インドから拡げるー草の根経済・交流圏創出を目指して

CWBアドバイザー 松井名津

 ドングレ先生とのミーティングの後、これからインドとの連携をどう位置付けていくのかという話を片岡さんと数回行った。その時にいきなり「BRICs&CWBだ」と言われた時は、正直絶句して反応できなかった。私の中でBRICsといえば広い国土・天然資源・人口をもとに大きな成長が期待できる国々であり、一般的な投資先の総称でしかなかったからだ。が、よく考えてみると「BRICs&CWB」は二極化している政治経済情勢の中で、第三極(というよりは別の未来)を現実的にするために、インドとCWB(CWBの一員としての日本)は地政学的にも絶好の位置にいるということだ。

 日本にいると、ロシアはウクライナに非人道的侵略を行い続けている国で、中国は虎視眈々と東アジアの支配を目指しているという報道ばかりに接してしまう。なのでインドの首相がプーチンと会談するとなると、インドは非人道的な国の方を持つのかと目くじらを立てることになる。しかし冷静に見れば、EUやアメリカではロシアとウクライナ間の調停はできない。何せ敵・味方の代理戦争をやっているのだから。イスラエルのガザ侵攻にしても「西欧文化圏」及び腰だ。何せ植民地統治と三枚舌外交のツケなのだから仕方ない。

 してみると西欧文化圏に属さないーその理屈に自動的に頷かない地域はインドとASEAN(中南米やアフリカもあるが経済的政治的にやや力不足だ)になる。しかもこの両地域は中国の影響を身近に受けるだけに、中国に対しても周到に立ち回らなくてはならない。非西欧でも非中国でも存在していかない綱渡りを強いられるともいえるし、強かさでいるともいえる。

 というわけで、以下のようなメッセージをドングレ先生に送った。

 「片岡さんがインドと日本の地政学的な状況を指摘してくれました。私たちCWBはただ一つの考えやただ一つのやり方で世界が支配されたり、二極化することを望みません。インドの2020年教育改革政策にあるように、私たちには西欧化されていないもう一つの考え方、私たち自身の社会に根ざしたやり方が必要です。今私たちが考えているのは、インターンの学生を一つのところで受け入れるのではなく、カンボジアやフィリピン、日本、スリランカなど私たちのネットワークの中で受け入れることです。これは西欧化された世界の中で、西欧化されていない―BRICsのように―場所で教育のネットワークを作る第一歩になると思います。日本政府はアメリカと非常に密接な関係にありますが、私たちはアメリカの金魚のフンになりたくはありません。私たちは極度な国家主義者ではありません。単にお互いの伝統的な知識や知恵を保存し、尊重し、互いに交流したいと考えています」。

これに対してドングレ先生からは非常に好意的で前向きな返事が返ってきた。

さてCWBネットワークの側から「BRICs&CWB」を考えると、経済・取引面での鍵となるのがASEAN域内での貿易・取引をさらに拡げる機会を活かせるのか、インドのインターン学生に何を学んでもらうのか(それはアジアの学生にとっても新しい見地を開くことになるだろう)になる。まずは経済・取引面を見てみよう。

 BRICsに入っているのはブラジルだが、中南米に関してはブルーノさんのおかげでスペイン語圏のコーポラティブの活動がよくわかるようになっている。そしてその基ともいうべきバスクのモンドラゴンのニュースも伝わってくる。理論的にも実践的にもCWBと非常に近いところにあるだけに、現実的な交流、取引に繋げたいところだ。

 ASEANで今注目しているのはカンボジアのバコンシステム(Bankong System)だ。元々はカンボジア国立銀行が自国通貨であるリエルの普及を目的として、日本のスタートアップ企業であるソラミツと共同開発したブロックチェーンデジタル通貨である。ブロックチェーン通貨といえばビットコインのように投機対象になってしまった感がある。が、バコンは決済の効率化、銀行口座を持たない層にも金融サービスの機会をあたる、リエルの普及に絞っている。カンボジアでは自国通貨よりもドルの信用度が高く、ドルでの決済が普通だった。私自身も何度かカンボジアに行っているが、リアル通貨は1ドル以下の支配や釣り銭としてしか見たことがなかった。この状況を強制的手段ではなく利便性によって解決しようというのがバコンである。国民の80%がスマホを持つ一方、銀行口座を開設しているのは30%に満たない。ならばスマホ上で電子決済等を可能にすれば、銀行口座と同じく「信用取引」ができる。こう説明すると日本でもすでにあるサービスじゃないか、といわれそうだ。しかしバコンは銀行間を跨いでの送金も自由にできる―個人間の送金なら手数料は0だ。取引データは各銀行や中央銀行に置かれるのではなく、ブロックチェーンの分散型ネットワークデータベースに保存される。書き換えは不可能だ。店舗での支払いはQRコードを読み取ることで可能だ。公務員の給与や税金の支払いもバコンでとなっている。おかげでバコンの取引額は700億件に及び、開設後2倍以上になったという(カンボアジアではリエルの口座とドルの口座を持つことができる。結果的にドルを日常的に使えるカンボジアは国際社会で、ドルも繋ぐことができる点で大変大きな可能性を持っている。こうした利便性をさらに拡大し、ドル社会とは別の国際通貨システムを作るのがバコンで、それがさらにカンボジア内にとどまらずアセアン内での国際取引の決済にも使えることだ。バコンのORコード決済にはタイ、ラオス、ベトナム。マレーシアが加わり、今年の6月にはインドも参加するという話が出ていた。バコン決済システムに接続することで、国境を跨いだ送金や通貨間の両替手数料がなくなる。日本は首相が導入を約束したようだが、まず、その壁を超えることはできないだろう。中国が加わると、ここでも日本は置いて行かれることになる。私たちのCWBは先行して挑戦し日本が入ってきたときの用意をしておきたい。

 これはCWBネットワークにとっては待望のシステムである。通貨(貨幣)は人や物と違って国境を超えて移動しやすいというイメージがあるが、それは投機筋のことであって、現実の商取引となると通貨の違いが大きな壁になるのだ。今までは各国に分散しているCWBファンドの口座間の取引を記録して、最終的な決済を1年に一度程度行うことで取引手数料や為替リスクを軽減してきたが、バコンシステムをCWBが利用すればさらに手軽にリスクを抑えて取引が可能だ。特にコミュニティートレードは動くもの自体は少量だけに、決済手段の手数料や通貨返還の手数料は大きな負担になる。輸送費はロジサポで軽減できるとしても、1000円、5000円単位の商品を予約注文でとなれば、その間の通貨変動や手数料は双方にとって大きな打撃になりうる。バコンであれば、共通取引媒体(バコン)のデジタル記帳で、になる。決済手段に特化させ、CWBネットワークの中で使う分にはセキュリティも心配ないだろう。バコンは国際取引に関する国境の壁をより薄くすることになる。したがってドル通貨圏や中国の元通貨圏とは全く異なる取引圏を作り出す可能性が高い。決済手段に特化すれば、うまくいけば法定通貨(各国との通貨)を飛び越える新しい通貨システムになるかもしれない。

 CWBネットワークが日本を世界に繋げることができる。ドングレさんへのメールに金魚の糞にはなりたくないと書いたが、バコンを使うことは「アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪をひく」といわれる経済政策的にもアメリカに追随(というかアメリカの動向で右往左往する)状況に対する先端的な挑戦と思うと楽しい。い。そう思うと私自身は爽快な気分になるのだが、読者の皆さんはどうだろうか。

 さて、次にインドのインターン生をどう活かすかである。もちろん「活かす」は双方にとって良い結果をもたらすようにという意味だ。総合的全人的教育を掲げる大学の学生だけに、通り一遍の農作業から「学べ」といっても無理がある(受け入れ側にも)。あれこれ考えてみたのだが、ふと「日本はアジアの吹き溜まりである」という言葉を思い出した。日本文化が中国や韓半島の影響を受けていることはよく知られている。しかし同時に安土桃山時代、明治以降を通じてASEAN諸国との縁も深いのである(もちろん大日本帝国植民地統治の悪縁も含めてだが)。日本人にとっては芸能の神様として親しみのある弁財天や吉祥天。このお二人はそもそもがヒンズー教出身である。弁財天はサラスバティ、ブラフマの妻であり人間の始祖を産んだとされる(ちなみにブラフマは梵天のことである)。吉祥天はラクシュミーでありヴィシュヌ神の妃である。ヒンズー教の図像と全く異なった姿形になっていると思うが、弁財天が琵琶を持物としているのと同じくサラスバティもヴィーナという琵琶に似た楽器を持つ。遠くインドヒンズー教の神々が、日本では仏教の守護神となっているわけだ。これと同じような例は結構多い。それはある文化が長い時間と長い距離を経て、どのように変化し且つその土地に受容されるに至ったかを、自分の目と足で確かめることにもなる。そうだ、文化の「道」を辿る行脚を提供しよう。

 観光客が殺到する東京、京都を避け、平和を考える広島の地から瀬戸内を渡って四国へ。松山でいろんな仏像を見た後、大洲ではスペインやヨーロッパとの交易の結果建てられた和風建築(そこには洋風の要素が取り入れられている―インドのラジャ宮殿のミニチュア版ともいえる)や南予ならではの「奇妙な崇拝対象」(狛犬ではなく狛猪や狛河童)とインドの土俗信仰の比較もできる。宇和島へ行けば、耕作放棄地を開墾しながら「仲間ない自給自足の緩やかな輪」作りの現場を見ることができる。ちょっと戻って八幡浜から船に乗り、九州へ(九州では天草も訪ねてもらえる)。そして福岡空港からインドへと帰る。そんな行脚である。移動はできるだけ旧街道を使おう。旧街道を使うことで神社仏閣の地理的位置(防衛拠点であった、地方の中核文化を担っていた)や村落との関わりもわかる。この辺りは博物館の学芸員の協力や、川を中心とした街づくりの東西比較研究を行っているスペイン人・ディエゴさん(そうだ、楠のブルーノを訪ね行くことも考えられる)の協力も得て、「みち(街道・路・川・海)」の見直しを、外からの目で行ってもらう。

 インドの学生にとっては自分たちの文化を、全く別の視点から眺めるきっかけになるだろう。文化や伝統がある形にとどまる物ではなく、流転し変容し、それでもなおその中核的なところはとどめていたりする。その現実に触れることで、自分たちの文化を見直し、新たな形に変容させるアイデアが生まれる可能性がある。それはビジネスチャンスでもある。日本側にとっても、高度成長や区画整理(街だけでなく農地も)で失われてしまった色々な「みち」に再度光を当てることにもなる。

 まだまだ荒い構想に過ぎないが、道の未知の可能性が広がると思うと、ワクワクしている。