感覚を使う教育を求めて

 先月号でミルに引き付けて流言飛語と言論の自由について書いたら、編集局から「じゃあ実際にどう対処したらいいんでしょう。実践的な教育として何か書いてください」との要望がきた。さて、どうしよう…。こういう時ミルって意地悪だなと痛感する。いつも方法は書いてくれるし、方向を指し示してはくれるが、実践になると「自分で考えなさい」と冷たいのだ。理想社会が社会主義になるのか資本主義になるのかすら、未来の人たちが考えるだろうとあっさりと突き放してしまう人なのだから仕方がない。ここは一番、ない知恵をひねくり回すことにする。

 で、題材だが困ったことに昨今のコロナ騒ぎで事欠かない有様である。流言飛語どころか詐欺も流行している。何を取り上げようか…と思った時、BBC放送に行き当たった。面白いのは、マスクに関するBBCの態度だ。当初(3月初め)、WHOの公式見解を受けて、保健科学省や感染症の専門家を招いて「マスクは感染予防に役立たない」という論調だった。そしてこの基本的論調は今でも変わっていない。しかしつい最近、アジアと欧州でのマスク文化の違いを報じている記事の中で、以下のように報じられていた。「現在専門家の間で、コロナの感染拡大抑制に対するマスクの有用性が議論されている」。さては天下のBBCも右顧左眄か?というと、左にあらず。マスクが感染予防に役立たないのは、マスクが外からのウィルスを防ぐことができないからーここは変わっていない。しかし今回のウィルスの特徴として不顕性感染者が非常に多いことが推定されるようになった。そこで「潜在的に保菌者である人が大勢いる事態」を想定するとすれば、「感染者が感染を広げる=内から外へウィルスを撒き散らす」のを防ぐために、マスクは有用である可能性が出てきたということなのだ。(蛇足になるがアジア各国でマスクは制服と同様「儀式的」な意味を持っている。マスクを着用することが他の感染予防策への意識づけになっているという行動心理学者の意見も報じられていたー写真は明らかに日本笑)。

 一方で、日本に帰国してから私がずっと感じてきた違和感がある。それはマスクに関する報道が非常に多いのに、「手洗いの励行」に関する報道や告知がほとんどないという点だ。感染予防の基本として、多くの報道機関がまず第一番に紹介し、ネットの自社サイトに「正しい手洗いの仕方」を置いているというのに、なぜか日本では手洗いの仕方がマスクに比べて軽いような気がしてならないのだ。そしてマスクに関しては種々様々に報道されている。どこそこで騒動が起きた、医療現場を優先しなくてはならない、手作りマスクの型紙…。

 さて、この二つから何が導き出せるだろう。まずは報道する側が人々の知性に信頼を置いているかどうかという違いだ。BBCの報道は一見ややこしい。マスクが有用なのかどうか、という質問に対して間違っているが正しいと言っているようなものだ。何のためにマスクを使うのか、どのような場合に、どんな目的でマスクを使うのか。周囲の状況や条件が明示されない限り、マスクが有用であるかどうかという質問に対する答えは出てこない。見る側・読む側が、それぞれ報道の中にある状況を読み解くことを求めている。ということは逆に見る側・読む側がそうした能力を持っていると想定しているということでもある[1]

 日本の場合はどうだろう。マスクが品切れになっている、スーパー等でマスクを買おうと行列ができている。この事実から「マスクが足りない状況」を導き出すのは簡単だ。でもその状況がなぜ起きているのか、その状況は「新型コロナウィルス」に対する方策として有効なのかどうか。これは検証されているとは思えない。出てくる報道の多くは「マスク増産がどこまで可能か」とか「日本で生産されているマスクは必要量全体の**%に過ぎない」とか、とりあえずマスクを取り上げておこうという風情を感じてしまう。そこにはどこか「あなた方が求めているのはこんな情報でしょう。はい、お好みの情報をお届けしましたよ」「それが真実とか事実とかって。いやいやあなた方が求めているのはこの程度のものでしょう」という姿勢すら感じてしまうのだ。

 どちらの社会で育つ方が「自分で考える」習慣を身につけるだろう。

 そう、ミルが最も重要視したのが「社会が教育機関だ」ということだ。どんなに学校で「自分自身の判断で行動しましょう」と教えていても、「政府から通達が来たから」で右に倣えになるなら、子供は「大人になるということは、自分で判断せずに、無難に上のいうこと聞くこと」なのだと思ってしまうだろう。小・中・高とどんなに「自主的に判断する子ども」を育てようとしても、社会が「自主的に判断」しない大人ばかりなら、子供は自主的に判断するのは危険だと学習してしまう。「自分の言動に責任をとりましょう」「言葉は大事にしましょう」と教えたとしても「募集と募るは別です」という大人がまかり通るようでは無駄だ。とはいえ、こうした社会に流されるばかりが人間ではない、人には変わる力がある…はずというのがミルの希望でもある。ではその希望を実現するにはどうすればいいのか。社会全体の流れとは異なるー抗するではなくとも、異質な、別の教育はどうすれば実現できるのだろう。

 ミルは「経験」にそれを求めた。労働者のアソシエーションも労働者自身が社会の自然法則である(とミルが考えた需要と供給に基づく)市場法則を、経験に基づいて認識する教育装置でもあった(だからこそ失敗しても価値が高い試みなのだ)。経験から認識を得ること、そのためには経験に敏感にならなくてはならないし、その経験が自分自身のものでなくてはならない。経験が自分自身のもの、というのは少し説明が必要だろう。他人に命じられて嫌々事をなすとき、その結果に意を払うだろうか?何にしろ嫌だから、とにかくやればいいと思う、時間が経つのがすごく鈍い。にも関わらずやらなくてはならない。とすればやったという事実が残ればいい。結果の質などはどうでもいい。こうならないだろうか。これが経験が自分自身のものではないという事だ。今現在の教育で一番難しいのがここだろう。嫌々…とはいわないまでも、なぜ勉強しなくてはいけないのかはよくわからないし、勉強して本当に役に立つのかわからない。でも親がいうから、みんながしているから勉強するし、試験があるからやらなきゃいけないし。高校だけじゃ良い職業につけないから、大学入った方がいいし。ざっくりまとめるとこういう感じではないだろうか。だからこそ試験の点数という事実さえ手に入ればいいと思い、点数という事実が評価されるのであれば、それに合わせた「勉強」をすればいいと考える。こうした行動を私は無理ないものだと思うし、状況に最も適合しようとしてとった戦略としては評価する。が、結果的に人頼み、周囲を慮る行動を取ろうとする心性を育みことになる。一方で「なぜ」「何のために」という問いに対する答えは「良い学校」「良い会社」「良い給料」としてある一定の行動パタンを取る方向へと誘導されている。こうした制度の中で「経験から学ぶ」教科や科目があったとしても、生徒はあらかじめ用意されているだろう正解を言い当てようと知恵を巡らすだけになる。

 では、このような状況の中で、どうすれば経験から学ぶことができるだろう。第一に正解がないことを徹底すること。したがって教員は必要ない。必要なのは先達としての経験者である。先達は自分の経験を披露するが、それがあらゆる場合に正しいとは限らないことを知っている人でもある。第二に自分の行動結果が目に見えて帰ってくることが必要である。簡単なところでは草取りである。どれだけ丁寧に行ったかは比較すれば一目瞭然となる。それだけではない。個々人の性格や癖もわかってくる。丁寧だが丁寧すぎて効率が悪いもの、目立つ草をとって先に進むもの、順序立てて作業するのが好きなもの、あちらこちらと転戦しては、また戻りと一見不効率のように見えて、最後に帳尻を合わせるもの…。どのやり方が正解でもなく、それぞれのやり方があるということもわかりやすい。誰かが評価しなくても互いに評価できる、自分の中で評価が納得できる。それが結果が目に見えて帰ってくることである。第三に自分だけでは何事もできないことが明瞭なものであること。要はチームが必要なことを実感することなのだが、これが中々難しい。一緒になって仕事をするというだけで、情報どころか話をしないものもいる。この壁を打ち破るのが、言葉が違うもの同士がチームを組むことだ。とりあえずの共通語である英語を使いつつ、なんとか話をしないと何も始まらないことが明らかだからだ。とはいうものの、これは忍耐が試される。遅々として進まないグループ活動に嫌気を差すものも出てくる。特に机上のプロジェクトだと動機の継続が難しい。こうやって条件を上げていくと、農作業にはこの全てが含まれていると痛感する。いや農作業に限らず、物を生産すること加工すること、要は手や体という感覚器官を総動員する仕事には全ての仕事に通じるエッセンスが込められていると痛感する。
 さらに自然だとか天然素材を相手に仕事をすると、理不尽さに直面する。天候の変化、まさに天災である水害や台風。人間がどれほど努力しようとも一瞬にその努力を無効にしてしまう自然の理不尽さ。その理不尽さの中でも誠意を尽くさなくては何も実現できない無力さと同時に、同じ無力さの中で足掻いている仲間としての他人への共感感覚。おそらくミルが求めていた教育のエッセンスはこの他人への共感感覚育むことだったのではと考えている。


[1] ただしイギリスでBBC放送を視聴しているのはごく一部の層に過ぎないことも確かだ。彼の国では近代が始まって以来ずっと国の中にある階層の分断で悩み続けている。まぁ階層社会の業病だ。

教育スタイルそのものが世界で変わる

<コロナで身動き取れない子供たち>

 カンボジアも日本と同様に突如3月半ばに学校が閉じられました。その翌日からすぐにCWAカンボジアではSCYの畑に行ける生徒たちを送り込み、最終的にはお留守番のマシャー(学生リーダー)以外、全員が畑で作業です。ちょうど今年の開墾と新しいカシューの苗を育てて植える準備もありましたので、それが普段通りに学校に通いながら週末に行き来するだけでは追い付かないくらいの仕事量だったので、ずっとSCYの畑で彼らがやってくれたことは、遅れを取り戻すのに大いに役立ちました。

 そして1か月経った4月11日、クメールニューイヤーが始まりました。本来はプーンアジで父母会を行って、そのまま親が生徒たちを実家に連れて帰るという予定で考えていましたが、ロックダウンのおかげで集会もできず、結局はSCYで現地解散となりました。久しぶりに実家に帰るのをみんなさぞかし喜んでいるだろう…と思っていたのですが、再び集合する18日を前に数名の生徒が帰ってきました。「あれ?実家にもういなくていいの?!」と聞くと、「寝ているばかりで飽きちゃった」とか「お母さんがいない」という返事。本来このお正月は普段プノンペンや海外へ働きに出ている兄弟や親戚、ご近所さんも民族の大移動で一斉に田舎に戻ってきて、そこでお祭りが開かれたり、サンボープレイクック遺跡でも出店が出て大音量で音楽をかけてダンスが披露されたり、イベントが開かれます。それが軒並み中止、しかも1家族4,5人くらいの規模で過ごしなさいという通達。たくさん家の中にいると警察にチェックされる徹底ぶりだったようで、何もできない状況はまさに今の日本と同じではないでしょうか。1,2日は何もせずにゴロゴロできて幸せですが、これがずっと続いてもケータイでYouTubeを見るだけ。寝て起きてずっと見ていたら頭も痛くなるの繰り返し。外にも出られない。気晴らしもできない。日本の子以上に元気に動き回るカンボジアの子供たちからすれば苦痛そのもので、結局早くプーンアジに帰ってきて動きたい、仕事しようと思ったようなのです。子供たちも必要とされたところで自分の居場所を見出すんだなと改めて感じました。昨日ほぼ全員がそろって久しぶりににぎやかな声が聞こえてきて、みんなで木登りをして木の実をとったり、ワイワイ自炊が始まっています。そして今日これからみんな畑へ移動して仕事と勉強が始まります。

<プーンアジの方針は間違いなかった>

以下、私たちの活動紹介を簡単に表でまとめてみました。文化、農業、ビジネスの勉強をしつつ、上の学年に上がっていったらそれぞれの専門性を磨いていく。これらを通じて単にここで町中にある寄宿舎として過ごすだけではなく、中学を卒業した後の専門性をどう磨くか、高校を卒業したらどういう道に進むのか、そんなことを思い描けるようなステップアップにしていけたらいいなと思っています。

今、左側の矢印の部分は公立中学(7~9年生)高校(10~12年生)のレベルを書いたのですが、ここが完全に閉じられているので、そこの勉強も現在SCYでデン君を中心にフォローしています。

伝統に誇りを持ち、田舎での農業に若者を投入して活気づける、そして起業を応援する、この3つの方針がプーンアジに来た子たちにまず理解してもらい、実践することです。最初はそれがわからなくても、だんだんとチームで仕事をしていき、そこで責任ある役割を果たし、お金をお客様からいただく、そして自分たちの給与や食費をそれで賄う、これをオープンに生徒たちに見せています。

<日本の大学生もチャンスが広がるはず!>

これまでプーンアジも大学生インターンとして桜井祐子さん、田中彩琳さん、そして現在いる永山涼さんはじめ、学校を休学してここで何かを得るぞ!と覚悟して10か月なり1年という歳月をここで過ごしてきました。  しかし、これからどういう世界になるのでしょう?現在私が講師登録をしている産能大学でもネットを使った授業になるという説明会がつい先日あり、松井先生の松山大学も5月末からそのような方向で動くとおっしゃっていました。どの大学もどんどんオンラインの授業に切り替わっています。そして今日お昼ご飯を食べながら涼さんに「これからオンラインの学校になるんでしょ?だったらここにそのままカンボジアにいても大丈夫だね?」といったら「そうなんです。私も生徒たちと一緒に朝と夕方畑をして、お昼間に勉強のスタイルにしようかな…」と。わざわざ学校に行く必要がない、むしろ実践としてアジアなどのフィールドで知恵を出し、現場で試行錯誤をし、そして時間を作ってオンラインで自分で勉強をする、自分の深めたいところをインターネットを通じて学ぶ、こういうデュアルな学び方に変わっていくはずです。そこでチャンスをつかみ取れるかどうか。今までの大学生の4年間以上のもっと濃い時間を過ごすことができて、これからの若い世代の人たちの実践に大いに期待したいところです。楠クリーン村やカンボジアの私たちのようなところが実践の現場を提供できるところをもっと増やしていく必要がありそうです。

<体を動かす・汗を流す+頭を使う+パソコンで世界と発信するの三位一体が教育に>

 終日在宅ワーク、ずっと終電まで会社、あるいは農作業だけ、こういう働き方には限界があると思います。より健康に、心身ともにリフレッシュし、頭も体も動かすには、プーンアジの実例は胸を張って自慢できます。朝5時に起きて涼しいうちに作業を始め、10時半にはいったんお昼寝。お昼ご飯を食べてから暑い日中は木陰で勉強をしてまた夕暮れから日が沈む前に外で思い切り体を動かして働き、おいしいご飯を食べて真っ暗になったら疲れて眠る。当たり前のサイクルなのですが、今、これが特に都会ではできないのです。

 例えば都会で通勤だけでは運動不足だといってフィットネスジムがあるわけですが、SCYにいればジムに行く必要はありません。否が応でも足元の悪い砂地を一歩一歩力を入れて歩みを進めていかねばなりません。パソコンばかりに向かっていたら目が悪くなって眼鏡も必要になりますが、SCYにいれば電線もない広いお空を眺めて緑に囲まれてリフレッシュ。だからといって事務作業を何もしないのではなくて、お昼間にソーラーパネルで発電してその電気でパソコンを使ったり、ノートとテキストを開いて勉強を進めたり、自分のやるべきことはきちんとやるということです。

そして国境は封鎖されていたとしてもオンラインで世界と仕事もできるし、友達ともやり取りできる時代です。自分のことも発信することも大事です。遠くまで通わなくても得られる情報時代ですので、豊かに生きていくためには自分が毎日必要だと思うことをたくさん考えて、周りから必要とされる自分であり続け、行動することです。先生の言うことをおとなしく聞いている子が成績優秀者ではなく、自分がどう貢献したらいいか想像を働かせて動くことができる力を備えたら、将来指示待ちのサラリーマンではなく、どこでも働くことができる、必要とされる人材となるのではないでしょうか。  カンボジアの子供たちも何もしないで1週間も家にじっとしていることはできませんでした。きっと1か月以上学校に行けない日本の子供たちはよりフラストレーションがたまっていることでしょう。でも、そこを変わるチャンスとしてとらえ、体を動かし、頭も使い、パソコンで発信する、この3つをバランスよくできる生活設計、そのための移住も含めて考えてみてはいかがでしょうか。効率化を優先させた都市集中は完全に崩壊です。分散し、自立していくことが今、ますます求められているのです。

デマと言論の自由

松井 名津

 さて、今回のコロナウィルスなのだが…海外にいて「トイレットペーパーが買い占められている」というニュースを聞いて「え、また?!」という思いになった。つい先日、オイルショックの時のことを絡めて原稿を書いたのもあって、余計その感が強いのかもしれない。ついでにコメントしておけば、オイルショックの時より今回の方が買い占めに至る因果関係はちょっとわかる気はする。(オイルショックの時は何がどういう理屈でトイレットペーパーに至るのか、さっぱり訳がわからなかった)。その他にも「〜を飲めばコロナウィルスを撃退できる」とか、「〜では…がもう手に入らないから、早めに買っておくべき」というような話は結構蔓延しているらしい(FBのタイムライン上で、これはデマですと回ってくるニュースを見る限りだけれど)。

 デマというと、悪意があって間違った情報を広めると考えがちだが、実は善意に基づく誤った情報がデマを引き起こす可能性の方が高い。「善意」なので情報を出している人は「正しい」と確信している。だからその正しさを疑うことがない。そういう人が出した情報に対して、「間違っていませんか?」と疑うような意見を呈すると、酷く躍起になって疑う人を攻撃したりする。周囲の人も、その人が善意で行動していると知っているので、なんとなくその人の味方になったりする…。と、善意で行動する人が出す誤った情報ほど拡散しやすいし、否定されにくい。これは一般人に限らず、専門家といわれる人もそうだ。専門家とはいえ、これほど専門が細分化していると、つい隣の分野のことであっても門外漢である場合が多い。だから慎重な専門家は性急なコメントを控える。積極的に発言する人は自分が科学的に正しい判断をしており、一般にその判断を知らしめ、啓蒙しなくてはならないと考え行動している。ただ、現実は複雑で理論通りではない場合が多い。理論上最善の対応も、現実を考えれば費用がかかりすぎて実質上不可能という場合もありうる。けれど理論的には最善だから、現実にできないのはおかしい、という発言をしてしまうことがある。こうした善意による発言に対して慎重になった方がいいとか、不安を煽るような発言は控えた方が良いという真っ当な意見を呈すると、時に「言論の自由」を迫害する行動だという反応が返ってくる。

 であるならば、ここは一番「言論の自由」を真っ正面に据えたミルに登場してもらうことにしよう。ミルは『自由論』の中で、数ある自由のうちでも言論の自由を幅広く認めている。しかしこの言論の自由にも制約がある。それは他者の利益に損害を与える場合(harm principleともいわれる)である。言論、まぁざっくりいえば公に意見をいうことと考えよう。単に言葉を言うだけなのに、他人に損害を与える場合があるだろうか。すぐに思い浮かぶのは言葉による暴力としての「いじめ」だろう。これは別に子供のうちに限らない。日本語でハラスメントといわれている事態のほとんどは、「いじめ」と訳してしまった方がいいと私は思っているのだが、セクシャルハラスメントにしろ、パワーハラスメントにしろ、何にしろ、その人の人格を否定する表現を使う、その人の個性や能力をある特定の視点(女性である、同性愛者である、部下である…)だけを用いて表現する。このような発言はその人の人格を否定するという点で、その人の必須の利益を害している。例え憲法に良心の自由や言論の自由が謳われているとしても、こうした発言を公にした場合は、何らかの罰が課せられるべきである。

 では善意から発した誤った情報の場合はどうだろう。特に上で指摘したような発言者が特定の影響力を持つ人だった場合や、周囲が不安に駆られている場合に、人々を社会全体にとって不利益をもたらす行為に導きかねない発言を公にする。これは言論の自由で保護されるのだろうか?それともharm principleによって制限を加える(もしくは社会的に罰を与える)べきなのだろうか?実はミル自身がこの問いに答えを出している。食糧不足で人々の間に不満が高まっているときに、パン屋や商社の前で「食糧不足の原因は一部業者の買い占めによるものである」という主旨の発言をした場合、この発言を制止するべきだとミルは述べているのである。

 実はこの一条はミル研究者の間でも評価が分かれるポイントにもなっている。制約が加えられるべきなのは、不安な社会状況の中で暴動やパニックを引き起こしかねない発言や、一定の個人(あるいはグループ)に対する暴力を引き起こしかねない発言とまとめたとする。では誰が「不安な社会状況」にあると判断するのか、誰が「暴力を引き起こしかねない発言」と認めるのかという問題が生じる。もし政府が…と簡単にいってしまうと、それこそちょっとした自然災害だとか、連続傷害事件が発生した途端、戒厳令のように言論の自由を取り締まることができる根拠を与えてしまうことになる。また「暴力を引き起こしかねない発言」の場合も、当事者で意見が分かれることがあるだろう。この一条を認めることによって、言論の自由が大幅に制約される、いや結局骨抜きになってしまう。こう考える学者もいる。その一部に理のあることを認めつつも、私は判断はやはり「最も立場の弱いもの」の側から行われるべきだと彼は考えていたのだと主張したい。なぜなら言論の自由そのものが、社会で異端として抑圧されやすい少数派の意見を多数派から保護するために主張されているからだ。そしてまた、パニックや暴力を引き起こす発言を抑制する・制止する必要性があるとミルが考えたことは正当だと考えている。ただし、抑制するのは政府ではなく、個々人であり、発言に責務を負う人々(ジャーナリストやマスコミ、もちろん政治家もその中にいる)だと考えている。

 というのもチェルノブイリ事故の直後にヨーロッパに旅行したことがあるからだ。テレビでは連日天気予報のように放射能の拡散状況が放送されていた。天気予報のようにと書いたが、実際報じられているニュースの様子は毎日の天気予報とほとんど変わらない。低気圧の雲の代わりに放射能を帯びた雲や風が表示されている。アナウンサーは「明日は〜地方にはソビエト方面からの風が強く吹き付けるとともに、強い雨が降ります。不要な用事のない方、特に幼い子供は家の中で過ごす方が良いでしょう」と淡々と語る。まぁ私が滞在していたのはイギリスで、BBC放送だからだったのかもしれない。でもロンドンも(ずっと小雨が降ったり止んだりだったが)賑わってもいない代わりに、閑散ともしていないというロンドンらしさで、相変わらず傘を持っているのに傘をさしていない人が歩き、コートの襟を立てて薄ら寒そうに人が行き交っていた。ホームステイ先は北海に面していたが、別に避難するという話もなく、雨の中でクリケットをしたり、近くの川縁に生えているクレソンでスープを作ってくれたりしていた。

 ヨーロッパでは核の悲劇は日本ほど理解されていないのだ、そう言ってしまえばそれで終わるかもしれない。けれどそのとき私が痛感したのは、中学生の時に遭遇したオイルショックの日本との違いだった。連日のようにテレビからは激昂したような声が響き、一般紙までがスポーツ紙のような大見出しをつける。スーパーの店頭からは物が消えていく。そんな風景を思春期特有の皮肉な目で見ていた自分を思い浮かべながら、もしこれが日本の近くで起こっていたらこんな風な日常はありえないだろうなと思ったことを鮮明に覚えている。

 別にヨーロッパだから偉いというのではないのかもしれない。ヨーロッパは大陸も島国のイギリスも含め、13世紀以降の十字軍、16世紀から17世紀の宗教改革の中で、流言飛語によって多くの人が虐殺された歴史を持つ。同じキリスト教徒であっても、いや同じキリスト教徒だからこそ「異端」を殺すことは神の御心にかなったこととされた。アルビジョア派を殲滅した十字軍、プロテスタントを虐殺したサン・バルテルミ、逆にカソリック教徒の殲滅を目指したクロムウェルの鉄騎隊。そして近代になれば記憶に新しいナチスとそのシンパによるユダヤ人の虐殺(虐殺されたのはユダヤ人だけではない。ロマの人々、同性愛者などなど)。こうした数々の虐殺を招く豊かな土壌が、自分たち自身の中にあったことを、多分彼らは日本人より見に染みているのだろう。(最もこのところ、そうした記憶が薄れてしまったのか、経済状況が悪いからか、ヨーロッパでも流言飛語と付和雷同が増えているようだが)。

 人間は「目に見えない恐怖」に弱い。放射能、新型ウィルス、ペスト…目に見えない恐怖に社会が覆われたとき、多くの人がよりわかりやすい解決法、目に見える敵を求める。今・ここにある恐怖をなるべく早く打ち消すための本能的な反応なのかもしれない。動物も食糧不足などどうしようもない危機の際にパニック状況になる。そして人間の場合も動物の場合も、行き着く先は同じだ。「共食い」。最も弱い物が殺される。人間はずるいから実際には手を下さないかもしれない。100人が1人に向けて石を投げれば、その1人は死ぬだろう。石を投げた100人は自分が投げた石が殺したとは思わないかもしれない。でもやはりそれは「共食い」なのだ。そして人が人を追い込むとき、人には動物にはない武器がある。「言葉」という強力な武器が。そして本来、武器を持つものは武器の真の怖さを知っていなくてはならないのだ。

 SNSによって人々の言葉はいろんなところに拡散する。それだけ私たちの言葉は強くなった。強い武器を持つ以上、私たちはその怖さも十分認識しなくてはならない。

追記:カミュといえば『異邦人』が有名だが、今ぜひ読んで欲しいのが『ペスト』だ。紹介文には「極限状態における人間の連帯」などと軽い言葉が踊っているが、絶望的な状況の中で絶望しながらも、そこに踏みとどまる人間を描いている小説だと私は思っている。

ちょっと見方を変えたら捉え方も変わる?!

 今のお金がある時一瞬にして価値が変わってしまうのか…。この国のお金の使い方を見ているとハイパーインフレはやむを得ずとも思えます。今のスーパーのトイレットペーパーがなくなる騒ぎの比じゃないことが起きるのではないか・・・。今の国の在り方、決定のプロセス、悲観的に考えれば怖くなるような材料ばかりです。
 
 ただそれは、今の延長を考えているからであって、生き方のシフトチェンジ、お金の使い方、消費の在り方を一人一人が見直す潮目なのでは?と最近思うのです。日本では東日本大震災も1つのきっかけだったと思います。以後、私は8年 前東京を離れて、さらには日本からも離れてインドネシアやカンボジアという違う環境に身を置いたことで、自分の中でのマインドセットはすでに訓練されています。とことん生活水準を変えたら(「落としたら」と書くとみじめな感じがしますが、シンプルにするだけです)どうなるのかという実験の日々。
 ここ、カンボジアでは停電もしょっちゅう起こるし(だから懐中電灯は手放せない)、毎日手で洗濯していますし(今日は井戸水を汲んで)、電子レンジも使わない。生徒たちは薪で毎日ご飯を炊いてくれます。


 1日に買う量は些細であってもちょこちょこお金を使わない。この前、インターンの涼さんと コンビニの話をしたのですが、ついあれこれちょこちょこ買うが、ヨーロッパには多分今もコンビニないよ、と。だから25年前、私が留学したころ、日曜日だとどこもお店が開いていなくて、本当に困ったときはミュンヘンの中央駅の売店に駆け込むしかなかったんだ、と。それがルールになっていれば、みんな困ることがない。毎日24時間開いていなくたって平気なんだよ、と。
 特にアジアはコンビニもたくさんあり、ものにあふれて右肩上がりになった部分もあるけれど、 今後は余分なものは買わない、作らない、簡単に捨てない生活。いい加減なものはそぎ落とされていったり、本物が光る時代、それを取捨選択できるのはいいなと私は思います。

 働き方についても、自宅待機で退屈と嘆く人、はたまた家に長居しすぎて「コロナ離婚」という言葉も現れたとか。高層ビルが立ち並ぶオフィス街の会社に毎日行くのが仕事と思っている人からすれば窮屈なんでしょうか。私は日本にいる時は空いている平日に母と好きな時に一緒に出掛けて、やるべき時はとこんとん集中的にやれる(それで1週間どこにもいかずに勉強して総合旅行業取扱責任者の資格を取りました)、ネットでどこの国の人とも会議ができる、大好きなコンサートは絶対 行く、これほど自由で楽しいことはないと思うのに。その代わり、カンボジアに 戻ってきたら休日はほぼありません。むしろ娯楽があるわけでもなく、必要がないというのか。現場はいろんなことが起きて大変でもあり、でも楽しいので。先日AirBnBで来たフランス人に聴いたら6か月もハネムーン旅行。それでも”サバ ティカル”という9か月休んでも会社に戻れる制度があるそうで、日本みたいな休みがなく拘束時間も長い働き方が信じられないと驚いていました。

 未来永劫、今と同じことが続くことを前提に考える、安定志向の考え方を少し変えてみたら、結構楽しめるのではないでしょうか。ミャンマーで出会ったスペイン人も「私、今回の旅を通じて、バルセロナに住み続けることが人生ではない と気づかされたの」といっていました。彼女はカイロプラクティックの施術をやっていましたが、身軽に住む場所や環境を変えてみる。どこでも生きていける、働けるという力を付けたら、意外と一歩踏み出せることなのかもしれません

節目どき

「人間五十年、下天の内に比ぶれば…」とは信長で有名になった一節。もっとも人間の寿命が50年という意味ではなく、人間界の50年も天界では夢幻のようだという意味らしい。とはいえ、信長当時からつい70年ほど前まで、日本人の平均寿命は50歳以下、50歳を越えだしたのは1947年ごろ。まして70歳など文字通り「古稀(昔からこのかた稀な)」だった。ところが近年は70、80は当たり前。平均寿命をシフトさせると、今の50歳代は1950年代ごろの30歳代と同じになる。

 しかし、どうも感覚的に納得できない。1950年代の初婚年齢は概算で男性27歳、女性23歳。高度経済成長が始まる頃、自分の子供が育っていくのと同時に、社会も経済も拡大してくといった感じである。あれもしなければ、これもしなければ…と自分自身と家族の今と近い未来に眼差しは向いていたことだろう。高度経済成長期を迎えるとともに食生活も向上し、体力気力も一昔前である1940年の30歳代とは大きく違ったはずだ。上り坂の時代とともに、ともかくも前に、より大きく、より新しくを追求する傾向を持っていたといってもいいかもしれない。

 これに対して、今の50歳代の初婚年齢は男女ともに20歳代後半だから、子供はすでに成人している。高度成長がはっきりと目に見え始めた頃に生まれ、濃淡の差はあれ貧しさも、豊かさも知っているといってもいいかもしれない。私自身が今年の末で55歳になるから、ちょうどこの世代の中間だ。世代論はあまり好きではないから、個人的な話になるが、生まれたのは大阪ミナミの真ん中。乞食や浮浪者(死語?今だとホームレスになるのだろうか)が竹籠を背負って、器用にタバコや雑紙、瓶を集めていた。その傍らで野球のナイター(とかつては言っていた)照明が明るく輝いていた。チョコレートやケーキは年に一度か二度頂く特別なお菓子だったが、都会の真ん中で育った子供の遊び場は百貨店でだった。路地の端は小便の香りが香ばしく、タバコやチューングガムに混じって痰が吐き捨てられていた。3歳になって引っ越した郊外の新興住宅地は田んぼの真ん中。春にはレンゲの真ん中で寝転がり、冬になればセイタカアキノキリンソウの枯れたのを弓矢に戦争ごっこに興じる毎日。スカンポ(スイバ)を齧ったり、たまに「野壺(人糞を貯めておく壺)」にハマってからかわれたり、蛇に追いかけられて怖い目にあったりしたのが小学校時代。そして中学時代。日本がはまり込んだのがオイルショックが引き金になった低成長時代。核戦争の危機が真剣に叫ばれ、人間の未来が急速に暗く思えた時代だった(ある意味今と似ている。核爆弾は人間が自ら作った制御できない化け物だったし、来たるべき世界戦争に備えて日本も再武装すべきだという議論と世界平和を堅持すべきだという議論が互いに平行線ですれ違った)。「スモールイズビューティフル」「ゆっくり行こうよ」が合言葉の時代が続いた。その時代がいつの間にか、本当にいつの間にか、ハッと気がついたら、バブル。空気は180度手のひらを返し「おいしい生活」、自分らしい消費を楽しむ、世界の頂点に立つ日本になった。(まぁ私自身は実家でジャガイモと玉ねぎを剥いていたのだが、大阪の衛星都市堺で1万円の生演奏つきディナーパーティーが可能だったのも、バブルだったからだろう)。そして頂点から真っ逆さま。立ち退き地上げをめぐる暴力団騒動、政治家の賄賂やスキャンダルを経て、失われた10年、20年…。

 こうして振り返ると今の50歳代は「売り家とお家流で書く三代目」なのかも知れない。幼い頃から若い頃にかけて、贅沢にだんだんと慣らされ、子育てが終わって自分の生活をと思った途端、年金問題やら少子高齢化で先行き不透明時代に突入。そんな50歳代に向けて金融機関等々は「年金不足に備えて」「老後の一人暮らしの…」と甘い誘いをかけてくる。そんな誘いが気になりながら、どこか醒めた目で見ている。さすがにバブルの経験は効いてるのだ。国有企業があっという間に民営化し、潰れないはずの大手証券会社が一夜にして倒産した。会社勤務を続けて入るけれど、定年まで無事安泰と決め込んで済ましているわけにもいかない。なにせ自分の周りに転職・失職・非正規雇用者がいるのだ。

 そんな状況を悲観的に見ているのか。そうでもない気がする。どこかで見た風景だなと思っている。自分自身は決定的に貧しい生活を経験していないかも知れないけれど、自分自身は会社に雇われて生きる生活を選んだのだけど、今の自分とは全く違う生き方、生活の仕方をまだ身近で見てきた。小学校の友達のお母さんが内職をしていたり、一人で留守番をしていたりした。中学から高校に進む段階で、高校を卒業したら働くもの、進学するものが明確に分けられた。個人商店主や中小の工場が隣近所にあった。いつの間にか会社勤めが主流になった世の中に生きていて、自分の子供にもそれを勧めながらも、ひと時代前だったら違う道もあったんだけどなと思う自分がいる。では別の道、違う世の中、少しでも望ましい社会を目指して、市民運動やボランティアに邁進することにも醒めていたりする。「みんなで何か」に醒めているのかもしれない。私の周囲にいる人間が特殊だということは大いにあり得るけれど、それでも団塊の世代と団塊ジュニアにサンドイッチされて、「一緒に何か」するにはボリューム不足だということもある。

 だけども、だからこそ、今の50歳代は面白いことができる可能性がある(と自分が信じたい)。正確にいえば50歳の10年間をかけて、60歳からの20年を楽しむ準備ができる、そういう意味でも可能性の時期なのだ。確かに1950年代の30歳に比べれば、体力は落ちている。世間的には将来を楽観できる時代ではない。社会とともに自分の生活が良くなるなんて希望をもてるほど初心でもない。大きなマスとして人が動くと、とんでもない騒ぎになることを実感してきたはずでもある(オイルショックの時のトイレットペーパー騒ぎといい、バブルの浮かれ騒ぎといい)。逆にたった一人のほんの少しの行動が、連鎖的にいろんな人に伝わることをどこかで感じとってもいる。パンチシートとして、データがコンピューターから吐き出される時代から、家のパソコンで世界とつながる時代まで体感してきた。その中で変わったコミュニケーションもあれば、案外変わらないコミュニケーションもあることを肌触りとして知っている。上下を見回してみれば、結構経験豊かで、辛口で、シャイで、斜め目線の人間になっていることが多い。大阪弁の「ほんまにそうなん?」を口癖にしている、けれどなかなか行動にはでれない。でも本当は行動したい。

 ならば10年かけていいじゃないか。10年かかっても余命は20年ある。自分なりに面白い余生を送る準備を始めよう。子供のことはもう放っておくに限る。兎にも角にも20歳あたりまで育てたのなら、そろそろ子離れしよう。頼りないように見えても、案外一人で立てるはずだ。ヨロヨロしても放っておけば、そのうち一人でなんとかするようになる。(むしろ子供の方が親が自由になることを望んでいるのじゃないだろうか)。お金がそんなに役に立たないことは、バブルを見てきてわかっているはずだ。会社人脈が頼りにならないことも、先輩や周りを見て痛感しているはずだ。先に退職を迎えた男性が「濡れ落ち葉」といわれ、専業主婦が図々しい「オバタリアン」呼ばわりされたのを見てきた世代だ。付け焼き刃の格好よさが、いかに儚いかも実感しているんじゃないか?(LEONのちょいワルおやじを気取っても、所詮、足の長さは変わらない。美魔女なんていわれても、首筋は年齢を隠せない)。「自分らしく」という言葉の虚しさも知っているはずだ(「~行きます!」といったかと思えば「父親にも殴られたことがないのに」と目にうっすら涙を浮かべる男の子に肩入れしてきた世代だし)。「何か」になろうとすることにも、「何か」を掲げて大声を上げることにも、どこか疑問を覚えてきたのなら、「何か」をすることを楽しむために準備を始めないか。今までどこかで漠然と感じてきた違和感が「何なのか」確かめること、確かめるための準備を始めないか。
 定年は日本独特の人為的制度だから、定年を超えても元気なのだから働きましょう、老後が大変ですよ…なんていわれるけど、私は定年って案外いい制度だと思う。60歳=還暦。暦が一巡りしたのだから、生まれ変わっていいじゃないか。生まれてくる前に、準備段階があったのかなかったのか、生まれる前だからわからないけれど、暦が一回りして生まれ変わるときは、準備ができる。新人類と(たぶん初めて)呼ばれた世代だから、本当に新人類になってみないか。別段特別なことではなく、単純に「今自分がしたいけど、今の自分ではできないこと」が何かを確かめるだけ。そして本当にしたいことだったら、それができるように準備を整えていくだけ。1年後といわれるとキツイけれど10年後なら準備期間はたっぷりある。ゆっくり確実に、自分と周りを整えていけばいい。たぶん10年はいらない。準備しているうちに機会の方がやってくる。思ったより早く。思ったよりもスムーズに。一歩踏み出すことは怖いことではない。なぜってどうせ残された時間の方が少ないんだ。手にすることよりも手放すことの方が多くなっていく。50歳代はどう転んでもそういう時期なのだから。

「きょうどう」すること

今回のテーマを依頼された時、「きょうどう」を変換すると「共同、協働、経堂、教導、…」と色々出てきますねと言われて、成る程、日本語は賢いなと思った。どの「きょうどう」を取り上げても「きょうどう」の側面を表していると思ったからだ。「何か」を共に目的にしている、同じ目的等を目指して力を合わせている、目指すところを文書にして残しておく、足り無いところを教え導く…。どれも「きょうどう」の場であり得る行為だ。でも、それだけが「きょうどう」ではない気がするし、ともすれば「きょうどう」から外れてしまうようなものもある。「きょうどう」という言葉自体は毎日のように目にするし、耳にするのだけれど、その意味だとか内容を説明しようとすると、途端に言葉が足り無いような、無駄なようなもどかしい思いになる。なぜなんだろう。もちろん、この言葉が外来語だということは大きいと思う。ではと、英語ではどういうのだろうと改めて辞書を引いてみると、cooperation,  joint,  collaboration, community, company, united, publicとこちらも様々だ。

 今話題の農協も農業共同組合だし、今や巨大なグローバル会社のサンキストも最初は農家の共同組織だった。でも農協やサンキストが「きょうどう」の組織だというイメージはない。農家の共同といえば「講」があるが、これはどちらかというとゆるい助け合いの組織だったり、相互保険の場だったりする。「きょうどう」のイメージに少し近いが、そのままというわけではない。こういう風にどれが「きょうどう」にぴったりするものなのかと探っていくと、玉ねぎの皮むきをしている感じだ。

 なぜなんだろう。多分答えは簡単で、これまで書いてきたものと重複する。きょうどうは動きや構え(心や身体の)で、時と場所によって姿を変えてしまうから。一つの言葉で捉えるには複雑すぎるから。

 だとしたら、答えではなく問いを立て直そう。「きょうどうではない」こととはどんなことだろう。「きょうどうしない」と「きょうどうではない」はいささか意味が違う。きょうどうしないといえば、敵対・対立・裏切り…単に同じ目的を持たない、同じことをしないのではなく、積極的に「向こう側」の立場に立って動くこと。これに対して「~ではない」は「~である」以外のすべてという意味合いを持っている。「きょうどうではない」には、最初にあげた漢字が表すものも入ってくる。教導。教える側に立っている方が一方的に教えると、きょうどうではない。同時に導かれる方が、導かれるままでいればきょうどうではない。経堂。目指すところを文書にしておいても、誰も見ないならば、当初のきょうどうではなくなる。では他の漢字たち、あるいは英語たちはどうなのだろう。いつどういう時に「きょうどうではない」になるのだろう。「協働」。「俺たち、一緒にやる仲間だろ、解れよ」。日本でよくある例の「空気読めよ」。これが出てくると「きょうどうではない」だろう。でも空気を読むこと、仲間のやっていることを解っていること、それ自体は「きょうどう」に必要ではないだろうか。「協働」collaboraiton、コラボする時、相手が何をしたいのか、何を目指しているのか、言葉で分かち合う暇などない、アドリブが必要な時もある。ライブのセッションはこれで出来上がっていると言っていいのだろう。指揮者も楽譜もない、その場限りの、絶妙なタイミングで入るリフには総毛が立つ。ステージの上も下もない瞬間。それは「きょうどう」の一瞬でもある。誰も意図していない、でも誰もが参加している、その一瞬。それを作り上げているのは暗黙の空気だし、その場の仲間(観客も含めて)が何を求めているのかを瞬間的に察することだ。でも、これは一瞬の「きょうどう」だ。その一瞬を無理やり継続しようとすると、どこかに無理が来る。絶妙な一瞬は一瞬だから絶妙なのだ。この頃の表記で書けばネ申を継続させることはネ申でない人間には無茶だ。やろうとすると先に書いた「空気読め」になるか、カルト的な組織になってしまう(別段宗教の体裁をとっていなくても、何かが万能の存在でそれ以外のものは全てダメだというやり方は、カルト的だと私は思っている)。

 joint(ジョイント)という英語は耳慣れないけれど、何かをつなげて一緒にやることだから、日本語の協同に近いかもしれない。日本では珍しいかもしれないが、ジョイントパートナーシップといって全く同一の権限を持って、事務所を運営していくというやり方がある。対等の立場、対等の関係がパートナーシップだから、協同よりも共同に近いのかもしれない。私が研究しているミルは将来の労働像をパートナーシップに求めている。互いに同等の立場で、ただし役割権限は互いが納得した上で分担する。ときに役割分担が暗黙のうちに交代することもある。求めるものが異なってしまったと思えば、解散する。それがパートナーシップだという。ついでに彼にとっては婚姻関係もパートナーシップだ。だから互いに求めるものが違っていたり、愛情が消えてしまったり、一方的な権力関係に陥ったりしてしまえば、解消するのが当然なものである。こんなミルからすれば「仮面夫婦」や「上司の命令で…」はパートナーシップではない。となると、今ある働くための組織の大部分は「きょうどうではない」方に入りそうだ。ジョイントストックカンパニーは株式会社なのだが、本当にジョイントしているのは株の利益だけのところがほとんど(いやそれさえも怪しいのかもしれない。その会社の株からの利益じゃなくて、売買益が目的なら、株もジョイントしていないのだろう)。

 さて「きょうどうではない」の代表格をあげてみたのだが、みんなはどの「きょうどうではない」が一番気になるだろう。役割分担が固定化している・一方的権力関係がある・空気を強制される・教え込まれる…。その一番気になる「きょうどうではない」は案外みんな(私も含めて)自身が、自分の身近であるいは自分自身でやってしまっている「きょうどうではない」かもしれない。人間の無意識は面白いことに、自分の嫌いなこと(嫌いなところ)を目の前にすると、それが気になって仕方がなくなるようにできているらしい。

 私が気になっているのは「教導」だ。教員という職業はどうしても「教導」してしまう。知識や方法、考え方は所詮「教え・教わる」ものではなく「身につける」ものだとわかっていても、「わかってほしい」「身につけてほしい」が先に立つ。そうなった途端、私は教えるものになってしまい、教わることがなくなってしまう。相手は教えて貰えばいいになり、教わろうとはしなくなる。それが目に見えていても、教えることもある。けれど、正直に言えばそれは教えているのではなく、愚痴を言っているだけなんだ。「教える側」「教わる側」となった途端、教室やゼミ室にいる人間の顔がみんな一色に見えてしまう。そういう事態が何度かあって、そのたびに嫌になるんだが、なかなか脱することはできない。そんな風に自分で一番気になっているから、時々他人のそれも気になる。たとえば難民支援・災害支援の報道、障害者に関する報道。自分たちが「助ける側」だと決めた途端、役割は固定し、行動は型になり、自分も相手もレッテルとしての存在になる。「助ける側」ー「助けられる側」のレッテル以外の存在としては、互いに関わりを持たなくなるということだ。教導があっても「きょうどうではない」関係で終わってしまう。それはすごく残念なことだ。とくに「教える側」「助ける側」にとって残念なことだ。なぜなら、そこで自分の成長が終わってしまうから。学ぶこと、助けられることを忘れてしまうから。

 なんらかの意味で優位な側にいる(先進国出身だとか、知識を持っているだとか)と、自分が全てにおいて優位だと思い込んでしまいがちだ。それは「きょうどうではない」仕組みしか生み出さない。けれど自分がなんらかの意味で優位だという意識は捨てがたい。正直人間はどこかで自分が他より上だと思いたがっている。たとえそれがどんなちっぽけなこと(親の社会的地位だとか、偏差値だとか)であってもだ。それは助けられる側でも同じなんだろう。「世界の矛盾や困難を一手に引き受けている我らを助けることで、おまえたちは神の国に行けるのだ」という理屈は十分に成り立つし、実際に成り立っている社会がある。助けられる側にも、優位の意識はあり得るし、当然のことだろう。大は国際的援助から小はクラスルームやご近所付き合いまで、人が集まるところには優位性の競争がある。そのなかで「きょうどうではない」ものから「きょうどう」を作り出すにはどうすればいいのか。

 私にも答はない。けれど少なくともアンテナを立てておくこと、他の人間がやることに疑問(?の疑問ではなく!の疑問。そんなやり方があったのか!という驚きを持った疑問)を持つこと。そして不思議なこと、!なことや?なことを当人に聞いてみること。ようは当たり前のコミュニケーションの基本を大事にすること。そして「待つ」こと。一番難しいけれど、結果がわかるのは早くて10年先ぐらいの気持ちでいること。最後に「あきらめない」こと。何度「きょうどうではない」になっても、いつかどこかで…と何度でもやり直してみる、仕切り直してみること。そのうちに答が見えてくるさ~と楽観的にあきらめないことが肝心なのかなと思う。

パッケージと包む

失われた30年、活力のない若者の反動なのか、オリンピックを盛り上げるためなのかは知らないが、近頃某N_Kまでが「外国人が驚く日本のすごいところ」を取り上げる。その中に出てきたかどうかは知らないが、包装紙一枚であらゆるものをきちんとパッケージする、あの技は世界的に例のないものだと思う。町の雑貨屋や文房具屋に行けば、パッケージやラッピングに使うグッズが花盛りだ。高級なところだけではない。昨冬焼き芋を買ったら、きちんとコーン型に畳まれた新聞紙、それも外国新聞紙に入っていてびっくりした(たった100円なのに)。

 日本でもこれほどパッケージが美々しくなったのは、ここ50年ほどのことだろうと思う。ただ日常的にこうした美しく使いやすいパッケージが当然の世界に生きているからだろうか、日本では全てが「美しく、カドも綺麗なパッケージ」に入っているのが当然という風潮があるような気がする。プレゼントならばそれもいいのだが、情報まで「綺麗なパッケージ」に入ったものがいいとなると、これはちょっと困りものだ。

 動画や動画付きの投稿サイト、まとめサイトにウィキペディア。これらはまぁ当然として、官公庁のホームページに置かれているパンフレットの類も含めたい。特徴としては、パッと見てわかりやすい図(動画)や言葉が書かれていること。文章が長くないこと。体裁が整っていること。官公庁の部類は別として、リツイートされたり、「いいね」されている数が多いこと。そして一番肝心なことなのかもしれないのが、グーグル検索でトップ10位に入っていること。インターネットならば、こうしたものがパッケージに入った情報になる。テレビのニュースなら…テロップ(死語?)。画面の中の人がしゃべっているときに下に流れる字幕。あの字幕だけ見ていれば、わざわざ前後の発言に耳を傾けていなくても大丈夫。新聞ならば1面の見出しかな?週刊誌なら吊り広告。どれもコンパクトで、短い注意だけで「わかった」と思えるもの。

 なにが分かったのかと改めて問い直されると、自分でもなにが分かったのかよく分からない。でもネットの画面を見ているとき、テレビを見ているとき、広告を眺めているとき。「あぁなるほどね」と思う。「あ、そうだったんだ」と納得する。パッケージが綺麗だというだけで、何かが分かった気になるというと、言い過ぎなのかもしれない。けれど、パッケージが綺麗、つまり余分の手間をかけずに済めば済むほど、それ以上の探索をしなくなる。そしてパッケージの情報以上の情報は「探す必要がない」情報だと思い始める。実際の旅行であっても、パッケージ情報以外のところに行こうとはしない。というより情報がないところは行く価値がない、極論すると「ない」場所になってしまう。

 昔、いわゆるマスコミのない時代、情報は生でしかなかった。だから誤りが多かったし、枝葉がてんこ盛りに茂っていた(のだと思う)。噂話や幽霊話、言い伝えに「昔ある時に」から始まる話。そんな話の中から、自分なりの経験で自分なりの生を作っていかなくてはならなかった。もちろん一人でできる作業ではない。同じようなコトをしている仲間(それは村単位かもしれないし、性別・年代別、あるいは同業種の集まりかもしれない)が寄ってたかって、大風呂敷を広げては畳み、畳んでは広げしながら、枝葉を落としたり、隙間をなんとかかんとか押さえたりしながら、自分たちに役に立つものとしてまとめて、包みあげていく。そんな形で情報と付き合っていたのだろう。今でもこうした方式で情報と付き合っている人は多い。大概は自然という人間を包み込んでいるものと、直面しなくてはならない機会が多い人だ。日本だと農・林・漁業の現場に限られるかもしれない。がアジア各地だとまだまだ日常生活で自然に包まれている(それは決してリラックスできる環境ではない)。情報を包みながら日常を送っている人たちの方が多いかもしれない。

 情報を包むことと、情報をパッケージすることとは、大きな違いがある。パッケージにする場合は、パッケージの形態があらかじめ決まっている。自主規制のことではない。見やすく滑らかにするための形態(文字の大きさ、字数、一度に処理できる情報量)があるということだ。形態の中に収めるために、複雑な背景は切り縮められれる。あるいは抹消される。データも結論に合わせて加工される。情報を加工して、結論に至りやすい道筋に印をつけておくだけ…だから情報を偽装するわけではない(はずだ)。包む場合はどうだろう。まず何が重要なのかわからないから、枝葉を最初っから切ってしまうわけにはいかない。マルッと包み込もうとしても、「生」だから動いている(語句上の洒落ではなくて、生の情報は一瞬一秒で変わるものだ)。落ち着き先の形態もわかっていない。なんだかんだと取っ組み合って…ということを毎回繰り返す。その中で体感として情報との付き合い方を覚えていく。そんな情報が蓄積していった結果が口伝だ。口伝は聞いただけでは何を意味しているのかわからない場合が多い。実際にその場に立って体験を続けていかないと口伝の意味合いはわからない。

 パッケージ情報はスベスベとして付き合いやすい。それに科学的な理屈にバックアップされている。最初に書いたようにパッケージ情報だと考えずに済むから楽だ。だから、今の日本ではパッケージ情報が流通しやすい。口伝といった包まれた情報は何を表しているのかよく分からない。包まれた情報を自分の生身で持って解読する必要がある。手間がかかるし、考えなくてはいけない。天気予報がパッケージ情報だとすると、「あの山に雲がかかるとそろそろ…」というのが包まれた情報だ。スマホが普及しSNSを利用した情報収集が行われ、天気予報の精度は上がってきている。それでも天気予報は今・ここの数時間後あるいは数分後の天気には弱い。なぜなら、天候を左右する条件が複雑すぎるからだ。あくまでも大雑把な予想しかできない。その大雑把な予報にこの頃精度が求められるものだから、10%の降水確率何て予報になる。10%なら傘がいらないかというと、夏の夕立・冬の時雨にあったりする。でもそれは天気予報が悪いわけではない。初めから確率でしかないといっているのだ。まして夕立のような短時間の驟雨は、24時間のうち2時間だけのことが多いのだから、なおさら文句は言えない。

 今の日本に限らず、先進科学が蔓延しているところだと、人は天気予報を当てにする。そしてそれで十分だったりする(突然の驟雨にはコンビニで傘)。それでも想定外の災害が起こるものだから、ラジオやテレビで「突然空気が冷たくなったら豪雨の恐れがあります」と口伝を、包むやり方を教えている。でも、木立の前を通っても、打ち水をした道を通っても、冷房が効いたデパートの自動扉の前を通っても「突然空気が冷たくなる」。揚げ足取り、というかもしれない。そう、この事例は揚げ足取りだ。でも豪雨や驟雨の前の空気の冷たさと他の空気の冷たさをどう伝えたらいい?雨の匂い。それもある。が、雨の匂いってどんな匂いだろう。足首をさっとすり抜ける、ベタッとしている風。うん、私ならそう説明する。なぜって瀬戸内あたりではそうだから。でも高知ではどうだろうね。埼玉や熊谷ではどうなんだろう。北海道では?日頃体感している風は土地によって質が違うはずだ。そして「そろそろ」と予報できるのは、口伝を体感している人だ。観天望気という言葉の通り、雲の形、空気の温度や湿度を感じ、自分の今までの経験と蓄積された経験である口伝をすり合わせて、「そろそろ…」という。だから情報を包む方法は土地によって違うだけじゃない。その人なりの包み方がある。こちらは口伝にならないので、残ることは少ないけれど「~の芸風は」なんていうのがそれに近い(周囲の人の中に立ち居振る舞いが綺麗な人、一目見てこれはあの人がやった仕事と分かる人がいないだろうか)。こんな複雑で正体がわからない情報との付き合い方が、スピードと効率そしてわかりやすくが優先される世の中で、廃れていったのは無理もないかもしれない。

 でも、包むやり方の根幹、なんだかわからないものに対処するときのやり方は捨ててはいけないと思う。それはどこであれ生き残るためのやり方のはずだからだ。「そろそろ」と予報できる人が、「そろそろ…」という時、その「そろそろ」に従った方が無難であることが多い。「そろそろ」で始まる事態は、大概その場で生き続けるために避けなくてはならない(あるいは実行しなくてはいけない)事態だからだ。その判断の根幹にあるのは、複雑な事態や事象の中で、自分自身の中で形成された経験や智慧を、今・ここの事態や事象とすり合わせることだ。それは硬いパッケージではできない。かつての「無駄」を切り捨て、複雑さを縮小したパッケージには、今・ここの複雑さに対処できるだけの余裕がない(天気予報が今・ここに対処できないように)。包むやり方の根幹にある対処の仕方。それは複雑さを捨てないこと、訳のわからないものを訳のわからないものとして受け止めること、すべて分かったと思わないこと、そして自分で今あるここを感じ、考えることだと思う。

「活」ー人工でもなく、天然でもない

活」という漢字。いろんなところで目にする。一番多いのは「活魚」「活ホタテ」といった看板類。近頃やたらと多いのが「活性化」。こちらの方は店頭ではなく、テレビや紙面で目にする事が多い。一方で魚介類の鮮度を誇る漢字、一方でなにやら人が沢山いる(賑わっている)事態を表す漢字。一体本来の意味はどうなっているのだろうと思って『字源』をあたってみた。

 「活」:生存する、蘇る、勢いが強い、生気に満ちる。右側は舌ではなく、丸ノミで削ったその後をあわらす字。勢いのある様を表すのだそうだ。そこに水を表すさんずい偏が付いているのだから、奔流がほとばしるかのように下って行く様が「活」なのだろう。さらに字典をたどって行くと「活句」といった言葉に出会う。文章や詩の中で、その言葉があるから全体が生き生きとしてくる、そういう一句を「活句」というのだそうだ。

 さて字源を尋ねれば成る程、ピチピチの鮮魚だから活魚は納得である。だけど活性化の方はどうだろう。確かに蘇るという意味がある。一旦衰えたものを再度復活させよう、賑わいを取り戻そうという意味合いで使われるのも納得できる。ただ取り戻すべき賑わいを表すもう一つの活、「活気」と「活性化」とでは「活」が微妙に色が変わっているような気がする。例えていえば天然染料の青と人工染料の青の違いみたいな感じだ。色の鮮やかさ、色あせのしにくさは人工染料に軍配があがるのだが…「なんとなく…ね、違うのよね…鮮やかすぎるっていうか…」と戸惑う時のあの気分。あの戸惑いを感じる違いを「活気」と「活性化」の間でも感じてしまう。

 それは人の手が入っていないという意味合いではない。天然染料だって、人の手を経なければ「色」がでないのだからそこは同じだと思う。人の手が入っている・いないではなく、人の意図だけで出来上がっているのか、人の意図以外のものが働いているのかが、その違いなのではないかと思う。なんだか禅問答みたいになってきたけれど、染料の例えをこのまま続けて説明してみたい。

 人工染料は天然染料の成分分析を経て誕生したものだ。どの成分が必要で、その成分をどのように組み合わせれば、人間が望む「青」を手に入れることができるのかを追求した結果出来上がったものだと言っても良い。現在の人工染料はその上に色あせがしない、にじみにくい、色落ちがしないといった機能が付け加わり、ますます「便利な」「手軽な」染料になっている。極端にいえば、誰がいつ使っても、使い方さえ間違えなければ、世界中で同じ「青」ができる。人間の意図に限りなく100%に近い出来上がりが保証されている。天然染料だとこうはいかない。例えば藍で青色に染めることを想像してみよう。藍から取れる染料に布を付けただけでは「青」にはならない。灰汁などの媒染剤がいるということではない。瓶覗(かめのぞき)という色目があるように、1度目はごくごく薄い青ともいえぬ青色になる。何度つけたら「青」になるのかは、その時々の天候や温度湿度に左右される。ココと決めてあげても望み通りの青ができるかどうかは、染め上がるまで確証が持てない。なぜこんなことが起こるかというと、布を染め上げているのは人間だけではないからだ。先ほど挙げた天候、つまり自然が勝手に手を出してくる。その手の出し方は一様ではないし、予想も難しい。だから天然染めには味が出る…というと聞こえはいいが、マダラあり、染め抜けあり、色落ちありで、染め上がってからも付き合いが必要だ。

 さて、活性化には必ず出来上がり予想図がある。この予想図に限りなく結果を近づけようとして工夫を凝らすのが「活性化策」になる。出来上がり予想図はこれまでの成功例をモデルとしたものだ。数々の成功例の中から、これが成功の要素だ!と思えるものを抽出し、活性化しようとしている対象地区に当てはめる。もちろん海がない、山がない、特産物が違うという要素は考慮されるが、それは代替可能なものである。「ひこにゃん」が当たった後のご当地キャラクターを「ゆるキャラ」と一まとめにすることができるのも、「ご当地名物」+「なんらかの動物らしきもの」+「癒し系的」といった共通要素があるからだ(鰹人間やふなっしーが妙に目立つのは、共通要素から外れてしまっているからでもある)。「くまモン」のように周到な計画のもとに確立されたキャラクターもある(おかげで「くまモン」がどこのご当地キャラクターなのか、この頃だんだん不明になっている気もする)。活性化策が成功すれば、人が大勢やってきて賑わいが生まれる。結果的に衰退していたその土地が永続的に発展する契機を作ることができる。そういう人間の意図のもとに製作され、実行されていくのが活性化だ。

 「活気」はもう少し曖昧なもののような気がする。確かに人の多い商店街は「活気がある」といわれる。人気のないシャッター通りは活気がない。けれど、この二つの通りの違いは、人の数だけで決まっているのだろうか。東京新宿西口の朝出勤時刻。おそらく日本中で一番人出が多いところだ。その新宿西口の通勤風景は「活気ある」風景だといえるだろうか。あるいは山の手線の駅でもいい。通勤ラッシュの人混みは殺人的とさえいわれる。人数の多さ、人々が目的を持って急ぐスピード、どれを取っても勢いのある風景だ。けれどなぜか「活気がある」という言葉を使うのがはばかられる。なぜだろう。同じ人数がいて、同じように混雑していても、TDLの風景を活気にあふれていますと表現するのにあまり違和感がないのに、山の手線や新宿西口通勤風景を活気にあふれていると言いにくいのだとすれば、その相違はただ一つ「そこが目的なのか」だ。通勤客の目的は駅や西口そのものではない。そこは通過点だ。だからできるだけ多くの人数を効率よく運んでくれればいい。人間もそこでは運搬される荷物(自分で運搬しているけど)でしかない。一方のTDLはそこが目的である。そこにいる人間は荷物ではなくて、それぞれ自分流の何かを楽しむことを目的としている。「楽しみたい」「楽しもう」「ここは楽しい場所だ」、そう思っている人の姿はイキイキしている。

 TDLはそういう仕掛けを人工的に作り出している。その点では活性化策に近い。そしてそこに集まる人はTDLという「夢の国」=現実世界ではないところを楽しむために集まっている。そういう点ではTDLは隅々まで人の意図を徹底した「夢の国」である(活性化策の多くがどことなくテーマパークに似てくるのはそのためかもしれない)。

 これに対して商店街の活気はどうだろうか?確かに人は商店街に「買い物」にやってくる。日頃目にしない服飾雑貨を手にしたり、はやりの飲食店を目当てにやってくる人もいる。こうした人たちによる活気はテーマーパーク的だ。無目的に見えて目的がある。ところがこうしたテーマパーク的に活気がある商店街の裏には住宅地がないことが多い。かつてあったにしろ、だんだん少なくなっていく。なにしろ休日ともなれば車も人もいっぱいになるのだから、住んでいる住人はたまらないのだろう。より静かな場所を求めて人が出て行く。そしてテーマーパーク的仕掛けが二兎を呼べなくなってくると…平日の買い物客に乏しい商店街は一挙に活気のない商店街になる。
 TDL的商店街ではないが活気のある商店街もある。大概は無秩序に広がっていることが多い。平日昼間は人通りも少ない。シャッター街一歩手前にも見える。けれど、どことなく人の暮らしの気配が漂っていて、一概にシャッター通りといえない雰囲気がある。暇そうにしてる魚屋は夕方の惣菜の仕込みをぼちぼち始めている。店の中で常連客とお茶を飲んで、かれこれ1時間以上しゃべっている婦人服の女将さんがいる。そんな雰囲気が通りを歩いていると、どこからともなく漂ってくる。「ああ、繁盛しているんだな~たぶん」と思わせる、そんな「気配」がある。

 こうした静かな活気はなかなかわからない。そこに住んでいる人も自分たちのところが活気があるとは思っていないかもしれない。なぜなら「誰かが意図を持って」作っていないからだ。誰かの意図を反映していないから、人が作ったとは言えない。けれどそれを作っているのは人でもある。こうした静かな活気がどうやってできるのか、誰も明確な処方箋を書くことができない。生み出そうと思っても、必ず生み出せるとは限らない。天然染料の青に似たところがある。人以外の何かが「活気」を生み出している。それは、人と人との間で自然と醸し出される何かとしか言いようがないものだ。

 静かな活気は商店街に限らない。地方のひっそりとした家並みに、田畑に感じることもある。自然が豊かなのではない。自然がよく手入れされているのだ。人の手がマメに入っていることがよくわかる土地。人が人と、そして人以外のものと会話していることがわかる土地。そこには静かな活気がゆっくりと息づいている。

 20世紀、人間は常に意図と目的を持って行動をしてきた。人間以外のものは意図と目的に従うものだった。その時代の活気は意図と目的を同じにしている人が大勢集まっていることだった。これからの時代、多くの人が全く同じ意図、全く同じ目的で、同じ方向を向いて歩くことは期待できない。では活気がなくなるかというと、そうではないと思う。目的はバラバラだけど、そこで自活しようと集まってきた人たちが、人同士と、周囲の人以外のものたちと、ゆっくり付き合うことで醸し出される静かな活気が、もっと重要になってくると思うからだ。実際「活」には生業で生きているという意味もあるのだから。

「地域」の「計画」

地域計画という言葉にはどこか古めかしい印象がある。もっともそう思うのは行動成長期に生まれ、農村地域だとか第○次計画と言った言葉を習ってきたせいかもしれない。ともあれ、地域にしろ計画にしろ、各々の単語は今まで使われてきた言葉だ。

 まず「地域」を取り上げてみよう。地域には行政区画、集落区画のように地続きになった土地をまとめて呼んだり、商業地域、工業地域のようにその土地の性格でひとくくりにしたものもある。このところ衆目を集めている言葉では、地域ブランドに地域資源がある。何れにしても地域の特徴は「地続き」にある。地域資源と資源は付いているが、石油や金、ダイヤモンドと言った資源のように国境をまたいで存在するわけではない。同じように蕎麦が売り物だからといって信州と出雲を同じ地域としてひとくくりにして、活性化しようとは誰も思わないだろう。地域という言葉には土地に区画線を引いて、内と外に分けることが含まれている。地続きの地域が、地域資源をブランド化(地域ブランド)して、生き残りを図るというのがここ数年の動きだ。この方向性に本当に生き残りの可能性はあるのだろうか。私自身は低いと思っている。0だとは言わないまでも、極めて低いと思っている。こうした地域の活性化には二つの障壁があると思うからだ。一つは「金太郎飴」、もう一つは「人材不足」という壁である。

 この二つの壁を説明する必要はないと思う。が、なぜ金太郎飴になるのか、人材不足は何なのかは説明しておきたい。地域ブランドにしろ地域活性化にしろ、掛け声は「その土地特有の良さを活かす」である。けれど何がその地域特有の良さなのかは自分たちで考えなくてはいけない。ところが大概「そんなものはない」「何が良いのかわらかない」という答えが返ってくる。そこでいち早く成功した地域へ視察旅行が始まる。そして「あれが良かった。自分の地域でもあれを」になる。農家が競争的に出荷する産直市が成功すれば産直市を、ゆるキャラはいうまでもなく、擬人化キャラを募集し…とどこかで見たような企画がならぶことになる。さらにこうした金太郎飴企画を策定しているのが、東京の某大手広告会社の出先機関だったりする。地元に人はいないのか?という声が上がりそうだが、すでに流出済みか、いても「信用」されていなかったりする(この田舎にそんな才能のある奴はいないはずというわけだ)。ようは金太郎飴と人材不足は根っこが同じなのである。「内向き志向」という根っこを同じにしているのだ。

 この内向き志向という奴は、思っている以上に厄介なところがある。前も書いたことがあるが日本という土地は「外から良いものがやってくる」土地である(ユーラシア大陸の吹き溜まりといった人がいるが、言い得て妙だ)。だから良いものを生み出そうとするときに、「外のものを模倣する」という性向をどうしても持ってしまう。そのこと自体は決して悪いことではない。しかしその性向が行きすぎて、自分たちで課題を解決しようとせずに「外から来る良いものを待っている」となると話は別である。砂漠に頭を突っ込むダチョウと同じで、逃げているようで逃げていないことになる。そして残念ながら、現在の日本ではどこの地域でもこの行きすぎた内向き志向が強い(東京は?と聞かれるかもしれないが、東京こそ「外からの良いもの」を待っているところじゃないかと思う。変に「方言」が流行り、NYやどこやらで流行った「健康的な」「環境に優しい」ナントカカントカがすぐに進出して、歓迎される)。

 では「計画」の方はどうだろう。近頃は教育現場でも税金等費用をかける(金を払う)のだから、それに見合う実績をというわけで、PDCAが叫ばれている(PDCAとPTSDとよく取り違えてしまうのだが、私の深層心理がそうさせているのだろうか?)。PDCAが典型的だが、まずしっかりとした計画を立てて、計画通りに進んでいるか、進まなかったらその原因は何か…という文脈で計画は使われる。それがマズイわけではない。マズイわけではないのだが…得てして「計画倒れ」が起こったり、計画通りにいかなかったときの「隠蔽」が起こったりする。どうも日本(政府だけでなく個々人も)は計画性をもって事にあたり、事実を冷静に客観的に検証し、原因となる「こと」(人ではなく)を追求するのが苦手なのではないかと思う。ついでに言うと、確証がない印象論なのだが、鰯のような小魚を食べるていると「ザッと」してしまうのではないか、綿密な計画を立てて…ということは苦手になってしまうのではないかと思ったりもしている(ヨーロッパだとイタリア・ギリシア・ポルトガル・スペイン…財政破綻したところばかりー笑)。ただ、こうした綿密な計画だけが計画ではないと私は考えている。ザッとしたなりの計画があっても良い。ザッとしたなりの計画は、破れが多いしその場でつくろわなくてはいけないし、いったい最初はどこを目指していたんだというところが出てくる。が、ザッとしたなりに何となく、キチッとはしていないけれど、取り敢えずのことはできる。やりながら考えるのか、考えながらやっているのか、やってから考えるのかの別はあれ、考えてはいる。そしてザッとなりでよければ、地域は「土地続き」の「内向き志向」から脱出できるかもしれないと考えている。

 綿密に考えれば地域は地続きで一体になれるところだし、何か共通項がキチンとあって、目的を共有して、プランやビジョンを立てて活性化しなくてはいけないところだ。(ここでは「活性化」が何を目指してかは問わないでおこう。話が長くなるから)。でも、ザッとでよければ、「問題や課題が一緒のところ」でも「気候や特産物が似ているところ」でも「歴史的に縁ー因縁も含めてーがあるところ」でも、繋げる要素はでてくる。実際に藩主の縁続きで共同して地域おこしをやっているところがある。東北仙台と四国宇和島だ(双方とも伊達氏)。

 だとすれば換金できる地域産業に乏しい、若者がいなくなる、女性が貧しいといった課題ごとに、土地を飛び越えて連携することも可能なのではないか。連携主体は自治体でなくていい。その土地に住んでいるごく一部の人でもいい。いやむしろ少数のほうがいいかもしれない。少数のコアとなる人が動き出すと、内向き志向の地域では大概「孤立」という運命が待ち受けている。より正確に言えば、尖った面白いコアな動きをすればするほど、内向き志向から浮き上がることになる。今まではそこからその地域で活動を広げることが大変なことだった。けれど、もうそれは必要ないのではないだろうか。ある地域にいながら、その地域とは別の地域とつながっている。それは日本の他の地域でもいいし、アジアでもいいし、アフリカでもいい(先進国でないほうが面白いと思う)。課題の解決方法を共有する必要すらない。ザッとしたものでいいのだ。極端な話、「俺ら、こんな面白いことやってるけど、あんたとこは?」「うちとこは、こんなんしてるで。なかなか売れへんけど」「同じやな」で始まって全く構わないと思う。大事なのは実際にやっている、やってみた経験の交換、知恵の交換である。

 ちょっと妄想してみる。フィリピンにユネスコ世界遺産に登録されているコルディエラの棚田がある。世界遺産になったものの、現金収入を求めて若者が流出し、耕作放棄地や畑になるところが続出。一時危機遺産リストに登録されたことがある。2012年に危機リストからは外れたものの、今でも課題は山積みだ。棚田を維持するためには石積みの技術が必要だが、その技術を継承している人が減ってきているなど、私が学生と一緒に行っている里山も同様だ。作っている作物や規模は違っても、日本各地の棚田も同様である。だとすれば、お互いに技術の継承し合いっこは出来ないだろうか?日本とフィリピンでは天候も違う、使う石も違うだろう。でもザッと「石積みをする」ところでは何か共通のものがあるかもしれない。たとえ片一方で技術がなくなったとしても、もう一方が継承していれば、またその技術を応用して復活させることも可能かもしれない。あるいは「石」でなくてもいいかも?という新しい知恵が生まれるかもしれない(ペットボトルの再利用なんてことが起こったら妙に面白い風景が出来上がりそうだー耐荷重的に無理だろうが)。

 妄想である。妄想ではあるけれど、日本に限らず地続きという性格を持つゆえに、どうしても内向きになってしまう「地域」を活かすためには「外」という要素が不可欠だということは、これまでも言われ続けたことだ。今問われているのは、外とどう繋がるかという繋がり方のための計画だと思う。かつての地域連携は、連携地域が遠すぎて実効性がない(姉妹都市など)か、最終的に合併を視野に入れたものだった。結局「外」をなくしてしまったのだ。「外」を無くさずに「外」と繋がるための緩やかな方策。どこか一地域と固定的につながるのではなく、多くの地域とゆる~く、でも手放さずに繋がっていける方策。そんな方策がこれからの地域計画なのではないかと私は思っている。

冒険

 冒険と聞くと大概危険なこと、大変だけど見返りとなる栄誉や利益がたいそう大きなものを想像する。確かにこれまでの冒険は未知への挑戦であり、何か特別なことだった。またこれまでの冒険には明確な特定の個人がいた。主人公というべきかもしれない。漫画のワンピースだったらルフィーと麦わらの一味といったところだろう。特別な能力なり先見性がある人が、通常の人がやらない事を平然と実行する。一般の人々は呆気にとられたり、その無謀をあざ笑い、嘆いたりする。けれど一旦成功すると万雷の拍手を持って迎える。そんな感じだろう。

 では渡り鳥はどうだろう。彼らが地球を股にかける冒険をしていることに異存がある人はいないだらう。しかし渡り鳥に特定のリーダー、他に秀でたリーダーがいて、すべての群れがその決定に従って渡りを始める…のではない。

 渡り鳥に限らず鳥たちが集団で移動する時、どこからともなく同種の鳥たちが集まってくる。電線の上に、木々の梢に、一羽、二羽、と見る間に群れになる。群れになってしばらくは動かない。一羽が飛び立っても全体は動かない。そのうちパラパラと飛び出しては戻ってくるのが現れ、やがていつともなく全体が一団となって移動する。渡り鳥も都会の雀やカラスも基本は同じだ。こういう集団行動の始まり方は鳥たちに限った事ではないらしい。幸島の猿で有名な猿が芋を海水で洗う行動も、子猿ー好奇心満タンで怖いもの知らずーが始め、それが集団に広がったとはいえないらしい。というのも、少なくともその付近の海に面した猿の集団で同時多発的に芋洗いが始まっているからだ。最初の行動が何かを始めるきっかけになるのではなく、初めての行動を模倣する個体が出てきて集団の行動が変わって行くのだという。

 実は人間でも同じように先駆者が一人いても変化は起こらないのだという。先駆者に続く第二の人がいるかどうかが鍵を握っている。実際に実験している動画がYouTubeにあるので検索して確認してみて欲しいのだが、スポーツ観戦中の観客が一人、いきなり服を脱いで踊りを始める。しばらくは誰も続かない。が、もう一人が同じように服を脱いで、踊りだし、一緒にやろうぜという風に手招きをすると、続いてやりだす人が増えてくるのだ。奇妙な行動、突飛な行動であっても「みんな」であれば怖くない、というわけではないのだろうが、後続者がいて変化が起きるという点が面白い。そして私は「冒険者」が現れるのも、こうした人間や鳥のような動物に共通の行動パターンが関係しているのではないかと考えている。

 冒険は一人ではできない、仲間が必要ということではない。冒険には資金がいる。時代や社会が変わっても、資金ではなく資材や人望であれ、何か突拍子もないことをやる人をバックアップしてもいいという人が必要だ。一緒に冒険する仲間ではない。率先して支持する人だ。いいねマークを押す人、すごい、かっこいいと言ってくれる人、資金等を持っている人につなぎをつけてくれる人、実際に資材や資金を出す人…等々。なんでも、どんな形でもい。理解者、味方である人たちが必要なのだ。

 しかし支持する人たちを作り出すことは不可能だ。自分の冒険への賛同者を得ることは難しいけれども可能だ。自分の熱意なり確信なりを共有するのが賛同者だ。だから確信の証拠なり、熱弁なり、人間的な魅力なりで惹きつけることはできる。けれど賛同者は賛同した時点で冒険者と同じ立ち位置になる。今まで誰も考えつかないようなアイデアを実現し、商品として売り出すこと(これもまた冒険だ)を考えてみると分かりやすいかもしれない。既存企業の中でやるにしろ、新規に立ち上げるにしろ、まずは自分のアイデアをわかってくれて、一緒にやってくれる人(=賛同者)を得ることは大切だ。だが、賛同者が集まって自分たちで資金を得て商品を開発することができたとしても、売れるかどうかは別だ。今まで誰も考えつかない訳だから、事前に「~のような商品を買いますか」と商品調査をしても、答える方も困るだろう。なにしろ「考えてもいない」商品なのだ。売れるかどうかは市場に商品を出して、「いいね」と言ってくれる人がいるか、お金を出して買ってくれる人がいるかどうかにかかっている。そして最初に飛びついた人を真似して続く人たちが必要になる。トレンドを作るというやつだ。(それでも想像しにくい場合は、スカートの下にズボンを重ね着することが「普通」になったのが何時からだったか振り返ってみてほしい)。

 確かに高度に情報化された先進諸国では、トレンドセッターといわれる一群の人たちがいる。彼ら・彼女たちに対して商品をプロモートしてトレンドを「作る」ことは可能なように思える。けれどもそうして作られたトレンドは小さなもの、長続きしないものであることが多い(陳腐化するともいう。ようは飽きられやすいということだ)。これに対して世の中を変えた商品は最初は「誰が買うんだ?」といわれ、ごくわずかな人が買い、それを真似る人がでて…と小さな流れが大きなうねりになるように広がる。こうした大きなうねりを人工的に作り出そうと様々な仕掛けがなされるが、うまくいった試しがない。本来のトレンドは作ることはできない。だた「ある」。いわゆる「時代の空気」というやつだ。この時代の空気がなければ、どんな冒険も帆を張ることができない。コロンブスはイスパニアの援助で世界一周を成し遂げた。その前に彼はベネチアに援助を断られている。コロンブスが説いたこと、彼自身は変わらない。変わったのはイスパニアとベネチアという違った「時代の空気」を持つ土地だ。

 さて、現在はどうだろう。冒険が認められる空気があるだろうか。少なくとも日本には「ない」という答えが返ってくるだろう。その答えは半分正しく、半分間違っている。正しいというのは、かつてのような「勝者総取り」「一攫千金」の冒険が認められ、賛同され、支持される余地はなくなりつつあるからだ。これは日本だけではない、世界的にそうだ。金融バブルを期待するなら別だが「画期的」なものが産まれる余地を見いだすのは難しい。技術が高度化し開発に多額の資金がいる分野が多すぎるからだ。じゃあ、全く冒険の余地がないのか、ずっと毎日同じ生活を続けていくしかないのか。確かにそういう閉塞感はある。が、逆に閉塞を感じる(息苦しいと感じる)ということは、余地を求めている人が多いということだ。もし、少しでいいから「余地」が見えたら、自分では余地を作れないと感じている人たちは猛反発するか、熱く支持するかのどちらかになる。「極論」と同じ構造だ。針の触れやすい時代状況だ。風は滞留している。風穴が開くのを待っている。 

 かつての近代であれば、ここから極論の時代へは一飛びだった。なぜなら冒険が大きな冒険、一攫千金の冒険だけしかなかったからだ。今は違う。少なくとも主婦や学生の「小さな冒険」が社会的に紹介されるようになったというだけでも違う。確かに報道のされからは大げさだ。たった一つの成功例がすべての解決策であるかのように紹介され、冒険せずに形だけを模倣しようという動きの方が大きい。そして形だけの模倣がうまくいかなければ、成功例は特殊な人の特殊例であるかのようにみなされ、閉塞感が加速する。だけども小さな一歩を踏み出す人は着実に増えている。冒険とは当人自身も思っていないかもしれない。従来のやり方と異なったやり方、異なった生き方を選ぶ、あるいは選ばざるを得ないことで、人とは異なった生き方自体が命をかけた冒険だった(である)時代(土地)がある。今は異なることに対して非寛容だ。しかし非寛容さの前に、異なること(生き方)が「ある」事実がある。本当に「みんなが同じ」ならバッシングも排除の余地もない。日常的なちょっとしたことが非寛容につながる時代は、逆に非寛容さを招き寄せる多様性が棲息し広がり続けている時代でもあると私は考えたい。

 ようは、時代の風があるといいたいのだ。ちょっとした冒険に尻込みするほどの逆風が吹く時もあるかもしれない。けれど騒ぎ立てている人は、本当は恐怖に駆られて騒ぎ立てている場合が多い。ちょっと引いて、あるいは逆に近寄って、「怖がらなくていい」と言ってあげる。そんな余裕を持ってもいいのだ。目くじらを立て、バッシングをする人たちの反対側には、何も言えずあるいは何も言わない沈黙の大多数がいる。この沈黙した人たちがどちらかの支持者になるとすれば、それは「余裕を見せた方」だ。自分を支持する人が少なくても、淡々と自分がやることをする。多数者は変化を恐れるが、変わったことをする人が淡々としているとそれは変化に見えない。変化に見えなければ、後続者が出やすい。形だけの真似であっても実行する人が多ければ、なんだか普通に見えるものだ。先のスカートの下のズボン。私は慣れるのに3年かかった(ファッションに関しては保守的なのだ)。未だに自分ではやる気にならない。でも「アリかな」といつの間にか思っている。

 淡々と堂々と冒険しよう。それがごく当たり前で誰もができることだと心の底から信じてやってみせよう。引きながらも、遠巻きであっても「なんだかいいかも」と思う人が多数いると信じよう。それが余裕を生み、支持者を増やしてくれるはずだ。ちなみに、変わることだけが冒険ではない。止まることも冒険の一つ。変化が多い世の中で、今まで通りの生き方を続けるのも冒険なのだ。渡り鳥の中にも渡りをしない渡り鳥がいる。留鳥となって厳しい季節を耐え忍ぶのだという。