フィリピン- コミュニティツーリズムの可能性を探る

CWB  松井 名津

サライはフィリピン・ミンダナオ島北部にある小さな地方都市です。このコミュニティに長らく根を下ろしてビジネスを続けているのが、紙漉き商品でおなじみのサライ・ハンドメイド・プロダクト(シャピイ)です。その社長でもあるニールさんが、長年取り組み続けているのが、サライから車で20分ほどの「マタンパの森」です。今までは植林活動が中心でしたが、人々が集まり観光スポットとなり始め、商業主義的な開発が進む危険性も出てきました。

 そこで、ニールさんが以下のようなビジネスプランをまとめて送ってくれました。コミュニティツーリズムというには少し難があります(これについては後述)が、まずはニールさんによる「マタンパの森」の紹介と将来的な計画を紹介しましょう(なお市場分析や収益計画は省略しています)。

1) マタンパの歴史:マタンパ地域は1980年代の反乱(モロ紛争のことを指すと思われる)の影響もあって、30年以上もの間、見捨てられた土地でもあった。特に山上は紛争により禿山となっていた。2000年になって、こうした紛争の影響も落ち着いた頃、ニールさんがこの地を訪れ、ここが自然環境として優れた可能性を持っていることに気がつく。山に囲まれながらも、海を見通すことができ、風に恵まれた土地であり、もしここに松を植樹すれば人々の癒しと交流の場になると考えたのである。

 そこで、まずは自分が植樹するとともに、2010年にはサライ・ハンドメイド・プロダクトの400人の従業員とともに、9.7キロの山道を踏破して、1000本の松の木を植樹した。この松が育ち始まると、あたりの気温は目に見えて低下し、海からの風も心地よい涼風へと変化した。

2)気候変動とマタンパ:サライは海と山に面した土地であり、最も低い場所は海抜0m以下になる。そのためサライは気候変動により海が土地を侵蝕する(低地にあった公共市場が移転)、巨大台風による沿岸住民の家屋倒壊、浸水といった被害を毎年のように受けている。その一方、マタンパでは植樹活動によって、あたりの気温が下がるとともに、植生が甦りつつある。マタンパは気候変動という地球大の問題に、一人一人の人間が立ち向かえること、その効果を立証してもいるのだ。

3)マタンパの現在:当初、ニールさんは「マタンパの森」を自由に使える土地として開放していたが、多くの人が来るにつれてゴミの散乱などの問題が生じた。そのため、現在は簡単な柵と門を作り、高校生でも払える額の入場料をとっている。また、「マタンパの森」が辺りで評判になるにつれて、専用のFacebookページが作られ、結婚式の前撮りの場所としても利用されるようになった。特に夏の暑い時期、多くの人がBBQやキャンプを楽しんでいる。こうした利用状況から、9.5キロの道のりも舗装され、夜間照明もつくことになった。

4)マタンパコミュニティと「マタンパの森」:反乱の影響もあってマタンパ周辺のコミュニティでは、社会的インフラが乏しく、雇用の機会に恵まれないため、多くの若者がコミュニティの外部に出て行ってしまっている。「マタンパの森」のさらなる開発にはこうしたコミュニティにどのような雇用の機会を提供できるかという視点が必要不可欠である。

5)開発の目的と必要事項:a)商業的ではない自然と調和した開発であること:今最も求められているのは、宿泊施設(ロッジやキャビンなど)である。実際に少しふもとに近いところにコンクリートでできた施設が建設された。しかし周囲の景観と調和しないこともあって、利用する人は稀である。「マタンパの森」を自然公園として生かすためには、木材を多用したキャビンやロッジを建設したい。これは特に家族連れから要望が強い。
b)マタンパのコミュニティとの共同:特にマタンパ周辺にあるいくつかの滝を結んだトレイルロードのガイドとして、コミュニティの人を活用する。またサライとマタンパ間の移動手段の提供、マタンパでの飲食の提供などで雇用を生み出すことができる。
c)子どもたちのために:子どもたちのための遊び場をDIYで作る。環境教育として「マタンパの森」を活用する(特に森林保護、生物多様性等)。

d)各種プログラム:ジップラインやロッククライミング、木の滑り降りなどスリルを求める人向けの施設を作る。文化プログラム:サライ近辺のコミュニティカレッジやNGO等と協力して、伝統的な芸術やハンディクラフトを見せるイベント等を行い、地域の伝統をアピールする。

 さて、ここまで読んでいただいてどのような感想を持たれただろう。もちろん短い要約に過ぎないし、マタンパの魅力を十全に伝えているものではない。けれど「既存のプラン」という感じは否めない。マタンパの最大の特徴は反乱を超えて緑を蘇られたことである。さらに緑が蘇るとともに人々の交流もまた復活してきているということだ。けれど集まってきている人はまだまだ「観光客」でしかない。

 コミュニティツーリズムに不可欠な要素は、異なったコミュニティ(文化等々)がその違い(ボーダー)を超えて出会い、互いに刺激し尊敬の念を抱く可能性(inspire)を見出す点にある。残念ながら、今のプランだとマタンパの景色に刺激を受けることはできても、マタンパへの貢献が見えてこない。単なる植樹体験であれば、マタンパでなくても良い。自然探索の専門知識がある人、生物多様性に関して専門的に関われる人がいれば、コミュニティガイドを養成することもできるだろう。が、今のところ計画のその部分は白紙のままである。d)の各種プログラムもすでにあるものをマタンパに持ってきているに過ぎない。

ではマタンパはコミュニティツーリズムに適さないのだろうか。戦火を超えて蘇った緑、一人一人が植樹することによって生まれた涼風。この要素は貴重だ。さらにニールさんはマタンパのコミュニティにサライ・ハンドメイド・プロダクトの生産拠点を移すことを考えている。というのも、マタンパが手漉き紙の主要な材料であるアバカの産地でもあり、古くから押し花やカードを作ってきた職人たちの故郷でもあるからだ。そしてマタンパは園芸作物(花や植木)農家が集まってもいる。花―緑―自然―エコプロダクトと揃っている。上で紹介した以外にも自然写真のコンテストとか、自然の中での映画上演などのアイデアがあるのだが、これを統一的に結ぶコンセプトなり動きがないのが難点なのだ。互いにインスパイアできるためには、お互いが「核」を持っている必要がある。その核がまだできていないのが、マタンパの現場だと考えている。

 で、皆さんにお誘いをしたい。フィリピンの中心、マニラから飛行機で1時間、さらにそこから車で2時間弱かかるサライへ出かけ、マタンパをコミュニティツーリズムの拠点とするために汗をかいてみませんか? 交通費は自弁、宿泊費と食事はフィリピン側が負担。マニラでは味わえない地方特有のフィリピン(というかサライ)気質=人懐っこくて、お節介、お祭り好きで後先をあまり考えないにどっぷり浸かりながら、新しいものを生み出す(クリエイティブ)な体験をぜひ味わってください!!!そしてロッジ建設支援も。日本から大学生の薫平君が訪ねる。きっとニールさんからロッジひとつ30万円の要請があると思います。上記コンセプトにご興味ある人はお金の用意を!!

継続が信頼を生む

CWB 奥谷京子

カンボジアに行くとどこにいても若者で溢れている。6月にはASEAN内のスポーツ祭典でホスト国になったカンボジアでは、あちこちでイベントが開かれ、その周辺はバイクで大混乱だった。コロナも落ち着き、徐々にいろんな活動が再開している。若者のやりたいことをチャレンジできる場を作れば、どんどん可能性が広がっていきそうなワクワク感を与えてくれる。

 週1回行われるカンボジア若者リーダー会議に、クイ族のリーダーであるミエン先生(地元で歴史を教えている)も参加するようになった。クイ族はカンボジア国内では少数民族で、その昔は製鉄の技術を持ち、アンコール王朝で有名な建物に多く使われた。そして1000年以上、森を活かした生活をベースにしてきたが、ここ最近のプランテーション開発でその森も減り、焼き畑農業といった伝統も失われつつある。生活の基盤が根っこから奪われ、近くのゴム工場に出稼ぎに行くしかなくなり、独自の文化は消えようとしていた。いくつもの世界中のNGOが地元に入って支援プログラムや資金を提供してきたが、2年か3年と決められた期間が終わるとさっさと引き上げてしまうので、地元のためなのか、NGOの報告書作りのためなのかクイの人々は懐疑的で有難迷惑になってしまったという。そこで世界中の数々の支援団体の中から私たちCWBを選んで組織も一体としてやることを決めたのは7年間、CWBが逃げずに地域に根差した活動をしている実績からだという。ミエン先生をコミュニティリーダーとして、その下に若者で4つの部門を作った。ツーリズム、伝統ダンス、そして二つの仕事作りチームだ。CWBメンバーがコオロギの飼育の方法を教えて実際に2組の家族がそれで仕事を始め、うまく回りだして出稼ぎに行く必要がなくなった。もうひとつの鶏ビジネスでは鶏小屋を一緒に汗して創る。メンバーは30人を超える。他のクイの村からも参加したいと言ってきているが、と相談があった。CWBとしてはまず、ミエン先生の村で成功事例を作ってからが良いだろう、とアドバイスした。平均年齢は20歳前のティーンエイジャーだ。輝く目とほとばしるエネルギーは無尽蔵なのだ。日本人である自分からはうらやましい限りだが、この「アジアの若者と日本人は連携して学び働く」が解だと気付いた。このクイの村に今年、大学1年生の後藤薫平君と、楠の榎本愛子さんが訪問する。こうして互いに一歩踏み込んだ結果、週一会議にクイチームも参加することになった。これまで築き上げてきた信頼の賜物だ。

ここでの支援も日本人が中心ではない。50ヘクタールの畑を運営するSCYの若者、学校を拠点にITなどを学んだ学生。この50人が学んだことを次に継承することができるようになったのだ。その実績から国連のユネスコから、世界遺産・サンボープレイクックにも若者活動が期待され予算が付き、新しいプロジェクトも委託された。そこでは学生による清掃作業が始まっていたのだが、さらにリサイクルの理念の元、サンボープレイクック周辺のレストランから出た残渣をエサにしてBlack Soldiers Flyと呼ばれるハエの幼虫を飼育し、それを周辺で鶏を飼う農家へ安いエサとして提供し、高価な飼料を買わずに地域内で循環させようというのを若者チームは始めた。その幼虫を飼育できる建物が自前で完成し環境が整ったのだが、地元で食べ残しの分別が思うように進んでいないので、幼虫を飼育するエサが足りないという壁にぶつかっている。しかし、分別の仕方を親など周りの大人たちに教えるようになり、若い人たちから親世代への意識改革も同時に始まっている。分別という面倒な新しい習慣を地域に持ち込むのは確かに大変だ。しかし、においも気になる邪魔者のゴミが鶏のエサとなる宝を生み出し、コンポストまで作れることが徐々に浸透していけば地域内循環が始まる。世代を超えた教育の実践だ。  その種の予算と言えば2年~3年の期間で終わるのが一般的だ。長期にわたると癒着や依存が起こるからということだろうか、お金を出す側の理由でどこも均一的に区切るのが実情だ。そしてある一定の成果を上げなければならないので無理やりにでもプロジェクトを起こして去っていく。その間、本部からやって来て事情も分からず指示し自発を阻害する。期間を経て書かれた報告書は上から目線の言い訳的になることも多い。本来であればその地域が本当に必要とすることをその人たち自身の手でできるように長い歳月をかけて取り組んで報告してこそ当たり前のことだが。CWBカンボジアは国連やヨーロッパの財団から支援を受けているが、その下請けではない。彼らもスマートになりつつある。国境を越えて人材が、技術交流で協力しているので、それら団体より私たちの視野が広く深く長い。まさに未来学者のダニエル・ベルが看破した「世界の問題を解決するのに国家は小さすぎ、コミュニティの課題をきめ細かく実践するには大きすぎる」のだ。もうそろそろ、日本のこういう国際貢献は大きく見直す時期だろう。お金を出す側の都合から、コミュニティが自立し本当に喜ぶことへとパラダイムシフトができず、お節介・押し付けがマイノリティの人たちに続く限りは世界に新しい変化を起こすことは難しい。そこに今、私たちは気づけてよかった。若い人を中心にコミュニティで活動を継続し、信頼を築く、これが私たちCWBの国境を越えた活動のミッションであり、時代の先端にいることを実感する日々だ。日本人が世界で認められる道は「相手のために働く」人材育成だ。そういう場を作る、それを競創と名付けた。CWBはその先進事例を作り、世界に広げる。限界性ばかりを言う日本に、リアルな可能性を汗しアジアと連携し作り示す。日本との交流だけでなく、ASEAN・インド圏も含む。CWBは合わせて25人の国境を越えた派遣を年内にする。シビル読者の皆さんにはお金よりも技術や知恵での助力をお願いしたい。