CWB 松井名津
アジアには薬草が溢れている。が、どこでも、どの薬草も危機に瀕している。開発による絶滅の危機だけではない(それも深刻なのだが)。急激に近代化とグローバル化の波にさらされる中、薬草に関する知識が失われつつある。これは日本の歩みを振り返れば納得できると思う。戦後、GHQや政府の指導のもと衛生管理が徹底された。おかげで私たちは衛生的な水、国民皆保険制度の中で守られることになった。そして同時に「野原の草」は「雑草」となり、不衛生なもの、口にしてはいけないものになった。高知県では県民食といわれ、スーパーでも販売される「イタドリ」は、他県では見向きもされない。全国区となった「タラの芽」「サンショの葉」「大葉」…スーパーに並ぶ山野草は、栽培され綺麗にパッケージされる。けれどそれは季節の彩りとして消費されるものになっている。かつて、ちょっとした怪我、腹痛、頭痛や発熱は、家の庭やそこらの土手に生えている薬草で癒されていた。薬草はまた腹を満たす食糧でもあった。薬草に関する知識が衰えるとともに、身近な薬草は雑草となり、全ての病は医者の手によって治癒されるものに変化した。それは近代がもたらす福音でもあったが、同時に近代につきまとう集中化の一環でもあった。人々は自分たちが持っていた癒しの手段を忘れ、専門家に依存するようになったからだ。
アジアでも同様のことが起こっている。ではアジアでも福音は訪れるだろうか。私は疑わしいと思っている。良くも悪くも日本は中央集権化に成功し、一応多くの人が安い費用で医療に接続できる状況が成立した(今その基盤が危うくなっていることは先般のコロナ騒ぎで痛感したところだが)。けれど、アジアの多くの国では満足な治療は一般の人々の手の届かないところにあることが多い。だからこそ、薬草に代表される民間医療を知識としてデータベース化することに意味があると考えている。それは同時に日本では失われてしまった知識を再び見直す画期になると思っている。
これまでも何度かデータベース化の試みはあったのだが、なかなか前に進まなかった。色々な要因があると思う。が一番の要因は各国の若者を事務局として巻き込めなかったことにあると反省を込めて考えている。今回は、その反省に基づいて若者主体のデータベースづくりに取り組むことになった。若者が主体になり、老人から薬草やその使い方を聞き出すことで、世代交代ではなく世代継承ができるのではないかと期待している。まずはこれまでも薬草とその使い方をビデオに撮影してきたカンボジアが、アジア全体のモデルケースとなることを期待している。特にカンボジアではプーンアジの生徒たちが、近隣の村やクイの村へデジタル知識を教えに行っている。彼らを中心としたデジタルの輪が、古来の知恵を再活性化し、現代に活かす道を拓いてくれると考えている。
また今回のデータベースの特徴は身近な病気や怪我で検索できることだ。今までの試みはともすれば有効成分の情報に偏っていた。しかし有効成分は「今わかっている」ことにすぎない。薬草の効能の中には、よくわからないけど経験的に効くものもある。それを現在の科学的効能に絞ってしまうのは、とても惜しいと考えたからだ。また、私たち自身がデータベースを使うときにも、かつてのように身近な病を癒す手段を検索してほしいと考えているからだ。薬草は万能ではない。だからこのデータベースで「ガンの特効薬」を探さないでほしい。痩せる薬も高血圧を治す薬も探さないでほしい。それは「薬草」の埒外の問題だと私は思う。薬草は人々が長い時間をかけて発見し、人々が使い続け、人々が守り続けた結果として存在している。私たちの日常に根付いていた薬草を、再び日常に活かすためのデータベースを作り上げたいと望んでいる。