社長をなくせるか?
研究会に属する10いくつかの会社の中心メンバーがまじめに議論しているテーマだ。アジアから7つ、日本から5つの組織が参加している。
代表の肩書は社長や代表だが、それは内部的にはいらないが対外的には必要となった。法的に責任を取る人が必要だからだ。あと、ほとんどのことは社長了解が不要なのが理想だとなった。メンバーが自己の自発性と責任で自分のミッション実現を目指す。そんな個々人を管理ではなく動きやすいようにする仕組み作りがリーダーの役割となる。役割も自発的に決まっていくことも多いが、時に調整役も必要になる。英語でいうコーディネーターだ。
職場よりIT組織が優先する
10を超える組織が組織をも超えてコトをなしていこうとすると法的な役割とは別の原理で動き出す。言語もいくつもあるとコミュニケーションも大きな課題となる。英語が中心になるが、それだけでは現場と繋がれない。地域に仕事作りを目指すには現地語が必要になる。時差もあるからいわゆる勤務時間もフレキシブルになる。残業時間はあってないようなものだ。
メールを送ってすぐに返事ができないとチャンスを失うことも多い。ルールの一つが24時間内に返事をすること。更に、自分の不得意なことや都合の悪いことを放置することもある。1週間で動かないものは担当を変える。そうすることでブレーキが少なくなる。
加速する仕掛け
動機づけが給料や肩書だった時代から仕事そのものを楽しめるかに人々の志向は移っている。ここでの働く人の動機は社会に役立っているか、そのサービスが笑顔で迎えられるかになっていく。「いいね!」も、その一つだろうが、いかにも軽い。地域で仕事作りをミッションにしていると、そのコミュニティで認められるか、だ。存在感が重要だ。
例えば、インドネシアの組織はごみ、ツアー、ITを同時並行で経済的自立を目指している。それぞれに社長候補がいる。将来、それぞれが自立してもITソフトは共通で、その傘の下に残る。ソフトがミッションを共有する。
4キロ四方の地域で「ごみゼロ運動を始めた。スマホに登録するとごみがポイントになる。ポイントは現在お金に交換しているが、将来は地域サービスに交換すると地域経済の活性にもなる。地域通貨の仕組みだが、バリの空港から歩いて数分のロケーションなので旅行者も巻き込める。地域貢献ツアーとでも呼ぶものもネット上に構築中だ。その中心に安いステイ施設を持つメンバーが中心にいるので、そこを新しい働き方で「楽しく働く、遊びも生活」企業呼び込みを計画している。そこから五分も歩けばサーフィンもできる浜辺だ。労働時間に縛られることなく思い切り働き、好きに自分の時間をデザインする働き方改革の提案だ。
AI時代にサラリーマンは?
ワークシフトが言われている。様々な業種が消えていく。日本では大銀行で年間一万人以上が整理されると読んだ。ATMからスマホ決済へ、従来の銀行窓口はいらなくなっていく。いや、すでにない国もある。役所などもっと合理化すべき筆頭だろう。いわゆる事務作業や、他人に言われてやるサラリーマン要素の強い仕事はなくなっていく。安定志向で行政に就職できたから一生安泰ということはなくなりそうだ。仕事と趣味は別で、会社は金をもらうところ、という人の職場はなくなっていくのだろう。日本の学生の志向も変わりつつあるようだが、変化にどれだけシンクロしているか、一人一人の人生を選択する時代が来た。が、それほどに、その行動も価値観も変わらない。そして、時代の変化から取り残される。
勢いのあるアジア、インド
数か国の若者が同世代間で一つのミッションに向かって働くようになると、日本人の劣化は明確になる。日本から研究会に参加している農業団体はインターンを年間20人以上受け入れる計画だという。アジアの国では農業が就業人口の70%から80%という状態だから、当たり前に地域に農作業がある。そして、子供の頃からそこで育った彼らはタフだ。暑さに強いだけでなく女の子でも鶏を絞める。肉屋で冷蔵庫にある鶏肉しか見てない日本人とは違う。同じ人間かと疑うほどに自然との共生体験の差は大きい。机上の勉強では学べない部分だ。「働き学ぶ」が問われている。しかも、彼らはとても前向きだ。受験勉強で点数だけのところと、なんでも、これからの人生に役立てようという意気込みの違いだ。
働くことがあって学ぶ
カンボジアで学校経営をしている団体のやり方は「働き学ぶ」だ。学歴社会は、いつのかにかそれが逆転してしまった。偏差値という物差しで人間の能力を計るようになった。嘘つきであろうが、ポジションを得られる社会になってしまった。それが権力を持てば社会の信を失わせる。もし、カンボジアの汗と現場を知り、コミュニティで共に汗を流して生きることを学んでいれば見える風景も違っただろう。
法律が先にあるのではなく、必要に応じて作っていけばよい。それが逆転すると、こんなことになる。「忘れました」がまかり通る。社会の仕組みも作り直さなければいけないが、その変革も教育からだ。日本の三権分立が虚構になる中で、吉田松陰の松下村塾は、国境を越えてアジアでそれを教える。
アジアに松下村塾を
まだアジアでは維新以降の日本の経済発展への評価は高い。親和的だ。いくつかのアジア、インドで講座を持っているメンバーが研究会にはいる。大学闘争世代の先生もおり、日本の失敗を伝えることも忘れない。経済の講義で、自分の運動体験を伝える。石を投げても、大きな圧力団体の長になっても、自分たちの力で政治家を作っても、社会は変わらない。一人一人の市民が自らの価値観と生活を変えない限り、この格差と自然収奪の構造は変わらない。君らの世代の改革はコミュニティから君らが作り出すと教える。社会起業の勧めだ。それをアジア10としてネット上で情報交換し、スカイプで議論し競争し、新しい価値を作り出すのにITは有益だ。次の世代はITで国境をいとも簡単に超えていく。
「超える」が時代の言葉に
克己、自らを超える。国境を超える、政府を政治を超える。時を超える意識を学ぶことも大事だ。
何億年の宇宙の歴史から見れば人類なんて小さな存在だ。ブラックホールの存在が写真で見ることができた。
南インドの大学とも提携しているが、ここの博物館の仮面を見て驚いた。日本の歌舞伎そのものなのだ。そうしてみていくと楽器も、サンスクリット語から派生し、仏教用語が日本人の生活にも入り込んでいる。言葉もインドが原点であることが実に多い。
カンボジアのアンコールワット建造にはインドの技術者が協力したという。交通がそれほど便利でない時代ではあったが、国境など軽く超えている。世界の政治の風潮が自国主義となっているが小さい小さい。文化を学ぶことだ。