CWB 奥谷京子
無風で本当に暑かったのですが、7月25日に能登の入り口でいわゆる“口能登”と呼ばれる宝達志水町の金丸君(PA元スタッフ)のゲストハウスちりんに泊まり、翌日に和倉温泉、穴水町、輪島まで見てきました。今年元旦に大地震が起きてから半年以上が経ち、だいぶ瓦礫は撤収されつつあり、半島への唯一のアクセス「のと里山海道」もきれいになってきてはいますが、和倉温泉の旅館は営業再開の見込みもなく、さらに輪島はまだまだひどい状況です。今でも地割れも残っており、道路はがたがたでした。珠洲まではいけなかったのですが、もっと大変な状況なのだろうと想像します。
今回、金沢のアジール中谷さんが現地に物資を届けに行く時に知り合った輪島の朝市でかつて引き売りしていた母娘と出会った話を聞いて、商品を買おうというのを呼び掛けます(3p参照)。能登の水産物や地元のものを買って応援することはわかりやすい1つの応援の形です。東日本大震災や熊本地震の後も、現地を訪れた時のことを思い返しながら、今回能登とこれまでとの違いは何かと思いながら車の中から街並みを見ていたのですが、仮設住宅は建ち始めているけれども、13年前の東日本大震災の時に訪れた岩手の岩泉、宮古などはある程度まとまったところには集会場が設けられていました。そこでみんながお茶を飲んでお話をしたり、時には運動をやったり、ミニコンサートがあったり、私たちが編み物を持ち込んだり、そうやって中にいる人が集まれる場所がありました。しかし、今回は寒い体育館などの避難所から早く住宅へという急務の課題があったためか、コロナもあり、あまり人が集まることを推奨していないためかもしれませんが、そういう場所が見た限りでは見当たりません。仮設住宅の敷地も1か所がそんなに大きくないので、住んでいる人の単位も少なさそうです。
仮設住宅もそもそも窮屈です。抽選で当たったけど、これまで部屋も分かれて寝ていた夫婦が1つの部屋では耐えきれないと入居が当たったのに断ったケースがあったという話も聞きます。私もコロナの時に陽性者が機内で見つかって60名の搭乗者がプノンペンで2週間ホテルの部屋から一歩も出られなかった時があり、カップルも息が詰まりそうだっただろうと思いますが、一人は一人で私も誰とも接触がない辛い日々でした。時々SKYPEで仕事仲間とは話すけれども、ほとんどの時間はYouTubeとパソコンに向かった作業かSNSで発信(インターネットのある時代でよかった)。でも目が痛くなったらトレーニングをする。それを1年の24分の1の2週間を過ごし、音を上げたくなるくらいです。やはり知っている人や友達に直接会うことはとても大事で、仮設住宅に当たっても必ずしも知り合いが隣近所にいるわけではない状況です。たまたま輪島で公的な施設の隣に出来た仮設住宅の様子を見ていた時、ボランティアの照明であるオレンジのベストを着た人が1軒1軒安否確認とお困りごとを聞きに行っている様子も見られたのですが、これだけでは足りないでしょう。その仮設住宅の敷地内で新たなご近所さんができて、その人たちと何らか接点を作らないと、お年寄りが多ければ多いほど面倒くさがって孤立に向かう気がします。現に私の母も8カ月私が世界中で飛行機が飛ばなかったコロナの時期に日本の家に帰れなかったことで孤独や不安から精神的に滅入っていました。
今回の能登に入る前に、東北の経験からただ何かやってもらうばかりだと田舎の年配の方は遠慮されるから、自分も役立つ一員になることで工事現場の人やボランティアできてくれる人などに気を使ってばかりの関係性にしないために、おばあちゃんたちが集まって甘酒をふるまったらどうだろうかと考えていました。お小遣い稼ぎにつなげてしまうと、私の東北での失敗はテレビや新聞で話題になればなるほどあちこちから声がかかって、供給が追い付かない、こんなに忙しくなるなんて…と被災地の女性たちを苦しめてしまったこともあります。ましてや高齢者なので張り合いとかの意味合いが強いことができないかと考えてはいました。
アジールの中谷さんは岩手のニットワークプロジェクトも応援して下さっていて、今でも宮古のお母さんたちとやり取りがあります。あの活動は居場所を作る、見ず知らずの人たちでも編み物をやることで集えておしゃべりする場を作ったところに意義があったと思うという話をしてくれました。今、能登は半島にある市や町の人口を合わせても30万人(富山県氷見市も含む)にも満たないところで若い人は外に仕事を求めて出ているし、ますます高齢化(7年前の平成27年ですでに65歳以上が34.6%)していくエリアであることは間違いないです。金沢で救援物資を受け取る能登の人たちがオープン前から心待ちにして外に並んでおり、ほとんど年配の方々でした。長期戦になればなるほど、メンタル面でのサポートが求められます。それは深刻な事情を受け止める相談窓口も必要なのですが、もっと日常的に気軽なこと、例えばニットのように何か打ち込めるものを一緒にやるという場と時間があること、なのです。なぜ今回私が甘酒に目を向けたかというと、材料が水と麹というシンプルなのに、温度管理という手間、発酵に時間がかかります。だからこそ時間のある高齢者が取り組むのにうってつけかなとピンときました。これを事業にするとなると加工場に保健所の許可、設備に1000万の投資とか面倒なことが起きるので、売ることは考えてはいません。麹という材料さえ現地に集まれば、あとは地元の方たちが好きなペースで集まって、ふるまうのも自分たちのペースで、と思っています。今なら暑いから凍らせたら美味しいし、冬はショウガも入れて温まればいい。甘酒は「飲む点滴」といわれるほど栄養価も高くて夏バテにも効果があるので、解体や工事で頑張る人、暑い中立っている警備の人などを励ましたいし、そして作っている本人たちもワイワイ集まって作りながら飲めば健康管理になるんじゃないかと想像しています。これはぜひ真似られていろんなところで広がってほしいと願っています。
まずは金丸君にこの話をしたところ、奥さんの絵満さんも早速甘酒の作り方を調べて、これならできそう!と面白がってくれています。ゲストハウスのダイニングをお借りして、集まる時にプレス・オールターナティブは場代を支援します。この宝達志水町に奥能登から移住してきた人とまずは交流の場を作ろうという話をしています。この町は移住に力を入れていて、アウトドアが共通の趣味である金丸君ご夫婦も実は縁もゆかりもなかった土地で、職場と海と山に近くて移住者にやさしいからという理由で移住したそうです。最近はその移住窓口も能登からの相談が多いのだとのこと。その方たちが一旦は珠洲や輪島などを離れても週末に片づけに行くなど、もしも行き来をしていればそこからつながるご縁もあるかもしれない、と。すでに5組の高齢者が移住してきているそうです。また宝達志水町はツーリング好きのバイク大会が秋に開かれるそうで、金丸君のゲストハウスにも少しずつ予約が入っています。そういう中から奥能登に甘酒を届けに行ってくれるボランティアもいるかもしれない、と。少しずつ点が線になっていきそうな予感がします。長い目で応援していくためには、集う場所が必要というのが今回自分の目で見てわかり、イメージが広がりました。この構想をCWBにも呼びかけ、アジアからの支援も得たいと思っています。ミャンマーのヤナイ君が日本に来ますので、能登にも呼んで案出しです。