自立って何?

男女共同参画時代といわれ、女性の社会進出を促進するための方策として育児休暇や保育制度の充実が盛んに喧伝されて久しい。いや、それ以前から、女性の自立は女性が経済的に自立することであり、それは男性と同等の立場で働くこと、つまり男性と同等の賃金と処遇で就労することだった。確かに女性の自立(女性に限らないけれども)には経済的基盤が必要である。近代になってもイギリスでは女性に財産権は一切なかった。父親が死んでも、夫が死んでも、子供として妻として、遺産を相続することすらできなかった。だからこそ、当時の中流以上の女性にとって「結婚」は自分が生存するための第1目標であり最終目標であった。その結果、男性の支配下に女性が隷属することとなる。だからこそ、女性解放運動の当初から女性の「経済的自立」、女性の男性並みの就労は目的の一つだった。

 しかし、バブルがはじけた頃から、こうした女性の経済的自立を目指す生き方に対する疑問が、徐々に表面化してきたように思う。こうした変化は、男女均等法以前の第1世代、男女均等法直後の第2世代の「頑張る」姿に対する反動として語られることも多かった。雑駁な言い方をすれば「あんな風には頑張れない、しんどい生き方」を見せられた次世代が、もっと楽な生き方を見いだそうとしているという語られ方である。

 この分析自体に異論も多い。けれども私は一面の真実を突いていると考えている。女性が経済的自立を目指して、企業に就職する。けれど、その企業は従来のやり方「男性正社員には長時間労働、扶養者になる女性には補助労働」を大幅に変更していない。男性並みを求める限り、男性社員と同じ長時間労働を求められる。そこへ家事や育児の負担が重なってくるのだから、「しんどい生き方」になってしまう。実際、女性の社会的活用度が先進国で世界一低いといわれ、数値目標までたてられ、企業は女性管理職を増やそうとしているが、現場ではこんな声が聞こえるという。「うちの会社でも女性管理職を増やそうとしているんですけど、『このままでいいです』とか言って拒否するんだよね」「40歳になっても管理職になりたくないっていう女性も結構いますし、自分がリーダーになるのではなくサポート的な仕事をしたいという女性が意外と多い。肩や肘を張って働くんじゃなくて、緩く長く勤めたいと」(日経ビジネスオンライン「河合薫の新リーダ術 上司と部下の力学」2010720日より)。

 もし経済的自立だけが、自立なのであれば、このような女性の行動は「奇妙」でしかない。自分で自分の会社内でのキャリアを捨て去るようなものだからだ。「いや、それは女性が出産とか育児とかを背負っているせいでしょう?男性が育児や家事にもっと参加すれば、女性も会社内でのキャリアを追求するんじゃないの」という反論もあるだろう。けれども、私は事はそう単純ではないと思っている。男性の育児参加や、育児休暇等の制度の充実はワークライフバランスという言葉で語られることが多い。しかし本来のワークライフバランスは、単純に女性が働き続ける状況を整備することではない。男性も含め、多様な生き方・働き方を許容することである。労働者が自分なりの生き方の中の一要素として、その企業で働いていることを認めることだ。一要素だから、時には仕事に邁進し、時には地域活動を優先する。あるいは子育てを、ボランティアを。こうした生き方を、現在の企業の中でどれだけ実現できるだろうか。実現できないと断言するつもりはない。実現できるところ、実現しているところもある。愛媛では子供の運動会に出席するからというのが堂々と有給休暇の理由として認められているクリーニング店がある。ここはその他にも様々な地域活動や子育て活動での休暇を認め合っている。それで業績が悪くなるどころか、従業員の定着度が高くなった結果、業績が伸びている。でもこうしたところはまだまだ少数だし、やはり「休暇」であって仕事と同等の位置を占めている訳ではない。自分なりの生き方の要素の一つとしての仕事というのは、企業側からすれば、なかなか認めがたいところがある(特に日本では)。

 女性が起業それも自分の身の回りの問題解決をテーマとした起業を目指すのは、こうした意識があるからではないだろうか。えらく話が飛び過ぎだと思われるかもしれない。しかし、高卒や大卒女子の就業率は男性とさほど変わらない。そして起業を目指す女性の多くは、30代から40代以上(60歳を過ぎてという人も多数いる)である。つまり、起業を目指す女性の多くは、一度通常の企業で働いた経験があるという事だ。結婚や出産を期に辞めた人も多いだろう。そういう人たちの中で、再就職という道を選ばずに起業という道を選んだ人たちの多くは、男性起業家に比べて、社会貢献と年齢に関係なく働きたいという点を起業理由としてあげている。男女両方を通じてもっとも多いのが「自己実現」と「自分の裁量で自由に仕事をしたい」である事をあわせてかんがえると、女性起業家は、より柔軟な働き方、自分だけの仕事ではなく周囲も巻き込める仕事、一生続けられる仕事を、従来の企業の中では実現できないと知って、起業という道を選んだと考えられる(21年度中小企業白書より)。

 起業という言葉で、あるいは社会起業という言葉で一括りにされるので、見逃されやすいが、拡大路線をとる起業と自分の無理のない範囲での起業があると思っている。この二つの路線は当初から決まっているというよりも、実際に起業して事業を展開していく中で、だんだん定まってくるものだとは思う。けれど、この二つは(起業家の個性も大きな要素であるが)目指すものが違っていると感じている。拡大路線をとっていく問題解決型の起業は、社会問題の解決を大型化・フランチャイズ型で解決する形になる。従って、通常の企業と同じく被雇用者が存在する事になる。理念を共有するという点では通常の企業とは異なるかもしれない。けれどもそこで働く人にとってはやはり「仕事」という感覚がだんだん強まってくる事だろう。良い・悪いではなく、組織が大きくなるという事に伴う必然的な事である。そして今、経済産業省をはじめとして日本再生なんとかが期待しているのは、このタイプの社会起業である。なぜなら「雇用を創出」してくれるからだ。

 後者の場合はどうだろう。無理のない範囲での事業。今までの発想でいけば、やがて市場競争に敗れてしまう、そんな甘い事では事業はできないと退けられてしまうものだ。けれど、案外しぶとく生き残っていく場合が多い。大きな儲けはない。人も雇えないかもしれないし、雇ったとしてもお手伝いにとどまっているだろう。それでもなぜだか破綻もせずに継続していく。なぜだろう。答えは案外単純で簡単なものだと考えている。

 「居場所」だから。

 そう、無理のない範囲での起業は、会社を興しているのではない。自分が生きていく場所を作っているのだ。だから無理をしない。無理な生き方をしたくなくて起業しているのだし、生きていくのに無理は続かない。小さいからといって競争に負けて消えてしまわないのは、自分の生き方と一体化していて、その生き方に惹かれる人が顧客になっていたり、協力者になっていたりするから。そしてそうした人が口コミで新しい顧客を引っ張ってくれるから。そして「生き方」であり「居場所」だからこそ、他にはないものを自然と作っていかなくてはならないから、自然と差別化ができる(ここを勘違いしてしまうと、容易に敗退してしまう。自分の人生なのだから、他人のまねをしても仕方がないのだ)。そしてこの差別化は大手企業がやるような「他者を排除するための差別化」ではない。むしろ、他があってこそ自分が際立つような差別化だ。なぜなら、自分以外の人がいないと、自分自身がわからなくなるから。そして他の同じような生き方や居場所を反映した事業と競争はしなくてはいけないけれど、それはスポーツ競技のようなもので、互いに能力を高め合うような競争だろう。相手を打ち負かし、自分が市場を独占するためではなく、互いの個性をより高めるための競争になるだろう。

 そして、事業内容にも人生が反映されていく。立ち上げ時の仕事一辺倒の時間もあるだろうし、育児が入っていたり、介護が入っていたり、近所付き合いが入っていたりするだろう。自分の生き方のその時々の要素によって、同じサービスや財を売っているように見えても、品揃えが変わるだろうし、事業内容が変わるだろう。しかし、根っこは同じなのだ。無理なく自分が生きていく場所=居場所としての事業。

 そんな起業がふえると、もっと楽な生き方、楽しんで働く生き方が増えていくのではないかと思っている。自立という言葉が、自分自身の人生を生きる事を意味するのであれば、これが「自立」なのではないかとさえ思っているのだ。

成功?失敗?

この頃の若者は失敗をおそれ、小さくまとまりすぎるという苦言をよく聞く。その一方で、何事かを為そうとすると、次のような問いが発せられる。「成功の見込みは?」。この問いに対して、やってみなければ分からないと答えると、無責任と言われる。見込みがあると答えると、「どれだけ」と数値化を求められ、その根拠を問われる。けれど、こうした問いは本当に意味があるのだろうか。

 未来に向かって、何かをしようとする時、特にそれが今までやったことのないものである時。人間はそれが成功するかどうかの見込みだとか確率だとかを計算しているのだろうか。難しく考えなくてもいい。初めての愛の告白。その時、あなたは、好きな人があなたの思いに応えてくれる見込みを、計算していただろうか。その人が、あなたの思いに応えてくれる確率が30%だといわれて、あなたは恋をあきらめることが出来るだろうか。

 私は、人間が行う新奇の試みはすべて恋愛の告白と一緒だと考えている。やってみるまで結果は分からない。見込みだとか確率だとかで行動するのではなく、自分の心のありよう、決断の仕方で行動している。そしてその結果もやはり「成功」「失敗」ではとらえきれない。もしなにか結果が残るとすれば、それは「経験」でしかないと。そんなバカな。事業は利益を上げるかどうかで成功と失敗が決定されるではないか。新しい試みであれば、それが社会に受け入れられるかどうかで、結果が判断できるではないか。それを単に「経験の積み重ね」だなどとなんと甘いことを、という反論が聞こえてくる。

 確かに、今まではそうだったのかもしれない。投資家は投資した資金に見合うリターンを金銭に換算し、そのための保証を求める。融資はなおさら、他人の金銭を預かっているのだという理屈を振りかざして、いっそう確かな裏付けを求める。けれど、それで本当に「新しい」ものを生み出すこと、あるいは新しいものを生み出す「支援」が出来るのだろうか。見込みや確率が計算できるのは、既知の知識の延長線上にあり、その知識の延長戦で理解可能なモノだけだ。今、私はパソコンを使って原稿を書いている。ほんの100年前の人にこの事を分かってもらうには、どう説明すればいいだろう?キーボードを、マウスを、いやそもそもパソコンという機械そのものを、何に例えればいいだろう。その成功の見込みを納得してもらうことが出来るだろうか。「新奇なもの」というのは、既存知識の延長線上ではないからこそ「新奇」なのだ。その新奇性は既知のものや確率計算からははずれたところにある。だからこそ、新奇性にかける人間性をケインズは「アニマルスピリット」とよび、シュンペーターは「アントレプレヌール」と呼んだ。それは確率と既知の世界からは、予想も出来ない事柄であるからだ。それは新奇なもの、新奇な事柄を起こす人だけではなく、その新奇なことを評価し、それに賭けようとする周囲の支援者にも当てはまる。支援者は「おもしろいから」「惚れたから」支援する(実際、アメリカ等の個人ベンチャー支援者は、ベンチャー起業の収支計算書など見ないという。彼らがもっとも重んじるのは事業コンセプトであり、なぜその事業を行うのかという動機だそうだ)。

 けれど、こう書いてしまうと、まるでそれは「特別な才能」をもった人による「特別な出来事」であるかのように思えてしまう。Think Differentと言えるのは、そしてそれができるのはスティーブン・ジョブズだけかのように。だからこそ、最初に愛の告白の例を持ってきたのである。もちろん、世の中のあり方を変えてしまうような「発明」とか「発見」というのはある。でも、なのだ。

 「大阪城を造ったんは誰や」「そんなん秀吉に決まっとるがな」「あほいえ、大工じゃ」という大阪のベタなギャグがある。そう、大阪城を造ろうと考え、命令したのは権力者であり、特別な人間かもしれない。けれど、実際の石垣をどう積むのかを一番よく分かっており、あの見事な石垣を造ったのは石工である。彼らの営みは名前付きでは残らない。里山で農作業をしていると、尋ねる人毎に、地方毎に、呼び名の違う農機具によく出会う。それは、その地の誰かが、いつともしれず工夫し、やがて多くの人が使うことになった道具である(そして土地が異なれば、非常によく似た機能を持ちながらも、その土地に似合った農機具がいつの間にか生まれる)。

 こうした日常の工夫を重ねたのは、ごく普通の人々である。彼らは毎日の仕事の中で、「もうちょっとどないぞならんやろか」と問いかけ、工夫をし、新奇なものを生み出していったのだ。それは大きな新奇性ではない。けれど、それを生み出す時に、そうした人々も、きっと「成功」とか「失敗」という言葉で自分の工夫を考えていなかっただろうと思う。ただひたすら「こうやったら、どうなるやろう」「もうちょっとこうしたほうがええやろか」という試行錯誤の連続だっただろう。そしてできあがった道具や仕事の手順なりを、次の世代が引き継ぎ、また新たな工夫を重ねる。そのときも「爺さんはこうしとったけど、ちょっとな~」で工夫が始まったことだろう。それでうまくいくときもあれば、うまくいかないときもあっただろう。うまくいけば、新しい道具、やり方として根付くだろうし、うまくいかなかったからといって、何か責任を問われることもない。本人もせいぜい時間を無駄にしたと思うか、逆に「ええ経験したわ」と思うかのどちらかだったろう。

 いったい何時から人間の営みを「成功・失敗」の二分法で評価するようになったのだろう。成功とか失敗とか誰が決めるのだろう。失敗や成功は、ある人のある時点を切り取り、第三者が何らかの指標(会社が上場したとか、一流大学に合格したとか)を外から当てはめて判断する言葉でしかない。いつの間にかこの「外の第三者」つまり「世間様の常識的」物差しによる判断が、物事の基準としてまかり通りようになっている。それが「成功と失敗」の二分法なのではないだろうか。でも、人の一生や、営みは、連続写真では捉えきれない。自分も周りも変転していく中で、即時にそれに対応しながら、延々と時と経験を重ねる。その連続の中では、今日の成功は次の失敗であり、昨日の失敗は明後日の成功なのかもしれない。というよりも、成功も失敗も意味を持たないというのが本当のところだろう。もし、成功とか失敗という言葉が意味を持つとすれば、結果をいかに受け止めたかという点だけだと思う。

 人から賞賛されて舞い上がり、あたかも自分自身の力だけでその結果を勝ち取ったかのように思い込む。逆に賞賛の言葉を拒否してしまう。思うように結果が出ず、人からなんだと軽蔑されそうになったときに、「俺が、俺だけが悪いんじゃない」「あいつがあそこでちゃんと仕事をしてれば…」「運が悪いんだ」といいわけをする。このどちらのスタンスも次には何ももたらさない。自分の行動の結果を受け入れていないからだ。逆にほめられたときは素直に受け取り、自分の協力者にもそれを伝え、どこが良かったんだろうと考える。結果が出なかったら、どうしてそうなってしまったのかを事実ベースで考える。結果をまともに受け止め、その原因を「誰か」がしたことではなく、「何が」その原因となったのかを考える事。そうすると、その結果は次に活かすことができる。ただし同じ事は二度とは起こらないから、あくまでも次の出来事に対処するためのヒントが重ねられていくだけでしかない。肝心なのは、そうしたヒントの引き出しをたくさん持ち、そこからどれだけの対処方法を引き出していけるかだ。天才とか、世界的な起業家と言われる人は、ある出来事に対処するヒントを引き出しから引き出すのに秀でているか、一つのヒントから数万の対処方法を思いつける人だと思う。でも、私のような凡人でも一つ一つの経験を大切にすれば、「次は…」というヒントを積み重ねていける。そしてその一つ一つを大事にしていけば、自分にできること、できないことがわかってくる。自分の思いを伝えやすくなっていく。自分ができることがわかり、思いを伝えることができれば、一緒に仕事をしている仲間とも共有できること、委ねられることが多くなる。信頼関係が生まれる。

 本当に小さな事かもしれない。けれど、歴史を、社会を動かしてきたのは、こうした小さな動きの積み重ねでしかないのだ。龍馬や秀吉も一人では何事もできない。仲間がいても少数であれば社会は動かない。社会が動くとき、それは小さな動きがいつの間にかシンクロするときでしかないのだ。だからこそ小さな営みの中で、一つ一つの経験の積み重ねを大事に受け止めることが一番大切なのではないかと思う。