フェアトレードからコミュニティトレードへ:買うことだけが貢献か?

CWB 松井名津

表題はそのまま金沢で私がおこなった講演のタイトルである。主催者は「金沢フェアトレードタウン推進委員会」なのに、このタイトルを受け入れてもらえたことにまずは感謝の言葉を申し上げたい。

この講演会で私が強調したかったのは次の2点だった。まず第一に私たちがなぜフェアトレードではなくコミュニティトレードという言葉を使っているのかを理解してもらうこと。そして二番目にコミュニティトレードの実際を知ってもらうことである。

後者に関してはカンボジアと結んでのやり取りがあるので、来場した人も実感を持ってもらえるだろうと考えていた。前者についてはまず私自身がフェアトレードに関してきちんとした整理をする必要があった。あちこちの論文を拾い読みしながら、改めてフェアトレードの眼目はなんだろうと考えた時に出てきたのが「真っ当な」という日本語だった。

元々フェアトレードは開発途上国の生産者の手にわたる報酬と、その製造品を買う先進国の消費者が支払う金額のあまりの格差に対する疑問から始まっている。つまり「真っ当な金額が生産者の手に渡す」ためのプロジェクトだった。したがって先進国側の組織が途上国側の生産者(農家だったりハンドメイドの職人だったり)と直接繋がり、中間組織の手数料を省くことで、生産者が真っ当に生活し続けることができる金額を支払う仕組みを作ったわけだ。

この試みが広がるにつれて、フェアトレードという言葉が(主として欧米で)拡大し、何がフェアトレードかを判断する第三者機関として国を跨ぐ認証機関の存在が必要となった。さらに、フェアトレード商品を取り扱う組織ではなく、フェアトレードの基準に従って生産された製品に対して「フェアトレード商品」のマークを付与することも行われるようになった。この段階になると、大手の企業であってもフェアトレードに関与することが簡単にできるようになる。また企業の社会的責任が喧伝されるようになると、大手の企業でもフェアトレード機関の認証を取得するところが増えてきた。

結果的に私たちは大手スーパーマーケットの商品棚でフェアトレードグッズを買うことができ、カフェでフェアトレードコーヒーを飲むことができる。特別なフェアトレードショップを探さないとフェアトレード商品に手が届かなかった頃に比べると、フェアトレードは身近になったともいえる。

しかしその一方でフェアトレードとは何かとか、実際の生産者がどのような暮らしをしているのか、どのように生産されているのかという現実の現場への関心は薄くなってきてはいないだろうか?大企業がフェアトレード商品を扱うことは、多くの消費者がフェアトレード商品を買うことにつながる。が、それと同時に「不良在庫」として見切り販売されることもある(実際にある大手スーパーでフェアトレードの雑貨が在庫見切り品として半額以下の価格で売られていた)。

仕入れの段階で生産者の手にはすでに「真っ当な」金額が支払われているし、仕入れた側が在庫処分をしてリスクを減らすのは「真っ当な」ことだ、そう考えることもできる。実際商売としてみれば何一つ不正なことはない公正な取引である。消費者だってフェアトレードだから高めの価格を支払って商品を買う人もいれば、価格だけを目安にして買う人もいる。そのこと自体を咎めることはできない。

しかしこれは元々のフェアトレードが目指していた形、あるいはその発展系だと素直に肯定できないものを感じる人もいるのではないだろうか。生産者と消費者を繋いでお互いが真っ当だと思う金額を授受する。その形は保たれている。しかし「つなぐ」ところは見えなくなっていないだろうか。たとえばフェアトレードの大きな部分を占めているコーヒーでは、スターバックスが登場して以来のスペシャルティコーヒーやシングルオリジンのコーヒーが人気だ。しかしこうした飲み方で「美味しい」コーヒー豆は特定の種類に限られる。この特定の種類のコーヒーを生産することができない地域、あるいは生産できる地域にいるが技術や投資が伴わず一定の水準のコーヒーを生産できない生産者がいる。消費者が求めるフェアトレード商品を売りたい企業は、人気の特定の種類のコーヒー豆でのフェアトレード商品を求める。

結果としてそれ以外の生産地や基準を満たさない生産者はフェアトレードの枠から抜け落ちてしまう。フェアトレード商品を買う消費者に、こうした人たちがいることは伝われない。それはフェアトレードといえども消費者と生産者という枠組みを維持しているからではないだろうか。

私たちCWBがフェアトレードという言葉を使わないのは、フェアトレードにまつわる生産者と消費者という二分法を超えたいからだ。途上国の生産者と先進国の消費者ではなく、共に一つの製品、新しい価値を作り出す関係を私たちは目指している。それは互いに売る・買うという関係から一歩も二歩も踏み出した関係を作ることであり、互いの文化・宗教・慣習の違いを深く知り、場合によってはその差異につまづき、悩む関係でもある。売り買いよりも面倒で手間がかかる。新しい商品や価値を作り上げるのにも時間がかかる。その手間や時間を惜しまない、むしろ楽しむ。CWBがコミュニティトレードで目指しているのはそんな関係だ。

その過程で何が起きるのか。それを今回の講演ではカンボジアのデンくんや、インドネシアのアグンさんがインタビューに答える形で明確に示してくれた。

デンくんはプーンアジで行われている「働き学ぶ」が学校教育とは別の教育として根付いてきていること。その教育によって子どもたちが実際の社会生活の中で重要なチームワークや責任感を学んでいること。プーンアジの教育課程に組み込まれている伝統的なダンスや音楽が、内戦で疲弊した人たちに癒しを与えていること。さらにプーンアジの長年の活動が他の民族であるクイ族との共同に結びついたことを示してくれた。ともすれば経済的効率性(大きな実ができる、早く成長する)の高い栽培種に対して、原種に近いカシューナッツを生産から輸出さらに加工品までを手がけることで、原種を守ることにつながっていることを示した。

アグンさんは国境を超えてインターネットを駆使してWEBプログラミングを教えた自分自身の経験と、さらに実際に生徒たちが住んでいるカンボジアに来て自分の技術が実際のコミュニティに役立っていることを実感した喜びを語り、技術の本来的な役割を実感できた、今後もコミュニティに貢献する仕事をやりたいと力強く語った。

そしてカシューナッツビジネスを日本から支える中原さんは、この機会をさらに活かすために輸入されたカシューナッツを金沢に送って、実際に一緒に新しい製品を作る呼びかけを行うセッティングをしてくれた。そして主催者の一員である中谷さんの力強い呼びかけに、金沢の地元の人たち、お菓子屋さんやパン屋さんが応えてくれた。

通常、講演会は単なるお話で終わる。それがお話ではなく行動に結びついたのは、何よりZoomから参加してくれたデンくんやアグンさんの実感のこもった話と、その感動を行動に移すための手段を用意してくれた中原さん、中谷さんのおかげだと思っている。話を聞くだけ、モノを買うだけでは、「真っ当な」関係は継続しない。国境を超えて、あらゆる境界(宗教・男女・文化等々)を超えて「真っ当な関係」を継続し続けるために、互いに「創る・造る」コミュニティを持続すること。これがコミュニティトレードではないだろうか。