ブルジットジョブと⾼付加価値

松⼭⼤学経済学部教授 松井名津

以前、『ブルシットジョブ』という本を紹介したことがある。その時、日本社会は「何のためにやるのかわからない」「誰の役にも立たない」ブルシットジョブを、組織の中で広く共有しているのではないかという推論を展開した。今回、吉田屋を含む温泉津温泉旅館組合がある補助金に採択され、その後の事務手続きを行っていて、もう一つの可能性に気がついた。吉田屋で展開しようとしているプロジェクトは別次元の話ではあるが、少し我慢して読んで欲しい。

まずこの補助金の不思議さは「全体計画」が個別事業体の予算なしでも応募できるという点だ。そして採択が決まると大慌てで各事業体は経費の詳細な見積もりを提示しなくてはならない。老朽化したり、時代に合わない施設の改修を申請する事業体が多い(吉田屋もその一つだ)が、補助金の対象は「施設の改修」なので、あらゆる設備は「固定されている」必要がある。さらに全体計画をより長期的で持続的なものとするために、省庁派遣の「コーチ」が3名ついている。彼ら・彼女たちは全体計画のアドバイスをするのだという。なので、先に書いた補助金の詳細(それは個別の計画を左右する。そして個別の計画が揺らげば全体の計画も変化せざるを得ない)について、個別の事業者が質問するのだが、回答は事務局に持ち帰ってからになる。ちなみに事務局のコールセンターとコーチの返答が齟齬することもままある。このコーチたちとの面談が週に1度(申請後は月に2度程度)1時間余り繰り返される。

とはいえ、これが官公庁の補助金業務の実態なのだろう(長年続いてきた補助金であればもう少し緻密ではあるが)とは思っている。そしてこのブルシットの積み重ねのような業務に付き合っているうちに、気がついたのが日本ではブルシットの積み重ねこそが「高付加価値」なのではないかということである。この補助金の受託業務には非常に多くの人間が関わっている。コーチは一部上場企業から派遣されてくる。ウェブ申請を受託しているのもきっと名が通った企業なのだろう。そして多分そこから派生的に下請けに出されているのだろう。(おかげさまで(?)しっかり申請画面から申請できないというエラーが発生しても、一向に解決できずそのままである)。要は高給を得ている人間が多数関わっているということだ。ということは、この事業自体非常に経費がかかった「高い」事業になっている。なんという無駄…と思いつつ、申請の手引きを読み直していたら、この事業の目的の一つである「高付加価値化」が全て「客単価をあげる」「来客数を増やす」であることに気がついた。

そう、高付加価値化とはお金がたくさん費やされることなのだ。ということは、この補助金事業そのものも、多くの経費を費やすからこそ、付加価値を高める事業になっているわけだ。とうとうここまで来たのか。そう思った。付加価値とは何か。元々の財やサービスが持っている価値以上の価値のことだ。現代経済学の「常識」では価値は消費する個々人が持っている価値観に基づいている。温泉旅館の下にも置かぬもてなしに「価値」を見出す人もいれば、温泉があるだけ他には何もないところに「価値」を見出す人もいる。前者にとっての高付加価値は多くの従業員がいて、痒い所に手が届くサービスを提供してもらうことである。その結果として客単価は上昇する。しかし後者にとって他人のサービスだとか、便利な道具は邪魔なだけ。付加価値を高めるどころか価値を低めることになる。後者にとっては「何もないこと」こそが付加価値なのだから。結果として後者のような消費者は客単価が低い。長々と書いてしまったが、付加価値を高めることと、金銭が多く得られることとは全く別の次元の話なのだー現代経済学でも。

しかし日本では「高付加価値」は「貨幣をたくさん費やすこと」に変化してしまった。さらにそれが当然視され、誰も不思議に思わないらしい。70数年間の戦後の歴史がこの意識を形成してしまったのだろう。なにしろより便利に、より清潔に、より贅沢にが目標だったのだから。けれど、付加価値は本来その人独自の感覚によるものだ。ホームレスのダンボールハウスの建築を研究していた大学院生が、恋人を段ボールハウスの住人に取られてしまったという笑えない実話がある。建築学では有数の大学院に所属していることと、人間の魅力は別だったのか、それとも「生きる力」に惹かれたのかは定かではない。しかし彼女は一般的な高付加価値(学歴の高さ)よりも、自分自身の直感的価値観で選んだのだろう。日本人はこれからも沢山の貨幣が高付加価値だという常識に従って生きていくのだろうか?それとも自分の直感的な価値観を取り戻すのだろうか。

4⽉5⽉の楠クリーン村からの呼びかけではアジアの⽣活技術で協⼒「保存⾷」

松⼭⼤学経済学部教授 松井名津

ミャンマーでの活動に関しては折に触れ紹介しているところですが、今回は保存食技術提携のその後についてお知らせいたします。まずは皆様から、梅干しや漬物、ひしおなどさまざまな技術の詳細や、技術を持っている方の紹介をいただき、ありがとうございました。「自分には技術がないから、せめてお金だけでも」と寄付していただく場合も多く、感激しております。さて、今回の保存食技術提携は日本からだけでなく、アジアネットワークのコミュニティからも、それぞれのコミュニティに伝わる様々な保存食、あるいは保存の技術が紹介されました。その一部をここで皆さまに紹介し、日本でも「もしもの時」の備えにしていただければと思います。ミャンマーの政変は遠いことの様に思えますが、世界に広がるコロナによる都市封鎖(ロックダウン)による流通の機能崩壊・食品不足などは、とても他人事とは思えません。


1)インドからは日干しの技術と土器を使った昔ながらの冷蔵方法が紹介されました。日干しの後か来る油で揚げれば、健康的なスナック…ポテトチップですね。

2)インドネシアからはユダ君が自分の屋台カフェで実践している簡便な保存方法と、プルメリアの花を乾燥させ、油でさっと揚げるスナックが紹介されました。地味なイメージの保存食ですが、花のスナックは可憐で保存食のイメージが変わるかも。


3)ネパールからは伝統食の一つである「グルンドリュック」の作り方です。これは様々な野菜を細かく切って、干して、さらに発酵させたもの。ネパール料理には欠かせない調味料であり、食卓の一品です。手間隙がかかるところはネパールのお袋の味といったところでしょう。


4)フィリピンからはジョリーが実際にイワシの塩漬けに挑戦です。仕上がるのに2ヶ月ほどかかるとのことで、仕上がりのビデオはまだですが、漬け込み方を
YouTubeチャンネルにアップしてくれました。

5)カンボジアからは今までも昆虫食の紹介がありました。ミャンマーでも昆虫は佃煮的に食べられていますし、WHOも未来食として推進中。日本でもコオロギスナックが話題になったばかりです。


6)楠からは簡単な「カクテキ」を楠クリーン村メンターの恒子さんがズームで紹介。日本各地の参加者でも賑わっていました。ミャンマーには大根がありますし(日本とちょっと違うかもしれませんが)ピリ辛味が好みなので、意外と受けるかもしれません。

募集したのが6月と保存食を作るには最適とはいえない時期でした。これから冬に向かう時期。保存食の作り方をご存知の方は、ぜひビデオに収めてお送りください。CWBネットワークの各国も、今後も保存食の情報を集めていきます。

引き際―温泉津の吉⽥屋旅館を輪ケーションに、出会った⼥将から学ぶ

松⼭⼤学経済学部教授 松井名津

どんなに人気を博した主役級の俳優でも、時が経つと自分はもう主役の俳優ではないと感じる時があるのだろう。年齢的な問題、顔や体の変化、あるいは単純にシリーズものが行き詰まったから、等々。その時、どう身を処するか。演劇や映画の世界から身を引く人もいれば、新しい自分を築く人もいる。そこにその人自身の美学だとか、潮目を読む力が集約されている気がする。


こんな前書きで始めたのは、温泉津温泉で引き際を心得ているんだなと思う人に出会ったからだ。子供に継がせることもなく、一人で切り盛りする旅館の幕引きを考えながら、それでも丁寧に朝ごはんを作ってくれた人だ。彼女が幕引きを考えるに至ったのはコロナのこともあっただろう(お客さんがぐんと減ってね)。世間の変化についていけない(何でもネットやけど、ネットはわからんし、1日張り付いてしまうから)のもあっただろうが、何より「潮時」を感じたからではないかと思う。

「若い人が帰ってきてやりよる。新しいもの」に対して羨望するのでも、嫉妬するのでもなく、興味津々で出かけていく。そこに転換期を見出す。自分の今までのやり方が通用しないのも肌身に染みて知っている(パートさんに来てもらってもな、仕入れも無駄になるし)。そろそろ退場の時が来たのだと自覚しているのだなと思った。そして彼女はできるだけ潔く、自分の場所を片付けたいのだろうとも思った。

戦後の社会も70余年。社会に年齢があるとしたら、そろそろ人生の幕引きを考える頃だ。そして確かに一つの時代の幕引きが近づいていることを感じている人も多くなっている。若い人が、ではない。年齢でいえば65から70歳ぐらいの人たち、それも自分で世の中を渡ってきた人たちが感じている。この年代の人たちは戦後の申し子といっていい。ただ申し子といっても常に時代の直中で活躍していたという意味ではない。安保闘争や学生運動の嵐が過ぎゆく頃、ある人は嵐の中にいて、他の人は嵐に遅れてきた。オイルショックの頃、価値観が180度転換するのも知ったし、群集心理の怖さも見た。バブルで踊った人もいれば、踊りたくても踊れなかった人も居ただろうが、時代の雰囲気は濃厚に覚えている。そしてその後の日本が迷走を深める中で、自分の年齢を自覚していった人たちだ。その人たちが「引き際」を考え始めている。なぜなら今が「潮時」だと感じているからだ。

全てが変わる…おそらく10年後には誰の目にもはっきりとわかるように。そう感じている。そしてその新しい何かを支えるのは、自分たちではなく今の高校生か中学生だろうと感じている。感じていて焦り「今」にしがみつこうとする人たちがいるのも確かだ。けれど、しがみつくのは自分たちが当然としてきた価値観が崩壊すると知っているからでもある。そういう人は総じて暗い顔をして悲観的なことを語る。

引き際を考えている人は結構明るい。悲観的なことを言いはする(特に日本社会がこのまま「戦争をする国」になるだろうという危機感を持っている人は多い)。けれど根っこは明るい。「見るべきほどのものは見つ」といって碇を担いで、仰向けに入水した平知盛ではないけれど、時代の変化を時代とともに見てきたと思っている。その上でこれからの10年、社会がどんなに変化していくかを見る楽しみにワクワクしている。そしてその新しい動きに自分の居た場所を明け渡したとしても、どうとしても生きていけるという「軽さ」を持っている。私の個人的な感覚なのだが、若い世代よりもこの辺りの世代の方が、今が転換期だと確信している気がする。それはこの人たちが色々な潮目を見て、経験してきたからかもしれない。若い人にとっては生まれてから今まで、自分が生きている今ここの価値観しか知らないわけだから、この価値観がゴロっと変わるとは確信が持てずにいるのだろう。だとしたらできれば何かをやりたいと思っている若い人は、引き際を知っている人から話を聞くといい。人や時代が変わる時というのはどんな雰囲気なのか。多くの人はどんな風に行動を変えるのか(より正確にいうと行動を変えていないつもりで、変えているのか)。自分の思いを語るのもいいだろう。ただ言葉が通じないこともあるかもしれない。なにせ流行語には疎いから。でも自分の思いを多くの人に通じる言葉を練習する機会だと思って欲しい。彼らは君たちの話をじっくり聞くだろう。助言をするかもしれないが、邪魔はしない。躊躇する原因を抉り出されるかもしれないから、覚悟は必要になるだろうが。