本物であることとオーセンティシティ(authenticity)

年末に向けて伊勢エビの仕入れや卸業者が頭を抱えているという。一連の食品偽称を受けて、おせち料理を製造する各社が「伊勢エビ」をこぞって求めているからだそうだ。「」をつけて表現したのは、国内産のいわゆる伊勢エビの他にイセエビと市場では表記されてきたオーストリア産のイセエビがあるからだ。値段的には国産の伊勢エビの1/5程度なので通常のおせち料理では重宝されていたらしい(同じイセエビの仲間なので姿形もよく似ているとのこと。まぁオーストラリ育ちの日本人か、日系オーストラリア人といったところなのだろうか)。ところが今回の事件で追求された某ホテルで使用していたのがどうやらこのイセエビらしいのだ(新聞報道によってロブスターとしているところもあるのだが、幾らなんでも姿形が違うからイセエビだという説もあって判然とはしない)。しかもおせち料理の広告チラシは既に「伊勢エビ」。で伊勢エビの争奪戦が始まり値段は高騰の一途をたどっているとのこと。おそらく来年末のおせち料理の値段は消費税も含めて値上がりすることだろう。値段が上がったおせち料理が一定程度の販売量を保てば、「日本経済はデフレ傾向を脱し、国内消費の勢いも衰えを見せていない」なんていうことを、ドコゾの省庁のお大臣が得意顔でいうかも知れない。

 まぁこの憶測があたるかどうかは別として、おせち料理に入った伊勢エビとイセエビとを味覚的に判別できる人がどれだけいるのだろうか。某グルメ漫画に登場する○山先生ならばともかく、通常の人間には調理され冷えたエビの風味の違いなどは分からないのではないかと思ったりする。むしろ関西地方で伝統的な「にらみ鯛」と同じく伊勢エビらしき形をしたエビが入っていれば十分という人も多いのではないかとにらんでいるのだが…(注「にらみ鯛」というのは焼いた鯛なのだが、正月三が日の間は登場するだけで箸を付けてはいけない鯛である。ちなみに現代の暖房が効いた住居では腐ってしまうので、プラスチック製があるとかないとか…)。

 何が言いたいのかというと、今回の食品偽称の犯人はホテル等の調理場でもなく、卸売りや市場でもなく、消費者ではないのかということだ。「伊勢エビが入っていて、この値段ならお得」という言葉に踊らされたのかも知れないが、そもそもその値段で伊勢エビが入っているのが「得」だということは、本来ならばその値段では伊勢エビが入っているはずがないという無意識の予想を持っていたのではないのだろうか。値段が安いのに高級素材が入っているから買う。高級素材が入っていても値段が高かったら買わない。まして値段相応の素材しか入っていない商品には見向きもしない。そうなると作り手は消費者が買ってくれる値段で高級素材を調達するしかない。とはいえそんな値段で本物の高級素材が手に入るはずはなく、似た者、親戚だから通称では同じとか、少し手を入れてやればほぼ同じ食味になる物をなんとか開発しようと努力せざるを得ない。その行為を批判すること、断罪することは容易いけれど、見方を変えれば彼らは消費者が喜んで買ってくれ、納得してくれる商品を作り出した発明者ではないだろうか(特に現場は上からの無理なコストダウン要求に応えるために、知恵を絞り尽くす程絞ったのではないだろうか)。そして、その値段で納得して買って「今日のステーキはやっぱり美味しいね。この値段でこのステーキを食べられるなんて得したわよね」と思っている消費者にとって、そのステーキは(たとえ脂肪を注入した物であれ)本物の高級ステーキだったのではないだろうか。後からではなんとでも言える。騙されたと叫ぶこともできる。けれど、その時その場で満足していたのではないのか。そして同じような商品がよりやすい値段で提供されていたら、今度はそちらの商品を買うようになっていたのではないだろうか。値段相応のものを手に入れて満足していたのであれば、相当ひどい偽装や偽称(伊勢エビの殻に小エビのグラタンをつめるというような)していない限り、それは消費者に取っての本物だった。というのは、やはり言い過ぎなのだろうか。

 似たようなでも少し違うこんな話がある。吟醸酒にアルコールが添加されているという話だ。戦後の日本で三倍酒といって米から造った酒にアルコールを沢山添加して売り出していた時期があった。そのイメージを持っている人は「アルコール添加の酒を吟醸酒と言って高く売りつけるなんてけしからん!」と叫ぶかも知れない。でも蔵元の人に聞いたら少量のアルコールを添加することで、吟醸酒の吟醸香といわれる微妙なでも味の本質を左右する香りが明確になったり、綺麗になったりするのだそうだ。つまり吟醸酒に含まれているアルコールはより良い吟醸酒を作るために不可欠の添加物ということになる。ついでにいうと、本来の日本酒はワインと同じく原料の米のできによって味が左右される。小さな蔵元では米のできに対応してできる限りよい酒を造ろうとする。でも毎年微妙に味は異なる。それを去年と味が違う!偽物だ!と叫ぶのは果たして良いことなのだろうか。同じお酒がらみの話で、近頃生の果物を使ったカクテルが流行になっていて、ジンライムのような定番カクテルでも生のライムを絞るのがいいのだというけれどねぇ、となじみのバーのマスターが苦笑いをしながら言ったことがある。マスターは続けて、果物って旬が一番美味しいんだよね。旬じゃないときのライムを使っても苦いだけなんだけどね…。マスターは旬以外のときほんの少し香り付けにライムを絞り、後は市販のライムジュースでジンライムを作るという。「どうせならおいしいお酒を飲んでほしいからね。」

 こういう話はどこにでも転がっているだろう。安さを求めるお客のために本物のような偽物を作る(大成功したのがカニカマだ)。原材料のできに向き合いながらできるだけ良い商品を作ろうと努力するけれど、そこは自然のなせる技、どうしても味に違いが出る(実はトマトも夏のトマトと秋のトマトでは全く味が異なる)。安定したおいしい味を提供するために「生」に敢えてこだわらない。行き過ぎれば詐称や偽称になるだろうし、毎年当たり外れが多かったら、誰も買わないだろう。でもどうだろう。一定の予算内でできるだけ良い商品を提供する、年ごとに違う自然の技に真剣に向き合った結果でてくる味わいの違い、美味しい味を提供するためにまずい自然の物ではなくあえて人工物を使うのだとしたら…。それはやはり本物、ただし日本語の本物というよりも英語のオーセンティシティという言葉がぴったりと合う本物なのではないだろうか。オーセンティシティは「真贋」「真正」という意味の他に「信頼性」や「信実」という意味をも含んでいる。作り手がオーセンティシティである限り、受け止める側、消費する側も表面的な本物ではなくオーセンティシティを認めてよいのではないだろうか。

 ではどうやってオーセンティシティを認めるのか。まず無理な値段を要求しないことだ。500円の伊勢エビを求めるのはどうやったって無理だろう。そして自分が何を求めているのかをよく考えることだ。見かけが立派でそこそこの味がして値段は…で切れば安い方が…というのであれば、伊勢エビじゃなくてイセエビでいいじゃないか。安定しておいしい味が欲しいのであれば年ごとのお酒をブレンドする大手のおいしいお酒を飲めば良い。年ごとの変化を楽しみつつ、その藏の独自性を見つけたいのであれば(できれば地元の)小さい藏の酒を楽しんでみるのも良い。どれもその人に取ってのオーセンティシティだ。

 そして同じことはフェアトレードとかエシカルファッション(倫理的ファッション)、スローライフにもいえる。トレンドだから、かっこいいから、やっぱね地球って大事だし~と表面的に追うのも悪いとは思わない。それはその人のフェアトレードへの態度だし、その人にとってのオーセンティシティなのだから。でもフェアトレードのなかには、中間マージンを取っているだけでその地域の人々の経済的自立にはつながらないと批判される面もある。商社と同じく値段交渉や相場、商売のやり取りを一切現地の人には教えない。ただ商社と違うのはより高い値段で買ってくれることだけ…というと言葉がすぎるかも知れないが。もしあなたが、フェアトレードやエシカルファッション等々で現地の人々の自立を援助したいのであれば、その地の人が今取引しているフェアトレードの会社がなくなったとしても、自力で商売を遣って行ける仕組みをその地の人に伝えているところを選ぶのが、あなたにとってのオーセンティシティになるだろう。調べるのは難しくない。現地でどんな仕組みでやっていますか?と尋ねるメールを出してみれば良い。そして疑問があればまたメールを出してみれば良い。後者のオーセンティシティを持つところなら、時間がかかっても誠実に答えてくれるだろう。前者のオーセンティしてであれば、返ってくる言葉は少し違っても、中身はいつも「公正な値段で生産者から購入しています」だけだろう。あなたなりのオーセンティをみつけるのは難しいことではない。選ぶのはあなた自身だと私は思う。