ITチームのCWBワールド構想

CWB 松井 名津

 現在、私たちITチームは、CWBグループのコンテンツを統合したいと考えています。YouTubeチャンネルのカンボジア動画、各コミュニティのSNSページ、シビルミニマムの記事など、豊富な情報がありますが、散らばっています。私たちが一つに統合したら、それは大きな力をもたらします。問題は、どのように統合するかです。その第一歩として、WEBサイトをリニューアルします。この新しいWEBサイトをより魅力的で影響力のあるものにして、特に生活を変えたいけど、どうしたらいいかわからない人などを魅きつけたいです。

 まず、強みについて議論していますが、インターネットの世界にはたくさんのサイトがあり、それぞれが魅力を発信しています。多くの人が「社会問題に取り組む」「私たちはコミュニティに根差している」などの言葉を使います。私たちの強みは、さまざまな活動が「使命」や「信条」ではなく、「哲学」に基づいていると考えます。この哲学は、人間に対する一定の見方を前提としているからです。ではこの哲学とは一体何なのか?それを「Inspired Economy」と名付けました。お金は単なるツールまたは取引の媒体の1つです。例えば、野菜を収穫し、余るほどあるので、その野菜をご飯と交換したり、自分ではできないことを誰かに手伝ってもらいます。 もちろん、市場で野菜を売ることができますが必要はありません。人間関係に基づく取引だけで、必要なものを手に入れられるからです。対面でのコミュニケーションが可能な近くの市場や、オンラインで製品を販売することを選択する人もいます。この経済や社会でも互いに競争しますが、最も評価または称賛されるのは、他の人にインスピレーションを与え、気持ちを高めるアイデア、コンセプト、および活動です。つまり、最も共感したものが最も評価されるのです。

 人間は互いに競争する傾向があります。お金が評価する唯一の手段である場合、より多くのお金を得るために他人を押しのけます。しかし、評価ツールが複数ある場合、どうでしょうか。あなたがフィギュアスケート、相手がアイススケートが得意だとしたら、どのように競うでしょうか。あなたとライバルは、他の人をどれだけ刺激したり、自分自身を改善したりするかを競います。それが私たちのInspired Economyの基本概念です。

  これには2つの焦点があります。「Work & Learn」は個人、「Community Work」はコミュニティを設定しました。IT技術を学ぶなど、Work & Learnの側面からネットワークに参加する人もいます。自分自身または自分の家族のためにスキルを上げてお金を稼ぎたいと思っています。その場合、その人は目標が達成できると私たちのネットワークを離れます。より稼ぐよりもコミュニティのために働くよう求められているからです。IT技術は社会に役立つはずです。個々のスキルの側面から始めると、すべてのスキルが自分や他のコミュニティの真の有用性につながることに気付くでしょう。コミュニティ側は入口が2箇所あります。1つはトラストメンバーになること、もう1つはツアー客になることです。いずれにせよ、スキルやアイデアがあり、私たちのネットワーク内で行動したい場合は、より深く参加できます。

 コミュニティと個人の交差点に「社会的共通資本」があります。これは、私たちの未来社会の重要な側面です。 私たち市民は、橋や道路などの社会的共通資本を構築し、維持するために協力する必要があります。このインフラだけでなく、コミュニケーションを構築し、維持します。そして各個人は、自分の生計と自分の意見を持ち、自立していきます。相互尊重は不可欠です。互いに助け合うこともあれば、喧嘩をすることもありますが、もちろん暴力はなしです。無関心は私たちの共通の敵です。

 私たちのウェブサイト、アプリ、すべての IT は、この理念を実現し、促進し、未来社会のモデルとして構成するものです。まず、未来社会を可視化するWEBサイト「CWBワールド」を作ります。

お母さんパワーでカシューの生産力増強

CWBカンボジア 奥谷京子

 今回カンボジアで最初に訪問したのは私たちの畑のあるSCYだった。SCYとはSambor Community Youthの略で、サンボーという地区で若い人たちが農の仕事を行っていけるようにということで始まった活動で、現在はカシューナッツの栽培、牛を飼い、さらに太陽光発電を使って鶏の孵化をさせて育てるなど、様々な活動を行っている。

 私が訪問した3月はじめ、2023年のカシューナッツの収穫が始まっていた。みんなで熟れたアップルから固い殻に覆われた実を一つ一つとっていく。それをよく乾燥させて、1年分の製造のためにストックしていく一大仕事だ。その後どうやってあの乳白色のカシューナッツが日本に届くのかは以前にも紹介したことがあるが、殻割、薄皮剥きなど様々な工程を経る。これまでカンボジアのカシューナッツはインドやベトナムなどに持っていかれ、そこで一斉に機械で全工程を効率よく加工し、輸出している。しかし、私たちはカシューナッツの収穫できるその地域で加工をすることで仕事が生まれるので非効率ながらも地域でやることを敢えて選んでいる。

 外側の固い殻割りは生徒たちの出身の村のお母さんたちにお願いしており、1か所から2か所に増えている。薄皮剥きはプーンアジとSCYの生徒の仕事として役割分担をしている。しかし、このところ生徒たちも地域にダンスをしに行ったり、村にパソコンを教えに行ったりと何かと忙しいことが多く、思うように進まない。しかし、日本との輸出の約束は年々増えているのでここをどうするかは気にかかるところだった。

 そんな時に、SCYのメンバーのモニ君の出身の村で薄皮剥きの仕事ができないだろうかという提案を受けた。モニ君は3人兄妹の長男で、2年前にお父さんを亡くし、家のお米を育てながら、妹たちを支えなければならない。また、このエリアは典型的なカンボジアの田舎で、お母さんも家に鶏やアヒルもいるし、周りに何か働きに行くようなところもない(コンポントムの街中でもせいぜい役所、ホテル、銀行くらいだろうか)。家でできる仕事を必要としている場所なのだ。今回、どういうところでやっているのかを是非観に行きたいとリクエストして、モニ君に連れて行ってもらった。SCYからの道すがら、一歩道を入ると辺り一帯稲作をやる場所が広がる。乾季だったので水が干上がって5月の終わりごろの雨季に入るまではお米の仕事もお休みのようだが、大雨が続くと近くのセン川も氾濫して辺り一面湖のようになり、モニ君の家に行くのもボートを使わないといけないくらいだそうだ。このバイクで通った道がすべて水の中というのは驚きだ。

 おうちにはバナナやマンゴーなどいろんな果樹もあり、旦那さんが亡くなっても底抜けに明るいお母さんが迎えてくれた。ここでやっているんですよと、家の中にも案内してくれましたが、こぎれいにしていて、近所の人たちが6人くらい集まり、自分たちの生活のペースに合わせて、時には子どもたちを寝かしつけてから始めて夜22時ごろまでやることもあるという。50キロほどのカシューナッツの薄皮剥きをプーンアジの生徒は1週間かけて行うのだが、わずか3日で終えてしまうほどやる気満々だ。今年の収穫を乾燥させて、いつから始まりますか?と質問をもらった。お金が手に入ると、食費や子供の教育などにお金が使えるというのでお母さんたちはとても熱心だ。またCWBカンボジアは去年以上の量のカシューナッツを日本に輸出できる契約を結ぶことができそうだ。こんな心強いコミュニティのお母さんたちの力を得て、私たちはカンボジアで活動する。

人のつながりと自分が貢献できること

CWBカンボジア 奥谷 京子

 数か月ぶりのカンボジアだったが、今回はその中でも楽しみの1つはカンボジア唯一の少数民族と言われるクイのコミュニティを訪問したことだ。口伝で高度な製鉄方法を信頼のおける人にのみ受け継がれたという歴史があり(しかし、残念ながら第二次世界大戦の頃に安い鉄が手に入ってから伝承も消え、今はもう誰もできないという)、さらには焼き畑をして森を移住しながら生活をしていて、森にある自然の恵みや日本でいう伝統野菜のような地元にしかない種を繋いできて、プラスティックを使わずに自分たちでかごを編んだりしているという話を聞いており、とても興味があった。

 実はこのコミュニティで無農薬、無化学肥料で栽培するカシューナッツ農家からも仕入れて我々は加工して日本に輸出している。実際どういう人たちが携わっているかを見に行くのも今回のミッションだった。

 噂に聞くクイの人々に勝手に “森の民”のイメージを持っていた。しかし、実際は普通に国道沿いに建つ高床式の家に住んでおり、若いリーダーたちは本当に子育てにも熱心な20~30代の男性たちで、服装も普通。これは大いなる勘違い。

 そしてここにも現代の生活の波は押し寄せている。さすがにプラスティックがゼロではなかった。しかし、伝統的な暮らしを守り続けていることは確かである。薪のコンロだったり、野菜などを混ぜる臼や棒はかなり年季が入っている。そして食材に関しても彼らは原種のトウガラシを庭で栽培しており、それを必要な分だけ使う。黒ゴマを炒って潰して塩と混ぜてゴマ塩を常備する。それをプロホックという魚の発酵食品に混ぜて、野菜のディップソースを作ったり、黒米を入れたモチモチのご飯に振りかけたりするのはまるでお赤飯のようだ。日本だとお菓子とかにも使うんだよというので、スマホでいくつか写真を見せたところ、へぇ~と興味津々。そこから日本との比較議論だ。私たちはコミュニティ全体で100人以上が集まり、建築祝いや結婚式なども祝う。都会だとうるさいと言われるけどカラオケも下手な人が歌ったらみんなで笑うだけだよと底抜けに明るい。日本もカンボジアも「ほら、もっと食べて。これも持って行って」と勧められ、田舎のお母さんは万国共通いいなぁとつくづく思う。

 この人たちともっと関係性を深めるためには、今度は私が何かを返さなければならないと直感的に思った。それこそデン君もこの地域によそ者を連れていく意味が出てくる。そこで、プーンアジに戻ってから生徒のいない午後の時間に試作に取り掛かった。黒ゴマクッキーは焼き上がりが若干固くなった印象はあるが、デン君も含めて試食してもらったら「今度カシューの買い付けに行った時にこれをコミュニティに持って行ったらきっと驚くよ」と言ってくれた。彼らとの関係性で何か前進できる材料の1つになるのであれば幸いだ。日本に持ち帰ったゴマでもいろいろ探ってみようと思う。

 今度はその試作のクッキーをプノンペンの新ビル事務所Chnai Market(挑戦市場)のスレイリャックに届け、カンボジアの都会の人たち向けに売れないかを考えようと思っている。やはりクッキーの固さや味にはもう少し工夫が必要そうだと彼女も感じたようだが、早速レシピは教えたので、自分で作ってみると言っていた。また、カシューバターを使ったクッキーも一度作ってみたいと新しい商品を作ることに意欲的だ。

こういう何かが始まる時に立ち会えるのは楽しい。カンボジア国内でも私たちは田舎のものを都会に紹介するというマーケットを広げる一歩が始まった。まだまだカンボジア人たちには値段が高いからと敬遠されることも多いようだが、プノンペンに住む外国人にじわじわと広がっているようだ。私たちには黒ゴマもカシューナッツも直接生産者とつながっているストーリーがある。どんな人が作っているか、カシューナッツのあの形にまでするのにどれだけの工程を経るのかを知っている。これは何よりの強みだと思う。上手にこういうものをアピールしながら広げられたらと思う。

CWB薬草データベース

CWB 松井名津

 アジアには薬草が溢れている。が、どこでも、どの薬草も危機に瀕している。開発による絶滅の危機だけではない(それも深刻なのだが)。急激に近代化とグローバル化の波にさらされる中、薬草に関する知識が失われつつある。これは日本の歩みを振り返れば納得できると思う。戦後、GHQや政府の指導のもと衛生管理が徹底された。おかげで私たちは衛生的な水、国民皆保険制度の中で守られることになった。そして同時に「野原の草」は「雑草」となり、不衛生なもの、口にしてはいけないものになった。高知県では県民食といわれ、スーパーでも販売される「イタドリ」は、他県では見向きもされない。全国区となった「タラの芽」「サンショの葉」「大葉」…スーパーに並ぶ山野草は、栽培され綺麗にパッケージされる。けれどそれは季節の彩りとして消費されるものになっている。かつて、ちょっとした怪我、腹痛、頭痛や発熱は、家の庭やそこらの土手に生えている薬草で癒されていた。薬草はまた腹を満たす食糧でもあった。薬草に関する知識が衰えるとともに、身近な薬草は雑草となり、全ての病は医者の手によって治癒されるものに変化した。それは近代がもたらす福音でもあったが、同時に近代につきまとう集中化の一環でもあった。人々は自分たちが持っていた癒しの手段を忘れ、専門家に依存するようになったからだ。

 アジアでも同様のことが起こっている。ではアジアでも福音は訪れるだろうか。私は疑わしいと思っている。良くも悪くも日本は中央集権化に成功し、一応多くの人が安い費用で医療に接続できる状況が成立した(今その基盤が危うくなっていることは先般のコロナ騒ぎで痛感したところだが)。けれど、アジアの多くの国では満足な治療は一般の人々の手の届かないところにあることが多い。だからこそ、薬草に代表される民間医療を知識としてデータベース化することに意味があると考えている。それは同時に日本では失われてしまった知識を再び見直す画期になると思っている。

 これまでも何度かデータベース化の試みはあったのだが、なかなか前に進まなかった。色々な要因があると思う。が一番の要因は各国の若者を事務局として巻き込めなかったことにあると反省を込めて考えている。今回は、その反省に基づいて若者主体のデータベースづくりに取り組むことになった。若者が主体になり、老人から薬草やその使い方を聞き出すことで、世代交代ではなく世代継承ができるのではないかと期待している。まずはこれまでも薬草とその使い方をビデオに撮影してきたカンボジアが、アジア全体のモデルケースとなることを期待している。特にカンボジアではプーンアジの生徒たちが、近隣の村やクイの村へデジタル知識を教えに行っている。彼らを中心としたデジタルの輪が、古来の知恵を再活性化し、現代に活かす道を拓いてくれると考えている。

 また今回のデータベースの特徴は身近な病気や怪我で検索できることだ。今までの試みはともすれば有効成分の情報に偏っていた。しかし有効成分は「今わかっている」ことにすぎない。薬草の効能の中には、よくわからないけど経験的に効くものもある。それを現在の科学的効能に絞ってしまうのは、とても惜しいと考えたからだ。また、私たち自身がデータベースを使うときにも、かつてのように身近な病を癒す手段を検索してほしいと考えているからだ。薬草は万能ではない。だからこのデータベースで「ガンの特効薬」を探さないでほしい。痩せる薬も高血圧を治す薬も探さないでほしい。それは「薬草」の埒外の問題だと私は思う。薬草は人々が長い時間をかけて発見し、人々が使い続け、人々が守り続けた結果として存在している。私たちの日常に根付いていた薬草を、再び日常に活かすためのデータベースを作り上げたいと望んでいる。

教えられること、教えること

CWB 松井名津

 日本の技能を伝える教えるとはいえ、伝統工芸に登録されているようなところは敷居が高い。農機具については何となく見当がつくのだが、それ以外にどんなものがあるだろうかと考えていた。そんな時に大洲の台腰さんと話をした。薬草園整備の話をしていたのだ、が、いつものように話がとっ散らかっていった。

 足踏み式脱穀機・唐箕をアジアに持っていけないか―唐箕はすごく薄い杉材で出来ていたから子供二人で軽々運べた話、材木の組み合わせでできているだけに微妙な調整が必要だ。一微妙な調整が必要なのが人力を使う道具の特徴。そういえば妻が若い頃機織りに凝っていて、各地の博物館で機織り機の復元に携わったことがある。その時も機織り機の構造や動きがわかっている大工さんでないと、うまく復元できない…。機(はた)といえば、今青森の叔母が身辺整理をしていて30台ほどある各種機織り機のうち何十台引き取ってくれる?と言われてひ、っくりした。彼女は裂織をしていたから古い布もトラックに何台分も保存していて…。南予は養蚕が盛んだった。蚕は昔春先に農家が一枚いくらで雲丹のような蚕の卵を買い取って…。

 ああ、そうなのだ。日本は平和で、ある程度他の世界から隔離されていた長い江戸時代に藩ごとに労働集約的な技能が発達した。米作りはその典型例だろう。村落全員が食っていけ、年貢を差し出すことができる米を多くの人力(余裕があれば金肥=干鰯などの肥料を入れて)で生産してきた。明治以降も戦後になるまで、農業の機械化があまり進まなかった。山問地が多く耕作地が棚田のように小規模で複雑な形態をした農地が多いのも要因だっただろう。機織りや和紙づくり、藍染などの染物の技術。こうした技術はとりあえず昭和40年代あたりまで、細々であれ現役だったわけだ。そのほかにも多種多様な技能がきっと各地に眠っている。いや眠っていると思うのは外からの視点で、現地ではなんとかその技能を伝えようという試みがあったり、道具や器具を残したいと思う人がたくさんいるだろう。断捨離ブームで、あっても、長年使ってきた道具に愛着があって捨てられない人も多いはずだ。日常に根付いていたから残ってきたもの、日常のものだから「伝統工芸」ではないもの。日本で後継者が見つからないのであれば、アジアに残せばいいのではないか。アジアにも手工芸はある。けれど日本と異なり、戦後までの植民地支配のもとで「近代化」や「モノカルチャ化」を余儀なくされたところ、技能伝承が途絶えたところ、さらに手作業からいきなりトラクターやコンパインの時代に移ってしまったところ。手作業から機械化の聞をつなぐ人力と工夫による労働集約だけど労働の効率を高めるやり方があまり残っていないところがある。そして急速な近代化と共に食糧であれ衣料であれ薬草や手当の知恵であれ、西洋化された大量生産・大量消費の価値観が蔓延していく。

 このモダンの蔓延が何をもたらすのかは、日本の現状を見ればよくわかる。70年を経て行き詰まり、あちこちで金属疲労を起こしている日本がモダンの行き着く先だ。でもそんな日本にかすかに残っている昔の日常技能をアジアに伝える。そのために日本中からいろんな人、いろんな技術、いろんな道具を持ち寄る。持ち寄って渡すだけでは技能は移転しない。だから、アジアから来てもらって体験し経験してもらう。さらにアジアの各コミュニティの事情に合わせた変容をお互いに考える。現地に行く人もいれば、1T技術を使って遠隔から伝える人もいるだろう。アジアから再度日本に来る人もいれば、毎日のようにズームやスカイプをつないで細かな質問を重ねてくれる人もいるだろう。いや、「だろう」ではない。農であれ、加工であれ、伝統技術であれ、目的意識を持って日本に来てくれるような人を見つけ出さなくてはならない。そして、その人材(人才と呼びたい)をきちんと受け止め、「働きながら学ぶ」受け入れ体制を作らなくてはいけない。それが新しい技術移転のモデルとなることを目指して。

ミャンマーの若者受け入れへ

CWB 松井名津

 ミャンマーを始めとするアジアの若者を受け入れ、日本の技能を伝え、教えたい。単に「技能を教えるだけでは伝わらないと思うのだ。教わる側に事前準備が必要とか、教える方も教える内容を整理するとか、技術的な問題の前に何かを考えなくてはならない。

 それが何なのか、しばらくわからなかった。月曜会議で「大規模生産も必要だとは思う。世界人口を全て支えなくてはいけないから。でもコロナのように非常事態の場合、交通が途絶した場合、コミュニテイレベルで自活できる技術を持つことが必要だと思う。自分達が食べられる安心があれば、他も思いやることができる」と説明したが抽象的と思わざるえなかった。自分自身で言葉が上滑りしていると思った。里山に行って門屋さんと話して、少し見えてきた気がする。門屋さんは以前から「農は業ではない」と主張している。農業は他の産業と同じく効率性や生産性、収益率で比べられる存在になる。ある意味当たり前のことだ。だからこそ「儲かる農業」が提唱されたり、6次産業化が推進されてきた。だがこうした政策に容易に対応できたのは換金作物だ。主食の米は補助金を与えられ、国に価格を定められる統制の影響が長らく続いた。一般には米の保護政策といわれるが、同時に米の価格を低く安定させるためだった。以降も米価は下がったままだ。私たちはそういうものだと思い込んでいる。

 門屋さんはいつもこの点を学生たちに問う。なぜ米は安いのか。米離れ・食生活の変化…学生たちの答えは様々だ。けれどどれも本質を突いてはいない。米は食に直結している主食だ。主食が高くなれば暴動が起きる。それを防ぐための食管法で、70数年変わっていない。おそらく工業化しているどこの国でも同じことが起きている。食の生産現場から離れた私たちは、代わりに給与という形でお金を手にする。そして私たちはお金があるからいつでも食事を買えると思っている。その裏で農は疲弊していった。業としてみた時、農は儲からない・きつい職業のーつとして、敬遠されるものになった。おそらくどこの国でも工業化・現代化と同時に生じたこと(生じていること)だろう。けれど門屋さんは「食は人間の命を支えるもの、空気や水と同じだj と。中井さんも同じことをいう「食(食を作るのは)人間の基本的権利jだと。つまり農、食料を生産することは、社会全体の利益であり、社会共通資本なのだ。その農の技術、特に化石燃料や電気に容易に頼らない技術は、いつでも誰にでも使える技術としてあらゆる社会に共通な技能・技術として伝えられなくてはならない。だからこそ、私たちは伝えたいのだし、伝えなくてはならないと直感的に思うのだ。

 社会共通資本とは形や場所ではない。普通の人々が単に生きるだけではなく、生き続けるために共通に必要とする資本一資源なのだ。重要なのは人々が共通に必要とする点だ。皆が必要とするものを他人の手に委ねたままにするのはよくない。それは自分たちの首根っこを抑えられるようなものだ。それに食糧や空気、水あるいは棲家や土地を自分たちで管理し、親しんでおかなければ、非常時に戸惑うばかりだろう。社会共通資本は「みんなにとって必要Jであると共に「みんなが関心を持ち必要とするべき」という意味でもある。

 アジアからの技能研修生の受け入れは、技能を伝えるためだけではない。私たち自身が、衰えてしまった私たちの社会共通資本を見直し、場合によっては見出し、それを受け継ぎ守る機会でもある。技能は教える、でもそれだけでは足りない。私たち自身が私たちが受け渡したいものを見つけなくてはならないのだ。

監査の意味、スリラン力の解へできることを緊急提案

プレス・オールターナティブ 監査 松井名津

 「audit (監査)」は、ラテン語の「audio」、「audre」と同じ語源であった。つまり、「聞く」という意味なのですが、自分の役割を説明するためにこの言葉を選びました。なぜか?他の言葉、例えば、inspectionやcheckingは、コントロールしたり、何らかの欠陥や偽りを発見することに重点、を置いている。普通の会社では、監査がそれを行うべきだし、PAにとっても、チェックは不可欠である。しかし、私がチェックしたいのは、普通の虚偽ではありません。私は、PAの利益の使い方をチェクしたいのです。これは、通常の監査の役割でもなければ、監査の責任でもない。しかし、私は、もっとコミットしたいので、そうしたいと思います。以下は、私がPAの監査役としてどのようなことをしたいかという個人的な見解である。

 利益の使い道は、その企業の真のミッションや考え方次第です。「私たちは仕事を通じて社会に貢献します」という使命があっても、会社や市場シェアを拡大するためだけに利益を使うのでは、その使命は偽りです。本当の使命は「会社を大きくすること」なのです。この場合、監査は何もしない。監査は、虚偽のお金の動きに気づかせる。この場合、CEOや他の役員は、会社の利益に反する行動をとらない。利益とは、会社の利益と株主の利益である。したがって、CEOが会社の使命に従って行動しているかどうかをチェックするための監査は存在しないことになる。

 PAにとってミッションは最も重要であり、PAはそのミッションから出発している。「世界中の貧困を削減すること。貧困の根源にある問題を解決する。貧困を減らし、問題を解決するための私たちの方法は、雇用を創出することです」。ですから、このミッションに忠実であるならば、私たちの利益は雇用の創出や問題の解決に使われるべきなのです。別の見方をすれば、私たちは、利益を3つに分けるというルールを持っています。

 今、ほとんどの会社が「社会に貢献したい」と言っています。この時代、私たちにとって社会貢献とは何でしょうか。社会貢献とは、ただ良いことをすることなのでしょうか?良いこととは、ただお金を寄付することだとしたら、それは間違っていることになりがちです。なぜでしょうか?寄付をする人は、お金の使い方や寄付の成果を軽視しがちです。昔も今も、未聞の国の子どもたちや難民の人たちに古着を寄付する運動があります。それはいいことだと思います。その結果、子どもたちは良い服を着ることができます。しかし、彼らの母親は仕事を失ってしまいました。難民キャンプでは、女性たちがミシンを使って縫製を学び、どこかの会社のもとで安価な子供服を作っています。もちろん、十分な収入にはなりませんが、彼女たちは何かを得ることができます。今、寄付された服が大量に送られてきています。安価な布の需要はなくなりました。だから、母親たちは仕事を失った。これが、「良いこと」の結果です。

 私たちPAは、自分のお金がどのように使われるかを考えなければなりません。使うだけではありません。その結果にコミットすること。それは面倒な作業です。寄付をしたり、使い道を確認したりするのは簡単です。例えば、「私たちのお金で、医療用の高価な機械が買えます。この機械を使って、医師が病気の症状を発見し、人々をより健康にする」、それだけです。その機械を使える人がいなくなっても、それは正しいのでしょうか?これは逸話ではありません。フィリピンの地域社会でかつて起こった実話です。

 お金には大きな力があります。監査は、彼らの話をよく聞いておく必要があります。彼らは本当の価値として喜んで使っているのか?それとも単なる名目的な価値なのか?監査は、地元の人々がお金の使い方、寄付や寄贈についてどのように考えているのかを聞くべきです。監査は、PAの人々が寄付についてどのように考えているかに耳を傾けるべきである。監査は、ただ聞くだけでなく、新しいアイデアを企画し、PAの人々に提案し、彼らの考えを聞くべきである。

 私たちは、良い仕事を作ることによって、新しい未来を作るべきです。PAと地域社会双方にとって良い仕事。監査はそのために働かなければなりません。

もう1つの社会、メタバース

CWB 奥谷京子

 メタバースという言葉を聞いたことがあるでしょうか。VR(バーチャル・リアリティ) =仮想空間のこと?すでに10代は使っている子たちも増えてきています。どこにいても制約を受けない、翻訳を使えば世界中の子たちとも友達になれます。

 この30年くらいの情報通信は飛躍的に変わりました。最初はポケベル、その後ケータイ電話で絵文字つきのメールが送信で、きるようになり、さらに写真や動画・スタンプを送るようになりましたよね。自分のスマホから簡単にグループでもテレビ電話ができるようになりました。でもまだ絵と文字が主流(カンボジア人は書くのが面倒なので声を録音して送信していますが)。それが立体的な世界に飛び込み、自分が主人公で動く3D変わっていきます。今までは東京の一等地にスペースを持たないと商品の認知度が上がらないと思われていたものでも、誰もが面積を考えずにいろんなものを紹介できる。そしてこのコロナが後押しをして、現地に行けなくても体感できるのがより大事になってきました。仮想空間を飛び回り、運動し、現実世界で飛行機や車での移動が少なくなればガソリンも減り、自分自身の消費カロリーも節約する省エネモードになっていくのかも? !でもまったく誰とも接点を持たないのはやはりつらいので、現実世界の中でカフェに行ってお友達とおしゃべりは続くのでしょうか…。その辺りも私もまだわかりません。

 またインターネットの世界も同時に変化しています。普及が始まった頃はマスコミの媒体がオンラインになったという形で発信中心(パブリッシャー)なのがWEB1、そして現在のアマゾンのようにそのサイトにたくさんお屈を集めて集客をして商品を提供するプラットフォームをイ乍るのがWEB2、そしてGAFAなどが顧客情報やマーケットデータの全てを牛耳るのはどうかと疑問を持ち始めたクリエーターたちが独立して新しい世界を作ろうとするのがWEB3。

 このメタバースの注目とWEB3の波が一気に押し寄せてきました。ここで、私たちは何をするか、です。私たちなりの仲間作りです。例えばですが、熊本県天草市で200ヘクタールの森をみんなで後世へ残していこうということで動き始めましたが、数名だけで何かできるような広さでは到底ありません。しかし、営利企業に売却されたらあっという聞に材木が伐採されてはげ山になり、植林して手入れするという循環を守れなくなると保水して土砂災害を防いだり二酸化炭素を吸収する森の役割をあっという聞に失います。市民である私たちがどうやってこれを守っていくか、こ
の問題意識を持った世界中の“アバター森人”と一緒に知恵を出し合って守っていこうというのが1つのアイディアです。

 今年初めから楠クリーン村のホームページでは“アパタ一村民”というページを作っており、私のほかに、カンボジアの住民やスペイン人や東京に住む創立時のメンバーなど、楠に住んでいない多様な人たちが執筆を楽しんで、います。必ずしも楠の話題だけではないですが、いろんな出入りが活気を生むんですよね(https://kousakutai.net/post/)。目の前にある世界でなくても、どこに住んでいても同じ趣味や問題意識を持った人たちが集まるもう1つの社会。次頁の築100年の吉田屋はアバター旅人に皆さんを誘います。

モンドラゴン協同組合創始者の思考とCWBの挑戦

学生耕作隊理事 奥谷京子

 今年になって山口にいるブルーノさんと毎週 l回会議を行うことになった。彼はスペイン人で日本語 1級を取り、メーノレを送るのも仕事で会話することも何ら問題がない。しかし、早い展開の議論や抽象的な言集を理解するのは大変だ。日本語を読むよりも英語で理解するほうが楽ということで、私が英語で解説を入れたりしている。彼がこの 1年くらいリサーチを進めているスペインのバスク地方にあるそンドラゴン。そこで次々と協同組合が生まれ、スペイン国内で、有数の企業になったものもある。前から彼のレポートは目にしていたが、改めてこれまでスペイン語原文を英語に訳したレポートを全部読んでみた。さらに知りたいと思って『バスク・モンドラゴン協同組合の町から~(石塚秀雄著、彩流社)という中古本をネットで取り寄せた。

 ホセ・マリア・アリスメンディアリエタという聖職者がそンドラゴン協同組合を立ち上げた。そこには 10の基木原則がある。①自由加入、②民主的組織、③労働の優越(労働が自然、社会、人間を変革する基本的な要素。賃金労働者を原則として雇用しない、社会のすべての人が仕事につけるように雇用拡大を目指す、など)、④資本の道具的・従属的性格(資本を企業の発展のための道具として労働に従属するものとみなす)、⑤管理への参加、⑥給与の連帯性(協同組合の実情に応じた十分な給与)、⑦協同組合の間での共同(協同組合間の人事異動など)、⑧社会変革、⑨国際性、⑩教育というのを掲げている。協同組合が資本主義を乗り越えて新しい体制を作れるかどうかについては、労働者階級が団結しなければならないと彼は述べるとともに、同時に資本主義との共存も受け入れなければならないことも述べている。こうして「新しい体制Jのために、協同組合における教育は、協同組合が硬直しないこと、社会変革を目指し、自治社会へ向けた教育を進めることだ、と。これらを読むと、まさに我々CWBが目指すところにシンクロする。齊藤さんの文章の中にもあったが、形だけの協同組合ではなく、活力ある協同組合をどう維持するか。そこに教育がある。モンドラゴンの協同組合には利益の 10%は教育投資に回すというルールもある。職業訓練から始まった大学を持ち、技術習得に加えて創始者アリスメンディの精神に若いうちから触れる。協同組合としては即戦力になる人材を育て、この仕組みが途切れることがない体制を作っている。さらにはバスク語や文化を守ることまで力を注いでいる。文化の社会化、知の社会化こそが労働者が権力の民主化から勝ち取る道なんだというところに繋がる。「創造し、所有せず行動し、私物化せず進歩し、支配せず」という彼の印象的な言葉にも魅かれる。

 そこから 70年経った今、工業化を中心に据えていたところはモノ作りからコンテンツの時代へ、さらにはインターネットで国を越えて協働で・きる変化こそあるものの、行き過ぎた個人主義は未成熟な社会であり、権力・派閥ではない民主的なつながりが求められている。ブルーノさんとの会議で、「なぜこれからは協同組合か」と議論した。協同組合が働いている人の自立・自治の教育機関となり得るかが問われる。自立自治を目指して参画することに魅力を働く人が持てるか、その自主性にかかっている。仕組みも大事だが、そこに集う一人ひとりの意識変革こそが求められる。また、ライターの坂本さんが聞き取りインタビューするミャンマーも今の抑圧された状況が嫌で、必死に抵抗し、自分たちの力で立ち上がっている。自分たちで、責任を取って自由を獲得する。平和や自由は闘いなのだ。しかし、どうも日本はいろんなことに直面しても現状維持、責任回避、波風が立たないように見ざる、言わざる、聞かざるになっていないだろうか。世界の情勢だけでなく、日本も非常事態であることに早く気づいて、災害時に発揮した「助け合い精神を一人ひとりが当事者として持ち寄り、事態に向き合う時が来ているのではないだろうか。

日経新聞に載っていた小さな記事(3・3)から

松井名津

スリランカで食料価格急騰という見出しです。これが農政によってもたらされた状況でもあることがわかると思います。日本の農業、特に米は農政によって左右され続けました。稲作はそんな農協から提供される苗に頼っているところも多く、苗建ての技術の継承が喫急の課題だと考えています。楠に期待するところ大です(苗建てがなぜ必要かも考え実践できるか?)。


またアジアのどこの国で起こってもおかしくないことでもあります。自前の農を国境を越えて広げていくことは、輸入業であるPA にとって「確かな製品の提供先」を確保することではないか、という議論を早速PA 役員会で行うことにしました。