20世紀、特に旧ソビエト連邦の崩壊後、グローバル化という言葉が喧伝されている。資本(資金)も企業も国境を越えて有利な場所へと瞬時に移動する。人もまた、能力があれば国境を乗り越えて活躍すべきだと主張される。そして対照的に日本の若者の内向き志向が批判される。
ここで描かれる資金や組織や人は、自分にとって有利な場所を求めて常に移動を繰り返し、固定したあるいは固着すべき依処を自ら捨てたかのような姿である。
しかし、同じように楽々と国境を越えながらも、また異なった越え方する人々もいる。この人たちは多言語に通じているわけでもない。多国籍企業に属しているのでもなければ、特別な技能を持っているわけではない。ただ自らの意思の赴くまま、同じ意思や志の人を求めて、国境を越える。ちょうど幕末期に多くの若者が脱藩という形で国境(くにざかい)を越えたように。こうした人たちも、一見すると上に書いた人たちのように、依処自ら捨て、敢えてノマドとなったかのように見える。しかし、こうした生き方をしている人たちの中には、ノマドでありながら、依処を知る人たちがいる。彼らにとっての依処は彼ら自身の志である。だからこそ、表現や手法が違っても、どこか同じにおいのする人のところにいると「帰ってきた」と思うことだろう。あるいは瞬時に「故郷の懐かしさ」を覚えることだろう。
一方、今回の震災では再び津波の被害を受ける可能性が高いと知りながら、またその地での復興どころか復旧すら非常な困難が伴うことを知りながら、あえてかつての土地に戻ろうとする人たちがいる。放射能による健康被害の可能性を知りながら、土地を耕し田になえをうえるひとたちがいる。こうした人たちは、先ほどのノマド的な生き方をする人たちの対局にいるように見える。だが、本当にそうだろうか。
この人たちにとって、土地は単純に先祖代々受け継いだというものではなく、その人の生き方の拠り所そのものではないのか。先祖代々受け継いだというだけであれば、バブル期にあれほどの土地の売買は起こらなかっただろう(もちろん裏で相当あくどい地上げがあったのは承知しているけれども)。単にその土地を所有していることではなく、その土地で生きていくことが拠り所になっているのではないか。実際、ある土地で生きていくためには何らかの拠り所が必要であり、それを目に見える形で現しているのが、依代としての神社ではなかったのではあるまいか。(内田樹氏が新興住宅地にはまず神社を設置すべきだといわれていたのを思い出す)。
拠り所と依代。ノマド的生き方をしている人にとっても、その拠り所と依代は彼らの持つ志であろう。ただ、その志や意思が共通する場所が世界各地に点在しているだけではないのか。そしてある土地を拠り所とし依代を定めた人たちもまた、同じように土地に拠り所と依代を求める人と志を共有化する事が出来るのではないか。それは土地に拠り所と依代をもちながら、様々な理由によってもはやその依代の地に戻れない人も同様であろう(いや、一層強力かもしれない。東北は、特に戦後の高度成長期以降、東京に労働力としての人と、食糧としての米と、エネルギーとしての電力を供給し続けてきた。東京の人たちがなぜか被災地意識が強いのは、あながち東京中心主義とはいえないような気がする。彼らは依代を失ってしまったのだ。いや、依代を残して他所にきてしまったという意識を持ち続けているのではないか)。
ノマド的に志を依代にして世界を駆けめぐる人たちと、ある土地を依代として、その地で生き続けることを選ぶ人たちと。一見正反対の姿ではある。そしてもし「共同体」という言葉を用いてしまえば、両者はまさしく正反対の存在でしかない。しかし果たしてそうだろうか。人間はただ一つの共同体にしか所属できないのだろうか。志は共同性を生まないのだろうか。私がここまで「拠り所」や「依代」という古めかしい言葉を使い続けてきた根底にはこの疑問がある。依代や拠り所はただ一つとは限らない。また同時に多重に拠り所を持つことも出来る。依代もそうだ。日本での依代とアフリカの依代は異なっているだろう。しかしその働きは、求めるところものものは同一でありうる。依代は表層で異なりつつ、根元で共通になりうる多層性をもつ。私はこの多重性と多層性がこれからの時代の「生」にとって重要な意味合いを持つのではないかと考えている。
いわゆる国民国家というものが出来る前、人は多重な世界に生きていた。ある村の村役であり、家長であり、農民であり、時には推理県を巡り婿と争う舅であったりした。家そのものも(社会によって相違は大きいが)血縁関係で継続しているとは限らなかった。さらに大きな範囲でいえば、誰が王かということは、日常生活や納税に関わらない限り知ったことでなくてかまわなかった。王もまたどこからどこまでが自分自身の領地かということは、支配勢力圏の問題であると同時に、支配清涼をのばすためには依安上がりな婚姻という手段を執ることも出来たのだから、二重王権(妻との共同統治)の土地があって当たり前であった(もっともヨーロッパでもどこでも争乱の元になるのが常だったろうが)。だからといって、人に拠り所がなかったわけではない。日々の生活そのものが拠り所を形成していた。
時代は下って21世紀。果たして国民国家はこのまま存続するのだろうか。グローバル化が喧伝されているといった。それは確かに資本や組織の都合でいわれる場合が多い。しかし、拠り所の少ない資本や企業はもとより根無し草であり、根無し草としてもっとも有利な条件として国民国家の敷居がなくなっていく兆候に敏感なだけではないだろうか。