政治とコーポラティブー文化を基盤に

CWBアドバイザー 松井名津

ブルーノさんが訳してくれているラテン・アメリカのコーポラティブの論稿と、最新のモンドラゴンニュースを読んでいて、一つの共通点に気がついた。それを一言でいえば政治とコーポラティブということになる。

ラテン・アメリカではほとんどの国で、コーポラティブは政治(政府)の介入とともにあった。コーポラティブを促進する政策だけでなく、コーポラティブに有利な税制や融資が行われている場合もある。これはコーポラティブの発展に寄与したが、同時にラテン・アメリカのコーポラティブは、政策の道具として使用されもした。多くは下層労働者を体制側に引き込み管理するためだった。場合によっては先住民に対して彼らの伝統にはなかった「個人所有」をコーポラティブが持ち込む場合もあった(ラテン・アメリカのコーポラティズム1.8)。

コーポラティブ自体もこうした支援や促進策によって、政府からの独立性を失ったばかりではなく、経営体としても弱体化した面が多い。いわゆる「補助金づけ」で政府の政策に従った経営方針をとることになった。特にクーデターによって政権交代が行われた国々おいては、政変のたびに転変する政策に左右されることになった。そのため、難題解決は国に委ね、自分たちはただ組織の存続を気にかける、あるいは倒産の危機も国の力によって回避するということが起こった。

さて最新のモンドラゴンニュースに出てくる「エウスカディ」という言葉は「バスク独立」運動の中で、バスク国を意味する言葉として新たに創出されたものである。そして1970年代にはバスクの分離独立を目指すテロ活動や誘拐が頻々と起こっていた。しかしモンドラゴン協同組合はバスク語のアラサーテという地名ではなくスペイン語のモンドラゴンを名乗っている。それにはバスクの歴史が深く関わっている(以下の記述は渡部哲郎氏『バスクもう一つのスペイン《【改訂増補版】》』によっている)。

バスクといっても、バスク国が元々あったわけではない。アジアの諸民族と同じく、国民国家がない頃から、漠然とした集まりとしてバスクがあった(ちなみにバスク語というがその中は互いに通じないほどの方言があるという)。この地だけでなく、今のスペイン全体に国民国家という意識が出てきたのは、19世紀フランス革命後特にナポレオン戦争後の状況である。それ以前の大航海時代に、スペイン王国として世界を股にかけていた大帝国の内部は元々あった諸王国の連合という意識が強く残存していた。その中でもバスク、カタロニア、ガリシアの3地域は古くから特に強かった。特にバスクの中でも港湾に面するビスカヤ地域は、大航海地域以来、港湾都市・貿易都市として経済的に栄えており、王からの特権も与えられていた。

さらに19世紀の産業革命時には鉱業・鉄鋼・金融・保険・商業などの多くの民間企業が設立された。一方、モンドラゴン協同組合が立地する山岳地方は、農業中心で大地主制度も残っているところがあった。スペイン内戦でも、バスク地域はフランコに対して一貫して対抗したが、その内部での政治戦略はバスク分離独立・スペイン内部の自治独立・スペインとの同一化に大別され対立していた。

フランコ以降、地方自治の復活とともに、バスク語が復活するとともに、独立分離を主張する一部がテロ化し、武装闘争を続けることになる。とはいえ武装闘争は人々の支持を失っていく。それには19世紀以降産業革命によってスペインの州外や外国からバスク州内に移住してきた人々の増大という要素もあった。逆にいえばビスカヤ地域はバスク語を母国語とする人口比率が減っていった。とはいえスペインの他地域に比べ、バスク自治州は経済的にも社会的にも恵まれた地域ではあった。

20世紀後半、新興アジア諸国との競争の中でビスカヤの中心産業であった造船や鉄工業が軒並み不況・倒産、施設の老朽化が進む。産業の転換が求められる中でスペインは1986年にEC(ヨーロッパ共同体ー当時)に参加を決定、そのための構造変革を受け入れることになった。しかしその一方で分離独立の過激派のテロと社会不安のために新規投資は進まず、80年代に失業率は30%超を記録した。こうした産業衰退とともにビスカヤの都市そのものも衰退する。日本でもよくある地方都市のシャッター街と同じ風景が展開したと思って欲しい。ビスカヤ地域で地域再生化の目玉となったのがアメリカグッゲンハイム美術館とのフランチャイズ契約によるビスカヤ・グッゲンハイム美術館の建設である。なぜ文化だったのか。

たとえばここに最先端の化学工場を誘致したとする。それはかつて造船業が持っていたと同じ権益集団を生み出すことになる。何も富裕層に限ったことではない。工場に雇われたものと、雇われなかったものとの間に分断と格差を生み出すことになる。国際競争に既得産業が破れたことによって、既得権益を持っていた産業が壊滅して巨大な跡地が残った。その跡地をまた特定産業の利益に結びつけるのではなく、より多くの人々が参加可能な「文化」を前面に押し出すことによって、再開発を図ったのである。

そのための予算はビスカヤ県が負担した(バスク・カタロニア・ガリシアの3地方は独自の徴税権を認められている。各地方が徴税した税金の一部を国防等の資金としてスペイン政府に納められるが、その割合は35%程度だという)。ビスカヤ・グッゲンハイム美術館はその建築様式や展示物、街との融和が話題となり、県の負担は2年で完済されたという。

美術館の建設が全面に取り上げられたが、これと並行してさまざまなインフラが州自治体の手によって整備保全されていくことになった。結果的にバスク州外からの流入人口が多いビスカヤ地域で、バスク語を第2言語として習得し話す人口の比率が急増することとなった。非バスク語住民にとって、子供が学校でバスク語を身につけることは、子どもの将来にとって有益なことだと認識されているからこその現象である。

通常少数民族の言語保存は学校教育を通じて行われる。これはバスクでも同じである。が、周囲のコミュニティにおいてその言語を話すことが、何らかの意味や意義を持たない限り、学校内で教えられたとしても、日常的に使われることはない。もちろん文化的意義や伝統的意義はあるだろうが、それだけでは日常にはなかなか浸透しない。バスクの例は文化を保全し維持するためにも、経済的要素を組み込む必要性を表しているといるだろう。バスクではバスク州自体が徴税権を持つという財政的背景があって成功したという面も大きい。しかしそれは自分たちのコミュニティに支払った金が、自分たちの身近で使われるからこそ、住民の参加意識、関心が高いという面もあるだろう。

こうした潮流の延長線上で再び「エウスカディ」という言葉がバスク州の3つの県都を統一する統一都市圏の形成と、その都市圏が国際レベルで重要な役割を担うという狙いを持って使われている。モンドラゴンの最新ニュースで使われているエウスカディもこの意味合いであり、経済面だけでなく、環境や人権といった持続可能な社会の底支えに不可欠な要素を、自由経済の中で自律的にどう実現していくのか。社会性と経済性のバランスの未来像をそれぞれの分野で展開している動きとして、モンドラゴンが表彰されたというのが、今回のニュースの肝だと考える。

翻ってラテン・アメリカ諸国のコーポラティブのその後を見てみよう。ここでも日本では悪者扱いされる「構造改革」によって、コーポラティブは自律的な存在でなくてはならないことが明記されることとなった。もちろんこれはネオリベラル的な改革の一環ではあるが、同時にラテン・アメリカのコーポラティブが独り立ちをする契機ともなった。世界的にもこの時代にコーポラティブが社会性だけでなく、カンパニーとして位置付けられることになった(1995年)。ラテン・アメリカ諸国のコーポラティブの前にはまだ数々の難関が待ち受けている。なんといっても政府自体が、コーポラティブの特質をよく理解せずに各種制度や規制を打ち出していることが問題であると述べられている。 しかし、自律性を持った民主主義的な組織であると同時に、市場社会で求められる効率性を実現するという道は、ラテン・アメリカに限らずどの社会のコーポラティブにも突きつけられている課題である。モンドラゴンも両立に成功しているとは限らない。けれど、自律的・民主主義的組織とビジネス的な効率という二つを掛け合わせる場所として、「文化」という要素は大きな可能性を持っているのではないか。これがラテン・アメリカの諸論稿とモンドラゴンの最新ニュースを読んで、私が考えたことである。