「人間五十年、下天の内に比ぶれば…」とは信長で有名になった一節。もっとも人間の寿命が50年という意味ではなく、人間界の50年も天界では夢幻のようだという意味らしい。とはいえ、信長当時からつい70年ほど前まで、日本人の平均寿命は50歳以下、50歳を越えだしたのは1947年ごろ。まして70歳など文字通り「古稀(昔からこのかた稀な)」だった。ところが近年は70、80は当たり前。平均寿命をシフトさせると、今の50歳代は1950年代ごろの30歳代と同じになる。
しかし、どうも感覚的に納得できない。1950年代の初婚年齢は概算で男性27歳、女性23歳。高度経済成長が始まる頃、自分の子供が育っていくのと同時に、社会も経済も拡大してくといった感じである。あれもしなければ、これもしなければ…と自分自身と家族の今と近い未来に眼差しは向いていたことだろう。高度経済成長期を迎えるとともに食生活も向上し、体力気力も一昔前である1940年の30歳代とは大きく違ったはずだ。上り坂の時代とともに、ともかくも前に、より大きく、より新しくを追求する傾向を持っていたといってもいいかもしれない。
これに対して、今の50歳代の初婚年齢は男女ともに20歳代後半だから、子供はすでに成人している。高度成長がはっきりと目に見え始めた頃に生まれ、濃淡の差はあれ貧しさも、豊かさも知っているといってもいいかもしれない。私自身が今年の末で55歳になるから、ちょうどこの世代の中間だ。世代論はあまり好きではないから、個人的な話になるが、生まれたのは大阪ミナミの真ん中。乞食や浮浪者(死語?今だとホームレスになるのだろうか)が竹籠を背負って、器用にタバコや雑紙、瓶を集めていた。その傍らで野球のナイター(とかつては言っていた)照明が明るく輝いていた。チョコレートやケーキは年に一度か二度頂く特別なお菓子だったが、都会の真ん中で育った子供の遊び場は百貨店でだった。路地の端は小便の香りが香ばしく、タバコやチューングガムに混じって痰が吐き捨てられていた。3歳になって引っ越した郊外の新興住宅地は田んぼの真ん中。春にはレンゲの真ん中で寝転がり、冬になればセイタカアキノキリンソウの枯れたのを弓矢に戦争ごっこに興じる毎日。スカンポ(スイバ)を齧ったり、たまに「野壺(人糞を貯めておく壺)」にハマってからかわれたり、蛇に追いかけられて怖い目にあったりしたのが小学校時代。そして中学時代。日本がはまり込んだのがオイルショックが引き金になった低成長時代。核戦争の危機が真剣に叫ばれ、人間の未来が急速に暗く思えた時代だった(ある意味今と似ている。核爆弾は人間が自ら作った制御できない化け物だったし、来たるべき世界戦争に備えて日本も再武装すべきだという議論と世界平和を堅持すべきだという議論が互いに平行線ですれ違った)。「スモールイズビューティフル」「ゆっくり行こうよ」が合言葉の時代が続いた。その時代がいつの間にか、本当にいつの間にか、ハッと気がついたら、バブル。空気は180度手のひらを返し「おいしい生活」、自分らしい消費を楽しむ、世界の頂点に立つ日本になった。(まぁ私自身は実家でジャガイモと玉ねぎを剥いていたのだが、大阪の衛星都市堺で1万円の生演奏つきディナーパーティーが可能だったのも、バブルだったからだろう)。そして頂点から真っ逆さま。立ち退き地上げをめぐる暴力団騒動、政治家の賄賂やスキャンダルを経て、失われた10年、20年…。
こうして振り返ると今の50歳代は「売り家とお家流で書く三代目」なのかも知れない。幼い頃から若い頃にかけて、贅沢にだんだんと慣らされ、子育てが終わって自分の生活をと思った途端、年金問題やら少子高齢化で先行き不透明時代に突入。そんな50歳代に向けて金融機関等々は「年金不足に備えて」「老後の一人暮らしの…」と甘い誘いをかけてくる。そんな誘いが気になりながら、どこか醒めた目で見ている。さすがにバブルの経験は効いてるのだ。国有企業があっという間に民営化し、潰れないはずの大手証券会社が一夜にして倒産した。会社勤務を続けて入るけれど、定年まで無事安泰と決め込んで済ましているわけにもいかない。なにせ自分の周りに転職・失職・非正規雇用者がいるのだ。
そんな状況を悲観的に見ているのか。そうでもない気がする。どこかで見た風景だなと思っている。自分自身は決定的に貧しい生活を経験していないかも知れないけれど、自分自身は会社に雇われて生きる生活を選んだのだけど、今の自分とは全く違う生き方、生活の仕方をまだ身近で見てきた。小学校の友達のお母さんが内職をしていたり、一人で留守番をしていたりした。中学から高校に進む段階で、高校を卒業したら働くもの、進学するものが明確に分けられた。個人商店主や中小の工場が隣近所にあった。いつの間にか会社勤めが主流になった世の中に生きていて、自分の子供にもそれを勧めながらも、ひと時代前だったら違う道もあったんだけどなと思う自分がいる。では別の道、違う世の中、少しでも望ましい社会を目指して、市民運動やボランティアに邁進することにも醒めていたりする。「みんなで何か」に醒めているのかもしれない。私の周囲にいる人間が特殊だということは大いにあり得るけれど、それでも団塊の世代と団塊ジュニアにサンドイッチされて、「一緒に何か」するにはボリューム不足だということもある。
だけども、だからこそ、今の50歳代は面白いことができる可能性がある(と自分が信じたい)。正確にいえば50歳の10年間をかけて、60歳からの20年を楽しむ準備ができる、そういう意味でも可能性の時期なのだ。確かに1950年代の30歳に比べれば、体力は落ちている。世間的には将来を楽観できる時代ではない。社会とともに自分の生活が良くなるなんて希望をもてるほど初心でもない。大きなマスとして人が動くと、とんでもない騒ぎになることを実感してきたはずでもある(オイルショックの時のトイレットペーパー騒ぎといい、バブルの浮かれ騒ぎといい)。逆にたった一人のほんの少しの行動が、連鎖的にいろんな人に伝わることをどこかで感じとってもいる。パンチシートとして、データがコンピューターから吐き出される時代から、家のパソコンで世界とつながる時代まで体感してきた。その中で変わったコミュニケーションもあれば、案外変わらないコミュニケーションもあることを肌触りとして知っている。上下を見回してみれば、結構経験豊かで、辛口で、シャイで、斜め目線の人間になっていることが多い。大阪弁の「ほんまにそうなん?」を口癖にしている、けれどなかなか行動にはでれない。でも本当は行動したい。
ならば10年かけていいじゃないか。10年かかっても余命は20年ある。自分なりに面白い余生を送る準備を始めよう。子供のことはもう放っておくに限る。兎にも角にも20歳あたりまで育てたのなら、そろそろ子離れしよう。頼りないように見えても、案外一人で立てるはずだ。ヨロヨロしても放っておけば、そのうち一人でなんとかするようになる。(むしろ子供の方が親が自由になることを望んでいるのじゃないだろうか)。お金がそんなに役に立たないことは、バブルを見てきてわかっているはずだ。会社人脈が頼りにならないことも、先輩や周りを見て痛感しているはずだ。先に退職を迎えた男性が「濡れ落ち葉」といわれ、専業主婦が図々しい「オバタリアン」呼ばわりされたのを見てきた世代だ。付け焼き刃の格好よさが、いかに儚いかも実感しているんじゃないか?(LEONのちょいワルおやじを気取っても、所詮、足の長さは変わらない。美魔女なんていわれても、首筋は年齢を隠せない)。「自分らしく」という言葉の虚しさも知っているはずだ(「~行きます!」といったかと思えば「父親にも殴られたことがないのに」と目にうっすら涙を浮かべる男の子に肩入れしてきた世代だし)。「何か」になろうとすることにも、「何か」を掲げて大声を上げることにも、どこか疑問を覚えてきたのなら、「何か」をすることを楽しむために準備を始めないか。今までどこかで漠然と感じてきた違和感が「何なのか」確かめること、確かめるための準備を始めないか。
定年は日本独特の人為的制度だから、定年を超えても元気なのだから働きましょう、老後が大変ですよ…なんていわれるけど、私は定年って案外いい制度だと思う。60歳=還暦。暦が一巡りしたのだから、生まれ変わっていいじゃないか。生まれてくる前に、準備段階があったのかなかったのか、生まれる前だからわからないけれど、暦が一回りして生まれ変わるときは、準備ができる。新人類と(たぶん初めて)呼ばれた世代だから、本当に新人類になってみないか。別段特別なことではなく、単純に「今自分がしたいけど、今の自分ではできないこと」が何かを確かめるだけ。そして本当にしたいことだったら、それができるように準備を整えていくだけ。1年後といわれるとキツイけれど10年後なら準備期間はたっぷりある。ゆっくり確実に、自分と周りを整えていけばいい。たぶん10年はいらない。準備しているうちに機会の方がやってくる。思ったより早く。思ったよりもスムーズに。一歩踏み出すことは怖いことではない。なぜってどうせ残された時間の方が少ないんだ。手にすることよりも手放すことの方が多くなっていく。50歳代はどう転んでもそういう時期なのだから。