悪縁・奇縁

このところ「異業種交流会」が再びはやりだしている。かつて異業種交流会といえば、その名を借りた名刺交換会だったが、この頃のは「…ソーシャル」とかカタカナがついていて、名刺ではなく名札をつけ、ソーシャルゲーム等を使ったりして、ランダムに人をまぜこぜにするのが売りになっているようだ。いろんなキャッチフレーズが使われるけれど、一言で言ってしまえば「ご縁を大切に」だろう。

 同じようなことは近頃の「元気な若者」の交流会でもそうだ。仲間内で集まるのではなく、社会人や外国籍の人との交流をうたっている。こちらも一言で言えば「異なった人との出会いを楽しもう」だろう。

 でも、不思議なことに、どちらの交流会も「近所のおっちゃんやおばちゃんが来まっせ」とはいわない。ご縁を大切にするのなら、別段読んでも不思議じゃない。異なった人との出会いをうたうのなら、まさに世代が異なった人だ。でも、呼ばない。(例外は近所のおっちゃんが、世界的に有名な中小企業の経営者だったり、近所のおばちゃんが、名高い女性起業家だったりする場合だろうーたぶん)。

 縁や出会いを大切にする。その言葉はすっごくきれいだし、すごく大切なことではある。人生の根本的なところを支えてくれているものでもある。ではあるけれど、どうもこの頃、人間は贅沢になってきたようだ。「いや、いい人に出会えました」と言うとき、大人であれば自分のビジネスのヒントになったとか、自分の生き方を見直すきっかけになりそうだという感じだろう。若者の場合は「就活の参考になった」とか「人生の先輩(ロールモデル)を得た」という感じだろう。どれも普通に言われる言葉であるし、それそのものが悪いというのではないけれど、これってどうも「役だった」と行っていることなのじゃないかと勘ぐってしまいたくなるのだ。近所のおばちゃん、おっちゃんが呼ばれないのは、おばちゃんやおっちゃんの話など「役に立つはずがない」と思われているからではないのだろうかと思ってしまうのだ。縁を大事にと言いつつ、大事にされるのは役に立つ「良縁」だけなのではないだろうかと思ってしまう。

 実はこう思いだしたのは、交流会がきっかけではない。若い人の自己向上欲求や自己実現欲求が過剰に強いのじゃないかと思い始めたからだ。といっても彼らが傲慢だというのではない。たいてい彼らは「勉強したい」「勉強させてください」と言う。自分は~を知らないから、自分には~という経験がかけているから、だから…と言う。彼らの行動には常に目的がある。そしてその目的は大概「役立つ」ということになる。(何に役立つのかは結構はっきりしなかったりする。漠然と自己実現とか、自分が成長するためにだったりするのが又不思議なのだが)。大学の講義でも今役に立つことを求められることが多い。ざっくばらんな話、私みたいに思想史なんて現代社会に無縁の科目を持っていると、何人かの元気な学生から同じ質問を受けるのだ。「先生、これって何の役に立つのですか?」私の答えは決まっている。「役に立たないよ」。その答えに学生は納得がいかないような、奇妙な顔をして立ち尽くす。まぁ理屈はつけられるし、講義を受けて何も得られないというのも何だから、わざと頭をひねってもらわないといけないような課題を出して、学生を困らせることにしている。少なくとも、頭を使って文章を書く練習として役に立つからだ。けれど、中身に関して言えば、はっきり言って「役に立たない」。近所のおっちゃんやおばちゃんと一緒なのだ。

 近所のおばちゃんやおっちゃんは、それぞれの人生を生きている。その生きてきた年数分だけ、独自の知恵を持っている。それはあまりにも独自すぎて、自分自身にとって役に立たないかもしれないし、逆に余りに平凡すぎて、既に知っている事柄に過ぎないのかもしれない。けれど「その人だけのもの」として存在している。私のやっている講義の中身も、古い昔のそれも外国の名前も知らない人の考えの解説でしかない。けれどそれはその昔の人がさんざん頭を絞って考え出した、「その人の考え」であり、古典として今まで多くの人に参照されてきた歴史を持っている。こうしたものは、即座にそして手軽に自分のものとするわけにはいかない。だから「役に立たない」。いずれどこかで役立つだろうということも考えず、できればおもしろがって聞いたり読んだりできると一番だ(退屈でもいいのだけれど、それだと余り行く通かもしれない)。

 けれど、私は存外こうした役に立たないものの方が、今自分に役立つ人脈や交流あるいは知識や情報よりも、大切なのではないかと思う。

 先ほどの縁という言葉をここで使うとしたら、良縁ではなく、悪縁や奇縁の方が大切なのではないかということだ。

 悪縁といっても、わざわざ騙されろとか、悪人とつきあえという意味ではない(念のため)。腐れ縁といってもいい。あいつとつきあったらいつもなんか損したていうか、めんどくさい羽目になるんだよな~。でも、あいつに頼まれたら、何となく引き受けてしまうんだよね~…なんて思える人がいたら、その人との縁が「悪縁」。奇縁は偶然に出会ってしまって、自分の意志はどこへやら、気がついたら巻き込まれてしまっていた…というやつ。これはごくごく珍しくて、出会うことが希だ。この二つの縁を私は大切にして欲しいと思う。

 というのは「良縁」は「今現在」の自分にとって役に立つ縁だからだ。今現在の自分にとって役立つ縁が、5年後、10年後の自分にとっても役に立つ縁かどうかはわからない。もし良縁ばかりを求め続けるのならば、良縁が良縁でなくなったら、つまり自分にとって役に立たない関係になったら、その人やその場所との関係を切断することになるだろう。良縁は続かないのだ。続かない縁(えにし)は積もっていくことはない。縁と縁が積み重なり結ばれ逢うことがない。ここでの「むすび」はひもを結ぶほうではなく、おにぎりを結ぶほうだ。一つ一つの縁(米粒)がちゃんと形を保ちながらも、積み重なりあって美味しいものを作り上げていく。そんな「むすび」だ。その時々に役立つことで結ばれた良縁は、こうした結びを作ることができないのではないかと思う。

 では、悪縁はどうか。悪縁をもたらす人や場所の周りには、その被害にあった人たちがたくさんいる。被害者同盟ができるほどいる。なぜってみんな「しゃ~ないな~」と思いながら、その縁(えにし)を断ち切れずにつきあっている人たちだからだ。長年のつきあいの人も居れば、つい最近悪縁に連なったという人もいるだろう。なにせ被害者だから、悪いことややこしいことがあって当たり前。性懲りもなく悪縁につきあっている仲間同士という機運がどこかにあって、なんとなく悪縁をもたらす人や場所を種にして、互いに結ばれあっていく。積み重なる縁が出来上がっていく。

 奇縁となるとこれは出会うのが希なので、なおさら貴重だ(今の日本では絶滅危惧種に指定してもいいぐらい)。「えっ」という声を上げるまもなく、事態がなにやらわからぬまま、巻き込まれてしまった当事者同士。いったいどないしたんやろと、隣の人に聞いても、隣の人も「さぁ~またとんでもないこととちゃいます?」。何が目的で何が出てくるのやらわからないまま事態が進み、はっと気がついたら自分が責任者になっていたりする。「うわっえらいもんに出会うてしもた!」と思っても後の祭りというやつ。これはもうあきらめるしかないのだが、こういう奇縁をもたらす人の周りには、絶対同じぐらい奇縁を持った人がいて、次から次へと奇縁に巻き込まれることになる。そうなったらしめたもの。しんどくて、苦労もして、傷つくことも多いだろうが、退屈とは無縁の時間を過ごすことができる。そしてそこで出会った同じ巻き込まれ被害者は、苦労をともにしたかけがえのない仲間になることだろう。事のついでにいうと、奇縁の苦労話は暗くならない。なにせ奇妙なのだから、腹を抱えて笑ってしまうことになる場合が多い。世にも珍しい(と当事者たちは思っている)経験を共にしたという点では、秘境探検団みたいな奇妙な連帯感を持った仲間の輪の中にあなたはいるだろう。変わり種おむすびのようなものかもしれない(食べるのに勇気がいるところも)。

 悪縁も奇縁も、今のあなたには役に立たない。それどころか、逆に損や苦労をもたらすことの方が多いかもしれない。でも、それを面白がれるかどうか。自分を磨きたいと思う人は、それが試金石だと思ってみてはどうだろう。役に立つことはいずれは陳腐になる。今役に立つことで自分を磨いたとしてもたかがしれている。げぇ~と叫びたくなる経験に出会って、はじめてあなたは、今まで自分が出会えなかったあなたの中の新しいあなたに出会えるのだと私は思っている。

私が居るところ

人は皆平等だという。でもこの社会から「見えなくなってしまった」人たちがいる。この社会のある種の規格から外れてしまった人たちである。いわゆる障碍者のことだけをいっているわけではない(もちろんその人たちも含むのだけれど)。「普通」と考えられている基準・規格を少し外れると、あなたも私も容易に「周囲からは見えない」存在になる。例えば足を骨折したとしよう。その途端、普段は何とも思わなかったエスカレータの下りが恐怖のジェットコースターになる。一歩を踏み出せず躊躇するあなたの周りを、人々は一定の範囲を見事に保ちながら、通り過ぎていくだろう。まるでそこに透明な壁があるかのように。あなたは歩きながら思わず独り言を言ったり、携帯プレーヤーにあわせて小さく鼻歌を歌ったことはないだろうか。もしその独り言や歌声が、一定の音量を超えたとしたら…。あなたの周りにはやはり透明な壁ができる。周りの人はあなたが存在しないかのように、でもあなたには近づかないように、通り過ぎていく。

 ほんの少し、「普通」の境界を越えてしまうと、あなたはこの社会の人ではなくなり、居場所をうしなう。いくら「人間は平等だ」といっても詮のないことである。

 そして社会はこうした人に便利なレッテルをつけて分類する。障碍者・LD・発達障碍…そして通常の社会ではないところにしまい込んで見えなくしてしまう。こうした施設の現場の人が、そこをその人たちの居場所にしようと頑張っていたとしても、その人たちやその人たちのことを知悉している人、その協力者がどんなに声を上げたとしても、第一義的にその場所は見えなくするシステムの一部でしかない。その人たちの「居場所」ではない。

 同じことは今回の震災の被災者支援にもいえる。仮設住宅や避難施設で暮らしている間は「被災者」であり、保護の対象である。けれど一歩そこから出て暮らし始めると、もう被災者ではないかのように扱われる。いや正確には、その人たちの「被災」が見えなくなってしまう。逆に仮説や避難施設の人たちの「被災」は、支援対象になっている、その人たちのために安全な場所にいる私たちは十分に支援を、募金をしていると思っていることで、見えなくなってしまっている。

 では私たち、普通に正常に暮らしている私たちには居場所があるのだろうか。癒しブーム、占いやスピリチュアルなものに惹かれる人たち、生き甲斐や働きがいを求める老若男女…。さらには『今ここでいきる…』『置かれた場所で…』といった題名の数々の本。
 どうも私には、今の日本で「居場所」を持っている人が少ないような気がしてならないのだ。「普通」というわずかな幅の線上で、ひたすら「普通」であり続けるために必死になりすぎて、「普通」であることに疲れた人たちが、安全に「普通」から逃れるために農村や、テーマパークや、お手軽な神秘体験に自分を癒してくれる「居場所」を求めて苦闘しているように思えてならない。

 「居場所」。私は単なる住居や働く場所ではなく「自分がそこにいていい場所」という意味で、この言葉を使っている。「そこにいていい」には三つの意味があると思う。「そこにいていいよ」と受け入れてくれること、もう一つは「そこにいていい」と自分自身が思えること、そして最後のもっとも重要な「そこにいていい」と必要とされること。この三つが揃うことは滅多とないが、もし揃ったらそこ(場所とは限らない、ある人だったり、仲間だったりするかもしれない)は、あなたにとって掛け替えのないところになるだろう。この点で居場所と恋愛はひどく似ている。恋をしているとき、相手に受け入れてもらいたいと思う。相手が好きだと自分が思う。そして相手にとって必要な人でありたいと思う。この三つを二人の人間が共有できたとき、両思いになる訳だけど、世の中、そんなにうまくいくものではない。自分が相手を思っていても、相手はそうは思っていないかもしれない。相手が受け入れてくれているのに、自分が片意地に(あるいは誤解して)排除されていると思う場合もある。そして一番難しいのが「必要であること」。必要不可欠な存在でありたいと思うあまりに、相手を束縛する。自分を必要としてほしいと思うあまりに、相手を過保護にする。

 居場所も同様だ。自分が居場所だと思っている所、ここを居場所にしようと思い、そのためには…と熱意をかけても、それが片思い…どころか一方的な押しつけでしかない場合がある。そんな時、あなたのその熱意は、その土地の人や、相手にとっては厄介なものでしかない。少なくとも恋愛であれば、関係当事者の範囲はごく狭いだろうが、居場所となるとそうはいかない。多様な利害と、多様な欲望と、多様な関心や価値観を持った人が集まってくる。その中で自分の思いを届け、実現しようと必死になるだけでは、居場所にはならない。相手の話に正面から向き合わなければ何事も始まらない。逆に、ここがあなたの居場所ですよと受け入れてくれていても、どうしても居場所とは思えないときもある。それが本当に自分には合わない場所のときもあれば、そのとき自分自身では気がつかなかった自分自身の場所である場合もある。私自身がその典型例で、研究職という居場所を一度あきらめた人間だ。でも結局、その場所に戻ってきた。やはりどうやらここが私の居場所らしい。逆に周囲の押しつけを鵜呑みにして後悔する場合もあるだろう。似合いのカップルだからと言われ、何となくつきあってみたら、全然気が合わなかったようなものだ。就農支援事業で、農村に住まいを移し、そこで生きていこうと一旦は決心したものの、数年もたたずに村を出てしまわなくてはならなくなる。どちらが悪い訳ではない。最初にボタンのかけ違えや幻想があっただけのことだ。けれど、双方に深い傷を残してしまう。そして必要であることはもっとも難しい。その場所、その人たちに対して、自分は何ができるのかを常に考えなくてはならない。と同時に、必要とされることに慣れきってしまってもいけない。「必要とされる」ことは、凄く甘美な誘惑だ(恋愛でも)。けれど、結果的に、あなたに頼り切った居場所が出来上がってしまう。やがてあなた自身にとって居心地の悪い、責任の重いだけの場所に変化してしまう。そして、居場所に集う人たちにとっては、自分が取り立てて必要とされていない場所、つまり居場所ではない場所になってしまう。

 恋愛でも近頃は「婚活」関連の商売が成立しているが、居場所に関しても「居場所作り」が商売として成り立っている。中には地域全体を「都会人の癒しの場所」に仕立て上げるというものまである。そういうのにうかつにのると、居場所を作りたいと思った人も、受け入れたいと思った側も悲惨な結果に終わる場合がほとんどだ。

 恋愛と同じで、居場所も最後は自分自身がどうするか、どう思うかにつきるのだ。そして、恋をしようと思って必死になっていても、恋をすることはできない(なぜってそれは恋に恋しているだけで、相手のことを無視しているのだから)。それと同じように、居場所を作ろう、作ろうと必死になっていても、居場所を作ることはできない。居場所作りをする自分によっているだけに終わってしまったりする。居場所を外に求めるのではなくて、自分自身に居場所を問いかける方が良いだろう。その時、何よりも重要なのは、自分が自分自身のことを長所も欠点も含めて受け止めているのか、自分自身が周囲に正直なのかどうかということだ。「いてもいい場所」で嘘をついていても長続きしない。

 それが嫌だというのなら、あなたは結局自分にとって都合のいい「居場所」だけを求めていることになる。 自分自身にとってだけ居心地のいい「居場所」をつくることは、いつか自分自身がその居場所から排除される可能性を秘めている。自分がその都合のいい居場所の条件から外れるかもしれないからだ。また元通り細い幅の線上を歩くことになりかねない。自分自身の居場所が常に存在するためには、どんな人にもそれぞれの「居場所」があることが大切になってくるだろう。それは案外簡単なことかもしれない。
 自分の居場所を本当に作りたいと思うのなら、互いに正直であるだけでいいのだから。互いに正直であることは、きれいごとを言わないということでもある。障碍を持つ相手に生理的に嫌悪感を持つこともあるかもしれない。その嫌悪感を持つ自分と向き合い受け止め、なおかつその上で相手とどうつきあうかを考えるということだ。「悲惨な」「かわいそう」というレッテルではなく、一人の人間としてどうつきあうかを考えるということだ。

自由とか不自由とか

日本語で自由は一つ。でも英語だとフリーダムとリバティの二つ。そしてこの二つは時々対立する。というよりも、自由という言葉の問題ではなくて、自由という言葉で表現されるような考え方や、状態に様々な考え方があって、その間で対立がたびたび起こるという方が、より正確だろう。が、まずはこの二つの言葉を手始めにして、いったい自由ってなんだろうかという大きな問題を考える、小さなきっかけをつくってみたい。

 まず、何か(強制や拘束、制限等)がないことを求めるときはフリーダムだ。差別撤廃を求める時、フリーダムが叫ばれる。気にくわない上司、ノルマばかりの会社を、思い切って辞めれば清々する。フリーになったからだ。

 リバティという言葉には特権・権利という意味がついてくる。元々リバティは配下に着せた制服のこと。制服を着ていれば、武器が持て、食いはぐれがない(三銃士の映画や物語を思いだしてもらえるとわかりやすいと思う)。だから今でも、アメリカでは一般人が銃を持つ権利はリバティの一部になる。何かから自由になりたいというよりは、何かを行うことができるという意味での自由に近い感じだと思っておいて欲しい。

 さて、何かから自由になりたいといった場合、自由になった後でどうするのかということは、後回しになる。逆に何かを行うことを求める時、どんなルールに基づいてということが問題になるが、行うこと自体を問い直すことはあまりない。先ほどの例でいけば、 職業はフリーに選択できるし、職業からフリーになることもできる。ただし、次の職がなかなか決まらなければ、手の中からお金がフリーになって飛んでいってしまう。フリーであるからといって無闇矢鱈に行動していると、とんでもないしっぺ返しを食らう。その一方、銃を持つ権利が一般に認められている社会では、銃による事故や殺人が後を絶たない。銃を持つ年齢や手続きを厳格にしようという話は出るが、銃を持つこと自体を問い直す動きはいつも少数派だ。

 どちらの自由にも、裏面が存在する。そしてその裏面に対して、放埒という批判が、無分別だとか無思慮という嘲りがとんでくる。あたかも熟慮やルールに従うことと、自由が対立するかのような言説が結構多く存在している。たしかにフリーもリバティも、その時代その時代の「当然のルール」に逆らうことで、その存在を立証してきた。王様の気まぐれ一つで、突然逮捕され首をはねられることが当然だった時代、法に基づかない限り逮捕されない自由を求めた。奴隷だから金銭で売買されるのが当然だった時代、奴隷は人間であるとして、他の人間と同じ自由を求めた。どちらも「当然のルール」への反逆だった。

 こうした歴史を「放埒」「無分別」という人は今はいない。けれど、同時の常識人(それは大概既得権益を享受している人であることが多いが)にとっては、無分別であり、放埒であった。王の命令があるからこそ、秩序が保たれているのであり、多少の行き過ぎは(特にそれが取るに足らない平民に対するものであるのであれば)目をつぶるべきであった。奴隷が奴隷であるのは、通常の人間と異なって生まれながらにルールを守り自分で考えることができない人間もどきであるからであって、そんなものに人間と同様の自由を与えれば、たちまち身を持ち崩すに決まっていた。

 これが歴史の教訓なのであるなら、現在嘆かれる「自由の行き過ぎ」にも目をつぶり、容認すべきなのだろうか。答えは「否」だと断言したい。前例を良く読み直して欲しい。自由を求め、時代の当然のルールに刃向かったのは、そのルールに痛めつけられている側の人間である。強者に対抗するために自由という武器を使った。そう、自由は武器である。それも強力な武器になる。武器であるからこそ、勝手気ままにという意味での「自由」に使ってはならないのだ。自由は、勝手気ままに使う自由を放棄してこそ、自由になる。

 納得いかないと思う人が多いと思う。では、こう考えてみて欲しい。この世で最も得手勝手で、自己中心的なのは新生児だろう。新生児は自らの欲求を満たすことだけを優先している。これほど自由な存在もないかもしれない。だが、新生児は、自らの生存のすべてを他者に依存している。その意味ではこの世で一番弱い存在である。弱い存在だからこそ、その自由な欲求の発露は強者である保護者によって容認されている。成長して、自らの身体を動かし、自らの意思で行動することができるようになると、途端に新生児のような欲求のままの自由は許されなくなる。「~してはだめ」というルールが課せられるようになる。なぜなのだろうか。答えは簡単だ。新生児に比べて、成長した子供は強者だから、力を持っているからだ。自由に行使すれば、他者を傷つけかねない力を持っているからこそ、その力を自ら制御するすべを身につけなくてはならない。力を持っているものが、その力に耽溺することを、自由というのは言語矛盾だと私は思う。なぜなら、その時、その人は自らが持つ力に支配されているに過ぎないからだ。

 ハリウッド産のヒーロー映画で良くある突然能力に目覚めた主人公が、その能力の威力に振り回されてしまうとき、見ている我々は主人公の未熟さを痛感する。逆に主人公がその能力を十二分に統御したとき、主人公が能力の主人となり自由に能力を行使できるようになったと感じる。それと同じ事である。

 人は成長するにつれて、色々な力を持つようになる。その力の発達の度合いは違っているだろう。発達する分野は違っているだろう。さらに社会に出れば、仲間を作ることによって、より強力な力を手にすることもできる。あるいは組織に属することで、組織の力をあたかも自分の力のように行使することもできる。持つ力が増大すればするほど、その力が影響を及ぼす範囲も増大する。それにつれて自由は強力な武器になっていく。いい例が「報道の自由」であり、「自由な教育」だ。強者が報道の自由をいい、自由な教育を主張するとき、その自由で多大な被害を受ける側のことは忘れ去られてしまう。報道の自由であれば、報道されることによってプライバシーを侵害されるといった積極的な被害だけではない。報道しないことによって、あたかもそのようなことがこの世に起きなかったように無視されるという力も持っている。自由な教育もそうだ。個々の子供の状態を無視して、一方的に主張される「自由な教育」。それは逆に、力を身につけ始めた子供たちに、力を統御するすべを教えないことでもある。出来上がるのは生の力のぶつかり合いからできる序列と支配である(子供は基本的に残忍で、力の強いものは容赦はしない)。それを「子供たちの自主性」という言葉でくるむことになる。あるいは、できないことも個性ですの一言で、社会に出るための基本的なスキルすら教育しないまま、社会に放り出してしまう力を持っている。強者が善意から、正義感から、そして自らの強大な力を自覚しないまま、自由に行使する力ほど、自由から遠いものはない。

 そうだ、だからマスコミは見張らなくてはならない、物知り顔の教育論者には注意が必要だ…政治家には…大企業には…。

 いや、私が言いたいのはそれではない。私たち自身が「強者」である可能性を、私たち自身が強者に与している可能性を言いたいのだ。「現場としてはどうしようもない」「あれだけ報道されているのだから」「所詮一人の力などしれているし…」「それが常識だし」。世の中には強者に与するための言い訳があふれている。また、自分自身が強者の中にいる、強者の一人だということを自覚する機会も少ない。私たちはどこかで自分が「平凡な一般人」だと思っている。けれど、不自由を感じることなく日常生活を送っている限り、私たちはどこかで強者である。そしてどこかで一人の人間として、自分が強者であるがゆえの不安を持って生きている。自分の力、統御しているつもりの力が、どこかで誰かを傷つけているのではないかという漠然とした不安を持っている。その不安を的確についてくる言葉、主張に私たちは弱い。弱者の被害を聞けば、前後を忘れて善意を発揮しなくてはならないという思いに駆られる。その善意の行く末や影響を確かめることもなく。その一方、自分が弱者であるという甘美さに惹かれる。自分以外の誰か、何かが「悪の強者」であれば、自分は他人を傷つける強者ではなくなるから。

 でも、もうそういう振りはそろそろやめてもいいのではないか。私たちは強者である。自由を行使できる強者である。その自由を統御することを、自分の力の及ぶ限りに追求するときが来ているのではないか。何も難しいことではない。自分の力と頭で自分の行動と帰結を考え、模索することだけだ。そもそも自由には失敗する自由も、愚かに行動する自由もあるのだから、構えて緊張することはない。その代わりに、他の人の失敗や愚かさも許容し、互いの失敗や愚かさから学必要があるだけだ。

働かない若者…

若年者失業率は相変わらず9%台と高い。さらに、もともと失業率は「職を探している」のが前提条件なので、ここに含まれない若者はもっと多い。ニートと分類される若者数は、60万人。半数が25歳以上。フリーターは176万人。大学生の3年以内の離職率は約3割。

 とこうして数字を並べてみると、いったい若者たちは「働く気があるのか」という声が聞こえてきそうだ。では、逆に問い直そう。「なぜ働かなくてはならないのか」。

 小学校以前の子供が、「なんでお母さんや、お父さんはお仕事に行くの?」と聞いたとしたら、仕事のやりがいとか誇りとかよりも、まず「食べていけなくなるから」という答えを返すことが多いと思う。けれど年齢が上がると、不思議にこの問いに対して、様々な理屈や修飾語がついていく。曰く「社会への参加」「自己実現」「働きがい」…。そして、いよいよ就職活動となると、様々な自己分析ツールを使って、自分の適性やら適職を求め、自己PRでは、その職場への期待や展望を語る。不思議ともう誰も「食べていくため」という言葉を公の場では使わなくなる。

 ああ、日本は豊かなのだな…と感じる。食べていくためには、否が応でも「何かをしなくてはならない」時代が過ぎ去った社会なのだなと。そしてある意味若者にとっては不幸な時代でもある。とにかく食べていくためには、今目の前にある職や仕事にしがみついていなければならない状況であれば、迷いも悩みもない。客観的に見れば、悲惨な状況である。その仕事が自分の健康をむしばむ可能性が高く(先進諸国の企業が発展途上国で展開している「スエットショップ」など)、十分な食糧を買うだけの費用を稼げるとは限らない。「食べるために仕事をする」というシンプルな図式は、迷いを許さない。しかしもしその社会の経済状況が好調であれば、仕事にありつく望みは増大する。さらにありついた仕事で、徐々に昇給し、「食べていく」中身が充実していく。これがかつての日本だったのだろう。「金の卵」として就職列車に詰め込まれ、地方から都会に出てきた若者は、けして有利な条件で労働をしていたわけではない。けれども一旦その職を離れると、「食べていけない」という現実的な恐怖感が存在していた。そして将来より良い生活ができるという夢があった。それが「働きがい」という言葉になっていた。

 もう日本はこうした状況にはない。たしかに失業した多くの若者は厳しい生活を強いられる。フリーターの生涯賃金が正社員の1/3にとどまるのはよく知られた話である。生活保護を受ける若者も20万人に達している。一旦職を離れると、再就職が難しいという状況は、実は余り変わっていない。それどころか、高度成長期よりも現在のほうがより厳しくなっているだろう。しかし産業構造の変化と共に、「何かで食べていける分のお金が得られる」という見通しだけは、若者の間で広がっている。実際、学生時代の方が1ヶ月の可処分所得が多かった下宿生も私の周りにいる。

 さて、こうした状況の中、厳しい就職活動をしながら、「なぜ働くのか」という問いに明確な答えを持てないのが、若者の現状だろう。自分に向いている仕事なんてわからない。特にやりたい仕事なんてない。どこでもいいから正社員になりたい。正直、こうした本音は今も昔も変わっていないのだと思う。

 40年前の、30年前の大学生(その頃は進学率は3割だった)も、明確な将来像を持っていたわけではない。大学を卒業したら、何となく就職をするものだろうと思っていた。そしてその受け皿はある程度あった。入社すれば、社員研修等々、良くも悪くもその会社のやり方というのをたたき込まれていった。そして右肩上がりの経済状況の中で、もがけばとにかく業績はついてきた。自分の適性を考える必要すらなかった。

 今はどうだろう。自己分析に適性検査…。あたかも「あなたにあった仕事が既に存在している」かのような装置。そして「働きがい」や「その企業で働く理由」を求められる自己PR。ぼんやりとした本音とは別に、「あなたはなぜここで働きたいのか」という理由を求められる。それにうまく答えられないから、就職が決まらないのだと悩み始める。「働く理由」を何とか見いだそうとする。けれどそれは、プールや海を見たこともない人に、「泳ぐ理由」を問うようなものではないだろうか。働かなくてはいけないのは何となくわかっている。安定を求め、周囲の期待に応えるためには正社員でなくてはいけないとも思っている。けれどその企業にする「理由」は見当たらない。その企業のデータをいくら調べても、その企業で働く姿など想像もできない。

 そうして、何十回と就職試験に、面接に落ち続けていく中で、若者は「働く理由」を見失っていく。適性があるといわれた職種で「むいてないよ」といわれ、それではと職種を広げれば「志望理由が薄弱」といわれる。なぜ働かなくてはならないのか。そう思い始めたとき、食べていくだけなら、学生時代のバイトの延長で十分じゃないのか。その方が気楽だったじゃないか。いったい、ここまで苦労して、企業で働いて、その先何になるのかという思いがよぎる。適性とか適職といった言葉がどんどん薄っぺらくなる。

 こうした経験を経た学生たちは、それでも企業に期待している。苦労して入社したのだから「働きがい」が得られるはずだと。けれど、企業側には新入社員の教育にかける余裕がない。ひたすら即戦力として実績を求める。適性も適職もわからなかったけれど、とりあえず入社したからには、バイトよりは「働きがい」のある仕事を任せられるだろう。そういう期待はあっさりと裏切られる。バイト以上にきつい仕事、それに見合わない評価。働いても「甲斐のない」日々が続くかもしれない。それを乗り越えられれば、その企業に定着することができるだろう。けれど、乗り越えられなければ…離職という道が目の前に開けている。

 素人っぽい分析かもしれないが、学生の視点から見ると、ニートやフリーターの多さも、離職率の高さも、ついでに言えば就職活動のしんどさも、根っ子は皆同じに思える。

 働く前から「働きがい」を、「適職」を追求することが、その根っ子である。そしてその発想の根底には、中学時代から深く根を張っている「自分のレベルだったらここぐらい」があるのではないだろうか。自分ぐらいだったらこの高校、自分ぐらいだったらこの大学と、自分の意志とは別にレベル分けして、行き先が用意されている。そして行き先を決める関門を突破すれば、その中で「受験」や「卒業・就職」を目指して頑張っていればいい。それと同じで、就職活動という関門を突破して、入社すれば「働きがい」は待っているはず…と思ってしまうのではないだろうか。

 「なぜ働かなくてはならないのか」。この問いに明確な答えなどない。根本的に突き詰めれば「食べていくため」なのだ。そして「今現在」食べていくためだけであれば、フリーターであってもニートであってもかまわない状況が、現在の日本にはある。そんな日本で、若年者就職支援と称して、さらに自己分析や面接対策等々、就職活動のテクニックを支援したとしても、若者はいずれ就職への動機をうしなってしまうだろう。学生時代に働くことを体験しようという「インターンシップ」も、都会では就職活動の一環になってしまっている。新入社員の定着率を上げようと思っても、そこまでの人手も労力もない。かといって何とか離職はとどめたい。正直八方手詰まりというのが、行政も企業も実感的な本音だろう。

 では処方箋はないのか。私はそうは思わない。若者に個性的な生き方や働きがいを求めるのはいい。が、その前に働くことの理不尽さを体験してもらう必要があると思っている。働くことは常に相手(仕事仲間、上司、顧客)があってのことだ。必ずしも自分のやりたいことが実現するわけではない。どんなに努力しても実績は別だ。こうした「理不尽さ」心得た上で、もう一度「働くこと」を考え直すことが必要なのではないか。その一方で小さな事でもいいから、自分がやったこと工夫したことが目に見える形でわかる体験も必要だろう。ということで、私が示す処方箋はごく単純。まずは手と足とを動かす労働を学生時代に体験すること。それもできれば最も理不尽な自然を相手に。どんなに頑張っても、一度台風が来ればすべてはおじゃん。どんなに頑張っても、ベテランの技には適わない。その一方で、ちょっとした自分自身の技量の発達を実感できること。非常にプリミティブなことだけれども、その積み重ねがもう一度若者たちに、本当に「働く事って何」を自分事として考えるきっかけを作るのではないかと思っている。その結果として、フリーターの数が変わらなかったとしても、私はそれでいいと思う。統計数字は変わらなくとも、自分自身の働き方をつかんでのフリーターと、仕方なしのフリーターとは、大いに違うと思うからだ。

 今、若者たちが「働くこと」を問い直さなくてはならない時代になっている。その時代に、年配者として私ができることは、働くことの理不尽さと楽しさを自分事として受け止めてもらえる場を作り出すことだと思っている。

「三方良し」の三人目

「売り手良し、買い手良し、世間良し」が近江商人の商是として有名になっている。現在の企業のあり方への批判と微妙に絡み合いながら、商行為に携わる「日本人」の理想として描かれがちである。けれど、その時「世間」は容易に実態のない「空気」へと姿を変えるように思えてならない。

 「世間」という日本語は様々な文脈で使われるけれど、世間がどこからどこまでなのかははっきりしない。「世間の目」が気になるから…というとき、大概その「世間」は自分の周囲の人たち、それも空気のようなもので有ることが多い。「世間様が許さない」なんていう大時代的な言葉も、そういう「空気」を指す場合が多い。近江商人の心意気にけちをつけるつもりは毛頭無いのだが、下手をすると「世間良し」の「世間」は、売り手と買い手を含むその社会集団になったりしかねない(○○村と揶揄される業界はその典型だろう。売り手も買い手もその周りも、既存の構造の中でいままでの慣行こそ「世間良し」だったのだ)。

 けれど元来、三方良しの「世間」は、あえて日本語の中で言葉を探すならば「お天道様」ではなかったろうか。誰が見ても、誰にとっても「良し」とされるような、ある種の普遍性を備えた「良し」。

 とすれば、「三方良し」はグローバルスタンダードになる。「えっ」という反応が返ってくると思う。けれど、普遍性は国境を越えなくてはならない。ややこしいなぁ~と思われると思うのだが、まぁ「何らの理由もなく人を殺す」ということは、おそらく全世界的に(普遍的に)「やってはならないこと」になっていると思うので、そういうものと考えて欲しい。商売に関していえば、グローバル企業が、先進諸国で禁じられているような奴隷労働を、発展途上国で黙認しているとしたら…不買運動が起こるだろう(かつてのナイキ騒動のように)。その時人を動かしているのが、こういう普遍的な規範意識だ。けれど、それはどこかで決定された「普遍的規範」。もしかすると自分の常識が通用しないかもしれない規範でもある。

 こうした普遍的な規範を常に意識するとなると、結構人間は保守的になる。なにしろ、どこで誰から文句をつけられるかわからない。となれば、冒険はしない。今まで文句をつけられなかった行動を、今まで通りにやっていくことが「良し」になる。なんだか近江商人らしくなくなってしまう…。

 実は、「世間」を普遍に拡大せず、かといって1キロ四方の狭い周囲にも閉じ込めない手法が有るような気がしている。そのヒントは、アダム・スミスにある。スミスは経済学者ではない、道徳哲学、今風にいえば行動心理学の専門家である。スミスは『道徳感情論』でこんな問いを発する。「ここに一人の女性がいる。彼女が本当に愛しているのは夫以外の男性である。そして彼女の夫は今瀕死の病に苦しんでいる。彼女は(本心はともかく)夫に献身的な看病を行っている。さて、この女性を倫理的に責める事ができるだろうか」。皆さんはどう思われただろうか。スミスの答えは「責める事はできない」である。内心はともかく、行動は正しいからだ。では「正しい」と判断しているのは誰か。スミスが持ち出してくるのは「公平な観察者」なのだが、これが実は「三方良し」と非常に似ているのである。

 あなたがいて、あなたをなじっている相手がいる。あなたは相手に対して同じように罵詈雑言で答えたい。けれど、ふと考える。一方的になじっている相手に対して、同じように罵詈雑言を返したら、他の人はいったいどう感じるだろうか…。通常人間は喧嘩から目をそらしてしまう。喧嘩だけでなく、悲しみ、死といった否定的なものからはできるだけ遠ざかろうとする。けれど、この世で暮らしている限り否定的な物事や感情に出会ってしまう。その時、当事者ではない第三者は、否定的な感情を抑制している方を是認するとスミスはいう。あなたが、第三者の是認を求めるのであれば、罵詈雑言はぐっと押さえて、冷静に対処すべきなのだ。同じ事は肯定的な事柄にもいえる。過度な喜びの表現は「嫌み」になる。こうして、人間は自らの行動を、当事者ではない第三者から是認されるように「塩梅している」のだというのが、スミスの『道徳感情論』である。

 さて、この第三者(「公平な観察者」といわれるが)は、想定された第三者である。だから、その人の生きている社会の慣習に則っている部分がある。とはいえ、どこの誰を想定するかによって、自分の周囲を超えることができる。自由自在に伸び縮みする第三者なので、ちょっと困ってしまうところもある。普遍規範と違って「ある答え」が与えられるわけではない。逆に第三者を自分の属している世間とは遠いところに想定すれば、狭い「世間様」を破壊することができる潜在力も持っている。

 このところ、世の中の常識とか今までのやり方が通用しないような事柄が発生し続けている。そんな中で、何とか自分の生活を自分なりのやり方で築き上げようとしたとき。あるいは、ふと抱いた疑問をきっかけに、何かしら行動を起こしたくなったとき。狭い「世間様」はそれを許してくれないかもしれない。普遍的な規範は「…」と無言でしか答えてくれないかもしれない(なにしろ「普遍」だから、個別の問題に適用できる答えがすぐに返ってくるとは限らないのだ)。

 そんなとき、あなたなら誰に相談するだろう。占い師や、行きつけのバーでたまたまであった人に相談を持ちかけていないだろうか。極端な例かもしれない。けれど、余りに身近でその答えが想像できる「世間様」でもなく、大上段に振りかぶってはくれるけれど、ちっとも日常には役に立たない「普遍」でもない。そんなちょうどいい塩梅に位置してくれる「第三者」に相談を持ちかけていないだろうか。彼らはある意味無責任である。一夜限りの出会いかもしれないし、あなたの詳細な事情を知っているわけではないのだから。無責任だから、気軽に「やってみれば」という場合もあれば、「それはちょっと…ね」なんて口を濁す場合もある。相談を持ちかける方も、結構無責任だ。そのアドバイスを真剣に受け取るつもりは元よりない(というより、正確に言えば「元よりないふりをしている」)。自分が納得できれば受け入れるし、拒否したとしても相手の機嫌を損ねるわけでもない。けれど何となく自分のやろうとしていることが、全くの他人からどう評価されるのかという手がかりは得られる。「やっぱりだめか…もうちょっと考えてみるか」となるときもあれば、「お、結構いけるかも」となるときもあるだろう。逆に「そんなこと言われたって、これしかないんや」と覚悟を決める場合もあるだろう。

 普遍に言われれば、人は引っ込むしかない(なにせ相手は常に正しいのだ)。世間様に言われれば、人は躊躇する(なんといっても逆らうには相当なエネルギーがいる)。しかし一夜の「第三者」の言うことを、受け入れるも逆らうも自分次第だ。けれど、それは「自分だけの決定」ではない。どこかの誰か、名前も知らない誰かの反応を知った上での「決定」だ。

 あなたの周囲はその決定を馬鹿にしたり、反対したりするかもしれない。従来の普遍は眉をひそめるかもしれない。でも、どこかの誰かは、あなたの決定を、あなたの行動を後押してくれるかもしれない。そして今、情報機器の進展でどこかの誰かと繋がることは、かつてよりも容易になっている。どこの誰とあらかじめ決定することはできないけれど、自分を後押しする「第三者」を想定するために「塩梅のいい」距離にいる第三者に話をしてみること。私がスミスから学んだ処世術はこれである。

 そして、あなたを後押ししてくれる「どこかの誰か」はきっとこの世に存在する。あなたが、他人の反応を拒否しない限り。 

自立って何?

男女共同参画時代といわれ、女性の社会進出を促進するための方策として育児休暇や保育制度の充実が盛んに喧伝されて久しい。いや、それ以前から、女性の自立は女性が経済的に自立することであり、それは男性と同等の立場で働くこと、つまり男性と同等の賃金と処遇で就労することだった。確かに女性の自立(女性に限らないけれども)には経済的基盤が必要である。近代になってもイギリスでは女性に財産権は一切なかった。父親が死んでも、夫が死んでも、子供として妻として、遺産を相続することすらできなかった。だからこそ、当時の中流以上の女性にとって「結婚」は自分が生存するための第1目標であり最終目標であった。その結果、男性の支配下に女性が隷属することとなる。だからこそ、女性解放運動の当初から女性の「経済的自立」、女性の男性並みの就労は目的の一つだった。

 しかし、バブルがはじけた頃から、こうした女性の経済的自立を目指す生き方に対する疑問が、徐々に表面化してきたように思う。こうした変化は、男女均等法以前の第1世代、男女均等法直後の第2世代の「頑張る」姿に対する反動として語られることも多かった。雑駁な言い方をすれば「あんな風には頑張れない、しんどい生き方」を見せられた次世代が、もっと楽な生き方を見いだそうとしているという語られ方である。

 この分析自体に異論も多い。けれども私は一面の真実を突いていると考えている。女性が経済的自立を目指して、企業に就職する。けれど、その企業は従来のやり方「男性正社員には長時間労働、扶養者になる女性には補助労働」を大幅に変更していない。男性並みを求める限り、男性社員と同じ長時間労働を求められる。そこへ家事や育児の負担が重なってくるのだから、「しんどい生き方」になってしまう。実際、女性の社会的活用度が先進国で世界一低いといわれ、数値目標までたてられ、企業は女性管理職を増やそうとしているが、現場ではこんな声が聞こえるという。「うちの会社でも女性管理職を増やそうとしているんですけど、『このままでいいです』とか言って拒否するんだよね」「40歳になっても管理職になりたくないっていう女性も結構いますし、自分がリーダーになるのではなくサポート的な仕事をしたいという女性が意外と多い。肩や肘を張って働くんじゃなくて、緩く長く勤めたいと」(日経ビジネスオンライン「河合薫の新リーダ術 上司と部下の力学」2010720日より)。

 もし経済的自立だけが、自立なのであれば、このような女性の行動は「奇妙」でしかない。自分で自分の会社内でのキャリアを捨て去るようなものだからだ。「いや、それは女性が出産とか育児とかを背負っているせいでしょう?男性が育児や家事にもっと参加すれば、女性も会社内でのキャリアを追求するんじゃないの」という反論もあるだろう。けれども、私は事はそう単純ではないと思っている。男性の育児参加や、育児休暇等の制度の充実はワークライフバランスという言葉で語られることが多い。しかし本来のワークライフバランスは、単純に女性が働き続ける状況を整備することではない。男性も含め、多様な生き方・働き方を許容することである。労働者が自分なりの生き方の中の一要素として、その企業で働いていることを認めることだ。一要素だから、時には仕事に邁進し、時には地域活動を優先する。あるいは子育てを、ボランティアを。こうした生き方を、現在の企業の中でどれだけ実現できるだろうか。実現できないと断言するつもりはない。実現できるところ、実現しているところもある。愛媛では子供の運動会に出席するからというのが堂々と有給休暇の理由として認められているクリーニング店がある。ここはその他にも様々な地域活動や子育て活動での休暇を認め合っている。それで業績が悪くなるどころか、従業員の定着度が高くなった結果、業績が伸びている。でもこうしたところはまだまだ少数だし、やはり「休暇」であって仕事と同等の位置を占めている訳ではない。自分なりの生き方の要素の一つとしての仕事というのは、企業側からすれば、なかなか認めがたいところがある(特に日本では)。

 女性が起業それも自分の身の回りの問題解決をテーマとした起業を目指すのは、こうした意識があるからではないだろうか。えらく話が飛び過ぎだと思われるかもしれない。しかし、高卒や大卒女子の就業率は男性とさほど変わらない。そして起業を目指す女性の多くは、30代から40代以上(60歳を過ぎてという人も多数いる)である。つまり、起業を目指す女性の多くは、一度通常の企業で働いた経験があるという事だ。結婚や出産を期に辞めた人も多いだろう。そういう人たちの中で、再就職という道を選ばずに起業という道を選んだ人たちの多くは、男性起業家に比べて、社会貢献と年齢に関係なく働きたいという点を起業理由としてあげている。男女両方を通じてもっとも多いのが「自己実現」と「自分の裁量で自由に仕事をしたい」である事をあわせてかんがえると、女性起業家は、より柔軟な働き方、自分だけの仕事ではなく周囲も巻き込める仕事、一生続けられる仕事を、従来の企業の中では実現できないと知って、起業という道を選んだと考えられる(21年度中小企業白書より)。

 起業という言葉で、あるいは社会起業という言葉で一括りにされるので、見逃されやすいが、拡大路線をとる起業と自分の無理のない範囲での起業があると思っている。この二つの路線は当初から決まっているというよりも、実際に起業して事業を展開していく中で、だんだん定まってくるものだとは思う。けれど、この二つは(起業家の個性も大きな要素であるが)目指すものが違っていると感じている。拡大路線をとっていく問題解決型の起業は、社会問題の解決を大型化・フランチャイズ型で解決する形になる。従って、通常の企業と同じく被雇用者が存在する事になる。理念を共有するという点では通常の企業とは異なるかもしれない。けれどもそこで働く人にとってはやはり「仕事」という感覚がだんだん強まってくる事だろう。良い・悪いではなく、組織が大きくなるという事に伴う必然的な事である。そして今、経済産業省をはじめとして日本再生なんとかが期待しているのは、このタイプの社会起業である。なぜなら「雇用を創出」してくれるからだ。

 後者の場合はどうだろう。無理のない範囲での事業。今までの発想でいけば、やがて市場競争に敗れてしまう、そんな甘い事では事業はできないと退けられてしまうものだ。けれど、案外しぶとく生き残っていく場合が多い。大きな儲けはない。人も雇えないかもしれないし、雇ったとしてもお手伝いにとどまっているだろう。それでもなぜだか破綻もせずに継続していく。なぜだろう。答えは案外単純で簡単なものだと考えている。

 「居場所」だから。

 そう、無理のない範囲での起業は、会社を興しているのではない。自分が生きていく場所を作っているのだ。だから無理をしない。無理な生き方をしたくなくて起業しているのだし、生きていくのに無理は続かない。小さいからといって競争に負けて消えてしまわないのは、自分の生き方と一体化していて、その生き方に惹かれる人が顧客になっていたり、協力者になっていたりするから。そしてそうした人が口コミで新しい顧客を引っ張ってくれるから。そして「生き方」であり「居場所」だからこそ、他にはないものを自然と作っていかなくてはならないから、自然と差別化ができる(ここを勘違いしてしまうと、容易に敗退してしまう。自分の人生なのだから、他人のまねをしても仕方がないのだ)。そしてこの差別化は大手企業がやるような「他者を排除するための差別化」ではない。むしろ、他があってこそ自分が際立つような差別化だ。なぜなら、自分以外の人がいないと、自分自身がわからなくなるから。そして他の同じような生き方や居場所を反映した事業と競争はしなくてはいけないけれど、それはスポーツ競技のようなもので、互いに能力を高め合うような競争だろう。相手を打ち負かし、自分が市場を独占するためではなく、互いの個性をより高めるための競争になるだろう。

 そして、事業内容にも人生が反映されていく。立ち上げ時の仕事一辺倒の時間もあるだろうし、育児が入っていたり、介護が入っていたり、近所付き合いが入っていたりするだろう。自分の生き方のその時々の要素によって、同じサービスや財を売っているように見えても、品揃えが変わるだろうし、事業内容が変わるだろう。しかし、根っこは同じなのだ。無理なく自分が生きていく場所=居場所としての事業。

 そんな起業がふえると、もっと楽な生き方、楽しんで働く生き方が増えていくのではないかと思っている。自立という言葉が、自分自身の人生を生きる事を意味するのであれば、これが「自立」なのではないかとさえ思っているのだ。

仕事を「創る」

若者の失業率や、職場への定着率が話題になっています。中には「近頃の若者は職場の実態を知らないで就職するから、離職率が高いのだ。従ってインターンシップを行えば…」という短絡的な意見もあるようです。そしてお決まりのように繰り返される「雇用創出」。私は雇用を創出するという言葉に違和感を感じるのですが、皆さんはどうでしょうか。いえ、私が違和感を感じるのはミルとつきあってきたからかもしれません。なにぶん、彼の『経済学原理』の中でもっとも有名といっていい「労働者の将来に関する章」には「雇用関係の廃棄」という部分があるのです。だから、今更「雇用を創出」するなんて…と思ってしまうのかもしれません。現在の問題からはなれるように思えるかもしれませんが、この「雇用関係の廃棄」の話を説明しておきたいと思います。

 日本語訳では「廃棄」という言葉になっていますが、英語ではdisuse。文字通り「使わなくなること」です。使われなくなるのは何かと言えば、資本に使われる(雇われる)こと。その後に始まるのは、働くものが資本を雇うシステムです。以前、この話をアソシエーションとして、起業論として紹介したことがあったと思います。人に雇われて、人の指示に従って働く(自分たちが使用される)立場から、自分たちが資本をを使用する立場になる訳ですから、当然ながら「何に、誰に、どれを、いつ、どこで、どれぐらい、いくらで」を常に考えなくてはなりません。変化する状況の中で、当初立てた計画に固執していてはたちまち倒産するでしょう。試行錯誤と失敗の連続から、顧客が何を考えているのかを読み取っていかなくては、事業は成り立たないでしょう。こうしたシステムが作り出しているのは「雇用」ではなく「仕事」だと私は考えています。そして状況に鋭敏に反応し、試行錯誤から何かを学び取り、その中で自分自身で、自分を成長させながら、自分自身とは何かをつかみ取っていくこと。これが本来の仕事だと考えているからです。本来の仕事は、どんなに単純で肉体作業に見えても、手と足と頭を使い、その人をより鋭敏にするものだと考えます。ではこうした仕事を創り出すことができるのは「起業家」という特殊な人たちだけなのでしょうか。

 私の実家は、私が小学校4年生ぐらいから飲食店業を始めました。当然のごとく私自身も中学卒業まで学校のない時は皿洗いをしていました。私の憧れはホールで働くベテランのパートさんでした。中学を卒業した夜、「もう中卒やからホールにたってもええで」といわれたときの喜びを今でもよく覚えています。それからも本当によく怒られましたし、長い間半人前扱いでした。理由は単純で「言われたことしかできない」からです。常連さんの注文を覚えているのは言わずもがなのこと。初めてのお客さんであっても、目線で何を欲しているのか察するのが当たり前。やることがない時間というのはあり得ず、絶えず次の仕事、次の仕事を考える。お客さんの無理は無理として、別の方法でかなえられないかを考える。それで一人前。おしゃれなスーツに身を固め…というような仕事でも、世界を股にかけて…という仕事でもありません。が、私にとって働くことの原点はいつもここにあります。なぜなら、私が初めて「自分で考えて仕事を創った」ところだからです。仕事を創るといっても非常に単純なことです。ある日お客さんに「ここ、お酒おいてないんか~」と言われ「お酒はおいてないんですけど…レモンティーやったらブランデー入れてます」「ほしたら、多めに入れてきてくれや」。こんなことです。けれど、自分で考え、試行錯誤してやってみたことです。結果的にこの時は、このお客さんは喜んでくれました。けれど数知れない失敗もし、その結果を評価され…という過程を繰り返す日々でもありました。そのたびに、自分の思い込みや勘違い、画一化した硬直した態度を悟らされ、臨機応変に柔軟に対処しつつも、どこか一線はキチンと守らなくてはいけないことも感じさせられました。外から見れば単純なパート労働でしか有りませんが、私にとっては私を育ててくれた「仕事」であり、その仕事を創ったのは、私の周りの人々と私自身だったと思っています。

 そして今、学生たちと一緒に里山で農作業をやっています。里山の農家さんも、ベテランのパートさんと同じです。竹林から竹を切り出して、田植えのための定規を作る。石垣を積み直す。ちょっとしたエンジントラブルなら自分で修理する。百姓というのは「百の姓」の略でそれは百の生業を現していると聞いたことがありますが、里山の農家さんを見ているとなるほどと思います。その農家さんたちですら、「農業は何年やっても、一度として同じ事がない」といいます。だからこそ毎年工夫が必要なのだと。こんな農家さんの元で、学生たちは叱られながら(あきれられながら)農作業をしています。その中で、本当に頭がいい学生はやはり自分で仕事を創っていきます。どうすれば効率的に草刈り機を操れるか。どうすれば自分の身体を楽に使っていけるのか。教えられたとおりにやるだけでなく、色々と自分で試し始めます。最も自分にあったやり方を発見し始め、続いて周囲を見回す余裕を持ち始めます。そうなると今度は次から次とやってみたい事柄が増えていきます。こういう循環にはまった学生は、自分で仕事が創れる学生です。別に起業をしなくとも、どの会社に行こうとも、どんな部署に行こうとも、自分なりに仕事を創ることができ、仕事を通じて自分自身を磨き上げ、新たな自分を育てることができると思っています。

 翻って、「雇用創出」事業はどうでしょう。適性検査を受け、面接セミナーを受け、就職対策講座を受け、そして就職した人たち…。彼らや彼女たちは「仕事に就く」訓練は受けても、「仕事を創る」事が何なのかを体験することがあるでしょうか?インターンシップも同じです。大概のインターンシップではやるべき事柄は、あらかじめ用意されています。どんなに学生の創意工夫を歓迎しますといっていたとしても、それはその企業があらかじめ想定した枠、企業が身を切るような失敗を起こさない枠の中での話です(多いのは、学生の意見を取り入れた新製品開発企画でしょうか)。ちょっとした成功体験や失敗体験をすることでしょう。けれど、定められ、与えられた仕事に就くことに終わってしまうのではないでしょうか。なぜなら、「自分で最初から考え、試してみる」というステップが省略されてしまっているからです。どこかの誰かが考えた枠組みや仕組みの中で、その筋道にしたがって動いていれば、無難に職に就くことができる。いったん職に就けば、またどこかの誰かが与えてくれた仕事を遂行していればよい。雇用創出事業が想定している「雇用」はこれではないかと思うのは、私の勘ぐりすぎでしょうか。でも、そう勘ぐりたくなるほど、雇用創出事業は手取り足取り懇切丁寧なプログラムになっています。

 実はミルの時代にも労働者の悲惨な状況を救済しようとする多様な動きがありました。その中の一つに工場主が労働者用の住宅や教育設備を整え、労働者の生活の安定と健康を計るというものがありました。ところが、ミルはこうした計画に大反対の論陣を張ります。理由はただ一つ。労働者を奴隷にするものだから。衣食住のすべてを雇用主が面倒を見るとしたら、労働者は何も考えなくてすみます。けれども「自恃心」を喪失する。ミルは自恃心を人間の美徳がそこから進展する根っ子であると考えています。自らを恃む心。自分で考え、自分で何かを作り出そうとする意欲。その元となるものが自恃心なのです。すべての事柄を誰か他人に委ねてしまったとき、この自恃心は完全に喪失します。いえ、すべてでなくとも、自分に関する事柄、自分が決定すべき事柄を他人に委ねたとき、自恃心はゆっくりと衰退していきます。

 自恃心を保ち育てる唯一の方法。それは「自分で考え、決定すること」そして「失敗すること」。失敗は自分の今の限界を一番よく教えてくれる教師です。そして失敗を重ねてトライすることで、いつかその限界を突破することができます。ミルが雇用関係の廃棄disuseに期待したのは、単純に起業社会を目指したからではありません。すべての人が、自分で考え試行錯誤し、失敗し、そしてその中から限界を突破する方法を生み出すこと。自恃心を育てること。そのために「仕事を創る」こと。彼が求めたのはこれだったのではないでしょうか。

 雇用創出事業は懇切丁寧に、失敗しないように若者を導こうとしています。けれど失敗した経験が無ければ、失敗することはとてつもなく怖いことになります。失敗するよりは、他人に言われたとおりに動いていよう。そうすれば失敗は自分の責任にはならない。そうして人は失敗を畏れる余りに、自分で考えること、自分で試すことをやめていきます。与えられた仕事を遂行することはこれに似ていないでしょうか。そしてミルはこうした雇用関係の中で、労働者は考えない奴隷になるのだというのです。

 「仕事に就く」、「仕事を創る」。皆さんはどちらが好きですか。

信頼と縁

ある著名な(でもやたらめったら難しい言葉を駆使する)ドイツの社会学者にいわせると、信頼は「複雑性の縮減」なのだそうだ。これだけだと何のことやらさっぱりだけど、ようは「世の中先のことはわからんけど、とりあえず明日も今日とあんまりかわらんやろうとおもといて、ええんやろう」ということらしい(私流の解釈)。対人関係に敷衍すれば「この人は〇〇な人やから、お金を貸しても大丈夫やろう」ということになる。

 「貸金が返済される」かどうかには、いろいろな要因が絡まってくる。借りる人がまじめな人であっても、勤めていた会社が急に倒産したり、本人が大事故にあったりすれば、返済に支障を来すだろう。借りる人がまじめな人かどうかという判断もまた難しい。待ち合わせ時間を厳守するからといって、返済期間を厳守するかどうかはわからない。まじめに見せかけているだけかもしれない。…と種々の要因を考えると、決断を下すことはできない。だから、その時代その社会で(あるいは一人一人が)「○○」にあてはまる標識を設定しておいて、そこで複雑な要因を十把一絡げにして(つまり縮減して)、決断できるようにしておく。これが信頼の原理だというわけだ。

 そういわれてみると確かそうで、何事かを判断したり決断したりするとき、訳が分からないところを「まぁ今までこうやったから」と状況や制度を「信頼」している場合が多い。先ほどの貸金の例でいけば、かつては土地神話といわれるほど土地(地価の上昇)への信頼が大きく、「土地を持っていれば」お金が借りられるという状況があった。本来であれば、借り手の事業の内容、将来の見通し、本人の経営技量等々に加えて、予想もつかない将来の景気動向も勘案して、融資を判断するはずなのだが(理論的には)、そうしたデータは収集するのに膨大なコストがかかるし、中には手に入らないデータもある(経営者本人がどれだけ経営に熱意を持っているかなど、本人にもわからないデータだ)。だからこそ、地価が右肩上がりの状況が継続していた時代では、土地を持っているということが、こうした複雑な事柄を十把一絡げにしてくれる良い判断基準だった訳である。

 けれども昨今、こうした「従来のやり方」への信頼が大きく揺らぐ事件が立て続けに起きている。まぁ土地神話が崩壊してからもう20年以上がたつ訳だから、若い人には関係ないだろうが、食の安全性や突発的な自然災害、安全といわれ続けてきた原子力発電所の「事故」(これは福島だけのことを指しているのではない。原子力船「むつ」をはじめとして、ずいぶんといろんな事故や事件が起こったのだけど、今回のことがとどめだったとはいえる)を思い浮かべてもらえれば良い。いずれも「従来は安全」「今までだったら無事だったはず」のものが崩壊した事例といえる(そういう意味では「想定外」は本心から出た、そしてまさに端的な言葉だったのだと思う)。そしてどの場合にも不思議なことに、一般的な反応(あるいはマスコミが求めている反応)は責任のある誰かを糾弾するという他罰的なものになっている。

 そこでふっと考え込んでしまうのだ。もしかして、今私たちは「信頼」を「他人任せ」の同義語にしているのではないだろうかと。

 森巣博という人がある本でこんなエピソードを披露している(以下は私のうろ覚えの記憶に基づく記述なので、細部では異なっていると思う)。転居の際、転居先の家具の手配等一切合切をある人に任せた。もちろん大金をつけて。そして転居してみると、森巣氏好みの家具がそろえてあるばかりでなく、冷蔵庫には1週間分ほどの食料が入っていた。さらにテーブルの上には、すべての領収書と残金が残っていた。通常ならば「感謝感激」で終わるエピソードなのだが、森巣氏は相手の有能さに感心し、感激しながらも、領収書を残していることに憤激する。彼は信頼した以上、そのお金がどのように使われていようがかまわないのだと考えている。逆に言えば、持ち逃げされたとしても、それは信頼した自分の落ち度なのだと。だから領収書の存在に自分の信頼が甘く見られたと怒るのである。

 池波正太郎氏はエッセイの中で、昔は10万程度(今の金額に直して)を常に現金で用意をしており、困った親戚や知り合いが自分を頼ってくれば、何も言わずに貸していたものだという話を、郷愁と昨今の世知辛さへの批判を込めて語っている。

 この二つのエピソードの共通しているのは、信頼する側の責任あるいは覚悟だと私は思う。信頼には「裏切り」が伴う。いや、元々信頼できるかどうかわからないものを、あえて「信じる」のであるから、信頼はその根本からしてリスクの高い行為だといえる。しかしこの信頼がないと、人間社会は成立し得ない。

 契約を締結すればいいのではないかという人もいるだろう。が、契約を交わしたとしても、その契約を守るという契約がなくては確実ではない。そしてさらにまたその契約を守るという契約を守るという契約…と無限後退が生じる(はずだ。理論的には)。しかし現実には契約は1度で終わる。それは互いに契約は守られるものと信頼しているからだ。契約と法体系に支えられている市場取引も、根底には法は遵守されるはずという信頼がある。この信頼も本来は根拠がない信頼だ。とはいえ現代でこうしたリスクを日常感じることはない。法や制度、さらにその制度を実行する主体である政府が、信頼を担保していると思っている。信頼につきものの複雑なリスクを政府や制度によって縮減していると思っていると言い換えてもいい。

 そして今、私たちは縮減したはずのリスクが、縮減されるどころか増大したかのような事態に直面している。だからこそ、リスクを縮減していたはずの制度や政府の中に、責任を追及し処罰できる他者を見つけ、その他者を処罰することによって、事態を安定化させリスクを抑制したように思い込もうとしているのではないだろうか。けれど他者を処罰したからといって、信頼が回復する訳でも、信頼に伴うリスクが軽減される訳でもない。単に私たちが思い込んでいた信頼の担保が幻にすぎなかった、信頼することに伴う覚悟がなかったのだということが露わになるだけだ。

 私たちはもう一度私たち自身で、信頼することのリスクを引き受ける覚悟を決めなくてはいけない時代にさしかかっている。とはいえ、それは羅針盤がないまま大海を航海するような、そんな頼りない、寄る辺のない時代ではない。「縁」という言葉がある。私は昔の人が信頼と信頼に伴うリスクを、この言葉で表現していたのではないかと思う。縁には良・悪がある。奇縁・因縁など偶然性の高いものもあれば、地縁・血縁など固着性の高いものもある。縁は誰かに担保してもらうものではなく、自分で判断し、自分で紡いで、自分で育てていかなくてはならないものである。そしてそれでもなお、前世の因縁などといわれるように、身に覚えのない悪縁に巡り会うこともある。それもまた「縁」として引き受ける。そういう覚悟が詰まった言葉なのだと思う。自分の現在の利益のために結ぶ縁もあってよいと思う(現今のSNSもこれかもしれない)。が、「縁は異なもの粋なもの」。奇縁に身を任せ、縁に引き寄せられるまま、客観的には損になるような出来事に身を投じるのも、縁の活かし方である。

 縁は制度や法律よりもはかなく壊れやすい。常時手入れが必要なものだ。だが大きなものによるリスクの縮減を信じないのであれば、自ら信頼のリスクを背負うのであれば、縁を結ぶこと、縁を築き上げること、縁を育てること、そしてあえて縁を切ることを恐れないことが必要なのだと思う。

 信頼と信頼のリスクを感知しつづけ、その上でなお縁を結び続けることが、他人任せではない、自分なりの信頼の基準を作り上げることにつながるのではないかと思う。どこかの誰かがいったから無農薬野菜が良い、天然物が良いと信頼して裏切られた場合と、縁でつながって信頼している人が無農薬がいいよといって裏切られた場合と、一時的な精神的ダメージは後者の方が大きいだろう。けれども前者の場合は、誰か見も知らない他人の責任でしかない。声が大きかったから、マスコミに出ていたから信じた。悪いのは自分ではないと思うことができる。だからきっとまた同じことを繰り返すだろう。自分は悪くないのだから、裏切られたことから学ぶ必要はない。後者の場合は、縁をつなげて信頼した自分の責任が出てくる。同じことを繰り返さないために、何らかの工夫、作法を身につけなくてはならないと思うことだろう。本当に信頼できる縁を結ぶための作法を。この作法が信頼性の基準点になるのだと私は思っている。他人任せではない、自分自身の中で築いた、でも縁に基づいて築いているから融通無碍な基準点である。そういう基準点を羅針盤にしていれば、何を信頼して良いのかわからない不確実な…といわれる世の中も、案外簡単に航海できるのではないかと思っている。

成功?失敗?

この頃の若者は失敗をおそれ、小さくまとまりすぎるという苦言をよく聞く。その一方で、何事かを為そうとすると、次のような問いが発せられる。「成功の見込みは?」。この問いに対して、やってみなければ分からないと答えると、無責任と言われる。見込みがあると答えると、「どれだけ」と数値化を求められ、その根拠を問われる。けれど、こうした問いは本当に意味があるのだろうか。

 未来に向かって、何かをしようとする時、特にそれが今までやったことのないものである時。人間はそれが成功するかどうかの見込みだとか確率だとかを計算しているのだろうか。難しく考えなくてもいい。初めての愛の告白。その時、あなたは、好きな人があなたの思いに応えてくれる見込みを、計算していただろうか。その人が、あなたの思いに応えてくれる確率が30%だといわれて、あなたは恋をあきらめることが出来るだろうか。

 私は、人間が行う新奇の試みはすべて恋愛の告白と一緒だと考えている。やってみるまで結果は分からない。見込みだとか確率だとかで行動するのではなく、自分の心のありよう、決断の仕方で行動している。そしてその結果もやはり「成功」「失敗」ではとらえきれない。もしなにか結果が残るとすれば、それは「経験」でしかないと。そんなバカな。事業は利益を上げるかどうかで成功と失敗が決定されるではないか。新しい試みであれば、それが社会に受け入れられるかどうかで、結果が判断できるではないか。それを単に「経験の積み重ね」だなどとなんと甘いことを、という反論が聞こえてくる。

 確かに、今まではそうだったのかもしれない。投資家は投資した資金に見合うリターンを金銭に換算し、そのための保証を求める。融資はなおさら、他人の金銭を預かっているのだという理屈を振りかざして、いっそう確かな裏付けを求める。けれど、それで本当に「新しい」ものを生み出すこと、あるいは新しいものを生み出す「支援」が出来るのだろうか。見込みや確率が計算できるのは、既知の知識の延長線上にあり、その知識の延長戦で理解可能なモノだけだ。今、私はパソコンを使って原稿を書いている。ほんの100年前の人にこの事を分かってもらうには、どう説明すればいいだろう?キーボードを、マウスを、いやそもそもパソコンという機械そのものを、何に例えればいいだろう。その成功の見込みを納得してもらうことが出来るだろうか。「新奇なもの」というのは、既存知識の延長線上ではないからこそ「新奇」なのだ。その新奇性は既知のものや確率計算からははずれたところにある。だからこそ、新奇性にかける人間性をケインズは「アニマルスピリット」とよび、シュンペーターは「アントレプレヌール」と呼んだ。それは確率と既知の世界からは、予想も出来ない事柄であるからだ。それは新奇なもの、新奇な事柄を起こす人だけではなく、その新奇なことを評価し、それに賭けようとする周囲の支援者にも当てはまる。支援者は「おもしろいから」「惚れたから」支援する(実際、アメリカ等の個人ベンチャー支援者は、ベンチャー起業の収支計算書など見ないという。彼らがもっとも重んじるのは事業コンセプトであり、なぜその事業を行うのかという動機だそうだ)。

 けれど、こう書いてしまうと、まるでそれは「特別な才能」をもった人による「特別な出来事」であるかのように思えてしまう。Think Differentと言えるのは、そしてそれができるのはスティーブン・ジョブズだけかのように。だからこそ、最初に愛の告白の例を持ってきたのである。もちろん、世の中のあり方を変えてしまうような「発明」とか「発見」というのはある。でも、なのだ。

 「大阪城を造ったんは誰や」「そんなん秀吉に決まっとるがな」「あほいえ、大工じゃ」という大阪のベタなギャグがある。そう、大阪城を造ろうと考え、命令したのは権力者であり、特別な人間かもしれない。けれど、実際の石垣をどう積むのかを一番よく分かっており、あの見事な石垣を造ったのは石工である。彼らの営みは名前付きでは残らない。里山で農作業をしていると、尋ねる人毎に、地方毎に、呼び名の違う農機具によく出会う。それは、その地の誰かが、いつともしれず工夫し、やがて多くの人が使うことになった道具である(そして土地が異なれば、非常によく似た機能を持ちながらも、その土地に似合った農機具がいつの間にか生まれる)。

 こうした日常の工夫を重ねたのは、ごく普通の人々である。彼らは毎日の仕事の中で、「もうちょっとどないぞならんやろか」と問いかけ、工夫をし、新奇なものを生み出していったのだ。それは大きな新奇性ではない。けれど、それを生み出す時に、そうした人々も、きっと「成功」とか「失敗」という言葉で自分の工夫を考えていなかっただろうと思う。ただひたすら「こうやったら、どうなるやろう」「もうちょっとこうしたほうがええやろか」という試行錯誤の連続だっただろう。そしてできあがった道具や仕事の手順なりを、次の世代が引き継ぎ、また新たな工夫を重ねる。そのときも「爺さんはこうしとったけど、ちょっとな~」で工夫が始まったことだろう。それでうまくいくときもあれば、うまくいかないときもあっただろう。うまくいけば、新しい道具、やり方として根付くだろうし、うまくいかなかったからといって、何か責任を問われることもない。本人もせいぜい時間を無駄にしたと思うか、逆に「ええ経験したわ」と思うかのどちらかだったろう。

 いったい何時から人間の営みを「成功・失敗」の二分法で評価するようになったのだろう。成功とか失敗とか誰が決めるのだろう。失敗や成功は、ある人のある時点を切り取り、第三者が何らかの指標(会社が上場したとか、一流大学に合格したとか)を外から当てはめて判断する言葉でしかない。いつの間にかこの「外の第三者」つまり「世間様の常識的」物差しによる判断が、物事の基準としてまかり通りようになっている。それが「成功と失敗」の二分法なのではないだろうか。でも、人の一生や、営みは、連続写真では捉えきれない。自分も周りも変転していく中で、即時にそれに対応しながら、延々と時と経験を重ねる。その連続の中では、今日の成功は次の失敗であり、昨日の失敗は明後日の成功なのかもしれない。というよりも、成功も失敗も意味を持たないというのが本当のところだろう。もし、成功とか失敗という言葉が意味を持つとすれば、結果をいかに受け止めたかという点だけだと思う。

 人から賞賛されて舞い上がり、あたかも自分自身の力だけでその結果を勝ち取ったかのように思い込む。逆に賞賛の言葉を拒否してしまう。思うように結果が出ず、人からなんだと軽蔑されそうになったときに、「俺が、俺だけが悪いんじゃない」「あいつがあそこでちゃんと仕事をしてれば…」「運が悪いんだ」といいわけをする。このどちらのスタンスも次には何ももたらさない。自分の行動の結果を受け入れていないからだ。逆にほめられたときは素直に受け取り、自分の協力者にもそれを伝え、どこが良かったんだろうと考える。結果が出なかったら、どうしてそうなってしまったのかを事実ベースで考える。結果をまともに受け止め、その原因を「誰か」がしたことではなく、「何が」その原因となったのかを考える事。そうすると、その結果は次に活かすことができる。ただし同じ事は二度とは起こらないから、あくまでも次の出来事に対処するためのヒントが重ねられていくだけでしかない。肝心なのは、そうしたヒントの引き出しをたくさん持ち、そこからどれだけの対処方法を引き出していけるかだ。天才とか、世界的な起業家と言われる人は、ある出来事に対処するヒントを引き出しから引き出すのに秀でているか、一つのヒントから数万の対処方法を思いつける人だと思う。でも、私のような凡人でも一つ一つの経験を大切にすれば、「次は…」というヒントを積み重ねていける。そしてその一つ一つを大事にしていけば、自分にできること、できないことがわかってくる。自分の思いを伝えやすくなっていく。自分ができることがわかり、思いを伝えることができれば、一緒に仕事をしている仲間とも共有できること、委ねられることが多くなる。信頼関係が生まれる。

 本当に小さな事かもしれない。けれど、歴史を、社会を動かしてきたのは、こうした小さな動きの積み重ねでしかないのだ。龍馬や秀吉も一人では何事もできない。仲間がいても少数であれば社会は動かない。社会が動くとき、それは小さな動きがいつの間にかシンクロするときでしかないのだ。だからこそ小さな営みの中で、一つ一つの経験の積み重ねを大事に受け止めることが一番大切なのではないかと思う。

女性の自立って何だろう

あらためてタイトルにしてみると、「何を今更、経済的自立し、個人として自立することでしょ」という声が聞こえてきそうな気がする。経済的に独立できる稼ぎを有していて、自己をしっかりと持ち、職場だろうと家庭であろうと、誰とでも対等に渡り合える…そんな女性像が浮かび上がってくる。

 でも、こうした女性像を描かれるとちょっと引いてしまう人もいるのではないだろうか。男性が…ではなく、女性自身がである。統計は冷静事実を語ってくれる。相変わらず女性の平均給与は男性の7割だ。家事育児等の家庭内労働に費やす時間にいたっては、男性は女性の10分の1程度。「だから今こそ声を上げなきゃ!」といわれるかもしれない。けれど、現実に育児に介護に仕事にと「頑張らざるを得ない」女性にとって、その声はなんだか遠くから響く別世界の声のように聞こえるのではないだろうか。経済的に自立できる所得を得て仕事に邁進する一方、パートナーがいれば、育児や介護も平等に分担する…そんな理想的な生活なんて、私にはとうてい無縁のこと、どこかのエリート女性のことでしょ。そんなつぶやきが聞こえてくるような気もする。

 目指すべき理想は、無いよりは有ったほうが良い。けれど、目指すためにはどこかから始めなくてはならない。そしてその「どこ」は統計に現れたところ、頑張らなくてはならない羽目に陥っているところでしかあり得ない。

 損である。正直何もかもまっさらにして、新しい社会を!!と求めたくなる。でも、ここからしか始まりはしないのだ。かつてボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と宣言した。それは女性らしさが社会的に作られることをうたった高らかな宣言だった。けれど、人は「女になる」のだとしても、既に生きている私たちは「女になって」しまっている。自覚しているかどうかはともかくとして、私たちは自分の振る舞いを、行動を、生き方を「女性」という規定の中で、あるいはそれに逆らいながら決定している。私たちは今ここで女性であることから逃れるわけにはいかない。

 19世紀、J.S.ミルはその時代の女性を表して、次のような面白い例えをあげている。
–ここに一鉢の植物がある。この鉢の半分を日当たりの良い温室で育てよう。そしてその半分を日陰の寒風にさらして育てよう。出来上がるのは何とも奇妙な植物になることだろう。「女性特有の性質」「生まれもっと女性の性質」を言い立てる人たちは、こうして育てられた植物を見て、「その植物の持って生まれた性質どおりに育った」ということだろう–。ミルもまた、女性が「女になる」事を認めていた。けれど、彼はその奇妙な植物を否定し、新たな植物として、理想的な植物としての女性像を提示することはなかった。女性は、「優しく、柔和で、温かく、従順に」と育てられた。その当時、中産階層以上の女性にとって、手に職を持つなどということは自らの身分を落とすこと以外の何者でもなかった。温室で育ったのは、優美で、華やかだけれども寒風にさらされるとひとたまりもなくその色を失うかもしれない花だった。その一方で、女性一人一人が持っていたかもしれない大胆さ、勇気、強情さ、決断力は、寒風の中で見るも無惨にやせ衰えてしまった。こうした彼女たちに、「手に職を持て」「社会に出て自活すべきだ」とミルはいわなかった。むしろ女性の前に「現在有るような(男性が就いているような)職業と、家庭との二つの選択肢が開かれるとすれば、私はどちらかといえば女性は家庭を選ぶのではないかと思う」といっている(お陰でフェミニズムからはとんと評判が悪い)。

 ミルは社会的にその性質をゆがめられてしまった女性を、やはり家庭の中で保護すべき存在と見ていたのだろうか。もう少し彼の考えを聞いてみよう。上の例えが出てくるのはミルの『女性の解放』という本である(ただし原題は『女性の隷従』)。そしてこの本の主題は「家庭内の権力関係」である。男性が結婚という鎖で、女性を奴隷にしているのが今の家庭だというのが、ミルの主張である。より正確には奴隷よりもはるかに劣悪な状態であるという。なぜなら奴隷は、主人の前から下がれば自分自身の時間を持てるが、家庭の女性はそのすべての時間を夫という彼女の主人のために捧げることを求められるからだ(それにはもちろん男女間の性行為もふくまれている。デートレイプとか家庭内レイプといった言葉はない時代だけど、ミルは女性が家庭内で望まない性行為を強いられている可能性をはっきりと書いている)。そしてこの主人対奴隷の関係は、奴隷を奇っ怪な植物のような存在にするばかりではなく、主人である男性の性格をもゆがめてしまうという。男性は「男」というだけで、常に選りすぐれた存在であり、自分の望みが叶えられる存在として、家庭で育てられる。そして社会に出て行く。その結果、社会の中は「おれこそが1番」「俺のいうことを聞かなくてどうする」というエゴとエゴのぶつかり合い、他人を蹴落とし先に行くことが当たり前のエートスが蔓延してしまっている。

 これがミルが家庭内の権力構造から導き出した社会の構造である。

 さて、こうした「社会」に女性が進出するということはどういうことになるだろう。周囲は圧倒的に男性社会である。女性は当然ながら、その男性社会のエートスを身につけていくことだろう。いや、身につけなくては社会で生き延びることはできない。寒風にさらされて縮こまっていた勇気や決断力は、他人を踏みつける勇気へ、他人を出し抜く策を決断する力へと発達を遂げるだろう。そして温室の中で育っていた柔和さ、他人への思いやりは、社会では不用の物としてその花を摘み取られるだろう。それは本当に望ましいことなのだろうか。社会は「女になる」事を求めなくなるかもしれない。けれど女性に「男になる」事を求めるようになるのではないだろうか。そしてもし、家庭内の権力構造が根本から変わらないうちに、女性が社会進出するとしたら…女性は「女になり」ながら「男になる」事を求められはしないか。ミルが危惧していたのはこのことではなかったかと私は思う。

 というのも、ミルは家庭内での教育に人間性の陶冶を託しているからだ。家庭内教育といってもいわゆる学業ではない。美を感じる心、いとおしさや愛情、思いやり…人としての美質を養うことである。そしてこれまで「女」のための物とされたこうした美質を、男も身につけ学ぶことを求める。それは生き馬の目を抜く資本主義的な社会を根本から作り替えるために必要な、人間を形成するためである。その役割を今まで「女」としてこうした美質を押しつけられて育てられた女性に期待するのである。それはミルが女性に対して、社会をよりよい物にするために期待した役割であり、彼女たちの生活の核として提示しものでもあった。

 さぁ論を現在に戻そう。私たちは「今、ここ」から始めなくてはならない。理不尽さや何重にも背負わされている役割を持つ今、ここ。その中で、あなた自身が最も大切にしたいことは何なのだろう?女だからという言葉も外し、逆に男女平等なのだからという思いも外し、ただひたすら自分の中を探ったときに、あなたの核になっているものは何だろう?難しい問いといわれるかもしれない。ではこう聞き直そう。「あなた自身が、あなた自身に対して絶対に許せない、あなたの行為とは何?」。これはある小説で出てくる言葉。推理小説作家として世評は高くなったが、自分の作品の方向性や男性との対等のつきあい方に悩み、故郷といえる大学に帰ってきた女性に対して投げかけられた言葉。彼女はこんな答えを出す。「私が絶対に許せないのは、私自身がつまらない駄作だと思っている作品を義理に駆られてほめること」。彼女にとっての核は「作品の質」だった。そこから彼女は自分の小説を徹底的に見直すというきつい作業に手を染めていくことになる。あなたにとってはどうだろう。会社の仕事、家庭での喜び、地域社会での交流…そんな漠然とした答えではなく、あなたが絶対にあなた自身に対して許せないあなたの行動。それがあなたの核だ。今、ここにいる、ここで生きている、あなたの核だ。 そんなことをいわれても…結局それって「本当の私」探しなんじゃないの?といわれるかもしれない。私はそう思ってはいない。核はどこかにいる、どこかにある「本当の」「理想の」私の中にはない。今の私の中にしかない。だから「今のあなたにとって」と聞いてみて欲しいのだ。

 その核を、今ここから育てていこう。女性全員に通じる理想の姿など無い。無理に肩肘を張って生きる必要もなければ、理不尽さを堪え忍ぶ必要もない。男であれ、女であれ、余計な物を取っ払って、自分自身の「核」を捕まえること。その核を自分の瞳のごとく大事に持ち続けること。今すぐに芽を出さなくても、今すぐに花を結ばなくても、その核を抱き続けること。そしてその核の存在を、周囲の人に伝えること。それが、「今、ここ」から始められる第一歩だと私は思う。蛇足だけれど最後に一言。核は変化してもいい、嫌きっと変化して行くのだろうと思っている。