代表 ご挨拶

松山大学経済学部 教授 松井名津

 ウルリッヒ・ベックは第一近代が必然的に生み出した様々な危機ー環境問題や金融リスク、災害リスクは、第一近代の失敗ゆえではなく成功から生じているものだという認識に立っていた。彼はこの第一近代の生み出した危機を主体的に引き受ける市民によって、持続可能な社会を築き上げることができるとし、これを第二近代と呼んだ。

 ベックが示した第二近代の実態がどのようなものか。これは研究室の中で思想を分析していて明確になるものではないと、私たちは考える。むしろ実践のフィールドとそのフィールドでの経験を批判的に考察する研究との往復作業の中から、第二近代の真の姿が現れると考えている。

 第二近代研究会は、温泉津という大正時代の街並みにある旧吉田屋旅館を本拠としている。欧州中心の第一近代に巻き込まれる形で、第一近代に飛び込んだ明治日本が、早熟の徒花を咲かせた大正期の雰囲気を色濃く残す街並みには、第一近代以前の「逝きし日の面影」も堆積している。街を散策すれば、堆積する年月が何事かを囁くことだろう。

 この研究所には必要最低限(日常生活を支えるためとIT危機の充電に必要な)の電力しかない。それもソーラーパネルによる電力であるから、夜間は蝋燭の灯火が頼りである。テレビも新聞もない。あたかも修道院のように一点集中型の研究生活を送ることができる。研究がメインの施設なので、料理等は自炊となるが、集中すると飲食を忘れるのは研究者の常。24時間好きなときにゴソゴソと暗い台所で一人自炊するのも、若き日が蘇るようで、活力の基になるかもしれない。若い世代の学生にとっては全てが新鮮な出会いに満ちていることだろう。利便性に満ちた第一近代が、本当は自分たちから何を奪っているのか、何を隠しているのか。それに気がつくことができる合宿所として利用してもらっても良い。町並みや街づくりを「現代」の基準ではないところから、考え直すのにも役立つことだろう。

 第二近代とはどのような社会か。その答えを導き出すのは、私たち一人一人である。この研究会に入会するのに肩書は不要である。リスクと責任を引き受けることのできる個人であり、現在の社会のあり方に疑問を持ち、新しい生き方を模索する人物であれば、誰でも歓迎する。研究分野も社会科学に限定するつもりはない。日本の近代以前を探索しようとする歴史家、考古学者、地理、物理学、化学、あらゆる分野を問わず、現今の科学の枠組みに飽き足らず、新たな方策を模索するものが集い、分野を超えた活発な議論が交わされることを望んでいる。  また在野でコツコツと研究を継続してきた民間研究者のみなさんには、この研究会を自身の研究成果の発表の場として大いに利用していただきたい。物事を深く探究するのに、大学は便利な場所ではあるが、大学のみが探究の場ではない。みなさんの貴重な成果を社会の共有財産とするためにも、積極的な利用をお願い申し上げる次第である。


やっとコミュニティー研究所まで来た

第3世界ショップファウンダー 片岡 勝

 日本で最初にフェアートレードを始めたのが40年前、フェアーというのがどうも上から目線なのが気になりコミュニティートレードと地域に軸足を移したのが10年前、そして、国境を越えた連携なくしては第二近代は成り立たないとアジア7か国を結んだ。この7か国のネットワークでは各国の田舎に拠点を置く。インド、ネパール、ミャンマー、カンボジア、インドネシア、フィリピン、日本にスタッフを持つまでになった。ネーミングもCWB(国境を越えたコミュニティーのネットワーク)とした。地域の課題は、同時に、世界の問題でもあるという視点で協働を試みる。先進国が優位の時代も見直されるようになり、中央集権から密を嫌う分散型社会が求められるようになり、経済優先の原理も生活という面から問い直す人も増えた。時代の転換点にいるようだ。将来の社会像を描くうえで時代を考察し方向を探る研究会の設置は必然だった。

教育にシフト、ギグで個性を育成

 社会性、個性、経済性のバランスある経営に努めてきた。個性を活かすには自立が条件だと考え起業家育成をWWBや、大学の授業で行ってきた。しかし、新しいパラダイムでは、それも経済優先に思えてきた。才を見出し、それを育成し、磨き、結果として経済的にも成り立つものにしていく起業が正しいのではないかと思えてきた。カンボジアにノーという女子生徒がいる。学校の成績は悪いが、ダンスのセンスは抜群だった。4年間、育ててきた。しかし、ノーの親はタイに出稼ぎに行かせようとする。これを阻止し、クメールダンスの伝統を残し、広げていくことこそがCWBの使命だと、いうことで「いくら家に入れれば出稼ぎに行かなくて良くなるか?」と問うた。その分を社会貢献費で出した。そして、今ではダンスチームのリーダーとして村々をネットワークし、8月には私たちの学校(アジア村・プンアジ)にカンボジア中から集まりダンスフェステイバルを行い文化省にも存在を示した。これは自国の文化に誇りを持つ仕掛けとしても大きい。

日本ではキャンドル合宿所「吉田屋」が再生

 日本では、この研究の拠点を築100年の吉田屋でやることにした。2006年、私が島根大学で客員教授をしていたころ頼まれて買い、私の教え子が若女将になり旅館として繁盛し投資資金は十分に回収した。その後、中心メンバーが抜けて閉店状態が5年ほど続いていた。ここで旅館業を継続するより、必要なときに必要な人に来てもらう「キャンドル合宿所」構想が浮かんだ。高崎経済大学の井門先生、松山大学の松井先生、それにボヘミアンイターンの武田春乃、耕作隊代表の高田夏美が議論した結果だ。この偶然のようなチャンスがなければ、ジャンプできなかった。それから1か月、既に「掃除合宿隊」が3度ほど組織されている。旅館業の登録はなくし合宿所にすると保健所、消防署などのハードルがぐっと下がる。旅館業がコロナで次々と廃業する中で一つの再生モデルとなるだろう。構造改革のない再生は日本にも、世界にもありえない。大胆に、CWBは踏み出し続けたい。この吉田屋の所有も松井先生にお願いした。私たちの活動をコロナがエポックメイクとなり推進した。コロナは第二近代を加速するという心構えで更に前向きにアクセルを踏みたい。


第二近代研究会とは

株式会社プレス・オールターナティブ三代目社長 河村恭至

 2019年4月、フェアトレード事業「第3世界ショップ」を運営する株式会社プレス・オールターナティブ(PA)の三代目社長を継承するにあたり、私たちの活動の社会的意義を議論し、学び、発信していく場として、第二近代研究会を発足した。

 「第二近代」という時代認識はドイツの社会学者U・ベック氏によるが、この言葉を私たちは、創業者片岡勝の師、篠原一先生から教えていただいた。

 生産性を高めて利益を追求し、そこで得られた富を国家が再分配する社会を理想としている時代を「第一近代」と位置づけ、環境や金融など現在起きている様々な危機は第一近代の失敗によるものではなく、第一近代が成功した結果という認識を持つ。その上で、近代を完全に否定して全く新しい社会を目指すのではなく、しかし第一近代の成功が生み出した危機を放置もせず、責任ある主体が危機を引き受け合うことで持続可能な社会に変容させていく、そういう時代を「第二近代」と呼んでいる。

 「第一近代」の担い手が国家と大企業であるのに対し、「第二近代」の担い手は「市民」と「アソシエーション」と私たちは考える。国家と大企業が「第一近代」の担い手である以上、そこから生じた危機は異なる主体が担っていくほかない。具体的に、どのように生活し、どのように働き、どのように教育し、どのように連帯していくことが、責任ある主体として第二近代の担い手となることなのか。それを私たちはフェアトレード事業、コミュニティトレード事業のパートナーや、インターン、地域メンターの方々と実践し、自ら「第二近代」の担い手となりながら、担い手を増やすことに貢献していきたい。

 第二近代研究会発足にあたり、J.S.ミルの研究者、松井名津先生と、WWBジャパン代表 奥谷京子さんにご協力いただくことになった。

 どういう時代に私たちはいるのか、ぜひ一緒に考え、学び、実践していきましょう。

2020年3月