働かない若者…

若年者失業率は相変わらず9%台と高い。さらに、もともと失業率は「職を探している」のが前提条件なので、ここに含まれない若者はもっと多い。ニートと分類される若者数は、60万人。半数が25歳以上。フリーターは176万人。大学生の3年以内の離職率は約3割。

 とこうして数字を並べてみると、いったい若者たちは「働く気があるのか」という声が聞こえてきそうだ。では、逆に問い直そう。「なぜ働かなくてはならないのか」。

 小学校以前の子供が、「なんでお母さんや、お父さんはお仕事に行くの?」と聞いたとしたら、仕事のやりがいとか誇りとかよりも、まず「食べていけなくなるから」という答えを返すことが多いと思う。けれど年齢が上がると、不思議にこの問いに対して、様々な理屈や修飾語がついていく。曰く「社会への参加」「自己実現」「働きがい」…。そして、いよいよ就職活動となると、様々な自己分析ツールを使って、自分の適性やら適職を求め、自己PRでは、その職場への期待や展望を語る。不思議ともう誰も「食べていくため」という言葉を公の場では使わなくなる。

 ああ、日本は豊かなのだな…と感じる。食べていくためには、否が応でも「何かをしなくてはならない」時代が過ぎ去った社会なのだなと。そしてある意味若者にとっては不幸な時代でもある。とにかく食べていくためには、今目の前にある職や仕事にしがみついていなければならない状況であれば、迷いも悩みもない。客観的に見れば、悲惨な状況である。その仕事が自分の健康をむしばむ可能性が高く(先進諸国の企業が発展途上国で展開している「スエットショップ」など)、十分な食糧を買うだけの費用を稼げるとは限らない。「食べるために仕事をする」というシンプルな図式は、迷いを許さない。しかしもしその社会の経済状況が好調であれば、仕事にありつく望みは増大する。さらにありついた仕事で、徐々に昇給し、「食べていく」中身が充実していく。これがかつての日本だったのだろう。「金の卵」として就職列車に詰め込まれ、地方から都会に出てきた若者は、けして有利な条件で労働をしていたわけではない。けれども一旦その職を離れると、「食べていけない」という現実的な恐怖感が存在していた。そして将来より良い生活ができるという夢があった。それが「働きがい」という言葉になっていた。

 もう日本はこうした状況にはない。たしかに失業した多くの若者は厳しい生活を強いられる。フリーターの生涯賃金が正社員の1/3にとどまるのはよく知られた話である。生活保護を受ける若者も20万人に達している。一旦職を離れると、再就職が難しいという状況は、実は余り変わっていない。それどころか、高度成長期よりも現在のほうがより厳しくなっているだろう。しかし産業構造の変化と共に、「何かで食べていける分のお金が得られる」という見通しだけは、若者の間で広がっている。実際、学生時代の方が1ヶ月の可処分所得が多かった下宿生も私の周りにいる。

 さて、こうした状況の中、厳しい就職活動をしながら、「なぜ働くのか」という問いに明確な答えを持てないのが、若者の現状だろう。自分に向いている仕事なんてわからない。特にやりたい仕事なんてない。どこでもいいから正社員になりたい。正直、こうした本音は今も昔も変わっていないのだと思う。

 40年前の、30年前の大学生(その頃は進学率は3割だった)も、明確な将来像を持っていたわけではない。大学を卒業したら、何となく就職をするものだろうと思っていた。そしてその受け皿はある程度あった。入社すれば、社員研修等々、良くも悪くもその会社のやり方というのをたたき込まれていった。そして右肩上がりの経済状況の中で、もがけばとにかく業績はついてきた。自分の適性を考える必要すらなかった。

 今はどうだろう。自己分析に適性検査…。あたかも「あなたにあった仕事が既に存在している」かのような装置。そして「働きがい」や「その企業で働く理由」を求められる自己PR。ぼんやりとした本音とは別に、「あなたはなぜここで働きたいのか」という理由を求められる。それにうまく答えられないから、就職が決まらないのだと悩み始める。「働く理由」を何とか見いだそうとする。けれどそれは、プールや海を見たこともない人に、「泳ぐ理由」を問うようなものではないだろうか。働かなくてはいけないのは何となくわかっている。安定を求め、周囲の期待に応えるためには正社員でなくてはいけないとも思っている。けれどその企業にする「理由」は見当たらない。その企業のデータをいくら調べても、その企業で働く姿など想像もできない。

 そうして、何十回と就職試験に、面接に落ち続けていく中で、若者は「働く理由」を見失っていく。適性があるといわれた職種で「むいてないよ」といわれ、それではと職種を広げれば「志望理由が薄弱」といわれる。なぜ働かなくてはならないのか。そう思い始めたとき、食べていくだけなら、学生時代のバイトの延長で十分じゃないのか。その方が気楽だったじゃないか。いったい、ここまで苦労して、企業で働いて、その先何になるのかという思いがよぎる。適性とか適職といった言葉がどんどん薄っぺらくなる。

 こうした経験を経た学生たちは、それでも企業に期待している。苦労して入社したのだから「働きがい」が得られるはずだと。けれど、企業側には新入社員の教育にかける余裕がない。ひたすら即戦力として実績を求める。適性も適職もわからなかったけれど、とりあえず入社したからには、バイトよりは「働きがい」のある仕事を任せられるだろう。そういう期待はあっさりと裏切られる。バイト以上にきつい仕事、それに見合わない評価。働いても「甲斐のない」日々が続くかもしれない。それを乗り越えられれば、その企業に定着することができるだろう。けれど、乗り越えられなければ…離職という道が目の前に開けている。

 素人っぽい分析かもしれないが、学生の視点から見ると、ニートやフリーターの多さも、離職率の高さも、ついでに言えば就職活動のしんどさも、根っ子は皆同じに思える。

 働く前から「働きがい」を、「適職」を追求することが、その根っ子である。そしてその発想の根底には、中学時代から深く根を張っている「自分のレベルだったらここぐらい」があるのではないだろうか。自分ぐらいだったらこの高校、自分ぐらいだったらこの大学と、自分の意志とは別にレベル分けして、行き先が用意されている。そして行き先を決める関門を突破すれば、その中で「受験」や「卒業・就職」を目指して頑張っていればいい。それと同じで、就職活動という関門を突破して、入社すれば「働きがい」は待っているはず…と思ってしまうのではないだろうか。

 「なぜ働かなくてはならないのか」。この問いに明確な答えなどない。根本的に突き詰めれば「食べていくため」なのだ。そして「今現在」食べていくためだけであれば、フリーターであってもニートであってもかまわない状況が、現在の日本にはある。そんな日本で、若年者就職支援と称して、さらに自己分析や面接対策等々、就職活動のテクニックを支援したとしても、若者はいずれ就職への動機をうしなってしまうだろう。学生時代に働くことを体験しようという「インターンシップ」も、都会では就職活動の一環になってしまっている。新入社員の定着率を上げようと思っても、そこまでの人手も労力もない。かといって何とか離職はとどめたい。正直八方手詰まりというのが、行政も企業も実感的な本音だろう。

 では処方箋はないのか。私はそうは思わない。若者に個性的な生き方や働きがいを求めるのはいい。が、その前に働くことの理不尽さを体験してもらう必要があると思っている。働くことは常に相手(仕事仲間、上司、顧客)があってのことだ。必ずしも自分のやりたいことが実現するわけではない。どんなに努力しても実績は別だ。こうした「理不尽さ」心得た上で、もう一度「働くこと」を考え直すことが必要なのではないか。その一方で小さな事でもいいから、自分がやったこと工夫したことが目に見える形でわかる体験も必要だろう。ということで、私が示す処方箋はごく単純。まずは手と足とを動かす労働を学生時代に体験すること。それもできれば最も理不尽な自然を相手に。どんなに頑張っても、一度台風が来ればすべてはおじゃん。どんなに頑張っても、ベテランの技には適わない。その一方で、ちょっとした自分自身の技量の発達を実感できること。非常にプリミティブなことだけれども、その積み重ねがもう一度若者たちに、本当に「働く事って何」を自分事として考えるきっかけを作るのではないかと思っている。その結果として、フリーターの数が変わらなかったとしても、私はそれでいいと思う。統計数字は変わらなくとも、自分自身の働き方をつかんでのフリーターと、仕方なしのフリーターとは、大いに違うと思うからだ。

 今、若者たちが「働くこと」を問い直さなくてはならない時代になっている。その時代に、年配者として私ができることは、働くことの理不尽さと楽しさを自分事として受け止めてもらえる場を作り出すことだと思っている。

「三方良し」の三人目

「売り手良し、買い手良し、世間良し」が近江商人の商是として有名になっている。現在の企業のあり方への批判と微妙に絡み合いながら、商行為に携わる「日本人」の理想として描かれがちである。けれど、その時「世間」は容易に実態のない「空気」へと姿を変えるように思えてならない。

 「世間」という日本語は様々な文脈で使われるけれど、世間がどこからどこまでなのかははっきりしない。「世間の目」が気になるから…というとき、大概その「世間」は自分の周囲の人たち、それも空気のようなもので有ることが多い。「世間様が許さない」なんていう大時代的な言葉も、そういう「空気」を指す場合が多い。近江商人の心意気にけちをつけるつもりは毛頭無いのだが、下手をすると「世間良し」の「世間」は、売り手と買い手を含むその社会集団になったりしかねない(○○村と揶揄される業界はその典型だろう。売り手も買い手もその周りも、既存の構造の中でいままでの慣行こそ「世間良し」だったのだ)。

 けれど元来、三方良しの「世間」は、あえて日本語の中で言葉を探すならば「お天道様」ではなかったろうか。誰が見ても、誰にとっても「良し」とされるような、ある種の普遍性を備えた「良し」。

 とすれば、「三方良し」はグローバルスタンダードになる。「えっ」という反応が返ってくると思う。けれど、普遍性は国境を越えなくてはならない。ややこしいなぁ~と思われると思うのだが、まぁ「何らの理由もなく人を殺す」ということは、おそらく全世界的に(普遍的に)「やってはならないこと」になっていると思うので、そういうものと考えて欲しい。商売に関していえば、グローバル企業が、先進諸国で禁じられているような奴隷労働を、発展途上国で黙認しているとしたら…不買運動が起こるだろう(かつてのナイキ騒動のように)。その時人を動かしているのが、こういう普遍的な規範意識だ。けれど、それはどこかで決定された「普遍的規範」。もしかすると自分の常識が通用しないかもしれない規範でもある。

 こうした普遍的な規範を常に意識するとなると、結構人間は保守的になる。なにしろ、どこで誰から文句をつけられるかわからない。となれば、冒険はしない。今まで文句をつけられなかった行動を、今まで通りにやっていくことが「良し」になる。なんだか近江商人らしくなくなってしまう…。

 実は、「世間」を普遍に拡大せず、かといって1キロ四方の狭い周囲にも閉じ込めない手法が有るような気がしている。そのヒントは、アダム・スミスにある。スミスは経済学者ではない、道徳哲学、今風にいえば行動心理学の専門家である。スミスは『道徳感情論』でこんな問いを発する。「ここに一人の女性がいる。彼女が本当に愛しているのは夫以外の男性である。そして彼女の夫は今瀕死の病に苦しんでいる。彼女は(本心はともかく)夫に献身的な看病を行っている。さて、この女性を倫理的に責める事ができるだろうか」。皆さんはどう思われただろうか。スミスの答えは「責める事はできない」である。内心はともかく、行動は正しいからだ。では「正しい」と判断しているのは誰か。スミスが持ち出してくるのは「公平な観察者」なのだが、これが実は「三方良し」と非常に似ているのである。

 あなたがいて、あなたをなじっている相手がいる。あなたは相手に対して同じように罵詈雑言で答えたい。けれど、ふと考える。一方的になじっている相手に対して、同じように罵詈雑言を返したら、他の人はいったいどう感じるだろうか…。通常人間は喧嘩から目をそらしてしまう。喧嘩だけでなく、悲しみ、死といった否定的なものからはできるだけ遠ざかろうとする。けれど、この世で暮らしている限り否定的な物事や感情に出会ってしまう。その時、当事者ではない第三者は、否定的な感情を抑制している方を是認するとスミスはいう。あなたが、第三者の是認を求めるのであれば、罵詈雑言はぐっと押さえて、冷静に対処すべきなのだ。同じ事は肯定的な事柄にもいえる。過度な喜びの表現は「嫌み」になる。こうして、人間は自らの行動を、当事者ではない第三者から是認されるように「塩梅している」のだというのが、スミスの『道徳感情論』である。

 さて、この第三者(「公平な観察者」といわれるが)は、想定された第三者である。だから、その人の生きている社会の慣習に則っている部分がある。とはいえ、どこの誰を想定するかによって、自分の周囲を超えることができる。自由自在に伸び縮みする第三者なので、ちょっと困ってしまうところもある。普遍規範と違って「ある答え」が与えられるわけではない。逆に第三者を自分の属している世間とは遠いところに想定すれば、狭い「世間様」を破壊することができる潜在力も持っている。

 このところ、世の中の常識とか今までのやり方が通用しないような事柄が発生し続けている。そんな中で、何とか自分の生活を自分なりのやり方で築き上げようとしたとき。あるいは、ふと抱いた疑問をきっかけに、何かしら行動を起こしたくなったとき。狭い「世間様」はそれを許してくれないかもしれない。普遍的な規範は「…」と無言でしか答えてくれないかもしれない(なにしろ「普遍」だから、個別の問題に適用できる答えがすぐに返ってくるとは限らないのだ)。

 そんなとき、あなたなら誰に相談するだろう。占い師や、行きつけのバーでたまたまであった人に相談を持ちかけていないだろうか。極端な例かもしれない。けれど、余りに身近でその答えが想像できる「世間様」でもなく、大上段に振りかぶってはくれるけれど、ちっとも日常には役に立たない「普遍」でもない。そんなちょうどいい塩梅に位置してくれる「第三者」に相談を持ちかけていないだろうか。彼らはある意味無責任である。一夜限りの出会いかもしれないし、あなたの詳細な事情を知っているわけではないのだから。無責任だから、気軽に「やってみれば」という場合もあれば、「それはちょっと…ね」なんて口を濁す場合もある。相談を持ちかける方も、結構無責任だ。そのアドバイスを真剣に受け取るつもりは元よりない(というより、正確に言えば「元よりないふりをしている」)。自分が納得できれば受け入れるし、拒否したとしても相手の機嫌を損ねるわけでもない。けれど何となく自分のやろうとしていることが、全くの他人からどう評価されるのかという手がかりは得られる。「やっぱりだめか…もうちょっと考えてみるか」となるときもあれば、「お、結構いけるかも」となるときもあるだろう。逆に「そんなこと言われたって、これしかないんや」と覚悟を決める場合もあるだろう。

 普遍に言われれば、人は引っ込むしかない(なにせ相手は常に正しいのだ)。世間様に言われれば、人は躊躇する(なんといっても逆らうには相当なエネルギーがいる)。しかし一夜の「第三者」の言うことを、受け入れるも逆らうも自分次第だ。けれど、それは「自分だけの決定」ではない。どこかの誰か、名前も知らない誰かの反応を知った上での「決定」だ。

 あなたの周囲はその決定を馬鹿にしたり、反対したりするかもしれない。従来の普遍は眉をひそめるかもしれない。でも、どこかの誰かは、あなたの決定を、あなたの行動を後押してくれるかもしれない。そして今、情報機器の進展でどこかの誰かと繋がることは、かつてよりも容易になっている。どこの誰とあらかじめ決定することはできないけれど、自分を後押しする「第三者」を想定するために「塩梅のいい」距離にいる第三者に話をしてみること。私がスミスから学んだ処世術はこれである。

 そして、あなたを後押ししてくれる「どこかの誰か」はきっとこの世に存在する。あなたが、他人の反応を拒否しない限り。 

自立って何?

男女共同参画時代といわれ、女性の社会進出を促進するための方策として育児休暇や保育制度の充実が盛んに喧伝されて久しい。いや、それ以前から、女性の自立は女性が経済的に自立することであり、それは男性と同等の立場で働くこと、つまり男性と同等の賃金と処遇で就労することだった。確かに女性の自立(女性に限らないけれども)には経済的基盤が必要である。近代になってもイギリスでは女性に財産権は一切なかった。父親が死んでも、夫が死んでも、子供として妻として、遺産を相続することすらできなかった。だからこそ、当時の中流以上の女性にとって「結婚」は自分が生存するための第1目標であり最終目標であった。その結果、男性の支配下に女性が隷属することとなる。だからこそ、女性解放運動の当初から女性の「経済的自立」、女性の男性並みの就労は目的の一つだった。

 しかし、バブルがはじけた頃から、こうした女性の経済的自立を目指す生き方に対する疑問が、徐々に表面化してきたように思う。こうした変化は、男女均等法以前の第1世代、男女均等法直後の第2世代の「頑張る」姿に対する反動として語られることも多かった。雑駁な言い方をすれば「あんな風には頑張れない、しんどい生き方」を見せられた次世代が、もっと楽な生き方を見いだそうとしているという語られ方である。

 この分析自体に異論も多い。けれども私は一面の真実を突いていると考えている。女性が経済的自立を目指して、企業に就職する。けれど、その企業は従来のやり方「男性正社員には長時間労働、扶養者になる女性には補助労働」を大幅に変更していない。男性並みを求める限り、男性社員と同じ長時間労働を求められる。そこへ家事や育児の負担が重なってくるのだから、「しんどい生き方」になってしまう。実際、女性の社会的活用度が先進国で世界一低いといわれ、数値目標までたてられ、企業は女性管理職を増やそうとしているが、現場ではこんな声が聞こえるという。「うちの会社でも女性管理職を増やそうとしているんですけど、『このままでいいです』とか言って拒否するんだよね」「40歳になっても管理職になりたくないっていう女性も結構いますし、自分がリーダーになるのではなくサポート的な仕事をしたいという女性が意外と多い。肩や肘を張って働くんじゃなくて、緩く長く勤めたいと」(日経ビジネスオンライン「河合薫の新リーダ術 上司と部下の力学」2010720日より)。

 もし経済的自立だけが、自立なのであれば、このような女性の行動は「奇妙」でしかない。自分で自分の会社内でのキャリアを捨て去るようなものだからだ。「いや、それは女性が出産とか育児とかを背負っているせいでしょう?男性が育児や家事にもっと参加すれば、女性も会社内でのキャリアを追求するんじゃないの」という反論もあるだろう。けれども、私は事はそう単純ではないと思っている。男性の育児参加や、育児休暇等の制度の充実はワークライフバランスという言葉で語られることが多い。しかし本来のワークライフバランスは、単純に女性が働き続ける状況を整備することではない。男性も含め、多様な生き方・働き方を許容することである。労働者が自分なりの生き方の中の一要素として、その企業で働いていることを認めることだ。一要素だから、時には仕事に邁進し、時には地域活動を優先する。あるいは子育てを、ボランティアを。こうした生き方を、現在の企業の中でどれだけ実現できるだろうか。実現できないと断言するつもりはない。実現できるところ、実現しているところもある。愛媛では子供の運動会に出席するからというのが堂々と有給休暇の理由として認められているクリーニング店がある。ここはその他にも様々な地域活動や子育て活動での休暇を認め合っている。それで業績が悪くなるどころか、従業員の定着度が高くなった結果、業績が伸びている。でもこうしたところはまだまだ少数だし、やはり「休暇」であって仕事と同等の位置を占めている訳ではない。自分なりの生き方の要素の一つとしての仕事というのは、企業側からすれば、なかなか認めがたいところがある(特に日本では)。

 女性が起業それも自分の身の回りの問題解決をテーマとした起業を目指すのは、こうした意識があるからではないだろうか。えらく話が飛び過ぎだと思われるかもしれない。しかし、高卒や大卒女子の就業率は男性とさほど変わらない。そして起業を目指す女性の多くは、30代から40代以上(60歳を過ぎてという人も多数いる)である。つまり、起業を目指す女性の多くは、一度通常の企業で働いた経験があるという事だ。結婚や出産を期に辞めた人も多いだろう。そういう人たちの中で、再就職という道を選ばずに起業という道を選んだ人たちの多くは、男性起業家に比べて、社会貢献と年齢に関係なく働きたいという点を起業理由としてあげている。男女両方を通じてもっとも多いのが「自己実現」と「自分の裁量で自由に仕事をしたい」である事をあわせてかんがえると、女性起業家は、より柔軟な働き方、自分だけの仕事ではなく周囲も巻き込める仕事、一生続けられる仕事を、従来の企業の中では実現できないと知って、起業という道を選んだと考えられる(21年度中小企業白書より)。

 起業という言葉で、あるいは社会起業という言葉で一括りにされるので、見逃されやすいが、拡大路線をとる起業と自分の無理のない範囲での起業があると思っている。この二つの路線は当初から決まっているというよりも、実際に起業して事業を展開していく中で、だんだん定まってくるものだとは思う。けれど、この二つは(起業家の個性も大きな要素であるが)目指すものが違っていると感じている。拡大路線をとっていく問題解決型の起業は、社会問題の解決を大型化・フランチャイズ型で解決する形になる。従って、通常の企業と同じく被雇用者が存在する事になる。理念を共有するという点では通常の企業とは異なるかもしれない。けれどもそこで働く人にとってはやはり「仕事」という感覚がだんだん強まってくる事だろう。良い・悪いではなく、組織が大きくなるという事に伴う必然的な事である。そして今、経済産業省をはじめとして日本再生なんとかが期待しているのは、このタイプの社会起業である。なぜなら「雇用を創出」してくれるからだ。

 後者の場合はどうだろう。無理のない範囲での事業。今までの発想でいけば、やがて市場競争に敗れてしまう、そんな甘い事では事業はできないと退けられてしまうものだ。けれど、案外しぶとく生き残っていく場合が多い。大きな儲けはない。人も雇えないかもしれないし、雇ったとしてもお手伝いにとどまっているだろう。それでもなぜだか破綻もせずに継続していく。なぜだろう。答えは案外単純で簡単なものだと考えている。

 「居場所」だから。

 そう、無理のない範囲での起業は、会社を興しているのではない。自分が生きていく場所を作っているのだ。だから無理をしない。無理な生き方をしたくなくて起業しているのだし、生きていくのに無理は続かない。小さいからといって競争に負けて消えてしまわないのは、自分の生き方と一体化していて、その生き方に惹かれる人が顧客になっていたり、協力者になっていたりするから。そしてそうした人が口コミで新しい顧客を引っ張ってくれるから。そして「生き方」であり「居場所」だからこそ、他にはないものを自然と作っていかなくてはならないから、自然と差別化ができる(ここを勘違いしてしまうと、容易に敗退してしまう。自分の人生なのだから、他人のまねをしても仕方がないのだ)。そしてこの差別化は大手企業がやるような「他者を排除するための差別化」ではない。むしろ、他があってこそ自分が際立つような差別化だ。なぜなら、自分以外の人がいないと、自分自身がわからなくなるから。そして他の同じような生き方や居場所を反映した事業と競争はしなくてはいけないけれど、それはスポーツ競技のようなもので、互いに能力を高め合うような競争だろう。相手を打ち負かし、自分が市場を独占するためではなく、互いの個性をより高めるための競争になるだろう。

 そして、事業内容にも人生が反映されていく。立ち上げ時の仕事一辺倒の時間もあるだろうし、育児が入っていたり、介護が入っていたり、近所付き合いが入っていたりするだろう。自分の生き方のその時々の要素によって、同じサービスや財を売っているように見えても、品揃えが変わるだろうし、事業内容が変わるだろう。しかし、根っこは同じなのだ。無理なく自分が生きていく場所=居場所としての事業。

 そんな起業がふえると、もっと楽な生き方、楽しんで働く生き方が増えていくのではないかと思っている。自立という言葉が、自分自身の人生を生きる事を意味するのであれば、これが「自立」なのではないかとさえ思っているのだ。

仕事を「創る」

若者の失業率や、職場への定着率が話題になっています。中には「近頃の若者は職場の実態を知らないで就職するから、離職率が高いのだ。従ってインターンシップを行えば…」という短絡的な意見もあるようです。そしてお決まりのように繰り返される「雇用創出」。私は雇用を創出するという言葉に違和感を感じるのですが、皆さんはどうでしょうか。いえ、私が違和感を感じるのはミルとつきあってきたからかもしれません。なにぶん、彼の『経済学原理』の中でもっとも有名といっていい「労働者の将来に関する章」には「雇用関係の廃棄」という部分があるのです。だから、今更「雇用を創出」するなんて…と思ってしまうのかもしれません。現在の問題からはなれるように思えるかもしれませんが、この「雇用関係の廃棄」の話を説明しておきたいと思います。

 日本語訳では「廃棄」という言葉になっていますが、英語ではdisuse。文字通り「使わなくなること」です。使われなくなるのは何かと言えば、資本に使われる(雇われる)こと。その後に始まるのは、働くものが資本を雇うシステムです。以前、この話をアソシエーションとして、起業論として紹介したことがあったと思います。人に雇われて、人の指示に従って働く(自分たちが使用される)立場から、自分たちが資本をを使用する立場になる訳ですから、当然ながら「何に、誰に、どれを、いつ、どこで、どれぐらい、いくらで」を常に考えなくてはなりません。変化する状況の中で、当初立てた計画に固執していてはたちまち倒産するでしょう。試行錯誤と失敗の連続から、顧客が何を考えているのかを読み取っていかなくては、事業は成り立たないでしょう。こうしたシステムが作り出しているのは「雇用」ではなく「仕事」だと私は考えています。そして状況に鋭敏に反応し、試行錯誤から何かを学び取り、その中で自分自身で、自分を成長させながら、自分自身とは何かをつかみ取っていくこと。これが本来の仕事だと考えているからです。本来の仕事は、どんなに単純で肉体作業に見えても、手と足と頭を使い、その人をより鋭敏にするものだと考えます。ではこうした仕事を創り出すことができるのは「起業家」という特殊な人たちだけなのでしょうか。

 私の実家は、私が小学校4年生ぐらいから飲食店業を始めました。当然のごとく私自身も中学卒業まで学校のない時は皿洗いをしていました。私の憧れはホールで働くベテランのパートさんでした。中学を卒業した夜、「もう中卒やからホールにたってもええで」といわれたときの喜びを今でもよく覚えています。それからも本当によく怒られましたし、長い間半人前扱いでした。理由は単純で「言われたことしかできない」からです。常連さんの注文を覚えているのは言わずもがなのこと。初めてのお客さんであっても、目線で何を欲しているのか察するのが当たり前。やることがない時間というのはあり得ず、絶えず次の仕事、次の仕事を考える。お客さんの無理は無理として、別の方法でかなえられないかを考える。それで一人前。おしゃれなスーツに身を固め…というような仕事でも、世界を股にかけて…という仕事でもありません。が、私にとって働くことの原点はいつもここにあります。なぜなら、私が初めて「自分で考えて仕事を創った」ところだからです。仕事を創るといっても非常に単純なことです。ある日お客さんに「ここ、お酒おいてないんか~」と言われ「お酒はおいてないんですけど…レモンティーやったらブランデー入れてます」「ほしたら、多めに入れてきてくれや」。こんなことです。けれど、自分で考え、試行錯誤してやってみたことです。結果的にこの時は、このお客さんは喜んでくれました。けれど数知れない失敗もし、その結果を評価され…という過程を繰り返す日々でもありました。そのたびに、自分の思い込みや勘違い、画一化した硬直した態度を悟らされ、臨機応変に柔軟に対処しつつも、どこか一線はキチンと守らなくてはいけないことも感じさせられました。外から見れば単純なパート労働でしか有りませんが、私にとっては私を育ててくれた「仕事」であり、その仕事を創ったのは、私の周りの人々と私自身だったと思っています。

 そして今、学生たちと一緒に里山で農作業をやっています。里山の農家さんも、ベテランのパートさんと同じです。竹林から竹を切り出して、田植えのための定規を作る。石垣を積み直す。ちょっとしたエンジントラブルなら自分で修理する。百姓というのは「百の姓」の略でそれは百の生業を現していると聞いたことがありますが、里山の農家さんを見ているとなるほどと思います。その農家さんたちですら、「農業は何年やっても、一度として同じ事がない」といいます。だからこそ毎年工夫が必要なのだと。こんな農家さんの元で、学生たちは叱られながら(あきれられながら)農作業をしています。その中で、本当に頭がいい学生はやはり自分で仕事を創っていきます。どうすれば効率的に草刈り機を操れるか。どうすれば自分の身体を楽に使っていけるのか。教えられたとおりにやるだけでなく、色々と自分で試し始めます。最も自分にあったやり方を発見し始め、続いて周囲を見回す余裕を持ち始めます。そうなると今度は次から次とやってみたい事柄が増えていきます。こういう循環にはまった学生は、自分で仕事が創れる学生です。別に起業をしなくとも、どの会社に行こうとも、どんな部署に行こうとも、自分なりに仕事を創ることができ、仕事を通じて自分自身を磨き上げ、新たな自分を育てることができると思っています。

 翻って、「雇用創出」事業はどうでしょう。適性検査を受け、面接セミナーを受け、就職対策講座を受け、そして就職した人たち…。彼らや彼女たちは「仕事に就く」訓練は受けても、「仕事を創る」事が何なのかを体験することがあるでしょうか?インターンシップも同じです。大概のインターンシップではやるべき事柄は、あらかじめ用意されています。どんなに学生の創意工夫を歓迎しますといっていたとしても、それはその企業があらかじめ想定した枠、企業が身を切るような失敗を起こさない枠の中での話です(多いのは、学生の意見を取り入れた新製品開発企画でしょうか)。ちょっとした成功体験や失敗体験をすることでしょう。けれど、定められ、与えられた仕事に就くことに終わってしまうのではないでしょうか。なぜなら、「自分で最初から考え、試してみる」というステップが省略されてしまっているからです。どこかの誰かが考えた枠組みや仕組みの中で、その筋道にしたがって動いていれば、無難に職に就くことができる。いったん職に就けば、またどこかの誰かが与えてくれた仕事を遂行していればよい。雇用創出事業が想定している「雇用」はこれではないかと思うのは、私の勘ぐりすぎでしょうか。でも、そう勘ぐりたくなるほど、雇用創出事業は手取り足取り懇切丁寧なプログラムになっています。

 実はミルの時代にも労働者の悲惨な状況を救済しようとする多様な動きがありました。その中の一つに工場主が労働者用の住宅や教育設備を整え、労働者の生活の安定と健康を計るというものがありました。ところが、ミルはこうした計画に大反対の論陣を張ります。理由はただ一つ。労働者を奴隷にするものだから。衣食住のすべてを雇用主が面倒を見るとしたら、労働者は何も考えなくてすみます。けれども「自恃心」を喪失する。ミルは自恃心を人間の美徳がそこから進展する根っ子であると考えています。自らを恃む心。自分で考え、自分で何かを作り出そうとする意欲。その元となるものが自恃心なのです。すべての事柄を誰か他人に委ねてしまったとき、この自恃心は完全に喪失します。いえ、すべてでなくとも、自分に関する事柄、自分が決定すべき事柄を他人に委ねたとき、自恃心はゆっくりと衰退していきます。

 自恃心を保ち育てる唯一の方法。それは「自分で考え、決定すること」そして「失敗すること」。失敗は自分の今の限界を一番よく教えてくれる教師です。そして失敗を重ねてトライすることで、いつかその限界を突破することができます。ミルが雇用関係の廃棄disuseに期待したのは、単純に起業社会を目指したからではありません。すべての人が、自分で考え試行錯誤し、失敗し、そしてその中から限界を突破する方法を生み出すこと。自恃心を育てること。そのために「仕事を創る」こと。彼が求めたのはこれだったのではないでしょうか。

 雇用創出事業は懇切丁寧に、失敗しないように若者を導こうとしています。けれど失敗した経験が無ければ、失敗することはとてつもなく怖いことになります。失敗するよりは、他人に言われたとおりに動いていよう。そうすれば失敗は自分の責任にはならない。そうして人は失敗を畏れる余りに、自分で考えること、自分で試すことをやめていきます。与えられた仕事を遂行することはこれに似ていないでしょうか。そしてミルはこうした雇用関係の中で、労働者は考えない奴隷になるのだというのです。

 「仕事に就く」、「仕事を創る」。皆さんはどちらが好きですか。

信頼と縁

ある著名な(でもやたらめったら難しい言葉を駆使する)ドイツの社会学者にいわせると、信頼は「複雑性の縮減」なのだそうだ。これだけだと何のことやらさっぱりだけど、ようは「世の中先のことはわからんけど、とりあえず明日も今日とあんまりかわらんやろうとおもといて、ええんやろう」ということらしい(私流の解釈)。対人関係に敷衍すれば「この人は〇〇な人やから、お金を貸しても大丈夫やろう」ということになる。

 「貸金が返済される」かどうかには、いろいろな要因が絡まってくる。借りる人がまじめな人であっても、勤めていた会社が急に倒産したり、本人が大事故にあったりすれば、返済に支障を来すだろう。借りる人がまじめな人かどうかという判断もまた難しい。待ち合わせ時間を厳守するからといって、返済期間を厳守するかどうかはわからない。まじめに見せかけているだけかもしれない。…と種々の要因を考えると、決断を下すことはできない。だから、その時代その社会で(あるいは一人一人が)「○○」にあてはまる標識を設定しておいて、そこで複雑な要因を十把一絡げにして(つまり縮減して)、決断できるようにしておく。これが信頼の原理だというわけだ。

 そういわれてみると確かそうで、何事かを判断したり決断したりするとき、訳が分からないところを「まぁ今までこうやったから」と状況や制度を「信頼」している場合が多い。先ほどの貸金の例でいけば、かつては土地神話といわれるほど土地(地価の上昇)への信頼が大きく、「土地を持っていれば」お金が借りられるという状況があった。本来であれば、借り手の事業の内容、将来の見通し、本人の経営技量等々に加えて、予想もつかない将来の景気動向も勘案して、融資を判断するはずなのだが(理論的には)、そうしたデータは収集するのに膨大なコストがかかるし、中には手に入らないデータもある(経営者本人がどれだけ経営に熱意を持っているかなど、本人にもわからないデータだ)。だからこそ、地価が右肩上がりの状況が継続していた時代では、土地を持っているということが、こうした複雑な事柄を十把一絡げにしてくれる良い判断基準だった訳である。

 けれども昨今、こうした「従来のやり方」への信頼が大きく揺らぐ事件が立て続けに起きている。まぁ土地神話が崩壊してからもう20年以上がたつ訳だから、若い人には関係ないだろうが、食の安全性や突発的な自然災害、安全といわれ続けてきた原子力発電所の「事故」(これは福島だけのことを指しているのではない。原子力船「むつ」をはじめとして、ずいぶんといろんな事故や事件が起こったのだけど、今回のことがとどめだったとはいえる)を思い浮かべてもらえれば良い。いずれも「従来は安全」「今までだったら無事だったはず」のものが崩壊した事例といえる(そういう意味では「想定外」は本心から出た、そしてまさに端的な言葉だったのだと思う)。そしてどの場合にも不思議なことに、一般的な反応(あるいはマスコミが求めている反応)は責任のある誰かを糾弾するという他罰的なものになっている。

 そこでふっと考え込んでしまうのだ。もしかして、今私たちは「信頼」を「他人任せ」の同義語にしているのではないだろうかと。

 森巣博という人がある本でこんなエピソードを披露している(以下は私のうろ覚えの記憶に基づく記述なので、細部では異なっていると思う)。転居の際、転居先の家具の手配等一切合切をある人に任せた。もちろん大金をつけて。そして転居してみると、森巣氏好みの家具がそろえてあるばかりでなく、冷蔵庫には1週間分ほどの食料が入っていた。さらにテーブルの上には、すべての領収書と残金が残っていた。通常ならば「感謝感激」で終わるエピソードなのだが、森巣氏は相手の有能さに感心し、感激しながらも、領収書を残していることに憤激する。彼は信頼した以上、そのお金がどのように使われていようがかまわないのだと考えている。逆に言えば、持ち逃げされたとしても、それは信頼した自分の落ち度なのだと。だから領収書の存在に自分の信頼が甘く見られたと怒るのである。

 池波正太郎氏はエッセイの中で、昔は10万程度(今の金額に直して)を常に現金で用意をしており、困った親戚や知り合いが自分を頼ってくれば、何も言わずに貸していたものだという話を、郷愁と昨今の世知辛さへの批判を込めて語っている。

 この二つのエピソードの共通しているのは、信頼する側の責任あるいは覚悟だと私は思う。信頼には「裏切り」が伴う。いや、元々信頼できるかどうかわからないものを、あえて「信じる」のであるから、信頼はその根本からしてリスクの高い行為だといえる。しかしこの信頼がないと、人間社会は成立し得ない。

 契約を締結すればいいのではないかという人もいるだろう。が、契約を交わしたとしても、その契約を守るという契約がなくては確実ではない。そしてさらにまたその契約を守るという契約を守るという契約…と無限後退が生じる(はずだ。理論的には)。しかし現実には契約は1度で終わる。それは互いに契約は守られるものと信頼しているからだ。契約と法体系に支えられている市場取引も、根底には法は遵守されるはずという信頼がある。この信頼も本来は根拠がない信頼だ。とはいえ現代でこうしたリスクを日常感じることはない。法や制度、さらにその制度を実行する主体である政府が、信頼を担保していると思っている。信頼につきものの複雑なリスクを政府や制度によって縮減していると思っていると言い換えてもいい。

 そして今、私たちは縮減したはずのリスクが、縮減されるどころか増大したかのような事態に直面している。だからこそ、リスクを縮減していたはずの制度や政府の中に、責任を追及し処罰できる他者を見つけ、その他者を処罰することによって、事態を安定化させリスクを抑制したように思い込もうとしているのではないだろうか。けれど他者を処罰したからといって、信頼が回復する訳でも、信頼に伴うリスクが軽減される訳でもない。単に私たちが思い込んでいた信頼の担保が幻にすぎなかった、信頼することに伴う覚悟がなかったのだということが露わになるだけだ。

 私たちはもう一度私たち自身で、信頼することのリスクを引き受ける覚悟を決めなくてはいけない時代にさしかかっている。とはいえ、それは羅針盤がないまま大海を航海するような、そんな頼りない、寄る辺のない時代ではない。「縁」という言葉がある。私は昔の人が信頼と信頼に伴うリスクを、この言葉で表現していたのではないかと思う。縁には良・悪がある。奇縁・因縁など偶然性の高いものもあれば、地縁・血縁など固着性の高いものもある。縁は誰かに担保してもらうものではなく、自分で判断し、自分で紡いで、自分で育てていかなくてはならないものである。そしてそれでもなお、前世の因縁などといわれるように、身に覚えのない悪縁に巡り会うこともある。それもまた「縁」として引き受ける。そういう覚悟が詰まった言葉なのだと思う。自分の現在の利益のために結ぶ縁もあってよいと思う(現今のSNSもこれかもしれない)。が、「縁は異なもの粋なもの」。奇縁に身を任せ、縁に引き寄せられるまま、客観的には損になるような出来事に身を投じるのも、縁の活かし方である。

 縁は制度や法律よりもはかなく壊れやすい。常時手入れが必要なものだ。だが大きなものによるリスクの縮減を信じないのであれば、自ら信頼のリスクを背負うのであれば、縁を結ぶこと、縁を築き上げること、縁を育てること、そしてあえて縁を切ることを恐れないことが必要なのだと思う。

 信頼と信頼のリスクを感知しつづけ、その上でなお縁を結び続けることが、他人任せではない、自分なりの信頼の基準を作り上げることにつながるのではないかと思う。どこかの誰かがいったから無農薬野菜が良い、天然物が良いと信頼して裏切られた場合と、縁でつながって信頼している人が無農薬がいいよといって裏切られた場合と、一時的な精神的ダメージは後者の方が大きいだろう。けれども前者の場合は、誰か見も知らない他人の責任でしかない。声が大きかったから、マスコミに出ていたから信じた。悪いのは自分ではないと思うことができる。だからきっとまた同じことを繰り返すだろう。自分は悪くないのだから、裏切られたことから学ぶ必要はない。後者の場合は、縁をつなげて信頼した自分の責任が出てくる。同じことを繰り返さないために、何らかの工夫、作法を身につけなくてはならないと思うことだろう。本当に信頼できる縁を結ぶための作法を。この作法が信頼性の基準点になるのだと私は思っている。他人任せではない、自分自身の中で築いた、でも縁に基づいて築いているから融通無碍な基準点である。そういう基準点を羅針盤にしていれば、何を信頼して良いのかわからない不確実な…といわれる世の中も、案外簡単に航海できるのではないかと思っている。

成功?失敗?

この頃の若者は失敗をおそれ、小さくまとまりすぎるという苦言をよく聞く。その一方で、何事かを為そうとすると、次のような問いが発せられる。「成功の見込みは?」。この問いに対して、やってみなければ分からないと答えると、無責任と言われる。見込みがあると答えると、「どれだけ」と数値化を求められ、その根拠を問われる。けれど、こうした問いは本当に意味があるのだろうか。

 未来に向かって、何かをしようとする時、特にそれが今までやったことのないものである時。人間はそれが成功するかどうかの見込みだとか確率だとかを計算しているのだろうか。難しく考えなくてもいい。初めての愛の告白。その時、あなたは、好きな人があなたの思いに応えてくれる見込みを、計算していただろうか。その人が、あなたの思いに応えてくれる確率が30%だといわれて、あなたは恋をあきらめることが出来るだろうか。

 私は、人間が行う新奇の試みはすべて恋愛の告白と一緒だと考えている。やってみるまで結果は分からない。見込みだとか確率だとかで行動するのではなく、自分の心のありよう、決断の仕方で行動している。そしてその結果もやはり「成功」「失敗」ではとらえきれない。もしなにか結果が残るとすれば、それは「経験」でしかないと。そんなバカな。事業は利益を上げるかどうかで成功と失敗が決定されるではないか。新しい試みであれば、それが社会に受け入れられるかどうかで、結果が判断できるではないか。それを単に「経験の積み重ね」だなどとなんと甘いことを、という反論が聞こえてくる。

 確かに、今まではそうだったのかもしれない。投資家は投資した資金に見合うリターンを金銭に換算し、そのための保証を求める。融資はなおさら、他人の金銭を預かっているのだという理屈を振りかざして、いっそう確かな裏付けを求める。けれど、それで本当に「新しい」ものを生み出すこと、あるいは新しいものを生み出す「支援」が出来るのだろうか。見込みや確率が計算できるのは、既知の知識の延長線上にあり、その知識の延長戦で理解可能なモノだけだ。今、私はパソコンを使って原稿を書いている。ほんの100年前の人にこの事を分かってもらうには、どう説明すればいいだろう?キーボードを、マウスを、いやそもそもパソコンという機械そのものを、何に例えればいいだろう。その成功の見込みを納得してもらうことが出来るだろうか。「新奇なもの」というのは、既存知識の延長線上ではないからこそ「新奇」なのだ。その新奇性は既知のものや確率計算からははずれたところにある。だからこそ、新奇性にかける人間性をケインズは「アニマルスピリット」とよび、シュンペーターは「アントレプレヌール」と呼んだ。それは確率と既知の世界からは、予想も出来ない事柄であるからだ。それは新奇なもの、新奇な事柄を起こす人だけではなく、その新奇なことを評価し、それに賭けようとする周囲の支援者にも当てはまる。支援者は「おもしろいから」「惚れたから」支援する(実際、アメリカ等の個人ベンチャー支援者は、ベンチャー起業の収支計算書など見ないという。彼らがもっとも重んじるのは事業コンセプトであり、なぜその事業を行うのかという動機だそうだ)。

 けれど、こう書いてしまうと、まるでそれは「特別な才能」をもった人による「特別な出来事」であるかのように思えてしまう。Think Differentと言えるのは、そしてそれができるのはスティーブン・ジョブズだけかのように。だからこそ、最初に愛の告白の例を持ってきたのである。もちろん、世の中のあり方を変えてしまうような「発明」とか「発見」というのはある。でも、なのだ。

 「大阪城を造ったんは誰や」「そんなん秀吉に決まっとるがな」「あほいえ、大工じゃ」という大阪のベタなギャグがある。そう、大阪城を造ろうと考え、命令したのは権力者であり、特別な人間かもしれない。けれど、実際の石垣をどう積むのかを一番よく分かっており、あの見事な石垣を造ったのは石工である。彼らの営みは名前付きでは残らない。里山で農作業をしていると、尋ねる人毎に、地方毎に、呼び名の違う農機具によく出会う。それは、その地の誰かが、いつともしれず工夫し、やがて多くの人が使うことになった道具である(そして土地が異なれば、非常によく似た機能を持ちながらも、その土地に似合った農機具がいつの間にか生まれる)。

 こうした日常の工夫を重ねたのは、ごく普通の人々である。彼らは毎日の仕事の中で、「もうちょっとどないぞならんやろか」と問いかけ、工夫をし、新奇なものを生み出していったのだ。それは大きな新奇性ではない。けれど、それを生み出す時に、そうした人々も、きっと「成功」とか「失敗」という言葉で自分の工夫を考えていなかっただろうと思う。ただひたすら「こうやったら、どうなるやろう」「もうちょっとこうしたほうがええやろか」という試行錯誤の連続だっただろう。そしてできあがった道具や仕事の手順なりを、次の世代が引き継ぎ、また新たな工夫を重ねる。そのときも「爺さんはこうしとったけど、ちょっとな~」で工夫が始まったことだろう。それでうまくいくときもあれば、うまくいかないときもあっただろう。うまくいけば、新しい道具、やり方として根付くだろうし、うまくいかなかったからといって、何か責任を問われることもない。本人もせいぜい時間を無駄にしたと思うか、逆に「ええ経験したわ」と思うかのどちらかだったろう。

 いったい何時から人間の営みを「成功・失敗」の二分法で評価するようになったのだろう。成功とか失敗とか誰が決めるのだろう。失敗や成功は、ある人のある時点を切り取り、第三者が何らかの指標(会社が上場したとか、一流大学に合格したとか)を外から当てはめて判断する言葉でしかない。いつの間にかこの「外の第三者」つまり「世間様の常識的」物差しによる判断が、物事の基準としてまかり通りようになっている。それが「成功と失敗」の二分法なのではないだろうか。でも、人の一生や、営みは、連続写真では捉えきれない。自分も周りも変転していく中で、即時にそれに対応しながら、延々と時と経験を重ねる。その連続の中では、今日の成功は次の失敗であり、昨日の失敗は明後日の成功なのかもしれない。というよりも、成功も失敗も意味を持たないというのが本当のところだろう。もし、成功とか失敗という言葉が意味を持つとすれば、結果をいかに受け止めたかという点だけだと思う。

 人から賞賛されて舞い上がり、あたかも自分自身の力だけでその結果を勝ち取ったかのように思い込む。逆に賞賛の言葉を拒否してしまう。思うように結果が出ず、人からなんだと軽蔑されそうになったときに、「俺が、俺だけが悪いんじゃない」「あいつがあそこでちゃんと仕事をしてれば…」「運が悪いんだ」といいわけをする。このどちらのスタンスも次には何ももたらさない。自分の行動の結果を受け入れていないからだ。逆にほめられたときは素直に受け取り、自分の協力者にもそれを伝え、どこが良かったんだろうと考える。結果が出なかったら、どうしてそうなってしまったのかを事実ベースで考える。結果をまともに受け止め、その原因を「誰か」がしたことではなく、「何が」その原因となったのかを考える事。そうすると、その結果は次に活かすことができる。ただし同じ事は二度とは起こらないから、あくまでも次の出来事に対処するためのヒントが重ねられていくだけでしかない。肝心なのは、そうしたヒントの引き出しをたくさん持ち、そこからどれだけの対処方法を引き出していけるかだ。天才とか、世界的な起業家と言われる人は、ある出来事に対処するヒントを引き出しから引き出すのに秀でているか、一つのヒントから数万の対処方法を思いつける人だと思う。でも、私のような凡人でも一つ一つの経験を大切にすれば、「次は…」というヒントを積み重ねていける。そしてその一つ一つを大事にしていけば、自分にできること、できないことがわかってくる。自分の思いを伝えやすくなっていく。自分ができることがわかり、思いを伝えることができれば、一緒に仕事をしている仲間とも共有できること、委ねられることが多くなる。信頼関係が生まれる。

 本当に小さな事かもしれない。けれど、歴史を、社会を動かしてきたのは、こうした小さな動きの積み重ねでしかないのだ。龍馬や秀吉も一人では何事もできない。仲間がいても少数であれば社会は動かない。社会が動くとき、それは小さな動きがいつの間にかシンクロするときでしかないのだ。だからこそ小さな営みの中で、一つ一つの経験の積み重ねを大事に受け止めることが一番大切なのではないかと思う。

女性の自立って何だろう

あらためてタイトルにしてみると、「何を今更、経済的自立し、個人として自立することでしょ」という声が聞こえてきそうな気がする。経済的に独立できる稼ぎを有していて、自己をしっかりと持ち、職場だろうと家庭であろうと、誰とでも対等に渡り合える…そんな女性像が浮かび上がってくる。

 でも、こうした女性像を描かれるとちょっと引いてしまう人もいるのではないだろうか。男性が…ではなく、女性自身がである。統計は冷静事実を語ってくれる。相変わらず女性の平均給与は男性の7割だ。家事育児等の家庭内労働に費やす時間にいたっては、男性は女性の10分の1程度。「だから今こそ声を上げなきゃ!」といわれるかもしれない。けれど、現実に育児に介護に仕事にと「頑張らざるを得ない」女性にとって、その声はなんだか遠くから響く別世界の声のように聞こえるのではないだろうか。経済的に自立できる所得を得て仕事に邁進する一方、パートナーがいれば、育児や介護も平等に分担する…そんな理想的な生活なんて、私にはとうてい無縁のこと、どこかのエリート女性のことでしょ。そんなつぶやきが聞こえてくるような気もする。

 目指すべき理想は、無いよりは有ったほうが良い。けれど、目指すためにはどこかから始めなくてはならない。そしてその「どこ」は統計に現れたところ、頑張らなくてはならない羽目に陥っているところでしかあり得ない。

 損である。正直何もかもまっさらにして、新しい社会を!!と求めたくなる。でも、ここからしか始まりはしないのだ。かつてボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と宣言した。それは女性らしさが社会的に作られることをうたった高らかな宣言だった。けれど、人は「女になる」のだとしても、既に生きている私たちは「女になって」しまっている。自覚しているかどうかはともかくとして、私たちは自分の振る舞いを、行動を、生き方を「女性」という規定の中で、あるいはそれに逆らいながら決定している。私たちは今ここで女性であることから逃れるわけにはいかない。

 19世紀、J.S.ミルはその時代の女性を表して、次のような面白い例えをあげている。
–ここに一鉢の植物がある。この鉢の半分を日当たりの良い温室で育てよう。そしてその半分を日陰の寒風にさらして育てよう。出来上がるのは何とも奇妙な植物になることだろう。「女性特有の性質」「生まれもっと女性の性質」を言い立てる人たちは、こうして育てられた植物を見て、「その植物の持って生まれた性質どおりに育った」ということだろう–。ミルもまた、女性が「女になる」事を認めていた。けれど、彼はその奇妙な植物を否定し、新たな植物として、理想的な植物としての女性像を提示することはなかった。女性は、「優しく、柔和で、温かく、従順に」と育てられた。その当時、中産階層以上の女性にとって、手に職を持つなどということは自らの身分を落とすこと以外の何者でもなかった。温室で育ったのは、優美で、華やかだけれども寒風にさらされるとひとたまりもなくその色を失うかもしれない花だった。その一方で、女性一人一人が持っていたかもしれない大胆さ、勇気、強情さ、決断力は、寒風の中で見るも無惨にやせ衰えてしまった。こうした彼女たちに、「手に職を持て」「社会に出て自活すべきだ」とミルはいわなかった。むしろ女性の前に「現在有るような(男性が就いているような)職業と、家庭との二つの選択肢が開かれるとすれば、私はどちらかといえば女性は家庭を選ぶのではないかと思う」といっている(お陰でフェミニズムからはとんと評判が悪い)。

 ミルは社会的にその性質をゆがめられてしまった女性を、やはり家庭の中で保護すべき存在と見ていたのだろうか。もう少し彼の考えを聞いてみよう。上の例えが出てくるのはミルの『女性の解放』という本である(ただし原題は『女性の隷従』)。そしてこの本の主題は「家庭内の権力関係」である。男性が結婚という鎖で、女性を奴隷にしているのが今の家庭だというのが、ミルの主張である。より正確には奴隷よりもはるかに劣悪な状態であるという。なぜなら奴隷は、主人の前から下がれば自分自身の時間を持てるが、家庭の女性はそのすべての時間を夫という彼女の主人のために捧げることを求められるからだ(それにはもちろん男女間の性行為もふくまれている。デートレイプとか家庭内レイプといった言葉はない時代だけど、ミルは女性が家庭内で望まない性行為を強いられている可能性をはっきりと書いている)。そしてこの主人対奴隷の関係は、奴隷を奇っ怪な植物のような存在にするばかりではなく、主人である男性の性格をもゆがめてしまうという。男性は「男」というだけで、常に選りすぐれた存在であり、自分の望みが叶えられる存在として、家庭で育てられる。そして社会に出て行く。その結果、社会の中は「おれこそが1番」「俺のいうことを聞かなくてどうする」というエゴとエゴのぶつかり合い、他人を蹴落とし先に行くことが当たり前のエートスが蔓延してしまっている。

 これがミルが家庭内の権力構造から導き出した社会の構造である。

 さて、こうした「社会」に女性が進出するということはどういうことになるだろう。周囲は圧倒的に男性社会である。女性は当然ながら、その男性社会のエートスを身につけていくことだろう。いや、身につけなくては社会で生き延びることはできない。寒風にさらされて縮こまっていた勇気や決断力は、他人を踏みつける勇気へ、他人を出し抜く策を決断する力へと発達を遂げるだろう。そして温室の中で育っていた柔和さ、他人への思いやりは、社会では不用の物としてその花を摘み取られるだろう。それは本当に望ましいことなのだろうか。社会は「女になる」事を求めなくなるかもしれない。けれど女性に「男になる」事を求めるようになるのではないだろうか。そしてもし、家庭内の権力構造が根本から変わらないうちに、女性が社会進出するとしたら…女性は「女になり」ながら「男になる」事を求められはしないか。ミルが危惧していたのはこのことではなかったかと私は思う。

 というのも、ミルは家庭内での教育に人間性の陶冶を託しているからだ。家庭内教育といってもいわゆる学業ではない。美を感じる心、いとおしさや愛情、思いやり…人としての美質を養うことである。そしてこれまで「女」のための物とされたこうした美質を、男も身につけ学ぶことを求める。それは生き馬の目を抜く資本主義的な社会を根本から作り替えるために必要な、人間を形成するためである。その役割を今まで「女」としてこうした美質を押しつけられて育てられた女性に期待するのである。それはミルが女性に対して、社会をよりよい物にするために期待した役割であり、彼女たちの生活の核として提示しものでもあった。

 さぁ論を現在に戻そう。私たちは「今、ここ」から始めなくてはならない。理不尽さや何重にも背負わされている役割を持つ今、ここ。その中で、あなた自身が最も大切にしたいことは何なのだろう?女だからという言葉も外し、逆に男女平等なのだからという思いも外し、ただひたすら自分の中を探ったときに、あなたの核になっているものは何だろう?難しい問いといわれるかもしれない。ではこう聞き直そう。「あなた自身が、あなた自身に対して絶対に許せない、あなたの行為とは何?」。これはある小説で出てくる言葉。推理小説作家として世評は高くなったが、自分の作品の方向性や男性との対等のつきあい方に悩み、故郷といえる大学に帰ってきた女性に対して投げかけられた言葉。彼女はこんな答えを出す。「私が絶対に許せないのは、私自身がつまらない駄作だと思っている作品を義理に駆られてほめること」。彼女にとっての核は「作品の質」だった。そこから彼女は自分の小説を徹底的に見直すというきつい作業に手を染めていくことになる。あなたにとってはどうだろう。会社の仕事、家庭での喜び、地域社会での交流…そんな漠然とした答えではなく、あなたが絶対にあなた自身に対して許せないあなたの行動。それがあなたの核だ。今、ここにいる、ここで生きている、あなたの核だ。 そんなことをいわれても…結局それって「本当の私」探しなんじゃないの?といわれるかもしれない。私はそう思ってはいない。核はどこかにいる、どこかにある「本当の」「理想の」私の中にはない。今の私の中にしかない。だから「今のあなたにとって」と聞いてみて欲しいのだ。

 その核を、今ここから育てていこう。女性全員に通じる理想の姿など無い。無理に肩肘を張って生きる必要もなければ、理不尽さを堪え忍ぶ必要もない。男であれ、女であれ、余計な物を取っ払って、自分自身の「核」を捕まえること。その核を自分の瞳のごとく大事に持ち続けること。今すぐに芽を出さなくても、今すぐに花を結ばなくても、その核を抱き続けること。そしてその核の存在を、周囲の人に伝えること。それが、「今、ここ」から始められる第一歩だと私は思う。蛇足だけれど最後に一言。核は変化してもいい、嫌きっと変化して行くのだろうと思っている。

ワークとレイバー

もうふた昔以上前、日本人はウサギ小屋に住む働き蟻だと揶揄されたことがある。過労死は「karoshi」として英語の辞書に収録されている。家庭は妻子に任せ、会社のため、仕事のために粉骨砕身するのが、日本人特にサラリーマンの典型像のように思われている。

 これに対比されるのが、欧米人の仕事よりも私生活というライフスタイルである。かつて家族を同伴して来日した外国人プロ選手が、家族が日本になじめないという理由で退団、帰国したときのマスコミの騒ぎを良く覚えている。その騒ぎの根底には「たかが妻子供のために、大の男が仕事を放り出すのか」という非難めいた驚きがあった、

 時代はそれからもう30年近くたっている。しかし「単身赴任」など欧米ではありえないとか、学会に子供や家族のためのプログラムが用意されているといった話を聞く限りでは、事態はそんなに換わっていないように見える。

 家族重視で仕事とプライベートをしっかり分ける生き方と、仕事とプライベートの境目があいまいになっている生き方。この二つは相容れないもの、まったく異なった生き方に見える。しかし本当に相容れないのだろうか。「仕事」というもの「生き方」というものをもう一度考え直すことからはじめてみたい。

 仕事というとワークという英語が思い浮かぶが、実はレイバーという言葉もある。レイバーは「労苦」という意味合いを含んでいる。実際、今でも経済学の標準理論はレイバーを「できれば忌避したいもの。しかしレイバーなしでは所得が得られないので、所得と余暇とのバランスで最適な労働時間を選択している」と考える。キリスト教的な意味合いではエデンの園を追われ、現在を背負ったアダムとイブの子孫である人間全体におわされた「原罪」の一部と考えられるときもある。ここでの仕事は、仕方なく遂行するもの、義務でしかない。しかし、おなじキリスト教文化の中に仕事を表す別の言葉が存在する。ワークとcallingである。前者はおなじみなの英単語なので、説明を後回しにすることにして、後者のcallingから検討してみよう。これは文字通りcall(命)に応える仕事である。神からでもいいだろうし、自分が感じた使命でもいいだろう。何事かに呼ばれるようにして、自ら「天職」として選んだ仕事である。これはレイバーの対極にあるといってよいだろう。忌避するものではなく、喜んでそのために一身をささげるような、そんな特別な仕事である。そして比較的中立的なワーク。ただし、ワークも同じ言葉が芸術作品に使われるように、レイバーのような重荷感は比較的少なくなる。

 日本語はどうだろう。苦役という言葉はめったと仕事には使わないだろう。稼ぎがもしかするとレイバーに近いのかもしれない。生活のため、食べるためにやらなくてはならないこととしての「稼ぎ」。生業(なりわい)となると、少しニュアンスが違う。callingほどではないが、「これを生業としております」という人(職人さんが多いのだが)は、どこか誇らしげである。仕事という言葉自体は新しい言葉でもあり、比較的中立だろう。面白いのは「なりわい」という言葉が感じでは「生業」とかかれる事だ。どうも、日本では古くから「生きること」と「仕事」はくっついていたらしい。水田稲作という世界一生産性の高い(ただし労働集約的な)生活基盤を持っているからかもしれない。なにせ田んぼを作るのは、家族総出の作業であり、生活を維持することと家族を維持することは同義なのだから。けれど、日本的な生業に私的な生活がなかったかというとそうではないだろう。逆に西欧的な天職には私的な生活はないといってもよい(神から召命を受けたら、家族も家財も放り出して、神の命に従うというのが天職なのだ)。

 実は、家族やプライベートといった私的生活と仕事が分離していくのは、近代社会の傾向である。仕事とプライベートをきっちりと分ける、家族と過ごす時間を別に確保するという典型的な西欧型のライフスタイルは近代の産物である。だからこそ、西欧人にとってはそれが「普通」なのであり、他の社会ならともかく自分たちの社会の中で「仕事第一」と言い放つような人間は、「異質なアウトサイダー」と見られやすい。その逆パターンが日本だといえよう。要は、その社会で承認されやすいスタイルを(無意識に)選んでいるし、それが典型だと考えているわけだ。

 この「承認」という欲求、そして自分が行っていることが意味あることだという「意義付け」。この二つが仕事でもプライベートな生活でも、人が生きる上での大きな決め手となっている。夜遅く帰宅し、休日出勤をいとわなくても「家族は俺の(私の)ことを認めてくれている」し、自分の仕事は会社を通じて社会的に「意義がある」と思うからこそ、モーレツサラリーマンは生まれる。もし会社の仕事に意義を見いだせず、会社の中で自分の仕事や居場所が承認されなければ、仕事はワークではなくレイバーになる。そうなったらどんなに成果主義で飴と鞭を振るっても、労働生産性は上がらないというのが、現代経済学の知見である。プライベートな生活でもそうだ。欧米では休日や帰宅後、地域のボランティアやコミュニティの活動に積極的に参加する。それは「意義」ある仕事であり近隣コミュニティの一員として「承認」が得られるからである。もし義務的な割り当てになってしまったら、途端にコミュニティの様々な活動は停止してしまうだろう(70年代以降、コミュニティが崩壊の一途をたどっているのがアメリカである)。

 仕事にしろ、私的な生活にしろ、その根底にあって人を動かす動力源となっているのは「承認」と「意義」だといってもよい。どの場所で、どのような承認や意義付けが得られるかで、仕事と私的生活が渾然一体となる場合と、明確に分かれる場合があるだけだ。

 そして、今後、人々は自分自身にとって最も相応しいと思える場所での承認と意義を求めて行くことだろう。大手だから社会的に「意義」があるとはいえない事件が続き、仕事と生活の双方を充実させようという動きが徐々に広がってきている。自分自身が「意義」を感じられ、その場で対等の仲間から「承認」される仕事を求め、その中で自分らしい「生き方」も模索していくことだろう。なぜなら自ら意義を感じて集まった対等の仲間であれば、仕事に関する意見の相違を尊重するだけでなく、それぞれのライフスタイルの違いも尊重する可能性が高くなるからだ。そこではもう「仕事と私生活の区別がないのが不思議」という感覚はあっても、それが間違っているという判断はあり得ない。それはその人がその時選んだ「意義」付けの方法なのだから。逆に私生活優先だからといって、組織内の仕事をきっちりと果たしているのであれば、「なんで先に帰るんだ」などという不平も生まれようがないだろう。

 ただし一つだけ注意が必要である。「意義」と「承認」は人間にとって不可欠だが、麻薬のようなものだ。ファシズム的絶対服従を産んだり、舞い上がって、自分の会社さえ良ければなにをしても良いという行動が承認されるようになる。洋の東西を問わず、組織がスキャンダルを起こす場合、その背後にはこうした意義付けと承認のゆがみが隠れている。これは特に外に対して閉鎖的な組織で起こりやすい。逆に、組織や家庭の中で、なかなか承認が得られないとなると、マイナスの承認を得ようとする場合もある(スーパーでぐずって言うことを聞かない子供を思い浮かべてもらうといい。子供は親の注意を引きたい場合がほとんどだ)。これは非常にやっかいだ。生き方においても、仕事においても、何らかの承認が欲しいがために、マイナスでもいいからとなっていくと、マイナスの承認を引き寄せてしまうし、マイナスの承認を自ら求めるようになるというのが、心理学の知見である。

 こうなると、 自分自身に対する評価を低め、常に叱られている方が「安心」するようになる。生きにくそうに見えるのだが、案外本人はそれに気がついていなかったりする。周りが常に自分より優れているように見えるので、周りのまねをしよう、周りの指示通りにしようと必死になることになる。じつはそれが自分自身の意義付けの根っ子を掘り崩していることに気がつかないまま。やがて、根っ子のない、芯のない生き方しか選べなくなってしまう。もしかすると、マイナス承認ばかりを受けすぎて、知らないうちに心が折れてしまい、ふと気がつくと自死しているかもしれない。

 おそらく、今後働き方あるいは生き方の問題としてクローズアップされてくるのは、過労死や自殺の根っ子にあるマイナス承認衝動ではないかと危惧している。しかも真理に関わるだけに、本人が変えようと思わない限り、他人がどのように働きかけようと無駄である。とはいえ、これは人間の自尊や自侍という人間の様々な特質の基本的土台に関わるものである。自尊や自侍なしに創造的なものは生まれない。正直この点に関しては、将来社会が抱える最大の問題ではないかと危惧しているのだ。

競創 「自給自足」と「消耗戦」の間で

グローバリズムという言葉が使われ始めてもう15年以上たっただろう。この言葉が良い文脈で使われることは滅多と無い。ましてグローバリズムと競争となると、悪の温床のように目の敵にされる。逆に自給自足、地域資源、地産地消という言葉は、善の代表選手のように取り扱われている。

 思想史という過去の思想をあれこれとつつき回している人間は、こういう時、ついつい斜に構える。なぜなら、「自由+競争=悪」対「自給自足+共同体=善」という現在にも似た図式で、過去にも論争が行われ不毛になったことを知っているからだ。

 なぜ「悪対善」が不毛なのか。

 例えばの話、自給自足的が善だとしよう。では自給自足できない土地に住んでいる人々はどうすればいいというのだろう。サハラ以南の慢性的飢餓に悩む人々に、自給自足をしたらというのだろうか。いや、そんな遠くまで行く必要はない。日本の大都会そのものが沙漠であり、自給自足にほど遠い。

 自給自足を善とする人の中には、こうした都会的生活そのものを抜本から変革し、自分たちの村を作ろうとする人たちもいる。大正時代の「新しい村」運動、19世紀のロバート・オーウェンなどが過去の事例としてあげられる。彼らは、文字通りラディカルに生活形態を改変し、自給自足的生活を築き上げようとした。そこまでラディカルではなくても都市生活の無機質さや機械的生活から人間性を取り戻すためにと、設計されたのが「田園都市」である(東京多摩田園都市はこの運動が日本に波及したもの)。

 現代でもこうした運動に邁進する人たちがいる。そのこと自体をとやかく言うつもりはない。けれど、ともすればこういう運動は閉鎖的になりがちである。これは無理もないことだ。平凡な人間が何の疑いも持たずに過ごしている生活を根底からひっくり返すわけなのだから、こうした運動に同意する人たちは、当初はごく限定された数になる。またその運動が依拠している根本原則に従う人でないと受け入れられないことになる。結果的にある原理原則を元にした集団が出来上がる。これだけならば、別段不自然でも不可思議なことでもない。通常のベンチャー企業と同じだ。

 しかし、一つだけ大きな違いがある。ベンチャー企業は市場や顧客に対して自分たちの商品やサービスを説明し、売らないと生きていけない。顧客の不満に耳を傾けなければたちまち倒産だ。しかし自給自足的集団は文字通り「自分たちだけ」で生きていける。だからこそ、外からの批評に耳を傾ける必要はない。時として批評を非難として、攻撃として受け取ってしまうこともある。外だけではない、内側からの批判に関しても同様になってしまう危険性を持っている。

 なぜここまで閉鎖的になるのか。その答えは案外単純だと断じた人がいる。これまで時折登場願っているJ.S.ミルだ。彼の答えは「競争の排除が原因」というものだ。彼は自給自足的な組織や、今の生活協同組合的組織、労働者によるベンチャー的なアソシエーション、いずれに対しても「競争」することを求める。それも既存の企業とともにだ。

 そんなことをいわれても、農業組合法人や農業法人と、イオンといった大スーパーでは資金や仕入れの有利さで競争どころかスタートラインにすらたてないじゃないか。こういう反論は当然だろう。しかしそれでも競争をとミルはいう。なぜなら競争が無ければ、組織が閉鎖的になり、新しい息吹が吹かなくなるからだ。そしてミルの主張する競争は、現代的な意味での競争(彼の言葉を借りれば「相手を押しのけ押しつぶす」闘争的競争)ではない。

 ミルのいう競争を理解してもらうために、ちょっと話を変えてみたい。世界陸上・W杯・F1。こういった競技に観衆は何を期待しているのだろう。金に飽かして有力どころをそろえたチームが常勝路線を突っ走ることだろうか。それとも互いが、ギリギリまで鎬を削り、よりすばらしい記録、よりすばらしいプレーを残すことだろうか。単純に自国チームが(たとえダーティーといわれようと)勝利を手にすることだろうか。もしすばらしいプレーヤーやチームだけが見たいのなら、なぜわざわざ弱小チームとの競技会をもうけるのだろう。雪の無いジャマイカのボブスレーチームに世界中が熱狂的な声援を行い、ついには映画にまでなったのはなぜか。結局のところ私達は、同じ目標を持った人間がどこまでの高みを目指せるかに熱狂するのではないだろうか。そしてそのためには、互いに競争しなくてはならないということを暗黙裡に認めている。

 ミルのいう競争は、競い合うことによって、より高度なものを人間社会に提供していくための競争、つまり「競創」である。

 もの(商品だろうとサービスだろうと、記録だろうとなんであれ)を創りだすことは、苦痛に満ちている。だからこそ共に競う相手がいないと、すぐに自己満足に妥協に流されやすい。そしてその結果を批判されると、ついつい敵対的になる。逆に共に高みを目指しているのであれば、批判や欠点の指摘は自分の成長へのチャンスと受け入れることができる。

 ミルは自己目的化した成長、すべての人間が同じ目標(金銭的動機)を持ち、敗者を蹴落とすためには何でもするような競争を拒絶する。彼は人間が人間として、そして多くの人間がその人自身の生を生きるための社会を創り続けるための成長を求め、そのためにこそ「闘争的」競争ではない競争、「競創」を求めたのである。 ミルが「競争(競創)」を常に手放さなかったのは、互いが互いを高め合う機会を喪失してしまうからである。 

 ここからは私の勝手な推論になるのだが、ミルの競創を煎じ詰めると敗者も勝者もいなくなる。ドトールも、スターバックスも、フェアトレードコーヒーも「コーヒー消費市場」で戦っていると考えれば、当然敗者と勝者が出てくる。けれど、この3つの店舗へ足を運ぶ消費者はいつも同一の動機で消費しているのだろうか。コーヒー1つとっても人はいろんな動機で商品を選ぶ。それぞれにあった商品を提供している限り、そして創造的に自分たちの商品やサービスを成長させている限り、敗者も勝者もいないのではないだろうか。

 20世紀「グローバルで競争する」というと、体力勝負(資金力勝負)の消耗戦しかあり得なかった。しかしこれからグローバルで、世界で、競争すべきなのは、体力や資金量ではない。自分たちがどれだけ高い目的や目標を持って、日々変化し創造し続けることができるかだ。海外市場に堂々と自分の商品を売りにいく地酒の蔵元がある。資本金は3000万円に満たない(同業種のトップ企業は資本金6億弱だ)。世界のファッションショーに服地を提供する地方の小さな織元もある。品質の高さで負けない商品を創りだす人々が、いわゆる「発展途上国」に存在している。彼らとサシで勝負するのってワクワクしないだろうか?どちらがより高い品質のものを、どちらがより創意工夫に飛んだものを創造し続けるか。勝負は買ったり負けたりしながら、ずっと続いていく。それが「競創」の世界である。

 さて、いつのまにか自給自足の話題が競争の話題になってしまったが、自給自足を頭から否定している訳ではない。また現在のグローバル路線や自由貿易路線が良い結果をもたらすとは思えない。だからこそ、ここまではあえて「競創」という言葉を使って、別の形態の競争があるということを示したかった。

 私は自給自足という言葉、運動に閉鎖へと向かう危険性とともに、もう一つの可能性もあると考えている。たとえば日本の「民藝運動」。柳宗悦といった民藝運動を主導していた人々は、普通の人が普通に使っていた日常雑器の中に世界に通用する「美」を見いだした。そしてそれを一般に公開することを望んだ。さらに志を同じくするバーナード・リーチとともにイギリスに日本式の窯をつくり、多くの陶芸家を育てたりもしている。彼らの運動には批判もある(なにしろ大日本帝国時代であり、その枠組みから抜け出せなかったのも確かだ)。しかし注目してほしいのは、日常的なものをその土台や根っこを破壊しないまま、より開かれたもの、洋の東西を問わずその真価を問うことができるものへと進化させていったという過程である。

 先述した地酒の蔵元も地元産の米や果実にこだわった製品を作り続けている。そういう意味では「自らのもとに(供)給されるものにこだわって」いるのだ。そして「自らがもって足りとするもの、つまり自信が持てるもの」を送り出している。自分の生きる場所、自分が自信を持ってこれだと決めた仕入れ先や材料を大切にし、自分が自信を持って世界に問うことのできる物を作り出すこと。これもまた「自給自足」では無いだろうか。ただしこの場合の自給自足は、単純な地産地消ではない。自らが決定し自信を持つのであれば、地球のどこから仕入れていい、地球のどこへ供給していい。地球の大地に根を下ろす自給自足である。その時、自給自足はその閉鎖性を逃れることができるだろう。

ノマドと共同体

  20世紀、特に旧ソビエト連邦の崩壊後、グローバル化という言葉が喧伝されている。資本(資金)も企業も国境を越えて有利な場所へと瞬時に移動する。人もまた、能力があれば国境を乗り越えて活躍すべきだと主張される。そして対照的に日本の若者の内向き志向が批判される。

 ここで描かれる資金や組織や人は、自分にとって有利な場所を求めて常に移動を繰り返し、固定したあるいは固着すべき依処を自ら捨てたかのような姿である。

 しかし、同じように楽々と国境を越えながらも、また異なった越え方する人々もいる。この人たちは多言語に通じているわけでもない。多国籍企業に属しているのでもなければ、特別な技能を持っているわけではない。ただ自らの意思の赴くまま、同じ意思や志の人を求めて、国境を越える。ちょうど幕末期に多くの若者が脱藩という形で国境(くにざかい)を越えたように。こうした人たちも、一見すると上に書いた人たちのように、依処自ら捨て、敢えてノマドとなったかのように見える。しかし、こうした生き方をしている人たちの中には、ノマドでありながら、依処を知る人たちがいる。彼らにとっての依処は彼ら自身の志である。だからこそ、表現や手法が違っても、どこか同じにおいのする人のところにいると「帰ってきた」と思うことだろう。あるいは瞬時に「故郷の懐かしさ」を覚えることだろう。

 一方、今回の震災では再び津波の被害を受ける可能性が高いと知りながら、またその地での復興どころか復旧すら非常な困難が伴うことを知りながら、あえてかつての土地に戻ろうとする人たちがいる。放射能による健康被害の可能性を知りながら、土地を耕し田になえをうえるひとたちがいる。こうした人たちは、先ほどのノマド的な生き方をする人たちの対局にいるように見える。だが、本当にそうだろうか。

 この人たちにとって、土地は単純に先祖代々受け継いだというものではなく、その人の生き方の拠り所そのものではないのか。先祖代々受け継いだというだけであれば、バブル期にあれほどの土地の売買は起こらなかっただろう(もちろん裏で相当あくどい地上げがあったのは承知しているけれども)。単にその土地を所有していることではなく、その土地で生きていくことが拠り所になっているのではないか。実際、ある土地で生きていくためには何らかの拠り所が必要であり、それを目に見える形で現しているのが、依代としての神社ではなかったのではあるまいか。(内田樹氏が新興住宅地にはまず神社を設置すべきだといわれていたのを思い出す)。

 拠り所と依代。ノマド的生き方をしている人にとっても、その拠り所と依代は彼らの持つ志であろう。ただ、その志や意思が共通する場所が世界各地に点在しているだけではないのか。そしてある土地を拠り所とし依代を定めた人たちもまた、同じように土地に拠り所と依代を求める人と志を共有化する事が出来るのではないか。それは土地に拠り所と依代をもちながら、様々な理由によってもはやその依代の地に戻れない人も同様であろう(いや、一層強力かもしれない。東北は、特に戦後の高度成長期以降、東京に労働力としての人と、食糧としての米と、エネルギーとしての電力を供給し続けてきた。東京の人たちがなぜか被災地意識が強いのは、あながち東京中心主義とはいえないような気がする。彼らは依代を失ってしまったのだ。いや、依代を残して他所にきてしまったという意識を持ち続けているのではないか)。

 ノマド的に志を依代にして世界を駆けめぐる人たちと、ある土地を依代として、その地で生き続けることを選ぶ人たちと。一見正反対の姿ではある。そしてもし「共同体」という言葉を用いてしまえば、両者はまさしく正反対の存在でしかない。しかし果たしてそうだろうか。人間はただ一つの共同体にしか所属できないのだろうか。志は共同性を生まないのだろうか。私がここまで「拠り所」や「依代」という古めかしい言葉を使い続けてきた根底にはこの疑問がある。依代や拠り所はただ一つとは限らない。また同時に多重に拠り所を持つことも出来る。依代もそうだ。日本での依代とアフリカの依代は異なっているだろう。しかしその働きは、求めるところものものは同一でありうる。依代は表層で異なりつつ、根元で共通になりうる多層性をもつ。私はこの多重性と多層性がこれからの時代の「生」にとって重要な意味合いを持つのではないかと考えている。

 いわゆる国民国家というものが出来る前、人は多重な世界に生きていた。ある村の村役であり、家長であり、農民であり、時には推理県を巡り婿と争う舅であったりした。家そのものも(社会によって相違は大きいが)血縁関係で継続しているとは限らなかった。さらに大きな範囲でいえば、誰が王かということは、日常生活や納税に関わらない限り知ったことでなくてかまわなかった。王もまたどこからどこまでが自分自身の領地かということは、支配勢力圏の問題であると同時に、支配清涼をのばすためには依安上がりな婚姻という手段を執ることも出来たのだから、二重王権(妻との共同統治)の土地があって当たり前であった(もっともヨーロッパでもどこでも争乱の元になるのが常だったろうが)。だからといって、人に拠り所がなかったわけではない。日々の生活そのものが拠り所を形成していた。

 時代は下って21世紀。果たして国民国家はこのまま存続するのだろうか。グローバル化が喧伝されているといった。それは確かに資本や組織の都合でいわれる場合が多い。しかし、拠り所の少ない資本や企業はもとより根無し草であり、根無し草としてもっとも有利な条件として国民国家の敷居がなくなっていく兆候に敏感なだけではないだろうか。