「変化の種10」インドの社会起業家紹介

CWB 奥谷京子

今回ヴェンカテシャ・ナヤックさん著の『変化の種~Seeds of Change』から取り上げる3組は、地域での教育、自ら苦労して学んで地域を変えようと立ち上がった若者に焦点を当てて選んでみました。どれも素晴らしい取り組みです。

〇アニル・クマール・グプタ: 草の根イノベーションの先駆者

  アニル・クマール・グプタは、草の根イノベーションにおける著名なインドの学者であり、Honey Bee Networkを設立したことで有名です。約36年間にわたる輝かしいキャリアを経て、2017年にアーメダバードのインド経営大学の常勤教授を退任しました。グプタ氏は経営教育に多大な貢献をし、2004年に名誉あるパドマ・シュリ賞を受賞しました。

 グプタ氏は、National Innovation Foundation の執行副会長および世界芸術科学アカデミーのフェローとして、イノベーションの促進において重要な役割を果たしてきました。

 彼の注目すべき貢献は、人気のShodh Yatra (右下、解説参照) など、アーメダバードのインド経営大学院でのコース開発にも及んでいます。この革新的なコースには、経営学部の学生を全国各地に連れて行き、地域コミュニティから学び、その知識体系を理解することが含まれていました。Shodh Yatraのコンセプトは、グプタ氏のより広いビジョンから生まれました。

 全国を横断し、農民、伝統的な知識の保持者、草の根の革新者、学生と交流します。

 SRISTI (持続可能な技術と機関のための研究とイニシアチブ協会) のコーディネーターとして、グプタ氏は持続可能な技術に関連する取り組みを積極的に支援しています。イノベーションの促進に対する彼の取り組みは、2011年以来、世界的な問題を扱うオンラインマガジンであるフェアオブザーバーのアドバイザーとしての役割からも明らかです。

 グプタ氏は、2009年11月のTEDインドでも講演者として洞察を共有しました。グプタ氏の使命は、草の根イノベーションの余地を世界的および地域的に拡大することを中心に展開しています。彼は、非公式セクターと公式セクターの間でアイデアを結び付け、クリエイティブなコミュニティ、個人、子供たち、技術系の学生に対する認識、尊敬、報酬を確保することを目指しています。グプタ氏は、個人、組織、企業、国家レベルで、倹約的で柔軟かつフレンドリーな共感プラットフォームを通じてオープン イノベーションを強化するよう努めています。

 グプタ氏は、共感を持ったオープンな相互イノベーションを通じて、個人、組織、コミュニティの創造性を解き放つことに取り組んでおり、1998年から2016年にかけて、インドのすべての州をカバーし、5000キロ以上に及ぶ43のShodh Yatraに着手しました。

 2017年に Honey Bee Networkボランティアとともに、第2ラウンドを開始し、画期的なイノベーションを促進し、クリエイティブなコミュニティに力を与えるという使命を追求し続けています。

― Shodh Yatraとは?

 ショーディヤトラの目的は、地元の草の根のイノベーター、伝統的な知識の保持者、革新的なアイデアを持つ学生、生物多様性の保全などで社会に多大な貢献をしている人々を、目の前でコミュニティの前で称賛し、インスピレーションを与えることです。他人に描かれてしまう。ショディヤトリスの行進グループは、科学者、革新者、村人、学生、教授で構成され、ネットワークのメッセージを伝えるために 6 ~ 7 日間かけて約100キロメートルを歩きます。

 生物多様性とアイデアのコンテストは子供たちの間で開催され、食品コンテストは一部の村で女性の間で開催されます(特に、少なくとも1つ以上の知られていない、または忘れ去られた植物作物が使用されている食品に焦点を当てています)。

〇ランジャン・ミストリー:

教育と教育を通じてビハール州を変革する起業家精神

 第一世代のインド人社会起業家、教育者、思想家であるランジャン・ミストリー氏は、ビハール州で変革を起こす人物として浮上しています。

 1996年3月14日、ビハール州ガヤのチャカウリ・ビガという小さな村で生まれたミストリー氏は、風光明媚だがナクサルの影響を受けた風景に囲まれた下位中産階級の家庭で育ちました。経済的困難に直面していたにもかかわらず、彼は学業に優れ、数多くの工学部の入学試験を突破しましたが、経済的制約により高等教育を受けることができませんでした。

 ミストリー氏の挑戦は、6年生の時に英語コーチングクラスの費用を稼ぐために教え始めた時、予期せぬ方向に進みました。彼の教育への情熱は、スラム街やナクサルの影響を受けた村の生徒を含む何千人もの生徒を教えることにつながりました。2016年に社会起業家精神に移行し、ビハール州の起業家精神の醸成に注力しました。

 パトナ大学インキュベーションハブ (PUI-Hub) の創設メンバーとして、ミストリー氏はビハール州に大学レベルで初のインキュベーションセンター兼E-Cellを設立しました。2017年に、田舎の学生を結び付けるインド初のエドテックメディアおよび発見プラットフォームである Campus Varta を設立しました。その影響力が認められ、ミストリー氏は2019年にビハール州出身として初めてフォーブス誌の「30歳未満のアジア30人」の準決勝進出者にノミネートされました。

 ミストリー氏は、ビハール州の女性に力を与えるビハール・マヒラ・ウドヨグ・サング(BMUS)の諮問委員としての役割に加えて、影響力のある講演者、客員教授、業界の指導者でもあります。2015年、彼はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスやデリー・スクール・オブ・エコノミクスなどの著名な機関からインスピレーションを得て、後にパトリプトラ経済学校と名付けられるパトナ経済学校の設立を提案しました。

 ミストリー氏のビジョンは大学レベルでの起業家精神の育成にまで及び、ビハール州のさまざまな大学でインキュベーションセンターと起業家精神セルの提案と設計において重要な役割を果たしました。2019年にはビハール州にロボット研究センターを設立するよう、州政府に提唱しました。

 教育と起業家精神に対する彼の取り組みは、Nxt100プログラムで明らかです。ミストリー氏は、無料で個人指導を提供し、100人の起業家を生み出すことを目指しています。ランジャン・ミストリー氏の物語は、ビハール州の教育と起業家精神を変革するための回復力、決意、そして根強い取り組みを例示しています。

〇ターニャ・コトナラ、ターニャ・シン:

持続可能性を備えたブーリの文化遺産の物語

 ウッタラーカンド州のユニークな文化遺産を祝い、保存するために、家族の友人でありブーリの共同創設者であるターニャ・コトナラ氏とターニャ・シン氏は、この地域の芸術、工芸、料理を促進するという使命に乗り出しました。ウッタラーカンド州のガルワリ語で「小さな女の子」を意味する「ブーリ(Bhuli)」という名前は、彼女らの社会事業の精神を体現しています。

 ブーリは、持続可能性、スワデシ (解説参照)、そしてシンプルさの原則に基づいて運営されており、ウッタラーカンド州の本質と文化の豊かさを認識させるプラットフォームを作成することを目指しています。共同創設者は二人ともソーシャルセクターで働いていたため、自分たちのルーツに対する情熱を、ウッタラーカンド州の文化構造を称賛するだけでなく、維持するベンチャー企業に注ぎ込むことに決めました。

 NIFT(National Institute of Fashion Technology)のシロンでファッションデザインの学位を取得したターニャ・コトナラ氏と、イタリアのプーサのIHM(The Institute of Hotel Management Catering & Nutrition)および美食科学大学で食品と栄養学およびフードコミュニケーションのダブル修士号を取得したターニャ・シン氏が力を合わせてブーリを設立しました。デザインと栄養に関する彼女らの専門知識の組み合わせにより、文化保存への独自のアプローチの基礎が築かれました。

 ブーリが取り組んだプロジェクトには、伝統的な衣装文化にインスピレーションを得た限定版カレンダー、手描きによる女性のための安全な空間の創造、地元の作物や料理に焦点を当てた栄養週間のお祝い、ウッタラーカンド州の床画スタイルである伝統的な壁を探求する「アイパン」シリーズなどが含まれます。

 ブーリはイラストの枠を超えて、地元の自助グループや織り業者と協力し、地元の織物を研究し、地域の職人技を強調したコレクションを作成することを目指しています。この社会的企業は、地元産のスーパーフードの普及、その健康上の利点を強調し、地元農家を支援することにも取り組んでいます。

 ブーリの取り組みは、ブーリがデザインしたポスターがウッタラーカンド州全域の 19,000か所のアンガンワディセンターを飾る「母乳育児啓発キャンペーン」などのプログラムのための政府機関とのパートナーシップにまで広がっています。アンガンワディセンターと協力して子供たちのためのインタラクティブな活動が企画され、楽しい学習体験ができました。

 設立してまだ1年にも満たないにもかかわらず、ブーリはソーシャルメディア上でフォロワーのコミュニティを構築することに成功しました。現在、ターニャ・コトナラ氏と ターニャ・シン氏がアートとコンテンツの制作のほとんどを担当していますが、近い将来、地元のアーティストやコミュニティを雇用し、トレーニングすることもビジョンに含まれています。

 ウッタラーカンド州の芸術、工芸、食文化にインスピレーションを得た今後のプロジェクトに加え、女性のエンパワーメントと児童発達のための州政府との協力により、ブーリはこの地域の豊かな文化遺産の保存と促進において有望な存在となっています。

―スワデシとは?(ベンガル語: স্বদেশী, ヒンディー語: स्वदेशी,英語: Swadeshi)インドにおいてイギリス帝国のインド支配に対して出されたスローガンのひとつであり、経済的戦略。 「国産品愛用」を意味する。

草の根EXPOを!次世代が未来へ

CWBアドバイザー 松井名津

 インドの大学と様々な提携をすることになった。インターン交換、伝統技術の移植交流、ダンスなどの文化交流、そして、若者が世界と協働して「未来の社会をデザインするために、いかにして命を救い、人間に力を与え、人間同士を結びつけるか」の草の根EXPOを国境を越えて行う。インドは大阪万博をキャンセルした、そこを埋める。さらにラテン圏は倹約主義で一味違う(ブルーノ氏のレポート)。ここらを結び、ウェブ上でEXPOを披露しようというアイディアだ。以下、インドで大学とも語り合った筆者が語る。

 大阪万博が実施されようとしている。大阪に生まれ育っている私の母などはいまだに「あれ、本当にやるん? やめといたらええのに」と至極懐疑的である。もちろん大きな理由になっているのは、発表されるたびに増額される費用だろう。が、それ以上に「今更なぜに万博」という空気がある。まぁオリンピックならば各国選手の活躍だとか、金メダルの数だとかで盛り上がる(?)こともできようが、そもそも万博(万国博覧会)って何のためにあるんだっけ?という根本的な疑問がどこかにつきまとう。その根本的な疑問を払拭するのが開催目的だろうが、その初っ端に「万博には、人・モノを呼び寄せる求心力と発信力があります」とくると、オイオイ要は自分のために人を利用するのかよ!と言いたくもなる。(https://www.expo2025.or.jp/overview/purpose/

 しかしそれも仕方がないことなのかもしれない。元々第1回ロンドン万博からしてその目的は、大英帝国の産業力、技術力を世界に見せつけることだった。だからこそexposure=露呈なのだが、一般の人にとって蒸気機関の展示だけでは魅力に乏しい。そこで当時の万博はいわゆる「見せ物」を会場に配置し、より多くの人を会場に惹きつけようとした(『万博とストリップ 知られざる20世紀史文化史』荒俣宏, 集英社新書を読んでいただきたい)。なので本末転倒といわれようと「人集め(=金集め)」が先で、SDGsだとか、AIと人間の共存可能性だとかは所詮「お題目」に過ぎない。要は、各国がお互いの技術力だとか先端性だとか(その他なんでもいいけれど他国にひけらかしたいもの)をお披露目するために行われるわけだ。そういう底が知れているからこそ、今更感がどうやっても抜けきれない。

 そういう「ひけらかし」感が付きまとう万博という言葉を使いながら、私たちは「もう一つの」「別の」万博をやろうとしている。名付けて草の根万博(grass roots exposition by youth)。草の根万博もある意味「ひけらかし」ではある。ただしひけらかす相手は他人(他のコミュニティの人たち)だけではない。自分たちのコミュニティの人々に対してもひけらかす。expositionの原義に戻って、自分たちのコミュニティの「誇り」を掘り出して開示する運動そのものが、草の根万博である。コミュニティの誇りを掘り出すというと、「名物」や「名所」のリストアップとか、地元の人しか知らない「名店」の紹介というイメージがあるが、今回目指しているのはそれではない。まず私たちがやらなくてはならないのは、自分たちのコミュニティにとって何が誇りなのかを問うことである。それが既存の名物であっても構わないが、なぜそれが名物になっているのかという根っこを掘り起こす。例えばインドのマイソールはサンダルウッドの名産地である。ではなぜマイソールのサンダルウッドが有名なのか、木として特質なのか、香りが良いからなのか、何か神話なり物語があるからなのか。地元ではどのように扱われてきたのか。尊重されているのは昔からなのか、それとも近代に入って注目されたのか(たとえば帝国の植民地からの名物としてなのか)。尊重されているのは地元だけなのか、世界的になのか(サンダルウッド=白檀は昔から日本でも仏教とともに尊重されてきた木材であり、香りだった)等々。その過程は自分たちの根っこが何なのか、何でできているのかを発見することである。さらにその根っこを育てたのがどんな土壌だったのかを見つけることでもある。土壌とは比喩でもなんでもない。コミュニティは風土に根ざしている。コミュニティの誇りもその風土の中から生まれている。歴史の中で元々の場所から移住を余儀なくされたり、近代の国民国家の国境によって分断されてしまったコミュニティもあるだろう。その移住した先の風土によって、コミュニティの根っこは変化を遂げる。そして変化した根っこからは、新しい花や実が生まれたことだろう。生まれた時は新しいもの、伝統に逆らうものだったかもしれない。やがてそれはコミュニティの伝統の中に溶け込み、伝統の一部として意識されていく。それには長い時間がかかる場合もあるし、たかだが50年ぐらいで変化してしまう場合もある(日本人の食事の急速な変化などはその一例だろう)。

 だから見せるのは結果として姿のあるもの(物やパフォーマンス)ではない。というか、結果も見せるのだけど、それ以上に今現在あるその姿が、どのようにして出来上がってきたのか、なぜ、どのようにしてコミュニティの人々がそれを守り続けてきたのかという時間的な過程である。それはまた、それぞれのコミュニティが他のコミュニティからどんな影響を受け、自分たちのコミュニティをどのように変化させてきたのかを見つけ出す過程でもある。

 私たちの「草の根万博」はインターネット空間を使う。それは単純に時間と空間を限定することがなく、博覧会を開催できるということだけではない。インターネット空間を使うことで、展示物が変化する可能性を開いておきたいのだ。まずは、各地のコミュニティが自分たちの誇りを展示したとしよう。展示して終わりではなく、お互いのコミュニティの誇りを相互に参照することができる。そのことで意外なところで自分たちの遠縁にあたる文化等を見つけたり、似ているけれども異なった技術(やり方)に気がつくことができる。こうした気づきによって、自分たちの誇りをさらに変化させ、進化させることが可能になる。その一方で、観覧者は単に「見る」だけの受け身な存在から、関わり、貢献する能動的な存在に変わることも可能である。自分が強い興味や共感を抱いたコミュニティに、自分自身が関わることが可能だ。その第一歩は単純な「お金で応援」であってもいい。しかし興味や共感が強まるにつれて、そのコミュニティの人と関わりたい、一緒に何かを作り上げたいという思いが募っていくことだろう。その時、観覧者は受け身の存在から、自分が自分以外のコミュニティに関わり、巻き込まれる主体になる。主体となった異文化(異なるコミュニティの人)を受け入れるコミュニティも、受け入れたことによってなんらかの変化を余儀される。その変化は良い方向に向かうこともあれば、排斥など悪い方向に向かう場合もあるだろう。何か変化が起こる時、賛成と反対にコミュニティが分かれてしまうこともよくあることだ。ただ、草の根万博の展示作成に携わった人(若者)は、展示作成の過程で自分たちのコミュニティの根がただ1つではないこと、その根を育てた土壌も多岐にわたることを実感するに違いない。こうした人たちが中核になって、排斥や分断の動きを少しでも和らげられるのではないかと願っている。

 芸術が美術館に展示されるものから、見る人を巻き込むインスタレーションに変化したように、博覧会も展示する人と見る人が相互に巻き込まれ合うインスタレーションに変化できる。芸術におけるインスタレーションは、美術館から外に出ることで社会に変化をもたらそうとするものである。それと同じく、展示館にとどまらないインスタレーションを起こす私たちの目指す「草の根万博」もまた、展示館や博覧会会場から外に出て、それぞれのコミュニティと世界とに変化をもたらそうとするものである。