戦国BASARA、信長がなぜうける?

 年のNHK大河ドラマは『軍師勘兵衛』で久方ぶりの高視聴率…らしい。面白い事に、この頃四半期13クールで変わる(私たちの頃は1年1クールだったのだが)アニメ業界も戦国物が多い。ただし真面目でお固い(?)NHKとちがって、こちらは時代考証無視、時代背景もどちら側が勝ったなども適当に無視してよいから、結構面白い。

 何しろ信長とアレキサンダー大王が巨大ロボットにのって対戦する(ちなみにアレキサンダー大王を率いて信長に敵対しているのは、かのアーサー王である。チャンと聖杯もでてくる。ものまである。「助さんや、格さんや」で始まり、20時45分になれば「この印籠が…」という台詞が決まって流れていた昔とはエライ違いである。

 今回奥谷さんから「日本の若者は何故チャレンジしないんでしょうね」と投げかけられた時、真っ先に頭に浮かんだのがこの改変された戦国もの(最初は戦国BASARA辺りらしい。バサラといえば室町時代なのだが…)の多さなのだ。で、その一瞬後「なんで改変戦国もの、特に信長の名前とチャレンジしない若者が私の中で結びついたんだろう」と自問自答し始めた。メールだったからよかったが、時々私はこういう風に自分で思いついたり、言った事の理由が分からなくて、自問自答し始める事が多い。同席している人の話には生返事するようになる。慣れている友人によると「シャットダウンして、別の世界に行ったみたい」になるのだそうだ。で、今回もその自問自答モードに入ったのだが、なかなか答えが出てこない。第一社会学者ではないから、いつ頃から増え始めたのか、一体本当に全アニメの中で「多い」と断言できる程の多さなのかはわからない。おそらくは対戦ゲームや戦略ゲームのアニメ化から始まったのだろうと推測するだけだ。少なくとも断言できるのは40年前にはなかったぞ!ということだ。ちなみに40年前のアニメといって分かる人は少ないと思うので、1979年に「機動戦士ガンダム」が放映されているとだけいっておこう。

 時代は日本の経済成長がピークを迎え、やがてバブルへと突入する10年程前。アニメが子ども向けだけでなく、中学高校生を対象として作られ始めた初期の頃である。中高生なりにアニメ世界の登場人物になったり、新たな人物としてアニメ世界に変化をもたらす(同人誌)ことは、オタクと言われない人間にとってもごく普通の脳内妄想の一つだった。

 さて、改変戦国ものに戻ると、このストーリーに「自分らしき人物」(能力や外観は違っていても自分の性格の一部を切り取った人物)を登場させる事が可能なのだろうかと思ってしまう。というのもこういったアニメには「普通の人間」がいないからだ。かつてのアニメはごく普通の人間が巻き込まれて…だった。自分とほぼ同じ年齢、外見も当初の能力も普通の人間が主人公だった(もちろん特殊能力が発現したり、特殊能力を持つためのグッズを持っていたりしても)。けれど改変戦国ものの多くは「既に異能をもった戦国武将」が溢れている。こうした「異能者」に溢れた世界では、ごく普通の人間は異能者のファンとして自分を位置づける事になるのだろう。歴女ブームがいつから始まったのか分からないのだけれど、当初彼女たちがファンになったのは「かっこ良くて爽やかな伊達政宗」であって、歴史上の伊達政宗ではなかっただろう(近頃は某航空会社の旅行案内番組に登場して、ふるう必要のない槍をふるっている)。男性であれば「侠気」だとか「漢」「義」に殉じる姿に憧れるのだろう(かつて学園紛争時代に日活ヤクザ路線の映画が流行ったように。違いは、あの時代に高倉健を見て「かわゆい~」と言う女性がいなかったぐらいじゃないかと思う。「可愛いは世界を制する」時代になったのだー余談)。

 と、ここまで自問自答モードが続いて、やっとこさ私は何故奥谷さんの質問にすぐに「戦国武将もの、信長がなぜもてる」で始めましょうかと答えたのか、何となくわかってきた。

 アニメの戦国武将の中でもダントツ出現率が高いのは信長である(悪役・主人公・脇役を問わない)。それは彼が実際に戦国時代に活躍した…からではないと思う。破壊者として従来のルールを全て破り、一方で建設者として新たな日本を創造しようとしていた。この両面性をどう描こうとも「話」になる。加えて主要な戦国武将と何らかの関係を持っているからストーリーに登場させやすいといった制作会社側の理屈だけではないと思う。歴史上も「異能」を思わせる存在感を持っており、短い人生を燃やし尽くしたと思える人物像。戦国者だけでなく幕末者でも人気があるのはこういう人物だ。

 彼らは何らかの意味で「チャレンジャー」だ。しかし普通の人間ではない。信長は元来領主の息子だし、幕末の人物であれば動乱期とはいえ武士階級か武士階級に認められた人物である。部下もいる。資金もある。アニメともなればさらに「異能」を付与されている。ファンとして仰ぎ見る存在、でも実際自分がその人生を生きられるか?と問われると元々から…?がつく存在(特に普通に生きる事が夢である若者たちにとっては)、喝采を送りながらそのアニメを楽しむかもしれないし、グッズを集めるかもしれないけれど、アニメの世界に入り込もうとはしない…のが大多数だろう。(たとえ参加するにしても登場人物となってであって、自分の分身ではないだろう)。

 日本社会で「チャレンジャーになる」、「チャレンジ」することは、いつもこんな風に「時代を変革する」「社会を変革する」大事としてイメージされていないだろうか。起業家として一世を風靡した人(ホリエモンを含めて)はマスコミに大々的に取り上げられ、彼ら彼女たちの活動がいかに日本社会を変革したかが、些か以上に大げさに風潮される。今流行りの社会起業家だって、マスコミに出てしゃべる事は「世の中を変えたかったんです」になる。彼ら彼女たち個人を攻撃しようとは思わない。むしろ問題視したいのは「取り上げ方」なのだ。あたかも「特別な」「異能を持った」人間でないとチャレンジできないような、そんな報道のされ方が、戦国アニメと二重写しになるのだ。

 かてて加えて何かを始める時のハードルは高い。屋台で食べ物を売るにも資格と許可がいる。アメリカで小学生は屋台でレモネードを売る。そんな事は日本ではあり得ない。小学生が商売をする事はできない。ボランティアだけだ。クラウドファンディングという言葉がない頃、発展途上国で商売を始めたい個人と、寄付してもいい先進国の人をつなぐサイトが、テレビで紹介された事がある。その時発展途上国で商売を始めようとする女性が必要としていたのは、資金と設備だった。資金といっても今までの倍ピーナッツを仕入れるお金であり、設備は作ったピーナッツバターを小売りするためのタッパーウェアだ。さて、日本だとどうなるだろう。自家製のピーナッツバターを売り出すとなると、まず食品衛生法をクリアするための衛生設備が必要となり、小売りのための瓶なりパッケージが必要となり、流通経路を探さなくてはならなくなり…と「教えられる」。そして大げさに「岩盤規制」といわれ、この規制をクリアするためにチャレンジャーがどのような苦労をしたかが大げさに語られる。

 若者にチャレンジ精神がないと日本の大人は言う。そういいながらチャレンジするためのハードルはこんなに高いんだぞと見せつけている。そんな中でちょっとチャレンジ精神のある若者は、まず手近な試みとして「チャレンジして成功した大人」と「やる気のある若者」の交流会を企画する(それを手助けしてもうけている企業もある)。そうすると、周囲の大人は「素晴らしい。立派な若者のだ」とほめあげる。本人は何事かを成し遂げたような気になる。周囲の若い人も「すごいよなぁ」となる。冷静に考えてみよう。当人は何事かにチャレンジした訳ではない。新たな者を作り出した訳ではない。単にコンパを企画して人を集めただけと言われても仕方がないのだ。そしてその企画に出席した若者が、刺激を受けて起業したという話も寡聞にして知らない(地域活性化に成功した中山間地域には次々と視察団が集まるが、一向に活性化の波が起こらないのと同じ構造だ)。聞くだけ、勉強しただけで…という手本を大人が見せているのだから、若者が倣ったとしても不思議はないだろう(ほら、戦国アニメのファンになるのと一緒だ)。

 ハードルは高くとても越えられそうにないけれど、ファンとしてファンの同好会を開いたら褒められるなら、そちらをとるのが人間というものだろう。

 でも、よく見てほしい。君の近所にいる個人商店の人は君と変わった「異能者」だろうか。20年以上続いている個人商店は何故続いているのだろう。特別の技術を持っているのだろうか。そしてそうした商店の親父さん、おかみさんは日々「チャレンジ」していないだろうか。(全ての商店がチャレンジしているとは言わない。でも長年商売を続けるためにはそれなりの工夫が必要なはずだ。それが単純に親父さんの好みを貫いているだけだとしても)。

 小さなチャレンジは報道される事はない。単なる日常茶飯事になる。そんな社会に日本人はいきている。そしてその社会でチャレンジとして認められるには「異能」でないといけない。

 もし、日本の若者にチャレンジ精神を求めるのなら、チャレンジが30センチの幅の溝を越える事にすぎない事だという事、どんな規制にも工夫すればチャンと抜け道があること(それも若者なりの)、味方や仲間は最初からいる者ではない事、でも続けていれば支援する人が現れる事。そういう非常に常識的な事をチャンと伝える事から始めないといけないと思うのだ。

 戦国時代の武将はかっこ良く槍を振り回しはしない。あれは敵をたたき落とすために使う。泥だらけになって、生き残るために、生き延びるために戦う。その戦いに異能はいらない。日常生活の中での工夫と運が必要なだけだ。

曖昧な日本の…

日本の若者には元気がない、覇気がない、やる気がない、よくいわれている。内向き志向、縮み志向といった言葉も日本の若者の同じような生態を表す言葉だろう。これに対して、何事にもどん欲で、上昇志向で、目的意識が強く、活気にあふれ、外へとどんどん出て行くのがアジアの若者。エネルギッシュだ。日本の若者はどうも分が悪い。そしてグローバル時代の今、若者がこんなざまで日本は(あるいは日本人は)どうなるのか!と危機が叫ばれる。私はこの危機のすべてを否定するつもりはない。けれどその危機を日本特有のものとしたり、危機対処策として若者を厳しく鍛え直す必要性が叫ばれたりすると、ちょっとした違和感を覚える。

 歴史上、隆盛を誇った国や体制がピークを過ぎた頃。「近頃の若者は軟弱だ」「何を考えているのか」「豊かな生活に甘えてダレきっている」といわれる。右肩上がりの成長を続けた勃興期、社会変化を受けた変革期に比べ、自分の生活中心で社会のことを考えなくなっているとも批判される。そう、今の日本の若者に投げかけられる言葉の60%ぐらいがいつも繰り返されている言葉だ。共通の表現の根っこには共通の要因が潜んでいると思ってよいだろう。私が考える共通要因は共通目的の喪失だ。共通といっても意識して共有されているとは限らない。時代の風とか時代の精神とか、日本的にいえば「世間の常識」といったものとして、無意識の裡にしっかりと人々の生活や行動、思考様式に根を下ろしているものだ。高度成長期の日本でいうと「明日は良くなる」という考え方になるだろう。今のアジアの若者たちもそう考えているのかもしれないが、高度成長期の日本の若者たちは、自分が努力すれば明日は(近い将来は)きっと良くなる、良い生活(良い給料、良い家、良い…)が得られると思っていた。

 今の日本はどうだろう。時代の風とか精神というと不透明・不確実・想定外という言葉が浮かんでくるのだが、この原稿の読者であるあなたは何を思い浮かべるだろうか。物質的には豊かになった、確かに今日の食べ物はあるかもしれない。でもこの先どうなるのかよくわからない。今はなんとか職についているけれど、来月は、来週はどうなるかわからない。自分は運良く職に就けたけど、先輩は、後輩は…(本当は自分だって運が悪かったら…)。努力と成果が直結していると素直に信じきることができない時代にいるのではないだろうか。逆説的にだからこそ、一部の若者の間で自己責任が叫ばれ、保護を受けている人たち(彼らからみれば努力せずに報酬を受け取っている人たち)に対するバッシングが流行しているのではないか。「あいつ」たちが失業しているのは、惨めな思いをしているのは、保護を受けなくてはならないのは、怠けていたからだ。努力している自分は決してそんな目に遭うとことはないのだと信じたいがために、自己責任を叫び立てているのではないだろうか。全てが自己責任ならがんばっている自分は報いられるはずなのだから。

 話がそれてしまったが(とはいえ結構同根だと思っているのだけれど)要は豊かだけれど、あるいは豊だからこそ、先の見通しがつかなくなっているのではといいたいのだ。別段不況で就職難で雇用不安だからというだけではない(もちろんそれも大きな要因だが)。かつてのように収入が増えれば「良い」生活が得られると考えられない。なぜって「良い」生活の良さがいろいろあるんだといわれているから。目的を持って生きろといわれるけれど、じゃあ目的って何ですかというと、自分で見つけれろ甘えるなといわれる。でもそういっている側はどうかといえば、自分で目的が明確にあった訳ではなく、やはり何となく生きてきただけだったりする。それでも目的があるようにいえたのは、時代の風が目的を設定してくれていたからだ。まずは「豊かになろう」と。でも豊かさって「何の」豊かさなんだろう(お金の?人付き合いの?丁寧に生きるって?貧しくても豊かだって??)。「良い」も「豊かさ」もかつてのような共通のイメージを呼び起こさない。だから自分で考えろといわれる。そしてそれこそが自立なのだといわれる。

 自分で考えること、自分で問うことが大事なのは言うまでもない。でも自分で考えるためには何かしら基盤が必要だ。考え、疑問を呈し、ぶつかるための強固な基盤。ところが、そんなものは「ない」というのが世間の常識だ(本当にないのかどうかはこの際どっちでもいい。ないということになっているのが重要なのだ)。更地から考えること、更地から何かを打ち立てることはしんどい。それよりは目的なしといわれようと、何を考えているんだかといわれようと、「ある」ようにみえるレールに従ったまま、これまで通りに生活を続けて行く方が随分と楽だ。前ではなく下を向いて(そうすれば躓かずにすむ)、決して高望みせず(そうすれば失望せずにすむ)、失敗しても悔しがらず(そうすれば失敗の傷を小さく思うことができる)あるいは失敗を受け入れて(本当は受け入れていないけれど、「わかりました」といっておけば二度とは追求されない)…。

 人間は何時いかなる時代でも、東西を問わずどこでも、一般に(つまり普通なら)辛いよりも楽な方を好むし、何かをして傷つくよりは何もしないことを好む。だから今の状況で日本の若者に冒険的であれ、どん欲であれと望むのは身勝手な話だ。ピークを迎えて嗜好や価値観や生き方が多様だということが建前上であれ「常識」の社会では、若者は未来に賭けることができない。賭けるものが大きいからではない、賭けの報酬が曖昧だからだ(何円あたるかわからない宝くじを誰が買うだろう)。タイトルを「曖昧な」としたのはこのことだ。

 さて、ではこの曖昧な状況の中でそのまま座してひたすら黄昏れていくべきなのだろうか。その道も「有り」だと思う。ただその道はリスクが高い。黄昏れるということは、いわゆるグローバルな競争から降りるということだ。競争から降りた結果、追い抜かれて、馬鹿にされて…でも淡々と生きることができる人はごく少数だと思う。追い抜かれ相手が自分のことをせせら笑っていると思っらコンチクショウと怒る。怒っても自分に実力が伴わない時人間は卑怯になる。自分に実力がないことを泰然自若と受け入れることができずに、相手の揚げ足を取ったり姑息な手段に訴えて相手をおとしめたりしがちだ。そう、黄昏れるという道をとるならば、日本の若者は真剣に自分の品性を磨かなくてはいけない。グローバルな競争という一元的な価値観に決して振り回されることなく、相手を貶めることなく、かといって自分を卑下することなく、淡々と生きることができるための確固とした何かを自分のうちに築き上げなくてはならない。それは結構大変なことだ。

 黄昏れることが難しいならどうすればいいのだろうか。曖昧な状況の中で、共通の目的もなく、黄昏れることもできず、いわゆるグローバル競争で勝ち残るだけの気力や意欲も持てない。きわめて中途半端、まさに曖昧そのものだ。今の若者の姿とどこかだぶって見える。そして私はこの曖昧さの中で曖昧さともがき続けることが、日本の若者の道なのではないかと思っている。もしかすると日本の若者にしかできないことなのかもしれないとさえ思っている。なにしろノーベル文学賞受賞記念講演のタイトルが「曖昧な日本の私」、水墨画にしろ洋画にしろ日本に来ると湿度に満ちた曖昧風となり、白と黒の淡いに百匹の鼠(色)を見いだす。そういう風土と文化に育ってきた日本の若者(国籍ではない、この土地と風土で育っているとどうしてもそうなってしまうのだ)。共通の目的を喪失し曖昧な状況に陥るということが、繁栄のピークを過ぎた「成熟社会」の共通特質だとしたら、曖昧な風土に育った日本の若者はその曖昧さを活かして曖昧な中で生き続ける新しいモデルを作るという道があるのではないだろうか。一見熱のない、ちゃらんぽらんな生き方と区別がつかない道でもある。でも常に留保条件を付け別のやり方や道を意識する曖昧さとちゃらんぽらんな生き方との差は確かにある。それは「自分で決めた」という意識を捨てないことだ。たとえそれが本当は単なる偶然にすぎなく、一時の気まぐれだったりしても、「なんだかんだいっても自分が決めたんだし」と自分自身に対してちゃんといえるかどうかだ。ちゃらんぽらんな生き方にはこれがない。逆に「親がいったから」「会社の命令だから」「いやその時はそれが正解だって風潮だったし」という他人の決定がある。そこさえわきまえていれば、道は千差万別きわめて曖昧。だけどその曖昧さを楽しむ知恵は日本の風土と歴史と知恵の中に埋もれていると思うのだ。

働かない若者…

若年者失業率は相変わらず9%台と高い。さらに、もともと失業率は「職を探している」のが前提条件なので、ここに含まれない若者はもっと多い。ニートと分類される若者数は、60万人。半数が25歳以上。フリーターは176万人。大学生の3年以内の離職率は約3割。

 とこうして数字を並べてみると、いったい若者たちは「働く気があるのか」という声が聞こえてきそうだ。では、逆に問い直そう。「なぜ働かなくてはならないのか」。

 小学校以前の子供が、「なんでお母さんや、お父さんはお仕事に行くの?」と聞いたとしたら、仕事のやりがいとか誇りとかよりも、まず「食べていけなくなるから」という答えを返すことが多いと思う。けれど年齢が上がると、不思議にこの問いに対して、様々な理屈や修飾語がついていく。曰く「社会への参加」「自己実現」「働きがい」…。そして、いよいよ就職活動となると、様々な自己分析ツールを使って、自分の適性やら適職を求め、自己PRでは、その職場への期待や展望を語る。不思議ともう誰も「食べていくため」という言葉を公の場では使わなくなる。

 ああ、日本は豊かなのだな…と感じる。食べていくためには、否が応でも「何かをしなくてはならない」時代が過ぎ去った社会なのだなと。そしてある意味若者にとっては不幸な時代でもある。とにかく食べていくためには、今目の前にある職や仕事にしがみついていなければならない状況であれば、迷いも悩みもない。客観的に見れば、悲惨な状況である。その仕事が自分の健康をむしばむ可能性が高く(先進諸国の企業が発展途上国で展開している「スエットショップ」など)、十分な食糧を買うだけの費用を稼げるとは限らない。「食べるために仕事をする」というシンプルな図式は、迷いを許さない。しかしもしその社会の経済状況が好調であれば、仕事にありつく望みは増大する。さらにありついた仕事で、徐々に昇給し、「食べていく」中身が充実していく。これがかつての日本だったのだろう。「金の卵」として就職列車に詰め込まれ、地方から都会に出てきた若者は、けして有利な条件で労働をしていたわけではない。けれども一旦その職を離れると、「食べていけない」という現実的な恐怖感が存在していた。そして将来より良い生活ができるという夢があった。それが「働きがい」という言葉になっていた。

 もう日本はこうした状況にはない。たしかに失業した多くの若者は厳しい生活を強いられる。フリーターの生涯賃金が正社員の1/3にとどまるのはよく知られた話である。生活保護を受ける若者も20万人に達している。一旦職を離れると、再就職が難しいという状況は、実は余り変わっていない。それどころか、高度成長期よりも現在のほうがより厳しくなっているだろう。しかし産業構造の変化と共に、「何かで食べていける分のお金が得られる」という見通しだけは、若者の間で広がっている。実際、学生時代の方が1ヶ月の可処分所得が多かった下宿生も私の周りにいる。

 さて、こうした状況の中、厳しい就職活動をしながら、「なぜ働くのか」という問いに明確な答えを持てないのが、若者の現状だろう。自分に向いている仕事なんてわからない。特にやりたい仕事なんてない。どこでもいいから正社員になりたい。正直、こうした本音は今も昔も変わっていないのだと思う。

 40年前の、30年前の大学生(その頃は進学率は3割だった)も、明確な将来像を持っていたわけではない。大学を卒業したら、何となく就職をするものだろうと思っていた。そしてその受け皿はある程度あった。入社すれば、社員研修等々、良くも悪くもその会社のやり方というのをたたき込まれていった。そして右肩上がりの経済状況の中で、もがけばとにかく業績はついてきた。自分の適性を考える必要すらなかった。

 今はどうだろう。自己分析に適性検査…。あたかも「あなたにあった仕事が既に存在している」かのような装置。そして「働きがい」や「その企業で働く理由」を求められる自己PR。ぼんやりとした本音とは別に、「あなたはなぜここで働きたいのか」という理由を求められる。それにうまく答えられないから、就職が決まらないのだと悩み始める。「働く理由」を何とか見いだそうとする。けれどそれは、プールや海を見たこともない人に、「泳ぐ理由」を問うようなものではないだろうか。働かなくてはいけないのは何となくわかっている。安定を求め、周囲の期待に応えるためには正社員でなくてはいけないとも思っている。けれどその企業にする「理由」は見当たらない。その企業のデータをいくら調べても、その企業で働く姿など想像もできない。

 そうして、何十回と就職試験に、面接に落ち続けていく中で、若者は「働く理由」を見失っていく。適性があるといわれた職種で「むいてないよ」といわれ、それではと職種を広げれば「志望理由が薄弱」といわれる。なぜ働かなくてはならないのか。そう思い始めたとき、食べていくだけなら、学生時代のバイトの延長で十分じゃないのか。その方が気楽だったじゃないか。いったい、ここまで苦労して、企業で働いて、その先何になるのかという思いがよぎる。適性とか適職といった言葉がどんどん薄っぺらくなる。

 こうした経験を経た学生たちは、それでも企業に期待している。苦労して入社したのだから「働きがい」が得られるはずだと。けれど、企業側には新入社員の教育にかける余裕がない。ひたすら即戦力として実績を求める。適性も適職もわからなかったけれど、とりあえず入社したからには、バイトよりは「働きがい」のある仕事を任せられるだろう。そういう期待はあっさりと裏切られる。バイト以上にきつい仕事、それに見合わない評価。働いても「甲斐のない」日々が続くかもしれない。それを乗り越えられれば、その企業に定着することができるだろう。けれど、乗り越えられなければ…離職という道が目の前に開けている。

 素人っぽい分析かもしれないが、学生の視点から見ると、ニートやフリーターの多さも、離職率の高さも、ついでに言えば就職活動のしんどさも、根っ子は皆同じに思える。

 働く前から「働きがい」を、「適職」を追求することが、その根っ子である。そしてその発想の根底には、中学時代から深く根を張っている「自分のレベルだったらここぐらい」があるのではないだろうか。自分ぐらいだったらこの高校、自分ぐらいだったらこの大学と、自分の意志とは別にレベル分けして、行き先が用意されている。そして行き先を決める関門を突破すれば、その中で「受験」や「卒業・就職」を目指して頑張っていればいい。それと同じで、就職活動という関門を突破して、入社すれば「働きがい」は待っているはず…と思ってしまうのではないだろうか。

 「なぜ働かなくてはならないのか」。この問いに明確な答えなどない。根本的に突き詰めれば「食べていくため」なのだ。そして「今現在」食べていくためだけであれば、フリーターであってもニートであってもかまわない状況が、現在の日本にはある。そんな日本で、若年者就職支援と称して、さらに自己分析や面接対策等々、就職活動のテクニックを支援したとしても、若者はいずれ就職への動機をうしなってしまうだろう。学生時代に働くことを体験しようという「インターンシップ」も、都会では就職活動の一環になってしまっている。新入社員の定着率を上げようと思っても、そこまでの人手も労力もない。かといって何とか離職はとどめたい。正直八方手詰まりというのが、行政も企業も実感的な本音だろう。

 では処方箋はないのか。私はそうは思わない。若者に個性的な生き方や働きがいを求めるのはいい。が、その前に働くことの理不尽さを体験してもらう必要があると思っている。働くことは常に相手(仕事仲間、上司、顧客)があってのことだ。必ずしも自分のやりたいことが実現するわけではない。どんなに努力しても実績は別だ。こうした「理不尽さ」心得た上で、もう一度「働くこと」を考え直すことが必要なのではないか。その一方で小さな事でもいいから、自分がやったこと工夫したことが目に見える形でわかる体験も必要だろう。ということで、私が示す処方箋はごく単純。まずは手と足とを動かす労働を学生時代に体験すること。それもできれば最も理不尽な自然を相手に。どんなに頑張っても、一度台風が来ればすべてはおじゃん。どんなに頑張っても、ベテランの技には適わない。その一方で、ちょっとした自分自身の技量の発達を実感できること。非常にプリミティブなことだけれども、その積み重ねがもう一度若者たちに、本当に「働く事って何」を自分事として考えるきっかけを作るのではないかと思っている。その結果として、フリーターの数が変わらなかったとしても、私はそれでいいと思う。統計数字は変わらなくとも、自分自身の働き方をつかんでのフリーターと、仕方なしのフリーターとは、大いに違うと思うからだ。

 今、若者たちが「働くこと」を問い直さなくてはならない時代になっている。その時代に、年配者として私ができることは、働くことの理不尽さと楽しさを自分事として受け止めてもらえる場を作り出すことだと思っている。