「お金を使わないのは罪」?

CWBアドバイザー 松井名津

 「お金を使わないのは罪」とドラッカーが言っているらしいんだが、この罪ってguiltyなの、sinなの?guiltyは刑法、民法に関わらず、法を侵害したとか、特定の犯罪を行なったという時に使う。これに対してsinは「神に逆らう・神の法を犯す」という意味になる。なのでもしドラッカーがsinという言葉を使っているなら、お金を使うことに非常に積極的かつ倫理的な意味を持たせていたことになる。一方でguiltyだったら、ある社会における罪になるだろう。例えば現在の社会では罪だけど、中世社会だったら罪ではないというように。

 ということで、早速Googleを駆使して論文を探し、いろいろ探ってみたのだが、ドラッカーの語録や文章、ドラッカー研究の中で該当する言葉は見つからなかった。ではドラッカーにそういう発想がなかったのかというと、これまたそうではない。例えばprofit(利益)とは何かについて「利益は未来への投資である」とある。家計の貯蓄であっても、子供の教育費であれ老後の資金であれ、未来の人生を意識して「除けておく」お金であって、最終的にはある目的のために使用されるものである。事業でも利益は事業の究極的な目的ではなく、事業が成功しているかどうか(その目的である顧客の創造に成功しているかどうか)を図る指標であり、次への動きを作るための手段でしかない(そして次への動きがない事業は早晩消えて無くなる運命にある)。

 とすれば、あながち「お金を使わないことは罪である」という言葉をドラッカーがいったとしても不思議ではないことになる。特にドラッカーにとって、市場は常に変化し続ける存在であり、どのような巨大企業であっても昨日の成功のまま、今日を過ごすことはできない。各企業(あるいは事業)は、常に自分の顧客は誰か、顧客が何を求めているのかを根底から問い続けなくてはならない。それを怠った時、企業は衰退することになる。その例としてドラッカーが挙げているのがキャタピラー社である。1980年代まで重機の世界シェアの7割を握っていたキャタピラー社は数年で倒産の危機に陥る。その原因をコマツの急成長に求めることもできるが、ドラッカーはキャタピラー社が既存の自社の使命に安住していたからだとする。そしてキャタピラー社が劇的な復活を遂げたのは、自社の顧客が求めているものは何なのか、自社は何のために存在するのかという根本的な問いを問い直し、その問いに応える形で自社を再編したからであるとする(具体的には単なる重機の販売から重機を使用する際に必要なサービス―修理や改修―を提供する会社へと生まれ変わった)。

 この過程を、ドラッカーは「変革(イノベーション)」という。イノベーションというとシュンペーターがすぐに思い浮かぶ。シュンペーターのイノベーションは、技術革新といって良い。市場の中から現れるものというよりも、天才と時代の要請がうまく組み合わさって生み出されるものである。しかしドラッカーの「変革」は顧客の欲求やニーズの変化に合わせて組織を再編成することによって生まれるものである。組織再編(リストラクチュア)といえば即首切りを思い浮かべてしまうが、ドラッカーによればそれは愚の骨頂である。組織はそこに働く人間とマネージャーの相互作用によって運用されている。個人にとって組織はそこで働くことによって、自己の能力を高めることができる場所であり、組織再編に伴い各個人に要請されるのは、新しい環境でのチャレンジ(リスキリング)である[1]。この変革に必要不可欠なのが余剰資金、つまり利益である。利益は組織が市場や社会の変化に順応し、新たな顧客(ニーズや欲求、問題解決)を創造するために使われる。それゆえ利益=お金を使わないことは、社会の変化に対応せず、ただ無目的に流されるままになることでもある。

 と考えると、これはguiltyというよりもsinに近いのかもしれない。ドラッカーは理想だけの「原理主義」も効率だけでよいとする「社会効率主義」にも加担しない。「原理主義」は目的だけを語り、効率を顧みない。結果的に社会の機能を壊してしまう。「社会効率主義」は目的を問わず、何を犠牲とするのかも問わない。結果的に相対主義に陥る。そして「機能しない社会に代わるものは、社会の崩壊と無秩序な大衆しかない…。秩序なき大衆が数を増やす社会には未来はない[2]」と述べる。機能しない社会を招いたのは、大衆ではなく(とはいえ大衆は毒性を持つと述べるが)社会そのものなのだが、その社会を未来へと動かし得るのは、利益なのである。guiltyが社会の中でこそ意味を持つ罪であるのに対して、sinが社会を支えるもの(キリスト教における神)への罪だとすれば、利益を使わないことは、社会を無秩序へと導くsinではないだろうか。

 お金を使わないという罪。この言葉はキリスト教の社会でも日本でも奇妙に感じられることだろう。どちらの社会でも形は違っても「節約=美徳」という価値観があるからだ。そして利益至上主義が拡大し、お金がものをいう時代になればなるほど、お金を持っている(利益が大きい)ことは即「力」を意味していた。だからこそお金を使うことには極端に慎重になる。マルクスが言ったとおり資本主義は守銭奴でもある。景気が良ければともかく、少しでも未来が不透明になると、人も企業人もお金を使わなくなり、投資を控える。今の自分、今の組織が大事。だから不透明な未来に対して今を守りたい。そのこと自体は本能的なのかもしれない。しかしそれは未来を放棄することにつながる。ドラッカーが「利益は未来への投資である」と述べた裏には、お金を使わないことが未来を考えないことにつながるという危惧があったのではないだろうか。

 もちろん「未来への投資」としてお金を使うことと、無駄遣いとは異なる。ドラッカー的にいえば、どんな未来を創るのか=目的と、どのようにお金を使うのか=効率性を両立しなくてはならない。とはいえ今最も求められているのは、どんな未来を創るのかという目的、将来像だろう。価値の多様化が叫ばれている中で、全員が一致するような目的を創出することは可能なのだろうか。私は全員が一致する目的を作らなくても良いと考えている。社会は人間が自分自身の目的なり目標なりを叶え、人生を過ごす「場」である。各人の目的は各人のものだ(まぁ社会を壊すとか、人を殺したいという目的はちょっと置いておいて)。その目的をどのように叶えるのかという手段もまた各人のものだ。これは社会の前提のように思える。が、実はこの条件自体が目的になると私は考えている。単一の目的で個人の行動を縛る社会もある。各自の目的を叶える手段が非常に限定されている(金銭しかない)社会もある。とすれば、社会を各個人がそれぞれの目的を叶えることができる「場」にすることそのものが、各人にとっての緩いけれども共通の目的となり得ると考えている。

 そしてそのために「お金を使うこと」が今、最も必要なことだ。自分が持っているのはお金ではない。未来の社会、それも遠い未来ではなく、すぐ先の未来、明日や明後日、自分が過ごす場所がほんの少し居心地の良い場所になるために「使う」投票でもある。


[1] ピーター・F・ドラッカー著,上田惇生訳『[新訳]産業人の未来一改革の原理としての保守主義』,ダイヤモンド社, 1998年, PP.35-36.

[2] ピーター・F・ドラッカー著,上田惇生訳『[新訳]産業人の未来一改革の原理としての保守主義』,ダイヤモンド社, 1998年, PP.35-36.

変化の種8 インドの社会起業家の紹介

CWB 奥谷京子

 ヴェンカテシャ・ナヤックさん著の『変化の種~Seeds of Change』からご紹介します。今回の紹介を読みながら、WWBのセミナーでは生まれつきあざなどがある人の支援している「ユニークフェイス」というNPO法人を立ち上げた方のことを思い出しました。インドに限らず世界では硫酸などをかけられて顔を傷つけられるというような痛ましい事故があることも今回調べたことで知りました。

 また、Self Help Group(SHG)という言葉はインドではよく耳にするのですが、自助グループを差します。例えば私も訪問した北部グジャラート州ではSEWAというグループが女性たちに手に職を持つように訓練する、自立のためのマイクロファイナンスを立ち上げるなど、いろんなプログラムが民間で作られています。

 さらには事業を始めた若者がそれはさておき、血液バンクのような取り組みも1つの出会いから始まっています。社会起業のきっかけは、「何とかしなければ!」という気持ちで心を動かされ、立ち上がって周りを巻き込みながら広がっていくというような活動がありますが、インドにもいろんなストーリーがあると改めて感じる3人をご紹介します。

<リア・シャルマ: 傷を癒し、変化を起こす>

 英国リーズ芸術大学の最終年度プロジェクトから Make  Love Not Scars (MLNS) の創設者に至るまでのリア・シャルマの歩みは、共感と活動の力の証です。インドでの酸攻撃(*)の被害者に関するドキュメンタリープロジェクトとして始まったこのプロジェクトは、リアにとって人生を変える使命となった。

 2014年、シャルマは酸攻撃生存者、主に女性の支援に特化したクラウドファンディング組織「Make Love Not Scars」を設立した。 MLNS は、生存者の身体的および精神的両面から包括的なサポートを提供し、リハビリテーションに積極的に取り組んでいる。この組織の取り組みには、生存者が自分自身とその家族を経済的に支えるためのキャンペーン、ボランティアや資金提供者へのオンライン支援、職業紹介の取り組みなどが含まれる。

酸攻撃生存者との連帯に対するリア・シャルマの取り組みは、意識を高めて生存者を支援するために1年間化粧を控えるなど、彼女の個人的な選択からも明らかだ。

MLNS は、酸攻撃生存者のためのインド初のリハビリテーションセンターを設立することで、その影響力をさらに高めている。この組織は、生存者が自分の才能やスキルを披露し、潜在的な雇用主と結びつけるためのプラットフォームとして機能している。これらの取り組みを通じて、MLNS は社会的な偏見を打ち破り、生存者の労働力への再統合を促進することを目指している。

 MLNS の注目すべきキャンペーンの1つである、2015年に開始された「End Acid Sale」は、酸(硫酸、塩酸、硝酸など)の小売禁止を目指したものだった。この影響力のあるキャンペーンは認知度を高めただけでなく、世界的な支持も集めた。その成功はカンヌ映画部門金獅子賞の受賞によって強調され、インドのキャンペーンとしては7年ぶりにこの栄誉ある賞を獲得した。

 リア・シャルマの社会分野における目覚ましい貢献は、国際的な評価を得ている。 2016年にブリティッシュ・カウンシルのソーシャル・インパクト賞を受賞し、2017年にはインド人として初めて国連ゴールキーパー・グローバル賞を受賞した。

 リア・シャルマの活動のポジティブな波及効果は、キャンペーンや賞を超えて広がっている。彼女の支持は政策形成に役割を果たし、酸攻撃の被害者に再建手術、宿泊施設、リハビリテーション、アフターケアを含む無料で完全な医療を提供するという最高裁判所の病院への命令につながった。

 リア・シャルマのストーリーは、思いやりと行動力が変革をもたらす力を体現しており、一人の献身がどのように変化を引き起こし、最も必要とする人々に癒しをもたらすことができるかを示している。

*酸攻撃(acid attack)とは…硫酸・塩酸・硝酸など劇物としての酸を他者の顔や頭部などにかけて火傷を負わせ、顔面や身体を損壊にいたらしめる行為を指す。

<ジョーティカ・バティアとヴァイシャリ・ガンジー:スルジナを通じて女性に力を与える>

 2012 年、ナルシー・モンジー経営研究所のMBA学生であるジョーティカ・バティアとヴァイシャリ・ガンジーは、スルジナを通じて女性の自助グループ (SHG) に力を与えるという使命に乗り出した。この非営利組織は、SHGへのインフラ、市場へのアクセス、トレーニング、組織的サポートの提供に重点を置いており、世代間の生計手段を創出し、貧困、虐待、人身売買の影響を受ける女性に力を与えることを目指している。

 このストーリーは、ムンバイのアンデリにある女性保護施設でのボランティア活動中に始まった。そこで彼女らは、保護された女性たちが保護施設を出て新たにスタートする際に直面する課題に気づいた。変化を起こそうと決意したバティアとガンジーは、女性たちにジュエリーを作る訓練をするパイロットプロジェクトを保護施設で開始した。手作りのジュエリーを販売するこのパイロット プロジェクトは、スルジナの影響力のある介入の基礎を築いた。

 スルジナは、SHGが顧客や市場に直接結びついていないという既存のモデルのギャップを指摘した。この組織は、SHG、職人グループ、女性と協力する非営利団体と協力し、インフラ、スキル構築、市場アクセスにおけるサポートを提供している。彼らの介入は通常3~5年続き、能力開発とSHGを顧客に直接結びつけることに重点を置いている。

 女性のリーダーシップスキルの必要性を認識し、スルジナは The Nudge Instituteと協力してSuper Didiプログラムを導入した。このプログラムは、自信、前向きな信念、リーダーシップスキル、成長マインドセットを植え付け、リーダーや起業家を育成することを目的としている。リーダーシップの資質によって選ばれたSuper Didisは、10週間のコースを受講し、コミュニティプロジェクトで最高潮に達する。

 スルジナの影響は経済的エンパワーメントを超えており、コミュニティ内で女性の柔軟性を可能にする繊維および食品ベースの製品に焦点を当てている。同社は再利用可能な生理用ナプキンキットを製造し、女性の健康と衛生を確保している。女性と寄付者の両方の考え方の変化に課題があるにもかかわらず、スルジナはわずか6か月で 20,000人の女性に到達し、44人​​のSuper Didisが2900人の女性に影響を与えた。

 この組織は、仕事よりも家族の責任を優先するという伝統的な考え方を克服するという課題に直面している。しかし、スルジナはそのビジョンを堅持し続け、10万個の生理用ナプキンキットを配布し、100人のSuper Didiを創設し、金融リテラシープログラムを拡大することを目指している。The Nudge InstituteとCSRプログラムの支援を受けて、スルジナは変化の触媒となり続け、女性に力を与え、持続可能な影響を生み出し続ける。

<カルティク・ナララセッティ: ソーシャルイノベーションを通じて人生の橋渡しをする>

 カルティク・ナララセッティのストーリーは、たった1つのインパクトのあるアイデアが変革をもたらす力を証明している。ニュージャージー州ラトガース大学を中退した彼は、単にスタートアップを成功させるだけでなく、人生を変えるベンチャーを立ち上げる道を歩み始めた。

 最初にRedcode Informaticsを設立し、成功に導いたカルティクの人生は、彼の軌道を変える記事に出会った時に変わった。この記事は、サラセミア(*)と闘う4歳の娘のために必死で血液を求めている家族の闘いに焦点を当てていた。血液供給不足の問題の深刻さは、カルティクに深く衝撃を与えた。

 カルティクは現在の事業を保留し、Social Bloodと呼ばれる新しい取り組みを開始しました。この組織は、ソーシャルメディア、特に Facebook の力を利用して、困っている人々と献血者を結び付けようとした。Social Bloodは米国の複数の血液バンクと提携し、深刻な血液不足に直面している30万人以上の人々への援助を促進してきた。

 カルティクの人道的努力は大いに注目されています。2011 年の Staples Youth Social Entrepreneur Award をはじめ、数々の賞を受賞しています。

 フォーブスは彼の影響力を認め、尊敬すべき30歳未満のイノベーター30人リストに2 度彼を取り上げました。アントレプレナー・インディア誌も彼の貢献を認め、インドの35歳未満のイノベーター35人の一人に彼を指名した。

 カルティク・ナララセッティの物語は、賞賛を超えて、社会変革への情熱によって個人が及ぼし得る大きな影響力を例示している。大学中退者から認められるイノベーターになるまでの彼の道のりは、共感と重大な社会的課題への取り組みに原動力を与えられた場合に、有意義な変革がもたらされる可能性を強調している。

*サラセミア:ヘモグロビン(酸素を運ぶ赤血球中のタンパク質)を形成する4つのアミノ酸の鎖のうち1つの鎖の生産が不均衡なために生じる遺伝性疾患群。サラセミアの種類によって症状が異なる。黄疸のほか、腹部の膨満感や不快感を訴える人もいる

<TEDでの紹介>

団体であっても客とエージェントの関係性にならないツーリズムに

CWB 奥谷京子

 コロナの数年を除いて、これまで6,7年にわたって大学生のゼミ旅行をプンアジでも受け入れてきたのですが、ツアー料金を預かってその予算範囲内ですべてアレンジするという従来の旅行会社のスタイルで予定も組み、やってきました。

 今年は國學院大學の学生男女12名を受け入れることになり、6月ごろから準備に入っています。ツーリズムに興味のあるプンアジの学生に自立してもらうべく、その子をコンダクターとして私が計画した全日程を引率してもらうというスタイルを当初は考えていました。そこにはみんなで少数民族の村に泊まるなども計画していましたが、去年それでいろいろありました。初めての経験の学生たちは勝手がわからないのも仕方ないのですが、村人とのギャップがいろいろありました。まずはちょっと虫が飛んできただけでダメで泣く子もいる。そしてトイレと風呂が兼用で裸足で入ることも抵抗感がある。さらにはそのバスルームに貯めてある水で水浴びもするのだがそれがわからず大量にペットボトルの水を買い込んで水着を着て外で髪の毛を洗っていたらしいのです。飲むためのきれいな水で洗うなんて…おそらくこれは村人にとっては奇異な理解できない行動だと思います。また10数名の外国人がまとめていくと、インパクトが強すぎて地域の有力者まで動いてしまう始末。そんなことから今年は2コースに分かれ、本当に地域に入って勉強したい学生だけが手を挙げて宿泊し、そうじゃない人は街中のホテルで2泊滞在というものに変えました。

 そしてツーリズムとしてまとめてお金をいただくのではなく、それぞれにプンアジの生徒が活躍したことに関してそれぞれに出すという方式に変え、それぞれの担当が活躍し、その分対価としてお金をもらうというのを明確にしました。現在スレイマウは自分の日本語を磨くためにもサンボープレイクック遺跡の案内を日本語で行うために私と時間を作って練習しています。ダンスもいいものを披露して15ドルをいただく。カシューナッツスムージーを出したらその分をいただく。そうやってそれぞれがやるべきことを理解して、その分頑張るし、それに見合うかどうかを日本の学生にも払った時点で評価してほしいと考えています。

 さらにお互いの事情の中から無理をしない。例えば当初予定していたダンスと共にお料理を出すことについては、ミャンマーから逃げてきた女子二人が残念ながらプンアジをやめたのでこちらから提供することをやめました。しかし、日本の学生が日本食を披露するということでダンスが終わった後にカンボジアの若者に海苔巻きをふるまう予定です。ただプログラムに乗っかって見学だけではなく、現地の若者に日本側からも提供しようと、このような形になりました。

 海外初という学生もいる中で引率する井門先生も大変だと思いますが、ツーリズムも時代のシフトに合わせて変化するタイミングとしてとらえ、アレンジしたツアーを消費するから、時間と手間はかかりますが、来る前から連絡を取り合って作り上げ、本人たちができることで現地の若者と交流したり、お金を自分たちで管理して自分たちで支払うという主体的な取り組みを経験することが海外に行っても自分は何かができるという発見につながるのではないかと思い、準備を進めています。「一緒に作るカンボジアの旅」はいつでも受け付けております。どんな日程で何がしたいかをぜひお知らせください。

能登を訪れ、集まる場こそ社会的共通資本。PA元スタッフと

CWB 奥谷京子

 無風で本当に暑かったのですが、7月25日に能登の入り口でいわゆる“口能登”と呼ばれる宝達志水町の金丸君(PA元スタッフ)のゲストハウスちりんに泊まり、翌日に和倉温泉、穴水町、輪島まで見てきました。今年元旦に大地震が起きてから半年以上が経ち、だいぶ瓦礫は撤収されつつあり、半島への唯一のアクセス「のと里山海道」もきれいになってきてはいますが、和倉温泉の旅館は営業再開の見込みもなく、さらに輪島はまだまだひどい状況です。今でも地割れも残っており、道路はがたがたでした。珠洲まではいけなかったのですが、もっと大変な状況なのだろうと想像します。

 今回、金沢のアジール中谷さんが現地に物資を届けに行く時に知り合った輪島の朝市でかつて引き売りしていた母娘と出会った話を聞いて、商品を買おうというのを呼び掛けます(3p参照)。能登の水産物や地元のものを買って応援することはわかりやすい1つの応援の形です。東日本大震災や熊本地震の後も、現地を訪れた時のことを思い返しながら、今回能登とこれまでとの違いは何かと思いながら車の中から街並みを見ていたのですが、仮設住宅は建ち始めているけれども、13年前の東日本大震災の時に訪れた岩手の岩泉、宮古などはある程度まとまったところには集会場が設けられていました。そこでみんながお茶を飲んでお話をしたり、時には運動をやったり、ミニコンサートがあったり、私たちが編み物を持ち込んだり、そうやって中にいる人が集まれる場所がありました。しかし、今回は寒い体育館などの避難所から早く住宅へという急務の課題があったためか、コロナもあり、あまり人が集まることを推奨していないためかもしれませんが、そういう場所が見た限りでは見当たりません。仮設住宅の敷地も1か所がそんなに大きくないので、住んでいる人の単位も少なさそうです。

 仮設住宅もそもそも窮屈です。抽選で当たったけど、これまで部屋も分かれて寝ていた夫婦が1つの部屋では耐えきれないと入居が当たったのに断ったケースがあったという話も聞きます。私もコロナの時に陽性者が機内で見つかって60名の搭乗者がプノンペンで2週間ホテルの部屋から一歩も出られなかった時があり、カップルも息が詰まりそうだっただろうと思いますが、一人は一人で私も誰とも接触がない辛い日々でした。時々SKYPEで仕事仲間とは話すけれども、ほとんどの時間はYouTubeとパソコンに向かった作業かSNSで発信(インターネットのある時代でよかった)。でも目が痛くなったらトレーニングをする。それを1年の24分の1の2週間を過ごし、音を上げたくなるくらいです。やはり知っている人や友達に直接会うことはとても大事で、仮設住宅に当たっても必ずしも知り合いが隣近所にいるわけではない状況です。たまたま輪島で公的な施設の隣に出来た仮設住宅の様子を見ていた時、ボランティアの照明であるオレンジのベストを着た人が1軒1軒安否確認とお困りごとを聞きに行っている様子も見られたのですが、これだけでは足りないでしょう。その仮設住宅の敷地内で新たなご近所さんができて、その人たちと何らか接点を作らないと、お年寄りが多ければ多いほど面倒くさがって孤立に向かう気がします。現に私の母も8カ月私が世界中で飛行機が飛ばなかったコロナの時期に日本の家に帰れなかったことで孤独や不安から精神的に滅入っていました。

 今回の能登に入る前に、東北の経験からただ何かやってもらうばかりだと田舎の年配の方は遠慮されるから、自分も役立つ一員になることで工事現場の人やボランティアできてくれる人などに気を使ってばかりの関係性にしないために、おばあちゃんたちが集まって甘酒をふるまったらどうだろうかと考えていました。お小遣い稼ぎにつなげてしまうと、私の東北での失敗はテレビや新聞で話題になればなるほどあちこちから声がかかって、供給が追い付かない、こんなに忙しくなるなんて…と被災地の女性たちを苦しめてしまったこともあります。ましてや高齢者なので張り合いとかの意味合いが強いことができないかと考えてはいました。

 アジールの中谷さんは岩手のニットワークプロジェクトも応援して下さっていて、今でも宮古のお母さんたちとやり取りがあります。あの活動は居場所を作る、見ず知らずの人たちでも編み物をやることで集えておしゃべりする場を作ったところに意義があったと思うという話をしてくれました。今、能登は半島にある市や町の人口を合わせても30万人(富山県氷見市も含む)にも満たないところで若い人は外に仕事を求めて出ているし、ますます高齢化(7年前の平成27年ですでに65歳以上が34.6%)していくエリアであることは間違いないです。金沢で救援物資を受け取る能登の人たちがオープン前から心待ちにして外に並んでおり、ほとんど年配の方々でした。長期戦になればなるほど、メンタル面でのサポートが求められます。それは深刻な事情を受け止める相談窓口も必要なのですが、もっと日常的に気軽なこと、例えばニットのように何か打ち込めるものを一緒にやるという場と時間があること、なのです。なぜ今回私が甘酒に目を向けたかというと、材料が水と麹というシンプルなのに、温度管理という手間、発酵に時間がかかります。だからこそ時間のある高齢者が取り組むのにうってつけかなとピンときました。これを事業にするとなると加工場に保健所の許可、設備に1000万の投資とか面倒なことが起きるので、売ることは考えてはいません。麹という材料さえ現地に集まれば、あとは地元の方たちが好きなペースで集まって、ふるまうのも自分たちのペースで、と思っています。今なら暑いから凍らせたら美味しいし、冬はショウガも入れて温まればいい。甘酒は「飲む点滴」といわれるほど栄養価も高くて夏バテにも効果があるので、解体や工事で頑張る人、暑い中立っている警備の人などを励ましたいし、そして作っている本人たちもワイワイ集まって作りながら飲めば健康管理になるんじゃないかと想像しています。これはぜひ真似られていろんなところで広がってほしいと願っています。

まずは金丸君にこの話をしたところ、奥さんの絵満さんも早速甘酒の作り方を調べて、これならできそう!と面白がってくれています。ゲストハウスのダイニングをお借りして、集まる時にプレス・オールターナティブは場代を支援します。この宝達志水町に奥能登から移住してきた人とまずは交流の場を作ろうという話をしています。この町は移住に力を入れていて、アウトドアが共通の趣味である金丸君ご夫婦も実は縁もゆかりもなかった土地で、職場と海と山に近くて移住者にやさしいからという理由で移住したそうです。最近はその移住窓口も能登からの相談が多いのだとのこと。その方たちが一旦は珠洲や輪島などを離れても週末に片づけに行くなど、もしも行き来をしていればそこからつながるご縁もあるかもしれない、と。すでに5組の高齢者が移住してきているそうです。また宝達志水町はツーリング好きのバイク大会が秋に開かれるそうで、金丸君のゲストハウスにも少しずつ予約が入っています。そういう中から奥能登に甘酒を届けに行ってくれるボランティアもいるかもしれない、と。少しずつ点が線になっていきそうな予感がします。長い目で応援していくためには、集う場所が必要というのが今回自分の目で見てわかり、イメージが広がりました。この構想をCWBにも呼びかけ、アジアからの支援も得たいと思っています。ミャンマーのヤナイ君が日本に来ますので、能登にも呼んで案出しです。