社会システムが崩壊する足音が聞こえるが…

CWB 奥谷京子

2023年新年号として「フェアトレードからコミュニティワークへ」という冊子にして読者の皆さんにお届けした。アジアを助けるから、アジアから助けられる国にと潮目が変わったと朝日新聞の永井記者も当時記事として紹介してくれた。

その本の中に、かつてフィリピンの看護士を福岡の介護施設で受け入れた時に私が英語の通訳で入った時のエピソードを紹介した。フィリピンで看護士の資格があると半年カナダで働けば永住権が得られる、ドバイのほうが稼ぎがいい、日本は英語で上司が話してくれないし、お給料がいいわけでもないし、魅力を感じないと20年以上前に言われたのだ。

そこから現在は介護の現場はミャンマーやネパールが中心で、ミャンマーは徴兵のために国外へ男性は出られなくなった。つい最近、ネパール人で看護コースを専攻し、その経験を生かして現在技能実習で地方の特別養護老人ホームに3年勤めている女性から話を聞いた。彼女の仕事ぶりは評判がよく、意地悪もなく、いいスタッフに恵まれているという。だが、驚いたのは時間を埋め合わせる作業員でしかない現状だ。

月に8、9回くらい夜勤があり、2時間ごと日本人スタッフと交代し、40人近い介護度3以上の高齢者をたった一人で夜間見ているという。同じグループ内の別の施設にいた時は週1回スタッフ全員が集まるミーティングもあったが、今はそういう機会もなく、任された時間で大きな事故や容体の急変がないように祈りながら担当するという。20代後半だが、顔にある吹き出物がその大変さを物語る。50キロくらいのお年寄りを一人で体を動かしたりしなくてはいけなくて最初はコツもわからず、腰も痛めたそうだ。日本で働く前は介護というのはお年寄りに寄り添って、お庭で一緒に土いじりをしたり、やりたいことをお手伝いするというようなイメージだったが、かなり大きな施設ということもあり、その施設のスタッフの時間に入居者が合わせるという状況で、朝7時からご飯を食べてもらうために眠くても5時から起こし、食べる時も一人ひとりで、入居者同士で談話などもない。介護スタッフは5人の面倒を見て、食べ終わったら寝かせるという状態だという。すべての介護施設がそうではないとは思うと言っておられたが、弱っていく高齢者をみていくのがつらいと漏らしているのだ。日本という場所に憧れたが、施設が立派じゃなくても大家族で身内のお年寄りを見るネパールのほうがいいと感じていそうだ。

これではネパールからもそのうち人が来なくなり、次は経済危機に陥った国を探し、どこもなくなるという道をたどるのだろうか。現在技能実習制度も見直しが図られて、技術を学んでもらって国際貢献の名目から育成にシフトするそうだが、現場の感覚とは乖離している。ネパールにいる彼女の友達で今看護の勉強を始めた人もいるようだが、オーストラリアの給与がいいので(時給は2倍強)、そこを目指しているという。ミャンマーは国の事情でもう若者も出国できなくなり、ネパールの人も1,2年で来なくなると、さらなる人手不足。そしてたまたま介護が自分の天職だと思って20年働いていた日本人女性もこの7月に介護現場から足を洗ってエステの仕事に転職をすることを決めたと聞いた。この仕事が好きだと思っていたけれども、どんどん現場の人がやめていき、彼女も鬱状態になってしまったという。また旦那さんが事業に失敗して蒸発し、4人の子どもを抱えていたシングルマザーも、一番下の子がもうすぐ高校を卒業したらほかの職種にチャレンジしたいといっている。

たまたま介護の例ではあるが、いろんなところで日本のシステムの崩壊がある。農業の人手不足は深刻だとか、学校の先生を目指す人が少なくなったとか、2024年問題で建築現場や運輸業はどうなるかなど、ニュースで聴く話題だけではない。これだけ複雑な要因が絡み合う社会なので簡単には解が見つからない。さらに円がこれだけ安くなると、輸入もいよいよ危うい。輸入食品を扱う街中のお店でも品切れと書かれている表示も見かける。数日経っても慢性的に物が入ってこなくなることも起きてくると、今後一般のお店の運営方法もおそらく変わってくるだろう。

負のスパイラルになった時に、そこから逃げ出していく人たちはたくさんいる。ただ安全と思しき所に移るためにも、自分にスキルなど役立つものがなければ実力が試される場であるほど定着などできるわけがない。お先真っ暗なシナリオを並べても気分が沈むだけだ。以前、片岡が起業スクールでよく言っていたが、「お金のあるところに人が集まり、情報が集まるという時代から、情報化の時代は面白い情報が集まるところに人が集まり、お金が後からやってくる」と。日本も機材は進歩・充実しているけれども、それを扱う人たちがいまだ古い体質から抜け出せなかったのか、周回遅れでやっと情報化にシフトする時が来たのか、と気づかされる。既存の枠組みで限界を論じ、解も見いだせず唸ってばかりいても何も変わらない。

以前、ある地方の障がい施設の話を聞いたことがあるのだが、予算が削られて毎日お風呂が入れなくなったが、近くの山で薪拾いをして燃料を入居者自身が集め、森の中を歩くおかげで幻聴・妄想も減り、さらに運動するので汗をかいて毎日お風呂に入ってぐっすり寝るのでおねしょも減るという一石三鳥くらいの効果が出た、という。

今さらながら「面白がる」心で「やってみる」、それぞれの人が自分の媒体で「楽しい」を発信できること、実験すること、他にやっていないことをやってみることだ。その時に、余裕や遊びの部分があることは重要だ。自給できる食料があることと、今私たちが力を注いでいる自らの文化に誇りをもって守っていくこと、そしてニュースに踊らされて不安がってばかりいずに自分で何かアクションを起こすことなのではないだろうか。ニュースは読むものではなくて、作るもの。それが時代に刺さり連鎖する時の面白さを感じられる自分であり続けたい。

ご縁が実を結ぶ、「銃のない平和!」全国公演

CWB  奥谷京子

今年はラッキーなことに桜が遅かったおかげで、プンアジダンサーたちが名古屋に到着した時に満開になりました。劇中にもアツ(中田厚仁さん)を偲んで村に桜を植えるというシーンがあるのですが、成長し咲き誇るとどれだけ美しいかを間近に感じられた彼女たちはより演技に力が入ります。

今回、愛知県は3か所+高校の訪問を果たすことができました。1か所目はソーネOZONEで公演後には運営スタッフのお母様がカンボジアのメンバーに浴衣を着つけてくれたり、三味線と小唄・日本舞踊の披露や日本の歌を歌ったりと、盛りだくさんな内容でした。2か所目はオルタナティブスクールのあいち惟の森。ここではお昼ご飯の豚汁の具材を一緒に切って、日本の大根やネギの大きさに感激したり、近い年齢の若者たちとスレイマウがホワイトボードでクメール文字を教えました。そして3か所目の南知多では仏教のお寺に訪問ができてそれにも興奮していたメンバーたち。移動はかなりきつくて、バスや電車に乗るたび頭が痛いと寝てばかりですが、毎日違う環境で刺激を受けているようです。

今回の企画を名古屋で引き受けて下さったのは顔の見えるフェアトレード風”sの六鹿晶子さん。フェアトレードタウンを推進した土井ゆき子さんの風”sで経験を積んで、土井さんが田舎へ引っ越された後も名古屋の中心街でその精神を受け継いで活動しています。彼女が2020年2月に新婚旅行でカンボジアを選んで訪れ、プンアジに宿泊しました。その際にカシューナッツのパウダーを入れたケーキ生地にバナナを挟み、生クリームをコーティングした小さなケーキをプンアジの生徒が作り、サプライズでプレゼントしてお祝いしました。それから六鹿さんはより身近にカンボジアを感じてくれ、今回もいち早く来日公演に手を挙げてくれました。

土井さんもソーネOZONEの会場に参加してくれ、「30年近いお付き合いになるけど、ボリビアからの楽団を受け入れた頃、懐かしいわ」とコメントしていました。そして参加者からも「学生時代にフェアトレードのサークルで、第3世界ショップは泥臭くていいなと思っていて、ここで会えてびっくりです!」という声も頂きました。第3世界ショップを特徴づけるのは単なる商品の販売ではない、コミュニティを作る、文化を守るためにイベントを継続しているという点です。利益の3分の1は後世に残したいもの、社会に必要とされることに採算は二の次でお金を活かそうという創立以来のスピリットが受け継がれています。すでにあいち惟の森の校長先生もフィールドワークで中学生5人を海外に連れていきたいと、今回出会ったプンアジの学生たちを訪問してくれる可能性が出てきました。こういうご縁が次のアクションへと繋がっていくのが面白いところでもあります。

今回は全編クメール語での上演なので日本で耐えうるかが心配でしたが、アツ村出身のコムジエンが主人公を演じるというストーリー性で新聞でも取り上げられ、言葉を越えたヴァニー先生の演技の迫力、指のしなやかさなどクメール舞踊の動きに魅了され、参加者全員でココナツダンスを通じて交流ができて楽しんでいただけたようでほっとしています。準備で頑張った中原さん、安藤さん、そして学生インターンの皆さんの努力の賜物です。前半の1週間が終わったところですが、残りの公演でも様々な出逢いとご縁が広がりそうで、楽しみです。

変化の種5 インドの社会起業家の紹介

CWB 奥谷京子

今回もヴェンカテシャ・ナヤックさん著の『変化の種~Seeds of Change』からご紹介します。先月号はリサイクル、環境問題の解決ということに焦点を当てて紹介しましたが、今回紹介する3人はすべて女性起業家で女性の雇用づくりに焦点を当てている方々です。3人目に紹介する女性起業家は聴覚障がい者の人たちと共に服の販売をしているということで、現在CWBミャンマーで活動しているOne 4 Oneの活動に類似するところがあり、参考になればと思い、紹介します。

〇ジャイ・バラティの変化への意欲:

MOWO はモビリティを通じて女性に力を与える

建築家であり情熱的なバイカーでもあるジェイ・バラティは、モビリティを通じて女性の生活を変えるという使命に乗り出しました。 2019 年のメコンへの道遠征中のタイでの女性自転車タクシー運転手との出会いに触発され、ジェイは女性に力を与えるモビリティの可能性に気づきました。この認識は、女性が運転スキルを学び、モビリティ分野での機会を追求できるようにすることに焦点を当てた非営利団体である MOWO (Moving Women) Social Initiativesの設立につながりました。

熱心なバイカーであり、Bikerni Hyderabad のメンバーでもあるジェイは、インドの道路における男女間の著しい不均衡を観察し、女性の安全上の懸念を認識していました。彼女は、道路をジェンダー中立にし、女性、特に低所得者層の移動の重要性についての意識を高めることを目指しました。ジャイはハイデラバードで自動車訓練プログラムを開始し、2,500 人の女性に二輪車に乗れるよう訓練し、200 人以上の女性に電動オートリキシャの運転訓練を行った。このトレーニングは、テランガーナ州女性児童福祉局内にあるインド初の女性専用自動車トレーニングセンターで行われます。

ジェイは運転技術の習得に成功したにもかかわらず、安全上の懸念、アメニティの欠如、性別による偏見などにより、女性の労働参加における課題を認識した。これらの問題に対処するために、彼女は 2022 年に女性ドライバーを雇用し、モビリティ分野でより良い生計の機会を提供することに焦点を当てた営利スタートアップである MOWO Fleet を設立しました。この車両はすべて電気自動車(EV)で構成されており、専用アプリを通じて柔軟なスケジュールを提供し、女性ドライバーの利便性を確保しています。

MOWO フリートは、Blue Dart や Uber などの組織と協力して、女性ドライバーの雇用機会を創出してきました。この取り組みにより、女性(その多くは初職に就く人)に力が与えられ、家計の収入に直接貢献することができました。

女性ドライバーは、限られた労働時間の中で約 15,000 ~ 17,000 ルピーを稼ぎ、安定した有意義な収入をもたらします。さらに、MOWO フリートは、多様な交通ニーズに応えるために、サブスクリプションベースの通勤サービスやハイデラバードでの趣味のクラスの送迎サービスを検討しています。

MOWO Social Initiatives は非営利団体として運営されていますが、MOWO フリート は Villgro などの組織から、基金や Tvaran プログラムへの参加などの助成金を受けています。ジェイはMOWOフリートの影響を拡大することを構想しており、モビリティ部門をよりジェンダー包摂化し、持続可能な機会を通じて女性に力を与えることの重要性を強調しています。この取り組みは、モビリティ労働力における女性のための支援的なエコシステムを構築し、性別に関する固定観念を打破し、経済的自立を促進するというより広範な目標と一致しています。

https://www.mowo.in

〇カンチャン・バダニのループフープ:

かぎ針編みを通して部族の女性に力を与える

ジャールカンド州の小さな町ジュムリ・テライヤでは、部族の女性たちが週5日集まり、仕事を提供するだけでなく、子供たちに喜びをもたらす工芸に取り組んでいます。 Loophoopと呼ばれるこの取り組みは、ジャ​​ールカンド州出身の61歳の起業家、カンチャン・バダニによって始められた。 2021 年に設立された Loophoop は、かぎ針編みのおもちゃの手作りに焦点を当て、地域の部族女性に生計の機会を創出しています。

カンチャン・バダニとジュムリ・テライヤとのつながりは深く、彼女の家族はこの地域で鉱山を所有しており、地元コミュニティではよく知られています。しかし、雲母鉱山産業が閉鎖に直面し、多くの人が職を失ったとき、バダニは、この地域で苦しむ女性たちの希望の源となりました。彼女のベンチャー企業であるループフープは、これらの女性たちに希望とより良い生計を立てる機会を提供する手段として誕生しました。

バダニのかぎ針編みへの情熱は、コルカタで幼い頃、祖母がかぎ針編みのおもちゃを作っているのを見て育ちました。1982 年の結婚後、彼女はジュムリ・テライヤに移り、時折コミュニティ内の他の女性たちにそれを教えながら、その工芸品の練習を続けました。困っている女性たちの生活に変化をもたらしたいという彼女の願望にもかかわらず、バダニの社会的活動は家庭の責任のために後回しになっていました。

2021年、子供たちが落ち着いて時間も増えたので、バダニはかぎ針編みへの情熱を、地域の女性に力を与えることができるビジネスに変えることを決意しました。彼女はLoophoopを立ち上げ、主婦や部族コミュニティのメンバーを含む地元の女性たちにかぎ針編みの技術を教え始めました。無料で提供されるこのトレーニングは、女性たちが技術を習得するまでに通常10~15日かかります。

動物のおもちゃ、人形、神のフィギュア、オーダーメイド品などの Loophoop の製品は、ジャールカンド州の2つの製造センターで製造されています。在宅勤務を希望する女性のために、材料が提供され、都合の良いときにおもちゃを作成できます。女性たちは、生産する作品の数に応じて、通常、月に 4,000 ~ 5,000 ルピーを稼ぎます。

この製品の価格は450ルピーから2,500ルピーの間で、LoophoopのInstagramページとウェブサイトを通じて販売されています。同社はこれまでに3,000を超える製品を販売し、月間売上高は 10 万ルピーから 150 万ルピーに達しています。品質と安全性を重視する Loophoop は、原材料と最終製品がラボでテストされ、インド規格局によって認定されていることを保証します。特に、おもちゃの部品にはプラスチックが使用されておらず、目などの部分には細い糸が使用されています。

バダニは将来を見据えて、Loophoop をオフライン店舗に拡大することを構想しており、高品質の製品を提供する際の一貫性の重要性を強調しています。彼女は、夢を追い求めることに年齢制限はないと信じており、Loophoop を通じて女性をサポートし、高揚させ、女性の人生にポジティブな影響を与えるという夢を実現することに尽力しています。

https://loophoopkids.com

〇スムリティ・ナグパルのアトゥルヤカラ:聴覚障害者アーティストのためのエンパワーメントの物語

コミュニケーションは個人間の架け橋であるとよく考えられていますが、言語自体が障壁である場合はどうなるでしょうか? AtulyakalaのCEO 兼創設者であるスムリティ・ナグバルは、聴覚障がいのある2人の年上の兄弟とともにこのシナリオに陥っていることに気づきました。彼女は彼らの代弁者になることを決意し、幼い頃から手話を学び、家族間の架け橋となりました。

スムリティの物語は、16 歳のときに社会に貢献するために全米聴覚障がい者協会 (NAD) にボランティアとして参加したとき、意味のある変化を遂げました。その後、学生としてニュース番組の通訳となり、ドアダルシャン ネットワークを通じて聴覚障がいのあるコミュニティに奉仕しました。この経験が、聴覚障がい者コミュニティが直面する課題に取り組みたいという彼女の情熱に火をつけました。

経営学士号を取得した後、スムリティは通訳として働く機会をつかみ、才能ある聴覚障がい者の芸術家の物語に触れました。この啓示は、変化をもたらすという彼女の決意を刺激しました。スムリティは、友人のハルシットさんと協力して、クリエイティブなコラボレーションやデザインパートナーシップを通じて聴覚障がい者のアーティストに力を与えることを目的とした営利社会企業、アトゥルヤカラを設立しました。

アトゥルヤカラは、聴覚障がいのあるアーティストが作成するすべての作品に署名することを許可し、彼らの個性と創造性を強調することで、他との差別化を図っています。この企業は、これらのアーティストが制作したアート作品をオンラインおよびオフラインで販売することで収益を上げています。目標は、彼らの創造性を解放し、従来の期待の範囲を超えて才能を披露する機会を提供することです。

アトゥルヤカラはアートを販売するだけでなく、有名なミュージシャンやアーティストと提携して、聴覚障がい者コミュニティのための最初の曲やイラストを制作しています。この企業は、芸術活動に直接関わる人々だけでなく、ろう者コミュニティ全体に影響を与えることを目指しています。

さらに、アトゥルヤカラは手話についての意識を高めることに尽力しています。彼らは大学でワークショップを実施し、手話の基礎を人々に教育するためのハンドブックを開発しています。 スムリティはアトゥルヤカラを聴覚障がい者によって作られた製品を独占的に販売し、アーティストたちの誇りと達成感を育む強力なブランドとして構想しています。

カンボジアで毎日練習!さぁ、日本公演へ!

CWBカンボジア 奥谷京子

私が今年2月にプンアジを訪れた時点から来日ツアーに向けて本格的練習が始まった。最初に見たのは、音入れ。日本には大きな楽器を運んだり楽団を全員招くことが難しいので、事前にみんなで演奏・歌を録音し、それを会場で流すことにしている。現在、カンボジアでも上演している「アツ物語」は1時間を超える大作なので、それを日本向けに30分に短縮するため、どこを削るか、この部分は絶対に入れるなどの念入りな打ち合わせが行われる。この写真からわかるように、太鼓(スコー)のほかに二胡(トゥロー)や琴(ターケー)のような楽器もある。そしてプロの歌い手さんも来てくれたが、こんな細い女性のどこから声が出ているのかというくらい楽器に負けないくらい通る声で歌ってくれている。

そして来日するメンバーに関しても、今回、簡単ではないのはみんなと合わせて上手にダンスが踊れたらいいだけではない。それは「アツ物語」のほんの一部で、演劇がメインだ。カンボジア版ではもっと多い人数で男子学生がアツ役を演じているが、今回は女子学生のみが参加するので、アツ役をやるのもコムジエンという女の子。いきなり主役に抜擢されているので、セリフや感情のつけ方なども含めて1から覚えなければならない。村の娘の恋人役のソクユエも男役、それから村長役もスレイマウ。プロのダンサーでもあるミーさんが舞台の端で一緒の動作をやって背中で見せている。

滞在中に「劇中の役に人が足らない」と脚本を手掛けたMr.Diから相談を受けた。なので、引率する日本人の大学生のボランティアがなんとアツのお父さん役を演じることになった!そこも日本とカンボジアをZoomで繋いで3月のうちに事前練習をし、来日したところで一緒に練習もしてみる。こうやって、役どころも練習も国境を越えて、合作で行おうとしている。

●エスニックと多様性を

そして今回はソポンさんがクイのことを話してくれる。国民や世界が分断しようとする今、インドネシアの独立の国是でもある“Bhinneka Tunggal Ika(=Unity in Diversity・多様性の統一)”が大切だ。今回のアサの文章も自分たち少数民族の誇りを綴っている。対立するのではなく、互いに理解していくことをもう一度考えさせられる。平和は武器をおろして戦うことをやめるだけではなく、違いを認め合うことだ。クイはいろんな独自の慣習(言葉、料理、農法など)があり、それはSDGsという言葉を知らなくても遺伝子レベルで実践している。しかし、それが大都市のように近代化していくことが発展だという迷信で失われつつあるライフスタイルをどのように守っていくか、これは過疎化で季節に応じたその土地独自の暮らし方を取り戻せなくなった私たち日本人への大きな学びとなるだろう。

いろんな準備が始まり、いよいよ4月2日から日本公演はスタートする。どうぞお楽しみ

カンボジアでの10日間

CWBカンボジア 奥谷京子

昨年9月以来のカンボジア。今回の主な目的は4月に来日する7名のカンボジア人たちのビザを取るために日本大使館にアテンドすることだった。

これまで何年にもわたって何度も短期商用ビザの申請に挑戦しているが、大使館ですんなり受理されたことが一度もない。申請時に日本人が付き添いをしていないからカンボジア人のそれ相応の身分の人に推薦状をもらってこい、来日予定日には超えるけれども申請時に18歳に達していないために親の同意書にサインしたものと親のIDカードをコピーせよなど、何かしら不備を指摘してくる。そのたびに再び片道3時間の道を戻って、時には生徒たちは実家に戻って書類を整えて再びプノンペンに持っていく。

ただ、今回は7名いて、5人が学生で2名が学校の教師やダンスの指導者といった社会人がおり、このメンバーの予定をすべて合わせてこられるのも1回限りにしたい、と念入りな準備と確認をした。それでも当日にファミリーレコード(住民票のようなもの)は原本を見せないといけないので早朝3時に出発して姉のプノンペンの家に寄ってから来ると約束したはずなのに持ってきていないという事態が起き、朝6時半に着いてから8時に大使館が開くまでに取りに行ったり…。大使館前に残った3人のメンバーと待っている間に書類の確認、写真の添付、直筆のサイン、さらには大使館スタッフから質問されることに対してちゃんと答えられるかなどの練習をしておいて、入館後も順番待ちの間にほかのメンバーに同じことを伝えて…と7人の足並みをそろえるのは結構大変だった。大使館に入ってから約2時間、質問攻めもうまく応対し、全員の申請書を無事に受理され、無事にパスポートを引き取ることができた。

そして今回来日して披露するYike(現地では「ジーケー」と発音する)というドラマに関して、である。2019年に女子生徒5名が来日した時は、この5名でできる演目をピックアップし、ダンスの音楽を準備し、途中で一緒に手の動きを真似たりとダンサーと観客が一緒になって作り上げるイベントとなった。しかし、今回はドラマ仕立てでしかも「武器のない平和」がテーマ。私たちがカシューナッツの栽培を行っているコンポントム州は内戦が続いた20世紀終わりに民主的な選挙がカンボジアで行われた時に国際ボランティアで現地に入った中田厚仁さんが殉職した地域でもある。そこから「アツ村」という名前が付けられ、小中学校もある。そんな私たちの活動拠点との因縁もあり、中田さんと同じく平和は作るものであり、この地域に仕事が生まれて家族仲良く暮らせることであると私たちもコミュニティビジネスをこの地で実践している。今回はプロの役者さんにも演者・指導者として入ってもらい、地元で長らく文化活動を推進してきた人にシナリオを描き下ろしてもらい、構想から1年以上かけて作り上げてきたのだ。本来は上演する場所に生演奏の楽団も一緒に参加し、その太鼓の音の迫力などもまたすごいのだが、残念ながら今回は録音で行く。その音源を撮り、練習も私が滞在している期間中に行った。

ちょうど今、ミャンマーのメンバーはかなり緊迫した状況で、この4月以降18歳以上の若い独身の男女は政府軍に否応なく徴兵されそうだ。ウクライナも戦争が始まって地雷をたくさん埋まっているエリアではそれを除去するのに日本の機械が役立っていて、男女関係なく市民が機械の扱い方を教わっているというニュースをテレビで見たことがあるが、今この瞬間でも世界でこのようなことがある。今回のドラマはカンボジア人が演じてクメール語で30分近い演目なので、確かに日本人観客にはハードルが高いと思う。何を言っているのかを理解しようではなく、その情熱を感じ取ってもらって、カンボジア・日本に関わらず、平和とは何かを考える機会になればと思っている。演じる10代の彼女らももうポルポト政権のことを知らない世代であり、今のような平和を享受できることを教育し後世へ受け継いでいかねばならない世代でもある。戦地や危険な場所に若者がなぜ赴かねばならないのか、どれほど親が悲痛な思いであるのか、そんな状況にさせないために私たちは何ができるか、ウクライナやパレスチナ、そしてミャンマーはよその国の戦火だと自分事として考えなくてよいのか。

この公演を全国で開催するにあたって、前号のシビルミニマムを読んで沖縄でやりたいと申し出て下さった大学の理事長もいらした。その近所の高校の教頭先生も賛同して下さった。ただ、来日を長期休みが取れるクメール新年(4月12~16日)に合わせたために、日本では新学期が始まったばかりで実現することができなかったが、沖縄では慰霊の日に合わせて6月は平和を考えるような学校行事が全学年であると聞いた。広島は8月には原爆のことを忘れないためにも夏休み期間でも登校して語り部の話を聞くなど、今も平和教育に力を入れていると聞く。しかし、今、全国でもっと身近に考えなければならないテーマとなっている。何年か前に山口県の大津島に行かせてもらった時に回天記念館を案内されたことがあった。飛行機ごとぶつかっていく神風特攻隊のことは知っていたが、一度中に入ったら出られない、ブレーキもない、海の中で敵の潜水艦に突っ込んでいく回天があったことを初めて私はそこで知った。海流の速さを計算して自分で運転をしなければいけないので、より高度な技術と知性を求められ、ほぼ命中することなく優秀な若者が命を落としていった。誰もがこんなことを望んでいない。でも世界の動きや利権、政治家の思惑、リーダーたちのにらみ合い、複雑な要因が絡みあった時によからぬ方向へ進んでしまうこともある。今一度私たちは戦争や武器のない平和を深く理解しなければ、私の祖父母の世代の悲劇がいつまた繰り返されるかわからない。

プンアジのみんなで最後の夜はBBQをおなか一杯食べて、楽しんだ。大掃除をして、埃まみれになって笑いながら汗を流し、みんなで頑張った後のご飯はおいしかった。アツ村で育った子どもたちもプンアジにはいる。中田厚仁さんが今生きていれば50代半ばだが、彼が今いたらこの風景をにっこり見守ってくれていたであろう。

変化の種:インドの社会起業家  その3

CWB 奥谷京子

2024年1月号より紹介しているインドの社会起業家ですが、若い読者が読んで印象に残る記事の1つとして取り上げることが多く、私もうれしいです。

今回は若い人々の取り組みをピックアップしてみました。自分の持っているデザインを社会に役立てるというプロボノ的なアプローチ、インドは喫煙者が多くそのポイ捨てを何とか解決しようという発想、さらには余剰食糧を困っている人たちに提供するという、まさに現在の社会問題を解決する発想を持った人々です。

ラクシュミ・N・メノン

: 純粋な生活を通じて持続可能な変化を生み出す

コーチンを拠点とする先見の明のあるデザイナー、ラクシュミ・メノンは、自身の組織「Pure Living」を通じてデザインの力を活用し、社会や環境への影響を推進してきました。持続可能な生業解決への取り組みと、環境に優しい生活についての意識を促進するという使命を持ったラクシュミは、コミュニティに変化をもたらす力になっています。

「Pure Living」の哲学の中心は、恵まれない人々のエンパワーメントです。ラクシュミのアイデアは、シンプルでありながらインパクトがあり、疎外されたコミュニティを巻き込み、元気づけることを目的としています。彼女の先駆的なプロジェクトの1つである「Ammoommathiri/Wicksdom」は、クラウドファンディングを活用して、恵まれない高齢者に生計の機会を提供しています。老人ホームや孤児院の女性たちは、一般的に照明に使用されるろうそくの芯の製造に貢献し、尊厳を持った目的のある取り組みを提供しています。

ラクシュミ・メノンのイノベーションは、環境に優しい「ペン・ウィズ・ラブ」にまで及びます。これは、廃棄されると木に芽吹く種が埋め込まれた紙で作られた植栽可能なペンです。この取り組みは、環境の持続可能性を促進するだけでなく、30人以上の農村部の女性に雇用を提供し、自宅でペンを作る柔軟性を提供します。この取り組みによる生産ユニットは、1日あたり3000本以上のペンを製造する能力を誇ります。

ラクシュミは交通安全を懸念し、「オレンジアラート」警告システムを設計しました。地域のボランティアが、段差や穴などの危険箇所から50フィート離れたところにオレンジ色の三角形を描き、ドライバーが速度を落として慎重に走行するよう視覚的な合図として役立てています。

使い捨てプラスチックペンが環境に与える影響についての意識を高めるために、ラクシュミは「ペンドライブ」キャンペーンを開始しました。この革新的な取り組みにより、1か月以内に100万本のプラスチックペンが収集され、持続可能な代替品の必要性が浮き彫りになりました。

ラクシュミ・メノンは、高齢者が作った製品を識別する商標「グランドマーク」の所有者として、高齢者の才能と貢献の促進に積極的に取り組んでいます。彼女は、コミュニティの精神を体現するケララ州の元気なマスコット、チェクティの共同制作者でもあります。

ラクシュミの献身的で革新的な取り組みは、次のような著名な評価と賞を獲得しています。

● スタープラスでアミターブ・バッチャンが司会を務め、BBCワールドが制作した番組「Aaj Ki Raath Hey Zindagi」。

● 2018年10月、環境とエコロジーへの貢献によりアースデイ ネットワーク グローバルからアースデイ ネットワーク スターとして表彰され、特にシードペン (過去4年間で100万本近くを販売) が注目されました。

●2018年にNational Innovation Foundationの運営評議会メンバーに選出。

ラクシュミ・N・メノンは、デザイン思考と社会起業家精神の変革力を体現し、暮らしと環境の両方にプラスの影響を生み出しています。「Pure Living」を通じて、彼女は変化の先駆者であり続け、持続可能で包括的な未来を築く上で他の人たちに倣うようインスピレーションを与えています。

ナマン・グプタとヴィシャル・カネット:インドにおけるタバコ廃棄物の管理とリサイクルの先駆者

2016年、2人の若い友人、ナマン・グプタとヴィシャル・カネットは、タバコの廃棄物の大量ポイ捨てという差し迫った環境問題に取り組む画期的な事業に着手しました。タバコの吸い殻が世界で最も多く廃棄されている廃棄物であり、毎年8億5000万キロの有毒廃棄物が発生していることを認識し、二人は行動を起こすことを決意しました。

ノイダに拠点を置く同社の社会的企業である Code Enterprises LLP は、インド全土20州で事業を展開するために急速に事業を拡大しました。彼らの取り組みの中核には、タバコの廃棄物のリサイクルだけでなく、そこから魅力的な副産物の作成も含まれています。

 ナマンとヴィシャルが友人の家でぶらぶらしていたときに、何気ない日の夜に発生するタバコの廃棄物の量に驚いたときにインスピレーションが湧きました。この認識により、彼らはこの問題を深く掘り下げ、持続可能な解決方法を模索するようになりました。

当時デリー大学で学士号を取得していたナマン・グプタと、米国のカーニバル・クルーズ会社でプロの写真家として働いていたヴィシャル・カネットは、この問題に正面から取り組むことを決意しました。広範な研究と実験を経て、彼らはタバコの吸い殻に使用されるポリマーである酢酸セルロースを洗浄してリサイクルするための実行可能な化学プロセスを開発しました。

再処理の化学組成は、企業独自の販売提案 (USP) を保護するために機密に保たれます。彼らのリサイクル活動の副産物には、タバコの残りや紙のカバーから作られた有機堆肥粉末が含まれます。この堆肥粉末は農園や苗床に利用できます。

さらに、リサイクルされたポリマー素材は、クッション、ガーランド、小さなぬいぐるみ、アクセサリー、キーホルダーなど、さまざまな製品に生まれ変わります。

ナマンとヴィシャルは、スタートアップを宣伝するためにソーシャルメディアを広範囲に活用し、彼らの信頼性が高まるにつれて、地元メディアや全国メディアが彼らの革新的な取り組みを取り上げ始めました。広範囲にわたるメディア報道により、彼らの認知度が高まっただけでなく、彼らとの協力を希望するデリー外の個人からのパートナーシップのオファーも集まりました。

ナマン・グプタとヴィシャル・カネットの物語は、環境問題に取り組む起業家精神とイノベーションの力を例証しています。廃棄されたタバコの廃棄物を価値ある製品に変えることで、廃棄物の削減に貢献するだけでなく、持続可能で社会的に影響力のある企業を生み出しました。

https://www.facebook.com/watch/?v=246435580297425

アールシ・バトラ

: ロビンフッド軍を通じて社会変革を育む

インドのダイナミックな若い社会起業家であるアールシ・バトラは、自身の財団であるロビンフッド軍を通じて社会福祉のストーリーを再構築する上で大きな進歩を遂げました。バトラは、志を同じくする3人の友人とともに、余剰食料を困っている人たちに届けるという、唯一の使命を持ったボランティア主導の組織を設立しました。ロビンフッド軍は希望の光として浮上し、世界60都市の500万人の恵まれない人々に食料を提供してきました。

社会起業家としてのアールシ・バトラは、職業上の取り組みと密接に関係しています。現在、インド最大の自動車エンジン用排気多岐管メーカーである SPM Autocomp Systems Pvt Ltdで事業開発担当エグゼクティブディレクターを務めている彼女は、ビジネスの洞察力と社会的責任を独自に組み合わせてその役割を果たしています。アールシの学歴としては、デリーのJMC(Jesus & Mary Collage) で経済学を卒業した彼女は、ロンドン スクール オブ エコノミクス アンド ポリティカル サイエンスで経営修士号を取得し、シンガポール国立大学のビジネススクールで国際経営修士号を取得しました。彼女の学業成績は、目的を持ったキャリアの舞台を整えました。

アールシ・バトラは、若い頃から家業の鉄と砂を扱う会社に参入し、成長を続ける企業の2代目を代表しています。男性中心の業界の壁を打ち破る彼女は、立ち直る力と決意を体現しています。企業活動を超えて、アールシはロビン フッド軍の創設メンバーの1人であり、社会の幸福に対する彼女の取り組みを反映しています。ロビンフッド軍は、レストランから余った食べ物を集めて、恵まれない人々に届けるという、シンプルですが強力な原則に基づいて活動しています。アールシのリーダーシップの下、この組織はその拠点を4か国にわたる27都市に拡大しました。「ロビン」として知られる 5000人以上のボランティアからなる献身的なチームを擁するロビンフッド軍は、困っている約60万人にサービスを提供してきました。アールシの社会的影響に対する情熱は、探検への愛によってさらに補完されています。

インド全土および世界中の40以上の都市を訪れた彼女の、新しい文化や料理の発見に対する熱意は無限です。余暇には、アールシはライフスタイルブログの執筆に創造力を注ぎ、ロマンチックな小説を執筆中です。

アールシ・バトラの多彩な活動は、ビジネスの成功とコミュニティへの影響の融合が変革力を生み出す社会起業家の本質を体現しています。ロビンフッド軍との彼女の仕事は、若くて献身的な個人が社会に有意義な変化をもたらす可能性を例示しています。

https://robinhoodarmy.com

インドの大学と「社会起業」研究所でCWB8か国が協働 ―会議で会ったヴェンカテシャ・ナヤックさんの社会起業家50人を紹介

CWB 奥谷京子

ご縁というのは不思議なものだ。2018年に南インドのマンガロール大学でネパールのアリヤさんをはじめ、CWBメンバーが社会起業に関して紹介をしたのを聞いていたヴェンカテシャさんとはSNSで繋がっており、ウェビナーでゲストとして一度お話もさせていただいたこともあった。

その彼が、今回本を書くので書評を書いてほしいという連絡が来て、この社会起業のムーブメントをインド、そして世界へと発信していきたいのだろう。

――『Seed of Change』には、社会起業家の成功事例が50件紹介されており、外国人にとっても非常に分かりやすいです。とても励みになったので日本語に翻訳したいと思います。 私たちは分断の時代に生きています。国家は他国と戦います。しかし、影響を与える人たちだけでなく、市民も国境を越えて地に足を着いて(心を開いて)、草の根からパラダイムを変えていく必要がある。新しい世界を作ろう!

ここに載っている事例には映画にもなって日本でも知られているものもある。このような成功事例を踏まえて、自らの手でどれだけ育て、作っていけるか、だと思う。ちょうどスリーダラー教授が現在、ITで有名なバンガロールの新しい大学で社会起業家研究所のようなものを作りたいという話が出て、準備を始めている。

かつてマンガロール大学に行った時に大学に通う生徒はいわば人口の数パーセントでエリート意識が強い。しかし、階層意識が根強くあり、ソーシャルニットワークプロジェクトのスジャーナさんと一緒に編み物を練習していたら、毛糸のくずなどをあっさり床に落とした。わざわざゴミを作らなくても…と思って「こんなのはまとめてゴミ箱に捨てたらいいじゃない?」と指摘すると、「これも清掃する人たちの仕事づくりです」と女子学生がぽろっと発言したことに驚いた。

これでは地域の人々と同じ目線に立って何かを始めるのは簡単ではないかもな…と感じたことがある。しかし、大学に行くチャンスを得ていろんな情報を持っているからこそ、世の中の難しい課題解決に若いエリートはチャレンジをするという息吹が生まれたらと願っているし、CWBも一緒に推進していきたいと思う。この1冊が社会起業に関心が増える人々がインドだけでなく、世界に増えることを願っている。

今年はこのインドの社会起業をシビルミニマムでも連載で紹介していきたいと思う。

  • アンシュー・グプタ:

思いやりのレガシーを繋ぎ合わせる

インドの社会経済が織り成す複雑な風景の中で、アンシュー・グプタは仲介人のプロとして、都市部の過剰なニーズから農村部のニーズまで、慈愛のレガシーを繋ぎ合わせている。ウッタル・プラデーシュ州の中流階級の家庭に生まれたグプタは、大きな野望と変革に満ちた物語として展開される。グプタはメディア・インターン時代に、インドの農村部の恵まれない人々の厳しい現実、特にまともな衣服も着られないことに直面した。この発見により、彼の人生の使命、そして原動力となっていった。

グプタが設立したNGOのGoonjは、彼のヴィジョンを実現するための器となった。グプタは、インドの都市部で余っている資源を、農村部の人々の満たされていないニーズへと導くパイプ役を担っている。グプタが中古品、特に衣料品の再分配に力を注いでいるのは、より公平な社会を作ろうとする彼のコミットメントの証である。

Goonjの影響は、日常的なチャリティをはるかに超えて反響を呼んでいる。グジャラート州、タミル・ナードゥ州、ケララ州での自然災害の後、グプタと彼の組織は希望の光となった。グプタの救援・復興活動は直接的な被害を軽減するだけでなく、アショカ・フェローシップや社会起業家賞など、名誉ある賞も受賞している。

グプタのリーダーシップの下、Goonjは衣服だけにとどまらない。地域社会の進化するニーズに適応し、ダイナミックな変化をもたらしている。グプタのヴィジョンは再生可能エネルギーの領域にまで及び、低所得世帯に持続可能なソリューションを提供することを構想している。この画期的なプロジェクトは、Goonjの影響力の視野を広げ、進歩と自給自足への道を照らす。

グプタが物語を紡ぎ続けるにつれ、この物語は単なる社会起業家精神の物語ではなくなっていく。それは思いやり、レジリエンス、そして溝を埋める勇気を持った男の不屈の精神の物語である。グプタはGoonjを通して、思いやりの糸が地域社会を結びつけ、都市と農村の二項対立を超えた物語を紡ぎ出している。

グプタの手にかかれば、チャリティはエンパワーメントの物語へと変貌する。グプタの旅は、一針ずつ変化を生み出す人間の精神力についての深い探求である。Goonjという織機が動き続けるなか、アンシュー・グプタの物語は、彼の人生の証としてだけでなく、より思いやりのある公平な世界へのインスピレーションとして響いている。WEB> https://goonj.org/

  • ドゥルヴ・ラクラ

 ミラクル・クーリエ エンパワーメントの人生

活気あふれるムンバイの中心で、声なき人々の静かな闘いとぶつかり合いながら、ドゥルヴ・ラクラはミラクル・クーリエを通してエンパワーメントの物語を作り上げた。

ヴィジョンを持った社会起業家であるラクラの人生は、宅配便サービスを営むという意図だけでなく、インドの聴覚障害者コミュニティの機会を再定義するという意図から始まった。

2009年1月に設立されたミラクル・クーリエは、単なる宅配サービスではなく、インクルーシブとエンパワーメントの象徴である。このアイデアは、ラクラがムンバイのバスの中で、定期的なアナウンスにもかかわらず、耳が聞こえないために移動することができない少年に遭遇した、痛切な瞬間に出会ったことがきっかけとなった。この出会いは、聴覚障害者が直面する課題を見過ごしがちな世の中で、聴覚障害者コミュニティが直面する無言の闘いを実感するきっかけとなった。

ミラクル・クーリエの種はこの意識から発芽し、ラクラは聴覚障害者とろう者の間のギャップを埋める行動に出た。ビジネスと社会セクターの両方における学識と経験を生かし、彼は聴覚障害者に有意義な雇用を提供できる営利目的の社会事業を構想した。

聴覚障害者の視覚的な洞察力を理解していたラクラは、彼らは視覚がスキルとして活かせる強みと最低限の言語的コミュニケーションで成り立つ宅配便事業を選んだ。

3人の従業員から始まったこの事業は、今では50人以上の従業員を抱えるまでに成長した。市内に2つの支店を持つミラクル・クーリエは、50社以上の企業から毎月75,000件以上の配達を請け負っている。

ミラクル・クーリエは、ビジネス領域における単なる成功物語ではなく、社会変革と認知の道標なのだ。ラクラと彼のチームによる卓越した活動は、ヘレン・ケラー賞、エコイング・グリーン・フェローシップ賞、インド大統領自らが授与する障害者エンパワーメント国家賞など、名誉ある賞を受賞している。

ミラクル・クーリエは、数字や称賛にとどまらず、聴覚障害者コミュニティに機会を創出するというラクラのコミットメントの証でもある。共感とヴィジョンを原動力とする社会起業家が、いかにして生活を向上させる持続可能なビジネスを生み出すことができるかを示す模範となっている。会社の成長は、単に出荷量で測られるのではなく、ミラクル・クーリエを通じて目的と尊厳を見出した聴覚障害者の従業員一人ひとりの静かな勝利で測られる。

ミラクル・クーリエは、一見平凡に見えるサービスが、いかにして障壁を打ち破り、より包括的で思いやりのある社会を育む、変革のための並外れた力となりうるかを示す、輝かしい例であり続けている。

ドゥルヴ・ラクラの人生は、単なる起業家精神の物語ではなく、エンパワーメントの物語であり、すべての配達が荷物だけでなく、より良い、より公平な未来の約束を運ぶことができることを証明している。   

WEB:https://www.miraklecouriers.com/

  • ハヌマッパ・スダルシャン

部族の権利を擁護し、コミュニティに力を与える

インドの多様な風景の中で、ハヌマッパ・スダルシャンは部族の権利の献身的な擁護者であり、コミュニティのエンパワーメントの影響者である。

1950年12月30日、カルナータカ州イエマルールに生まれたスダルシャンの人生の歩みには、インドの部族民の幸福と向上に対する深いコミットメントが反映されている。医学の専門家として研修を受けたスダルシャンは、バンガロールの医科大学を卒業後、思いがけない方向へと歩みを進めた。ラマクリシュナミッションと手を組むことを選んだ彼は、従来の医療の枠を超えた使命に乗り出した。カルナータカ州の緑豊かな野原から、そびえ立つヒマラヤ山脈まで、スダルシャンの人生は、国の隅々にまで医療サービスをイニシアティブに展開した。

スダルシャンのヴィジョンは医療ケアにとどまらず、社会から疎外されがちな部族コミュニティにも及んだ。1980年、彼はカルナータカ州の部族集団の総合的な発展に焦点を当てたヴィヴェーカナンダ・ギリジャナ・カルヤナ・ケンドラを設立した。この取り組みは、医療にとどまらない変革の始まりとなった。さまざまな部族が暮らすカルナータカ州チャマラジャナガル地区は、スダルシャンの仕事の中心となった。

スダルシャンの努力は医療施設の提供にとどまらず、部族コミュニティの教育、生計、技能の向上にまで及んだ。この包括的な開発アプローチにおいて、スダルシャンは地域の生態系の保全にも同じように重点を置き、伝統的な慣習と現代科学の調和を生み出した。

彼の組織であるカルナ・トラストは、このヴィジョンをカルナータカ州だけでなく、アルナーチャル・プラデーシュ州にも広げている。

部族福祉に対するスダルシャンのコミットメントは、タミル・ナードゥ州、カルナータカ州、アンダマン・ニコバル諸島、アルナーチャル・プラデーシュ州の部族の生活に消えない影響を残しているヴィヴェーカナンダ・ギリジャナ・カルヤナ・ケンドラ(https://vgkk.in/)という組織を通して、さらに顕在化している。

部族の若者たちが率いるこの組織は、学校、職業教育トレーニングキャンプ、ヘルスケアセンター、意識向上プログラムを通じて、ホリスティックに充実することに重点を置いている。

スダルシャンの貢献が注目されないことはない。パドマ・シュリ賞、ライト・ライブリフッド賞、社会正義のためのマザー・テレサ賞など、名誉ある賞を受賞している。マハトマ・ガンジーとスワミ・ヴィヴェーカーナンダ(ヒンドゥー教の改革者)の理想にインスパイアされた彼の謙虚さと献身は、社会奉仕に捧げる生き方に反映されている。賞賛にとどまらず、スダルシャンの人生には深いメッセージが込められている。彼の活動は、寛大な行為としてではなく、本質的な責任として、部族社会の声に耳を傾け、向上させる必要性を強調している。彼のたゆまぬ努力によって、スダルシャンは身体を癒すだけでなく、不当に沈黙させられている人々の力強い代弁者となり、より包括的で公平なインドを提唱している。

WEB: https://www.karunatrust.org/

日本より少ない人口でGDPで抜くドイツー生活の質

CWB 奥谷京子

何年ぶりだろうか、久しぶりにヨーロッパに足が向いた。アジアを軸に置いてから離れていたのだが。年明けに知り合いのドイツ人が結婚すると聞き、ぜひ9月の式に参加したいと思ったからだ。春にはチケットも手に入れ、着物も洋服感覚で着られるようにと起業家にも着方を教わり、行く気満々だった。しかし、8月にカンボジアでパスポートを紛失して再発行が間に合わず、日程を振り替えての訪問だったのだ。

その家族にお祝いを持って行く以外には特別な目的もなく、春先から夏場のヨーロッパは何度か訪れたことがあるが、寒い時期にはない。アジアの暑いところで活動している身としては寒いのはどうも億劫だったのだが、車窓から見える紅葉が美しく、どこを切り取っても絵になる。この時期に訪れてよかった。1日5~10キロ歩き回って、とても充実した1週間を過ごせた。

大学時代にドイツ語の同じクラスで勉強していた友人と再会したり、8年前に来日したドイツ人ジャーナリストにも再会できていろんな話ができたし、知人のドイツ人の家はオーガニックの酪農家なので、食品表示について尋ねてみたり、一人の時はひたすらオーガニックのスーパーなどを探してカシューナッツの加工品がどれくらい売られているのか、ビーガン事情などを見てみたり、今の仕事に関連するリサーチもいろいろできた。また、飲料ボトルのリサイクルの仕組みに関してはCWBのアジアメンバーに役立つだろうと思って、それも取材した。

折しも日本が世界のGDPの順位もドイツに抜かれ、一体何が違うのかというところも実は興味があった。

今回行ってみて、ドイツと日本はよく似ているところもある。例えば、高齢者の多さ。カフェに入っても高齢者の団体も多いし、日本と同じくみんなお元気だ。それから現金信奉も根強い。もちろんクレジットカードを使っている人もいるが、スーパーで買い物をしているのを見ると7割くらいは現金で払っていると思う。そしてアジアでは主流のQRコード払いは見かけなかった。そしてジャーナリストに聞いたのは、パンデミックが明けて、飲食店での人手不足が深刻なのだそうだ。   

以前従事していた人たちはどこにいるんだろう、と。日本も飲食店はいつも募集のチラシがあるし、ホテル業もだよと言ったら、彼女もうなずいていた。介護の仕事はベトナム人も日本を選ばずにドイツのほうが賃金が高いので結構行っていると聞いたのだが、ミュンヘンや郊外にはまだそこまで外国人ワーカーを入れている感じはなかった。アジアのスーパーも増えているが、やはり気候や食文化の違いは大きいのかなという印象だ。

私が30年前にミュンヘンに語学を勉強しに行った時と6年くらい前に再びミュンヘンを訪れた頃も雰囲気が変わり、観光客だけではなく生活する人たちも外国人が多いと強く感じた。中央駅周辺はアフリカ系やシリア難民を積極的に受け入れていたので中近東の顔立ちも目立っていた。今回はさらにインド人も多くなっている印象がある。

そしてアルプスに近くて壁に美しいフレスコ画が描かれていることで有名なガルミッシュ・パルテンキルヒェンは中近東の国々のセレブや王様が別荘を持っていたり、治療で長居をしたりするそうで、お金持ちが集まり、物価が急上昇している場所なのだそうだ。よそから来て家を買おうと思ったら100万ユーロ(1億6千万円)は軽く超えるという。ちなみに車の値段を聞いたら、フォルクスワーゲンだったら60万ユーロ(960万円)くらいするそうで、BMWとかはもっとすごいと言っていた。

食べ物については、夜ご飯で出てきたお肉などは15ユーロ、ビールを飲んでだいたい3,000円とかそれくらいの感覚だし、乳製品は安いので、食生活に関してはすごく高いという感覚はなかったのだが、ホテルも安くはない。ドイツに着いて日が暮れて暗くなるのも早いし心配だったのでフランクフルト中央駅前周辺をとろうと思ったら2万円は当たり前だったので、空港から反対方向に30分電車で行ったマインツにした。ちなみにオクトーバーフェストの頃はミュンヘン周辺のホテルは4万円以上10万円のところもたくさんある。大型都市よりも中堅どころのほうが治安もいい。

しかし、日本のビジネスホテルのような機能性やおまけサービスは全くない。パジャマもついていないし、歯ブラシセットや入浴剤などを選択できるアメニティコーナーもない。お湯を沸かすポットがないところも結構ある。ドライヤーはあるが、モーターの音だけが大きくて風量の少ないものもあるし、コンセントはユニバーサルではないし、USB用の穴もない。Cタイプの変換をもっていかなかったら、何も充電できなくなっていた。手洗いのソープとシャンプーは備え付け。そんなところで1万5千円くらいは当たり前にある。

そう考えると、日本は朝ご飯のバイキングも充実して、毎日メニューが変わり、今のユーロの強さからすれば半額くらいの値段で泊まれたら、外国人から見れば驚きだろう。過剰すぎるサービスに対して価格転嫁が追い付いていないのを強く感じる。しかし、無料サービスで大盤振る舞いではなく、最小限でも十分なことはいくらでもある。例えばアメニティを取り放題にすれば、1つずつパッケージされているものからもゴミも出るし、結局余計なものまで欲張って取って無駄にしてしまったりと、良いことばかりではない。日本の水はどこでも飲めるのだから、何も部屋にペットボトルをわざわざ用意しなくてもよいわけだし。コテコテにせずにもっとシンプルでよいのではないかというのが一番印象的なことだった。

とあるお店の中国人の店員と話していたら、コロナが明けて中国人も何でも欲しいというマインドから熟慮して取捨選択する人が増えているとも聞いた。確かに昔ほど爆買いして飛行機に乗る姿も関西空港でもなくなった。それもいいことだと思う。より熟慮して選ばれたものに納得した対価を払ってもらうために、本来の価値の高さ、現地でしか味わえない貴重な経験など、そういうものが世界の中で選ばれていくことなんだろうなと思う。高い技術、それをきちんと裏打ちする説明が“独立して”きっちりできている。

ドイツ人のジャーナリストが過去の歴史からドイツのジャーナリズムはとても独立性を担保してどこかの勢力に偏重したりしないように厳しく監視されていると話していた。食品表示1つにしてもいろんな情報が載っている。栄養価が5段階に評価されたり、動物福祉という観点でどういう場所で飼育されているかということ、ビーガンか、BIO(オーガニック)かなど。生産者側はお金を払わないと資格が維持できない点では我々のように弱小のグループを守るためにフェアトレード認証自体に反対するという運動要素も確かに大事だ。大量に流通するために条件が変更になるのも許せない。直接つながっていれば本当はこういう認証も必要ない話なのだから。しかし、いろんな国の人が住んで宗教上の理由から食べられないものがあるなど、ユニバーサルになればなるほど、誰もがわかる可視化というのも大事な要素だ。ここは島国である日本がとても遅れているところだ。原料が上がったから仕方なく値上げではなくて、より価値のあるものを胸を張って作り、売るという姿勢が大事なんだということを今回改めて学んだ気がする。

ビデオ編集講座、国・地域を越えて始まる

CWB 奥谷京子

カンボジアの若手起業家であるソチェンダさんと夫のレイチーさん。20~30代を中心に環境問題について意見を交わすグリーンプラットフォームづくり(Zerow)をSNS上に展開しており、FacebookやInstagram、そしてTik-Tokの視聴者は13万人以上!最近ではASEANの国に招待されたり、カンボジアの首相と面会するなど、パワフルに活躍しています。

今回、ソチェンダさん夫妻からの提案で、この9月から3か月間、各地にいる若い人たちにビデオ編集のコツを教え、地方特派員の輪を広げたいという申し出がありました。クオリティの高いビデオ作りができれば、Zerowでどんどん紹介していきたいという願ってない提案です。私たちも若者に第一線の人から直接コツを学べるいい機会だと思ってカンボジアのプーンアジの生徒のみならず、クイの先生、プノンペンのスタッフ、さらには日本のインターンやミャンマーのメンバーにも広く呼びかけ、スタートしました。

第1回目の講義は普段私たちが目にするビデオのストーリー作りについての考察。ショートフィルムを見て何がよかったのかというのを3つ以上あげるという宿題が出て、グループチャットにそれぞれが紹介。2回目は私たちが撮影・編集するテーマの設定とグループ分け。商品紹介、ツーリズム、そしてクイの紹介というチームに分かれ、ディスカッション。3回目はPre-production paper(日本でいえば起承転結の中でどんなセリフを話してもらうか、間に挟む映像は何か、など)という取材前に準備する書類について、実際にソチェンダさんが撮影・編集したビデオを見ながらどういうことを準備してこの撮影に臨んでいるのかを解説。それをグループで埋める宿題が出されました。

4回目は埋めたものを基に、ソチェンダさんからアドバイス。さらにこれまで撮影した素材を共有したうえで、人気のある動画と何が違うのか―例えば15秒間にカメラの切り替えが何回もあること、全体と手元とをうまく切り替えることなど。また、どう撮影したらいいか(スマホで撮影する際に三脚がない時には脇を締めてぶれないようにするといった具体的なコツ)を教えてくれました。

  私は進行役としてこの会議に参加していますが、私自身が一番勉強になっているかもしれません。ツーリズムのリーダーであるコムシエンとはこのレッスンが終わると土曜日の日中に宿題を行うために英語で1時間ほど議論するのですが、プーンアジツアーのいい紹介ビデオができればいいなと思っています。

見逃せない、イスラム金融の考え方

CWB 奥谷京子

イスラム教徒というと、私たちの日常とは関係がないと感じる人が多いと思う。日本という島国は世界の中でもイスラム教徒の割合が極端に少ない稀有な国だからだ。しかし、世界全体を考えると、イスラム教徒は着実に増えている。砂漠のある中近東だけの宗教ではない。ムスリム人口の統計によると、国別でいうとインドネシアが一番多い。インドも多い。アフリカの国々も多い。勢いがあり、出生率の高い国にイスラム教徒が多いのだ。

2015年の日経新聞の記事によると、2010年のキリスト教徒は約21億7千万(全人口の31.4%)、イスラム教徒が約16億(23.2%)。同じ条件でこのまま続くと、2070年には割合が拮抗し、2100年にはイスラム教徒が35%を超え、キリスト教徒を上回る勢いだという。そうなると、イスラム教の考え方をベースとした社会の仕組みを理解し、取り込んでいくことが当たり前の世の中にがらりと変わるかもしれない。神からの啓示、神そのものの言葉を「クルアーン(コーラン)」にまとめ、創始者ムハンマドの規範をまとめたものが「スンナ」、そして「イジューマ」「キヤース」という4つの法源があり、さらにそこから「シャリーア」というイスラム法が生まれる。六信(信ずべき6つの信条:アッラー・天使・啓典(クルアーン)・預言者・来世・定命)五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)も有名だ。

私たちCWBのグループは実はかなり前からイスラム金融に注目をしていた。シャリーアに適合した金融がイスラム金融で、利息を取らないという特徴をご存じの方も多いだろう。すでにイランやパキスタンではすべての銀行が無利子だそうだ。私たちもお金を持っているだけでお金を生み、富む人はますます富む、格差がますます広がるマネタリズムに限界があり、いつかこの仕組みが破綻すると思っている。

ところがお金を利息で増やす以外にどうお金を増やすのか?積極的に地域にお金を使うことがカギになる。一緒にリスクをとってお金を出し、成功した時にはみんなで喜びを分かち合って分配する。今回は『世界を席巻するイスラム金融』(糠谷英輝著、かんき出版)から引用させてもらいつつ、イスラム金融について紹介していく。読んでいけばいくほどに、今までCWBでやっていた活動にとても共通点を感じるのである。

〇イスラムの4つのスキーム

預言者ムハンマドは商人の子でメッカは商業が盛んな町だったそうだ。その中でいかにお金を動かし活気を作るかという生活と宗教の下でのルールが融合していく。金利で稼がない代わりに4つのスキームがある。

  • ムラーバハ:銀行が顧客に変わって商品を購入して、購入価格に銀行のマージンを上乗せして顧客に売却するというスキーム。イスラム金融の資金運用手段の7割がこのムラーバハにあたる。
  • イジャーラ:リースの仕組み。シャリーアではモノの所有には、所有権と用益権の2つから成り立つと考えられており、用益権を銀行から移転する契約のこと。長期資金調達に利用されることが多い(住宅や車のローンはここにあたる)。
  • ムダーラバ:信託のような仕組み。銀行が顧客から預かったお金をプロジェクトに投資し、利益を決められた割合で配分を受けるスキーム。銀行はプロジェクトの運営・管理には一切干渉しない。
  • ムシャーラカ:共同出資のような仕組み。こちらは銀行も共同出資者としてプロジェクトの運営に参画する。ムダーラバに比べてより長期的なプロジェクトに使われるスキーム。

〇日本のマインドは真逆であることに注意!

お金を動かさないことはイスラムの世界では「退蔵」(動かさずに隠し持つ)と思われるのである。その価値観からすると、多くの日本人は銀行に置きっぱなしの、退蔵だらけだ。この本の中では、“ハイリスク・ハイリターン”というのが強調されているが、これは「日本人の感覚からすれば」ということなのだろう。お金を持っていないと将来が危うい、残れば子孫のためにと考えるからこそ、成功すればリターンも高いが、失敗したらその分のお金はなくなることに恐怖を感じるからこそハイリスクと私たちは捉えるのである。

しかし、最初に記述したイスラム教の六信五行を思い出してほしい。六信には「定命」というのがある。神が定めている運命だと受け入れる力がある。また「喜捨」という貧者の救済という視点がある。彼らの感覚では、きっと貯め込むよりも生かす、貧しくても助けてられるコミュニティの力がある、お金の流動性に意味があると感じているのではないだろうか。

日本はゼロ金利。預けていても事実上利息が付かないので、実態が無利息のイスラム金融と同じようなものだ。退蔵ではなく、どう生きるお金にするか。

CWBはアジアの国々で期せずしてイスラム金融のようなスキームでコミュニティビジネスを推進するために投資をしたり、お金を活かしてきた。ミャンマーの活動実績を次ページで樋口さんから紹介してもらう。