能登半島震災、私たちに何ができるのか

CWB 奥谷京子

年明け早々、日本は能登半島で強い地震が起き、被災地の日々刻々と変わる状況をただニュースで見聞きするしかない状況が続いている。迂回ルートがなく、頼みの綱の国道もひび割れの上に雪も積もり、物流もスムーズに動かない。外部のボランティアもかえって迷惑をかけるだけで、しかし現場は人手不足で困っているというこの歯がゆい状況。1か月が経過して、少しずつ復旧のニュースも舞い込んできているが、なんだか日本の弱点がすべて出てしまっているような気がしてならない。

そんな中で2年前から石川県にUターンした元スタッフ、金丸雄司君に地震が起きて5日後に連絡を取った。高校卒業後に何をしたいかわからないから、面倒を見てやってくれと紹介されて東京の事務所にやってきた、どこにでもいる青年だった。そして山口に転勤になって、20年くらい前に豊浦町(現下関市)の無人駅でインターネットカフェをやっている時に一緒に働いていた仲間だ。当時はまだ彼も20代前半だし、あまり社会的な活動ということには興味がないのかなと思っていたのだが、現在はアウトドア用品を扱うMont-bellに勤めており、今回も寝袋やテントなどをいち早く被災地に届けることで動き、その義援隊を志願して現地に入った、とのこと。その時の写真も送ってくれた。何もできなくて悶々としていたので、いち早く動いている仲間がいることを知って私もうれしく思い、この会社にすぐに義援金を送った。

私は何ができるだろう?阪神淡路大震災のときは大学生で、当時インターネットがほとんど普及していなかった時代に、私のいたキャンパスはいち早く進んでいた。避難所から受けたFAXに書かれた必要な物資の情報を当時主流だったパソコン通信を使って、協力してくれるコミュニティに流すというボランティアを春休みに入った大学に通いながら行っていた。

2011年の東日本大震災は女性起業家と共に被災地に入ってソーシャルニットワークプロジェクトを始めた。福島第一原発付近の大熊町から避難して東山温泉に避難した人々は2カ月経っても家に戻れず、お金も節約して1時間も歩いて会津若松の街中へハローワークへ職を探しに行っていたり、津波で何もかも流された宮古の人が3か月経っても体育館で段ボールで間仕切りされた場所で生活されており、そこも見学させていただいた。仮設住宅にもお邪魔して一緒に編み物もした。

2015年、この時の経験を活かして、ネパールの大地震の後、12月末にカトマンドゥを訪れ、ソーシャルニットワークプロジェクトを立ち上げた。数カ月経っても電気が通っておらず、私が滞在していた小さなホテルで暖房も使えず、毛布を3枚ぐるぐる巻きにしてようやく眠れたが、朝は氷点下になる。まさに今の能登半島と同じだ。幸いにも水は出たので歯磨きなどには困らなかったが、給湯器が使えないので体は何とかタオルを濡らして全身を拭いたがシャワーをする気にはなれない。そして髪の毛を濡らした後も乾かせないので躊躇する。日中に陽がさすとあちこちから人が集まってきて、日向ぼっこができる時が何よりの幸せだった。でも現場の被災した人たちはコンクリートの壁に囲まれて入り口をビニールシートでふさいだようなシェルターにおり、もっと過酷な状況だったので文句は言えなかった。確か2、3泊したと思うのだが、二度と味わいたくない経験だった。その時の気温とほぼ能登は同じだと思うと、どれだけ辛いだろう…と。

これまでの震災同様、何年にもわたって応援は必要になってくる。1つ頭の中にあるのは、みんなから応援をもらっていると被災地の皆さんが遠慮したり恐縮してしまうのではなく、そこにいる人も何かで社会に役立っている、貢献していると誇りが持てることが大事なのではないか、と。例えば、伝統的な日本家屋の多い地域だったので、たくさんの瓦が割れている。それを瓦礫として単に処分せず、細かく砕いで水はけのよい瓦の利点を生かして公共施設の道路沿いに生かされ、リサイクルとなっているとか。

あるいは現在寒いので低体温症にならないためにもたくさんの使い捨てカイロを使ってもらいたいのだが、単に捨てるだけではもったいない。以前カイロの原料を水の浄化に生かしているというニュースをテレビで見たことがあったので、例えば被災地で使われたものを集め、今後の水の浄化に生かすものへと生まれ変わらせて、お寺の池、川の水の浄化などに生かすなど(今回も生活用水がかなり困ったようなので)、何か自らの行動で社会に還元できることにつなげられないか、そんなことが私の中ではよぎっている。使い捨てカイロを回収するということであれば、例えば物資を現地に届けに行ったボランティアの人々が帰りの便で持ち帰って発送するということもできる。

今回の号で紹介するインドの社会起業家で紹介しているSELCOはなかなか面白い。チャパティの話を13ページ冒頭に紹介したが、単に電気を貧困層に普及させるというだけでなく、仕事を創り出している点が興味深い。こういうアイディアは被災地でちょっと前向きに動き出そうという時に学べる要素がいろいろある。

これから暑い時のボランティアは大変なので、ソーラーパネルでかき氷マシンでもいいかもしれないなぁとも考えていたが、チャパティに代わる日本独自のものだと「飲む点滴」と呼ばれる甘酒づくりをソーラーパネルの熱源で作るというのもいいかもしれない。工事、建築などの重労働に携わる人、警備で立ちっぱなしの仕事の人、あるいは片付けなどでボランティアに入る人など、気候が温かくなっても多くの人が今後も能登に携わる。甘酒は糀と水があれば甘酒が作れる。ポイントは50~60度に温めて10時間ほど保つことだ。これをお日様の力で温度を調整出来たら、電源にお金はかからない。カンボジアでもカシューナッツの薄皮を剥く際に電気のない村でソーラーオーブンを作ったのだが、大きな鍋にお湯を常に沸かし、そこからポンプでお湯をくみ上げて(このポンプに動力が必要で、太陽光発電を活用)オンドルのようにお湯の熱を庫内に届け、冷めたお湯は再び鍋に戻して沸かして循環させるような仕組みを作った。山口大学工学部の先生と共同開発したので、例えば地元の金沢大学の先生や大学生たちとそんな機械を考案して作り、糀も全国から集め、被災地の皆さんが自分たちが飲むだけでなく、応援に来た人たちにもふるまえないだろうか。冷やせばアイスクリームの代わりに夏バテ予防にもいいかもしれない。 

まだアイディアレベルではあるが、世界の事例からも学び、被災地と何か繋いでいけたらいいなと思っている。

国境を越えて社会的共通資本を守る

CWB メンター 松井名津

シビルミニマムの前号で後藤薫平さんが宇沢弘文氏の社会的共通資本について紹介しました。 それは、1)森、空、海などの自然、2)橋などのインフラ、3)教育、福祉などの制度です。これらの社会共通資本は、人々が「豊かな経済生活を送り、洗練された文化を発展させ」、「持続可能で安定した人間にとって魅力ある社会」を実現するための社会装置として不可欠なものです。 この定義に基づいて、私は宇沢氏の社会的共通資本とパトナムの「社会的共通資本」をあえて組み合わせてみたいと思いますが、後者は経済学ではなく社会学の概念および定義です。

なぜ私が宇沢氏とパトナム氏の考えをあえて組み合わせようとするのかを説明する前に、パトナム氏の「社会的共通資本」の概念を説明した方がよいでしょう。 彼の有名な著書『孤独なボウリング』の中で、彼は近所のコミュニケーションが減少するにつれて、投票などの社会活動への積極的な参加が減少すると主張しました。また、他者への思いやりや共感が減少する傾向も反映しています。一緒にボーリングをしたり、ビンゴゲームに集まったりする近所の施設が減少するにつれて、米国の人々は個人主義的、さらに言えば自己中心的になっています。たとえ普遍的な初等教育や国民皆保険などの優れた社会制度があったとしても、人々がそれに参加できなかったりすると、これらの社会制度は当然のものとみなされがちです。そうなると形骸化してしまいます。だからこそ、私は宇沢氏とパトナム氏の「社会的共通資本」を組み合わせたいと考えています。

典型的な例は日本のPTAです。大日本帝国は敗北し、同盟軍、特に米国に占領されました。占領軍のGHQは、日本を民主的で自由な国家にするために、多くの古い確立された制度を変更したいと考えていました。 教育もその制度の一つで、GHQは小学校ごとにPTAという制度を作るよう要請しました。PTAは、米国のモデルに基づいて設立された保護者と教師の団体です。保護者と教師は、学校を取り巻くさまざまな問題や問題について話し合います。子どもへの教育だけでなく、大人への教育も。また、学校生活と家庭生活の橋渡しをし、各学校を地域社会の中心とすることも目的としていました。しかし、日本が急速に経済成長するにつれて、保護者はPTAに参加することに消極的になりました。その理由の一つは、PTA制度がトップダウン制だったということです。PTA全体で取り組むべき課題は中央PTAが決定します。各地域のPTAは、これらの問題にあまり関心を持っていない場合がありました。各PTAの活動は例年と同じで、社会に合わせて変わるものではありません。一言で言えば、本質を失ってしまいます。

日本のケースとは対照的に、プンアジの両親のミーティングは現在非常にうまくいっています。親はプンアジのコンセプトや使命を知っており、積極的に質問し、時には子供たちにプンアジのルールに従うよう説得します。両親はプンアジ自体に強い関心を持っています。

この例が示すように、社会的な仕組みをうまく機能させるには、強い動機と、強い関心を持つ人々の積極的な参加が必要です。もちろん宇沢氏はこのことをよく知っていますが、残念ながら経済分野では政府の政策のみに焦点を当てています。いずれにせよ、社会共通資本を自ら保全・維持していくためには、仕組みと人の両面を見据えることが重要です。そこで私は、宇沢氏とパトナムの社会的共通資本の概念を組み合わせます。

では、グループとして、組織として、社会的共通資本を維持し維持するにはどうすればよいでしょうか? 営利企業?理論的に言えば、営利企業は十分な利益が得られないため、社会的共通資本を維持する責任を負いません。協同組合はどうでしょう?ブルーノさんの翻訳からわかるように、モンドラゴンは個人向けの金融システム、教育施設、相互扶助などの社会の仕組みを作りました。モンドラゴンまたはバスク地域内に限り、モンドラゴン協同組合は社会的共通資本を保存および維持しています。

雇用などのビジネス面だけでなく、バスクの文化やコミュニティも同様です。従業員はモンドラゴンの使命とコンセプトをよく理解しており、モンドラゴンのメンバーであることに誇りを持っており、その経営に責任を持っています。しかし、バスク州外では、モンドラゴンが独自性を維持できない場合があります。その理由は、モンドラゴンがバスクのコミュニティに強く結びついていたからではないかと推測します。スペインがEU市場に参加したとき、彼らはスペイン国外で事業を拡大する必要がありました。外国企業や他の企業と競争するためです。

現在、社会的共通資本をどのように維持し、維持し、再生するかという問題は国境に制限されません。川、山、海、空気、それらは人類にとっての社会共通資本です。 地球温暖化は言うまでもなく、社会共通資本のそれぞれの問題は、すべての人類に影響を及ぼします。しかし、地球規模の問題は、各人にとって、その人の認識やイメージを超えている傾向があります。それぞれが関心を持っている社会共通資本、つまり各個人を取り巻く問題を維持することは容易でしょう。先進国ではありますが、各人にとって共通の利益を見つけることは非常に難しいことでもあります。政府が社会共通資本を維持すると、社会の緊張が高まることがあります(また、政府は金融危機により社会的共通資本を維持する力を失いました)。

幸いなことに、アジア諸国にはコミュニティが残っています。彼らは地域社会との強いつながりを保ち、自然とともに暮らしていました。 しかし、これらのコミュニティは「グローバリズム」と「モダニズム」によって脅かされています。彼らは伝統的な生活様式、伝統への誇りを失いました。一つのコミュニティだけでは生活を維持することはできません。一方で、コミュニティが自らの伝統や文化を強くコミットし、力ずくで維持する場合には、外国人を排除したり、外部からの変化を否定したりすることになります。それは最終的に彼らのコミュニティを弱体化させます。各コミュニティは互いに協力する必要があります。しかし、どうやって?

モンドラゴンの重要なポイントからいくつかのヒントを得ることができます。まず各コミュニティは、自分たちの核となるアイデンティティは何なのか、そしてアイデンティティを維持するために必要な社会的共通資本は何かを明確にする必要があります。第二に、各コミュニティは各メンバーがコミュニティの一員となるよう動機づけるべきであり、各メンバーは個人の尊厳として成長する機会を持っています。次に、各コミュニティは他のコミュニティと連携する方法を模索します。場合によっては、リサイクルを促進する方法など、1つの問題だけについて協力することもあります。時には、特に教育に関して多くの問題や側面と協力し、スキルや知恵を交換します。最も重要なことは、各コミュニティが互いに競争し、刺激し合う対等なパートナーであることです。一言で言えば、使命、哲学、野心に基づいたコミュニティネットワークを作ることです。 このようなネットワークの構築に成功したら、私たちのネットワークに興味のある他の組織や人々と協力していきます。 他の組織や人々は、社会的共通資本の維持についてそれほど深く考えたり行動したりしないかもしれませんが、私たちのネットワークとともに行動し、それらの一部は影響を受け、より深く協力します。 それは、私たちにとって不可欠な社会的共通資本をどのように維持するかを解決するために、上から下へや組織を作るのではなく、世界的なネットワークに拡大する方法です。