信頼と縁

ある著名な(でもやたらめったら難しい言葉を駆使する)ドイツの社会学者にいわせると、信頼は「複雑性の縮減」なのだそうだ。これだけだと何のことやらさっぱりだけど、ようは「世の中先のことはわからんけど、とりあえず明日も今日とあんまりかわらんやろうとおもといて、ええんやろう」ということらしい(私流の解釈)。対人関係に敷衍すれば「この人は〇〇な人やから、お金を貸しても大丈夫やろう」ということになる。

 「貸金が返済される」かどうかには、いろいろな要因が絡まってくる。借りる人がまじめな人であっても、勤めていた会社が急に倒産したり、本人が大事故にあったりすれば、返済に支障を来すだろう。借りる人がまじめな人かどうかという判断もまた難しい。待ち合わせ時間を厳守するからといって、返済期間を厳守するかどうかはわからない。まじめに見せかけているだけかもしれない。…と種々の要因を考えると、決断を下すことはできない。だから、その時代その社会で(あるいは一人一人が)「○○」にあてはまる標識を設定しておいて、そこで複雑な要因を十把一絡げにして(つまり縮減して)、決断できるようにしておく。これが信頼の原理だというわけだ。

 そういわれてみると確かそうで、何事かを判断したり決断したりするとき、訳が分からないところを「まぁ今までこうやったから」と状況や制度を「信頼」している場合が多い。先ほどの貸金の例でいけば、かつては土地神話といわれるほど土地(地価の上昇)への信頼が大きく、「土地を持っていれば」お金が借りられるという状況があった。本来であれば、借り手の事業の内容、将来の見通し、本人の経営技量等々に加えて、予想もつかない将来の景気動向も勘案して、融資を判断するはずなのだが(理論的には)、そうしたデータは収集するのに膨大なコストがかかるし、中には手に入らないデータもある(経営者本人がどれだけ経営に熱意を持っているかなど、本人にもわからないデータだ)。だからこそ、地価が右肩上がりの状況が継続していた時代では、土地を持っているということが、こうした複雑な事柄を十把一絡げにしてくれる良い判断基準だった訳である。

 けれども昨今、こうした「従来のやり方」への信頼が大きく揺らぐ事件が立て続けに起きている。まぁ土地神話が崩壊してからもう20年以上がたつ訳だから、若い人には関係ないだろうが、食の安全性や突発的な自然災害、安全といわれ続けてきた原子力発電所の「事故」(これは福島だけのことを指しているのではない。原子力船「むつ」をはじめとして、ずいぶんといろんな事故や事件が起こったのだけど、今回のことがとどめだったとはいえる)を思い浮かべてもらえれば良い。いずれも「従来は安全」「今までだったら無事だったはず」のものが崩壊した事例といえる(そういう意味では「想定外」は本心から出た、そしてまさに端的な言葉だったのだと思う)。そしてどの場合にも不思議なことに、一般的な反応(あるいはマスコミが求めている反応)は責任のある誰かを糾弾するという他罰的なものになっている。

 そこでふっと考え込んでしまうのだ。もしかして、今私たちは「信頼」を「他人任せ」の同義語にしているのではないだろうかと。

 森巣博という人がある本でこんなエピソードを披露している(以下は私のうろ覚えの記憶に基づく記述なので、細部では異なっていると思う)。転居の際、転居先の家具の手配等一切合切をある人に任せた。もちろん大金をつけて。そして転居してみると、森巣氏好みの家具がそろえてあるばかりでなく、冷蔵庫には1週間分ほどの食料が入っていた。さらにテーブルの上には、すべての領収書と残金が残っていた。通常ならば「感謝感激」で終わるエピソードなのだが、森巣氏は相手の有能さに感心し、感激しながらも、領収書を残していることに憤激する。彼は信頼した以上、そのお金がどのように使われていようがかまわないのだと考えている。逆に言えば、持ち逃げされたとしても、それは信頼した自分の落ち度なのだと。だから領収書の存在に自分の信頼が甘く見られたと怒るのである。

 池波正太郎氏はエッセイの中で、昔は10万程度(今の金額に直して)を常に現金で用意をしており、困った親戚や知り合いが自分を頼ってくれば、何も言わずに貸していたものだという話を、郷愁と昨今の世知辛さへの批判を込めて語っている。

 この二つのエピソードの共通しているのは、信頼する側の責任あるいは覚悟だと私は思う。信頼には「裏切り」が伴う。いや、元々信頼できるかどうかわからないものを、あえて「信じる」のであるから、信頼はその根本からしてリスクの高い行為だといえる。しかしこの信頼がないと、人間社会は成立し得ない。

 契約を締結すればいいのではないかという人もいるだろう。が、契約を交わしたとしても、その契約を守るという契約がなくては確実ではない。そしてさらにまたその契約を守るという契約を守るという契約…と無限後退が生じる(はずだ。理論的には)。しかし現実には契約は1度で終わる。それは互いに契約は守られるものと信頼しているからだ。契約と法体系に支えられている市場取引も、根底には法は遵守されるはずという信頼がある。この信頼も本来は根拠がない信頼だ。とはいえ現代でこうしたリスクを日常感じることはない。法や制度、さらにその制度を実行する主体である政府が、信頼を担保していると思っている。信頼につきものの複雑なリスクを政府や制度によって縮減していると思っていると言い換えてもいい。

 そして今、私たちは縮減したはずのリスクが、縮減されるどころか増大したかのような事態に直面している。だからこそ、リスクを縮減していたはずの制度や政府の中に、責任を追及し処罰できる他者を見つけ、その他者を処罰することによって、事態を安定化させリスクを抑制したように思い込もうとしているのではないだろうか。けれど他者を処罰したからといって、信頼が回復する訳でも、信頼に伴うリスクが軽減される訳でもない。単に私たちが思い込んでいた信頼の担保が幻にすぎなかった、信頼することに伴う覚悟がなかったのだということが露わになるだけだ。

 私たちはもう一度私たち自身で、信頼することのリスクを引き受ける覚悟を決めなくてはいけない時代にさしかかっている。とはいえ、それは羅針盤がないまま大海を航海するような、そんな頼りない、寄る辺のない時代ではない。「縁」という言葉がある。私は昔の人が信頼と信頼に伴うリスクを、この言葉で表現していたのではないかと思う。縁には良・悪がある。奇縁・因縁など偶然性の高いものもあれば、地縁・血縁など固着性の高いものもある。縁は誰かに担保してもらうものではなく、自分で判断し、自分で紡いで、自分で育てていかなくてはならないものである。そしてそれでもなお、前世の因縁などといわれるように、身に覚えのない悪縁に巡り会うこともある。それもまた「縁」として引き受ける。そういう覚悟が詰まった言葉なのだと思う。自分の現在の利益のために結ぶ縁もあってよいと思う(現今のSNSもこれかもしれない)。が、「縁は異なもの粋なもの」。奇縁に身を任せ、縁に引き寄せられるまま、客観的には損になるような出来事に身を投じるのも、縁の活かし方である。

 縁は制度や法律よりもはかなく壊れやすい。常時手入れが必要なものだ。だが大きなものによるリスクの縮減を信じないのであれば、自ら信頼のリスクを背負うのであれば、縁を結ぶこと、縁を築き上げること、縁を育てること、そしてあえて縁を切ることを恐れないことが必要なのだと思う。

 信頼と信頼のリスクを感知しつづけ、その上でなお縁を結び続けることが、他人任せではない、自分なりの信頼の基準を作り上げることにつながるのではないかと思う。どこかの誰かがいったから無農薬野菜が良い、天然物が良いと信頼して裏切られた場合と、縁でつながって信頼している人が無農薬がいいよといって裏切られた場合と、一時的な精神的ダメージは後者の方が大きいだろう。けれども前者の場合は、誰か見も知らない他人の責任でしかない。声が大きかったから、マスコミに出ていたから信じた。悪いのは自分ではないと思うことができる。だからきっとまた同じことを繰り返すだろう。自分は悪くないのだから、裏切られたことから学ぶ必要はない。後者の場合は、縁をつなげて信頼した自分の責任が出てくる。同じことを繰り返さないために、何らかの工夫、作法を身につけなくてはならないと思うことだろう。本当に信頼できる縁を結ぶための作法を。この作法が信頼性の基準点になるのだと私は思っている。他人任せではない、自分自身の中で築いた、でも縁に基づいて築いているから融通無碍な基準点である。そういう基準点を羅針盤にしていれば、何を信頼して良いのかわからない不確実な…といわれる世の中も、案外簡単に航海できるのではないかと思っている。

成功?失敗?

この頃の若者は失敗をおそれ、小さくまとまりすぎるという苦言をよく聞く。その一方で、何事かを為そうとすると、次のような問いが発せられる。「成功の見込みは?」。この問いに対して、やってみなければ分からないと答えると、無責任と言われる。見込みがあると答えると、「どれだけ」と数値化を求められ、その根拠を問われる。けれど、こうした問いは本当に意味があるのだろうか。

 未来に向かって、何かをしようとする時、特にそれが今までやったことのないものである時。人間はそれが成功するかどうかの見込みだとか確率だとかを計算しているのだろうか。難しく考えなくてもいい。初めての愛の告白。その時、あなたは、好きな人があなたの思いに応えてくれる見込みを、計算していただろうか。その人が、あなたの思いに応えてくれる確率が30%だといわれて、あなたは恋をあきらめることが出来るだろうか。

 私は、人間が行う新奇の試みはすべて恋愛の告白と一緒だと考えている。やってみるまで結果は分からない。見込みだとか確率だとかで行動するのではなく、自分の心のありよう、決断の仕方で行動している。そしてその結果もやはり「成功」「失敗」ではとらえきれない。もしなにか結果が残るとすれば、それは「経験」でしかないと。そんなバカな。事業は利益を上げるかどうかで成功と失敗が決定されるではないか。新しい試みであれば、それが社会に受け入れられるかどうかで、結果が判断できるではないか。それを単に「経験の積み重ね」だなどとなんと甘いことを、という反論が聞こえてくる。

 確かに、今まではそうだったのかもしれない。投資家は投資した資金に見合うリターンを金銭に換算し、そのための保証を求める。融資はなおさら、他人の金銭を預かっているのだという理屈を振りかざして、いっそう確かな裏付けを求める。けれど、それで本当に「新しい」ものを生み出すこと、あるいは新しいものを生み出す「支援」が出来るのだろうか。見込みや確率が計算できるのは、既知の知識の延長線上にあり、その知識の延長戦で理解可能なモノだけだ。今、私はパソコンを使って原稿を書いている。ほんの100年前の人にこの事を分かってもらうには、どう説明すればいいだろう?キーボードを、マウスを、いやそもそもパソコンという機械そのものを、何に例えればいいだろう。その成功の見込みを納得してもらうことが出来るだろうか。「新奇なもの」というのは、既存知識の延長線上ではないからこそ「新奇」なのだ。その新奇性は既知のものや確率計算からははずれたところにある。だからこそ、新奇性にかける人間性をケインズは「アニマルスピリット」とよび、シュンペーターは「アントレプレヌール」と呼んだ。それは確率と既知の世界からは、予想も出来ない事柄であるからだ。それは新奇なもの、新奇な事柄を起こす人だけではなく、その新奇なことを評価し、それに賭けようとする周囲の支援者にも当てはまる。支援者は「おもしろいから」「惚れたから」支援する(実際、アメリカ等の個人ベンチャー支援者は、ベンチャー起業の収支計算書など見ないという。彼らがもっとも重んじるのは事業コンセプトであり、なぜその事業を行うのかという動機だそうだ)。

 けれど、こう書いてしまうと、まるでそれは「特別な才能」をもった人による「特別な出来事」であるかのように思えてしまう。Think Differentと言えるのは、そしてそれができるのはスティーブン・ジョブズだけかのように。だからこそ、最初に愛の告白の例を持ってきたのである。もちろん、世の中のあり方を変えてしまうような「発明」とか「発見」というのはある。でも、なのだ。

 「大阪城を造ったんは誰や」「そんなん秀吉に決まっとるがな」「あほいえ、大工じゃ」という大阪のベタなギャグがある。そう、大阪城を造ろうと考え、命令したのは権力者であり、特別な人間かもしれない。けれど、実際の石垣をどう積むのかを一番よく分かっており、あの見事な石垣を造ったのは石工である。彼らの営みは名前付きでは残らない。里山で農作業をしていると、尋ねる人毎に、地方毎に、呼び名の違う農機具によく出会う。それは、その地の誰かが、いつともしれず工夫し、やがて多くの人が使うことになった道具である(そして土地が異なれば、非常によく似た機能を持ちながらも、その土地に似合った農機具がいつの間にか生まれる)。

 こうした日常の工夫を重ねたのは、ごく普通の人々である。彼らは毎日の仕事の中で、「もうちょっとどないぞならんやろか」と問いかけ、工夫をし、新奇なものを生み出していったのだ。それは大きな新奇性ではない。けれど、それを生み出す時に、そうした人々も、きっと「成功」とか「失敗」という言葉で自分の工夫を考えていなかっただろうと思う。ただひたすら「こうやったら、どうなるやろう」「もうちょっとこうしたほうがええやろか」という試行錯誤の連続だっただろう。そしてできあがった道具や仕事の手順なりを、次の世代が引き継ぎ、また新たな工夫を重ねる。そのときも「爺さんはこうしとったけど、ちょっとな~」で工夫が始まったことだろう。それでうまくいくときもあれば、うまくいかないときもあっただろう。うまくいけば、新しい道具、やり方として根付くだろうし、うまくいかなかったからといって、何か責任を問われることもない。本人もせいぜい時間を無駄にしたと思うか、逆に「ええ経験したわ」と思うかのどちらかだったろう。

 いったい何時から人間の営みを「成功・失敗」の二分法で評価するようになったのだろう。成功とか失敗とか誰が決めるのだろう。失敗や成功は、ある人のある時点を切り取り、第三者が何らかの指標(会社が上場したとか、一流大学に合格したとか)を外から当てはめて判断する言葉でしかない。いつの間にかこの「外の第三者」つまり「世間様の常識的」物差しによる判断が、物事の基準としてまかり通りようになっている。それが「成功と失敗」の二分法なのではないだろうか。でも、人の一生や、営みは、連続写真では捉えきれない。自分も周りも変転していく中で、即時にそれに対応しながら、延々と時と経験を重ねる。その連続の中では、今日の成功は次の失敗であり、昨日の失敗は明後日の成功なのかもしれない。というよりも、成功も失敗も意味を持たないというのが本当のところだろう。もし、成功とか失敗という言葉が意味を持つとすれば、結果をいかに受け止めたかという点だけだと思う。

 人から賞賛されて舞い上がり、あたかも自分自身の力だけでその結果を勝ち取ったかのように思い込む。逆に賞賛の言葉を拒否してしまう。思うように結果が出ず、人からなんだと軽蔑されそうになったときに、「俺が、俺だけが悪いんじゃない」「あいつがあそこでちゃんと仕事をしてれば…」「運が悪いんだ」といいわけをする。このどちらのスタンスも次には何ももたらさない。自分の行動の結果を受け入れていないからだ。逆にほめられたときは素直に受け取り、自分の協力者にもそれを伝え、どこが良かったんだろうと考える。結果が出なかったら、どうしてそうなってしまったのかを事実ベースで考える。結果をまともに受け止め、その原因を「誰か」がしたことではなく、「何が」その原因となったのかを考える事。そうすると、その結果は次に活かすことができる。ただし同じ事は二度とは起こらないから、あくまでも次の出来事に対処するためのヒントが重ねられていくだけでしかない。肝心なのは、そうしたヒントの引き出しをたくさん持ち、そこからどれだけの対処方法を引き出していけるかだ。天才とか、世界的な起業家と言われる人は、ある出来事に対処するヒントを引き出しから引き出すのに秀でているか、一つのヒントから数万の対処方法を思いつける人だと思う。でも、私のような凡人でも一つ一つの経験を大切にすれば、「次は…」というヒントを積み重ねていける。そしてその一つ一つを大事にしていけば、自分にできること、できないことがわかってくる。自分の思いを伝えやすくなっていく。自分ができることがわかり、思いを伝えることができれば、一緒に仕事をしている仲間とも共有できること、委ねられることが多くなる。信頼関係が生まれる。

 本当に小さな事かもしれない。けれど、歴史を、社会を動かしてきたのは、こうした小さな動きの積み重ねでしかないのだ。龍馬や秀吉も一人では何事もできない。仲間がいても少数であれば社会は動かない。社会が動くとき、それは小さな動きがいつの間にかシンクロするときでしかないのだ。だからこそ小さな営みの中で、一つ一つの経験の積み重ねを大事に受け止めることが一番大切なのではないかと思う。

女性の自立って何だろう

あらためてタイトルにしてみると、「何を今更、経済的自立し、個人として自立することでしょ」という声が聞こえてきそうな気がする。経済的に独立できる稼ぎを有していて、自己をしっかりと持ち、職場だろうと家庭であろうと、誰とでも対等に渡り合える…そんな女性像が浮かび上がってくる。

 でも、こうした女性像を描かれるとちょっと引いてしまう人もいるのではないだろうか。男性が…ではなく、女性自身がである。統計は冷静事実を語ってくれる。相変わらず女性の平均給与は男性の7割だ。家事育児等の家庭内労働に費やす時間にいたっては、男性は女性の10分の1程度。「だから今こそ声を上げなきゃ!」といわれるかもしれない。けれど、現実に育児に介護に仕事にと「頑張らざるを得ない」女性にとって、その声はなんだか遠くから響く別世界の声のように聞こえるのではないだろうか。経済的に自立できる所得を得て仕事に邁進する一方、パートナーがいれば、育児や介護も平等に分担する…そんな理想的な生活なんて、私にはとうてい無縁のこと、どこかのエリート女性のことでしょ。そんなつぶやきが聞こえてくるような気もする。

 目指すべき理想は、無いよりは有ったほうが良い。けれど、目指すためにはどこかから始めなくてはならない。そしてその「どこ」は統計に現れたところ、頑張らなくてはならない羽目に陥っているところでしかあり得ない。

 損である。正直何もかもまっさらにして、新しい社会を!!と求めたくなる。でも、ここからしか始まりはしないのだ。かつてボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と宣言した。それは女性らしさが社会的に作られることをうたった高らかな宣言だった。けれど、人は「女になる」のだとしても、既に生きている私たちは「女になって」しまっている。自覚しているかどうかはともかくとして、私たちは自分の振る舞いを、行動を、生き方を「女性」という規定の中で、あるいはそれに逆らいながら決定している。私たちは今ここで女性であることから逃れるわけにはいかない。

 19世紀、J.S.ミルはその時代の女性を表して、次のような面白い例えをあげている。
–ここに一鉢の植物がある。この鉢の半分を日当たりの良い温室で育てよう。そしてその半分を日陰の寒風にさらして育てよう。出来上がるのは何とも奇妙な植物になることだろう。「女性特有の性質」「生まれもっと女性の性質」を言い立てる人たちは、こうして育てられた植物を見て、「その植物の持って生まれた性質どおりに育った」ということだろう–。ミルもまた、女性が「女になる」事を認めていた。けれど、彼はその奇妙な植物を否定し、新たな植物として、理想的な植物としての女性像を提示することはなかった。女性は、「優しく、柔和で、温かく、従順に」と育てられた。その当時、中産階層以上の女性にとって、手に職を持つなどということは自らの身分を落とすこと以外の何者でもなかった。温室で育ったのは、優美で、華やかだけれども寒風にさらされるとひとたまりもなくその色を失うかもしれない花だった。その一方で、女性一人一人が持っていたかもしれない大胆さ、勇気、強情さ、決断力は、寒風の中で見るも無惨にやせ衰えてしまった。こうした彼女たちに、「手に職を持て」「社会に出て自活すべきだ」とミルはいわなかった。むしろ女性の前に「現在有るような(男性が就いているような)職業と、家庭との二つの選択肢が開かれるとすれば、私はどちらかといえば女性は家庭を選ぶのではないかと思う」といっている(お陰でフェミニズムからはとんと評判が悪い)。

 ミルは社会的にその性質をゆがめられてしまった女性を、やはり家庭の中で保護すべき存在と見ていたのだろうか。もう少し彼の考えを聞いてみよう。上の例えが出てくるのはミルの『女性の解放』という本である(ただし原題は『女性の隷従』)。そしてこの本の主題は「家庭内の権力関係」である。男性が結婚という鎖で、女性を奴隷にしているのが今の家庭だというのが、ミルの主張である。より正確には奴隷よりもはるかに劣悪な状態であるという。なぜなら奴隷は、主人の前から下がれば自分自身の時間を持てるが、家庭の女性はそのすべての時間を夫という彼女の主人のために捧げることを求められるからだ(それにはもちろん男女間の性行為もふくまれている。デートレイプとか家庭内レイプといった言葉はない時代だけど、ミルは女性が家庭内で望まない性行為を強いられている可能性をはっきりと書いている)。そしてこの主人対奴隷の関係は、奴隷を奇っ怪な植物のような存在にするばかりではなく、主人である男性の性格をもゆがめてしまうという。男性は「男」というだけで、常に選りすぐれた存在であり、自分の望みが叶えられる存在として、家庭で育てられる。そして社会に出て行く。その結果、社会の中は「おれこそが1番」「俺のいうことを聞かなくてどうする」というエゴとエゴのぶつかり合い、他人を蹴落とし先に行くことが当たり前のエートスが蔓延してしまっている。

 これがミルが家庭内の権力構造から導き出した社会の構造である。

 さて、こうした「社会」に女性が進出するということはどういうことになるだろう。周囲は圧倒的に男性社会である。女性は当然ながら、その男性社会のエートスを身につけていくことだろう。いや、身につけなくては社会で生き延びることはできない。寒風にさらされて縮こまっていた勇気や決断力は、他人を踏みつける勇気へ、他人を出し抜く策を決断する力へと発達を遂げるだろう。そして温室の中で育っていた柔和さ、他人への思いやりは、社会では不用の物としてその花を摘み取られるだろう。それは本当に望ましいことなのだろうか。社会は「女になる」事を求めなくなるかもしれない。けれど女性に「男になる」事を求めるようになるのではないだろうか。そしてもし、家庭内の権力構造が根本から変わらないうちに、女性が社会進出するとしたら…女性は「女になり」ながら「男になる」事を求められはしないか。ミルが危惧していたのはこのことではなかったかと私は思う。

 というのも、ミルは家庭内での教育に人間性の陶冶を託しているからだ。家庭内教育といってもいわゆる学業ではない。美を感じる心、いとおしさや愛情、思いやり…人としての美質を養うことである。そしてこれまで「女」のための物とされたこうした美質を、男も身につけ学ぶことを求める。それは生き馬の目を抜く資本主義的な社会を根本から作り替えるために必要な、人間を形成するためである。その役割を今まで「女」としてこうした美質を押しつけられて育てられた女性に期待するのである。それはミルが女性に対して、社会をよりよい物にするために期待した役割であり、彼女たちの生活の核として提示しものでもあった。

 さぁ論を現在に戻そう。私たちは「今、ここ」から始めなくてはならない。理不尽さや何重にも背負わされている役割を持つ今、ここ。その中で、あなた自身が最も大切にしたいことは何なのだろう?女だからという言葉も外し、逆に男女平等なのだからという思いも外し、ただひたすら自分の中を探ったときに、あなたの核になっているものは何だろう?難しい問いといわれるかもしれない。ではこう聞き直そう。「あなた自身が、あなた自身に対して絶対に許せない、あなたの行為とは何?」。これはある小説で出てくる言葉。推理小説作家として世評は高くなったが、自分の作品の方向性や男性との対等のつきあい方に悩み、故郷といえる大学に帰ってきた女性に対して投げかけられた言葉。彼女はこんな答えを出す。「私が絶対に許せないのは、私自身がつまらない駄作だと思っている作品を義理に駆られてほめること」。彼女にとっての核は「作品の質」だった。そこから彼女は自分の小説を徹底的に見直すというきつい作業に手を染めていくことになる。あなたにとってはどうだろう。会社の仕事、家庭での喜び、地域社会での交流…そんな漠然とした答えではなく、あなたが絶対にあなた自身に対して許せないあなたの行動。それがあなたの核だ。今、ここにいる、ここで生きている、あなたの核だ。 そんなことをいわれても…結局それって「本当の私」探しなんじゃないの?といわれるかもしれない。私はそう思ってはいない。核はどこかにいる、どこかにある「本当の」「理想の」私の中にはない。今の私の中にしかない。だから「今のあなたにとって」と聞いてみて欲しいのだ。

 その核を、今ここから育てていこう。女性全員に通じる理想の姿など無い。無理に肩肘を張って生きる必要もなければ、理不尽さを堪え忍ぶ必要もない。男であれ、女であれ、余計な物を取っ払って、自分自身の「核」を捕まえること。その核を自分の瞳のごとく大事に持ち続けること。今すぐに芽を出さなくても、今すぐに花を結ばなくても、その核を抱き続けること。そしてその核の存在を、周囲の人に伝えること。それが、「今、ここ」から始められる第一歩だと私は思う。蛇足だけれど最後に一言。核は変化してもいい、嫌きっと変化して行くのだろうと思っている。

ワークとレイバー

もうふた昔以上前、日本人はウサギ小屋に住む働き蟻だと揶揄されたことがある。過労死は「karoshi」として英語の辞書に収録されている。家庭は妻子に任せ、会社のため、仕事のために粉骨砕身するのが、日本人特にサラリーマンの典型像のように思われている。

 これに対比されるのが、欧米人の仕事よりも私生活というライフスタイルである。かつて家族を同伴して来日した外国人プロ選手が、家族が日本になじめないという理由で退団、帰国したときのマスコミの騒ぎを良く覚えている。その騒ぎの根底には「たかが妻子供のために、大の男が仕事を放り出すのか」という非難めいた驚きがあった、

 時代はそれからもう30年近くたっている。しかし「単身赴任」など欧米ではありえないとか、学会に子供や家族のためのプログラムが用意されているといった話を聞く限りでは、事態はそんなに換わっていないように見える。

 家族重視で仕事とプライベートをしっかり分ける生き方と、仕事とプライベートの境目があいまいになっている生き方。この二つは相容れないもの、まったく異なった生き方に見える。しかし本当に相容れないのだろうか。「仕事」というもの「生き方」というものをもう一度考え直すことからはじめてみたい。

 仕事というとワークという英語が思い浮かぶが、実はレイバーという言葉もある。レイバーは「労苦」という意味合いを含んでいる。実際、今でも経済学の標準理論はレイバーを「できれば忌避したいもの。しかしレイバーなしでは所得が得られないので、所得と余暇とのバランスで最適な労働時間を選択している」と考える。キリスト教的な意味合いではエデンの園を追われ、現在を背負ったアダムとイブの子孫である人間全体におわされた「原罪」の一部と考えられるときもある。ここでの仕事は、仕方なく遂行するもの、義務でしかない。しかし、おなじキリスト教文化の中に仕事を表す別の言葉が存在する。ワークとcallingである。前者はおなじみなの英単語なので、説明を後回しにすることにして、後者のcallingから検討してみよう。これは文字通りcall(命)に応える仕事である。神からでもいいだろうし、自分が感じた使命でもいいだろう。何事かに呼ばれるようにして、自ら「天職」として選んだ仕事である。これはレイバーの対極にあるといってよいだろう。忌避するものではなく、喜んでそのために一身をささげるような、そんな特別な仕事である。そして比較的中立的なワーク。ただし、ワークも同じ言葉が芸術作品に使われるように、レイバーのような重荷感は比較的少なくなる。

 日本語はどうだろう。苦役という言葉はめったと仕事には使わないだろう。稼ぎがもしかするとレイバーに近いのかもしれない。生活のため、食べるためにやらなくてはならないこととしての「稼ぎ」。生業(なりわい)となると、少しニュアンスが違う。callingほどではないが、「これを生業としております」という人(職人さんが多いのだが)は、どこか誇らしげである。仕事という言葉自体は新しい言葉でもあり、比較的中立だろう。面白いのは「なりわい」という言葉が感じでは「生業」とかかれる事だ。どうも、日本では古くから「生きること」と「仕事」はくっついていたらしい。水田稲作という世界一生産性の高い(ただし労働集約的な)生活基盤を持っているからかもしれない。なにせ田んぼを作るのは、家族総出の作業であり、生活を維持することと家族を維持することは同義なのだから。けれど、日本的な生業に私的な生活がなかったかというとそうではないだろう。逆に西欧的な天職には私的な生活はないといってもよい(神から召命を受けたら、家族も家財も放り出して、神の命に従うというのが天職なのだ)。

 実は、家族やプライベートといった私的生活と仕事が分離していくのは、近代社会の傾向である。仕事とプライベートをきっちりと分ける、家族と過ごす時間を別に確保するという典型的な西欧型のライフスタイルは近代の産物である。だからこそ、西欧人にとってはそれが「普通」なのであり、他の社会ならともかく自分たちの社会の中で「仕事第一」と言い放つような人間は、「異質なアウトサイダー」と見られやすい。その逆パターンが日本だといえよう。要は、その社会で承認されやすいスタイルを(無意識に)選んでいるし、それが典型だと考えているわけだ。

 この「承認」という欲求、そして自分が行っていることが意味あることだという「意義付け」。この二つが仕事でもプライベートな生活でも、人が生きる上での大きな決め手となっている。夜遅く帰宅し、休日出勤をいとわなくても「家族は俺の(私の)ことを認めてくれている」し、自分の仕事は会社を通じて社会的に「意義がある」と思うからこそ、モーレツサラリーマンは生まれる。もし会社の仕事に意義を見いだせず、会社の中で自分の仕事や居場所が承認されなければ、仕事はワークではなくレイバーになる。そうなったらどんなに成果主義で飴と鞭を振るっても、労働生産性は上がらないというのが、現代経済学の知見である。プライベートな生活でもそうだ。欧米では休日や帰宅後、地域のボランティアやコミュニティの活動に積極的に参加する。それは「意義」ある仕事であり近隣コミュニティの一員として「承認」が得られるからである。もし義務的な割り当てになってしまったら、途端にコミュニティの様々な活動は停止してしまうだろう(70年代以降、コミュニティが崩壊の一途をたどっているのがアメリカである)。

 仕事にしろ、私的な生活にしろ、その根底にあって人を動かす動力源となっているのは「承認」と「意義」だといってもよい。どの場所で、どのような承認や意義付けが得られるかで、仕事と私的生活が渾然一体となる場合と、明確に分かれる場合があるだけだ。

 そして、今後、人々は自分自身にとって最も相応しいと思える場所での承認と意義を求めて行くことだろう。大手だから社会的に「意義」があるとはいえない事件が続き、仕事と生活の双方を充実させようという動きが徐々に広がってきている。自分自身が「意義」を感じられ、その場で対等の仲間から「承認」される仕事を求め、その中で自分らしい「生き方」も模索していくことだろう。なぜなら自ら意義を感じて集まった対等の仲間であれば、仕事に関する意見の相違を尊重するだけでなく、それぞれのライフスタイルの違いも尊重する可能性が高くなるからだ。そこではもう「仕事と私生活の区別がないのが不思議」という感覚はあっても、それが間違っているという判断はあり得ない。それはその人がその時選んだ「意義」付けの方法なのだから。逆に私生活優先だからといって、組織内の仕事をきっちりと果たしているのであれば、「なんで先に帰るんだ」などという不平も生まれようがないだろう。

 ただし一つだけ注意が必要である。「意義」と「承認」は人間にとって不可欠だが、麻薬のようなものだ。ファシズム的絶対服従を産んだり、舞い上がって、自分の会社さえ良ければなにをしても良いという行動が承認されるようになる。洋の東西を問わず、組織がスキャンダルを起こす場合、その背後にはこうした意義付けと承認のゆがみが隠れている。これは特に外に対して閉鎖的な組織で起こりやすい。逆に、組織や家庭の中で、なかなか承認が得られないとなると、マイナスの承認を得ようとする場合もある(スーパーでぐずって言うことを聞かない子供を思い浮かべてもらうといい。子供は親の注意を引きたい場合がほとんどだ)。これは非常にやっかいだ。生き方においても、仕事においても、何らかの承認が欲しいがために、マイナスでもいいからとなっていくと、マイナスの承認を引き寄せてしまうし、マイナスの承認を自ら求めるようになるというのが、心理学の知見である。

 こうなると、 自分自身に対する評価を低め、常に叱られている方が「安心」するようになる。生きにくそうに見えるのだが、案外本人はそれに気がついていなかったりする。周りが常に自分より優れているように見えるので、周りのまねをしよう、周りの指示通りにしようと必死になることになる。じつはそれが自分自身の意義付けの根っ子を掘り崩していることに気がつかないまま。やがて、根っ子のない、芯のない生き方しか選べなくなってしまう。もしかすると、マイナス承認ばかりを受けすぎて、知らないうちに心が折れてしまい、ふと気がつくと自死しているかもしれない。

 おそらく、今後働き方あるいは生き方の問題としてクローズアップされてくるのは、過労死や自殺の根っ子にあるマイナス承認衝動ではないかと危惧している。しかも真理に関わるだけに、本人が変えようと思わない限り、他人がどのように働きかけようと無駄である。とはいえ、これは人間の自尊や自侍という人間の様々な特質の基本的土台に関わるものである。自尊や自侍なしに創造的なものは生まれない。正直この点に関しては、将来社会が抱える最大の問題ではないかと危惧しているのだ。

競創 「自給自足」と「消耗戦」の間で

グローバリズムという言葉が使われ始めてもう15年以上たっただろう。この言葉が良い文脈で使われることは滅多と無い。ましてグローバリズムと競争となると、悪の温床のように目の敵にされる。逆に自給自足、地域資源、地産地消という言葉は、善の代表選手のように取り扱われている。

 思想史という過去の思想をあれこれとつつき回している人間は、こういう時、ついつい斜に構える。なぜなら、「自由+競争=悪」対「自給自足+共同体=善」という現在にも似た図式で、過去にも論争が行われ不毛になったことを知っているからだ。

 なぜ「悪対善」が不毛なのか。

 例えばの話、自給自足的が善だとしよう。では自給自足できない土地に住んでいる人々はどうすればいいというのだろう。サハラ以南の慢性的飢餓に悩む人々に、自給自足をしたらというのだろうか。いや、そんな遠くまで行く必要はない。日本の大都会そのものが沙漠であり、自給自足にほど遠い。

 自給自足を善とする人の中には、こうした都会的生活そのものを抜本から変革し、自分たちの村を作ろうとする人たちもいる。大正時代の「新しい村」運動、19世紀のロバート・オーウェンなどが過去の事例としてあげられる。彼らは、文字通りラディカルに生活形態を改変し、自給自足的生活を築き上げようとした。そこまでラディカルではなくても都市生活の無機質さや機械的生活から人間性を取り戻すためにと、設計されたのが「田園都市」である(東京多摩田園都市はこの運動が日本に波及したもの)。

 現代でもこうした運動に邁進する人たちがいる。そのこと自体をとやかく言うつもりはない。けれど、ともすればこういう運動は閉鎖的になりがちである。これは無理もないことだ。平凡な人間が何の疑いも持たずに過ごしている生活を根底からひっくり返すわけなのだから、こうした運動に同意する人たちは、当初はごく限定された数になる。またその運動が依拠している根本原則に従う人でないと受け入れられないことになる。結果的にある原理原則を元にした集団が出来上がる。これだけならば、別段不自然でも不可思議なことでもない。通常のベンチャー企業と同じだ。

 しかし、一つだけ大きな違いがある。ベンチャー企業は市場や顧客に対して自分たちの商品やサービスを説明し、売らないと生きていけない。顧客の不満に耳を傾けなければたちまち倒産だ。しかし自給自足的集団は文字通り「自分たちだけ」で生きていける。だからこそ、外からの批評に耳を傾ける必要はない。時として批評を非難として、攻撃として受け取ってしまうこともある。外だけではない、内側からの批判に関しても同様になってしまう危険性を持っている。

 なぜここまで閉鎖的になるのか。その答えは案外単純だと断じた人がいる。これまで時折登場願っているJ.S.ミルだ。彼の答えは「競争の排除が原因」というものだ。彼は自給自足的な組織や、今の生活協同組合的組織、労働者によるベンチャー的なアソシエーション、いずれに対しても「競争」することを求める。それも既存の企業とともにだ。

 そんなことをいわれても、農業組合法人や農業法人と、イオンといった大スーパーでは資金や仕入れの有利さで競争どころかスタートラインにすらたてないじゃないか。こういう反論は当然だろう。しかしそれでも競争をとミルはいう。なぜなら競争が無ければ、組織が閉鎖的になり、新しい息吹が吹かなくなるからだ。そしてミルの主張する競争は、現代的な意味での競争(彼の言葉を借りれば「相手を押しのけ押しつぶす」闘争的競争)ではない。

 ミルのいう競争を理解してもらうために、ちょっと話を変えてみたい。世界陸上・W杯・F1。こういった競技に観衆は何を期待しているのだろう。金に飽かして有力どころをそろえたチームが常勝路線を突っ走ることだろうか。それとも互いが、ギリギリまで鎬を削り、よりすばらしい記録、よりすばらしいプレーを残すことだろうか。単純に自国チームが(たとえダーティーといわれようと)勝利を手にすることだろうか。もしすばらしいプレーヤーやチームだけが見たいのなら、なぜわざわざ弱小チームとの競技会をもうけるのだろう。雪の無いジャマイカのボブスレーチームに世界中が熱狂的な声援を行い、ついには映画にまでなったのはなぜか。結局のところ私達は、同じ目標を持った人間がどこまでの高みを目指せるかに熱狂するのではないだろうか。そしてそのためには、互いに競争しなくてはならないということを暗黙裡に認めている。

 ミルのいう競争は、競い合うことによって、より高度なものを人間社会に提供していくための競争、つまり「競創」である。

 もの(商品だろうとサービスだろうと、記録だろうとなんであれ)を創りだすことは、苦痛に満ちている。だからこそ共に競う相手がいないと、すぐに自己満足に妥協に流されやすい。そしてその結果を批判されると、ついつい敵対的になる。逆に共に高みを目指しているのであれば、批判や欠点の指摘は自分の成長へのチャンスと受け入れることができる。

 ミルは自己目的化した成長、すべての人間が同じ目標(金銭的動機)を持ち、敗者を蹴落とすためには何でもするような競争を拒絶する。彼は人間が人間として、そして多くの人間がその人自身の生を生きるための社会を創り続けるための成長を求め、そのためにこそ「闘争的」競争ではない競争、「競創」を求めたのである。 ミルが「競争(競創)」を常に手放さなかったのは、互いが互いを高め合う機会を喪失してしまうからである。 

 ここからは私の勝手な推論になるのだが、ミルの競創を煎じ詰めると敗者も勝者もいなくなる。ドトールも、スターバックスも、フェアトレードコーヒーも「コーヒー消費市場」で戦っていると考えれば、当然敗者と勝者が出てくる。けれど、この3つの店舗へ足を運ぶ消費者はいつも同一の動機で消費しているのだろうか。コーヒー1つとっても人はいろんな動機で商品を選ぶ。それぞれにあった商品を提供している限り、そして創造的に自分たちの商品やサービスを成長させている限り、敗者も勝者もいないのではないだろうか。

 20世紀「グローバルで競争する」というと、体力勝負(資金力勝負)の消耗戦しかあり得なかった。しかしこれからグローバルで、世界で、競争すべきなのは、体力や資金量ではない。自分たちがどれだけ高い目的や目標を持って、日々変化し創造し続けることができるかだ。海外市場に堂々と自分の商品を売りにいく地酒の蔵元がある。資本金は3000万円に満たない(同業種のトップ企業は資本金6億弱だ)。世界のファッションショーに服地を提供する地方の小さな織元もある。品質の高さで負けない商品を創りだす人々が、いわゆる「発展途上国」に存在している。彼らとサシで勝負するのってワクワクしないだろうか?どちらがより高い品質のものを、どちらがより創意工夫に飛んだものを創造し続けるか。勝負は買ったり負けたりしながら、ずっと続いていく。それが「競創」の世界である。

 さて、いつのまにか自給自足の話題が競争の話題になってしまったが、自給自足を頭から否定している訳ではない。また現在のグローバル路線や自由貿易路線が良い結果をもたらすとは思えない。だからこそ、ここまではあえて「競創」という言葉を使って、別の形態の競争があるということを示したかった。

 私は自給自足という言葉、運動に閉鎖へと向かう危険性とともに、もう一つの可能性もあると考えている。たとえば日本の「民藝運動」。柳宗悦といった民藝運動を主導していた人々は、普通の人が普通に使っていた日常雑器の中に世界に通用する「美」を見いだした。そしてそれを一般に公開することを望んだ。さらに志を同じくするバーナード・リーチとともにイギリスに日本式の窯をつくり、多くの陶芸家を育てたりもしている。彼らの運動には批判もある(なにしろ大日本帝国時代であり、その枠組みから抜け出せなかったのも確かだ)。しかし注目してほしいのは、日常的なものをその土台や根っこを破壊しないまま、より開かれたもの、洋の東西を問わずその真価を問うことができるものへと進化させていったという過程である。

 先述した地酒の蔵元も地元産の米や果実にこだわった製品を作り続けている。そういう意味では「自らのもとに(供)給されるものにこだわって」いるのだ。そして「自らがもって足りとするもの、つまり自信が持てるもの」を送り出している。自分の生きる場所、自分が自信を持ってこれだと決めた仕入れ先や材料を大切にし、自分が自信を持って世界に問うことのできる物を作り出すこと。これもまた「自給自足」では無いだろうか。ただしこの場合の自給自足は、単純な地産地消ではない。自らが決定し自信を持つのであれば、地球のどこから仕入れていい、地球のどこへ供給していい。地球の大地に根を下ろす自給自足である。その時、自給自足はその閉鎖性を逃れることができるだろう。

ノマドと共同体

  20世紀、特に旧ソビエト連邦の崩壊後、グローバル化という言葉が喧伝されている。資本(資金)も企業も国境を越えて有利な場所へと瞬時に移動する。人もまた、能力があれば国境を乗り越えて活躍すべきだと主張される。そして対照的に日本の若者の内向き志向が批判される。

 ここで描かれる資金や組織や人は、自分にとって有利な場所を求めて常に移動を繰り返し、固定したあるいは固着すべき依処を自ら捨てたかのような姿である。

 しかし、同じように楽々と国境を越えながらも、また異なった越え方する人々もいる。この人たちは多言語に通じているわけでもない。多国籍企業に属しているのでもなければ、特別な技能を持っているわけではない。ただ自らの意思の赴くまま、同じ意思や志の人を求めて、国境を越える。ちょうど幕末期に多くの若者が脱藩という形で国境(くにざかい)を越えたように。こうした人たちも、一見すると上に書いた人たちのように、依処自ら捨て、敢えてノマドとなったかのように見える。しかし、こうした生き方をしている人たちの中には、ノマドでありながら、依処を知る人たちがいる。彼らにとっての依処は彼ら自身の志である。だからこそ、表現や手法が違っても、どこか同じにおいのする人のところにいると「帰ってきた」と思うことだろう。あるいは瞬時に「故郷の懐かしさ」を覚えることだろう。

 一方、今回の震災では再び津波の被害を受ける可能性が高いと知りながら、またその地での復興どころか復旧すら非常な困難が伴うことを知りながら、あえてかつての土地に戻ろうとする人たちがいる。放射能による健康被害の可能性を知りながら、土地を耕し田になえをうえるひとたちがいる。こうした人たちは、先ほどのノマド的な生き方をする人たちの対局にいるように見える。だが、本当にそうだろうか。

 この人たちにとって、土地は単純に先祖代々受け継いだというものではなく、その人の生き方の拠り所そのものではないのか。先祖代々受け継いだというだけであれば、バブル期にあれほどの土地の売買は起こらなかっただろう(もちろん裏で相当あくどい地上げがあったのは承知しているけれども)。単にその土地を所有していることではなく、その土地で生きていくことが拠り所になっているのではないか。実際、ある土地で生きていくためには何らかの拠り所が必要であり、それを目に見える形で現しているのが、依代としての神社ではなかったのではあるまいか。(内田樹氏が新興住宅地にはまず神社を設置すべきだといわれていたのを思い出す)。

 拠り所と依代。ノマド的生き方をしている人にとっても、その拠り所と依代は彼らの持つ志であろう。ただ、その志や意思が共通する場所が世界各地に点在しているだけではないのか。そしてある土地を拠り所とし依代を定めた人たちもまた、同じように土地に拠り所と依代を求める人と志を共有化する事が出来るのではないか。それは土地に拠り所と依代をもちながら、様々な理由によってもはやその依代の地に戻れない人も同様であろう(いや、一層強力かもしれない。東北は、特に戦後の高度成長期以降、東京に労働力としての人と、食糧としての米と、エネルギーとしての電力を供給し続けてきた。東京の人たちがなぜか被災地意識が強いのは、あながち東京中心主義とはいえないような気がする。彼らは依代を失ってしまったのだ。いや、依代を残して他所にきてしまったという意識を持ち続けているのではないか)。

 ノマド的に志を依代にして世界を駆けめぐる人たちと、ある土地を依代として、その地で生き続けることを選ぶ人たちと。一見正反対の姿ではある。そしてもし「共同体」という言葉を用いてしまえば、両者はまさしく正反対の存在でしかない。しかし果たしてそうだろうか。人間はただ一つの共同体にしか所属できないのだろうか。志は共同性を生まないのだろうか。私がここまで「拠り所」や「依代」という古めかしい言葉を使い続けてきた根底にはこの疑問がある。依代や拠り所はただ一つとは限らない。また同時に多重に拠り所を持つことも出来る。依代もそうだ。日本での依代とアフリカの依代は異なっているだろう。しかしその働きは、求めるところものものは同一でありうる。依代は表層で異なりつつ、根元で共通になりうる多層性をもつ。私はこの多重性と多層性がこれからの時代の「生」にとって重要な意味合いを持つのではないかと考えている。

 いわゆる国民国家というものが出来る前、人は多重な世界に生きていた。ある村の村役であり、家長であり、農民であり、時には推理県を巡り婿と争う舅であったりした。家そのものも(社会によって相違は大きいが)血縁関係で継続しているとは限らなかった。さらに大きな範囲でいえば、誰が王かということは、日常生活や納税に関わらない限り知ったことでなくてかまわなかった。王もまたどこからどこまでが自分自身の領地かということは、支配勢力圏の問題であると同時に、支配清涼をのばすためには依安上がりな婚姻という手段を執ることも出来たのだから、二重王権(妻との共同統治)の土地があって当たり前であった(もっともヨーロッパでもどこでも争乱の元になるのが常だったろうが)。だからといって、人に拠り所がなかったわけではない。日々の生活そのものが拠り所を形成していた。

 時代は下って21世紀。果たして国民国家はこのまま存続するのだろうか。グローバル化が喧伝されているといった。それは確かに資本や組織の都合でいわれる場合が多い。しかし、拠り所の少ない資本や企業はもとより根無し草であり、根無し草としてもっとも有利な条件として国民国家の敷居がなくなっていく兆候に敏感なだけではないだろうか。

最小不幸と最大幸福(2)

 ミルは一応ベンサムとともに功利主義の論者とされている。「されている」と書いたのは、最初に説明した快苦スケールに量だけではなく質も含まれるべきと主張したという点で非常に扱いに困る論者だからである。スケールが一つではない場合、どのようにある快楽とある快楽を比べるのかという問題がでくる。その上彼はArt of Life として正義や倫理の分野、政策等の分野(深慮)、そして美や高貴の分野に分けて人間の行動を評価しようとする。スケールに量だけでなく、分野が入ってくるのだから、単純になにが「最大」なのかわからなくなってしまう。というわけで、研究者の間でも彼がどのような功利主義者なのか、そもそも功利主義者なのかを巡って、今も論争が続いている。

 それはさておき、私が注目したいのは、彼がArt of Lifeを追求する上で、そして幸福を最大化するときに、各個人が生存する上で必須と考えられる要素(vital interest )が確保されている(secure)ということを基礎としていることである。そしてその上で、各個人が他者と協力して(あるいは反発しながら)自らの生、生き方を自由に追求していくことを求めた点である。この必須要素はセンのベーシックケイパビリティとよく似ているのだが、何が必須要素にあたるかは時代ごとに、社会ごとに、地域ごとに異なっている。逆に言えば個別事情に応じて、各個人が、あるいは各地域がその場における必須要素が何かを考えなくてはならないのである。極度の貧困に喘ぐような社会では必須要素に関する合意は達成しやすいだろうし、他の社会から見ても判断しやすいだろう。世界的な機関による全般的な救済策や災害時の緊急要請などがそれにあたる。しかし慢性的な貧困や豊かな社会に偏在する貧困や必須要素の欠如は、個別事情を勘案しつつ解決を図るしか無い要素をはらんでいる。だからこそミルは統治を「人々の教育」として位置づけている。各人が他者の利益関心に興味と関心を寄せつつ、当該社会の必須要素欠如をどう解消していくのかを真剣に考えることが、「統治」であり、それは代表者のみが行うもの、行政が一律に行うものではない。むしろ各人が作り出していくものである。

 その上で、各個人は自ら求める理想の人生像を求め続けるための活動を行うことになる。こうした活動を経済的に支えるものが何かといえば、労働である。しかし、ミルにとって労働は「誰かに雇用される=資本に雇用される」労働ではなかった。むしろ人々が自由に資本を雇用して活動することが将来像として提示されている。そしてその場合「投資」は一攫千金のためではなく、各人がそれぞれ、あるいは協同して行う事業の理念に対する賛成票であり、応援手段である。

 ミルが求めた社会において、最小不幸は人々がその内容を考え、自ら達成するものであり、そのためにも各個人の自由な活動と、その活動を支える様々な人々の投資が必要だと考えられていたのではないか。最小不幸を何か一つの概念として固定するのではなく、常に考え続け、常に解消につとめることの中に、人間の進展があるというのが私がミルから学んだことである。

 とここまで書き進んだところで、3月11日を迎えた。その日から以降の事柄を今更事々しくかき立てるつもりはない。また通常ならば「東北地方の未曾有宇の災害に云々」というフレーズを付け加えるところだろうが、それもしたくはない。起こった事柄はそこに厳然として「ある」。その厳然としてあるものに対して、単なる決まり文句を繰り返すことはしたくないからだ。ただ、支援の輪が広がる中で、また今回の災害の中で気になっていることをミルに引きつけながら、書いて終わりとしたいと思う。それが今の私にできるわずかながらの支援だと考えている。

 まず第一にソーシャルメディアの広がりとその中で垣間見えた「教育=共育」の可能性である。すでにソーシャルメディアの活躍とその功罪については、マスメディアでも取り上げられているのでご存じの方も多いと思う。これからの議論はアカウントを持ちリアルタイムで体験した一個人の考えとして読んでほしい。今回に限らずソーシャルメディアでよく見られるのは誤報である。悪意を持ってではなく、善意から流される誤報もあれば、時間的に古くなっていて結果的に誤報となっている場合もある。今回震災直後からみられた私個人のTwitterアカウントでもそうした情報が流れていたし、注意を喚起する情報が流れた。その中で情報源を確かめより精度の高い情報を出しているアカウント、それを拡散するアカウント、さらに誤った情報を訂正するアカウント、誤報を自ら訂正し削除したことを表明するアカウント(マスメディアと比べてほしいのだけど)もあった。ずっと誤報なり偏った情報を出しているアカウントもある。結果的にアカウントを持っている各個人は、自分が情報の精度や確実度の高いと考えたアカウントから発信された情報を選択し、場合によっては拡散する。

  ミルは自らのことを社会主義者と呼び、当時の資本中心の社会に対して根底から批判的であったが、当時の一般的な社会主義者のように「競争」そのものには反対しなかった。彼が反対したのは巨大な力が圧倒的な力を持つ場での競争であり、生存のためには他社を蹴落とすことが第一義になるような競争である。ミルにとって本来の競争は「互いに互いを高めるため」「互いの違いを鮮明にするため」の競争であった。Twitterのタイムラインと、マスメディアの視聴率優先の報道を眺めながら、各個人の持つ発信力とともに個人だからこそ互いに対等に競争(時には罵倒も伴いながら)する情報市場では、情報の精査だけでなく、受け手の情報感度も教育されるのではないかと考えたのである。それは誰かのアカウントが(著名な知識人だからといった理由で)誰かのアカウントを教育するというものではなく、相互のアカウント同士がフォローや削除を通じて、互いの価値を互いに知らしめるという意味で「共育」である。おそらくこれが本来の共育なのだろう。

  そしてもう一つ、義援金や寄付以外の支援の動きである。それは「雇用創出のための消費活動」。自粛という言葉が日本中に蔓延し始めたころから始まった、ある意味政府や世間的常識に逆らう、静かなしかし芯の通った一人一人の行動の呼びかけである。義援金も寄付金も地元に届くまでに時間がかかる。そして避難者とひとくくりにラベル付けされ「支援されるーする」関係性の中に絡みとられると、人間は「依存する」ことになれてしまう。ミルが19世紀の半ば工場経営者が労働者住宅を建てることに強く反対してのもこの点ゆえだ。経営者が建てた住宅に住み、経営者が支給する支援金になれてしまえば、労働者は「個人」ではなく「経営者のお抱え奴隷」になってしまうとミルは考えたのである。この奴隷は身体的には拘束されていない。しかし自ら人生を自ら考えることをしなくてもよい,それは経営者に任せればよい考えさせられてしまった精神的奴隷なのである(同様のことをミルは女性問題でも論じている)。

  緊急時の支援は必要である。けれど1月先、半年先を見通すなら、必要なのは「自立」であり、そのためには何より自分の力で生活を再建できる見通しがあることが第一である。だからこそ、被災しなかった、日常を無事に過ごせる私たちは、日常通りに消費をし、被災地の産品を好んで消費することによって、被災地の雇用再建の道を閉ざさないことが肝心なのだ。上記の呼びかけをした多くの人がそう考えたのであろう。彼らは、経済が互いにつながっていること、自らの手で生活することが人間の自尊心にとっていかに重要か、そしてそれがいかにもろいものかをよく知っているのだと思う。被災者ではなく一人の人間として仲間とともに、自らの人生を生き続け自分自身の幸せを追求するために「必須な要素」は一方的な支援ではなく、「自立」である。そのためには、消費行動からさらに踏み出して、「被災者」だからではなく「あなただから」という信頼を基盤とした投資というミルが提唱した方法も有効な手立てだと考えている。