラティズム(ワーカーズコレクティブも含む)が形成されたとパート1で書かれているが、その背景にはこうした政治的動きがあったといえよう。また第一次世界大戦による輸出収入減の中で、主要産業であるコーヒー産業でも1918年に協同組合が生まれ、輸出業者や大規模生産者に対抗したとパート1で述べられている。この第一次世界大戦による経済危機を乗り越えるために経済改革と税法の革新に取り組んだのがリカルド・ヒメネス大統領であり、この時期から珈琲貴族による寡頭政治が衰え始める。パート1でもこの時期にコスタリカの農業組合は国の政策と軌を一にして、失業者救済や農業貸付を行い、社会的緊張を和らげたとある。小澤卓也による「『自由主義』時代は独裁的な大統領による『上からの』近代化政策から始まったが、やがてその『自由主義』を本当の意味で実現しようとする市民たちの『下からの』運動によって政党政治へ[4]」の移行が社会的側面でコーポラティズムとして現れたともいえる。

さらに1948年の内戦を経て成立した1949年憲法では常備軍が廃止されるともに、女性や黒人の政治参加も認められ、1919年以降中南米諸国の中で唯一クーデターを経ない政権交代が常となっている。コスタリカでは軍事費に回される予算が教育と福祉に使われるといわれ、高い識字率と低い乳幼児死亡率を誇っている。こうした背景がコーポラティズムと国家介入との親和性をさらに高めていると考えられる。国民の民主主義への支持や満足も高く、民主主義に対して固有の価値を持つ国民が存在していると考えられている[5]

 しかし、コスタリカは1970年代最後の経済危機の結果、世界銀行およびIMFからいわゆる「構造改革」を迫られる。80年代には「新しい保守」として社会問題への国家介入を制限し、国際的なビジネス関係を優先する経済政策がとられた。協同組合に有利な制度や税制は廃止され、一般企業や多国籍企業の参入がより容易になった。また多くの国と同様に公営企業の民営化と自由化が図られた。しかしコスタリカでは例えば公的ヘルスケアの民営化は「サービスのコスト上昇なしにヘルスサービスを継続させ、貧しい住民に対してケアを制限したり、応分負担を求める(負担できる金額に応じた手当のみを行う)ということなしに実施された[6]」。諸々の協同組合は、民営化に伴う負担増やサービスの停止といった国民の不満を増大させる政策のバッファーの役割を担うこととなった[7]

コスタリカの財政赤字の要因の一つは国内債務で、国債発行による財政赤字補填の拡大やが元本と利子の返済が財政を圧迫しているという。日本の現在の財政状況を考えるとき、コスタリカ以上の財政縮減(もしくは増税)が迫られるであろう。その時日本の各種協同組合が、社会と国家のバッファーとしての役割を果たすことができるだろうか。コスタリカでは民主主義が根付いており、大統領選挙への投票率も常に高い(80%程度を維持している)。国家の政策をどう受け入れるかに関して、協同組合をはじめ様々な中間組織を含んだ諸団体との協議や契約の形成が図られている。コスタリカは人口も少なく、資源に恵まれているともいえない。中米諸国の中では先進国並みの医療制度や公教育制度があるとはいえ、高度な医療や教育にはまだまだ手が及ばない。しかし環境政策や外交政策において対米従属だけではない独自性を発揮し、国際社会の中で発信している。コスタリカのコーポラティズムはこうしたコスタリカ独自の特質の中で、国家とともに成熟し、また変容―効率化―してきたといえよう。今後コスタリカの協同組合が、ビジネス的な要素を取り入れつつ、社会性を活かす取り組みを継続できるかが問われている。これまでの歴史から国家との密接な関係がどこまで個々の協同組合の財政に影響を及ぼしていたのかは、今回の4つの論文から伺うことはできない。もし日本的な補助金制度があり、それに依拠していたのだとすれば、ビジネス要素を受け入れることは難しいだろう。しかし、協同組合を管轄するINFOCOOPが協同組合の財政規律を重んじていたとすれば、公的・行政的な要素から脱して、社会的役割とビジネス要素のバランスの新しいモデルの一つとなることができる。民主主義への高い参与意識がこうした新しいモデルへの道を切り開くのではないかと考える。


[1] 以下の記述は国本伊代(編著)『コスタリカを知るための60章【第2版】』,明石書店, 2016年による

[2] コスタリカのコーヒー生産は中小規模の農家によって行われており、いわゆるラチフンディアシステムではなかった。が、生産から一次加工・二次加工・流通・輸出までを独占的に支配していたのが珈琲貴族である。

[3] ここでの「リベラル」「自由主義」は国家が国民の生活水準や福祉水準に責任を持つというケインズ主義的な政策をとる主義のことである。アメリカ合衆国でもリベラルといえば、こうした社会民主主義的傾向を持つ政治的見解のことを指すので注意が必要である。

[4] 小澤卓也「『自由主義時代』と政党政治―政治を動かした市民」,前傾書所収.

[5] 久松佳彰「コスタリカにおける民主主義の価値―ラティノバロメトロに基づいた記述統計」,山岡神奈子編「調査研究報告書 コスタリカ総合研究序説」アジア経済研究所,2012. https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Reports/InterimReport/2011/2011_412.html 2023年11月9日アクセス

[6]Cooperatisim in Costa-Rica Part III。また宇佐美耕一は1980年代の財政危機を原因とする医療サービスの低下や保険省とコスタリカ社会保険公庫との二重行政の問題の改革が、医療部門に市場原理を導入する方向で行われたとする。が、この改革が国民に受け入れられた理由として、超党派の医療係者の専門委員会が設置され、国内の政治合意のもとに改革が遂行されたことを挙げている(宇佐美耕一「第4章中米の福祉国家における新自由主義改革―コスタリカの社会保障制度改革―」アジア研究所『岐路に立つコスタリカ:新自由主義か社会民主主義か』(アジア研究所選書36, 2014年所収)

[7] とはいえ2000年には通信部門への一般民間参入を求める法案に反対して、電力公社(電力・通信)の労働者を中心とし、一般労働者や学生が参加した大規模なデモが起きている。(松田郁夫「第41章ようやく動き出した民営化と遅れる財政改革」国本伊代(編著)前傾書所収)

インドの大学と「社会起業」研究所でCWB8か国が協働 ―会議で会ったヴェンカテシャ・ナヤックさんの社会起業家50人を紹介

CWB 奥谷京子

ご縁というのは不思議なものだ。2018年に南インドのマンガロール大学でネパールのアリヤさんをはじめ、CWBメンバーが社会起業に関して紹介をしたのを聞いていたヴェンカテシャさんとはSNSで繋がっており、ウェビナーでゲストとして一度お話もさせていただいたこともあった。

その彼が、今回本を書くので書評を書いてほしいという連絡が来て、この社会起業のムーブメントをインド、そして世界へと発信していきたいのだろう。

――『Seed of Change』には、社会起業家の成功事例が50件紹介されており、外国人にとっても非常に分かりやすいです。とても励みになったので日本語に翻訳したいと思います。 私たちは分断の時代に生きています。国家は他国と戦います。しかし、影響を与える人たちだけでなく、市民も国境を越えて地に足を着いて(心を開いて)、草の根からパラダイムを変えていく必要がある。新しい世界を作ろう!

ここに載っている事例には映画にもなって日本でも知られているものもある。このような成功事例を踏まえて、自らの手でどれだけ育て、作っていけるか、だと思う。ちょうどスリーダラー教授が現在、ITで有名なバンガロールの新しい大学で社会起業家研究所のようなものを作りたいという話が出て、準備を始めている。

かつてマンガロール大学に行った時に大学に通う生徒はいわば人口の数パーセントでエリート意識が強い。しかし、階層意識が根強くあり、ソーシャルニットワークプロジェクトのスジャーナさんと一緒に編み物を練習していたら、毛糸のくずなどをあっさり床に落とした。わざわざゴミを作らなくても…と思って「こんなのはまとめてゴミ箱に捨てたらいいじゃない?」と指摘すると、「これも清掃する人たちの仕事づくりです」と女子学生がぽろっと発言したことに驚いた。

これでは地域の人々と同じ目線に立って何かを始めるのは簡単ではないかもな…と感じたことがある。しかし、大学に行くチャンスを得ていろんな情報を持っているからこそ、世の中の難しい課題解決に若いエリートはチャレンジをするという息吹が生まれたらと願っているし、CWBも一緒に推進していきたいと思う。この1冊が社会起業に関心が増える人々がインドだけでなく、世界に増えることを願っている。

今年はこのインドの社会起業をシビルミニマムでも連載で紹介していきたいと思う。

  • アンシュー・グプタ:

思いやりのレガシーを繋ぎ合わせる

インドの社会経済が織り成す複雑な風景の中で、アンシュー・グプタは仲介人のプロとして、都市部の過剰なニーズから農村部のニーズまで、慈愛のレガシーを繋ぎ合わせている。ウッタル・プラデーシュ州の中流階級の家庭に生まれたグプタは、大きな野望と変革に満ちた物語として展開される。グプタはメディア・インターン時代に、インドの農村部の恵まれない人々の厳しい現実、特にまともな衣服も着られないことに直面した。この発見により、彼の人生の使命、そして原動力となっていった。

グプタが設立したNGOのGoonjは、彼のヴィジョンを実現するための器となった。グプタは、インドの都市部で余っている資源を、農村部の人々の満たされていないニーズへと導くパイプ役を担っている。グプタが中古品、特に衣料品の再分配に力を注いでいるのは、より公平な社会を作ろうとする彼のコミットメントの証である。

Goonjの影響は、日常的なチャリティをはるかに超えて反響を呼んでいる。グジャラート州、タミル・ナードゥ州、ケララ州での自然災害の後、グプタと彼の組織は希望の光となった。グプタの救援・復興活動は直接的な被害を軽減するだけでなく、アショカ・フェローシップや社会起業家賞など、名誉ある賞も受賞している。

グプタのリーダーシップの下、Goonjは衣服だけにとどまらない。地域社会の進化するニーズに適応し、ダイナミックな変化をもたらしている。グプタのヴィジョンは再生可能エネルギーの領域にまで及び、低所得世帯に持続可能なソリューションを提供することを構想している。この画期的なプロジェクトは、Goonjの影響力の視野を広げ、進歩と自給自足への道を照らす。

グプタが物語を紡ぎ続けるにつれ、この物語は単なる社会起業家精神の物語ではなくなっていく。それは思いやり、レジリエンス、そして溝を埋める勇気を持った男の不屈の精神の物語である。グプタはGoonjを通して、思いやりの糸が地域社会を結びつけ、都市と農村の二項対立を超えた物語を紡ぎ出している。

グプタの手にかかれば、チャリティはエンパワーメントの物語へと変貌する。グプタの旅は、一針ずつ変化を生み出す人間の精神力についての深い探求である。Goonjという織機が動き続けるなか、アンシュー・グプタの物語は、彼の人生の証としてだけでなく、より思いやりのある公平な世界へのインスピレーションとして響いている。WEB> https://goonj.org/

  • ドゥルヴ・ラクラ

 ミラクル・クーリエ エンパワーメントの人生

活気あふれるムンバイの中心で、声なき人々の静かな闘いとぶつかり合いながら、ドゥルヴ・ラクラはミラクル・クーリエを通してエンパワーメントの物語を作り上げた。

ヴィジョンを持った社会起業家であるラクラの人生は、宅配便サービスを営むという意図だけでなく、インドの聴覚障害者コミュニティの機会を再定義するという意図から始まった。

2009年1月に設立されたミラクル・クーリエは、単なる宅配サービスではなく、インクルーシブとエンパワーメントの象徴である。このアイデアは、ラクラがムンバイのバスの中で、定期的なアナウンスにもかかわらず、耳が聞こえないために移動することができない少年に遭遇した、痛切な瞬間に出会ったことがきっかけとなった。この出会いは、聴覚障害者が直面する課題を見過ごしがちな世の中で、聴覚障害者コミュニティが直面する無言の闘いを実感するきっかけとなった。

ミラクル・クーリエの種はこの意識から発芽し、ラクラは聴覚障害者とろう者の間のギャップを埋める行動に出た。ビジネスと社会セクターの両方における学識と経験を生かし、彼は聴覚障害者に有意義な雇用を提供できる営利目的の社会事業を構想した。

聴覚障害者の視覚的な洞察力を理解していたラクラは、彼らは視覚がスキルとして活かせる強みと最低限の言語的コミュニケーションで成り立つ宅配便事業を選んだ。

3人の従業員から始まったこの事業は、今では50人以上の従業員を抱えるまでに成長した。市内に2つの支店を持つミラクル・クーリエは、50社以上の企業から毎月75,000件以上の配達を請け負っている。

ミラクル・クーリエは、ビジネス領域における単なる成功物語ではなく、社会変革と認知の道標なのだ。ラクラと彼のチームによる卓越した活動は、ヘレン・ケラー賞、エコイング・グリーン・フェローシップ賞、インド大統領自らが授与する障害者エンパワーメント国家賞など、名誉ある賞を受賞している。

ミラクル・クーリエは、数字や称賛にとどまらず、聴覚障害者コミュニティに機会を創出するというラクラのコミットメントの証でもある。共感とヴィジョンを原動力とする社会起業家が、いかにして生活を向上させる持続可能なビジネスを生み出すことができるかを示す模範となっている。会社の成長は、単に出荷量で測られるのではなく、ミラクル・クーリエを通じて目的と尊厳を見出した聴覚障害者の従業員一人ひとりの静かな勝利で測られる。

ミラクル・クーリエは、一見平凡に見えるサービスが、いかにして障壁を打ち破り、より包括的で思いやりのある社会を育む、変革のための並外れた力となりうるかを示す、輝かしい例であり続けている。

ドゥルヴ・ラクラの人生は、単なる起業家精神の物語ではなく、エンパワーメントの物語であり、すべての配達が荷物だけでなく、より良い、より公平な未来の約束を運ぶことができることを証明している。   

WEB:https://www.miraklecouriers.com/

  • ハヌマッパ・スダルシャン

部族の権利を擁護し、コミュニティに力を与える

インドの多様な風景の中で、ハヌマッパ・スダルシャンは部族の権利の献身的な擁護者であり、コミュニティのエンパワーメントの影響者である。

1950年12月30日、カルナータカ州イエマルールに生まれたスダルシャンの人生の歩みには、インドの部族民の幸福と向上に対する深いコミットメントが反映されている。医学の専門家として研修を受けたスダルシャンは、バンガロールの医科大学を卒業後、思いがけない方向へと歩みを進めた。ラマクリシュナミッションと手を組むことを選んだ彼は、従来の医療の枠を超えた使命に乗り出した。カルナータカ州の緑豊かな野原から、そびえ立つヒマラヤ山脈まで、スダルシャンの人生は、国の隅々にまで医療サービスをイニシアティブに展開した。

スダルシャンのヴィジョンは医療ケアにとどまらず、社会から疎外されがちな部族コミュニティにも及んだ。1980年、彼はカルナータカ州の部族集団の総合的な発展に焦点を当てたヴィヴェーカナンダ・ギリジャナ・カルヤナ・ケンドラを設立した。この取り組みは、医療にとどまらない変革の始まりとなった。さまざまな部族が暮らすカルナータカ州チャマラジャナガル地区は、スダルシャンの仕事の中心となった。

スダルシャンの努力は医療施設の提供にとどまらず、部族コミュニティの教育、生計、技能の向上にまで及んだ。この包括的な開発アプローチにおいて、スダルシャンは地域の生態系の保全にも同じように重点を置き、伝統的な慣習と現代科学の調和を生み出した。

彼の組織であるカルナ・トラストは、このヴィジョンをカルナータカ州だけでなく、アルナーチャル・プラデーシュ州にも広げている。

部族福祉に対するスダルシャンのコミットメントは、タミル・ナードゥ州、カルナータカ州、アンダマン・ニコバル諸島、アルナーチャル・プラデーシュ州の部族の生活に消えない影響を残しているヴィヴェーカナンダ・ギリジャナ・カルヤナ・ケンドラ(https://vgkk.in/)という組織を通して、さらに顕在化している。

部族の若者たちが率いるこの組織は、学校、職業教育トレーニングキャンプ、ヘルスケアセンター、意識向上プログラムを通じて、ホリスティックに充実することに重点を置いている。

スダルシャンの貢献が注目されないことはない。パドマ・シュリ賞、ライト・ライブリフッド賞、社会正義のためのマザー・テレサ賞など、名誉ある賞を受賞している。マハトマ・ガンジーとスワミ・ヴィヴェーカーナンダ(ヒンドゥー教の改革者)の理想にインスパイアされた彼の謙虚さと献身は、社会奉仕に捧げる生き方に反映されている。賞賛にとどまらず、スダルシャンの人生には深いメッセージが込められている。彼の活動は、寛大な行為としてではなく、本質的な責任として、部族社会の声に耳を傾け、向上させる必要性を強調している。彼のたゆまぬ努力によって、スダルシャンは身体を癒すだけでなく、不当に沈黙させられている人々の力強い代弁者となり、より包括的で公平なインドを提唱している。

WEB: https://www.karunatrust.org/