カンボジアが雇用 50 人の組織に変わる  私も変わる

CWB     奥谷京子

「働き学ぶ」をコンセプトにしていたプーンアジ・アジア村。今年度、手取り足取りだった幼稚園状態か ら、創造的な競争にステップアップすべく、カンボジ アの首都・プノンペンンで起業ビル・チュナイマーケ ットをプーンアジ卒業生で始めた。しかし、甘やかし てきた体質は抜けず、停滞している。私も日本がベー スになって、日々の現地の動きが見えないし、苛立ち ばかりが募るが、圧倒的コミュニケーション不足であ ることは承知していた。

今回訪問して、大きく再編することになった。みん なが仲良く暮らす寄宿舎ではなくて、自立に向けて本気で動こうとする若者だけが残る場所でよいという、 大胆な方針の切り替えだ。

さもなくば、単に都市部の学校を卒業するためだけ の伝統ダンスの育成所だけになってしまう。ここで汗し学びコミュニティ意識を育成するという目的には 当てはまらない、と。近くに働く場所もないし、外に 働きに出かけられない地域のお母さんたち、あるいは自分たちの文化を守ろうとしているクイ民族の地域の人々のほうが仕事を作り出すことを渇望している。 その足を引っ張ることになりかねないと言う危機感だ。

そこで私は何ができるか、デン君と話した時に必要なのはいろんな知恵や新しい価値の作り方の技術だ、 と。今後会計などのバックヤードと共に、現場でさらに加工、IT、農などで起業に向けた取り組みを一緒にしていくことだ。今までの関わりは部分でしかなく、 あくまでも脇役に過ぎないことも感じていた。

お金に関して会計ももちろん必要でもあるが、特に ヨーロッパが熱心なのはそういうコミュニティ開発 のためにお金を出すという NGO がいくらでもあるこ ともいまさらながらわかった。確かにこの 10 年、私 もアジアに軸足を置いてから、こんな村でもインドネ シア語を話すドイツ人がいるのかなど、いろんな小さ なところにもヨーロッパの人々は入り込んでいる。もちろん布教のための人もいるが、それだけではない。 そして地元の賢い若きコミュニティリーダーを単に お金漬けにするのでは彼らを自立から遠ざけるのと 同じだ。やはり自分たちの力でビジネスにしていける 事例を日本ではやってきた。その販路ももっているこ と、それが私たちのできることなのだと実感した。

これからのアジアでの新しいステージでは日本へ 売ることだけを見ていない。詳しくは次号に紹介する ことになるが、国内、ASEAN 内、ヨーロッパ、日本も 可能性があればどこにでもという形で進めていくこ とになる。奇しくも 5 月は日本でサミットがあったが、 国単位であちこちに援助の約束をすることが国際貢 献ではないことはみんな承知している。日本人一人ひ とりがどこで貢献できるのか、これを改めて突き付けられた。私も変わる。

文化・コミュニティを発信、Pteah Chas 1957がオープン!

CWBカンボジア 奥谷 京子

 昨年12月、プノンペンへ準備のために入って事務所としてオープンさせるために必要なものを買い揃えたりしたのですが、その後入口もガラス扉だったものを全面的に変えて素敵な場所へと生まれ変わりました。今年2月4日にオープンして以来、私も初めて訪れたわけですが、空港からトゥクトゥクで店に向かって通り過ぎるくらいおしゃれになっていました。

 昨年9月にソペアックさんと出会い、このビルを借りることを決めてから、プーンアジの3人生徒(ティー・スレイリャック・若ソペアック)が専門学校・高校を卒業して、その後プノンペンのカレッジでさらにITやデザインのスキルを磨きながらお店を運営して自立していくことになりました。

 しかし彼らは田舎出身の10代の若者で、唯一スレイリャックは実家で売店をやっているのでお商売に接したことがある程度で、ずぶの素人もいいところ。試作をして原価計算をすることなどもやったことがない中でちょうどミャンマーのスーがカンボジアに来てくれたので直接教えてくれて助かりました。

 地域のいいものを仕入れて都会に売ると言っても何がいいのか、そこも遠隔で日本から中原さんが全面的にサポートに入り、また現場ではソペアックさんがブランドづくりや内装、そして入居者のアレンジなども手配をしてくれました。Pteah Chas(プテアチャ)とは古きよき家という意味で、通りを挟んで向かいにあるソペアックさんが最初に始めたビルも1Fが園芸店、2F・3Fはスタートアップのグループ(縫製、野外活動のNGO、下着づくり、デザインなど)が入居し、吹き抜けの階段を上がった3Fには素敵なカフェ、4Fには展覧会ができるスペースもあり、いつも外国人でにぎわっています。そことうまく連携できるような形でこのビルも始まりました。

 1F手前はChnai Market(チュナイ・マーケット)です。ネーミングはいろいろと案を出して最終的にクメール語になりました。Chnaiとは“原石、よいもの”という意味です。ここでいいものを発掘してほしいという現在は半分の壁は地元でコミュニティのために熱心に活動するアーティストの作品が飾られ、さらには環境にやさしい商品を集めたZerow、女性が作っている編みぐるみ、そして我々の活動拠点であるコンポントム州で作られた手工芸品やカシューナッツ商品、さらには赤米などが売られています。

 また現在人気なのはスレイリャックがスーと1月から試作して準備していたベアマフィンとカシューナッツを使ったクッキー。そして先日、日本の大学生がプーンアジ訪問の翌日に来てくれた時にカシューナッツシェイクを提供しましたが、とても美味しい!と喜んでくれました。カシューナッツの産地、生産者だからこそできることが私たちの強みではないかと自信を付けました。

 現在3人が役割分担をしてこのお店番を担っており、LoyverseというPOSレジのシステムを導入しました。これによって日々いくら売り上げたのかを日本からでも毎日チェックすることができています。

 まだお店の中が閑散としており、ほしいと思う商品の選択肢を増やしていかなければいけないのが課題です。そしてカシューナッツシェイクやバターサンドなどがあるということも目立たなかったので、もっとアピールする必要もあります。私にいた数時間でも外国人のお客さんが何組か見に来てくれましたので、英語でもっと会話ができるように努力が必要です。

 まさにお店の運営というのは“働きながら学ぶ”を実践した場所だなと実感します。また、1F奥は4月初旬に若者向けの小説などを多く取り扱う本屋さん“Somnae Store”がオープンし、初日に250人の若者が集まったそうです。

 そして螺旋階段を上がっていくと、2Fは会員制のコワーキングスペースがまもなく始まります。すでにみんなで壁塗りまでは終わっており、あとは什器などを揃えれば始められる状態です。奥には予約制で会議やワークショップができるような場所もあり、仕事を始めたばかりの人たち、またそういう人たちに刺激を受けたい地元の大学生たち、世界を旅しながらホテル以外で仕事ができる場所が欲しい外国人向けにはよいのではないかと思います。

 3Fの手前にある部屋はカンボジアに長らく住んでいるエリックさんという年配のアメリカ人が借りており、ここで週1程度ですが絵画教室を地元のアートを目指す若者向けに開いています。たくさんのイーゼルが立てかけられています。また奥はダイニングスペースにする予定で、2Fのスペース利用者がちょっと休憩でそこでお茶をいれて飲んだり、お湯を沸かしてカップ麺などが作れるような場所を用意しようと準備を進めています。

 さらに屋上はオープンスペースになっていますが、いずれお隣の歯医者さん&大家さんにも協力を要請してエリアを拡大して、ここでクメール舞踊など様々なジャンルのパフォーマンスを披露できる屋外エリアにしていきたいと話しています。この辺りはいわゆる下町で、このビルも1957年に建てられています。日本人にも人気なBKKといった開発地区には20階以上の建物が林立していますが、ここは屋上に出ると邪魔する建物がなくて空が自分のものになった気分になります。ここを使わない手はありません。  街中で始まり、いよいよ田舎と結ぶ実験が始まりました。プノンペンもだいぶ観光客が戻ってきています。この人たちがまた興味をもってコンポントムまで足を運ぶ、その流れを作っていきたいと思います。

ITチームのCWBワールド構想

CWB 松井 名津

 現在、私たちITチームは、CWBグループのコンテンツを統合したいと考えています。YouTubeチャンネルのカンボジア動画、各コミュニティのSNSページ、シビルミニマムの記事など、豊富な情報がありますが、散らばっています。私たちが一つに統合したら、それは大きな力をもたらします。問題は、どのように統合するかです。その第一歩として、WEBサイトをリニューアルします。この新しいWEBサイトをより魅力的で影響力のあるものにして、特に生活を変えたいけど、どうしたらいいかわからない人などを魅きつけたいです。

 まず、強みについて議論していますが、インターネットの世界にはたくさんのサイトがあり、それぞれが魅力を発信しています。多くの人が「社会問題に取り組む」「私たちはコミュニティに根差している」などの言葉を使います。私たちの強みは、さまざまな活動が「使命」や「信条」ではなく、「哲学」に基づいていると考えます。この哲学は、人間に対する一定の見方を前提としているからです。ではこの哲学とは一体何なのか?それを「Inspired Economy」と名付けました。お金は単なるツールまたは取引の媒体の1つです。例えば、野菜を収穫し、余るほどあるので、その野菜をご飯と交換したり、自分ではできないことを誰かに手伝ってもらいます。 もちろん、市場で野菜を売ることができますが必要はありません。人間関係に基づく取引だけで、必要なものを手に入れられるからです。対面でのコミュニケーションが可能な近くの市場や、オンラインで製品を販売することを選択する人もいます。この経済や社会でも互いに競争しますが、最も評価または称賛されるのは、他の人にインスピレーションを与え、気持ちを高めるアイデア、コンセプト、および活動です。つまり、最も共感したものが最も評価されるのです。

 人間は互いに競争する傾向があります。お金が評価する唯一の手段である場合、より多くのお金を得るために他人を押しのけます。しかし、評価ツールが複数ある場合、どうでしょうか。あなたがフィギュアスケート、相手がアイススケートが得意だとしたら、どのように競うでしょうか。あなたとライバルは、他の人をどれだけ刺激したり、自分自身を改善したりするかを競います。それが私たちのInspired Economyの基本概念です。

  これには2つの焦点があります。「Work & Learn」は個人、「Community Work」はコミュニティを設定しました。IT技術を学ぶなど、Work & Learnの側面からネットワークに参加する人もいます。自分自身または自分の家族のためにスキルを上げてお金を稼ぎたいと思っています。その場合、その人は目標が達成できると私たちのネットワークを離れます。より稼ぐよりもコミュニティのために働くよう求められているからです。IT技術は社会に役立つはずです。個々のスキルの側面から始めると、すべてのスキルが自分や他のコミュニティの真の有用性につながることに気付くでしょう。コミュニティ側は入口が2箇所あります。1つはトラストメンバーになること、もう1つはツアー客になることです。いずれにせよ、スキルやアイデアがあり、私たちのネットワーク内で行動したい場合は、より深く参加できます。

 コミュニティと個人の交差点に「社会的共通資本」があります。これは、私たちの未来社会の重要な側面です。 私たち市民は、橋や道路などの社会的共通資本を構築し、維持するために協力する必要があります。このインフラだけでなく、コミュニケーションを構築し、維持します。そして各個人は、自分の生計と自分の意見を持ち、自立していきます。相互尊重は不可欠です。互いに助け合うこともあれば、喧嘩をすることもありますが、もちろん暴力はなしです。無関心は私たちの共通の敵です。

 私たちのウェブサイト、アプリ、すべての IT は、この理念を実現し、促進し、未来社会のモデルとして構成するものです。まず、未来社会を可視化するWEBサイト「CWBワールド」を作ります。

お母さんパワーでカシューの生産力増強

CWBカンボジア 奥谷京子

 今回カンボジアで最初に訪問したのは私たちの畑のあるSCYだった。SCYとはSambor Community Youthの略で、サンボーという地区で若い人たちが農の仕事を行っていけるようにということで始まった活動で、現在はカシューナッツの栽培、牛を飼い、さらに太陽光発電を使って鶏の孵化をさせて育てるなど、様々な活動を行っている。

 私が訪問した3月はじめ、2023年のカシューナッツの収穫が始まっていた。みんなで熟れたアップルから固い殻に覆われた実を一つ一つとっていく。それをよく乾燥させて、1年分の製造のためにストックしていく一大仕事だ。その後どうやってあの乳白色のカシューナッツが日本に届くのかは以前にも紹介したことがあるが、殻割、薄皮剥きなど様々な工程を経る。これまでカンボジアのカシューナッツはインドやベトナムなどに持っていかれ、そこで一斉に機械で全工程を効率よく加工し、輸出している。しかし、私たちはカシューナッツの収穫できるその地域で加工をすることで仕事が生まれるので非効率ながらも地域でやることを敢えて選んでいる。

 外側の固い殻割りは生徒たちの出身の村のお母さんたちにお願いしており、1か所から2か所に増えている。薄皮剥きはプーンアジとSCYの生徒の仕事として役割分担をしている。しかし、このところ生徒たちも地域にダンスをしに行ったり、村にパソコンを教えに行ったりと何かと忙しいことが多く、思うように進まない。しかし、日本との輸出の約束は年々増えているのでここをどうするかは気にかかるところだった。

 そんな時に、SCYのメンバーのモニ君の出身の村で薄皮剥きの仕事ができないだろうかという提案を受けた。モニ君は3人兄妹の長男で、2年前にお父さんを亡くし、家のお米を育てながら、妹たちを支えなければならない。また、このエリアは典型的なカンボジアの田舎で、お母さんも家に鶏やアヒルもいるし、周りに何か働きに行くようなところもない(コンポントムの街中でもせいぜい役所、ホテル、銀行くらいだろうか)。家でできる仕事を必要としている場所なのだ。今回、どういうところでやっているのかを是非観に行きたいとリクエストして、モニ君に連れて行ってもらった。SCYからの道すがら、一歩道を入ると辺り一帯稲作をやる場所が広がる。乾季だったので水が干上がって5月の終わりごろの雨季に入るまではお米の仕事もお休みのようだが、大雨が続くと近くのセン川も氾濫して辺り一面湖のようになり、モニ君の家に行くのもボートを使わないといけないくらいだそうだ。このバイクで通った道がすべて水の中というのは驚きだ。

 おうちにはバナナやマンゴーなどいろんな果樹もあり、旦那さんが亡くなっても底抜けに明るいお母さんが迎えてくれた。ここでやっているんですよと、家の中にも案内してくれましたが、こぎれいにしていて、近所の人たちが6人くらい集まり、自分たちの生活のペースに合わせて、時には子どもたちを寝かしつけてから始めて夜22時ごろまでやることもあるという。50キロほどのカシューナッツの薄皮剥きをプーンアジの生徒は1週間かけて行うのだが、わずか3日で終えてしまうほどやる気満々だ。今年の収穫を乾燥させて、いつから始まりますか?と質問をもらった。お金が手に入ると、食費や子供の教育などにお金が使えるというのでお母さんたちはとても熱心だ。またCWBカンボジアは去年以上の量のカシューナッツを日本に輸出できる契約を結ぶことができそうだ。こんな心強いコミュニティのお母さんたちの力を得て、私たちはカンボジアで活動する。

人のつながりと自分が貢献できること

CWBカンボジア 奥谷 京子

 数か月ぶりのカンボジアだったが、今回はその中でも楽しみの1つはカンボジア唯一の少数民族と言われるクイのコミュニティを訪問したことだ。口伝で高度な製鉄方法を信頼のおける人にのみ受け継がれたという歴史があり(しかし、残念ながら第二次世界大戦の頃に安い鉄が手に入ってから伝承も消え、今はもう誰もできないという)、さらには焼き畑をして森を移住しながら生活をしていて、森にある自然の恵みや日本でいう伝統野菜のような地元にしかない種を繋いできて、プラスティックを使わずに自分たちでかごを編んだりしているという話を聞いており、とても興味があった。

 実はこのコミュニティで無農薬、無化学肥料で栽培するカシューナッツ農家からも仕入れて我々は加工して日本に輸出している。実際どういう人たちが携わっているかを見に行くのも今回のミッションだった。

 噂に聞くクイの人々に勝手に “森の民”のイメージを持っていた。しかし、実際は普通に国道沿いに建つ高床式の家に住んでおり、若いリーダーたちは本当に子育てにも熱心な20~30代の男性たちで、服装も普通。これは大いなる勘違い。

 そしてここにも現代の生活の波は押し寄せている。さすがにプラスティックがゼロではなかった。しかし、伝統的な暮らしを守り続けていることは確かである。薪のコンロだったり、野菜などを混ぜる臼や棒はかなり年季が入っている。そして食材に関しても彼らは原種のトウガラシを庭で栽培しており、それを必要な分だけ使う。黒ゴマを炒って潰して塩と混ぜてゴマ塩を常備する。それをプロホックという魚の発酵食品に混ぜて、野菜のディップソースを作ったり、黒米を入れたモチモチのご飯に振りかけたりするのはまるでお赤飯のようだ。日本だとお菓子とかにも使うんだよというので、スマホでいくつか写真を見せたところ、へぇ~と興味津々。そこから日本との比較議論だ。私たちはコミュニティ全体で100人以上が集まり、建築祝いや結婚式なども祝う。都会だとうるさいと言われるけどカラオケも下手な人が歌ったらみんなで笑うだけだよと底抜けに明るい。日本もカンボジアも「ほら、もっと食べて。これも持って行って」と勧められ、田舎のお母さんは万国共通いいなぁとつくづく思う。

 この人たちともっと関係性を深めるためには、今度は私が何かを返さなければならないと直感的に思った。それこそデン君もこの地域によそ者を連れていく意味が出てくる。そこで、プーンアジに戻ってから生徒のいない午後の時間に試作に取り掛かった。黒ゴマクッキーは焼き上がりが若干固くなった印象はあるが、デン君も含めて試食してもらったら「今度カシューの買い付けに行った時にこれをコミュニティに持って行ったらきっと驚くよ」と言ってくれた。彼らとの関係性で何か前進できる材料の1つになるのであれば幸いだ。日本に持ち帰ったゴマでもいろいろ探ってみようと思う。

 今度はその試作のクッキーをプノンペンの新ビル事務所Chnai Market(挑戦市場)のスレイリャックに届け、カンボジアの都会の人たち向けに売れないかを考えようと思っている。やはりクッキーの固さや味にはもう少し工夫が必要そうだと彼女も感じたようだが、早速レシピは教えたので、自分で作ってみると言っていた。また、カシューバターを使ったクッキーも一度作ってみたいと新しい商品を作ることに意欲的だ。

こういう何かが始まる時に立ち会えるのは楽しい。カンボジア国内でも私たちは田舎のものを都会に紹介するというマーケットを広げる一歩が始まった。まだまだカンボジア人たちには値段が高いからと敬遠されることも多いようだが、プノンペンに住む外国人にじわじわと広がっているようだ。私たちには黒ゴマもカシューナッツも直接生産者とつながっているストーリーがある。どんな人が作っているか、カシューナッツのあの形にまでするのにどれだけの工程を経るのかを知っている。これは何よりの強みだと思う。上手にこういうものをアピールしながら広げられたらと思う。

CWB薬草データベース

CWB 松井名津

 アジアには薬草が溢れている。が、どこでも、どの薬草も危機に瀕している。開発による絶滅の危機だけではない(それも深刻なのだが)。急激に近代化とグローバル化の波にさらされる中、薬草に関する知識が失われつつある。これは日本の歩みを振り返れば納得できると思う。戦後、GHQや政府の指導のもと衛生管理が徹底された。おかげで私たちは衛生的な水、国民皆保険制度の中で守られることになった。そして同時に「野原の草」は「雑草」となり、不衛生なもの、口にしてはいけないものになった。高知県では県民食といわれ、スーパーでも販売される「イタドリ」は、他県では見向きもされない。全国区となった「タラの芽」「サンショの葉」「大葉」…スーパーに並ぶ山野草は、栽培され綺麗にパッケージされる。けれどそれは季節の彩りとして消費されるものになっている。かつて、ちょっとした怪我、腹痛、頭痛や発熱は、家の庭やそこらの土手に生えている薬草で癒されていた。薬草はまた腹を満たす食糧でもあった。薬草に関する知識が衰えるとともに、身近な薬草は雑草となり、全ての病は医者の手によって治癒されるものに変化した。それは近代がもたらす福音でもあったが、同時に近代につきまとう集中化の一環でもあった。人々は自分たちが持っていた癒しの手段を忘れ、専門家に依存するようになったからだ。

 アジアでも同様のことが起こっている。ではアジアでも福音は訪れるだろうか。私は疑わしいと思っている。良くも悪くも日本は中央集権化に成功し、一応多くの人が安い費用で医療に接続できる状況が成立した(今その基盤が危うくなっていることは先般のコロナ騒ぎで痛感したところだが)。けれど、アジアの多くの国では満足な治療は一般の人々の手の届かないところにあることが多い。だからこそ、薬草に代表される民間医療を知識としてデータベース化することに意味があると考えている。それは同時に日本では失われてしまった知識を再び見直す画期になると思っている。

 これまでも何度かデータベース化の試みはあったのだが、なかなか前に進まなかった。色々な要因があると思う。が一番の要因は各国の若者を事務局として巻き込めなかったことにあると反省を込めて考えている。今回は、その反省に基づいて若者主体のデータベースづくりに取り組むことになった。若者が主体になり、老人から薬草やその使い方を聞き出すことで、世代交代ではなく世代継承ができるのではないかと期待している。まずはこれまでも薬草とその使い方をビデオに撮影してきたカンボジアが、アジア全体のモデルケースとなることを期待している。特にカンボジアではプーンアジの生徒たちが、近隣の村やクイの村へデジタル知識を教えに行っている。彼らを中心としたデジタルの輪が、古来の知恵を再活性化し、現代に活かす道を拓いてくれると考えている。

 また今回のデータベースの特徴は身近な病気や怪我で検索できることだ。今までの試みはともすれば有効成分の情報に偏っていた。しかし有効成分は「今わかっている」ことにすぎない。薬草の効能の中には、よくわからないけど経験的に効くものもある。それを現在の科学的効能に絞ってしまうのは、とても惜しいと考えたからだ。また、私たち自身がデータベースを使うときにも、かつてのように身近な病を癒す手段を検索してほしいと考えているからだ。薬草は万能ではない。だからこのデータベースで「ガンの特効薬」を探さないでほしい。痩せる薬も高血圧を治す薬も探さないでほしい。それは「薬草」の埒外の問題だと私は思う。薬草は人々が長い時間をかけて発見し、人々が使い続け、人々が守り続けた結果として存在している。私たちの日常に根付いていた薬草を、再び日常に活かすためのデータベースを作り上げたいと望んでいる。