インドChanakya 大学との協働―モニ首相の「現場主義と技術の統合」は教育の未来方向として正しい

CWBアドバイザー 松井名津

Chnakya大学という新設の大学との協働プロジェクトの始まりは、CWBの理論的なメンター役でもあるスリーダラー先生の提案から始まった。この新しい大学の副学長に以前から付き合いのあるドングレ先生が就任し、社会起業研究所を設立する計画もあるという。

社会起業の実践でCWBと連携ができるのではないかと、スリーダラー先生がドングレ先生に提案されたわけだ。たまたまドングレ先生が日本に1ヶ月以上滞在する予定があり、実際に会って話をしませんかということで、5月末ドングレ先生と会うことになった。

片岡さんからのアドバイスもあって、今までのような形式、「現地の大学で講義→学生グループ作成→ビジネスプラン→現地での実践(に対するビジネス面でのアドバイスや販路の提供)」は取らないことを大前提とした。現地での実践に手を貸すというよりも、CWBネットワークの中でインターンとして実践経験を積んでもらう方向性で話をするつもりだった。というのも今までの経験上、最初の講義時や対面時は勢いがあっても時間が経つにつれ熱が冷める。学校の行事や試験が優先される。学生グループの中でのちょっとした行き違いでグループそのものが破綻する。等々。

どうしてもスカイプ等の遠隔でのコミュニケーションでは活動のモニタリングになってしまい、手間がかかる割には実践上の結果が伴わない(もちろん学生側だけに原因があるのではなく、モニタリングをしているメンターの実力不足や経験不足にも原因がある)ことが度々だったからだ。CWBネットワークの中でということは、学生にとってはインドから外国に行くことになる。さらにこれまでの経験から2〜3ヶ月の短期では効果がない。最低でも6ヶ月、できれば1年の時間が欲しい。正直いってこうした要請をドングレ先生側は渋い顔をするのではと私自身は思っていた。

しかし、話を始めると非常にスムーズに受け入れられた。むしろそれぐらいの期間が当然という感じだ。結果的に下記のような概略が定まり細部に関しては今後ということになった。

1)インターン学生の受け入れ:小規模なビジネスの実践や経験をつむ。

2)特に農業分野での6次産業化への実践場所を提供

3)各民族特有の文化保全とビジネスを結合させる実践・実験・経験
4)インターンシップの期間は最低6ヶ月から1年:学生の負担に関しては今後話し合う。
5)学生はこのインターンシップに関して大学から単位を認定されるので、学生評価に関して大学側も関わる。CWB側もJDや評価会議の結果を共有する。

6)対象となるのはChnakya大学ビジネスマネジメント学部の2年生もしくは3年生になる予定。

7)CWBでのインターンは農作業など退屈そうに見える活動が多い。がそれは現実の作業を知り、その中から新たなアイデアなり商品を生み出すことを期待してのことなので、単純作業の日々を覚悟してほしい。

話がスムーズだったのはドングレ先生がすでにCWB(とその前身)や、日本の六次産業化の試みをご存知だったことが大きい。しかしChnaka大学が2020年に制定されたインドの国家教育政策に基づいた新設大学という要素も大いに寄与しているのではないかと考えている。そこで最後にこの国家教育政策の中での高等教育の役割を紹介しておきたい(本文はhttps://www.education.gov.in/sites/upload_files/mhrd/files/NEP_Final_English_0.pdfにある)。

National Education Policy 2020は3歳から18歳までの統合的普通教育、それ以上の高等教育および生涯教育をすべて取り扱っている。序文では多方面における技術的科学的進歩により単純労働が機械に取って代わられること、逆に熟練した知的労働の必要性が高まること、特に気候変動・資源の枯渇・エネルギー問題に対しては理系・文系の枠組みを超えた教養が必要となることが述べられ、従来の正解のある知識を身につける教育から、「どのように学ぶのか」を身につける教育が必要であると謳われる。「教育は単に認知的能力―読み書きという基本的な能力からより高度な批判的考察や問題解決までーを養成するだけでなく、社会的、倫理的そして情感的な能力と姿勢を養成しなくてはならない」。こうした方針はインドの深い伝統(知識Juan・智慧Pragyaa・真理Satyaを人間の最も高度な達成目標におく)に根ざすものである(とこの辺りはモディのヒンズー第一主義を思わせるところもあるが)。したがって「教授法は経験的で、全体的、統合的、探究的かつ発見的であり、学習者中心で議論を基礎とした柔軟なそしてもちろん楽しいものでなければならない」とされる。

さて、こうした全体方針のもと、高等教育で何よりも強調されるのが「全人的(holistic)で専門蛸壺にならない(multidisciplinary) 教育」である。その方法の一つが認定された単位(credit)を貯金できるcredit bankシステムであり、このシステムを活用することで、一専門にとらわれないコースやプロジェクトの選択が可能となる。このクレディットを基礎とする教育と並んで3本柱になっているのが環境教育と価値教育である。環境教育といっても生物多様性といった生物学・化学的なものからゴミ、汚染・衛生といった社会政策的色合いのもの、森林や野生動物の保全までを含む。価値教育は人権や自由といった西洋的価値をインド伝統的価値から捉え直す(逆かもしれないが)とともに、コミュニティへの「奉仕(サービス)」に大きなウエイトを置く。そして全人的な教育の一環に地域の産業・ビジネス・アートや職人分野へのインターンシップが位置づけられている。こうしたインターンシップは「学生に自らが身につけた知識の実践的側面に現実的に従事することになる、そしてより一層職に就く機会を高めるという副産物を得られるだろう」とされる。

ここまでなら、日本の大学でもおおよそ字面的には謳われそうな事柄である。しかしこうしたインターンシップに加えて、職業教育が従来の知識型教育と同等のものとなる。職業教育が「大学に行けなかった落ちこぼれの生徒」用だとみなされているのは、日本でもインドでも変わらないようだ。が、この教育方針ではこうしたものの見方そのものが学生の選択の機会を狭めているとする。したがって4年制分野横断型の大学は自らのカリキュラムとして、あるいは産業や企業、NGOとのインターンシップのいずれかの形態で、学生に職業教育を提供しなくてはならないとされる。起業家教育もこの職業教育の一環であり、そのために各機関は研究所を設立することになっている。ようは「お客さん」のインターンシップはいらないということだ。学生の職業選択に役立つような職業教育、しかもその職業の中にはアート(ダンスがきちんと明記されている)や職人技(織物が代表に上がっている)が含まれている。 CWBの活動は、上記の環境教育、コミュニティ中心、カンボジアの伝統舞踊をはじめとする民族文化保全を含んでいる。その意味で以上の教育方針に適合的だ。しかしそれだけに一層責任も重くなる。果たして私たちの活動は、真にインターン生にとって有益な場になり得るのか。単なるちょっとした異文化体験や起業の真似事に終わるのか。これから私たちのネットワークの真価と進化(深化)が問われることになる。

変化の種⑥ インドの社会起業家の紹介

CWB 奥谷京子

先月はお休みしましたが、再びヴェンカテシャ・ナヤックさん著の『変化の種~Seeds of Change』からご紹介します。

前回は女性ドライバーを育成して地域で女性が安心できるバイクタクシーを増やしたり、地元の女性たちの手仕事にデザイン性を加えてIKEAのような世界市場へ応援するもの、聴覚障がい者の女性たちのドレスづくりをオンラインストアで支援するものなどバラエティに富んでいました。今回は“Transforming lives(人生を変える)”と原文のタイトルにあった3人の起業家をピックアップしたところ、3人ともやはり女性起業家でした。日本で“Social Entrepreneur”という言葉が現れる前は「生活密着型ビジネス」とWWBジャパンでは表現していました。生活の中の発想・着眼点で仕事を作り出す、地域に貢献する、人育てに力を入れる、不平等を無くすなど、それを作り出す多くの女性がいるのは世界共通です。

ウルヴァシ・サーニ博士:教育を通じて人生を変える

ウルヴァシ・サーニ博士は、インドの社会起業家精神の最前線に立つ、先見の明のあるリーダー、女性の人権活動家、教育者です。Study Hall Education Foundation (SHEF) のCEO兼創設者としての彼女の使命は明確です。それは、インドで最も恵まれない少女たちに教育へのアクセスを提供することです。

サーニ博士は30年以上にわたる献身的な活動を通じて、900以上の学校と協力し、15万人以上の女子生徒の生活に直接影響を与え、さらに27万人の女子生徒が彼女のプログラムを通じて間接的に恩恵を受けており、消えない足跡を残しています。彼女の献身と情熱により、2017年に名誉ある「社会起業家オブ・ザ・イヤー」賞を受賞しました。これは、教育とエンパワーメントの追求における彼女の無私無欲の行動が認められました。

ウルヴァシ・サーニ博士は、学校のガバナンス、カリキュラム改革、教師トレーニング、教育におけるテクノロジーの利用、特に女子教育に重点を置いた専門家として知られています。彼女の影響力は国境を越えて広がります。彼女はブルッキングス研究所のユニバーサル教育センターの非常勤研究員です。

彼女の献身は世界的に認められ、オバマ財団グローバル・ガールズ・アライアンスとクリントン財団からチェンジメーカーとして認められています。シュワブ・ジュビラント・バーティヤ財団による「インド・ソーシャル・アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」賞は、インドで最も恵まれない少女たちの教育における彼女の影響力のある取り組みをさらに強調しています。

サーニ博士の社会起業家としての旅は、1983年の女性の人権団体であるSurakushaの設立から始まりました。彼女はその後、SHEF を設立し、プルナ女子学校を含む3つの幼稚園から高校までの学校を手掛け、手頃な価格で高品質の権利を提供しました。都市のスラム街の1000人以上の少女たちに教育を提供しました。SHEFは、都市部の中産階級の子供たち、貧困地域の恵まれない少年少女、学校に通っていない子供たち、そして農村部の子供たちを含む4000人以上の生徒に直接影響を与えています。

Digital Study Hallの共同創設者兼ディレクターとして、サーニ博士はウッタル・プラデーシュ州の地方および都市部の学校に教育実践を広げ、10万人を超える生徒と教師に影響を与えています。彼女の影響は、女性に持続可能な生計を提供する社会的企業であるDiDiにまで及び、65 人のPrerana(*1)卒業生とその母親を雇用しています。

サーニ博士は、カリフォルニア大学バークレー校教育大学院で教育学の修士号と博士号を取得しています。彼女の学術的貢献は国際フォーラムや大学に及んでおり、彼女の広範な出版物は教育学への批判、教育現場における演劇学、フェミニスト教育学、児童文化、女子教育とエンパワーメントを網羅しています。

彼女の最新の著書『空に手を伸ばして:教育を通じて女の子たちのエンパワーメント』は、Prerana女子学校との14年間にわたる取り組みに基づいており、教育は、少女たちの生活に固有のニーズと課題に敬意と配慮を持って対処することで真に変革をもたらすことができると強調しています。ウルヴァシ・サーニ博士の旅は、教育と社会起業家の変革力を体現し、エンパワーメントと変化という不朽の遺産を残しました。

*1 Prerana:ナレンドラ・モディ首相が故郷グジャラート州メーサナ地区にあるヴァドナガルに最初に建設した学校は、国の若者が「変化の主人公」になるよう鼓舞する「PRERANA」というモデル学校として開発されている。文化や技術、信仰など9つのテーマが用意されている。

https://prerana.education.gov.in

SHEF  https://www.studyhallfoundation.org/

アカンクシャハザリ:m.Paaniを通じて人生を変える

アカンクシャ・ハザリは社会起業家精神の先駆者であり、自身の事業である m.Paani を通じて世界的な水危機への対処に多大な貢献をしています。ビル・クリントン大統領に認められ、100 万ドルの賞金を授与されたハザリの革新的なアプローチは、モバイルベースの報酬プログラムを通じて、十分なサービスを受けられていないコミュニティに力を与えることに重点を置いています。

ハザリの使命は、十分なサービスを受けられていない家族に、彼らの願望を達成するために不可欠なスキル、知識、ツールを提供することに重点を置いています。 m.Paaniプログラムは、支出とポジティブな行動をポイントに結びつけ、これまでアクセスできなかったコミュニティに機会を生み出します。

m.Paani のモデルの核となるのは、コミュニティ開発基金の創設です。パートナー企業は、コミュニティメンバーが製品やサービスを購入するたびに、利益の一部をこの基金に投資します。蓄積された資金は非営利パートナーを参加させるために使用され、スキル開発、教育、医療サービスなどのサービスを提供します。

報酬ポイントシステムは m.Paani の成功の中心です。コミュニティのメンバーは、ポジティブな行動や支出に対してポイントを獲得し、さまざまな機会と引き換えることができます。たとえば、経費記録を維持したり、教育クラスに参加したりするとポイントが獲得できます。

m.Paani の影響力はコミュニティの変革に明らかであり、3か月で合計最大 5,000 ルピー(9244円)の機会と報酬を提供しています。この報奨金は、飲み水が出る水道を各家庭に1台設置、各家庭にトイレを設置など、必要不可欠なニーズに応え、病気や健康関連の出費の削減につながりました。

コミュニティにおける実験の成功により、アカンクシャ・ハザリはムンバイ全土に m.Paaniの影響力を拡大することを目指しています。ユーザーベースは大幅に増加しており、このプログラムのモデルは携帯電話会社パートナーから認知、支持されています。ハザリ氏は、このシステムを拡張して、都市部のスラム街の住人が村の家族にポイントを移転できるようにし、農村地域の発展に貢献することを構想しています。

長期的には、m.Paani は消費者に関して収集したデータを活用して、企業が消費者とどのように関わるかに影響を与える可能性があります。テクノロジーとビジネス戦略の革新的な利用により、m.Paani は社会起業家精神における変革力としての地位を確立し、地域レベルと世界レベルの両方でポジティブな変化を生み出すというアカンクシャ・ハザリの取り組みを体現しています。

*TEDでのプレゼンは彼女の仕組みについてわかりやすく説明しています。実際4700世帯くらいのキアンダという地域にかつて共有の水飲み場は115か所、トイレは285か所でしたが、各世帯で年間使う携帯電話の料金160.5ドルのうち、5%をm.Paaniの水基金へ寄付するプログラムを作り、年間で37,581ドルが集まり、442か所の水飲み場やトイレを新たに設置でき、当初41世帯に1つの水飲み場が、1年目は8世帯に1つ、2年目は4世帯に1つ…5年目にして1世帯に1つという普及に成功している。このモデルはアフリカでもお手本とされていまあす。

m.Paaniが地域の零細ビジネスに技術で貢献 https://youtu.be/pXa03y7m7g0

ラジベン・ヴァンカール:

アップサイクルと起業家精神を通じて生活を変える

グジャラート州ブジのコタイ村出身の作家兼起業家であるラジベン・ヴァンカールは、自分の人生とコミュニティの他の女性の人生にポジティブな影響を与えるために、重大な課題を克服しました。逆境に直面しているにもかかわらず、ラジベンは廃棄されたプラスチックをアップサイクルして美しく持続可能な芸術品を作ることに特化した、彼女の名を冠したブランドの誇り高きリーダーです。

ラジベンは、わずか2年間しか学校に通っておらず、限られた教育を受けながら始まりました。しかし、正式な教育を受けていないことが、学び、家族の幸福に貢献するという彼女の決意を妨げるものではありませんでした。6人の姉妹と1人の男の子の家族で育った彼女は、父親が女性の教育の必要性を否定していたために、性差別に直面していました。ラジベンはめげずにこっそり学校に通ったものの、家族の反対に遭いました。困難にもかかわらず、彼女は秘密裏に手紡ぎ手織り綿の伝統的な形式であるカディを織る技術を開発しました。

4年間続いた干ばつを乗り越える間にラジベンの人生は予期せぬ方向に進み、代わりの収入源を探すことを余儀なくされました。最終的に、彼女は公然とカディを織ることを学び、家族の生計に貢献しました。18歳での結婚により新たな困難が生じ、夫の早すぎる死により、彼女は3人の子供を養わなければならない弱い立場に置かれました。

2009年に、工芸品、遺産、文化生態学を専門とする NGO であるカミールとつながりを持ったとき、ラジベンの人生は好転しました。この極めて重要な瞬間が、彼女のアップサイクルプラスチック成功の始まりとなりました。カミールの支援とヘタルという協力者による革新的なデザインに触れたことで、ラジベンは廃棄されたプラスチックを実用製品に変えるというアイデアに至りました。

2019 年、ラジベンはプラスチックのアップサイクルとその過程における女性のエンパワーメントに焦点を当てたブランドを設立することを決意しました。自助グループのサキ・マンダルから当初反対にもかかわらず、ラジベンは粘り強く、村や近隣地域から捨てられたビニール袋を集め始めました。カーリガークリニック(ビジネスインキュベーション)のニレッシュ・プリヤダルシとヌープール・クマリの助けを借りて、彼女は自社製品のブランド確立や、デザイン、マーケティング戦略を開発しました。

ラジベンの仲間は約70人の女性で構成され、10台の織機とミシンを稼働させ、さまざまなアップサイクル プラスチック製品を生産しています。フルーツバスケット、買い物袋、トレイ、クラッチ、財布、ハンドバッグなどのこれらの製品は、カーリガー医院が運営するWebサイトpabiben.comで紹介されています。それぞれの製品には、その創作に携わった女性作家のストーリーがあり、製品と作り手とのつながりを育みます。

ラジベンのブランドは目覚ましい成長を遂げ、昨年度の売上高は1700万ルピー(3153万円)に達しました。このブランドの成功を受けて、米国やヨーロッパの大手ブランドとのコラボレーションの可能性についての話し合いが行われています。ラジベンのビジョンは彼女自身の成功を超えて広がっています。彼女は自分のモデルを他の村でも再現し、より多くの女性に力を与え、環境の持続可能性に貢献したいと考えています。彼女の目標は、アップサイクルを通じて最大1000人の女性を訓練し、雇用の機会を創出し、環境を保護することです。彼女はまた、ブランドの影響力をさらに高めるためにデザイナーを雇用することも構想しています。

ラジベンの物語は、恵まれないコミュニティの女性に持続可能な生計を築く上でのアップサイクルの回復力、決意、そして変革をもたらす力を例証しています。https://www.pabiben.com/products/rajiben/

*どのような作り方なのかはこちらのページがわかりやすいです

https://artisanscentre.com/blogs/meet-the-makers/meet-the-maker-rajiben-vankar

インドネシアでの「銃のない平和を!」公演に向けて

CWB 奥谷京子

4月の日本での公演で10か所回って、「Peace without Guns―武器のない平和を」という脚本でYikeを披露したのですが、次はインドネシアのバリ島で開催することが決まったのは先月号でお知らせしたとおりです。これをどうやって開催するのか、日本公演で使ったデータをもとに、手伝ってくれた学生インターンの羽成優花さんがいろいろとインドネシア語にチェンジをしてくれています。

1つはインドネシアも楽団を呼べないので事前収録した音声を使うのですが、日本では幕間に解説を入れていました。それもインドネシア語に変えなければなりません。まずは英語にして、それをインドネシア語にGoogle翻訳をしてみて、実際ネイティブの人が読んだ時におかしくないかをチェックしてもらい、それでなるべく読み上げるスピードも日本語バージョンと同じくらいにしてもらい、録音を繋ぎ合わせています。今回私が行って、実際にヴァニー先生にその音声を届けることができました。これで彼女らの練習もタイミングを見ながらうまく進めることができるようになると思います。

2つ目にパンフレット。12ページあるものを8ページに短縮するのですが、インドネシアに行くメンバーは入れ替わるので、その人たちの紹介文章や日本語で書かれた中田厚仁さんの歴史などこういうものもすべて英語にした後にインドネシア語に直しています。なぜ日本語から直接インドネシア語ではなく、英語を経由しているかというと、日本語というのは結構曖昧な言語なので、そのまま翻訳にかけると主語と動詞がうまく結びつかなかったりすることがあります。それが直接インドネシア語になってしまうと私たちもそれがあっているのかどうかの判断ができません。そして今後ほかの地域に行く時も英語にしておくとフィリピンやインドにも使えますし、何かと便利だからです。日本語で言わんとしていることを敢えて説明を加えるなどしながら英語にして、それをインドネシア語にして、またネイティブチェックをもらって問題なさそうだということでそれを編集に回すといった具合です。

 3つ目にMr. Diのインタビュー。これもクメール語なので、インタビューのスクリプトをもらって、それを英語にして、さらにインドネシア語に翻訳するといった過程が必要です。そして字幕付きに編集しなおしてくれるところまで羽成さんにやってもらっているので、私は本当に助かっています。

そして最後にもう1つ、日本公演での改善案として、やはり劇中のクメール語での会話が何を言っているのかがわからなかったというお声も頂戴しました。もちろん物語の解説はパンフレットに入れていますし、誰がどの役かも説明をしているのですが、じっくり読んでから公演に臨む人は大多数ではありません。ヴァニー先生をはじめとして白熱した演技で心を動かされますが、話している内容がもっとわかれば…ということで、映画の字幕のように投影されたスクリーンに映し出せないかという改善案が出てきて、これが次なるチャレンジです。字幕を出すタイミングも演じている人たちに合わせないといけないので、どれくらいうまくいくのか未知数なのですが、多少会話の店舗がずれたとしても、全くないよりも理解する助けになるだろうということでやってみようと思っています。 これらのことを準備し、インドネシア公演へ臨もうと思っています。アジアの国で開催することで、カンボジアでは当たり前に用意できることが海外ではできなかったり、言葉の壁をどうやって超えられるかなど、いろんなことを乗り越えて、いいパフォーマンスができるように進めていきたいと考えています。

国際チーム(ミャンマー・カンボジア・日本人+ヤナイ君)でフェアへの出展準備進む

CWB 奥谷京子

ベトナムやタイは日本と同じように展示会場で世界中のバイヤーと生産者が集まるようなメッセや展示会というのがたくさんあり、私もかつてホワイエの花卉を探すのに通訳としてスタッフの皆さんと一緒に回ったことがあります。中国の広州に行ったときには3日早朝から閉館の時間まで回っても回り切れないほどの広い会場でした。

それに比べて、カンボジアでは展示会で商品を見て、取引の商談をするような慣習がほぼなく、若い人たちが「グリーンフェア」を企画して今年で3回目。会場となるエリアも緑に囲まれた、メコン川の中州にある交通量の多い場所で7月5~7日に開催されます。

この企画にChnai Marketの場所をもともと紹介してくれたソペアックさん(通称ソペさん)が共同代表としてかかわっており、ここにホワイエのリースやポリカといった商品やフィリピンのSHAPIIの紙製品、そして手作り水耕栽培キットなどを作って実際に展示をする計画で動き始めました。

ちょうど私もカンボジアに1週間滞在していましたので、その時にソペさんと直接どういう展示をしたらいいか、事前に案を共有して実際の場所についてのすり合わせをし、長机1台のスペースに棚を持ち込んでいろいろと見せようという話をしました。その後、ブースのイメージ図を手描きし、これまでホワイエで展示会に出たときの写真もいくつか見せながら、単に机に並べるではなくて、小さな箱の上に布をかけて高さをつけながら飾るなど工夫をして、限られたスペースだけれどもほかに負けない目を引くブースにしようと、帰国前にもう1度ディスカッションの場を設けました。

今回一緒に進めているメンバーはミャンマーから避難してきたノノ君、タタ君が中心で、ノノ君は持病の問題からミャンマーに戻ることが決まり、タタ君はアサさんのお兄さんでいずれアメリカに行くことが決まっているので、「Beyond Border Team」と名付けて、日本にいる私とバラバラのところで働くチームが結成されました。さらにはチュナイマーケットでクッキーを作って販売しているカンボジア人のスレイリャックも加わり、このフェアに向けて動くことになりました。

まずは水耕栽培用のポンプをネットの情報から探し当てて自分たちで手作りしたものを完成させました。言葉が通じない国でネットで調べながら材料を買って作っていくというのはかなり試行錯誤だったと思いますが、ノノ君は手作りすることがパソコンに向かって何か仕事をするよりも好きなようです。

 そして棚をどうやって魅力的に作るか棚に網を張って、そこにリースをかけられるようにして、背後からも商品が見えるようにしたらいねというので、棚をどうやって作るのか、素材をパイプにしたら組み立て可能じゃないか、メジャーで大体どれくらいの大きさ、高さにしようかというのを議論しました。

 最後に話をしたのは、この展示会に出展することがゴールではなくて、そこで出会ったお客さんに次を投げかけるために知ってもらうことが一番の目的だよ、と。そこで100人の情報を集めよう。本来ここがSocial Entrepreneur Instituteであることから、起業の話をしたり、展示即売会をこの場所で行ったり、そうすればスレイリャックのクッキーやスムージーを知ってくれる人がいる、そうやって徐々にここを知ってもらう、訪れてもらう人が増えるためなんだよと伝え、それを遠隔でもサポートするチームにしよう、と。私もどう魅力的な場所として紹介できるか、チラシ作りに力を注ぎたいと思います。

変化の種⑦ インドの社会起業家の紹介

CWB 奥谷京子

今回もヴェンカテシャ・ナヤックさん著の『変化の種~Seeds of Change』からご紹介します。私は産業能率大学で年に1回「ビジネスマインドと発想法」という講座を担当しています。どういうアイディアと動機で人々が事業を始めるのかという紹介を日本の女性起業家だけでなく、今年度はこちらのインド社会起業家シリーズからも紹介したのですが、改めて目の付け所、社会に対する問題意識など、大事な要素がちりばめられているように感じます。

今回は地方の村の仕事づくりや若者の育成ということに焦点を当て、3人の社会起業家を紹介します。

〇ニヴェディタ・バネルジ:クンバヤのプロデューサーを通じて女性に力を与える株式会社

1994年、ニヴェディタ・バネルジは、マディヤ・プラデーシュ州デワス地区のニームケダという人里離れた村に縫製センターとしてクンバヤを設立しました。現在、クンバヤ・プロデューサー・カンパニーリミテッドは、疎外されたコミュニティの 100 人以上の女性に年間300日の雇用を保証する、繁栄したベンチャー企業に成長しました。

1980年代、ニヴェディタ・バネルジは、デリー大学とジャワハルラール・ネルー大学 (JNU)で学びながら、基本的な社会問題に根ざしたフェミニスト運動や草の根活動に積極的に参加しました。1990年、ソーシャルワーカーのババ アムテの指導のもと、彼女はマディヤ・プラデーシュ州の農村部で水の保全、生活の安全、金融アクセスに焦点を当てた重要な草の根の取り組みであるサマジ プラガティ・サハヨグ(SPS)を共同設立しました。

SPS内で、クンバヤはアパレル、パッチワーク、ホームリネン、アクセサリーのブランドとして誕生し、縫製技術を通じて女性や障がいのある人に力を与えました。ニームケダの小さな村から始まり、バネルジはそこで部族コミュニティの地方統治における女性の存在が目に見えないことに気づきました。この認識が彼女にインスピレーションを与え、スキル構築の取り組みと女性の権利についての意識を高める手段の両方として刺繍を導入しました。

限られた資源や地元男性の反対などの課題に直面し、バネルジは当初、借りた機械で女性たちを教えました。国立農村開発銀行(NABARD)の融資を受けてミシンを調達し、女性たちは寄付された布切れを使って縫製を始めました。挫折にもかかわらず、パッチワークに感銘を受けた卸売業者が米国への輸出を開始したことで、この事業は再び再生し勢いを得ました。クンバヤは女性に生計を立てる機会となり、経済的自立をもたらしました。縫製センターの焼失などの困難にも関わらず、この事業は継続しました。タタ・トラストからの支援により、事業を拡大することができました。現在では、疎外されたコミュニティの出身の100人以上の女性が同社の株主となっています。

クンバヤはスキル開発に重点を置き、80の村の2500人以上の女性に縫製を教えてきました。このベンチャーは衣料品のデザインに取り組み、世界的なデザイナーと協力し、世界中のブランドと提携しています。新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって引き起こされた挫折にも関わらず、クンバヤは循環的な実践を通じて持続可能なファッションとデザインを生み出すという使命に引き続き取り組んでいます。

ニヴェディタ・バネルジとクンバヤの物語は、スキル開発と持続可能な起業家精神を通じて女性とコミュニティに力を与え、草の根の取り組みが変革をもたらす力を実証しています。https://www.kumbaya.co.in/

〇サントシュ・パルレカール: Pipal Treeを通して希望と力を育む  

インドの起業家精神の広大な風景の中で、サントシュ・パルレカールは希望の光、インドの田舎の失業中の若者の生活に変化をもたらす触媒として現れています。「Pipal Tree」の先見の明のある創設者として、パルレカールは、エンパワーメントに対する情熱を、スキルを授けるだけでなく、尊厳ある雇用の機会への扉を開くプラットフォームに変えました。

2007年に設立されたPipal Treeは、安定した仕事を確保する上で農村部の若者が直面する課題に対処するというパルレカールの揺るぎない取り組みを表しています。これらの人々の未開発の可能性と才能を認識し、スキルの習得と就職の間のギャップを埋めることを使命としてPipal Treeを設立しました。

Pipal Treeの核心は、従来のトレーニング・プログラムを超えています。若者が全国の企業にとって貴重な人材となるための正式な教育とスキルを提供しています。パルレカールは、田舎の若者が適切な指導と訓練を受けて障壁を乗り越え、労働力に有意義に貢献できる未来を思い描いています。

Pipal Treeの影響は大きく、革新的なトレーニングを受けた1500人以上の労働者の生活に影響を与えています。新たに獲得したスキルを武器に、これらの人々は自信と能力を持って雇用市場に参入し、失業のサイクルを断ち切り、より明るい未来への道を切り開きます。

パルレカールの物語は、社会起業家の本質、つまり差し迫った問題を解決するための揺るぎない取り組みを体現しています。Pipal Treeの成功は、システム内のギャップを特定し、それに対処する革新的なソリューションを作成する彼の能力の証です。

パルレカールは、利益だけに焦点を当てるのではなく、個人とコミュニティを向上させる持続可能なソリューションの作成を優先しています。

サントシュ・パルレカールの物語は、田舎の若者の可能性を信じる人々にインスピレーションを与えます。彼の起業家としての歩みは、ビジネスが社会変革の手段となり、最も必要とする人々に成功と尊厳への道を生み出すことができることを私たちに思い出させてくれます。彼はPipal Treeを通じて変革の種をまき、インドの農村部の労働力に明るい未来を育んできました。パルレカールの遺産は単なる起業家精神ではありません。それはエンパワーメントと前向きな変化の遺産であり、一人の個人がコミュニティやそれを超えて大きな影響を与えることができることの証です。

https://pipaltreeventures.com

◯ラディカ・メノン、プリヤ・ディーパック: ヴィレッジ・フェアの健康的な調理器具革命

テフロン加工の鍋が主流の現代のキッチンの賑やかな世界の中で、コチ出身のラディカ・メノンとプリヤ・ディーパックは、鋳鉄や陶器を使ったより健康的な料理の伝統を思い返すことにしました。彼女らのベンチャーであるヴィレッジ・フェア(The Village Fair Natural Cookware)は単なるビジネスではありません。それは、毒素を含まない天然の道具を使って料理をするという、昔ながらの習慣を復活させる物語です。

「ヴィレッジ・フェア」のアイデアは、鍋に加えると鉄欠乏症に対処できる鋳鉄製の魚について論じた Facebook の投稿がきっかけでした。この反応に興味を持ったラディカは、鋳鉄製のカダイ (中華鍋) の写真を共有し、より健康的な調理器具を導入したいと願う人々からの問い合わせが殺到しました。この啓示は、自然の調理器具を入手しやすくし、鍋やフライパンの味付けに携わる女性に経済的自立を提供するという使命を持ったヴィレッジ・フェアの発足につながりました。

このベンチャー企業は、女性の自助グループによって慎重に調達され、味付けされた、さまざまな天然調理器具を提供しています。テフロンが独占する市場において、ヴィレッジ・フェアは、より安全で健康的な代替品を提供することで、常識を打ち破ることを目指しています。包括性に重点を置き、チームは 5人の中核業務グループと、調理器具の工夫に携わる自助グループの女性18人で構成されています。 

送料を除く価格が600ルピーから6000ルピーの鋳鉄や粘土の容器を含む製品は、健康上の利点だけでなく、製造過程での人間味によって人気を集めています。チームは近々石器製品を導入し、その製品を拡大する予定です。

ヴィレッジ・フェアは、堅牢なサプライチェーン過程と戦略的な市場開拓アプローチに基づいて運営されています。Facebookを実験場としてスタートし、その後ウェブサイトとEショップを立ち上げました。実践的な体験を好む人のために、ヴィレッジ・フェアはオーガニックで健康的な生活を推進する地下鉄にある店舗と提携しています。

チームは、このモデルを段階的に世界的に複製することを構想しています。自己資金で運営され、販売ごとに40~50%のマージンをとって運営されている ヴィレッジ・フェアは、年間400万ルピー近くの売上高を誇り、毎日約50個を国内外の顧客に出荷しています。ビジネスの成功以外にも、このベンチャー企業は恩返しも行っており、売り上げの5%が精神障がい者向けの医薬品のための Mehac Foundation を支援しています。ヴィレッジ・フェアは、伝統と革新を融合させ、すべての人により健康的なライフスタイルを促進する可能性を証明するものです。