ご縁が実を結ぶ、「銃のない平和!」全国公演

CWB  奥谷京子

今年はラッキーなことに桜が遅かったおかげで、プンアジダンサーたちが名古屋に到着した時に満開になりました。劇中にもアツ(中田厚仁さん)を偲んで村に桜を植えるというシーンがあるのですが、成長し咲き誇るとどれだけ美しいかを間近に感じられた彼女たちはより演技に力が入ります。

今回、愛知県は3か所+高校の訪問を果たすことができました。1か所目はソーネOZONEで公演後には運営スタッフのお母様がカンボジアのメンバーに浴衣を着つけてくれたり、三味線と小唄・日本舞踊の披露や日本の歌を歌ったりと、盛りだくさんな内容でした。2か所目はオルタナティブスクールのあいち惟の森。ここではお昼ご飯の豚汁の具材を一緒に切って、日本の大根やネギの大きさに感激したり、近い年齢の若者たちとスレイマウがホワイトボードでクメール文字を教えました。そして3か所目の南知多では仏教のお寺に訪問ができてそれにも興奮していたメンバーたち。移動はかなりきつくて、バスや電車に乗るたび頭が痛いと寝てばかりですが、毎日違う環境で刺激を受けているようです。

今回の企画を名古屋で引き受けて下さったのは顔の見えるフェアトレード風”sの六鹿晶子さん。フェアトレードタウンを推進した土井ゆき子さんの風”sで経験を積んで、土井さんが田舎へ引っ越された後も名古屋の中心街でその精神を受け継いで活動しています。彼女が2020年2月に新婚旅行でカンボジアを選んで訪れ、プンアジに宿泊しました。その際にカシューナッツのパウダーを入れたケーキ生地にバナナを挟み、生クリームをコーティングした小さなケーキをプンアジの生徒が作り、サプライズでプレゼントしてお祝いしました。それから六鹿さんはより身近にカンボジアを感じてくれ、今回もいち早く来日公演に手を挙げてくれました。

土井さんもソーネOZONEの会場に参加してくれ、「30年近いお付き合いになるけど、ボリビアからの楽団を受け入れた頃、懐かしいわ」とコメントしていました。そして参加者からも「学生時代にフェアトレードのサークルで、第3世界ショップは泥臭くていいなと思っていて、ここで会えてびっくりです!」という声も頂きました。第3世界ショップを特徴づけるのは単なる商品の販売ではない、コミュニティを作る、文化を守るためにイベントを継続しているという点です。利益の3分の1は後世に残したいもの、社会に必要とされることに採算は二の次でお金を活かそうという創立以来のスピリットが受け継がれています。すでにあいち惟の森の校長先生もフィールドワークで中学生5人を海外に連れていきたいと、今回出会ったプンアジの学生たちを訪問してくれる可能性が出てきました。こういうご縁が次のアクションへと繋がっていくのが面白いところでもあります。

今回は全編クメール語での上演なので日本で耐えうるかが心配でしたが、アツ村出身のコムジエンが主人公を演じるというストーリー性で新聞でも取り上げられ、言葉を越えたヴァニー先生の演技の迫力、指のしなやかさなどクメール舞踊の動きに魅了され、参加者全員でココナツダンスを通じて交流ができて楽しんでいただけたようでほっとしています。準備で頑張った中原さん、安藤さん、そして学生インターンの皆さんの努力の賜物です。前半の1週間が終わったところですが、残りの公演でも様々な出逢いとご縁が広がりそうで、楽しみです。

民主主義を問い直す

CWBアドバイザー 松井名津

近頃民主主義は評判が悪い。民意を反映しない政治だとか、金権汚職やポピュリズムだとかいわれている。あるいは西洋生まれの「民主主義」は西欧以外では通用しない(根付かない)という言説もよく聞く。しかし果たして今現在ある民主主義、西欧流の民主主義だけが「民主主義」なのか、そもそも西欧流民主主義は本来の「民主主義」なのか?この根底的な問いを立て、民主主義の可能性の別の可能性を開いて見せているのがデヴィッド・グレーバーの『民主主義の非西洋的起源について』という本だ。この本を読みながら、これまでコーポラティズムに関して立てられていた民主主義的な経営の課題が、別の光の中で浮かび上がってきたような気がしている。今日はそのことについて書いてみたい。

まずはグレーバーが実践的民主主義の要諦として挙げているものを紹介しておきたい。

「垂直構造ではなく水平構造の重要性。発議は相対的に小規模で、自己組織化を行う自律的な諸集団から上がってくるべきものであって、指揮系統を通しての上位下達をよしとしない発想。常任の特定個人による指導構造の拒絶。そして最後に伝統的な参加方式のもとでなら周縁化されるか排除されるような人びとの声を聞き入れることを保証するために、何らかの仕組みを…([その仕組みは]無限に存在しうる…)確保する必要性(p.9)」

「文化と文化の間に開いた錯綜した空間の中から(p.66)」から生み出されるものであって、何らかの強制力を伴わないもの。

異なったコミュニティ間では、相互の行き違いは武力による解決の可能性を多大に孕んでいる。しかし実際に武力を行使することは互いに望ましくない結果をもたらす。したがって互いが対等でありつつ、互いが納得できる水準で、お互いの関係性を保つために「民主主義」が生み出される。こうした「民主主義」には多様な形態があり、西洋流の議会制や代表制民主主義や選挙にのみ限定されるものではない。グレーバーは、ホデノショイ・イロクォイ連邦(アメリカ先住民による5カ国連邦で、現在のカナダからアメリカ東北部に渡る大きな地域を占めていた)の形体が合衆国連邦に大きな影響を与えたという例を挙げている。ホデノショイ(イロクォイ)の「民主制」は以下のような特徴を持っているので、グレーバーが挙げている民主主義の要諦にもある程度合致するだろう(以下の記述は木村武史『ホデノショイ(イロクォイ)社会の「宗教」』(2004)および馬場優子『堀り棒とトマホークーイロクォイ母系制における女性の地位と役割』(1992)によっている)。まずホデノショイの「首長」は人々(女性)によって選ばれ、「首長」に腐敗等があった場合は人々によって罷免される。また「首長」の権威は他の役割(戦士)や部族民に優越するものではない。ホデノショイ連邦の「首長」たちは各部族の問題を話し合いによって全員一致で解決に努める。ただし「首長」による会議だけが審議体ではなく族母によるもの、軍事を司る首長、および長老たちの審議体があり、それぞれ別途に審議を行い、最終的に公開討論を経て、長老たちが結果を発表する。

さて民主主義は何も西洋の専売特許ではなく、今ある議会制民主主義とは別の形態の民主主義があるというグレーバーの議論にある程度納得がいったところで、これがどう民主主義的な経営の課題と結びつくのか。日頃ミャンマーとカンボジアを結んだ会議に出席していて、つくづく思うのが「発議」の難しさだ。発議といっても何か小難しい議論を提起しなくてはならないという意味ではない。ミャンマー・カンボジアでいえば、「ネズミがたくさんいて困る」とか「クッキーを何種類作ったか」という感じだ。書いてみると「なんだそんなこと」レベルのものだ。しかしこれを問題(課題)と感じることが全ての始まりになる。誰かが発議しても、面倒という空気が大半であれば、その場では議論が始まらない。発議が発議になるためには、そもそもそれがなぜ問題なのかが共有されている必要がある。これが意外にというか、当然のことというか、とても難しい。発議ができないとか、議論にならないというと、だから〜は自分の意見をもっていない、個人が確立していないといわれる。個人が自立しているというのは、個人が自分の意見を持っている(あるいは個性を持っている)という意味に使われる。ある集団や組織と個人とは別個の存在で、それぞれの個人は自分たちが共同で関わっている集団や組織にどう関わっているのかが、意見として表明される。意見が表明されれば、それに対して別の個人が意見を表明する。これが西洋流の民主主義の前提になっている。

この前提は果たして実践上前提にしてよいのだろうか。同じコミュニティの人と普段と変わらず生活をしていると、人は問題を発見するよりも、問題を見逃す風に動いてしまわないだろうか。見て見ぬ振りをするというより、見えていても見えていないまま―というか問題があることに気がつかないまま過ごしているのが普通ではないだろうか。道端のゴミとか、街路樹の手入れとか、自分たちの手でやればなんとかなるものも、「誰か」に委ねておくものとしてしまう。日本ではその方が楽だから。ではミャンマーでは?その「誰か」が銃を構えて互いに争っている。だから問題が目に見える。けれど誰も手を出さない。手を出すことが命懸けになるから。そんな土地から徴兵を忌避して、カンボジアにやってきたのだから、仲間意識は強固だ。メンバーは同じ文化に属してきたから、互いを評価することに慣れていない。より正確にいえば、互いに思っていることやメンバー内でなんとなく共有されている評価はあるのだが、それを言挙げすることに抵抗がある。討論discussionという言葉が「話し合う」ではなく「話し合いで相手を負かす」というイメージを持っているのかもしれない(これは日本でも一緒のような気がする)。高い低いに関わらず、評価をすることが、仲間の和を壊しかねないという危惧がある。こうした感覚は普遍的なものかもしれない。実際、アダム・スミスは道徳の基準をproprietry(深慮と訳されるが、世間で許容される範囲を指す)に置いた。とすれば、西洋流の民主主義は「議論しても組織やコミュニティは壊れない」という強固な信頼や、組織やコミュニティとは関係なく個人が存在し得るという幻想をベースにしていることになる。

西洋流にいけば「民主主義的経営」とは、常に互いに意見を表明し、討議し、結論を導き出す集団を基盤にしたものということになる。しかし正直にいえばこれが実践できているところはあるのだろうか?グレーバーは文化が同じところではコンセンサスが優先されるという。ホデノショイでも結論は全員一致だ。そのためには表面に出ない合意形成がなされることもあるだろう。雰囲気や「風」が全員一致を生むこともある。その一方でこうした合意形成は澱んだ空気を、強制された一致を生む。だからこそ敢えて仲間意識を自覚する必要がある。評価や議論が和を乱すものではなく、より良いチームを産むために不可欠のものだということを、行動を通じて実感する必要がある。幸いビジネスでは、評価や議論が市場で生き抜くために必要不可欠だ。「ビジネスとして」はよい口実というわけではないが、グレーバーの「文化と文化の間」の空間の持つ緊張感を生み出しやすい。つけて加えて私たちの会議メンバーは「異文化」メンバーだ。国だけでない、民族も文化も年代も違う。今はまだ発議に慣れていない。でも少しずつ慣れていくだろうと思う。

バイクで2時間かかるところに仕事で出かけた時の飲食費用をどうするか。そんな問題も「どんなルールを作れば全員が納得でき、気持ちよく仕事ができるか」につながる。毎日の会議で私が聞いているのは、今民主主義が芽吹き、育ちつつある現場なのだと考えている。私たちはコミュニティが壊れてしまった、あるいは壊れつつある時代に生きている。その中で民主主義的な経営は、常に組織やコミュニティを作り上げる、育てている営みでありうると考えている

変化の種5 インドの社会起業家の紹介

CWB 奥谷京子

今回もヴェンカテシャ・ナヤックさん著の『変化の種~Seeds of Change』からご紹介します。先月号はリサイクル、環境問題の解決ということに焦点を当てて紹介しましたが、今回紹介する3人はすべて女性起業家で女性の雇用づくりに焦点を当てている方々です。3人目に紹介する女性起業家は聴覚障がい者の人たちと共に服の販売をしているということで、現在CWBミャンマーで活動しているOne 4 Oneの活動に類似するところがあり、参考になればと思い、紹介します。

〇ジャイ・バラティの変化への意欲:

MOWO はモビリティを通じて女性に力を与える

建築家であり情熱的なバイカーでもあるジェイ・バラティは、モビリティを通じて女性の生活を変えるという使命に乗り出しました。 2019 年のメコンへの道遠征中のタイでの女性自転車タクシー運転手との出会いに触発され、ジェイは女性に力を与えるモビリティの可能性に気づきました。この認識は、女性が運転スキルを学び、モビリティ分野での機会を追求できるようにすることに焦点を当てた非営利団体である MOWO (Moving Women) Social Initiativesの設立につながりました。

熱心なバイカーであり、Bikerni Hyderabad のメンバーでもあるジェイは、インドの道路における男女間の著しい不均衡を観察し、女性の安全上の懸念を認識していました。彼女は、道路をジェンダー中立にし、女性、特に低所得者層の移動の重要性についての意識を高めることを目指しました。ジャイはハイデラバードで自動車訓練プログラムを開始し、2,500 人の女性に二輪車に乗れるよう訓練し、200 人以上の女性に電動オートリキシャの運転訓練を行った。このトレーニングは、テランガーナ州女性児童福祉局内にあるインド初の女性専用自動車トレーニングセンターで行われます。

ジェイは運転技術の習得に成功したにもかかわらず、安全上の懸念、アメニティの欠如、性別による偏見などにより、女性の労働参加における課題を認識した。これらの問題に対処するために、彼女は 2022 年に女性ドライバーを雇用し、モビリティ分野でより良い生計の機会を提供することに焦点を当てた営利スタートアップである MOWO Fleet を設立しました。この車両はすべて電気自動車(EV)で構成されており、専用アプリを通じて柔軟なスケジュールを提供し、女性ドライバーの利便性を確保しています。

MOWO フリートは、Blue Dart や Uber などの組織と協力して、女性ドライバーの雇用機会を創出してきました。この取り組みにより、女性(その多くは初職に就く人)に力が与えられ、家計の収入に直接貢献することができました。

女性ドライバーは、限られた労働時間の中で約 15,000 ~ 17,000 ルピーを稼ぎ、安定した有意義な収入をもたらします。さらに、MOWO フリートは、多様な交通ニーズに応えるために、サブスクリプションベースの通勤サービスやハイデラバードでの趣味のクラスの送迎サービスを検討しています。

MOWO Social Initiatives は非営利団体として運営されていますが、MOWO フリート は Villgro などの組織から、基金や Tvaran プログラムへの参加などの助成金を受けています。ジェイはMOWOフリートの影響を拡大することを構想しており、モビリティ部門をよりジェンダー包摂化し、持続可能な機会を通じて女性に力を与えることの重要性を強調しています。この取り組みは、モビリティ労働力における女性のための支援的なエコシステムを構築し、性別に関する固定観念を打破し、経済的自立を促進するというより広範な目標と一致しています。

https://www.mowo.in

〇カンチャン・バダニのループフープ:

かぎ針編みを通して部族の女性に力を与える

ジャールカンド州の小さな町ジュムリ・テライヤでは、部族の女性たちが週5日集まり、仕事を提供するだけでなく、子供たちに喜びをもたらす工芸に取り組んでいます。 Loophoopと呼ばれるこの取り組みは、ジャ​​ールカンド州出身の61歳の起業家、カンチャン・バダニによって始められた。 2021 年に設立された Loophoop は、かぎ針編みのおもちゃの手作りに焦点を当て、地域の部族女性に生計の機会を創出しています。

カンチャン・バダニとジュムリ・テライヤとのつながりは深く、彼女の家族はこの地域で鉱山を所有しており、地元コミュニティではよく知られています。しかし、雲母鉱山産業が閉鎖に直面し、多くの人が職を失ったとき、バダニは、この地域で苦しむ女性たちの希望の源となりました。彼女のベンチャー企業であるループフープは、これらの女性たちに希望とより良い生計を立てる機会を提供する手段として誕生しました。

バダニのかぎ針編みへの情熱は、コルカタで幼い頃、祖母がかぎ針編みのおもちゃを作っているのを見て育ちました。1982 年の結婚後、彼女はジュムリ・テライヤに移り、時折コミュニティ内の他の女性たちにそれを教えながら、その工芸品の練習を続けました。困っている女性たちの生活に変化をもたらしたいという彼女の願望にもかかわらず、バダニの社会的活動は家庭の責任のために後回しになっていました。

2021年、子供たちが落ち着いて時間も増えたので、バダニはかぎ針編みへの情熱を、地域の女性に力を与えることができるビジネスに変えることを決意しました。彼女はLoophoopを立ち上げ、主婦や部族コミュニティのメンバーを含む地元の女性たちにかぎ針編みの技術を教え始めました。無料で提供されるこのトレーニングは、女性たちが技術を習得するまでに通常10~15日かかります。

動物のおもちゃ、人形、神のフィギュア、オーダーメイド品などの Loophoop の製品は、ジャールカンド州の2つの製造センターで製造されています。在宅勤務を希望する女性のために、材料が提供され、都合の良いときにおもちゃを作成できます。女性たちは、生産する作品の数に応じて、通常、月に 4,000 ~ 5,000 ルピーを稼ぎます。

この製品の価格は450ルピーから2,500ルピーの間で、LoophoopのInstagramページとウェブサイトを通じて販売されています。同社はこれまでに3,000を超える製品を販売し、月間売上高は 10 万ルピーから 150 万ルピーに達しています。品質と安全性を重視する Loophoop は、原材料と最終製品がラボでテストされ、インド規格局によって認定されていることを保証します。特に、おもちゃの部品にはプラスチックが使用されておらず、目などの部分には細い糸が使用されています。

バダニは将来を見据えて、Loophoop をオフライン店舗に拡大することを構想しており、高品質の製品を提供する際の一貫性の重要性を強調しています。彼女は、夢を追い求めることに年齢制限はないと信じており、Loophoop を通じて女性をサポートし、高揚させ、女性の人生にポジティブな影響を与えるという夢を実現することに尽力しています。

https://loophoopkids.com

〇スムリティ・ナグパルのアトゥルヤカラ:聴覚障害者アーティストのためのエンパワーメントの物語

コミュニケーションは個人間の架け橋であるとよく考えられていますが、言語自体が障壁である場合はどうなるでしょうか? AtulyakalaのCEO 兼創設者であるスムリティ・ナグバルは、聴覚障がいのある2人の年上の兄弟とともにこのシナリオに陥っていることに気づきました。彼女は彼らの代弁者になることを決意し、幼い頃から手話を学び、家族間の架け橋となりました。

スムリティの物語は、16 歳のときに社会に貢献するために全米聴覚障がい者協会 (NAD) にボランティアとして参加したとき、意味のある変化を遂げました。その後、学生としてニュース番組の通訳となり、ドアダルシャン ネットワークを通じて聴覚障がいのあるコミュニティに奉仕しました。この経験が、聴覚障がい者コミュニティが直面する課題に取り組みたいという彼女の情熱に火をつけました。

経営学士号を取得した後、スムリティは通訳として働く機会をつかみ、才能ある聴覚障がい者の芸術家の物語に触れました。この啓示は、変化をもたらすという彼女の決意を刺激しました。スムリティは、友人のハルシットさんと協力して、クリエイティブなコラボレーションやデザインパートナーシップを通じて聴覚障がい者のアーティストに力を与えることを目的とした営利社会企業、アトゥルヤカラを設立しました。

アトゥルヤカラは、聴覚障がいのあるアーティストが作成するすべての作品に署名することを許可し、彼らの個性と創造性を強調することで、他との差別化を図っています。この企業は、これらのアーティストが制作したアート作品をオンラインおよびオフラインで販売することで収益を上げています。目標は、彼らの創造性を解放し、従来の期待の範囲を超えて才能を披露する機会を提供することです。

アトゥルヤカラはアートを販売するだけでなく、有名なミュージシャンやアーティストと提携して、聴覚障がい者コミュニティのための最初の曲やイラストを制作しています。この企業は、芸術活動に直接関わる人々だけでなく、ろう者コミュニティ全体に影響を与えることを目指しています。

さらに、アトゥルヤカラは手話についての意識を高めることに尽力しています。彼らは大学でワークショップを実施し、手話の基礎を人々に教育するためのハンドブックを開発しています。 スムリティはアトゥルヤカラを聴覚障がい者によって作られた製品を独占的に販売し、アーティストたちの誇りと達成感を育む強力なブランドとして構想しています。