J.S.ミルと時代に流されない(普遍の)教育

松井 名津

 今回、編集局からいただいたお題は「J.S.ミルと時代に流されない(普遍の)教育」なのだが、折も折、締め切りが最後のセンターテストと重なっている。これはおそらく天の配剤だろうと、今の日本の教育を頭におきながら書いてみようと思う。

 まず注意しておかなければならないのは、ミルにはまとまった教育論がないということだ。『J.S.ミルの大学教育論』が新訳で出ているが(訳は以前よりずっと良くなった)これはセント・アンドリューズ大学名誉校長就任時の演説である。『経済学原理』等の経済・社会に関する論考で教育に触れることはある。例えば労働者が自ら有料図書室を作る動きを称賛していたり、ビジネス実務に関することは、ビジネスで学ぶと主張したりしている。そんなあれやこれやを私なりに編集して、紹介していきたい。

 さて、私が見るところミルの教育には3つの柱がある。暗記(あるいは繰り返し訓練)・感性・論理である。最初の暗記には「?!」という人も多いかもしれない。自立的・自律的思考を求めているミルなのに暗記の勧めとは?というところだろう。けれどこの最初の段階はミル自身の経験に基づいている。3歳から始まった彼の早期教育は有名だが、彼はこうした早期教育の利点として、幼い時ほど知識を容易に吸収できることを挙げている。彼自身はラテン語やギリシア語の早期教育を受けたのだが、どちらの言語も「死んだ言語」である。死んでいるだけに、文法や用法は動かない。言語だけになぜそんな変化をするのか、なぜ愛がamourなのかという問いを立てたとしても、それを探究できるのは遥か先のことだ。とりあえずは覚えなくては始まらない。同様に算数の初歩1+1=2の謎は集合論やらに踏み込むことになり、初学の段階では感覚的、経験的になんとなくわかるけど…で済ましておかないとある意味仕方がない問題である。哲学を除く全ての学問に、基礎部分であるだけに当初は覚えるしかないものがある。小さな子供にとって新しい物事を覚えるのはとても楽しい。それだけで自分の世界が広がるからだ。こういう暗記に頼る基礎部分などは、できれば小さいうちに済ませておく方が無難だろう。

 そして繰り返し訓練だが、ミルはよく思考力を筋肉の鍛錬に例える。使わない筋力は衰える。だから毎日筋肉を使う必要がある。でもうまく筋肉を使うコツを覚えるには、基礎的な運動を繰り返し行わなければならない。すごく地味で自由度も少ないが、基礎鍛錬なしに高度な技を身につけることはできない。これと同じことは思考力にもいえる。思考の基礎鍛錬が何かといわれると、ちょっと具体例に困るのだけど、試験のたびに繰り返し解いた問題集などを思い浮かべてもらえるといいかもしれない。まぁ基礎訓練というのは何であっても「つまらない」「発想の自由などない」ものだ。しかし自由で創意あふれる技を生み出すためには必要不可欠ではある。

 ここまでだとミルは「詰め込み教育」「知識偏重教育」に賛成のように見える。そして実際基礎部分に関しては知識を覚える教育に賛同していたと思う。とはいうものの、当時教会で行われていた聖書を基にした読み書き教育には、モラルの押し付けであると同時に子供の活力を奪うものと批判をしている。したがって出来るだけ子供の興味を引くような方法でとなるだろう(というものの、どうやったら九九を楽しく覚えられるか私にはわからないのだが)。何れにしても丸暗記を一概に否定していたわけではないというところが肝要だと思っている。日本の教育改革はどうも入試に目が行き過ぎるのか丸暗記に否定的だ。けれど暗記しなくてはいけないものを、あたかも暗記しなくても良いかのように扱うのは考えものだ。確かに九九や算数・数学の公式は、覚えなくても自分で考えだすことができる(特に数学の公式は)。けれどそれが易々とできるのは元来数学が得意な子供・生徒だ。二次関数の解の方程式を必死に覚える必要などない、と豪語した人物は「そんなものいつでも自分で導出できる」とのたもうた。自分で導出できないからこそ、数学が不得意な私は覚えるしかないのだ。「覚えなくても覚えているでしょ」は覚えられない人間にとっては酷な物言いだ。

 暗記に頼る基礎部分、例えば地名や年号、人物名に円周率、漢字の読み方。こういったものを暗記するのは興味がないものにとっては苦痛である。けれどこの基礎部分がないと「パリはロンドンにあります」「山茶花=やまちゃばな」などという素っ頓狂な答えを出すことになる。素っ頓狂を素っ頓狂と笑い飛ばしていられる間はいいのだが、これが大学生や社会人の答えになると社会的に相当まずい事態といわなくてはならないだろう。正しい思考の基礎には正しい知識・情報が不可欠だ。それを暗記だから、押し付けだからと悪者扱いするのはかえって教育の基礎を蔑ろにしかねない。

 2番目の感性の教育。ミルの時代、こんなものを教育の対象にするという考え方はなかった。もちろんミルも学校という制度で教育するものとして挙げているわけではない(ミル自身は家庭での感性教育に期待を寄せていた)。しかし、彼は感性が磨かれなければモラルも市民性も育まれないと考えている。美を感じ取る感性は、同時に人の行為に共感したり、より良いものを求める動機を作り出すものだ。現代でもこれは学校という制度には馴染まない。学校の科目としての音楽や芸術を否定するつもりはない。音符の読み方を知っている方が便利だろうし、印象派とピカソの絵が違うことを知っている方が世の中何かとスムーズだろう。けれどそれ以上の「鑑賞の答え」を求めるのは、感性を封じ込めることになるだろう。感性の教育に関して学校に何か役割があるとすれば、せいぜい生徒を美術館や博物館に連れて行くことだろう。説明は専門家に任せた方が良い。学芸員といわれる専門家はそれぞれの年齢に応じた展示や説明の方法を知り尽くしたプロである。図書館も同様だ。本や情報への専門家として司書がいる。ところが日本には学芸員や司書を置かない博物館や美術館、図書館が多い。学校図書館などその際たるものだ。読書を導く専門家がいなくて、読書好きの子供を作ろうなんて土台無理なことを堂々とやっている。説明する専門家、展示のための専門家がいなければ博物館や美術館はただの倉庫に過ぎない。たまにイベント的に大衆受けする展示、それも巡回展示をするだけの施設になってしまう。

 1番目の基礎知識を土台に、2番目の感性という支えを得て、社会をより良いものにするために必要なのが論理の教育である。ミルのいう論理は形式論理ではない。むしろ日常言語でどうやって理屈と道理に基づいて、互いに主張を交わし合うための基礎となるものだ。日常言語を使うから、同じ言葉でも異なるものを思い浮かべることになる。すれ違いが生じ、誤解や誤謬が生じる。そんな危うい道具をどうやって安全にかつ効果的に使うか。それを教えるのが論理学だ。ミル自身が早期に教え込まれたラテン語やギリシア語は、実はこうした論理や修辞の力を養う基礎でもあった。日本の例に当てはめれば、明治時代の文人知識人のほとんどすべてが漢学の素養を持っていたのと同じだろう。古代ギリシア・ローマ時代の演説が手本とされていたというだけでなく、死んだ言語(書くだけ・読むだけ)だけに、きちんとしたルールに則って書かなければ意味の通る文章を作ることができないというメリットがあったのだと思う。しかし当時すでにこうした古典語の教育に対して、時代に合わない古臭い教育であり、実社会に適さないと批判が投げかけられていた。これに対してミルはこうした古典語の教育こそ、高等教育に必須の科目だと主張している。論理を身につけるためであると同時に、年月を超えて生き残った「よい文章」を原語で味わえるからだ。古典的なよい文章(それは時代を経ているから古臭い言い回しで満ちているのだが)を原語で味わうというのは、文章を書く上では必要不可欠、とまではいかないかもしれないが、重要要素だと考えている。日本語の場合は、古文や漢文がそれにあたるだろうけれど、大学入試ではどんどん分量が減らされている分野でもある。また、実際日本語教育を考えたときに、現場でどれほどの力を費やせるかといえば、非常に難しいだろうとはわかっている。(第一義務化してしまうと、日本語を母語としない学習者にとっては非常な重荷になるだろう。ただ日本語を母語としない学習者は、「正しい」日本語を学んでくるので、日本語を母語とする学習者よりもきちんとした日本語を書くことができる確率が上昇するのではないかと私は思っている)。

 けれど、こうした古くからの言葉に触れる機会が減少した結果、文章力が衰えているのではないかと懸念している。大学教員を長年やっていると、学生の文章力が衰えてきていることは痛感する。論理的な文章を書けないというレベルではない。論理的な文章、ざっとした言葉でいえば「筋の通った文章」が何かということが、わからないのではないかと思うことが多い。というのも、接続詞の使い方が酷くバラバラだからだ。「しかし」が「ところで」とほぼ同じ感覚で使われていたり、全てが「が」で繋がれていたりする。話し言葉をそのままに、形式だけを無理に書き言葉に移している感がある。

 おそらく長い文章を書くのが苦手だというのは、私自身の時代からおそらく変わっていない。大きく変わったことは、日本語の言い回しを使えなくなったことではないかと思う。『フィネガンズウェイク』を個人訳した柳瀬尚紀氏が『日本語は天才である』という本を上梓している。カタカナに平仮名、横文字に振り仮名と自由自在な日本語の天才ぶりに感嘆している本なのだが、こうした日本語の自由さに気がつかないまま、不自由でぎこちない手つきで日本語を綴っている。まるで体に合わないお仕着せの背広を無理やり着せられているようだ。では若い人の話し言葉が豊かになっているかというと、どうもそうではないような気がする。「ヤバイ」に代表される若者言葉ばかりを聞いているせいかもしれない。が、いろんな感情を一つの言葉に押し込めているような気がするのだ。古文や漢文の文法を教えるかどうかはともかくとして、古文や漢文を読むことは、文章表現の幅を広げる上では効果があったのではと考えてみたりする。まぁ実際にどう役に立っているかと尋ねられると、自分自身もはっきりしないのだが、古文の柔らかな手触り、漢文の岩山のような様相と漢字がもたらす多様な色彩に影響を受けたのは確かだ。個人的な感想だから、全員に通じるとは思わない。けれど、言葉の豊かさの中から自分の言葉を紡ぎ出すことが、自分なりの筋が通った文章を生み出すのだとしたら、論理力を鍛えるためにはまず言葉を豊かにすることから始めなくてはならないと考えている。

地獄元年によせてーJ.S.ミルのディストピア

松井 名津

 地獄元年という表紙のタイトルに「?!」となった人も多いだろう。私自身はといえば、地獄というよりも蟻地獄かなと思った。もがいても、もがいても引き摺り込まれていく、そういう地獄を思い浮かべてしまった。安部公房の『砂の女』ではないが大量の砂の圧力を時として感じるからだ。一粒一粒はなんということもない砂。少し大きくなったところで違和感を覚えるだけの砂。そんなものがより集まり堆積し一斉に崩れかかってこちらに向かってくる。自分の足元さえもいつの間にか不安定で、拠り所なく、力の入れようもない。今の世の中が地獄に向かっているとすれば、こんな地獄ではないかと私は思う。

 世紀の変わり目だとか、時代の潮目だとかに、人は一斉に夢を見る。19世期半ばに生きたミルもまたそうした数多くの夢を見聞きし、自らも夢見た人である。これまでも彼自身の夢(あるいは「賭」)を紹介してきたが、今回は逆に彼の悪夢を紹介しよう。一言でまとめると「予定調和の世界」がそれである。こうまとめてしまうと何やら理想郷のようにも聞こえる。全ての人があるべき姿で、あるべきところに収まるのが予定調和なのだから。ミルの時代、科学の力によって子供の能力に応じた教育を施し(あるいはあるべき姿を教育し)、適切な職業を与え導こうという動きはラディカル派、守旧派を問わず存在していた。不適切な環境や不適切な教育(無教育)こそが貧困の連鎖を引き起こし、怠惰や犯罪の原因となると考えたからである。適切な教育、適切な職業、適切な人生…これが予定調和の世界である。ラディカル派ではミルの父やベンサムを始めとする功利主義者や、ニューラナークを作ったオーウェンが、こうした考えの先頭を行っていたと目されている。守旧派ではカーライルがそうであろう(彼は奴隷制度を未開の人に文明の端緒である労働を教えるために必要な制度であると擁護していた)。

 ところがこれまでも何度も紹介してきたことだが、ミルはこうした考えを酷く非難する。その根底にはこうして作られる世界がディストピアに他ならないという考えがあったのだと私は考えている。なぜディストピアなのか。彼はこうした予定調和の世界を同時代のインドや中国と同じだと考えていたからだ。どちらも高い文明を持っていた。しかし固定的な社会制度のもとで、人々はそれぞれの社会的地位を、運命的なものとして受け入れるだけで、変化を求めない。そうミルは考えていた。「停滞する」社会である。予定調和の世界もまた、科学の知識によって決められた能力を、決められた手段によって開発し、決められた職業につき…と安定した、だが定まった人生を人は歩むことになる。それに逆らうのは非科学的なことでしかない。こうした世界を垣間見せてくれるのが漫画『地球(テラ)へ』の最終盤である。未来の地球、そこには大人しかいない。ぎっしりと大人が並んで行き来するエスカレーターですれ違う二人の男性が会話をしている。

「なんでも昔は人間が自分で自分の職業を選んでいたんだそうですな」

「なんと野蛮な」

「今は全てマザーが適切に決めてくれますからな」

「全くです」

 ほんのワンシーンなのだが、この世界の全てを語っているシーンだと私は思っている。マザーと言われているのは人間ではない。全知全能たるAIである。人々の能力、個性に応じた趣味、仕事、配偶者を選ぶのはもちろん、全ての悩みの聞き手であり、喜びを共にする存在でもある。人々はマザーのもと安心して日々の生活専念することができる。マザーの決定は全てであり、それに逆らうことは「考えられないこと」「病気の証拠」でしかない。この漫画でこの日常生活を壊すのは、日常生活に不満や不信を抱いた普通の人間たちではない。彼らは日常生活に満足し切っている。(ではなぜこの世界は壊れるのか、それはご自身でどうぞ)。これこそが、ミルが忌避してやまなかったディストピアなのだと私は思う。

 この世界で人は自分で何かを選択するということをしない。いつも誰かによって決められた道を歩む。失敗が存在しない(科学的真理に従っているから)から、変化を求めることもない。もちろんこの世界でもほんの少しの不幸、不満はあるだろう。人と人とのすれ違いから喧嘩になることもあるだろう。しかしそれはマザーによって解消させられてしまう。戦争のない平和な社会である。けれどそれは人間が自ら選んだものとはいえない。あるいは功利主義に対する反論としてよく持ち出される睡眠機械がある。夢の中で自分の希望や欲望が全て叶えられる機械だ(これを扱った秀逸な漫画が『夢みる機械』。ここではこの機械を使って世界征服を図った当のご本人が一番先にこの機械を使っている)。この機械さえあれば人はすべての欲望を何らの代償もなく叶えることができる。功利主義でいえば「最大満足」の状態だ。で、現代の反功利主義者たちはこの事例を使ってこの状態の人間が真に生きているといえるのかと問いを突きつける。現代の功利主義者がこれにどのように反論しているかはともかくとして、ミルならばあっさりNOと答えるだろう。すべての人が夢みる機械に入ってしまった状態はミルのディストピアである。ここでも人は定まったコースを夢に見るだけで、選択をしない。不幸や失敗に出会うかもしれないが、それはストーリーを豊富にするための単なる仕掛けでしかない。機械の中の人たちは全員満足している。しかし、とミルは言うだろう。この満足は幸福ではないと。

 ミルは功利主義者である。が彼が求めたのは幸福である。彼は『自伝』の中で幸福はそれ自体を追求しても手にすることはできない。何か別の目的を追求しているとき、道端の花のようにふと発見するものであると書いている。人生で何らかの目的に向かって行動している。それが幸福の前提である。そうした幸福が疑似体験で得られるかどうか。『夢みる機械』が与えてくれる夢は何もかも不自由のない世界だが、その時本来の達成感が得られるのかどうか。これは実験しなければわからない。が、直観的に「ちょっとそれはね」という人が多いのであれば、おそらく何らかの心理的バリアーがあるのだろう。ミル自身、満足を否定しているわけではない。とはいえ「満足した豚よりも、不満足な人間のほうがよい。満足したバカよりも不満足なソクラテスのほうがよい」というのが『功利主義論』の一節にある。そしてこの一節が代表するように、彼は満足や幸福に質の違いがあると主張した。より高い質の幸福や満足を求めて、より活動的に人生を生き、自ら選択する。これがミルの求めた理想的な人間像であろう。その一方で五感が満足するものを与えられること、与えられた選択肢の中から最も満足するものを選ぶこと。貧しくもなく、飢えもせず、不自由のない生活をおくれるのであれば、考えること、選択することを放棄する。これは彼にとっては回避したい人間像であり、ミルからすれば自ら幸福を放棄していることになる。しかし、安楽で安定していて安全であれば、それで満足だというのが人間でもある。

 ミルは自分の理想と、目の前の現実世界で大多数を占めつつある安全と安楽だけを求める「大衆」的人間の間で揺れ動く。自分の理想を「あるべき姿」としてしまえば、それは絶対的真理を設定し、人間にあるモデルを押し付けることになる。それもまた人間の自由意思を否定することになる。その一方安定と安楽だけという人間をそのまま認めてしまうこともまた、自ら選択するという自由意思を窒息させる社会が実現する道を開くことになる。結局ミルは人間がきっと自由意思を選択するだろうという「賭」を提示することにした。それぞれの時代、それぞれの社会が自由を基準に社会を選択することに期待をかけた。

 それから150年以上がたった。私たちの社会、少なくともこの日本はどちらに近づいているのだろうか。学生に将来どんな生活をおくりたい?と聞くと、ほとんどが「フツ―の生活」と答える。フツ―ってどんなの?と聞いても明確なイメージを持っているわけではない。とにかく毎日無事に、パートナーがいて子供がいて、ちゃんとご飯が食べられて…。ではそういう生活がどうすれば可能なのかと聞けば、会社に入りすれば実現すると思っている。「見苦しくない私服」を考えるのが難しいから、リクルートスーツが一番だという。どこかで聞いたような主張を述べていると安全で安心だと感じている。その癖どこか息苦しいという。

 最初に蟻地獄と書いたけれど、とてつもなく大きくて自分が下に沈んでいっていることも気が付かない蟻地獄に、彼らは生きているのではないかと思ったりする。もがくこともなく、そこが地獄だということを自覚することもなく。ゆっくりとでも確実に、選択しないという不作為によって沈んでいく。そして自分たちが苦しくなったとき、多くの人は「これは自分のせいではない」と思う。当然だ。自分で選択したことがないのだから。だとしたら、始まるのは蟻地獄の中での犯人探しだ。誰が自分よりもより悪いもの、より低いものを見つけて、自分の優位を誇る。地獄には鬼の獄卒がいるというが、怖いのは地獄の囚人同士の罵り合いだろう。

 今年が地獄元年となるのかどうか。たとえ小さくとも一つ一つの選択に賭けがかかっている。

リスクと付き合う

松井 名津

 第二近代という言葉はこのシビルの読者にとっては耳になじんだ言葉だと思う。けれど、今一度定義を振り返っておこう。この言葉は1986年『危険社会』(ウルリッヒ・ベック著)で提唱された言葉で、第一の近代が「富の分配」を主題とした社会であったのに対して、第二の近代は「(認知された)リスクの分配」が課題となるとベックは主張した。ベックがこうした概念を提唱した背景には、冷戦構造の崩壊・福祉国家の限界といった国民国家の弱体(第一近代のセイフティネットの崩壊)と、個人化の進展(家族や親族といったセイフティネットの崩壊)、グローバル化(個人や国民国家の枠組みでは対処できない危機の存在)があったといわれる。ザクッとまとめると、既存の枠組みが崩壊しているのがだれの目にも明らかになりつつある一方で、新しい枠組みがなく人々や社会が漂流している状態を表したものだと考えることができるだろう。

 さて、ミルは現代から振り返れば第一近代に生きた人物である。が、彼も含めて彼の同時代人は自分たちの時代を、過去の枠組みが崩壊し未だ新しい枠組みが成立していない移行期と捉えていた。これは哲学者や思想家だけでなく、ディゲンズやカーライルといった文学者も同様に感じていた。既存の枠組みと新しい動きが錯綜する中で、さまざまな理想社会像が描かれる一方で、新しい動き、特に市場経済の発展を脅威と考え、社会の安定・秩序の強化も提唱された。ミルのアソシエーション論もこうしたさまざまな思想的実験の一つだといえる。たしかに第一近代の始まりにおけるこうしたさまざまな思想的実験は(マルクスの社会主義も含めて)「富の分配」をめぐる議論としてまとめることができる。が、今日はあえてベックに倣ってリスクの分配という観点から考えてみることにしたい。

 カーライルやディケンズは市場経済の進展とともに、労働者と雇用主との関係が単なる「金銭的絆(キャッシュネクサス)」に堕してしまったと捉える。金銭を媒介とした雇用契約は、労働者と雇用主を対等な契約者として扱うように見えるが、雇用主は被雇用者である労働者の衣食住に対する責務を一切負わない。一方で労働者もまた真摯な労働、雇用主への人的愛着を一切排除して、ただ金銭のためにのみ労働を行う。労働者にとっては一定の金銭が支払われる時間内でいかに労働量を節約するかが、雇用者にとっては時間内にどれくらい労働量をしぼりとるかが、双方の命がけの闘争の場となる。これに対して南部アメリカ合衆国等で展開されている近代的な奴隷制は、雇用主が奴隷の衣食住に全面的な責務を負う一方、奴隷は雇用主に対して人的愛着を持って奉仕を行うと考えられた(彼らが近代的奴隷制を全面的に擁護したわけではない。たとえば男女や家族が強制的に分離される点を激しく批判している。とはいえ、こうした批判もまた雇用主が奴隷の家庭的生活に責任を負わなくてはならないという視点からなされている)。この主張をリスクの観点から整理してみよう。雇用の安定という点から見れば市場は不安定でリスクを伴う装置である。全体的な好不況の波ばかりではなく、個別業種、個別企業の業績が雇用の継続を決定する。そして、金銭的契約に基づく雇用関係は、こうしたリスクのすべてを労働者に押し付ける。雇用契約が打ち切られると、金銭的収入を雇用に依拠していた労働者は生計の手段を失う。雇用者もまたリスクの海の中で、リスクを回避すべく必死の努力を続けているものと想定されているが、彼がこうした市場のリスクから重大な影響を受けるのは、労働者のすべてが犠牲となった後である。解雇した労働者の生活がどうなるかはあくまでも雇用者の責任の範疇外に位置付けられているのが「金銭的絆」の社会である。

 これに対して奴隷主と奴隷は一家として、市場の荒波を共に渡り抜こうとする運命共同体とされる。船主である奴隷主は一家のために、ありとあらゆるリスクを計算し、最適の航路を選択し、決断と命令を下す。全ての成員は船主の命令に服従し、それぞれの責務を果たす。リスクも責任も奴隷主だけが背負い、全員を保護する責務を全うしなくてはならない。だからこそ、全員は奴隷主に愛情と敬意を抱き、その命令に従う。奴隷制という点だけから見れば、非人道的で時代遅れの議論に過ぎないが、当時こうした雇用主が被雇用者の生活を守るべきだという主張は、保守層だけでなく社会変革側からも唱えられていた。その代表がオーウェンであり「ニューハーモニー」はその実践でもあった。彼らは市場のリスクを「悪」とみなし、このリスクから人々を守る「組織」を形成し、トップダウン方式で人々を保護しようとしたのである。この方式は実は20世紀の様々な組織の原型となっていると考えることができる。会社にしろ、労働組合にしろ、あるいは福祉国家という国家形態にしろ、「組織」を形成し組織のメンバーをリスクから保護する(日本型経営はその主たるものだろう)。リスクはトップに集中し、メンバーはリスクを考えることなく、奉仕(仕事)に専念するという方式である。個々のメンバーにとってリスクは複雑かつ巨大すぎて個人では対処できないものと考えられた。

 こうした方式を拒否したのがミルである。彼は人道的奴隷制にも、オーウェンのニューハーモニーにも真正面から反対した。その根元には人間が元来リスクとともに生きているという認識がある(人間は過去から未来を類推する生き物である。未来の事象は因果律に従っているとはいえ、人間はその全てを把握する能力を有していないために、未来は常に不確定性を帯びる)。人間がリスクの認識から完全に保護されることは、外界世界から隔絶され自分で感じ考えることを排除されることでもある。一部の人間のみがリスクを判断することは、権力の固定化につながるとともに、他の人間の能力を封殺することにつながる。リスクは人間の生を脅かす「悪」であると同時に、人間の生を活性化する「種子」でもある。アソシエーションにおいて、責任が特定の個人に集中するのではなく、それぞれの役割や才能に応じてリーダーシップが交代する形式を求めたのも、全員がリスクを担うという側面を持つといえる。ミルが求めたのは全員が何らかの形でリスクを担うアソシエーションが、市場の中で互いに競争することでもあった。市場はリスクの塊ではなく、人々やアソシエーションがリスクと出会い、格闘し、それぞれの解を見つけるための共通の場である。ミルは別に個々人にリスクに立ち向かう英雄になることを求めているわけではない。各人がそれぞれの経験からリスクに対処する行動様式を形成していく。従ってリスク回避型の人もいれば、リスク追求型の人も出てくるだろう。そのどちらが良いというのではなく、それぞれの場で判断や討議を重ねつつ、市場でその判断を確かめていく。ここで市場はリスクの荒海ではなく、リスクに対する様々な判断が示されるショールーム、リスクへの対処を確かめる実験場である。失敗や成功という判断基準はもちろんあるが、それよりも重要なのは、多様な判断に対する多様な経過と結果の情報・知識の蓄積である。こうした情報や知識は市場参加者の共有財産でもある(ミルが「株式会社」の透明性を重んじたのも、経営判断のプロセスが囲い込まれないことにあった)。

 さて、現代に目を移そう。私たちは、特に日本という土地に生きている私たちは、どんな社会に生きているのだろう。食品偽装が起こるたび「食の安全」が叫ばれ、自然災害が起きるたびに「ハザードマップ」「リスク評価」がうたわれ、子供が事故にあえば「通学路の安全確保」が問題になる。あたかも安全であることが当たり前で、リスクは「あってはならない」ことのようだ。「あってはならない」という言葉もこの頃よく繰り返される言葉だ。「このような事態はあってはならないことで…」「本来あってはならないことが…」という台詞が、いつも出てくるものだから「あってはならない」という言葉の意味が、「あるべきではないが、必ず起こること」に変わらないか心配になってくる。いやもし「あってはならない」が「あるべきではないが、必ず起きること」を意味するとすれば、この言葉はリスクに対する今の私たちの態度を言い当ててるのではないだろうか。私たちはリスクを無視したがる。いつも安全・安心100%を求めている。災害だけではない。自分の将来に対してさえ「安全・安心」な進路を求めている。そしてリスクは「あってはならない」こと、避けて通るべきこと、私たちの生活に「あるべきではないこと」になる。あるべきでないリスクが顕現した時、私たちはリスクの存在そのものを誰か他人の責任にしてしまいたくなる。想定外を想定すべきであったと、100%の安全を確保すべきだったと。けれど、人間が100%未来を予知できない生物である以上、私たちの日常生活にリスクは常について回る。第2近代が「(認知された)リスクを分配」する社会なのだとしたら、私たちがまずしなくてはならないのは、リスクを認知することなのではないだろうか。

 リスクをただ「あってはならない」ものとして忌避するのではなく、人間という存在にとって良くも悪くも欠かすことのできない存在として、私たちはそれを認め、知り、付き合うすべを互いに学び続けなくてはならない。ミルが将来世代に残した「自由への賭け」、将来世代が選ぶ社会への道は、リスクの認知から始まると私は思う。

伝統とは

松井 名津

 伝統とJ.S.ミルは相性が悪いことになっている。個人主義で自由主義、既得権益を批判する…といった特色から当然と思われるかもしれないが、実はミルと伝統が相容れないと考えられている要因の一つに、ハイエクによる批判がある。少し専門的な話になるが伝統を考えるときに重要な要素も含んでいるので、お付き合い願いたい。

 自由主義を擁護する際にハイエクは「真の個人主義」と「偽の個人主義」という考え方を持ち出した。真の個人主義は自由主義を擁護する、あるいは自由主義を促進するのに対して、偽の個人主義は集団主義や全体主義への道を開くものだという。そして真と偽を見分けるメルクマールの一つに伝統がある。ここでいう伝統は、長年続いてきて社会で当たり前になっている物事のやり方、と考えてもらったらいいだろう。ちょっと洒落た言葉でいえば「社会インフラ」としての伝統である。真の個人主義はこうした社会インフラが存在してはじめて個人、あるいは個人の自由が成立すると考える。これに対して偽の個人主義は、合理的計算を行う個人を出発点として社会を考えるから、伝統といった社会インフラを否定し、合理的な法律体系を求める。また人間の理性が無謬の計画を設計できると考えるから、伝統や慣習によって決まっているやり方(ルール)よりも、設計された法律や体制が優れていると考える。したがって、合理的な体制が成立すれば、自由は確保されると考えがちだから、一旦体制が成立すれば体制と摩擦を起こすような自由は抑圧しても良いとする。

 以上がハイエクによる「真の個人主義と偽の個人主義」の荒っぽい要約である。そしてこの中でハイエクはミルを本来なら真の個人主義の伝統に根ざしているのに、偽の個人主義の影響を強く受けてしまった人物として描き出す。その際槍玉に挙げられるのが、既存の慣習や世論の影響を鋭く批判した『自由論』だった。このハイエクの論が非常に有名になったこと、そしてハイエクの議論と軌を一つにするバーリンの「二つの自由論」との相乗作用で、ミルには非伝統主義者というイメージが付着したのである。

 さて本当のところはどうだろう。私自身はミルと伝統は単純に対立とか親和とかではないと思っている。確かに『自由論』でも『論理学体系』でも習慣的なものの見方を疑うという姿勢は一貫している。しかしその一方で、ありとあらゆるものを分析してしまい、行動に伴う感情を失うことの恐怖を、彼自身が自分の経験として文字通り身にしみて知っている。伝統をそのまま丸呑みにすることも、伝統を分析し尽くしてその妙味を失うことも、彼は拒否していると思える。ある意味中途半端というか、折衷的な態度である(そう、ミルはいつも折衷的と批判されるのだ)。しかしこの折衷的な態度こそ、伝統に対して真っ当に向き合う際に忘れてはならない態度ではないかと思うのだ。

 「伝統」とはなんだろう。日本もイギリスも伝統の国だとよく言われる。イギリスの伝統というと何だろうか。山高帽に固く巻いた傘をもつジェントルマンだろうか(「キングスメン」という映画ではこの典型的な紳士姿のスパイが活躍したが)。しかしこのスタイルはミルの時代に確立されようとしていたところだった。イギリスといえば紅茶といわれるが、これまた18世紀以降少なくともジャマイカ等の西インド諸島を植民地としてから、イギリス全土に広がる習慣である。では日本は?日本の伝統ー茶道・華道だろうか。華道は室町時代、茶道は安土・桃山の好機に確立したから、確かに年月を経ている。しかし、どちらにも共通する「家元制度」は江戸時代の産物だといわれている。また同じ茶道であっても近年まで家元制度を採らなかった流派もある。家元とか伝統芸能に見られる一子相伝も、血縁関係によるものではない。むしろ近代特に戦後になってから一子相伝が強まったといえるかもしれない。芸能に限らず、武家も町屋も「家」「商家」を守るために、他所から養子を取ることが当たり前だった。能力が足りない後継を押し込めたり、隠居させたりして、能力のある子どもを養子として家を継がせるのは、生き残りのために必須の作戦でもあった。

 そう、伝統は今ある形のまま伝わってきたのではない。継続させるための努力があって、残ってきているものである。残すためには養子を取るだけではなく、様々な変更を加え続けている。能楽は室町時代の言葉をそのまま現代に残しているとして、ユネスコ世界遺産になった。しかし節回しは大きく変わっている。かつては一つの節回ししかなかったが、江戸の頃に二つ(強と弱)に別れたらしい。失われた曲も多いー演目が人気がなかったとか、作り物が多くお金がかかるとかー、仕舞としてはよく上演されるけど、全曲上演がほとんどない曲はそれ以上に多い。舞い方もちょっとずつ変化するー実際に舞台で演じられるのと、教本として描かれているのにズレがあったりする。そんな時私の師匠は「う〜ん、これは自分もやったことがないですね。これだと舞台でうまく合わないですよ…どうしますかね〜」などと言って、最初は教本通りに教えようとするのだが、やっぱり自分のやり方で教えてくれる。教本が間違っているのではなく、教本がまとめられた時と現在(30年程度)とでは、囃子方や謡の速さや間の取り方が異なっているのだ。もちろん歌舞伎のようにアニメや他国の伝統芸(マハーバラータ)を新演目として取り入れる場合もある。華道では洋物といわれる西洋花を使うことはもう当たり前のことになった。茶道でも椅子席を使った手前が開発され続けている。伝統が博物館の展示物にならないためには、伝統を生かし続ける人々と、その人々を経済的に支える装置(演技場しかり、観客しかり)が必要なのだ。

 この関連する人たちが生かし続ける伝統とは若干異なる伝統というものもある。「礼節を重んじるのは日本が世界に誇る伝統である」とか「日本の伝統でもある謙虚さを世界にアピールする」といった風に語られる伝統である。その多くがいわゆる道徳律である。古いところだと「大和魂」などがある。いつの間にか武士道と一緒くたになってしまっているが、歴史は浅くて明治期以降に流布されたものである。江戸時代の武士道は支配官僚としての武士階層の倫理として確立したという側面が強いから、非常に儒学的で理想主義的で教条的なものがある。実際に武士が戦いに従事していた頃には「7度主君を変えてこそ武士」だとか「卑怯といわれようと臆病といわれようと生き延びることこそが大事」というのちの武士道から見れば、トンデモナイ発言が武将の格言ー自家が生き延びるための手段ーとして残っている。

 さて大和魂に話を戻そう。大和魂といえば本居宣長の「敷島のやまと心を人とわば朝日に匂う山桜花」から取られたとされている。そして大和魂といえば「武士として潔く散る」である。ところがここで歌われているのは山桜である。山桜は柔らかい若芽と蕾が一緒に出てくる。決して一気に咲く花ではない。また散り落ちる時ははらはらとこぼれるように舞い散る花だ。とてもとても一気に咲いて一気に散る花ではない。第一、本居宣長といえば漢学(儒教)に対して「やまと心」を訴えた人ではあるけれど、彼が賞揚したのは『源氏物語』に典型的に現れている「もののあはれ」である。確かに山野の広葉樹林のなかにチラホラと混じる山桜の花が朝日に照らされている風情は、潔さよりも「色気」「艶」という言葉がよく似合う。生来のプレイボーイ光源氏にはよく似合いそうだ。ところがどういうわけか、山桜はソメイヨシノになり、もののあはれは武士道や儒教になってしまった。その転換点はどうやら日露戦後の日本にあるらしい。漱石の『我輩は猫である』の一節に「東郷大将が大和魂を持っている。魚屋の銀さんも大和魂を持っている。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を持っている」「誰も口にせぬものはないが、誰も見たものはいない。誰も聞いたことがあるが、誰も逢ったものはない。大和魂はそれ天狗の類か」と皮肉満点な部分がある。どうやら日露戦争の戦勝に酔って、上から下まで大和魂が掛け声になったのが始まりのようだ。

 とすれば、この伝統は結構眉唾物だといえる。人々の生活の中、あるいは上層階層の文化の中から出てきたものでもなく、守り伝えようと努めたがゆえに現代まで生き続けているものでもなく、ある時代の風潮の上に出来上がり、あたかも古くから存在したかのような顔をしているわけである。しかしそれが「伝統」という顔をしてまかり通るのは、それ相応の時代の風潮とその時代が去った後もこれを「伝統」として振りかざすことが利益になる人たちがいるからである(日露戦争の戦費のために政府が宣長の歌から名前をとったタバコを作ったりしている)。

 ミルが伝統に対して、是々非々とでもいうべき折衷的な態度をとったのは、伝統という言葉で本来は伝統ではないものまで、伝統と呼ばれかねないからだ。それは19世紀半ば「イギリスといえばジェントルマン」の伝統が目の前で作り上げられようとしていた時代に生きていたゆえかもしれない。あるいはまた、戦時の意気軒高に酔いしれて「イギリス一番!!」と気勢を揚げる時代に生きていたからかもしれない。ともあれ、ハイエクが主張したように伝統を重んじるから真の個人主義で、自由主義を守れるのだと、そう簡単にはいかないことは、この20年の日本やアメリカを見ていると痛感することでもある。

 最後にミルだったらいいそうなことを付け加えて終わりにしよう。「伝統とは何か。それは他の伝統と比較した時に初めて分かる何かである」。

籠の中の「ダイヴァーシティ」、食い破るための多様性

松井 名津

 いつの間には多様性という言葉が流行り、いつの間にかダイヴァーシティというカタカナ語になった。カタカナ語になった途端に、毎日どこかで見かけるようになったが、誰もなぜダイヴァーシティが必要なのかきちんとした説明をしてくれたことがない。曰く、経営上望ましい、仕事の上で効果がある、様々な側面から顧客や商品の分析ができる等々。なんだかダイヴァーシティが万能薬に見えてくる。ただし非常に薄っぺらい、流行が過ぎると見捨てられる万能薬に。

 多様性はそんな単純で薄っぺらな存在なのだろうか。少数意見の重要性を説き続けていたミルの意見を聞いてみよう。現代では地球が丸いことを信じない人は誰もいないと思う。この誰もが認める地球が丸いという真理があれば、「地球は平たい」というトンデモ少数意見は必要どころか、頭から否定してイヤ無視して構わないように思える。しかしミルはこの場合であっても「地球は平たい」という少数意見は必要だという。そして真面目に取り上げ、真面目に反論すべきだという。私たちは「地球が丸い」と思っている。学校でそう習ったから、みんながそう言っているから、なんとなく常識だから…。確立された真理はこんな風に「なんとなく」「権威があるから」真理として受け入れられている。そして確立されているがゆえに、この真理に反するような意見は「邪道」「トンデモ」として一笑に付されるか、白眼視されるか、極端な場合は沈黙を余儀なくされる。ここまで来ると真理は真理でなくなるとミルはいう。たとえその真理が「真」であっても、それが真である理由を示さないまま「真なるもの」として人々に教えられる時、それは真理ではなくドグマ(教理)になるのだと。

 地球が平たいという説を真っ当に取り上げ、それに反論し、あるいは地球が丸いということを「きちんと」証明する。ここの「きちんと」は普通の、つまりは専門家でない人でもわかるような言葉で証明するということだ。こういう営みを行なっていれば、誰もが地球は丸いことの根拠を理解して、自分の意見として「地球は丸い」といえるだろう。たとえ真理であっても少数意見が必要なのは、真理が常に人の心のなかで「生きている」真理になるためである。

 さらにいえば、ある時代の「真理」が永遠に真理とは限らない。「平行線は交わらない」はユークリッド幾何学では真理だが、非ユークリッド幾何学では真理ではなくなる。2000年来の幾何学の常識である「平行線は交わらない」が真理でないと確信したガウスは、世の反発を恐れてその発見を隠した。(とはいえその後すぐに他の人が発表してしまうのだが)。私自身も高校で非ユークリッド幾何学だとか、虚数だとかに出会うたびに、常識的な世界ではない世界を扱う「抽象的な数学」に頭を悩ませたものだ。ではこうしたより抽象的な数学が数学者自身の営み(頭の中)から生まれてきたのかというと、そうでもないらしいということを最近知った。非ユークリッド幾何学は、この地球という丸い曲面で最短距離を求めるときには欠かせない概念なのだ。つまり、ユークリッド幾何学は机の上(平面)では役に立つのだが、地球をめぐる航路設定では役に立たないのだ。現代数学の難解で抽象的な概念のほとんどが、数学の外部ー統計学、化学、地理学等々ーの要請に応えようとする試みから生まれ出てきている。そして外部の要請に応えようとした結果、それまでの数学の常識、真理を打ち壊すことになったのだ(ということを遠山啓『無限と連続』を読んで初めて知った。この本を読んで現代数学がわかったかというと、読む前も読んだ後も???の数は減っていないのだが)。

 話を多様性に戻そう。世の中の常識的な真理を、人々の心の中で生きている真理とするために少数意見が必要だというのが、ミルの主張だった。そして場合によっては常識的真理が真理でないことがわかる場合もある(大概それは科学の進歩と呼ばれる)。では少数意見の必要性、つまりは多様性は真理に関わる分野に限定された話なのだろうか。ミルは真理と政治を重ね合わせて論じているところがある。厳密にいえば、ミルは真理をめぐる討議を政治における討議の理想形として描いていたのだと、私は考えている。

 例えば子育て後の女性こそ国政に関わるべきだという主張は、彼女たちが「男社会」では得られない少数意見を持つからこそだ。アイルランドの独立運動に対して、独立よりもブリテンの議会で議席を持つことを勧めるのも、ブリテンの議会にアイルランド在住のカソリック(17世紀以来土地を奪われた人々)の少数意見が反映されないからだ。少数意見が議会に席を得て、自分たちの利益を堂々と主張し、論戦を行うことをミルは求めていた。

 しかし、と多くの人が疑問を呈するだろう。所詮民主主義は多数派が勝つ。少数派がどんな主張をしても最後は数の力が勝つのだと(全くそれを絵に描いたような議会が身近にあるのだから、困ったものだ)。前にも書いたことがあるが、ミルは民主主義というシステム自体にさして大きな期待を持っていない。声の大きなものが勝つという民主主義の限界を知っていたからだ。だからこそ、知性がある人、経験が豊富な人に2票を与えるとか、反民主主義・エリート主義的な施策を提言しているし、政党にではなく意見のある個人に有利な投票システムを提唱したりしている。さらに彼自身が国会議員への立候補を求められた時、立候補しても良いが1つ条件があるといった。その条件は自分は代表者(representative)ではあるが、選挙区から派遣された使節(delegatation)ではない。したがって選挙区に不利な法案、選挙区民とは違う意見であっても、自分が正しいと判断すれば賛成し主張するというものだ。「皆様の〜」を連呼する選挙カー路線とは真反対である。この条件を飲んだ方も方だが、そんな条件付きの立候補者を当選させた選挙区民も選挙区民である(ちなみにミルはシティ&ウエストミンスター区から立候補している)。そして黒人が主体の暴動を「鎮圧」した英国総督を弾劾する委員会を組織した結果、次回の選挙では見事に落選している。

 こうしたミルの議論や実際の行動を考えると、彼が議会に求めていたのは、多様な意見が文字通り論「争」として闘い合うことだと思う。予定調和的な論争ではなく、雌雄を決するための闘争であり、時に自分の主張の非を認めてかつての敵側に身を置くことも辞さない態度であり、同時に論争の中から落とし所を探る微妙な駆け引きだ。多様な意見はショーウィンドウに飾られる彩りのよい花として存在しているのではない。とりあえず「聴きおきました」とご意見拝聴のためにあるのでもない。議場では、他の全ての意見を食い潰して、自己の味方とする論理と修辞、根回しも含む高等戦術を駆使することが求められる。ただ一人、全てを敵に回しても勝利する戦術と戦略が必要なのだ。

 例えばアイルランドの場合、もし彼らが当時のイギリス議会に議席を持ち、彼らの要求を主張したとして、それが多数の名の下に退けられたとしたら、彼らは武力闘争を決断するだろう。だからこそイギリス議会の多数派は何としてでも、彼らを説得しなくてはならない。あるいは彼らの要求と妥協しなくてはならない。アイルランドの側も自分たちの主張だけを通そうとしても、現実的ではないことを論争を通して認識しなくてはならない。ゴリ押しして議会で決裂すれば、イギリス側の武力弾圧が正当化されかねないからだ。議会はこうした現実の武力という危険性を背負いながら、どこで利害を調整するのかという闘いの場である。お互いに負けられないが、逆にこの「場」を破壊することはより大きな危険(武力)を招く。だから理性的な論争が求められるし、妥協点を見出す努力が必要となる。

 それはちょうど、科学の論争が理論の生命をかけて行われるが故に激烈になるのと同じであり、また論争を続けること、論争の場にあることが科学を継続させる唯一の手段であるという認識が共有化されていることとよく似ている。ミルが議会に求めたのはこうした命懸けともいえる論争である。命懸けだからこそ生半可な妥協は許されないが、命懸けだからこそ妥協が可能でもあるのだ。

 多様性をダイヴァーシティとカタカナにして、百花繚乱の彩の一つにするのが日本流なのかもしれない。確かにそれは「美しい」。予定調和の中で誰も深い傷を負うことはない(だろう)。しかしそれは摩擦も論争も生み出さない。いや正確に言おう。論争や摩擦を生み出さないように手懐けられた多様性がダイバーシティというカタカナで呼ばれているのだ。争いを生まないダイバーシティは美しいかもしれない。けれどそこに真の生命力は宿らない。ちょうど真理がただ真理だという理由で、その地位を保持するならば真理から生命力が失われるのと同じことだ。

 多様性は何か(科学、社会、組織)がその生命力を維持するためにこそ必要なものだとミルは考えていたのだと思う。ただし、多様性によって生み出されるのは予定調和ではない。多様性によってもたらされるのは、異なった意見、主張、風習等々が互いに食い潰そうとする命懸けの闘いである。その闘いを経て初めて生命力は維持されるのだ。

アジアで実践、新しい教育

カンボジアのアジア村学校で父母会

 2人の生徒が学校を去りたいと言ってきた。先ずは、ここを運営するNPO・コミュニティワークアジアで事情を聴き、対策を練る。ここの理事は現地のダンス担当のカンボジア人で50代の男性(文化省に勤めるが、今年定年を迎える)、日本人の日本語教師(ボランティア)、そして、ここのスタート時から関わる二十代後半のカンボジア人の若者の三人だ。その若者が代表だ。

 学校を辞める事情を聞く際に、日本人の出番はほとんどない。言葉の問題に加え、家の経済状態や両親の夫婦問題、村の中での評判等は、その地域の歴史を知らないとわからない部分が多い。それを村長や学校仲間からも聞く。

 一人の生徒は両親が離婚し、お母さんの住む村に行きたいというのが原因だった。お父さんが来て最初に言っていたのは「自分が引き受けるので、ここに継続して世話になりたい」ということだったが、生徒に確認するとやはりお母さんの村に移りたいので継続は難しそうだ。お父さんは涙ぐんで説得したが生徒の結論は変わらなかった。

 もう一人は公立中学の勉強についていけないのが引き金になって、仲間と「働き学ぶ」もできなくなり、村に帰りたいという。お母さんは「帰ってきたら腕の骨を折ってやる」とか、最後は「殺してやる」とか息巻いていたが、学校側から「働かないと食事も出ないし、部屋で寝られなくなるよ」だから「これからここでレストランを始めるので、ここで働いたら良い」と勧めたが結局、お母さんが甘やかして連れて帰ってしまった。親が最後は言葉とは裏腹に甘やかすことを子は知っているのだろう。『人をダメにするのは簡単だ。甘やさせばよい』とよく言うが、きっと、その家族は口だけの家族なのだろう。村の他の父母も口出ししなかった。

 これから2か月に1回、父母会を行い、その交通費はNPOが負担することにした。一人5ドルのバス代は両親にとって決して安いものではない。お金がないことが理由で差をつけたくないという配慮だが、経済的には日本が負う部分も多いので依存関係が強くならないように気を付けることが肝要だ。依存と格差の問題は、経済的に優位な日本人にとって課題だ。出せばよいというものではない。

親にも学んでもらう、既にある未来

 両親が来た時に、親にもレクチャーすることにした。カンボジアの教育者の質は悪い。生徒から賄賂をとる先生もいる。特に勉強が遅れたりすると要求するようだ。金額を聞いて驚いた。それを借金して払うのだという。賄賂をもらった分、一生懸命に教えるのかというと違い、単に合格にすることだ。

 アセアン10か国の中でラオスと並んでカンボジアは給与水準が低い。より高い国に出稼ぎに行く。カンボジアに肩入れし、一生懸命教えても、ある日タイに行くので辞めたいと言われることもある。それは私たちも辛い。

 アジア村学校はカンボジアの街(コンポントムという中都市、だが村から来ると大都市に見えるらしい)に来て、遅れを意識するようだ。しかし、もう少し広い視野でみると、団栗の背比べで、良い成績をとって意味があるのかと思いたくなる。そのことも説明する。

「公立学校に行くのは否定しないが、そこに通わなくなったからと言って騒ぐことないですよ。それよりこのアジア村学校でITや伝統文化を学ぶほうがよほど将来価値あるものになります。AIの時代はもう来ており、ホワイトカラー的な職はどんどん減る。都市に出るより、村で農業で自立し、特技を持つことがこれからの社会で重要になります」と話したが、なかなか伝わらない。親向けのレクチャーを父母会で続け、コミュニティで役立つ人材育成の実践学校の意味を伝えていきたい。

 だからと言って、外に出ることを阻むのではなく、むしろ推奨している。コミュニティをベースにしながらグローバルな視点も大切だ。国境を越えて活躍する人材は、自分の村に帰ってくるだけでなく、国境を越えてコミュニティに仕事を作り出す。日本に研修に来て英語や日本語を話すようになる生徒もいれば、全く変わらない生徒もいる。チャンスに気付く育ち方、生き方を教えていくのは難題だが、それが新しい地平を開くと思って実践する。ここに親、先生、地域という三辺の軸は欠かせないようだ。

経済性、社会性、人間性を教育

 その方法として「働き学ぶ」を実践してきた。机の上では学べないチームワーク、社会のリアルな見方、生きる技術などを学ぶ。働きながら学ぶことは、決して金稼ぎの手法を学ぶことではない。むろん経済的にバランスしないと継続できないから重要だが、それ以上に社会の問題、コミュニティの問題解決も学ぶ。そして最後は生きることを文化や歴史から学ぶ。歴史を学ぶとそこからちっぽけな人間に気付き、自然にも謙虚に向き合えるようになる。

 国毎の賃金格差の問題も真正面から捉えたい。それを解決する唯一の道は起業だろうと気付いた。すべての人の格差をなくすことは難しいが成功事例を作り、それを真似て広げていく。努力と責任を教えるのは起業が向いている。そして他国で雇われ働くのでなく、コミュニティにいて、それを実現する。

 こんな目標を立てて現地の若者が代表の会社がアジアに3つできた。今後、日本人が作った組織も、現地の人に引き継がれていく。国籍にこだわらないことになるだろう。そんな意欲のあるハングリーな若者を起業候補として10人選んだ。日本にも研修に来てもらっているが、将来その中から日本の企業の社長が生まれるかもしれない。グローバルであり、かつコミュニティをベースに国境を越えて働く人材をもじってグロミティスタッフとして選任して活躍する仕組みも育成の柱としたい。いずれ、その活躍をレポートしたい。

先見性で次の社会像を選ぶ

 それらの人材が時代を作る。今後どの技術をいかに活用するかの選択だ。環境や人間性の否定になるようなものは採用しない。儲かるから、便利だからで取り入れるのではなく、将来の社会像を描き、選択することになる。それには教える側に先見性が求められる。

 第二近代はリスクを最小にすることに優先順位を置く。技術の暴走に歯止めをかける。ときにはそれが政府の意向に反することもあるだろう。それでも主張し実践する。そんな勇気ある若者育てが第二近代実践研究会の目標だと思えてきた。それは一代では終わることのない永久革命かもしれない。決して暴力に訴えるのではなく、権力に頼るのでもなく、草の根から変えていく。その担い手も自らの生き方を変えていく。目立たないし、ゆっくりではあるが、これが第二近代的な変革だと思われる。

 第二近代という概念を提唱したベック氏は、それはアジアからと言っていた。アジア、そして多様性のインドでの実践は、そんな現場だ。そこから世界の変革を引っ張りたい。

 前号で紹介したITの活用は国境を越える武器として、使い方によって役立ちそうだ。この原稿をバンガロールで書いている。第二のシリコンバレーと言われるところだ。ここにも事務所を持った。国境を越えたIT協働の拠点にしたい。

新しい組織、新しい経営のカタチ

社長をなくせるか?

 研究会に属する10いくつかの会社の中心メンバーがまじめに議論しているテーマだ。アジアから7つ、日本から5つの組織が参加している。

 代表の肩書は社長や代表だが、それは内部的にはいらないが対外的には必要となった。法的に責任を取る人が必要だからだ。あと、ほとんどのことは社長了解が不要なのが理想だとなった。メンバーが自己の自発性と責任で自分のミッション実現を目指す。そんな個々人を管理ではなく動きやすいようにする仕組み作りがリーダーの役割となる。役割も自発的に決まっていくことも多いが、時に調整役も必要になる。英語でいうコーディネーターだ。

職場よりIT組織が優先する

 10を超える組織が組織をも超えてコトをなしていこうとすると法的な役割とは別の原理で動き出す。言語もいくつもあるとコミュニケーションも大きな課題となる。英語が中心になるが、それだけでは現場と繋がれない。地域に仕事作りを目指すには現地語が必要になる。時差もあるからいわゆる勤務時間もフレキシブルになる。残業時間はあってないようなものだ。

  メールを送ってすぐに返事ができないとチャンスを失うことも多い。ルールの一つが24時間内に返事をすること。更に、自分の不得意なことや都合の悪いことを放置することもある。1週間で動かないものは担当を変える。そうすることでブレーキが少なくなる。

加速する仕掛け

動機づけが給料や肩書だった時代から仕事そのものを楽しめるかに人々の志向は移っている。ここでの働く人の動機は社会に役立っているか、そのサービスが笑顔で迎えられるかになっていく。「いいね!」も、その一つだろうが、いかにも軽い。地域で仕事作りをミッションにしていると、そのコミュニティで認められるか、だ。存在感が重要だ。

 例えば、インドネシアの組織はごみ、ツアー、ITを同時並行で経済的自立を目指している。それぞれに社長候補がいる。将来、それぞれが自立してもITソフトは共通で、その傘の下に残る。ソフトがミッションを共有する。

  4キロ四方の地域で「ごみゼロ運動を始めた。スマホに登録するとごみがポイントになる。ポイントは現在お金に交換しているが、将来は地域サービスに交換すると地域経済の活性にもなる。地域通貨の仕組みだが、バリの空港から歩いて数分のロケーションなので旅行者も巻き込める。地域貢献ツアーとでも呼ぶものもネット上に構築中だ。その中心に安いステイ施設を持つメンバーが中心にいるので、そこを新しい働き方で「楽しく働く、遊びも生活」企業呼び込みを計画している。そこから五分も歩けばサーフィンもできる浜辺だ。労働時間に縛られることなく思い切り働き、好きに自分の時間をデザインする働き方改革の提案だ。

AI時代にサラリーマンは?

 ワークシフトが言われている。様々な業種が消えていく。日本では大銀行で年間一万人以上が整理されると読んだ。ATMからスマホ決済へ、従来の銀行窓口はいらなくなっていく。いや、すでにない国もある。役所などもっと合理化すべき筆頭だろう。いわゆる事務作業や、他人に言われてやるサラリーマン要素の強い仕事はなくなっていく。安定志向で行政に就職できたから一生安泰ということはなくなりそうだ。仕事と趣味は別で、会社は金をもらうところ、という人の職場はなくなっていくのだろう。日本の学生の志向も変わりつつあるようだが、変化にどれだけシンクロしているか、一人一人の人生を選択する時代が来た。が、それほどに、その行動も価値観も変わらない。そして、時代の変化から取り残される。

勢いのあるアジア、インド

 数か国の若者が同世代間で一つのミッションに向かって働くようになると、日本人の劣化は明確になる。日本から研究会に参加している農業団体はインターンを年間20人以上受け入れる計画だという。アジアの国では農業が就業人口の70%から80%という状態だから、当たり前に地域に農作業がある。そして、子供の頃からそこで育った彼らはタフだ。暑さに強いだけでなく女の子でも鶏を絞める。肉屋で冷蔵庫にある鶏肉しか見てない日本人とは違う。同じ人間かと疑うほどに自然との共生体験の差は大きい。机上の勉強では学べない部分だ。「働き学ぶ」が問われている。しかも、彼らはとても前向きだ。受験勉強で点数だけのところと、なんでも、これからの人生に役立てようという意気込みの違いだ。

働くことがあって学ぶ

 カンボジアで学校経営をしている団体のやり方は「働き学ぶ」だ。学歴社会は、いつのかにかそれが逆転してしまった。偏差値という物差しで人間の能力を計るようになった。嘘つきであろうが、ポジションを得られる社会になってしまった。それが権力を持てば社会の信を失わせる。もし、カンボジアの汗と現場を知り、コミュニティで共に汗を流して生きることを学んでいれば見える風景も違っただろう。

  法律が先にあるのではなく、必要に応じて作っていけばよい。それが逆転すると、こんなことになる。「忘れました」がまかり通る。社会の仕組みも作り直さなければいけないが、その変革も教育からだ。日本の三権分立が虚構になる中で、吉田松陰の松下村塾は、国境を越えてアジアでそれを教える。

アジアに松下村塾を

  まだアジアでは維新以降の日本の経済発展への評価は高い。親和的だ。いくつかのアジア、インドで講座を持っているメンバーが研究会にはいる。大学闘争世代の先生もおり、日本の失敗を伝えることも忘れない。経済の講義で、自分の運動体験を伝える。石を投げても、大きな圧力団体の長になっても、自分たちの力で政治家を作っても、社会は変わらない。一人一人の市民が自らの価値観と生活を変えない限り、この格差と自然収奪の構造は変わらない。君らの世代の改革はコミュニティから君らが作り出すと教える。社会起業の勧めだ。それをアジア10としてネット上で情報交換し、スカイプで議論し競争し、新しい価値を作り出すのにITは有益だ。次の世代はITで国境をいとも簡単に超えていく。

「超える」が時代の言葉に

 克己、自らを超える。国境を超える、政府を政治を超える。時を超える意識を学ぶことも大事だ。

 何億年の宇宙の歴史から見れば人類なんて小さな存在だ。ブラックホールの存在が写真で見ることができた。

 南インドの大学とも提携しているが、ここの博物館の仮面を見て驚いた。日本の歌舞伎そのものなのだ。そうしてみていくと楽器も、サンスクリット語から派生し、仏教用語が日本人の生活にも入り込んでいる。言葉もインドが原点であることが実に多い。

 カンボジアのアンコールワット建造にはインドの技術者が協力したという。交通がそれほど便利でない時代ではあったが、国境など軽く超えている。世界の政治の風潮が自国主義となっているが小さい小さい。文化を学ぶことだ。

本の読み方あれこれ

本の読み方というタイトルを見て、なんだか難しそう、敷居が高い、縁がない、読む気になれないという人も結構多いと思う。そもそも本をわざわざ読む必要があるのだろうかという疑問を持つ人もいると思う。今はネットで検索すればありとあらゆる情報が万単位で画面に現れる。無料だし早い。それに比べれば本は有料だし自分が知りたい情報がすぐに手に入る訳ではない。でも検索は万能だろうか。「ニューアムステルダム」という言葉は酒(ジン)であったり、ニューヨークの古い名称だったり、劇場の名前だったり…と色々な意味を持つ。どの意味を選択するかを決定しているのは検索する側だ。どの意味を選択すべきかに関する適切な情報や知識がないと、誤った検索結果を覚え込んでしまうことになる(さすがにジンとニューヨークは間違えないとは思うが)。選択する際に必要な情報や知識という背景があって初めて適切な検索ができる。通常こうした背景情報は検索する側が持っている。先ほどの例でいけば、たまたまその名前のジンを見たのだけれど、どんなものなのか知りたいなどにあたる。さてニューアムステルダムジンがどこで造られるお酒か、名前の由来がわかったとして、それでジンの歴史を知ったことになるだろうか。ジンの歴史を知るためにまた検索をしてみると、ジンを初めて作った人の名前が3種類でてくる。さらに連続蒸留だのオレニエ公ウィレムだの訳のわからない言葉が羅列されている。大学のレポートならばわからない言葉であってもコピペすれば良いかもしれないが、コピペの知識を自分の知識だと思う人はいないだろう。検索で情報を得るのと「知識がある」というのの間には結構な溝がある。

 この溝を埋めるのに役に立つのが本だといってもいいかもしれない。情報の背景を深堀する時、文字面を知っているだけではなくその意味合いも知りたいと思うとき、断片的な情報が詰まっているネットの海を検索エンジンを使って渡る方法はお勧めできない。単純に無駄が多いからだ。「情報を得た」から「知識がある」に進むには、体系が不可欠だ。体系といっても小難しい理屈ではなく、情報がまとまって入っているお弁当だと思ってもらえば良い。数々のお惣菜をあれこれと詰め込んでもなんだか統一のとれないものが出来上がってしまう。幕の内だとか、○○名物だとかの名前がついて売っているお弁当はそれなりに色目がそろっているし、味の統一感もある。本を読むというのはお弁当を購入するものだと思うと良い。手軽に主食と副菜のバランスがとれた食事がとれるのと同じように、手軽に体系だったひとまとめの情報を入手できるし、バランスよく情報が配置されている。とはいえ、このお弁当は食べるのにコツがいる(と思う)。まぁ所詮お弁当の食べ方だから作法というよりも個人的な好みの範疇だとは思うのだが、私のコツを紹介しておこう。

 1)目次と索引は活用しよう。

 大抵の本には目次がある。索引はついていない本が多いがちょっと専門的な本ならばついている。さて、この目次と索引はお弁当の包みと名前のようなもの。どんな内容の情報が入っているのか見当をつけるためにすごく役に立つ。とくに何か特定の情報を背景付きで探りたいときに役立つのが索引だ。自分が求めているキーワードがあるかどうか、あるのなら何頁分の分量になっているのかが一目で分かるのが索引である。索引でキーワードがあって1頁以上の分量があれば、まずそこを覗いてみる。わかりやすそうかどうか、自分が知らない事柄が載っているかどうかを点検する。求めている情報がありそうだとわかったら、その頁が属している章など一定のまとまりをなしている部分を読めば良い。本だからといって、最初から最後まで読み通す必要はない。ところが索引は便利なのだが、ついている本が少ない。なので通常は索引の代わりに目次を使う。目次の場合はキーワードがそのままというわけにはいかないが、それでも似たような言葉が載っていたら、まずその部分に目を通せばいい。当たりかどうかがわかる。さらに目次を読めば、その本の雰囲気とか取り扱っている題材がわかってくる。自分が読もうとする本が適切な情報を含んでいるかどうかを見定めてから、本を読む方が効率的だし、読む気も起きるだろう。ちなみに目次で内容や雰囲気をつかむという方法は情報を探したり知識を得たりするだけじゃなくて、楽しみのために本を読む場合にも役に立つ。私は推理小説が好きだけど、新しい作家の小説を買うときは、目次を見て興味をそそられるかどうか食指が動くかどうかで選んでいたりする。

 2)前書き(はじめに)後書き(おわりに)は概略を示してくれる。

 前書きとか後書きとか、解説とか、本には本文の前や後ろにいろんなものがついている。これだけを読むという方法もある。前書きなどはその本を書いた作者の動機や問題意識が書かれてある。後書きなどは、書き手が作者の場合はその後の課題だったり、書いた後の感想だったりするし、他人だったらその本の意義だとか面白さが書かれていたりする。前書きと後書きを読めばその本の概略が何となくわかると思っていい。それに作家が書いた場合は、その前書き等の文体が合わないと、本文を読むのが辛いだけになる。だから着いていたら目を通すべきだ(一部ネタバレ注意もあるけど)。楽しみのためだけでなく知識を求める場合でも、その本が初心者向けか専門家向けかを判断するためにも前書きは肝心だ。前書きに書かれているのがやたらと細かい情報で、言葉も難しいようなら、その本を読むのはやめて、別の本を探した方が良いだろう。また何となく「合わないな…」と感じる文体で書く人もいる(専門書であっても)。これは私の悪い癖でもあるのだけれど、でも個人的には文体的が合わない人の本を読むのは(仕事などでどうしてもという場合を除いて)お勧めしない。精神衛生上悪いからだ。どんなに有益な情報であっても読んでいてどうにも合わない文体で書かれていると、決して自分の中に入ってはこない。むしろ感情的な反発や嫌悪感が先に立つ場合があるので、注意が必要だ。だからなんだか合わないと感じたときは、その本をおいて、別の人が書いたその分野の本を探した方が良いと思う。

 3)斜め読み、飛ばし読みの勧め。

 斜め読みや飛ばし読みは悪いことではない。小説はそうはいかないが、知識を得るための本であれば、目次を見て良さそうだと思った中で、特にここが面白そうというところから読むのは良いことだと思う。もちろん本は体系だっているから、途中から読み始めるとわからないことが多くなる。けれど、はじめから読んで疲れるよりは、つまみ食いも良いものだ(まぁ幕の内弁当の中の好きなおかずから食べるようなもの)。分からない言葉が出てきたり、前後の脈略がよくわからないと思ってから、最初に戻って読むのは案外苦にならない。なぜって「知りたい」という思いがあるからだ。

 4)多読の勧め。

 図書館でも大型書店でも良い。とにかくたくさん本のあるところで目次読み、前書き等の概略読み、斜め読み、飛ばし読みをたくさん試してみること。そのうちに相性が分かってくる。まぁマッチングパーティーとか合同説明会みたいなものだ。それだけではない。ある特定の分野(図書館でも書店でも同じところに集まっている)でこの読み方をし続けると、なんとな~くだけど知っている事柄が増えてくる。あの本のこの情報と、こちらの本のこの情報って似ているとか、なんか結びつきそうとか、え~嘘!違ってるじゃんなんてことが感覚的につかめてくる。そうなるとシメタもの。それは自分なりに自分のお弁当を作る腕ができてきたということだ。本は他人が作ったお弁当だから、味が濃すぎたり、好きじゃないおかずが入っていたり、逆に食べたいものが入っていなかったりする。ある程度数をこなすと自分の好みもはっきりしてくるし、役に立ち身になる情報とそうではない情報の区別もできるようになる。なにより情報の中身に精通してくるので、材料となっている情報の善し悪しが判別できるようになる。また調理の方法(文体とかね)もよく分かってきて、腕の善し悪しも分かってくる。複数の本の中から特定の情報をうまく取り出して、自分なりに調理することもできるようになる。たとえば北欧の福祉国家の実態を知るために専門書を読むのは有益だし必要だけど、社会派の推理小説を読むのもお勧めなのだ。小説のほうがその社会を切実に鮮明に捉えていたりして興味や関心が湧いたりする。本を読むときに何より大事なのは知識欲だと思う。知識欲を持つきっかけは何だっていい。本を読む究極のコツは好奇心を失わないことだと思う。

曖昧な日本の…

日本の若者には元気がない、覇気がない、やる気がない、よくいわれている。内向き志向、縮み志向といった言葉も日本の若者の同じような生態を表す言葉だろう。これに対して、何事にもどん欲で、上昇志向で、目的意識が強く、活気にあふれ、外へとどんどん出て行くのがアジアの若者。エネルギッシュだ。日本の若者はどうも分が悪い。そしてグローバル時代の今、若者がこんなざまで日本は(あるいは日本人は)どうなるのか!と危機が叫ばれる。私はこの危機のすべてを否定するつもりはない。けれどその危機を日本特有のものとしたり、危機対処策として若者を厳しく鍛え直す必要性が叫ばれたりすると、ちょっとした違和感を覚える。

 歴史上、隆盛を誇った国や体制がピークを過ぎた頃。「近頃の若者は軟弱だ」「何を考えているのか」「豊かな生活に甘えてダレきっている」といわれる。右肩上がりの成長を続けた勃興期、社会変化を受けた変革期に比べ、自分の生活中心で社会のことを考えなくなっているとも批判される。そう、今の日本の若者に投げかけられる言葉の60%ぐらいがいつも繰り返されている言葉だ。共通の表現の根っこには共通の要因が潜んでいると思ってよいだろう。私が考える共通要因は共通目的の喪失だ。共通といっても意識して共有されているとは限らない。時代の風とか時代の精神とか、日本的にいえば「世間の常識」といったものとして、無意識の裡にしっかりと人々の生活や行動、思考様式に根を下ろしているものだ。高度成長期の日本でいうと「明日は良くなる」という考え方になるだろう。今のアジアの若者たちもそう考えているのかもしれないが、高度成長期の日本の若者たちは、自分が努力すれば明日は(近い将来は)きっと良くなる、良い生活(良い給料、良い家、良い…)が得られると思っていた。

 今の日本はどうだろう。時代の風とか精神というと不透明・不確実・想定外という言葉が浮かんでくるのだが、この原稿の読者であるあなたは何を思い浮かべるだろうか。物質的には豊かになった、確かに今日の食べ物はあるかもしれない。でもこの先どうなるのかよくわからない。今はなんとか職についているけれど、来月は、来週はどうなるかわからない。自分は運良く職に就けたけど、先輩は、後輩は…(本当は自分だって運が悪かったら…)。努力と成果が直結していると素直に信じきることができない時代にいるのではないだろうか。逆説的にだからこそ、一部の若者の間で自己責任が叫ばれ、保護を受けている人たち(彼らからみれば努力せずに報酬を受け取っている人たち)に対するバッシングが流行しているのではないか。「あいつ」たちが失業しているのは、惨めな思いをしているのは、保護を受けなくてはならないのは、怠けていたからだ。努力している自分は決してそんな目に遭うとことはないのだと信じたいがために、自己責任を叫び立てているのではないだろうか。全てが自己責任ならがんばっている自分は報いられるはずなのだから。

 話がそれてしまったが(とはいえ結構同根だと思っているのだけれど)要は豊かだけれど、あるいは豊だからこそ、先の見通しがつかなくなっているのではといいたいのだ。別段不況で就職難で雇用不安だからというだけではない(もちろんそれも大きな要因だが)。かつてのように収入が増えれば「良い」生活が得られると考えられない。なぜって「良い」生活の良さがいろいろあるんだといわれているから。目的を持って生きろといわれるけれど、じゃあ目的って何ですかというと、自分で見つけれろ甘えるなといわれる。でもそういっている側はどうかといえば、自分で目的が明確にあった訳ではなく、やはり何となく生きてきただけだったりする。それでも目的があるようにいえたのは、時代の風が目的を設定してくれていたからだ。まずは「豊かになろう」と。でも豊かさって「何の」豊かさなんだろう(お金の?人付き合いの?丁寧に生きるって?貧しくても豊かだって??)。「良い」も「豊かさ」もかつてのような共通のイメージを呼び起こさない。だから自分で考えろといわれる。そしてそれこそが自立なのだといわれる。

 自分で考えること、自分で問うことが大事なのは言うまでもない。でも自分で考えるためには何かしら基盤が必要だ。考え、疑問を呈し、ぶつかるための強固な基盤。ところが、そんなものは「ない」というのが世間の常識だ(本当にないのかどうかはこの際どっちでもいい。ないということになっているのが重要なのだ)。更地から考えること、更地から何かを打ち立てることはしんどい。それよりは目的なしといわれようと、何を考えているんだかといわれようと、「ある」ようにみえるレールに従ったまま、これまで通りに生活を続けて行く方が随分と楽だ。前ではなく下を向いて(そうすれば躓かずにすむ)、決して高望みせず(そうすれば失望せずにすむ)、失敗しても悔しがらず(そうすれば失敗の傷を小さく思うことができる)あるいは失敗を受け入れて(本当は受け入れていないけれど、「わかりました」といっておけば二度とは追求されない)…。

 人間は何時いかなる時代でも、東西を問わずどこでも、一般に(つまり普通なら)辛いよりも楽な方を好むし、何かをして傷つくよりは何もしないことを好む。だから今の状況で日本の若者に冒険的であれ、どん欲であれと望むのは身勝手な話だ。ピークを迎えて嗜好や価値観や生き方が多様だということが建前上であれ「常識」の社会では、若者は未来に賭けることができない。賭けるものが大きいからではない、賭けの報酬が曖昧だからだ(何円あたるかわからない宝くじを誰が買うだろう)。タイトルを「曖昧な」としたのはこのことだ。

 さて、ではこの曖昧な状況の中でそのまま座してひたすら黄昏れていくべきなのだろうか。その道も「有り」だと思う。ただその道はリスクが高い。黄昏れるということは、いわゆるグローバルな競争から降りるということだ。競争から降りた結果、追い抜かれて、馬鹿にされて…でも淡々と生きることができる人はごく少数だと思う。追い抜かれ相手が自分のことをせせら笑っていると思っらコンチクショウと怒る。怒っても自分に実力が伴わない時人間は卑怯になる。自分に実力がないことを泰然自若と受け入れることができずに、相手の揚げ足を取ったり姑息な手段に訴えて相手をおとしめたりしがちだ。そう、黄昏れるという道をとるならば、日本の若者は真剣に自分の品性を磨かなくてはいけない。グローバルな競争という一元的な価値観に決して振り回されることなく、相手を貶めることなく、かといって自分を卑下することなく、淡々と生きることができるための確固とした何かを自分のうちに築き上げなくてはならない。それは結構大変なことだ。

 黄昏れることが難しいならどうすればいいのだろうか。曖昧な状況の中で、共通の目的もなく、黄昏れることもできず、いわゆるグローバル競争で勝ち残るだけの気力や意欲も持てない。きわめて中途半端、まさに曖昧そのものだ。今の若者の姿とどこかだぶって見える。そして私はこの曖昧さの中で曖昧さともがき続けることが、日本の若者の道なのではないかと思っている。もしかすると日本の若者にしかできないことなのかもしれないとさえ思っている。なにしろノーベル文学賞受賞記念講演のタイトルが「曖昧な日本の私」、水墨画にしろ洋画にしろ日本に来ると湿度に満ちた曖昧風となり、白と黒の淡いに百匹の鼠(色)を見いだす。そういう風土と文化に育ってきた日本の若者(国籍ではない、この土地と風土で育っているとどうしてもそうなってしまうのだ)。共通の目的を喪失し曖昧な状況に陥るということが、繁栄のピークを過ぎた「成熟社会」の共通特質だとしたら、曖昧な風土に育った日本の若者はその曖昧さを活かして曖昧な中で生き続ける新しいモデルを作るという道があるのではないだろうか。一見熱のない、ちゃらんぽらんな生き方と区別がつかない道でもある。でも常に留保条件を付け別のやり方や道を意識する曖昧さとちゃらんぽらんな生き方との差は確かにある。それは「自分で決めた」という意識を捨てないことだ。たとえそれが本当は単なる偶然にすぎなく、一時の気まぐれだったりしても、「なんだかんだいっても自分が決めたんだし」と自分自身に対してちゃんといえるかどうかだ。ちゃらんぽらんな生き方にはこれがない。逆に「親がいったから」「会社の命令だから」「いやその時はそれが正解だって風潮だったし」という他人の決定がある。そこさえわきまえていれば、道は千差万別きわめて曖昧。だけどその曖昧さを楽しむ知恵は日本の風土と歴史と知恵の中に埋もれていると思うのだ。

その事実、本当に事実ですか?ー数字って意外に嘘つき

なんだか今回はキャチコピーのようなタイトルになってしまったけれど、3.11以来、数字のマジックというものをつくづく考えさせられてしまうことが多いのだ。数字のマジックといっても、数字自体が間違っているというのは論外。というよりむしろ質がいいのかもしれない。事実ではないということが調べればすぐにわかるからだ。このごろ増加しているのが「数字は間違いではないが伝え方によって意味合いや印象が異なってしまう」という例だ。

 「死因順位別にみると、第1位は悪性新生物(ガンのこと)…全死亡者のおよそ3人に1人は悪性新生物で死亡したことになる」。この文章は厚生労働省の統計から引用したものだ。さてこの数字やこの文章がガン保険の宣伝に使われていたら、どう感じるだろう。ガンで死ぬ人は3人に1人なのだから、自分もガンになるかもしれない、今のうちに保険に入っておかないと…という不安にかられないだろうか。これがいわゆる数字のマジックである。マジックの種は「全死亡者」にある。「全死亡者」というような、日頃自分が使っていない言葉を前にすると人間は、それを自分にとってなじみのある言葉や概念に置き換えてしまう傾向があるという。この場合「全死亡者」は「全ての人」に置き換えられやすい。全ての人は必ず死ぬ訳のだからといって、そう置き換えて…は「いけない」。全死亡者はその年に死んだ人全員である。この文章は平成20年の統計のものなので、全死亡者数は114万2467人、ガン死亡者数は34万2849人(30%)。これに対して同年の全人口は1億2769万2000人。ということはガンで死ぬ人は全人口比だと2%強。さぁどうだろう。先ほどと数字から受ける印象は随分違っていると思う。

 もう一つ古典的な例としてはグラフの縦軸の比率を変えるといったグラフのマジックもあるが、このマジックを文章で説明するのは難しいので、似たような例としてある心理実験をあげておこう。アイスクリームがカップに入っている写真を想像してほしい。一枚目は250ml入りのカップにアイスクリームがあふれんばかりに入っている(カップの大きさは250mlと書いてある)。二枚目ではアイスクリームはカップにちょっきり収まっている(カップの大きさは300mlだ)。二枚の写真を順番に見た被験者のほとんどが一枚目のアイスクリームを選択するという。見た目「山盛りで多そう」だからだ。逆に二枚の写真を一度に見せられた被験者のほとんどは二枚目を選んだ。比較対象があることで冷静に二つを比べ数字を確かめたからだ。心理学や行動経済学の近年の実験や観察から、人間は山盛りの外見に惹かれやすいーわかりやすい指標に飛びついて判断しがちだということがわかってきている。

 さてさて、このところの報道やネットの記事等々で「見やすく」「わかりやすく」「違いが際立つ」文章やグラフを見かけなかっただろうか。そして何となく数字があるから、データがあるから、きっとこれは確かな事実なんだと思いがちではないだろうか(といっている私も実は数字には極端に弱い。だから数字やグラフがあると詳細に検討せず、鵜呑みにしがちである)。「事実」と思えるように、嘘とはいわないまでも微妙に誤解を招くような文脈で語られていることに気がつかないまま、なんとなく見出しや字幕やコメントを見聞きして、なんとなくそれが事実だと思って、なんとなく不安感や不信感を持ったり、なんとなく「悪いのは…だ」と思ったり…というようなことが、近頃多いような気がする。なによりこのごろ世の中には悪いニュースが満ちている。災いをいち早く知らせることがニュースの語源だと聞いたことはあるけれど、それにしてもちょっと遣り過ぎ何じゃないかというぐらい、新聞各社の見出しは不安と不信と危機の連続だ。就職危機に雇用危機、子供は貧困に陥り、放射能や農薬その他諸々で国土は汚染され、農林水産業は衰退の一途で食料不足が起きる可能性が大、エネルギー不足は目に見えており、近隣諸国からは常に武力で圧力をかけられ、同盟国も頼りになるのかならぬのか、政治は機能麻痺で、政財界は汚職まみれとマスコミ各社の見出しは疲れ知らずだ。本当にこの日本のことなのかと疑ってみたくなる。その報道が全く嘘だとはいわない。日本が順風満帆だともいわない。けれどなんだか危機や不安が喧伝されっぱなしで、耳目を集める「事実」だけが消費されていっている気がする。

 だからマスコミはと批判したいのではない。マスコミとて商売だから「売れる情報」を優先する。危機意識をあおる情報が確実に売れるのは、人間が動物であり危機に敏感にならざるを得ないから仕方がない。かといってメディアリテラシーの向上をいいたいのでもない。先に書いたようにわかりやすく目を引きやすい情報によって判断しがちなのは、人間の業、性(さが)でもある。微妙な嘘や欺瞞を追求するのも本心ではない。そうではなくて微妙は嘘や欺瞞とうまく付き合う術を一人一人が考えた方が良さそうだということを言いたい。というのも、人間である限り一人一人全員が日常生活の中で微妙な嘘や欺瞞を発しているし、それに付き合わざるを得ないからだ。自分で見聞きしたことだから、経験したことだから、それは事実だし真実に違いないと私たちは思いがちだ。けれど人間の記憶に残る事実は常に「現在から見た過去」でしかない。あるいは日常的知識の文脈の中で解釈された事実、注意を喚起されることで切り取られた事実でしかない(バスケットボールの試合のビデオを見ながら、パスが誰から誰に何回渡ったのか空で記憶するようにといわれた被験者は、コートのど真ん中を横切るゴリラに全く気がつかないという実験結果がある)。私自身、自分の過去を今の自分に都合の良いように解釈し記憶している。夫婦喧嘩の時、過去の出来事を互いに全く逆に覚えていた事実に気がついて愕然としたこともある。大はマスコミから、小は自分自身や周りの人々まで、私たちは微妙な嘘…といってよいどうかわかないが、文脈に依存する解釈の海の中で生きている。

 その中で私たちはともすれば極端な行動をとりがちだ。マスコミがだめならブログ、西洋医学がだめなら代替医療等々。AがだめならBしかない。最初に書いた数字のマジックもそんな極端な行動を後押しする。なんとか確実で信頼のおける安心安全100%を求めて…。でもそれは人間である限り望むべくもないことだ。何故なら人間が関わる限り100%の事実はあり得ない。一人一人それぞれの事実がそれぞれの濃淡を伴いながら存在するだけだ。微妙な濃淡、微妙な嘘、解釈の海の中で、100%を求めようとするとかえって極端な行動をとることになる。あるものやある出来事、ある情報のなかに見つけた一つの嘘で、そのすべてを否定することになる。かといって、全てを否定して何でもかんでも自分で確かめようとしても、それは一人の人間の能力を超えてしまうし、第一不安で不安で正気を保つことも危ういだろう。何を信用したらいいのかと思い倦ねるときほど、嘘をついていないように見える、根拠があって確からしくって、他者の嘘を暴き自分の真理を決然と主張するものは魅力的に見える。それを100%信頼したくなる。こうして私たちは(私も含めてだ)AがだめならBという行動をとってしまう。

 でも、もうそろそろやめよう。この世の中が微妙な嘘で出来上がっていることを引き受けよう。100%の真実、事実はないかもしれない。でも100%意図的な嘘、欺瞞で全てが出来上がっているのでもない。頑なに嘘を拒絶する姿勢は、逆に嘘につけ込まれやすくなる。頑なに力を込めた防御の構えほど、脆く隙だらけなのと一緒なのかもしれない。武道の達人によると、一番強いのは全身を柔らかく保っておくこと、どこかに力を偏らせることなく、いつでもどの方向にでも対処できるように構えておくことなのだそうだ。不安だとか不信だとか危機が喧伝される今の時代に必要なのは、心を柔らかに保っておくことなのかもしれない。いつでも人を信じることができて、いつでも人を許すことができる。でも「なぜ」「どうして」と問うこと、疑問を持つことは忘れない。体の軸をぶらさずにふんわりと構えるのが武道の達人だとすれば、この世の中を行き来する達人は、自分軸をぶらさずに他人をふんわり信じられる人なのかもしれない。

 そんな達人になるにはまだまだ道は遠いけれど、でも心を柔らかにおおらかに保つ意識はずっと持っていたい。