何のための経済活動か?

松井 名津

 今回編集からいただいたお題は「ミルと経済成長」。実はあまりにど真ん中の直球なので、バッターとしては酷く戸惑うところがある。というのも、マルクス経済学の影響が強い日本では、ミルはずっと「生気なき折衷派」の一言で片付けられてきたのだが、70年代に一度脚光を浴びた事がある。ローマクラブが『成長の限界』の中で「資本と人口の定常状態は人類の進歩の定常状態を意味するものではない」という言葉をひいて、(経済)成長至上主義に警鐘を鳴らしたからである。これまでも何度か書いたことだが、オイルショックを受けて化石燃料、ようは自然資源の限界を世界中が痛感していた時代だった。この時は日本中が文字通り暗かった(夜間照明を必要最低限に抑えた)し、省エネルックが提唱され(非常にダサくて消えてしまった)、定時帰宅が推進された。経済成長は何のために?という議論以前に、経済成長はもはやあり得ないという風潮が蔓延した時代でもあった。その中でミルの定常状態論は、低成長もしくは0成長の中でこそ、人間的発展が可能となるという説として、あるいは経済成長ではない成長(ローマクラブの研究者はそれを「発展」と名付けたが)がありうる一つの論拠として、脚光を浴びたのである。しかし、政治的背景を持つエネルギー危機がひとまず緩和され、技術進歩により多くの油田が開発されるとともに、成長の限界は遠のき、やがてバブル経済を迎えることになった。

 そして21世期を迎え、またミルの定常論を紐解くとすれば、そこから何を読み取るべきなのだろうか。定常状態はミルだけが唱えたものではない。当時の経済学では経済が成長するに従って増大する人口を支える食料の生産には限界があると考えた。食糧生産の限界に達したとき、経済成長も止まる。それ以上の経済成長を遂げるための人口を支える食料がなくなるからである。そして19世紀半ばの経済学者の多くが、この限界が目の前に迫っていると考えた。それゆえ多くの経済学者はこの限界をどうやって先に伸ばすかに注力した。リカードは自由貿易によって海外の未開拓地に食料を求め、マルサスは農業発展の限度内に工業の発展を収めることを主張した。どちらも経済発展の延命を図る点では一致していた。

 ミル自身もすべての定常状態を歓迎していたわけではない。ミルが危惧していたのはすべての土地が人間の食糧のために耕され、人間の役に立つと認められた動物、家畜しか存在が許されない、そんな定常状態である。大阪万博に代表される「明るい未来都市」もミルが危惧した定常状態の都市だ。人間の居住空間、人間の移動手段、人間の憩いとしての緑地は揃っていても、手付かずの自然、野生の自然は何一つ残っていない。人口過密として描かれるディストピアも同様だ。人口過密と格差に喘ぐーもしくは徹底的に管理されているディストピアは、全てが人間の管理下にあるという点で、定常状態の行く末を暗示しているのかもしれない。反対に何らかの戦争や災害によって地球が荒廃したという前提のディストピアは、人間の制御外にある「自然」が残存しているという点では、ミルが危惧した定常状態とはかけ離れた存在である。

 こうした定常状態は経済学の法則上必然的に訪れるものとして設定されている。そしてこうした定常状態に入る前に、経済が発展した地域は自ら選択して「別の定常状態」に入ることをミルは推奨した。それは未開発の自然を残す定常状態である。未開発の自然でミルがおそらくイメージしていたものはおそらくはフランスからスイスにかけての山岳地帯だろう。ここで青年ミルは生涯の趣味である植物採取に出会うことになる(イングランドは一度人間によってすべての森林が伐採されてしまったので、手付かずの自然は存在しない)。人を寄せ付けない峨々たる山岳の連なり。それは経済にとってはものの役に立たないどころか、経済活動を妨げる要素でしかない(だからこそ戦後日本ではトンネル工事が一大事業となり、トンネル工事やダム工事は崇高な使命を担った闘士による戦いとして描かれるー『黒部の太陽』)。しかしこうした人を寄せ付けない山岳、手付かずの自然が残っていることこそが、人間性の進展にとって必要不可欠な要素だとミルは考えた。それは定常状態論(『経済学原理』所収)だけではなく、晩年彼が立案に関わった「土地保有改革連盟」の綱領においても同様である。特にこの綱領では、未開発地やコモンズ(共有地)が人類共通の相続財産(inheritage=後に残し続けるもの)とされている。

 ではなぜこうした未開発の場所が必要なのだろう。経済発展をあるいは農業の拡大を止めてまで、未耕作地を残さなければならないのはなぜなのか。それは自然のためではない。動植物のためでもない。人間のためである。広漠で未知な存在に満ちている場所、人間に自分の存在の小ささを思い知らせるための場所、それが未開発の場所の役割である。こうした場所で孤独に自己と対峙することが、人間にとっては必要不可欠なのだとミルはいう。なぜだろうか。ミルは孤独になることで、人間は自己を振り返り、内省することができるとする。それは日常世界では経験できない内省である。日常では人は経験を蓄える。経験の中から気づきを得ることができる。しかし、日常生活に埋没してては、思索は深めることなく、浅薄に流される易くなる。特にその日常が「お互いに肘を張り、互いを押し除け、追いやろうとする」ものであれば尚更、ゆっくりと自己を見直す時間も機会もごくわずかだろう。そしてそのまま経済発展の道を進み、世界は人類の食糧のために完全に開発され、人間は孤独になることはなく、未知と出会うこともない。

 そんな世界に人間が人間として成長できる基盤が残っているだろうか。

 ミルは単純に経済発展を否定したわけではない。人間がある種の競争心を持つ限り、その競争心は何らかの形で発揮される。時にそれは獲物を争うことであったり、領地を争うことであったりする。もっとも暴力的な形で現れた場合、戦闘という形を取る。これに対して経済や貿易は人間の競争心をより穏やかな方向へと向かわせた。これがスミス以来の経済学の基本的な考え方だった。しかしミルは経済的競争が必ずしも人間性を穏やかにするものではないこと、また直接的暴力として現れないが故に、かえって歪みをもたらすことに気がついた。スミスが危惧したように工場労働者は単純作業に専念させられることによって、判断力や気力を奪われ、ただ労働する機械となる。一方で豊かな地位を得たものは、豊かであることを当然とし、たまさか「慈善」として貧困者を保護する。庇護と被庇護の関係は容易に権力関係に移行し、庇護者の自己の拡大、権力の濫用、被庇護者のへつらい、相互の妬みや嫉みを生み出す(ミル自身が『女性の隷従』で描いたように)。

 経済発展を諦め、自ら選択して定常状態に入ったとしても、こうした問題が一挙に解決されるわけではない。しかし生産量を増大するために導入された機械は、その本来の目的である人間の労力削減に使用され、一般の人々(労働者も含め)が始めて余暇を手にする。余暇を何に使うか。あるものは狐狩りに使うだろう、またあるものは熊いじめに興じるかもしれない(熊いじめとドックレースは当時の労働者に人気の娯楽だった)。そんな中で、ミルが期待したのは当時の上層労働者が始めた有料図書館(パブの2階にあることが多かった)であり、自営農家が日々行っている日常生活を彩る様々な手仕事・庭仕事だった。あるいは女性の嗜みとされていた音楽や絵画である。本に親しむことは多様なものの見方を知り、思索を深めることにつながる。手仕事や庭仕事、音楽や絵画は、理性と闘争心に偏った「男性的価値観」とは異なる価値観を感性を通じて経験することにつながる。

 人間性の陶冶といっても、あまり大きなことをミルは初手からは望んでいないと私は考える。人間が一晩で生まれ変わることなぞないということを繰り返し主張しているからだ。制度が、社会が変わったからといって、人間性もまた即座に変わると期待するのは危なっかしいと考えている。もし即座に変わると考えているのだとしたら、それは理性だけの議論で人が自分の意見を変えることができると信じているからだろう。けれど、ミル自身が論じたように理性による議論の背後には人間の感情がある。感情によって裏付けられた議論に対して理性で反論しても、相手が自分の主張を変えることはほとんどあり得ない。感性あるいは感情に理性で綱をつけることはできても、理性で感情を引っ張ることはできない。逆に感情や感性が磨かれれば、理性も血肉を纏うことができる。だからこそ、日常生活の少しの変化が必要だし、そうした変化を促すための「自然を前にした孤独」が必要となる。

 日常とは違う、余暇とも違う、空白の時間。

 何を考えるわけでもなく、ただ自然と対峙する時間。

 そう解釈するのは日本に生まれたせいかもしれない。日本では自然は人間に対して結構優しい。だから安心して自然と対峙してられる。けれど自分の命をかけなくてはならないような厳しい自然と対峙したとしても、やはり人の心は同じように反応するのではなないかと私は思っている。なぜならミルが自然と対峙する時に、人間に求めたものは己の小ささを自覚することなのだから。