CWB 奥谷京子
カンボジアに行くとどこにいても若者で溢れている。6月にはASEAN内のスポーツ祭典でホスト国になったカンボジアでは、あちこちでイベントが開かれ、その周辺はバイクで大混乱だった。コロナも落ち着き、徐々にいろんな活動が再開している。若者のやりたいことをチャレンジできる場を作れば、どんどん可能性が広がっていきそうなワクワク感を与えてくれる。
週1回行われるカンボジア若者リーダー会議に、クイ族のリーダーであるミエン先生(地元で歴史を教えている)も参加するようになった。クイ族はカンボジア国内では少数民族で、その昔は製鉄の技術を持ち、アンコール王朝で有名な建物に多く使われた。そして1000年以上、森を活かした生活をベースにしてきたが、ここ最近のプランテーション開発でその森も減り、焼き畑農業といった伝統も失われつつある。生活の基盤が根っこから奪われ、近くのゴム工場に出稼ぎに行くしかなくなり、独自の文化は消えようとしていた。いくつもの世界中のNGOが地元に入って支援プログラムや資金を提供してきたが、2年か3年と決められた期間が終わるとさっさと引き上げてしまうので、地元のためなのか、NGOの報告書作りのためなのかクイの人々は懐疑的で有難迷惑になってしまったという。そこで世界中の数々の支援団体の中から私たちCWBを選んで組織も一体としてやることを決めたのは7年間、CWBが逃げずに地域に根差した活動をしている実績からだという。ミエン先生をコミュニティリーダーとして、その下に若者で4つの部門を作った。ツーリズム、伝統ダンス、そして二つの仕事作りチームだ。CWBメンバーがコオロギの飼育の方法を教えて実際に2組の家族がそれで仕事を始め、うまく回りだして出稼ぎに行く必要がなくなった。もうひとつの鶏ビジネスでは鶏小屋を一緒に汗して創る。メンバーは30人を超える。他のクイの村からも参加したいと言ってきているが、と相談があった。CWBとしてはまず、ミエン先生の村で成功事例を作ってからが良いだろう、とアドバイスした。平均年齢は20歳前のティーンエイジャーだ。輝く目とほとばしるエネルギーは無尽蔵なのだ。日本人である自分からはうらやましい限りだが、この「アジアの若者と日本人は連携して学び働く」が解だと気付いた。このクイの村に今年、大学1年生の後藤薫平君と、楠の榎本愛子さんが訪問する。こうして互いに一歩踏み込んだ結果、週一会議にクイチームも参加することになった。これまで築き上げてきた信頼の賜物だ。
ここでの支援も日本人が中心ではない。50ヘクタールの畑を運営するSCYの若者、学校を拠点にITなどを学んだ学生。この50人が学んだことを次に継承することができるようになったのだ。その実績から国連のユネスコから、世界遺産・サンボープレイクックにも若者活動が期待され予算が付き、新しいプロジェクトも委託された。そこでは学生による清掃作業が始まっていたのだが、さらにリサイクルの理念の元、サンボープレイクック周辺のレストランから出た残渣をエサにしてBlack Soldiers Flyと呼ばれるハエの幼虫を飼育し、それを周辺で鶏を飼う農家へ安いエサとして提供し、高価な飼料を買わずに地域内で循環させようというのを若者チームは始めた。その幼虫を飼育できる建物が自前で完成し環境が整ったのだが、地元で食べ残しの分別が思うように進んでいないので、幼虫を飼育するエサが足りないという壁にぶつかっている。しかし、分別の仕方を親など周りの大人たちに教えるようになり、若い人たちから親世代への意識改革も同時に始まっている。分別という面倒な新しい習慣を地域に持ち込むのは確かに大変だ。しかし、においも気になる邪魔者のゴミが鶏のエサとなる宝を生み出し、コンポストまで作れることが徐々に浸透していけば地域内循環が始まる。世代を超えた教育の実践だ。 その種の予算と言えば2年~3年の期間で終わるのが一般的だ。長期にわたると癒着や依存が起こるからということだろうか、お金を出す側の理由でどこも均一的に区切るのが実情だ。そしてある一定の成果を上げなければならないので無理やりにでもプロジェクトを起こして去っていく。その間、本部からやって来て事情も分からず指示し自発を阻害する。期間を経て書かれた報告書は上から目線の言い訳的になることも多い。本来であればその地域が本当に必要とすることをその人たち自身の手でできるように長い歳月をかけて取り組んで報告してこそ当たり前のことだが。CWBカンボジアは国連やヨーロッパの財団から支援を受けているが、その下請けではない。彼らもスマートになりつつある。国境を越えて人材が、技術交流で協力しているので、それら団体より私たちの視野が広く深く長い。まさに未来学者のダニエル・ベルが看破した「世界の問題を解決するのに国家は小さすぎ、コミュニティの課題をきめ細かく実践するには大きすぎる」のだ。もうそろそろ、日本のこういう国際貢献は大きく見直す時期だろう。お金を出す側の都合から、コミュニティが自立し本当に喜ぶことへとパラダイムシフトができず、お節介・押し付けがマイノリティの人たちに続く限りは世界に新しい変化を起こすことは難しい。そこに今、私たちは気づけてよかった。若い人を中心にコミュニティで活動を継続し、信頼を築く、これが私たちCWBの国境を越えた活動のミッションであり、時代の先端にいることを実感する日々だ。日本人が世界で認められる道は「相手のために働く」人材育成だ。そういう場を作る、それを競創と名付けた。CWBはその先進事例を作り、世界に広げる。限界性ばかりを言う日本に、リアルな可能性を汗しアジアと連携し作り示す。日本との交流だけでなく、ASEAN・インド圏も含む。CWBは合わせて25人の国境を越えた派遣を年内にする。シビル読者の皆さんにはお金よりも技術や知恵での助力をお願いしたい。