ウルヴァシ・サーニ博士は、インドの社会起業家精神の最前線に立つ、先見の明のあるリーダー、女性の人権活動家、教育者です。Study Hall Education Foundation (SHEF) のCEO兼創設者としての彼女の使命は明確です。それは、インドで最も恵まれない少女たちに教育へのアクセスを提供することです。
Digital Study Hallの共同創設者兼ディレクターとして、サーニ博士はウッタル・プラデーシュ州の地方および都市部の学校に教育実践を広げ、10万人を超える生徒と教師に影響を与えています。彼女の影響は、女性に持続可能な生計を提供する社会的企業であるDiDiにまで及び、65 人のPrerana(*1)卒業生とその母親を雇用しています。
4月の日本での公演で10か所回って、「Peace without Guns―武器のない平和を」という脚本でYikeを披露したのですが、次はインドネシアのバリ島で開催することが決まったのは先月号でお知らせしたとおりです。これをどうやって開催するのか、日本公演で使ったデータをもとに、手伝ってくれた学生インターンの羽成優花さんがいろいろとインドネシア語にチェンジをしてくれています。
今回もヴェンカテシャ・ナヤックさん著の『変化の種~Seeds of Change』からご紹介します。私は産業能率大学で年に1回「ビジネスマインドと発想法」という講座を担当しています。どういうアイディアと動機で人々が事業を始めるのかという紹介を日本の女性起業家だけでなく、今年度はこちらのインド社会起業家シリーズからも紹介したのですが、改めて目の付け所、社会に対する問題意識など、大事な要素がちりばめられているように感じます。
テフロン加工の鍋が主流の現代のキッチンの賑やかな世界の中で、コチ出身のラディカ・メノンとプリヤ・ディーパックは、鋳鉄や陶器を使ったより健康的な料理の伝統を思い返すことにしました。彼女らのベンチャーであるヴィレッジ・フェア(The Village Fair Natural Cookware)は単なるビジネスではありません。それは、毒素を含まない天然の道具を使って料理をするという、昔ながらの習慣を復活させる物語です。
チームは、このモデルを段階的に世界的に複製することを構想しています。自己資金で運営され、販売ごとに40~50%のマージンをとって運営されている ヴィレッジ・フェアは、年間400万ルピー近くの売上高を誇り、毎日約50個を国内外の顧客に出荷しています。ビジネスの成功以外にも、このベンチャー企業は恩返しも行っており、売り上げの5%が精神障がい者向けの医薬品のための Mehac Foundation を支援しています。ヴィレッジ・フェアは、伝統と革新を融合させ、すべての人により健康的なライフスタイルを促進する可能性を証明するものです。
今回もヴェンカテシャ・ナヤックさん著の『変化の種~Seeds of Change』からご紹介します。先月号はリサイクル、環境問題の解決ということに焦点を当てて紹介しましたが、今回紹介する3人はすべて女性起業家で女性の雇用づくりに焦点を当てている方々です。3人目に紹介する女性起業家は聴覚障がい者の人たちと共に服の販売をしているということで、現在CWBミャンマーで活動しているOne 4 Oneの活動に類似するところがあり、参考になればと思い、紹介します。
〇ジャイ・バラティの変化への意欲:
MOWO はモビリティを通じて女性に力を与える
建築家であり情熱的なバイカーでもあるジェイ・バラティは、モビリティを通じて女性の生活を変えるという使命に乗り出しました。 2019 年のメコンへの道遠征中のタイでの女性自転車タクシー運転手との出会いに触発され、ジェイは女性に力を与えるモビリティの可能性に気づきました。この認識は、女性が運転スキルを学び、モビリティ分野での機会を追求できるようにすることに焦点を当てた非営利団体である MOWO (Moving Women) Social Initiativesの設立につながりました。
そして今回はソポンさんがクイのことを話してくれる。国民や世界が分断しようとする今、インドネシアの独立の国是でもある“Bhinneka Tunggal Ika(=Unity in Diversity・多様性の統一)”が大切だ。今回のアサの文章も自分たち少数民族の誇りを綴っている。対立するのではなく、互いに理解していくことをもう一度考えさせられる。平和は武器をおろして戦うことをやめるだけではなく、違いを認め合うことだ。クイはいろんな独自の慣習(言葉、料理、農法など)があり、それはSDGsという言葉を知らなくても遺伝子レベルで実践している。しかし、それが大都市のように近代化していくことが発展だという迷信で失われつつあるライフスタイルをどのように守っていくか、これは過疎化で季節に応じたその土地独自の暮らし方を取り戻せなくなった私たち日本人への大きな学びとなるだろう。