「地域」の「計画」

地域計画という言葉にはどこか古めかしい印象がある。もっともそう思うのは行動成長期に生まれ、農村地域だとか第○次計画と言った言葉を習ってきたせいかもしれない。ともあれ、地域にしろ計画にしろ、各々の単語は今まで使われてきた言葉だ。

 まず「地域」を取り上げてみよう。地域には行政区画、集落区画のように地続きになった土地をまとめて呼んだり、商業地域、工業地域のようにその土地の性格でひとくくりにしたものもある。このところ衆目を集めている言葉では、地域ブランドに地域資源がある。何れにしても地域の特徴は「地続き」にある。地域資源と資源は付いているが、石油や金、ダイヤモンドと言った資源のように国境をまたいで存在するわけではない。同じように蕎麦が売り物だからといって信州と出雲を同じ地域としてひとくくりにして、活性化しようとは誰も思わないだろう。地域という言葉には土地に区画線を引いて、内と外に分けることが含まれている。地続きの地域が、地域資源をブランド化(地域ブランド)して、生き残りを図るというのがここ数年の動きだ。この方向性に本当に生き残りの可能性はあるのだろうか。私自身は低いと思っている。0だとは言わないまでも、極めて低いと思っている。こうした地域の活性化には二つの障壁があると思うからだ。一つは「金太郎飴」、もう一つは「人材不足」という壁である。

 この二つの壁を説明する必要はないと思う。が、なぜ金太郎飴になるのか、人材不足は何なのかは説明しておきたい。地域ブランドにしろ地域活性化にしろ、掛け声は「その土地特有の良さを活かす」である。けれど何がその地域特有の良さなのかは自分たちで考えなくてはいけない。ところが大概「そんなものはない」「何が良いのかわらかない」という答えが返ってくる。そこでいち早く成功した地域へ視察旅行が始まる。そして「あれが良かった。自分の地域でもあれを」になる。農家が競争的に出荷する産直市が成功すれば産直市を、ゆるキャラはいうまでもなく、擬人化キャラを募集し…とどこかで見たような企画がならぶことになる。さらにこうした金太郎飴企画を策定しているのが、東京の某大手広告会社の出先機関だったりする。地元に人はいないのか?という声が上がりそうだが、すでに流出済みか、いても「信用」されていなかったりする(この田舎にそんな才能のある奴はいないはずというわけだ)。ようは金太郎飴と人材不足は根っこが同じなのである。「内向き志向」という根っこを同じにしているのだ。

 この内向き志向という奴は、思っている以上に厄介なところがある。前も書いたことがあるが日本という土地は「外から良いものがやってくる」土地である(ユーラシア大陸の吹き溜まりといった人がいるが、言い得て妙だ)。だから良いものを生み出そうとするときに、「外のものを模倣する」という性向をどうしても持ってしまう。そのこと自体は決して悪いことではない。しかしその性向が行きすぎて、自分たちで課題を解決しようとせずに「外から来る良いものを待っている」となると話は別である。砂漠に頭を突っ込むダチョウと同じで、逃げているようで逃げていないことになる。そして残念ながら、現在の日本ではどこの地域でもこの行きすぎた内向き志向が強い(東京は?と聞かれるかもしれないが、東京こそ「外からの良いもの」を待っているところじゃないかと思う。変に「方言」が流行り、NYやどこやらで流行った「健康的な」「環境に優しい」ナントカカントカがすぐに進出して、歓迎される)。

 では「計画」の方はどうだろう。近頃は教育現場でも税金等費用をかける(金を払う)のだから、それに見合う実績をというわけで、PDCAが叫ばれている(PDCAとPTSDとよく取り違えてしまうのだが、私の深層心理がそうさせているのだろうか?)。PDCAが典型的だが、まずしっかりとした計画を立てて、計画通りに進んでいるか、進まなかったらその原因は何か…という文脈で計画は使われる。それがマズイわけではない。マズイわけではないのだが…得てして「計画倒れ」が起こったり、計画通りにいかなかったときの「隠蔽」が起こったりする。どうも日本(政府だけでなく個々人も)は計画性をもって事にあたり、事実を冷静に客観的に検証し、原因となる「こと」(人ではなく)を追求するのが苦手なのではないかと思う。ついでに言うと、確証がない印象論なのだが、鰯のような小魚を食べるていると「ザッと」してしまうのではないか、綿密な計画を立てて…ということは苦手になってしまうのではないかと思ったりもしている(ヨーロッパだとイタリア・ギリシア・ポルトガル・スペイン…財政破綻したところばかりー笑)。ただ、こうした綿密な計画だけが計画ではないと私は考えている。ザッとしたなりの計画があっても良い。ザッとしたなりの計画は、破れが多いしその場でつくろわなくてはいけないし、いったい最初はどこを目指していたんだというところが出てくる。が、ザッとしたなりに何となく、キチッとはしていないけれど、取り敢えずのことはできる。やりながら考えるのか、考えながらやっているのか、やってから考えるのかの別はあれ、考えてはいる。そしてザッとなりでよければ、地域は「土地続き」の「内向き志向」から脱出できるかもしれないと考えている。

 綿密に考えれば地域は地続きで一体になれるところだし、何か共通項がキチンとあって、目的を共有して、プランやビジョンを立てて活性化しなくてはいけないところだ。(ここでは「活性化」が何を目指してかは問わないでおこう。話が長くなるから)。でも、ザッとでよければ、「問題や課題が一緒のところ」でも「気候や特産物が似ているところ」でも「歴史的に縁ー因縁も含めてーがあるところ」でも、繋げる要素はでてくる。実際に藩主の縁続きで共同して地域おこしをやっているところがある。東北仙台と四国宇和島だ(双方とも伊達氏)。

 だとすれば換金できる地域産業に乏しい、若者がいなくなる、女性が貧しいといった課題ごとに、土地を飛び越えて連携することも可能なのではないか。連携主体は自治体でなくていい。その土地に住んでいるごく一部の人でもいい。いやむしろ少数のほうがいいかもしれない。少数のコアとなる人が動き出すと、内向き志向の地域では大概「孤立」という運命が待ち受けている。より正確に言えば、尖った面白いコアな動きをすればするほど、内向き志向から浮き上がることになる。今まではそこからその地域で活動を広げることが大変なことだった。けれど、もうそれは必要ないのではないだろうか。ある地域にいながら、その地域とは別の地域とつながっている。それは日本の他の地域でもいいし、アジアでもいいし、アフリカでもいい(先進国でないほうが面白いと思う)。課題の解決方法を共有する必要すらない。ザッとしたものでいいのだ。極端な話、「俺ら、こんな面白いことやってるけど、あんたとこは?」「うちとこは、こんなんしてるで。なかなか売れへんけど」「同じやな」で始まって全く構わないと思う。大事なのは実際にやっている、やってみた経験の交換、知恵の交換である。

 ちょっと妄想してみる。フィリピンにユネスコ世界遺産に登録されているコルディエラの棚田がある。世界遺産になったものの、現金収入を求めて若者が流出し、耕作放棄地や畑になるところが続出。一時危機遺産リストに登録されたことがある。2012年に危機リストからは外れたものの、今でも課題は山積みだ。棚田を維持するためには石積みの技術が必要だが、その技術を継承している人が減ってきているなど、私が学生と一緒に行っている里山も同様だ。作っている作物や規模は違っても、日本各地の棚田も同様である。だとすれば、お互いに技術の継承し合いっこは出来ないだろうか?日本とフィリピンでは天候も違う、使う石も違うだろう。でもザッと「石積みをする」ところでは何か共通のものがあるかもしれない。たとえ片一方で技術がなくなったとしても、もう一方が継承していれば、またその技術を応用して復活させることも可能かもしれない。あるいは「石」でなくてもいいかも?という新しい知恵が生まれるかもしれない(ペットボトルの再利用なんてことが起こったら妙に面白い風景が出来上がりそうだー耐荷重的に無理だろうが)。

 妄想である。妄想ではあるけれど、日本に限らず地続きという性格を持つゆえに、どうしても内向きになってしまう「地域」を活かすためには「外」という要素が不可欠だということは、これまでも言われ続けたことだ。今問われているのは、外とどう繋がるかという繋がり方のための計画だと思う。かつての地域連携は、連携地域が遠すぎて実効性がない(姉妹都市など)か、最終的に合併を視野に入れたものだった。結局「外」をなくしてしまったのだ。「外」を無くさずに「外」と繋がるための緩やかな方策。どこか一地域と固定的につながるのではなく、多くの地域とゆる~く、でも手放さずに繋がっていける方策。そんな方策がこれからの地域計画なのではないかと私は思っている。

冒険

 冒険と聞くと大概危険なこと、大変だけど見返りとなる栄誉や利益がたいそう大きなものを想像する。確かにこれまでの冒険は未知への挑戦であり、何か特別なことだった。またこれまでの冒険には明確な特定の個人がいた。主人公というべきかもしれない。漫画のワンピースだったらルフィーと麦わらの一味といったところだろう。特別な能力なり先見性がある人が、通常の人がやらない事を平然と実行する。一般の人々は呆気にとられたり、その無謀をあざ笑い、嘆いたりする。けれど一旦成功すると万雷の拍手を持って迎える。そんな感じだろう。

 では渡り鳥はどうだろう。彼らが地球を股にかける冒険をしていることに異存がある人はいないだらう。しかし渡り鳥に特定のリーダー、他に秀でたリーダーがいて、すべての群れがその決定に従って渡りを始める…のではない。

 渡り鳥に限らず鳥たちが集団で移動する時、どこからともなく同種の鳥たちが集まってくる。電線の上に、木々の梢に、一羽、二羽、と見る間に群れになる。群れになってしばらくは動かない。一羽が飛び立っても全体は動かない。そのうちパラパラと飛び出しては戻ってくるのが現れ、やがていつともなく全体が一団となって移動する。渡り鳥も都会の雀やカラスも基本は同じだ。こういう集団行動の始まり方は鳥たちに限った事ではないらしい。幸島の猿で有名な猿が芋を海水で洗う行動も、子猿ー好奇心満タンで怖いもの知らずーが始め、それが集団に広がったとはいえないらしい。というのも、少なくともその付近の海に面した猿の集団で同時多発的に芋洗いが始まっているからだ。最初の行動が何かを始めるきっかけになるのではなく、初めての行動を模倣する個体が出てきて集団の行動が変わって行くのだという。

 実は人間でも同じように先駆者が一人いても変化は起こらないのだという。先駆者に続く第二の人がいるかどうかが鍵を握っている。実際に実験している動画がYouTubeにあるので検索して確認してみて欲しいのだが、スポーツ観戦中の観客が一人、いきなり服を脱いで踊りを始める。しばらくは誰も続かない。が、もう一人が同じように服を脱いで、踊りだし、一緒にやろうぜという風に手招きをすると、続いてやりだす人が増えてくるのだ。奇妙な行動、突飛な行動であっても「みんな」であれば怖くない、というわけではないのだろうが、後続者がいて変化が起きるという点が面白い。そして私は「冒険者」が現れるのも、こうした人間や鳥のような動物に共通の行動パターンが関係しているのではないかと考えている。

 冒険は一人ではできない、仲間が必要ということではない。冒険には資金がいる。時代や社会が変わっても、資金ではなく資材や人望であれ、何か突拍子もないことをやる人をバックアップしてもいいという人が必要だ。一緒に冒険する仲間ではない。率先して支持する人だ。いいねマークを押す人、すごい、かっこいいと言ってくれる人、資金等を持っている人につなぎをつけてくれる人、実際に資材や資金を出す人…等々。なんでも、どんな形でもい。理解者、味方である人たちが必要なのだ。

 しかし支持する人たちを作り出すことは不可能だ。自分の冒険への賛同者を得ることは難しいけれども可能だ。自分の熱意なり確信なりを共有するのが賛同者だ。だから確信の証拠なり、熱弁なり、人間的な魅力なりで惹きつけることはできる。けれど賛同者は賛同した時点で冒険者と同じ立ち位置になる。今まで誰も考えつかないようなアイデアを実現し、商品として売り出すこと(これもまた冒険だ)を考えてみると分かりやすいかもしれない。既存企業の中でやるにしろ、新規に立ち上げるにしろ、まずは自分のアイデアをわかってくれて、一緒にやってくれる人(=賛同者)を得ることは大切だ。だが、賛同者が集まって自分たちで資金を得て商品を開発することができたとしても、売れるかどうかは別だ。今まで誰も考えつかない訳だから、事前に「~のような商品を買いますか」と商品調査をしても、答える方も困るだろう。なにしろ「考えてもいない」商品なのだ。売れるかどうかは市場に商品を出して、「いいね」と言ってくれる人がいるか、お金を出して買ってくれる人がいるかどうかにかかっている。そして最初に飛びついた人を真似して続く人たちが必要になる。トレンドを作るというやつだ。(それでも想像しにくい場合は、スカートの下にズボンを重ね着することが「普通」になったのが何時からだったか振り返ってみてほしい)。

 確かに高度に情報化された先進諸国では、トレンドセッターといわれる一群の人たちがいる。彼ら・彼女たちに対して商品をプロモートしてトレンドを「作る」ことは可能なように思える。けれどもそうして作られたトレンドは小さなもの、長続きしないものであることが多い(陳腐化するともいう。ようは飽きられやすいということだ)。これに対して世の中を変えた商品は最初は「誰が買うんだ?」といわれ、ごくわずかな人が買い、それを真似る人がでて…と小さな流れが大きなうねりになるように広がる。こうした大きなうねりを人工的に作り出そうと様々な仕掛けがなされるが、うまくいった試しがない。本来のトレンドは作ることはできない。だた「ある」。いわゆる「時代の空気」というやつだ。この時代の空気がなければ、どんな冒険も帆を張ることができない。コロンブスはイスパニアの援助で世界一周を成し遂げた。その前に彼はベネチアに援助を断られている。コロンブスが説いたこと、彼自身は変わらない。変わったのはイスパニアとベネチアという違った「時代の空気」を持つ土地だ。

 さて、現在はどうだろう。冒険が認められる空気があるだろうか。少なくとも日本には「ない」という答えが返ってくるだろう。その答えは半分正しく、半分間違っている。正しいというのは、かつてのような「勝者総取り」「一攫千金」の冒険が認められ、賛同され、支持される余地はなくなりつつあるからだ。これは日本だけではない、世界的にそうだ。金融バブルを期待するなら別だが「画期的」なものが産まれる余地を見いだすのは難しい。技術が高度化し開発に多額の資金がいる分野が多すぎるからだ。じゃあ、全く冒険の余地がないのか、ずっと毎日同じ生活を続けていくしかないのか。確かにそういう閉塞感はある。が、逆に閉塞を感じる(息苦しいと感じる)ということは、余地を求めている人が多いということだ。もし、少しでいいから「余地」が見えたら、自分では余地を作れないと感じている人たちは猛反発するか、熱く支持するかのどちらかになる。「極論」と同じ構造だ。針の触れやすい時代状況だ。風は滞留している。風穴が開くのを待っている。 

 かつての近代であれば、ここから極論の時代へは一飛びだった。なぜなら冒険が大きな冒険、一攫千金の冒険だけしかなかったからだ。今は違う。少なくとも主婦や学生の「小さな冒険」が社会的に紹介されるようになったというだけでも違う。確かに報道のされからは大げさだ。たった一つの成功例がすべての解決策であるかのように紹介され、冒険せずに形だけを模倣しようという動きの方が大きい。そして形だけの模倣がうまくいかなければ、成功例は特殊な人の特殊例であるかのようにみなされ、閉塞感が加速する。だけども小さな一歩を踏み出す人は着実に増えている。冒険とは当人自身も思っていないかもしれない。従来のやり方と異なったやり方、異なった生き方を選ぶ、あるいは選ばざるを得ないことで、人とは異なった生き方自体が命をかけた冒険だった(である)時代(土地)がある。今は異なることに対して非寛容だ。しかし非寛容さの前に、異なること(生き方)が「ある」事実がある。本当に「みんなが同じ」ならバッシングも排除の余地もない。日常的なちょっとしたことが非寛容につながる時代は、逆に非寛容さを招き寄せる多様性が棲息し広がり続けている時代でもあると私は考えたい。

 ようは、時代の風があるといいたいのだ。ちょっとした冒険に尻込みするほどの逆風が吹く時もあるかもしれない。けれど騒ぎ立てている人は、本当は恐怖に駆られて騒ぎ立てている場合が多い。ちょっと引いて、あるいは逆に近寄って、「怖がらなくていい」と言ってあげる。そんな余裕を持ってもいいのだ。目くじらを立て、バッシングをする人たちの反対側には、何も言えずあるいは何も言わない沈黙の大多数がいる。この沈黙した人たちがどちらかの支持者になるとすれば、それは「余裕を見せた方」だ。自分を支持する人が少なくても、淡々と自分がやることをする。多数者は変化を恐れるが、変わったことをする人が淡々としているとそれは変化に見えない。変化に見えなければ、後続者が出やすい。形だけの真似であっても実行する人が多ければ、なんだか普通に見えるものだ。先のスカートの下のズボン。私は慣れるのに3年かかった(ファッションに関しては保守的なのだ)。未だに自分ではやる気にならない。でも「アリかな」といつの間にか思っている。

 淡々と堂々と冒険しよう。それがごく当たり前で誰もができることだと心の底から信じてやってみせよう。引きながらも、遠巻きであっても「なんだかいいかも」と思う人が多数いると信じよう。それが余裕を生み、支持者を増やしてくれるはずだ。ちなみに、変わることだけが冒険ではない。止まることも冒険の一つ。変化が多い世の中で、今まで通りの生き方を続けるのも冒険なのだ。渡り鳥の中にも渡りをしない渡り鳥がいる。留鳥となって厳しい季節を耐え忍ぶのだという。

回遊魚の根付き魚

日本創成会議という民間会議が2040年に人口消滅可能性の高い都市を発表してから、色々な所で議論がされているのだと思うが、統計結果が公表されている割には、結果を導きだす前提や全国的にはどうなのかが報道されていないような気がしていた。

 ということで、根がしつこいものだから日本創成会議のホームページで、統計結果を導きだした前提を確かめてみた。まず元になっているデータは国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)。推計モデルは1)子どもをもっともよく出産する女性の人口は20~39歳(平成24年の合計特殊出生率の95%がこの年齢)。2)この若年女性者数が現在のまま減少するとする。3)モデルケース1:人口移動が全くない状態。30年後に若年女性者数は7割減少。人口維持のためには出生率を2程度になる必要が有る。モデルケース2:男女ともに人口が3割程度流出する場合。30年後に若年女性者数は半減する。このケースでは出生率が直ちに2に上昇したとしても、若年者女性数の減少は止まらない。出生率の上昇を女性の流出が相殺してしまう。

 以上が推計の前提とモデルケースで、後は実際に現在の地方自治体の若年助成者数と人口流出率を使って、推計を行った結果を発表している訳である。ごちゃごちゃ書いたけれど、ざっくり言えば「今のまま地方から若者がいなくなると、人がいなくなる自治体が出てくる」という今まで繰り返し問題として叫ばれて来た事を、ことさら新しく見せた統計という感じでもある。ただ、若い女性の減少数に大きな焦点を当てているのが他と違う所だろう。

 では、本当に若い女性だけが流出しているのだろうか。国立社会保障・人口問題研究所の人口移動率推計値に当たってみた。男女の移動率の年齢差が問題になっているようだ。大学生の時期に男性の移動率がマイナスでその後停滞する県で若年女性減少率が高い傾向が見られる、一方高校生時期から大学生まで男性が大きなマイナスを示す県では若年女性減少率は低い。大学生の時期に男性が流出してしまう県の女性は、本人が地元志向であっても同県出身の男性と結婚して出て行くのかもしれない。一方早期に男性が流出してしまう県では、結婚適齢期男性は「地元に残ってくれた貴重な存在」で地元志向の女性を惹き付けるのかもしれない。理由は全くの推測にすぎないし、発表された若年女性減少率そのものは府県単位ではなく自治体単位なので、もっと別の理由がある可能性も高い(元々若年者層が少ない高齢化の進んだ自治体とか)。けれど、若年女性減少率の問題は男性の流出率と何らかの相関関係が有るだろうというのは、経験的にもなんとなく頷ける話である。

 さて、ここで話が終われば「だから地方に大学と職場を!」とか「女性も自律して働ける職場を地方に!」という事で終わってしまうのだが、統計というのは注意が必要だ。最初に書いたようにこの統計は「現在の傾向が変わらなければ」という前提に立っている。確かに全国的に人口減少に歯止めがかからないようだし、地方の過疎化は一段と進んでいる。現在の傾向をそのまま20年程のばしたとしても、何ら変わりがないと言い切る人もいるだろう。けれど府県単位、いや地方自治体単位ですら「マクロ」の視点であって、地方の現場単位では逆転現象を起こしている所もある(というかその例を知っている)。現在の傾向が続くのかどうかを一緒に考えてみたいと思う。
 松山市の沖(乗船時間10分程度)に中島が有る。島に信号機が2台しかない(2台目はつい最近設置されたばかりだ)。設置理由は中学生になって島を出る子供たちの教育用(実際の信号機に慣れるため)である。風光明媚だが典型的な過疎の島…に見える。ところがこの島は人口流出どころか、人口が流入し、結婚式が増え、子どもが生まれている島である。そのきっかけは、島から東京へ音楽活動のために出て行った若者が島へ戻って来た事にある。といって家業を継ぐためではない。島の危機を見るに見かねてでもない。敢えて言えば「東京という暮らし方」に見切りを付けたというのが正解に近いだろう。東京という大消費地に振り回されない自分の音楽と生活の基礎を築くために選んだのが故郷だった訳だ。彼らは「農音」というブランドで無農薬の柑橘類を主として首都圏向けに出荷している。パフォーマンス集団であった事もあり、彼らを訪ねていろんな人が中島に来る。農繁期に手伝いにくるのも入れば、そのまま居着いてしまう人もいる。農音は新しく居着く人と島の住民とのパイプ役の役目も果たしている。農音ブランド自体、慣行農法の島のベテラン農家と協働しているし、農協や役所の指導も受けている。ベテラン農家は農協との付き合いがあるので匿名だが「農音エクセレント」と呼ばれて、農音ブランドの中でも高級品種を定番出荷している。という訳で中島は30代と70代の強力のもと人口は増大傾向にある。

 こういった現象は中島だけに限らない。最初から地方活性化をしたくて、でも地元で受け入れられなくて他所で仕掛人になっている人もいる(マスコミに彼の名前が出る事はないが場所は神山である)。徳島で四国を股に鍋サミットを仕掛けつつ、中山間地域の棚田を教育機関に仕立て上げようとする人たちもいる。私はこういった人たちを「回遊魚」だと思っている。一旦地元から出て色んな所を回遊して、最終的に自分で自分の根がかり地を見つけ出した「回遊魚」である。回遊魚とはいえ群れではない。自分の価値観を持っているが、それが絶対でない事も諸処を回遊して来たお陰でよく知っている。だから地元の人特に高齢者に、この回遊魚たちは謙虚だし、彼らを尊敬している。自分以上にその地で生き延びる術と智慧を持っているのだから、学ばなければ損だと思っている。ただ何せ他所者なので、受け入れてもらうには一定の時間がかかる。この回遊魚に対して、地元に残っていた若者は「根付き魚」だろう。根付き魚が地元のために動き出すと、回遊魚に比べて周りを巻き込む力が強い。私の知っている例で言えば岩城島沖津波島再生を行っている一団がこれに当たる。中心人物は家業を継ぐ修行のために都会に出た事は有るが、元来岩城で育ちで商売も岩城でやっている。見捨てられていた無人島を再生するプロジェクトを立ち上げた彼を支えるのは、村の賛同者と彼の顧客たちである。村の事をよく知っているが故に、行政や村のしがらみに捉えられる事も有るが、それを外側と内側から突破口を開く仲間がいる。お陰で人の交流が活発化し、以前から続いていた村内での試みも有って人口は右肩上がりである。 

 一方「回遊魚」にも厄介なのがいる。群れで行動する一般タイプで、それこそ「小さな魚程よく群れる」という『田舎暮らしの進め』みたいなタイトルに惹かれる一団である。彼らは都会で身に付けた価値観を手放さない。村の旧来のやり方に対して合理的なやり方で対抗する。根回しを嫌い、議論で決着を付ける事を好む。回遊しているようで、実は回遊していない魚たちだ。村の自治会費が不透明だと公開を求める。飲食費が含まれていたら問題にする。けれど村の「役職」は「顔役」であって、顔役は「おお、オレにつけといてくれや」が言えるのが一番なのだ(オレ=自治会なのだが)。不明瞭。公金着服。都会であればなんとでも言える。でも昔ならば村一番の実力者が役職を引き受けていたから「オレにつけとけや」が慣習として成り立っていた。戦後になって役職が選挙だの回り持ちになっても「オレにつけとけや」の慣習は残っていて、役職に就いたものも、その周りもそれを何とな~く容認していたし、それがなければ…というところもあるのだ。そういう「ややこしい」地元のやり方を無視してしまう所は、群れの回遊魚も「地方再生…」等々の会議も根っこは同様だと私は考える。その根っこは「今までの東京のやり方が全部正しい」だ。で、この厄介な回遊魚と地元に挟まれて苦労するのが40代あたりの(地域では若者に入る)根付き魚や群れない回遊魚たちである。

 さて、幸い日経新聞が例の女性が半減する統計結果を地図にしてネット上で公開してくれている。http://www.nikkei.com/edit/interactive/population2014/map.html#!/city=36302/z=10/mode=static/(これは完全版で非常に細かい。簡易版もある)。これで中島は出てこない(松山市になっている)。岩城も合併したので上島町になる。神山に至っては同じ日経新聞が四国のトップランナーとして地方版でも全国版でも持ち上げているのに、なんと-80%の人口消滅都市にランクされている。ちなみに先ほど厄介な所とした地域は-30%と渋谷区、杉並区と同じぐらいになっている。
 さて、皆さんは統計と現実の感覚とどちらを信用されるだろう。是非一度統計地図を見に行って欲しい。現在の趨勢がこのまま続くとする統計と、実際の感覚とのズレや一致を確かめながら、問題は「現在の趨勢が続くとして」の人口増減なのか。それとも意図と意志のある人口がいるかどうかなのか。考える良いきっかけになると思う。

「伝統」と「変化」

タイトルを見て、「え?伝統って変わらないものでしょ?それと変化ってどう結びつくの?」と思う人が多いだろう。伝統的な技術たとえば西陣織に使う型紙が、現代の生活の合わせて洋服のプリントに使われ、海外で人気を博しているというような「伝統技術の新しい展開」を思い起こした人がいたら、アンテナ精度の高い人だろう。けれど、ここで話したいのは「伝統の新しい展開」ではなく「伝統は変化している」という一種逆説的な話である。

 伝統という言葉を英語だと普通traditionになるが、実はもう一つ日本語では通常慣習や約束事と訳するconventionという単語がある。ところがこの言葉は慣習だけでなく、伝統的な決まり事や振る舞い方、日本語では伝統と訳すだろうこともconventionという。ここでまず取り上げたいのは、こうしたconventionに当たるような日常的で、だからこそ変化しないと思われていることがらである。

 西欧系の人に接した人なら、彼らが座る事を大の苦手としている事にすぐ気がつくだろう。これに対して日本で生まれ育った人間は当然のように座る。では「座り方の礼儀作法」はどうだろう。座る文化を身体的な伝統とすれば、どの座り方がふさわしいかは文化的伝統ともいえる。そして通常私たちが伝統という場合はこの文化的伝統の方である。身体的な伝統が変化していないなら、文化的伝統も変化しないのだろうか。

 皆さん自身頭の中で座り方を、堅苦しい方から気楽な方、そして見苦しいというかだらしない方へと並べてみてほしい。おそらく「正座→胡座(女性の場合は横座り)→片膝立て→ヤンキー座り」となると思う(真ん中辺りは人によって違うかもしれない)。しかしこうした礼儀作法の順序が定まったのはおそらく江戸中期ぐらいだといわれている。大正10年出版の入江氏著『日本人の座り方』ですでに「正座」が非常に例外的な座り方(例えば受刑者や身分の高い人に対する庶民の座り方)であったという指摘がある。平安時代では男女とも「胡座」が正式な座り方であり、脇息を使う横座りが「気楽な」座り方、足をたてて座る形(片膝付き、両膝付き)は下人等貴人の近辺で各種用事を果たす「人間外」の者の座り方であり、正座はさらに稀な事(罪人等)であった。時代が下っても男性の場合は胡座が正式な座り方である事は、江戸城登城の絵図などでも分かる。また女性の場合も長らく韓半島と同じく片膝立ての座り方が正式の座り方であった(女性の胡座がなくなったのは、衣服様式の変化とともに胡座で座ると秘部が他人にさらされるからであったろうと著者の入江氏は推測している)。

 では正座はどうだろう。入江氏は江戸時代に入って庶民の座り方としての正座が普及して行ったのだろうとしている。けれどこれはどうも解せない。当時の庶民(大部分が農民。時代劇で見るような「町人」は大都市江戸・大阪と各城下町に限定される)が、恭順の印として正座していたとしても、日常的な座り方として正座を採用していたとは(素人ながら)考えにくいのだ。丁稚奉公等町方に修行をしに行っていた農村の子弟(女性も含む)が町方での作法として、目上の者に対する座り方として「正座」を普及させて行ったという事の方がありそうだ。

 いずれにしろ大正時代にすでに正座は高々200年かそこらの文化にすぎないと指摘されている事は確かである(その後も年代が下がりこそすれ、正座が後代の文化である事は変わっていない)。最後に「ヤンキー座り」は、北斎の絵でも分かるように。農村でも町中でも道ばた等腰をおろすのに適切な場所がないとき、ごく普通に採用される座り方だった。まとめると「胡座(女性では片膝たてか崩した正座・身分が高ければ横座り)→ヤンキー座り→正座」というのが長らく続いた伝統的礼儀作法になる。

 今やお茶でも何でも正統な「日本文化の伝統」の一つとされる正座も、さして歴史の古いものではなかったという事だ(これは面白い事に大正時代でも同じだったらしく、入江氏の本は彼の講演を書き起こして資料を追加したものだが、冒頭に日本独自の、古来からの座り方としての正座という言い回しが出ている)。

 「伝統的」とされているものが、案外新しい文化だというのはよくある事である。神社での神前結婚式も大正天皇の結婚のときに慌てて作られた儀式なので、未だに安定しないらしい。途中で指輪の交換(何のために?)があるし、「平和な家庭を作る事を誓います」なんて甲子園の選手宣誓みたいな誓詞を言わされる。

 いや、そんなことはない。身体的な作法とかは時代に合わせて変わるかもしれないし、冠婚葬祭には文明開化に合わせて急に作られた所があるだろうが、伝統文化として確立しているものは変わらないはずという人もいるかもしれない。では典型的な伝統文化である能楽を取り上げてみよう。

 能楽は室町時代、世阿弥によって大成された形を現代まで連綿と受け継いできたとよくいわれる。確かに現代日本語では決してない発音(「日月」を「にちがった」と読む。ちなみにこの発音はハングルと同じである)があるし、意味が全く違う言葉(「やがて」は今すぐという意味)がある。と書くとまさしく「変化しない伝統」という感じなのだが、実際に演じている能楽師に聞くと、昔と今では随分と違うのだという。現在の能楽では「強吟」と「弱吟」の二つの謡い方があって、同じ記号がついていても音のあがり方や下がり方が全く違っている。ところが、江戸時代辺りまではこうした区別はなかったのだという。現代では訳が分からなくなった記号や、統一すればいい記号が残っていたりするのも、おそらくかつては別の謡方がされていたのかもしれないとも言う。実際に地方に残っている能楽の方が古い演じ方、謡い方を残しているという話もある。

 ではなぜ能楽が変化したのか。理由は非常に単純である。「生き残るため」。そもそも世阿弥自身、ライバルの猿楽者が韓国民俗舞踏のような華麗な足技に長けていたからこそ、その逆を狙って上流階層の上品さ、静やかな身振りを取り入れたという面があるのだ。こうして出来上がった能楽は、武士の時代を経て、より強い武将ものと柔らかい女物を区別する必要にかられて、二つの謡い方を分けるに至った…のではないかというのが私の推測である。

 さて、実はこの文章の最初に出てきたconventionという英単語には、日本中ほぼ至る所にあるコンビニの元々の語が派生語としてある。convenient(コンビニエント)。どちらもその元々は「~くる、なる」という意味合いのラテン語にさかのぼる。伝統=昔からあるもので今まで残ってきたものだとすれば、今まで生き残るために、様々な変化を遂げなくてはならなかったはずだ。そう、生き残った伝統が何故生き残ったかといえば、その時代の保護者(武士階級だったり、裕福な町人だったり、成り上がりだったり)や大衆の好みに合わせて、自らを変化させたからに他ならない。ただし、コンビニのようにではない。もしコンビニのように顧客の好みに合わせて次々と店舗を作ってはつぶし、商品を時間単位で入れ替えるだけの変化をしたのであれば、今、伝統といわれて残っているもの(少なくとも後継者がいるもの)は、現代まで生き残ってはいないだろう。

 では今の顧客の好みに答えつつ、先々の(それこそ100年、200年先の)顧客の好みに合わせるという、気が遠くなる程難しい生き残り術をやったのだろうか。

 そんな事は到底人間の出来る業ではない。おそらくひどく単純な事だったに違いないと私は思う。単に「生き残るため」だから、表装だけ変えよう。ちょっと今風にしてみよか…ありゃダメだわ、やってるこっちの方がギコチナイ、それがお客にも伝わるから受けが悪い。あかん、あかん、元に戻そ。こんな試行錯誤の連続だったのではないか。

 今「変化の時代」といわれて久しい(日本では少なくとも20年間いわれ続けているような気がする)。そしてどうも「変化」というと物事の根本から考え直し、設計し直し、作り直さなくては変化ではないような、そんな風潮がある。けれどそういう変化は案外命が短い。1人の人間が考えだし、設計し直した変化には限界がある。またチョー天才が考えたチョー凄い社会設計も多くの人間に受け入れなければ意味をなさない。そして多くの人間が受け入れる根本的変化なんて、コンビニの商品棚の顔ぶれを変えるようなものにすぎなくなってしまう。とくに社会に関してはそうだ。逆に1つの根本的に異なった発想に基づく商品が、社会を変える事の方が起こりやすい(ウォークマンが音楽を自分だけのものとして携帯できるようにしたように)。とはいえ、そういう商品が次々と産まれていたら、人間の方が追いつかない(ICレコーダーがどんなに精密になろうと、未だにカセットテープは健在だ。感覚的に巻き戻しが可能だからだ)。そして、一つの商品が変えるのは社会のある一面であり、変化が社会の全てに及ぶ変化になるかどうかは未知数だ。クラウドが世界を一つにするといった所で、クラウド端末を手にする事が出来ない人にとっては、それは無縁の世界でしかない。

 変化がもてはやされるとき程、むしろ変化してこなかったものに注目すべきだと私は思う。時代を超えて変化しなかったもの、けれど今は軋みを立てて、あたかも根っこから変わらなくてはならないように見えるもの。その中には時代を超えて変化しなかった根っこと、変化しなくてはならなかったのに、変化できなかった枝葉がきっとある。その見極めがついたときこそ、本当の変化が訪れる。そう私は思うのだ。

戦国BASARA、信長がなぜうける?

 年のNHK大河ドラマは『軍師勘兵衛』で久方ぶりの高視聴率…らしい。面白い事に、この頃四半期13クールで変わる(私たちの頃は1年1クールだったのだが)アニメ業界も戦国物が多い。ただし真面目でお固い(?)NHKとちがって、こちらは時代考証無視、時代背景もどちら側が勝ったなども適当に無視してよいから、結構面白い。

 何しろ信長とアレキサンダー大王が巨大ロボットにのって対戦する(ちなみにアレキサンダー大王を率いて信長に敵対しているのは、かのアーサー王である。チャンと聖杯もでてくる。ものまである。「助さんや、格さんや」で始まり、20時45分になれば「この印籠が…」という台詞が決まって流れていた昔とはエライ違いである。

 今回奥谷さんから「日本の若者は何故チャレンジしないんでしょうね」と投げかけられた時、真っ先に頭に浮かんだのがこの改変された戦国もの(最初は戦国BASARA辺りらしい。バサラといえば室町時代なのだが…)の多さなのだ。で、その一瞬後「なんで改変戦国もの、特に信長の名前とチャレンジしない若者が私の中で結びついたんだろう」と自問自答し始めた。メールだったからよかったが、時々私はこういう風に自分で思いついたり、言った事の理由が分からなくて、自問自答し始める事が多い。同席している人の話には生返事するようになる。慣れている友人によると「シャットダウンして、別の世界に行ったみたい」になるのだそうだ。で、今回もその自問自答モードに入ったのだが、なかなか答えが出てこない。第一社会学者ではないから、いつ頃から増え始めたのか、一体本当に全アニメの中で「多い」と断言できる程の多さなのかはわからない。おそらくは対戦ゲームや戦略ゲームのアニメ化から始まったのだろうと推測するだけだ。少なくとも断言できるのは40年前にはなかったぞ!ということだ。ちなみに40年前のアニメといって分かる人は少ないと思うので、1979年に「機動戦士ガンダム」が放映されているとだけいっておこう。

 時代は日本の経済成長がピークを迎え、やがてバブルへと突入する10年程前。アニメが子ども向けだけでなく、中学高校生を対象として作られ始めた初期の頃である。中高生なりにアニメ世界の登場人物になったり、新たな人物としてアニメ世界に変化をもたらす(同人誌)ことは、オタクと言われない人間にとってもごく普通の脳内妄想の一つだった。

 さて、改変戦国ものに戻ると、このストーリーに「自分らしき人物」(能力や外観は違っていても自分の性格の一部を切り取った人物)を登場させる事が可能なのだろうかと思ってしまう。というのもこういったアニメには「普通の人間」がいないからだ。かつてのアニメはごく普通の人間が巻き込まれて…だった。自分とほぼ同じ年齢、外見も当初の能力も普通の人間が主人公だった(もちろん特殊能力が発現したり、特殊能力を持つためのグッズを持っていたりしても)。けれど改変戦国ものの多くは「既に異能をもった戦国武将」が溢れている。こうした「異能者」に溢れた世界では、ごく普通の人間は異能者のファンとして自分を位置づける事になるのだろう。歴女ブームがいつから始まったのか分からないのだけれど、当初彼女たちがファンになったのは「かっこ良くて爽やかな伊達政宗」であって、歴史上の伊達政宗ではなかっただろう(近頃は某航空会社の旅行案内番組に登場して、ふるう必要のない槍をふるっている)。男性であれば「侠気」だとか「漢」「義」に殉じる姿に憧れるのだろう(かつて学園紛争時代に日活ヤクザ路線の映画が流行ったように。違いは、あの時代に高倉健を見て「かわゆい~」と言う女性がいなかったぐらいじゃないかと思う。「可愛いは世界を制する」時代になったのだー余談)。

 と、ここまで自問自答モードが続いて、やっとこさ私は何故奥谷さんの質問にすぐに「戦国武将もの、信長がなぜもてる」で始めましょうかと答えたのか、何となくわかってきた。

 アニメの戦国武将の中でもダントツ出現率が高いのは信長である(悪役・主人公・脇役を問わない)。それは彼が実際に戦国時代に活躍した…からではないと思う。破壊者として従来のルールを全て破り、一方で建設者として新たな日本を創造しようとしていた。この両面性をどう描こうとも「話」になる。加えて主要な戦国武将と何らかの関係を持っているからストーリーに登場させやすいといった制作会社側の理屈だけではないと思う。歴史上も「異能」を思わせる存在感を持っており、短い人生を燃やし尽くしたと思える人物像。戦国者だけでなく幕末者でも人気があるのはこういう人物だ。

 彼らは何らかの意味で「チャレンジャー」だ。しかし普通の人間ではない。信長は元来領主の息子だし、幕末の人物であれば動乱期とはいえ武士階級か武士階級に認められた人物である。部下もいる。資金もある。アニメともなればさらに「異能」を付与されている。ファンとして仰ぎ見る存在、でも実際自分がその人生を生きられるか?と問われると元々から…?がつく存在(特に普通に生きる事が夢である若者たちにとっては)、喝采を送りながらそのアニメを楽しむかもしれないし、グッズを集めるかもしれないけれど、アニメの世界に入り込もうとはしない…のが大多数だろう。(たとえ参加するにしても登場人物となってであって、自分の分身ではないだろう)。

 日本社会で「チャレンジャーになる」、「チャレンジ」することは、いつもこんな風に「時代を変革する」「社会を変革する」大事としてイメージされていないだろうか。起業家として一世を風靡した人(ホリエモンを含めて)はマスコミに大々的に取り上げられ、彼ら彼女たちの活動がいかに日本社会を変革したかが、些か以上に大げさに風潮される。今流行りの社会起業家だって、マスコミに出てしゃべる事は「世の中を変えたかったんです」になる。彼ら彼女たち個人を攻撃しようとは思わない。むしろ問題視したいのは「取り上げ方」なのだ。あたかも「特別な」「異能を持った」人間でないとチャレンジできないような、そんな報道のされ方が、戦国アニメと二重写しになるのだ。

 かてて加えて何かを始める時のハードルは高い。屋台で食べ物を売るにも資格と許可がいる。アメリカで小学生は屋台でレモネードを売る。そんな事は日本ではあり得ない。小学生が商売をする事はできない。ボランティアだけだ。クラウドファンディングという言葉がない頃、発展途上国で商売を始めたい個人と、寄付してもいい先進国の人をつなぐサイトが、テレビで紹介された事がある。その時発展途上国で商売を始めようとする女性が必要としていたのは、資金と設備だった。資金といっても今までの倍ピーナッツを仕入れるお金であり、設備は作ったピーナッツバターを小売りするためのタッパーウェアだ。さて、日本だとどうなるだろう。自家製のピーナッツバターを売り出すとなると、まず食品衛生法をクリアするための衛生設備が必要となり、小売りのための瓶なりパッケージが必要となり、流通経路を探さなくてはならなくなり…と「教えられる」。そして大げさに「岩盤規制」といわれ、この規制をクリアするためにチャレンジャーがどのような苦労をしたかが大げさに語られる。

 若者にチャレンジ精神がないと日本の大人は言う。そういいながらチャレンジするためのハードルはこんなに高いんだぞと見せつけている。そんな中でちょっとチャレンジ精神のある若者は、まず手近な試みとして「チャレンジして成功した大人」と「やる気のある若者」の交流会を企画する(それを手助けしてもうけている企業もある)。そうすると、周囲の大人は「素晴らしい。立派な若者のだ」とほめあげる。本人は何事かを成し遂げたような気になる。周囲の若い人も「すごいよなぁ」となる。冷静に考えてみよう。当人は何事かにチャレンジした訳ではない。新たな者を作り出した訳ではない。単にコンパを企画して人を集めただけと言われても仕方がないのだ。そしてその企画に出席した若者が、刺激を受けて起業したという話も寡聞にして知らない(地域活性化に成功した中山間地域には次々と視察団が集まるが、一向に活性化の波が起こらないのと同じ構造だ)。聞くだけ、勉強しただけで…という手本を大人が見せているのだから、若者が倣ったとしても不思議はないだろう(ほら、戦国アニメのファンになるのと一緒だ)。

 ハードルは高くとても越えられそうにないけれど、ファンとしてファンの同好会を開いたら褒められるなら、そちらをとるのが人間というものだろう。

 でも、よく見てほしい。君の近所にいる個人商店の人は君と変わった「異能者」だろうか。20年以上続いている個人商店は何故続いているのだろう。特別の技術を持っているのだろうか。そしてそうした商店の親父さん、おかみさんは日々「チャレンジ」していないだろうか。(全ての商店がチャレンジしているとは言わない。でも長年商売を続けるためにはそれなりの工夫が必要なはずだ。それが単純に親父さんの好みを貫いているだけだとしても)。

 小さなチャレンジは報道される事はない。単なる日常茶飯事になる。そんな社会に日本人はいきている。そしてその社会でチャレンジとして認められるには「異能」でないといけない。

 もし、日本の若者にチャレンジ精神を求めるのなら、チャレンジが30センチの幅の溝を越える事にすぎない事だという事、どんな規制にも工夫すればチャンと抜け道があること(それも若者なりの)、味方や仲間は最初からいる者ではない事、でも続けていれば支援する人が現れる事。そういう非常に常識的な事をチャンと伝える事から始めないといけないと思うのだ。

 戦国時代の武将はかっこ良く槍を振り回しはしない。あれは敵をたたき落とすために使う。泥だらけになって、生き残るために、生き延びるために戦う。その戦いに異能はいらない。日常生活の中での工夫と運が必要なだけだ。

複数次元と場

現代物理学の超ひも理論によれば、この世界は小さな紐状のもの(ゴムバンドみたいな)で出来上がっていて、10次元(もしくはそれ以上)からなってるらしい。いきなり何の事だと思わないでほしい。先月号に書いた「多焦点性の」「アメーバー状の」アイデンティティが互い同士、対立したり共同したりしながら作り上げる世界、しかも時空間がかつてない程入り組んでいる世界はどんな様相をしているだろうと必死になって考えていたら、ふとこの現代物理学の先端理論が描き出す世界に非常に似ているのではないかと思ったのだ。

 超ひも理論のひも達は、振動の方向や振動数で姿形を変えるのだそうだ。多分共鳴もするのだろう。それが今まで多様な量子として見えていて、その量子がくみ合わさって出来ているのが原子で、原子がくみ合わさると分子で…となるらしい(非常に不正確でおおざっぱな説明だけど)。ようは多様な物質の始原をたどると「踊るひも」になるということらしい。

 前号で書いた多焦点の、アメーバーのようなアイデンティティも、その時々によって焦点を移しながら(重心を移しながら)その時々のアイデンティティを見せる。でもやはり「ある人」のアイデンティティではある。こういう所が超ひも理論のひもと類似しているような気がする。

 とはいえ、現代物理学で現代社会を論じるのは危険というよりは、人を惑わす結果になるだろう。ここで超ひも理論を持ち出したのは、様々な量子として観察される(その場その場で姿を見せる)ものが単一のものからなっていることが、現実に存在していることをより納得してもらいたいからである。先号で示唆した多焦点をもつ、アメーバ的アイデンティティは現れる場によって、その姿を変形しているかのように見えるが、やはり同一性を保っているということである。そしてこの変形しながらも同一性を保っているー保っていると感じている存在がー相互に作用を及ぼすことで、一つの世界が出来上がって行くことができるということを、現実味のあるものとして感じ取って欲しいからである。宇宙空間というかこの世界全体がそうなっているからといって、人間が作り上げる「社会」もそうなっているとは限らないわけだけれども、世の中に全く例がない話よりは、類推できる物があった方が、想像しやすいかもしれないと思ったからだ。

 では、そういうもの(世界)が現実にあるんだという事を頭に置きながら、もう少し社会とか人間の話にしてみよう。現代社会に関する理論では、国や文化が相違する二つの集団であったとき、双方が対立を回避するために相互の属性(特質や特徴)を弱め、普遍的なルールを追求するか、双方がその属性を保ったまま互いに対峙してデッドロックに乗り上げるのかの二者択一になりやすい(前者を文化普遍的、後者を文化相対主義という)。デッドロックに乗り上げるといってもいきなり戦争になる訳ではなく、それぞれの文化的特色なのだから片一方(大概は先進国)から見れば「人権」問題になるような事象であっても、その事自体だけで追求したり断罪したり、まして介入したりする事は出来ないということである。一方の普遍的なルールという方は凄く公平に見える。けれど、自動車レースのF1やフィギュアスケートの国際ルールの決まり方に何となく不信感を持つ人もいるだろう。なんだかいつも日本がうまくなるとルールが変わるんじゃないかって。でも、大会主催側からすれば「ある特定の国がいつも勝つ」ようなルールは、不公平なルールである可能性が高いという理屈になる。

 なんだかどちらも奥歯に物が挟まったような、何とも気持ちの悪い成り行きだ。一体どうしてこんな変なというか、なんだか小難しいような結果になるのだろう…。専門家はどういうか知らないが、何とも気持ち悪い両方の成り行きの根っこには、現代社会に関する理論が「変容しないアイデンティティ・文化」を置いているからではないかと思う。

 ではアメーバー的な、多焦点的なアイデンティティを持っていること、それを自覚している人たちの場合はどうだろう。かつて伝統というか風習の違う人と出会う事は非常に稀だった。でも今は机の前に座ってPCを開くだけで世界のあちらこちらを見聞し、風習を見ることが可能となった。ある時、全く偶然にネット上で見つけた場所に惚れ込んでしまう場合もあるだろう。私が岩城という場所にであったのがそうだった。単純に「役所なのにユニークなホームページ」というだけで、手紙を出し、宿を紹介してもらい…それから10数年私のアイデンティティの中に岩城はしっかりと根を下ろしている。場所だけではない、全く違う時間感覚で動いている人が同一の場所で生活している。昼夜逆転だけではない。この日本という狭い土地の中に、1秒に判断をかけるトレーダーと、10年単位で考える農家、100年単位で考える林業とが生活をしている。

 それぞれの世界は全くすれ違っているように見えて、どこかで交錯する。あらゆる所に自分の関心や偶然でアイデンティティの焦点を持った人々は、それぞれのアイデンティティの焦点に関して、現地の人よりは少し冷静に(あるいは外からの情報を持って)引いた視点で眺めるかもしれない。逆に現地の人よりもその場の文化を保守する事に原理的にこだわるかもしれない。現地の人(現地を自分の最初のアイデンティティにしている人)にとっては、ありがたいときもあれば、迷惑なときもある。何しろ日常いない癖にどかどか介入してくるからだ。時間が異なる世界でも同じだ。トレーダーが取引しているのは林業会社の株かもしれない。中山間地域では農家と林業は場所を同じにするように見えて、10年単位で考えたときと100年単位で考えたときでは、1本の木を切るにしても利害が対立する。農家や林業はデイトレーダーが動かす世界市場の動向によって壊滅的な被害を、逆に何十年とない利益を手にする事があるかもしれない。トレーダーは現地の情報がないまま数値だけを見続けた結果、林業会社の粉飾決算に巻き込まれるかもしれない。全く異なった時間感覚で動いていても、結果はどこかで絡み合わざるを得ない。それは双方にとって迷惑な事、よそからやってきた天災みたいなものなのかもしれない。けれど時間感覚が違っていても、アイデンティティが少し重なっていたとしたらどうだろう。トレーダーは秒感覚で動きながらも、特定の山にアイデンティティを持つ事で100年先を見越した山か、その時々の利益で動いているだけなのかを知る事が出来る。それは秒単位でしか動いていない短いアイデンティティを癒してくれるだろう(この頃日本に限らず中山間地域等長い年月を感じさせる場所に、事務所を置くIT産業が増えているのは、本来人間が絶える事が出来ない秒単位の判断のストレスを和らげるためではないのか)。が、その一方で頑として動かないその姿にストレスを感じるかもしれない。林業は100年単位で動かなくてはいけないからこそ、秒単位の市場動向の先を自分のアイデンティティの一部として知っておけば、今の我慢に甲斐が出てくるかもしれないし、逆に怒りを覚えるかもしれない。

 アイデンティティが多数の焦点を持つ事は対立を緩和しない。むしろ対立を助長するかも知れない。それでいいと私は思っている。言葉の上で対立するだけでアイデンティティをかけない対立は、言いっぱなしにしか終わらない。そこから産まれるのは「自分を他者より強く見せたい」虚飾だけだ。いくらかでも焦点を置いたアイデンティティに基づいて対立すると、その対立は抜き差しならぬものに発展する。そのままでは武器を取る事になるかもしれない。けれど、アイデンティティが多焦点でアメーバー状だということを、お互いが知っていれば、それぞれが問題となっている事柄に対して、どれだけの焦点を置いているかを探らなくてはならない。生死をかけているのかを計らなくてはならない。生死をかけている方が結局は強いだろう(それは現地に生きている人間とは限らない。ヨーロッパ中を流浪するロマのように「地」ではなく「血」や「文化」にアイデンティティを置いている民もいるのだから)。その生死を探る中で、それぞれが妥協できる所、融合できる所、協力できる所を初めて見いだせるのではないだろうか。

 固定化した単一のアイデンティティでは、吸収か対立かしかない(所詮人間は他者の事など分からないのだから、最初の現代社会の理論通りになるしかない)。多焦点でつかみ所もないアメーバー状のアイデンティティは、凹む事(妥協)も脹らむ事(融合)も、長くなってひも状に絡み合う事(協力)も出来る。それどころか創成する事も出来るのではないかと私は睨んでいる。睨んでいるというのは根拠のない類推でしかないからだ。類推のもとはゾウリムシの接合である。ゾウリムシは正確にはアメーバー類ではないが単細胞の原生生物だ。通常は分裂して増殖するが、異なる遺伝子を持つゾウリムシがくっついて互いの遺伝子を交換する接合を行う。接合の目的は「若返り」だ。特定の遺伝子を持ったゾウリムシの分裂回数は限定されている。接合をする事で遺伝子が混ぜ合わされ、新たな遺伝子を持ったゾウリムシになって若返り、また分裂増殖が可能になる。

 これをいきなり人間の社会だとか、文化に当てはめるのには無理があるかもしれない。けれど多焦点でアメーバー状なのが人間のアイデンティティであるとすれば、行き詰まりが生じた時、その先を目指す時、必要となってくるのは互いのアイデンティティを混ぜ合わせる事ではないだろうか。混ぜ合わさってはいるけれど、元の様相も残している状態から、新しい突破口が産まれてくるのではないかと些か楽観的な期待も込めて思っているのだ。

多焦点人格の勧め(多重人格の誤入力ではない、念のため)。

今回はやや専門的な話から始めさせてもらおうと思う。政治あるいは社会思想の中に「共同体主義」という考え方がある。共同体主義は人間は個々人が孤立して存在しているのではなく、何らかの共同体の中で自分の考え方を創り、判断をし、行動をしているのだと考えるのである。その意味では個人は個人としてだけで行動するのではなく、何らかの共同体を背景とした個人として行動する事になる。だからこそ、ある共同体に密接に関連する事柄に関して(たとえば津波被害にあった町や村が、高台移転を望むのか、それとも長大な防波堤を築く事を求めるのか)は、第一にその町村の人間が決定権を持つ事になる。小さくて、地域的なところの意思決定が優先されることになる。

 では小さな共同体が対等の立場で互いに深く交錯したら、利害対立が生じたら…。共同体主義ではこうした深い交錯や利害対立は(個々人レベルではともかく)国家のレベルで調整されると考えている(らしい)。これは日本で考えると奇妙に思えるかもしれない。しかし共同体主義の生まれ故郷は多民族国家カナダである。単にフランス語圏・イギリス語圏の対立だけでなく、イヌイットやそれ以外の多数の少数民族、中国系・韓半島系等々の移民。アメリカ合衆国以上に他民族だといわれるカナダでそれぞれの民族なり集団が、それぞれの独自文化を温存しつつ、一つの大きな社会を形成する理想的モデルとしてうまれたのが共同体主義だともいえる。

 そして共同体主義では個々人のアイデンティティは、自分のうまれた家族(核家族など血縁関係のみならず類似家族も含む)を中心として、隣近所、町内会…と同心円上に形成されているとする。

 話があまりに抽象的になったので、ちょっとした実験をしてもらえると分かりやすいかもしれない。なるべく底が平らな洗面器の一方の端に墨汁(なければ珈琲)を落とす。そしてもう一方の端に牛乳を落とす。静かに落とすとそれぞれの液は同心円上に広がっていくはずだ。十分にはなれていれば(大きな社会で利害対立が起こらない状態)両方の色は混ざっているようには見えない。けれどより近づけば近づく程、互いの形が歪み、色が混ざったり、互いの円を壊したりしてしまう。これを調整するのが洗面器(国家)で、国家は共同体同士がうまく共存できるルールを定めるという事になる。

 しかしどうだろう。私たちが個人として、あるいは一つの集団として対等に相手側と対峙し、関係を持つとき、その間の対立や交錯はより大きな社会や国家に任せるしかないのだろうか。たとえばカナダの少数民族の村を愛し、そこで一年の大多数を過ごし、日本にはほとんど在住していない日本国籍の人が、その少数民族の村に建設が予定されているカジノへの賛否を問う住民投票に参加したいといった場合、おそらく共同体主義はこの人の要求を退けるだろう。なぜなら同心円で考える限り、要求をしている日本人の最もコアなアイデンティティは日本に生まれ育ったことであり、カナダの少数民族の村で多くの日時を過ごしてきたといっても、それは後から形成された外周のアイデンティティでしかないと看做されるだろう。

 でもやはりなんだかオカシイ気がしないだろうか。

 実は私の後輩に仙台生まれ、仙台育ちの自称「似非大阪人」がいる。彼の文章も口舌もほとんど大阪人と変わらない(どころか、近頃のテレビで育った若い大阪人よりもよほど大阪弁に通じている)。心性も大阪人的である。かれは仙台にいるときから大阪に憧れ、大阪人として大阪に受け入れられるように血のにじむような努力を重ね(たかどうかは知らない。けれど仙台にいながらにして吉本新喜劇の機微に通じるには、ある種の特性と努力ー腹筋ではない腹の皮筋を鍛えるーが必要であったであろう)、立派に上阪し大阪人として9分9厘行動している。残りの1厘はベガルタ仙台の熱心なファンであり、長居であろうと千里であろうとアウェイの(?)側にいるという事だけだ。彼にアイデンティティを聞けば「大阪」と答えるだろう。「じゃあ何故セレッソじゃなくてベガルタなんだ」と聞けば「そこはゆずれん」と大阪弁で答えるだろう。彼のアイデンティティは同心円ではなく、楕円(二重の焦点を持つ円)かもしれない。

 これは彼だけの特性ではないと私は思う。人間のアイデンティティというのは幼児期には同心円かもしれない。けれど、後天的生活の影響からそのアイデンティティは正円ではなく、楕円のように複数の焦点を持つ円、多焦点になっていくのではないだろうか。デンマーク人で熱心な日本空手の修行者(「gutsだせ」というのが分からなくて悩んでいたらしい。だすのが「はらわた」じゃなくて、元気や根性だと分かってホッとしたらしい)。若冲に通じたプライス氏(『若冲が来てくれました』という東北3県を巡る企画展で、彼は無償でそのコレクションを提供した。彼の「多くの子供たちが親しめるように」との意図を活かし展覧会は従来とは異なって「幽霊がいるよ」とか「たくさん、たくさん」といった子供目線の展示になっていた)。逆に中南米のフォルクローレやアメリカのデキシーランドジャズを愛し、演奏を続け、ついに本場でも「本場以上に本物を残している」と認められた人たち…。こういった人たちはうまれ持ったアイデンティティ(焦点)以外にも自分で選んだアイデンティティ(焦点)を持っている事がはっきりしている人だ。けれど、それほどはっきりしなくても、普通の私たちもいろんな焦点を持っている。普通それは役割意識とか役割人格(ペルソナ)とかいわれる。確かに多くの場合職業上の立場や母や父といった家庭での立場に関わっている場合が多い。けれど多数の役割意識を持ち、日常生活を行っている時、自分がどこに焦点を当てて言動しているのかを無意識に切り替えて、多くの焦点の間を器用に渡り歩き双方を結びつけ、葛藤を解決していないだろうか。

 「今の時代」という言葉をあまり使いたくないのだけれど、でも誰でも無意識に気がついているように、私たちは今、時空間を事にする世界と容易に結びつく事が出来る(SNSや画面を通して)し、全くスピードの異なる世界が同一平面上に重なり合っている(秒単位のネットトレードと10年、100年単位の農林水産業)。私たちは、持とうと思えばネットの中でのアイデンティティ、地域社会でのアイデンティティ、企業人としてのアイデンティティ、家庭人としての…と幾らでも焦点をもって、それぞれのアイデンティティで動く事が出来る。けれど、その焦点がバラバラに存在しているのではなく、自分という1人の人間の中に同時に存在している事に意識的になる必要があるのではないかと思う。というのは多焦点には人や場所を結びつけ、葛藤を解決する利点もある、が、その逆に焦点の間を器用に渡り歩きすぎると、その度に傷つけたり、侮蔑したり、足を踏んづけた人の事を忘れ、たまにまた出会って、その事を批判されると「そんなつもりはなかったのに誤解された」と自分が被害者のように思ってしまう。逆にある焦点の代弁者として、他人を攻撃し反論を許されない立場にその人を追い込んでしまう。当事者達はそんな対立構造など望んでいなかったかもしれないのに、敵味方に分ける対立構造を外から持ち込んでしまう。そして対立が激化した頃に、しれっとした顔で対立構造を評論しているかもしれない。自分自身のアイデンティティが、多焦点性に無意識でいると、そんな落とし穴に陥ってしまう。

 多焦点性に無意識になれるのは、どこかで自分のアイデンティティは一定であり、揺るぎがなく、確固としたものだと思い込んでいるからではないだろうか。元々アイデンティティという言葉そのものが「自己同一性」なのだから、確固としたものというイメージが強い。以前も話題にしたように「本当の自分」等と言い出すと、余計にその感が強くなるし、この頃は帰属集団へのアイデンティティを強調する本が満ちあふれてきている(日本人の本質とか、○○人の~性を暴く)。経営関係の本にしてもミッションとかクレドとか、従業員がアイデンティティを持てるような核を持ち、あたかも一つの人格のように行動するだけでなく、社会市民として企業が立地している社会に貢献する事が素晴らしい事のように書かれている。そんな確固としたアイデンティティが強調されるなかで、自分という1人の中にある様々なアイデンティティの焦点は、自分という一つの確固としたアイデンティティを持った人間が、役割に応じて付け替える事の出来る仮面(ペルソナ・役割人格)として、いつでも外したりつけたりする事が出来るもののように見えてしまう。

 アイデンティティの多焦点性と役割人格が違うのは、つけたり外したりが出来るかどうかという点にあると私は考える。役割人格というのは非常に怖い。ナチスのユダヤ人虐殺を指揮したアイヒマンを裁判で見たハンナ・アーレントは、アイヒマンを普通の人間だといって非難されたけれど、彼女が言いたかったのはどんな人間も役割人格を与えられて、その役割を正当化される組織に所属し、正当な口実を与えられれば、アイヒマンのような事をいとも簡単にしてしまうという事だったのだろう。アイデンティティの多焦点性はこれを許さないものだと、いやこれを許さないからこそ、つけたり外したりしないからこそ、多焦点性であるのだと考えている。

 とはいえつけたり外したりしないけれど、多焦点性は常に揺らいでいるし、常に変化していく。その点では(先にこの原稿を読んだ片岡さんが言うように)アメーバーのようなものといった方が近いかもしれない。じゃあアメーバー的多焦点アイデンティティをもった人間同士が、それぞれの多焦点性やアメーバー性を意識しながら、どうやって出会い、交流(トランザクション)していくのだろうか。これについては号を改めて書いてみたい。(校註:実際のアメーバーは性交以外は単独行動者であるか、集団で固まって1個の生物のようにして生きているかのどちらかだという。このどちらにも人間は惹かれてきたのだけれど、悲しいかな(?)人間はアメーバーではないので、そのどちらにもなりきれないー苦笑)。

「学力」「学士力」「社会人基礎力」「地頭力」「地図力」「コミュ力」…

タイトルにあげたのはここ数年官公庁およびマスコミによって喧伝された「身につけるべき」力である。本当はもっとたくさんあるのだが、さすがにコミュ力で力尽きて決まった。この4文字を初めて見せられて、意味をわかる人がどれだけいるだろう(最後の力は力ではなく「カ」と読まれてしまいそうだ)。文字そのものが情報の円滑な流通を妨げていると思うのは私だけだろうか。

 ともあれ、こんなに力のつく言葉が乱立するようになったのはいつからなのかを調べて見た。と、突き当たったのが1996年中央教育審議会第1次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」である。「子供に[生きる力]と[ゆとり]を」と題されたこの答申が悪名高き「ゆとり教育」の始まりとなっている。それから11年たって「ゆとり教育」は「学力低下を招いた」「教育の再生」の掛け声とともに、国の教育方針が180度転換した。ところが[ゆとり]は無くなっても、[生きる力]は残った。曰く「いじめや不登校問題」「家庭や社会での教育」「道徳的…」といった飾り文句をつけて。そしてゆとり教育の弊害として、自主性や積極性の乏しさ、応用力のなさ、大学教育の低水準化が次々と取り上げられ、その度に新しい言葉が生み出されていった。おそらく1996年あたりから赤瀬川原平さんの「老人力」が流行ったのにあやかろうというところもあったのだろう。「老人力」は世間的にマイナス評価をされている特色を、自ら老人となった赤瀬川さんがユーモアたっぷりに逆転させた表現だった。けれども、タイトルにあげた各種の「力」はどれも当事者以外の誰かが作ったものだ。しかもどれも共通してその力がないと社会で生き抜いていけないかのように(少なくとも世間的に真っ当な会社に就職できないかのように)脅迫的に使われることが多い。とはいえ、これだけ「…力」が喧伝される割に一番肝心要の「力」がでてこないのは何故なのだろうといぶかってしまう。

 肝心要の力は幼児期から早期に教育することが必要である。義務教育はもちろん、高等教育とくに大学に入学するにあたって重視されなくてはならない。大学在学中はもちろん、就職においても最も必要とされる力である。もちろんグローバル化社会に適応するためには必須の力となる。家庭での教育も、地域社会での教育もあげてこの力の涵養を目指すべきである。宗教や慣習、民族の別を問わず、日本に在住する限り、この力を身につけてもらわなくてはならない。そういう非常に大切な力である。

 その力とは「生き残る力」である。

 え?!生き残るって?マジィ~?ホントに生き残ること?サバイバル?全員に自衛隊の訓練を義務付けるってか?

 イエ~ス、その通りなのだよ、これが。とはいえまさか1歳児に自衛隊に入ってもらうわけにはいかないからね。年齢相応のプログラムは組まなきゃいけない。でもマジ、生き延びるために必要な様々な手段、工夫、体力、知力…を総合して「生き残る力」なのだよ。

 と茶化してしまってもいいのだが、実は真剣である。考えてみて欲しい。日本という国土がどういう国土なのか。東北大震災以前の1993年から2004年をとっても、マグニチュード6以上クラスの地震の22%は日本で起こっている(たった2割というなかれ、日本の国土面積は0.25%である)。地震に伴う津波の被害はいうまでもない。さらに台風等の気象による災害が多発するモンスーン地帯に属している。災害が起こってもすぐに救援が届くわけではないのは、もう十二分に分かっていることだ。3、4日いや1週間、下手をすれば一ヶ月、冬の最中に電気もガスもトイレもない中で、どうすればなるべく快適に休めるのか、どうすればなるべく栄養価の高い食料を得られるのか。それがその後の命を左右する。阪神大震災直後、一斗缶を使って即席のストーブを作って暖を取っている人たちがいた。昭和30年代に青年期を過ごした人であれば、見慣れた風景だし、実際自分でも作れる人が多いと思う。でもその人たちが亡くなってしまったら…(私も見て知ってはいるが作ることはできない)。『八甲田山死の彷徨』で有名になった明治陸軍の雪中行軍遭難事件で、遭難した大隊の生存者の多くはマタギ等日頃から冬の山に慣れているものだった。生死を左右したのがたった一組の換えの靴下だったりする。

 私たちは今、極度に便利な社会に住んでいる。マッチを使ったことがない子供、ナイフを使えない子供も多いという。大多数がスイッチを押せばなんでもできる生活に慣れてしまったら、いざという時、なすすべもなく「待つ」ことしかできないという最悪の事態になる危険性がある。だからこその「生き残る力」なのだ。

 この力を鍛えるためには、幼児期から不衛生な場所、不便な場所、異臭や悪臭に慣れておく必要がある(滅菌シートなどは病人怪我人優先である)。外遊びが好きな年頃なのだから、できる限り放置された自然の中で自由に遊ばせるのが一番の教育になるだろう。今行われている自然の中でのプレイパークは幼児教育として必須のものになるだろう。その時期に食べられるものと食べられないもの、危険なもの(場所)危険でないもの(場所)を体験しておくといい。図鑑の知識は重要だが、災害時に図鑑も残っているとは限らない。勘を働かせないといけないことが多いだろう。勘は経験によって磨かれるものだ。自然を利用したプレイパーク的な教育活動は幼少期から骨格が固まる小学校高学年あたりまでは、年齢や男女の別なく合同で行うべきだろう。核家族化が進行して、大勢の中ではなかなか寝付けないというというのは、災害時マイナス要因である。でも…そんな自然なんて身近なところにはないという声が出そうだ。実際そうだろうと思う。

 が、世の中良くしたもので今一番問題になっている過疎化して人手が少なくなって、耕作放棄も進んでいる「里山」が日本全国いたるところにある。場所によってはちゃんと「校舎」まで残っている。四季を問わず一定の期間(日帰り等ではなく)こうした里山で農作業をしながら、各種の技能を習うという里山教育は有効な手段ではないだろうか。まだ、今なら縄をなう、石を積む、穴を掘る、水の流れを読む、手持ちの材料で何とかする知恵、山菜等を利用する知恵等々、災害時に必須となる各種技能を持つ人たちがいる。この人たちがいる間ならば、教える人材にも困らないだろう。「教育」を担当してもらうのだから、都会は里山に教育費用を払わなくてはならない。場所は山だけに限らない。これまた幸いにして日本は海岸線にまで山が迫っている。海の技術、川の技術も今なら伝承可能だ。洪水にあって孤立したとき、水が引くまで何ヶ月も耐乏生活をするのか、手近な材料で筏を作り操って安全な場所まで下っていけるかは、重要な分かれ道だ。それ以上に水の嵩がどう変化するのか、風向きによって船が水がどのような挙動をするのかを知っていることが重要になるだろう。山川草木という言葉があるが、日本という土地は四季折々に作物をもたらす土地であり、また四季折々に災害とともに生きなくてはならない土地でもあった。その土地柄を活用しない手はない。

 「でも…それって健康で不自由のない人のためだけじゃない」と言われるかもしれない。とんでもない。災害時に負傷者を見捨ててしまうようでは、その後の社会の成立が危うくなる(危機の時に隣人の助けが得られないとわかっている社会に誰が好んですみたいと思うだろうか)。だとすれば避難訓練の際、健常者が負傷者役を演じるのは滑稽な話だ。健康な人間はどうしても怪我をしているはずの所を使ってしまう。真剣に避難訓練をするのであれば、寝たきりで手足が動かない、動きにくい人の協力が絶対に必要である。訓練の際にはなるべく分かりやすいよう、大げさに呻くなり文句を言うなりしてもらえれば、災害時にどうすれば負傷者をより安全に運ぶことができるかがわかる。こうした有益な協力をしてもらう、それも専門の支援者ではない素人の手による荒っぽい扱いを我慢してもらうわけだから、当然対価を支払ってしかるべきだ。介護保険で足りない部分、しっかり稼いでいただこう。こうした体験を共有することで、介護に対する知識や知恵も普及する。認知症の人たちは貴重な人材である。自治体単位などある大規模で避難訓練を行う際には、必ず認知症の人に出てもらう(GPSを付けてだが)。災害時に情報に基づいて「適切な」行動を全員が取れると想定することほど危うい想定はない。指示とは逆の方向に向かう人、わららず混乱し喚く人、立ち止まる人等々がいて、はじめて災害時の混乱を実感できる。そしてパニックになった状況を想定しやすくなる。

 では障害者は?彼等、彼女たちこそ「希望」である。彼らや彼女たちが、おしゃれを楽しみ、趣味を謳歌し、人を愛し、子供を育てることができる社会であれば、災害後も安心だ。なぜっていつ自分が不自由になったとしても、悲観するタネがそれだけ少なくなるからだ。

 どうだろう。空想妄想と言われるかもしれないが、ちょっと真剣に考えてみてもいいんじゃないかな。少なくとも活動期に入った日本に住んでいる限り。

遺す

以前「継承」について書いたことがあるが、今回はその反対側の「遺す」ことについて書いてみたい。といっても、「何を」「どう」…と考えていくと手がかりがなさすぎるので、昨今流行りの相続税対策の宣伝から始めよう。どんな宣伝が思い浮かぶだろうか。そう…都会の、大金持ちではなく、といって年金だけで生活しているという風もない、身綺麗で流行に敏感そう、センスが良くて…という老夫婦が子供や孫にというパターンだろう。無理もない。今回の相続税改革で新たな対象になると想定されているのは「大都会でちょっとした土地や住宅を持っている中流の上」ぐらいの層だからだ。そして年齢的には団塊の世代かその少し上ということになるだろう。こうした宣伝対象の絞り方が的を射ているのかどうかは別として、世間一般に遺贈というとこういう人達や雰囲気が思い浮かぶと言っていいのであろう(でないと宣伝の意味がない)。

 そして決して農家の老夫婦が子供のために土地を残す…という宣伝はない(農家の軒先に座るのは大概農協の共済だ)。けれど実際には農家の方が土地をどのように遺すかには腐心している。なぜなら先祖代々の土地を出来ればキチンと受け継いでほしいからだ。こう書くと情緒的に思えるかもしれないが、非常に合理的でもある。農家が農地として使ってきた土地は長期投資先であるともいえる。なぜなら一朝一夕では肥沃な農地は出来上がらないからだ。自分たちが長年苦心して投資し、育てきたものを無駄にされてしまっては元も子もない。だから出来れば農地として有効活用する信頼のできる人に託したい。ただ今の所この「信頼」が血縁関係にとどまっているものだから、農地の相続には腐心がつきものということになる(事情は中小企業でも同じだ。後継者がバカでは会社が潰れてしまう。とはいえ、後継者以外に信頼できる人となると…という悩みが尽きない)。こうしたケースはひっそりと専門誌や伝手の間でささやかれ、解決が模索される。ここでは遺すものも、遺したいものも明確である。だからこそ継承にも意味がある。

 では、最初の宣伝のケースはどうだろう。遺したいものは一体なんだろう。「土地とかお金でしょ」という答えが返ってくるだろうが、その土地やお金は何のために遺されるのだろう。子供や孫のよりよい生活のため…というのがごく一般的な答えだろう。けれどそのよりよい生活というのは具体的にはどんな生活なのだろう。例えば今政府が推進する教育費の贈与推進策。孫の教育費としてであれば贈与税が軽減されるという政策だ。相続税対策にもなると喧伝されている。けれど今大学入学率は50%、大卒は「普通免許」になっているといっていい。だからこそ普通免許の大学ではなく、特殊免許つまりより「良い」大学へと、子供の頃から塾に通わせるといった教育費が増大し続けている。そして政府が狙っている教育費としての贈与税軽減策は、この高額化した教育費を祖父母世代に負担させ、その分、個人消費を増大させようという景気対策の一環でもある。

 そこまでして(と敢えて言うのだけれど)子供に教育をつけさせて、その子供の将来を保障しようとしているわけだが、こうした保障を受けることのできる子供は全体から見れば少数派である。特殊免許の大学は都会、東京に集中しがちである。そうした大学を受験し合格しようとすると、相当な教育費を支払える資力が必要になる。東京以外に在住しているとなるとなおさらだ。韓国の親子でアメリカ留学に倣って、親子で東京留学も笑い話ではなくなるかもしれない。要するに、特殊免許の大学へ合格するエリート大学生の道を進める人間はより少数になっていくことだろう。別段アベノミクスが格差社会を増大するからではなく、少ない子供に資力のある家庭の資力が集中し、その資力を背景に特殊免許の大学へ入学しやすくなる一方で、祖父母や親が普通の家庭の子供は、その家庭の資力を費やしたとしても地元大学以外へ通う資力がなく、地元の普通免許の大学へと道が自然と別れてしまうからだ。さらにその下方には大学進学すら叶わない子供たちが増大していく(現在でも退学理由の大半は進路変更=就職であり、中には授業料未納のため除籍処分=大学に進学しなかったことになる学生もいる)。

 自分の子供に、あるいは自分の孫に「より良い生活」を保障しようとすること、そのために子供や孫に教育費を注ぎ込むこと、それ自体は親や祖父母として普通の感情であり合理的な行動なのかもしれない。けれど今の日本社会全体でそれが進んでいくとと出来上がるのは格差の拡大である。それも実力による格差でないことはだんだんと明確になってきている。実力でなく「生まれ」によってどの大学、どの企業に入れるかがなんとなく分別される社会になってきていると感じ始めている若者が多くなってきている。そして一度決まった分別は後から逆転できないのだと思う若者が多くなってきている。ヨーロッパでもアメリカでも韓国でも…そしてたぶん日本でも。そう「『丸山真男を引っぱたきたい 31歳フリーター。 希望は戦争。」で提起された「安定していて平和な家庭」と「どうあがいてもすり減らされる機械としてのフリーターの自分」という対比は確実に進展している。「安定して平和な生活」が実現できても、その周りではヘイトスピーチに暴動、殺人や強盗が起きる可能性が高い社会に生活することは、本当により良い生活なのだろうか。

 先に農家は土地に長期投資をしていると書いた。都会で、いや敢えてはっきりと東京で、と言おう。東京で必死になって働き、一軒家を構え、子供を育て、気がつけば悠々自適の生活を送れるようになった世代にとって、長期投資にあたるものは子供や孫への教育費の贈与や、節税してより大きな財産を遺贈することなのだろうか。私は逆にそれは短期投資に過ぎないと思う。なぜなら結果が孫の世代までに限定されるからだ。では長期投資にあたるものはなんだろう。

 農家が土地を、中小企業がその事業を後継者に託し継承して欲しいと願うのは、土地や事業に自分自身だけでなく多くの人が関わっていることを承知しているからだ(今現在を生きている人だけでなく、過去の人々を意識する場合もあるだろう。逆にその場の人だけでなく技術や製品、その先の顧客を意識する場合もあるだろう)。高度成長とともに成長し、少子高齢化社会の中で高齢者として生きる東京の人にとって、多くの人が関わることは何か。それは決して子供や孫のことではない。むしろ自分自身のことではないだろうか。世界でも類を見ない速さで高齢化が進展している日本。地方での高齢化の問題ばかりがクローズアップされがちだが、より深刻な問題が発生する可能性が高いのはむしろ東京の方だろう。なぜか。東京は根っこのない社会だからだ。東京大空襲で市街地のほとんどが焼け野原となり、東京オリンピックとともにかつての風景を失い、地番や地名もどんどん消えていく。争前から東京住まいの人間より、地方から流入してきた人口が圧倒的に多く、夜間人口が極端に少ない街区の隣に夜間のみの繁華街が存在する都市。そこで、高齢者となり配偶者を失い、一人で生活を続ける。病気を煩わなくとも、弱っていく足腰は避けられない。決して歩行者に優しくない道、整備されていない歩道、極端な混雑と狭いホーム。東京は老人に優しい街…とはとても言えない(と私は思う)。逆にだからこそ、首都圏を中心に田舎住まいの勧めがはやるのだと思っている。

 しかし東京は最先端の高齢化都市にもなり得るのではないか。地方から流入した人口が多いからこそ、どのようにしたら新しい絆、社会共通資本を作り上げることができるのかという壮大な実験ができる。さらに高齢者が高齢者を介護する事態が増えれば増えるほど、どうすればより安くより便利な介護支援が可能となるのかというチャレンジの可能性が広がる。東京で今高齢者となりつつある団塊の世代やその上の世代の人々にとっての長期投資はここにあると私は思う。自分たちが不便なこと、嫌なこと、つまらないことを、かつてのようにシュプレヒコールと共に叫んで欲しい(あ、くれぐれも安田講堂への立てこもりは避けましょう。もう若くありませんし、それこそ年寄りに冷水になりますので)。それは今度こそ日本の社会を変える一歩になり得る。高齢者として当事者として、かつての言葉をあえて使うなら一市民として、自分たちが住み良い制度やインフラを整えること、それに自ら関わること。それは東京を世界で一番高齢化問題に取り組み、高齢者とそれ以外の世代が共に暮らせる巨大都市を実現させる壮大な実験場にすることでもある。それは自分たち自身の問題や課題の解決であるとともに、子供や孫よりさらに先の世代、誰もが迎える老齢と死を中心に据えた都市を実現するという長期投資である。車椅子であろうと、義手や義足であろうと、はたまたベッドのままでも、自由に外出し、最先端のファッションを楽しめる都市。カラフルな模様の酸素吸入器をつけた人々が、互いのウェアラブル端末の新機能を自慢し合う都市。車椅子が夜間スピードとテクニックを競い合い、ドッグレースを繰り広げ、それを必死になって規制しようと走り回る若い警察官というシュールな風景が展開する都市…となると大阪人の悪ノリになるが、ともかくも長期高齢化社会のための当事者としてのインフラ投資こそ、都会人の長期投資ではないかと私は思うのだが、どうだろう。

田舎は「贅沢」か?

実はこの原稿を書く前に、若い人の原稿への感想を求められて、ずいぶん厳しいことを書いてしまった。きっと今度はその子が厳しい目で読んでくれるだろうと、冷や汗半分、楽しみ半分で書き出している。

 さて、田舎暮らしがブームである。週末田舎暮らしから始まり、移住・定住ハンドブックまで種々雑多な文書やらネットサイトやらが百花繚乱である。そして異口同音に「都会にはない贅沢」な田舎暮らしを謳う。その贅沢の中身といえば「豊かな自然」「新鮮な空気と水」「ゆったりと流れる時間」「取れ立ての農作物」…。正直、やれやれと思う。なぜってこんな「贅沢」は所詮「消費者」の贅沢だからだ。田舎暮らしとは田舎で消費者になることなのかと皮肉の一つも言いたくなる。まぁそれはそれで、大人しく文句も言わず、お金を落としてくれるのであれば良いのだが、消費者意識が抜けきらないでいると、必ず文句が出てくる。曰く「何もない」「旧弊に囚われているのかどうか知らないが、いつまでたっても余所者扱い」「思ったような作物ができない」…。

 いきなり18世紀のイギリスの話に飛ぶが、ヒュームという面白い人がいる。人間は感覚器官から受け取った情報しか知らない生物だと定義して、自我同一性を否定してしまった人であり、無神論者(当時としては非人間)である。ヒュームが定義した人間は自分で自分が何者かをはっきりさせることができない。そこでお金や便利なものに慣れた人間は贅沢に活路を求める。「自分とは…」とか「自分らしさ」を考え続けていくと、何が何だかわからなくなるから、結局、自分の持っているモノで自分を表現しようとするわけだ。ところがその贅沢はトンデモナイものになる。今風にアレンジすればスマートフォンケースをブランドの特注品にしてダイヤモンドをあしらわせる…みたいな贅沢。ようは贅沢のための贅沢。そのモノがどんなに重要で高価であるかにしか、自分の存在意義や価値を見出せなくなってしまうわけだ。じゃぁ、ヒュームが贅沢は禁止!!とか贅沢は悪!と叫んだかというとトンデモナイ。ほどほどの贅沢は健康(社会の)に非常によろしいという(ま、お酒みたいなもの)。このヒュームの説のように、今言われている「田舎暮らしの贅沢」というのは、都会の人間が究極に描く虚像の贅沢だということではないだろうか。

 本当に自分が欲しいもの、必要なものは何?と言われても、さっぱり見当がつかない。でも何かが足りないような、何かが欠けているような気がして仕方がない。だから「都会にないもの」を「田舎」に求める。その代表語が「自然」というわけだ。

 私自身は田舎暮らしをしているわけではない。年に何度か里山に行って農業の真似事をするぐらいのものだ。それで田舎の贅沢を語るのは面映ゆいのだが、都会と田舎の間で中途半端に生きている人間として、都会の人間から「田舎暮らしの贅沢って何ですか」と聞かれたら、「不便さ」ですと答えるだろう。一時間に1本しかバスがなく最終は20時だとか(これは私が住んでいるところ。市内中心部から歩いて50分程度)、いやいや日に4本で…という公共交通機関のなさ=逆にだから歩いたり、自転車で移動して、「ゆっくり過ごせる贅沢」があると言いたいわけではない。ネット環境が整っていないので、年がら年中ネットに縛り付けられることから自由になることができる「贅沢」を言いたいわけではない(徳島の神山なんてIT企業が移転してくるほどネット環境が整っているが、田舎の範疇で人口減による消滅可能性大のところだ)。そういう不便さは、都会と田舎で生活が急激に変化した結果生じたもので、田舎本来が持っているものではないと思う。

 「贅沢な不便さ」が端的に現れるのは時間だ。特に農業をやっている田舎ではこれほど不便なものはない。都会の企業で働く人から見れば、自分で働く時間を決めることができるように見える。タイムレコーダーも勤務表もない。しかも旅行なんかで田舎に行くと、昼間はみんな休んでいるし、夕方も早いし、仕事のペースはのんびりしている(ように見える)。満員電車での通勤、相次ぐ残業、休憩もろくにとれない…嗚呼都会はなんてブラックなんだ!と感じる。だが、実はこれは究極のブラックラスボスである自然が、人間に強制しているものだ。夏、体温以上に外気温が上昇する都会に比べるとぐっと涼しいが、最高気温が30度近くになる屋外で日中作業する命知らずは、土・日しか作業できない「通い」の人間だけだ。暮らしている人たちは賢いから日の出前からせいぜい9時頃には朝の仕事を終えてしまう。(でお昼頃「通い」の人間のところへ労いに来てくれる)。そして夕暮れ7時前に夕刻の仕事を始める。朝と夕刻とでは仕事の内容も異なる。このスケジュールは田舎で農業をしている人間が「自分で決め」たものではない。太陽と気候に強制されたものだ。(だから世界中探せば昼間だけに仕事をするところもあると思う)。仕事のペースがのんびりしているのは、のんびりゆっくり、けれど一定のペースを保って仕事をしないと、体が持たないからだ。この「のんびり・ゆっくり・一定」に体を慣らすのは結構しんどい。朝の4時間、夕刻の3時間から4時間、毎日マラソンをしているようなものだ。

 では毎日毎年このゆっくリズムで仕事ができるかというと農繁期(田植えや稲刈り)は朝から晩まで、台風が来ようものなら一日中が仕事だし、逆に雨が続けば仕事がやりたくてもやれない。長雨で倒伏し、刈り取りもできず…結局未成熟のまま収穫して堆肥や藁灰にしなくてはならない。たった5~6日の出来事が一年の仕事の全てを台無しにする場合もある。逆に農閑期には農作業ができないから、道具の手入れだとか、手間仕事だとかをして不意の出費や不作の備えを蓄えながら、次の春を待つ。

 こんな不便で、しんどくて、実りの少ない仕事だから、農家は自分の子供を都会に出してきたわけだ。

 だが私はこの時間の不便さこそ「田舎の贅沢」だと言いたい(というと、実際に田舎で生活を営んでいる人からは絶対に文句を言われると思うが)。なぜ「贅沢」か。それは今まで負の側面として切り捨てられてきた「待つ」「耐える」「あるもので何とかやりくりする」が、自然と身につくからだ。便利さと効率性を追求してきた近代というシステムの中で、時間はまさに「タイムイズマネー」で効率的に無駄なく使わなくてはならず(新幹線の運行計画なんて秒単位で動いている)、不便に耐えるよりは便利なものを買って楽をするのがいいことであり、あるものでやりくりするのではなく、ないものは買ってどんどん豊かに消費していくのが当然だった。だから私たちはそれに慣れきっている。そしていつの間にか「待つ・耐える・あるもので自分でなんとかやりくりする」ことから、自分で悦びを生み出す術を失ってしまった。それこそ新幹線のダイヤグラムではないが、1分でも1秒でも「暇」な時間があってはならないと、スマホの画面を眺めて空き時間を殺している。何かにチャレンジするのは好きだけれど、成果が出るまで耐えるのではなくて、その場その場の成功を求めてしまう。何が足りないのかを考えることなく突っ走り、その場になってないものを買い足しに走る(学園祭でよく見かける風景)。

 田舎ではこういう無駄はゆるされない。雨が降って農作業ができないとき、それは道具の手入れに使われる。収穫が終わった後は土壌の手入れに藁をなう。民芸品のためではない。藁草履も筵も実用品だった。今この藁をなう技術が消滅寸前なのだが、藁はロープになり、敷物や雨具・靴になり…と万能である。そして藁を使いこなす技術(もやい結びと同じくロープに負担をかけず、キチンと留めて解くのも簡単)。雨であっても「暇」ではない。そしてそこで身につける技術は農作業だけでなく、色々な場所で役に立つ(ナイロンロープも藁と同じようにねじって縄れているから、基本は一緒なのだ)。促成栽培できる作物は土壌の養分を奪うことを知っているから、土壌を作る時間を耐えなくてはならない。でもそれは先の楽しみを待つことでもある。何かをするときは、先々の算段を考えておくけれど、お天道様はままならないから、突然の事態には手持ちの材料でなんとかする方法を考えなくてはならない。

 農業で説明してしまったけれど、田舎の日々というのはこうした算段と工夫で出来上がっているのだと思う。そしてこれほどある人の能力を鍛錬し、特徴付け、自分の役割を形成できる「贅沢」な環境はないのではないかと思う。不便だからこそ、自分であるいは他の人と一緒になって「なんとかしなきゃ」ならない。その環境はそのまま自分でも知らなかった自分の能力を、そして気がつかなかった他人の能力を見いだすことができる「贅沢」な環境だと思う。もちろん、今の田舎の生活はかつてとは違う。先に行ったように藁をなう技術も消滅寸前だし、最先端技術を展開することも可能だ。遊子の段畑という山の下から上まで15センチ幅の段々畑がある。ここの猪除けの電柵は太陽光パネルの電力を使用している。でも石垣の隙間がコーラ瓶で埋められていたり、漁猟用ロープが土押さえになっていたりする。

 田舎の贅沢とは、人の能力をどこまでも引っ張り出すことができるという「贅沢」なのだと私は思っている。