国境を越えてスイーツ作り、インド・スペイン・カンボジアへ

松⼭⼤学経済学部教授 松井名津

カンボジアでは「ニュージャンプアッププロジェクト」として始まったニューとノーのスウィーツプロジ
ェクトが、コミュニティネットワークとして広がりを⾒せています。


デンくんがカンボジアの⽂化庁の若いメンバー向けにIT、特にビデオの講座を計画しています。これは⽂化庁の企画があまり知られていないという彼らの悩みに応えて⾏うものです。が、デンくん、ここで⼀計を案じました。プーンアジで開催する講座にやってくる彼らに対して、講座料の代わりにニューやノーが作った焼き菓⼦のセットを買ってもらうのです。焼き菓⼦のセットは1つ$10。講座の料⾦としてもちょうどいいぐらいだと考えたようです。さらにクイ族のコミュニティにも発信能⼒を⾝につけてもらうために、講座を提供したいと考えているデンくんは、クイ族の若者たちがスクーリングとしてプーンアジにくる時にも同様にして、焼き菓⼦のセットを広めようと考えています。ミャンマーのEラーンカフェのアイデイアです。カンボジアでは焼き菓⼦を⾷べる習慣がないので、地元コミュニティの⽂化を守る試みと新規事業を結びつけようという発想がとても⾯⽩いと思います。早速⽉曜⽇のCWB全体ミーティングで紹介してもらいました。するとインドのマノラマさんから「講座料がいくらになるのかをはっきり⽰した⽅がいい。何事もタダで提供されたものと思われると後でお⾦を取りにくくなる」というアドバイスが。さすが⻑年ビジネスの現場で働いてきたマダムの指摘は現実を厳しく切り取っ
ています。受講料としてだけでなくお⼟産として買っていってもらうことを想定してです。


⽇頃の国境を越えたコミュニティネットワークとしての広がりが、こうしたアドバイスを⽣んでいるともいえるでしょう。CWB⽉曜会議で話題になることは、どこのコミュニティの話題であっても、誰もが⾃分の課題として考えるようになっています。

アジアと起業塾始まる!

松⼭⼤学経済学部教授 松井名津

起業塾といっても校舎があるわけではない。当初から決まったカリキュラムがあるのでもない。全ては実戦から始まり実践で終わる。ただし⼀⼈が実践から学んだものは、全てのメンバーに共有され、議論され、何かしらの「理論」に還元される。ここでは会計講座でさえも、机上の理論だけに終わらない。複式簿記を学んだら⾃分たちの活動やビジネスを記帳する。記帳ができたら、出来上がったバランスシートや損益計算書から⾃分たちの現状を把握する講義が待っている。


すべての講座には具体的な「何のために、なぜ」がついている。だから単なるスキルアップのための専⾨学校ではない。スキル、例えばプログラミング、ビデオ編集、エクセル、フォトショップ…こういったスキルを⾝に付けるのは最低条件でしかない。ここで常に問われるのは「スキルを使って何をするか」「⾝につけたスキルをどう役⽴てるか」だ。「どう役⽴てるか」の中には⾃分の将来のためも⼊っているが、コミュニティのためも⼊っている。例えばフォトショップを使って仲間のe-コマースのための写真を加⼯するというのも⼀つの例だ。さらにステップアップすれば、他のコミュニティのメンバーのために⾃分のスキルを教えるという段階が待っている。その過程で⾃然と次のビジネスが⽣まれる。この起業塾にとって起業も⼿段の⼀つに過ぎない。⾃分が⾃⽴して⾃由に⽣きるための⼿段だ。そして⾃分が⾃⽴し⾃由に⽣きるためには、⾃分が⽣まれ育ち、これから⽣きていくコミュニティもまた⾃⽴し、⾃由でなくてはならない。だからこそミャンマーのメンバーはe-learningカフェを必死になって運営している。カンボジアのニューやノーはクッキー作りの技術を⾝につけ、プーンアジのメンバーに共有している。インドネシアのユダくんやクリスはITスキルを教え、アプリを作る。ネパールのアリヤはカンボジアの⽣徒の英⽂原稿を添削している。アジアと起業塾では、ネットを駆使した「学び合い・教え合い」の絆を太くしていきたい。この試みに⽇本の中⾼⽣が加わってくれているのが何とも楽しみだし、頼もしく感じている。

Zoomで身近につながるプーンアジ

日本に帰国してから産能大学以外にも時々大学の先生からお声掛けを頂いて単発レクチャーを受け持たせていただくことがあります。9月には県立広島大学大学院、そして10月末には金沢大学でお話させてもらいました。コロナ禍になってすっかりZoomで講演することが当たり前になり、現地に行かずとも画面越しで大学生の皆さんに向かって話すのですが、同時に見聞きするだけのアジアの現場を生中継することでよりリアリティが増すだろうと思って、招聘してくれた先生に提案しています。どうやら先生方も本当にちゃんとカンボジアから映像が見られるのかと不安に思っていらっしゃるようですが、音もクリアで、発言するプーンアジの生徒たちの目の輝きに大学生も感動しています。
しかし、スムーズに運営するためには下準備も欠かさず行っています。現場の涼さん・光さんにカメラワークや進行のシナリオづくりなどをお願いし、数日前にリハーサルも必ず行います。プーンアジの生徒たちの発言は多少ぎこちなくても「いいよ!日本語も英語もうまくなった!」と褒めて自信をつけさせ、そのリハの際に逆光で顔が暗かったら立ち位置を変えたり、雨が降ったら別の場所にしようとか、もしも停電でWiFiが切れたときはすぐに携帯電話でテザリングできるように充電をフルにして準備をしてもらったり、あれやこれやと対処できることを想定して臨んでいます。この日本人スタッフのサポートがなくては実現できません。

ニューが卒業後にお菓子屋さんを始める決意を発表!

まだ1回もトラブルにはなったことがないですが、繋いで話すのはカンボジアの生徒たちはまんざら嫌いではなさそうです。これまでのプーンアジツアーや来日経験でお客様と交流して日本人が大好きですし、最近は私の生徒への講義でもなるべく質問をして「私に教えて」と彼女たちから意見を求めたりすることが多いので、ディスカッションすることに慣れてきたのかなと思います。5年経ってようやくこういう場が作れるようになったと感慨深いです。
前回、金沢大学では学生代表のマシャーがちょうど学校と生中継の時間が重なってしまったために映像で登場したのですが、にこやかに話す可愛い10代の女の子が最後に「私の会社はコンポントムで初めてのカシューナッツのビジネスです。成功させたいです」と発言。彼女の覚悟をうかがい知ることができ、とても誇らしく思いました。書くことや発言する場を経て、意思を固めていくことはとてもいいです!

このような大学との交流もプーンアジの生徒にとって貴重な経験です。大学のみならず同世代の中学・高校などにも広げたいです。さらに今後はステップアップさせて、第3世界ショップのお客様と直接つないで現場を見るZoomツアーなどへ発展させていけたらいいなと思い描いています。

日本に帰国してから産能大学以外にも時々大学の先生からお声掛けを頂いて単発レクチャーを受け持たせていただくことがあります。9月には県立広島大学大学院、そして10月末には金沢大学でお話させてもらいました。コロナ禍になってすっかりZoomで講演することが当たり前になり、現地に行かずとも画面越しで大学生の皆さんに向かって話すのですが、同時に見聞きするだけのアジアの現場を生中継することでよりリアリティが増すだろうと思って、招聘してくれた先生に提案しています。どうやら先生方も本当にちゃんとカンボジアから映像が見られるのかと不安に思っていらっしゃるようですが、音もクリアで、発言するプーンアジの生徒たちの目の輝きに大学生も感動しています。
しかし、スムーズに運営するためには下準備も欠かさず行っています。現場の涼さん・光さんにカメラワークや進行のシナリオづくりなどをお願いし、数日前にリハーサルも必ず行います。プーンアジの生徒たちの発言は多少ぎこちなくても「いいよ!日本語も英語もうまくなった!」と褒めて自信をつけさせ、そのリハの際に逆光で顔が暗かったら立ち位置を変えたり、雨が降ったら別の場所にしようとか、もしも停電でWiFiが切れたときはすぐに携帯電話でテザリングできるように充電をフルにして準備をしてもらったり、あれやこれやと対処できることを想定して臨んでいます。この日本人スタッフのサポートがなくては実現できません。

まだ1回もトラブルにはなったことがないですが、繋いで話すのはカンボジアの生徒たちはまんざら嫌いではなさそうです。これまでのプーンアジツアーや来日経験でお客様と交流して日本人が大好きですし、最近は私の生徒への講義でもなるべく質問をして「私に教えて」と彼女たちから意見を求めたりすることが多いので、ディスカッションすることに慣れてきたのかなと思います。5年経ってようやくこういう場が作れるようになったと感慨深いです。
前回、金沢大学では学生代表のマシャーがちょうど学校と生中継の時間が重なってしまったために映像で登場したのですが、にこやかに話す可愛い10代の女の子が最後に「私の会社はコンポントムで初めてのカシューナッツのビジネスです。成功させたいです」と発言。彼女の覚悟をうかがい知ることができ、とても誇らしく思いました。書くことや発言する場を経て、意思を固めていくことはとてもいいです!

プーンアジの庭からマシャーがご挨拶。鶏の鳴き声がBGMなのもご愛嬌

このような大学との交流もプーンアジの生徒にとって貴重な経験です。大学のみならず同世代の中学・高校などにも広げたいです。さらに今後はステップアップさせて、第3世界ショップのお客様と直接つないで現場を見るZoomツアーなどへ発展させていけたらいいなと思い描いています。

フェミニン・マスキュリン・リーダ―シップ

松井名津

コロナがパンデミックの様相を発揮するにつれ、国民への呼びかけや政策の浸透に成功したリーダーの多くが女性だったことから、母親的(フェミニン)なリーダーシップが注目された観がある。とはいえユングではないが、一人の人間には女性性もあれば男性性もある。実際、交流分析を主とする心理学ではCP(支配的な親の自我状態)とNP(養育的な親の自我状態)といった要素が登場する。

実際、先日ユース5+αの会議で、厳しい父親的なリーダーシップと受容的な母親的リーダーシップの話になった。例えばインドネシアのユダくんは「母親的」。なぜなら人の話によく耳を傾け、親身になって世話をするし、欠点を受け入れようとするからだ。一方、カンボジアにいた頃の奥谷さんは「父親的」。規律に厳しく、生徒たちが引き締まるからだとのこと。ではデンくんは?と聞くと、奥谷さんがいた頃は「お兄さんかお母さん」だったとのこと。

この会話から察していただけると思うが、父親的(マスキュリン)と母親的(フェミニン)は性別によるものではない。組織のリーダーシップの要素をそれぞれのジェンダー要素に割り振っただけである。例えば父親的には「厳格・規律・統制・権威・トップダウン・ロジカル・客観的・理性的」といった要素が、母親的には「共感・受容・感性・直感・寄り添う・感じる力」といった要素が入るといわれている。(父親的を男性性、母親的を女性性と言い換えても良いのだが、どうもリーダーシップといった場合は「親」の要素を入れた方が良いと思う)。どうも二つに分けると、二項対立(〜対〜)的で、どちらがより良いのかとか、より相応しいのかという話になりがちだ。確かにこの二つ(父親ー母親、男性性ー女性性)は二項対立のように扱われてきた。そして昔はやった歌ではないが、男女の間には「誰も渡れぬ河」があって、男性が女性を(女性が男性を)真に理解することなど不可能だ(と思う)。

とはいえ、この二つは互いを排除するものではない。誰も渡れぬ河であっても「今夜も舟を出す」のが両性のサガでもある。またそれでなくては人類という種の永続性は望めない。そしてどうやら組織の運営においても、父親的・母親的リーダーシップの双方に長所と短所があり、どちらが良いというのではなく、どちらの要素も必要であって、そのバランスは組織の性格、置かれた状況によって異なる。例えば母親的リーダーシップの共感や受容はともすれば優柔不断や、規律不足につながるー決断が必要な危機的状況では困ったリーダーシップである。その一方で、同じような状況で、父親的リーダーシップは決断力や行動力に富むが、「決めたことに全員従え」方式になりがちで、全員が不安に陥っていて丁寧な説明が必要なときには、メンバーが取り残されてしまう。丁寧な説明、相手の立場に立った説明は母親的リーダーシップの要素だろう。危機的状況と一言でまとめても、その時々によってどちらの要素がより適しているかは異なってくる。  こういうふうに考えてくると、果たして組織のリーダーは1人に固定して良いのだろうかと考えてしまう。20世紀型の組織は軍隊と同じで役割でリーダーシップが固定されてきた(平の社員が社長に物申すというのはレアだ)。しかしこうした組織運営のやり方は変化が常道になる世界では非常にリスクが高いのではないだろうか。どのような状況でどのようなリーダーシップの要素が必要とされるかは、あらかじめ予想することはできない。むしろ誰もがリーダーシップを取ることができる、取って当然な組織運営が必要なのではないかと考えている。

ブルジットジョブと⾼付加価値

松⼭⼤学経済学部教授 松井名津

以前、『ブルシットジョブ』という本を紹介したことがある。その時、日本社会は「何のためにやるのかわからない」「誰の役にも立たない」ブルシットジョブを、組織の中で広く共有しているのではないかという推論を展開した。今回、吉田屋を含む温泉津温泉旅館組合がある補助金に採択され、その後の事務手続きを行っていて、もう一つの可能性に気がついた。吉田屋で展開しようとしているプロジェクトは別次元の話ではあるが、少し我慢して読んで欲しい。

まずこの補助金の不思議さは「全体計画」が個別事業体の予算なしでも応募できるという点だ。そして採択が決まると大慌てで各事業体は経費の詳細な見積もりを提示しなくてはならない。老朽化したり、時代に合わない施設の改修を申請する事業体が多い(吉田屋もその一つだ)が、補助金の対象は「施設の改修」なので、あらゆる設備は「固定されている」必要がある。さらに全体計画をより長期的で持続的なものとするために、省庁派遣の「コーチ」が3名ついている。彼ら・彼女たちは全体計画のアドバイスをするのだという。なので、先に書いた補助金の詳細(それは個別の計画を左右する。そして個別の計画が揺らげば全体の計画も変化せざるを得ない)について、個別の事業者が質問するのだが、回答は事務局に持ち帰ってからになる。ちなみに事務局のコールセンターとコーチの返答が齟齬することもままある。このコーチたちとの面談が週に1度(申請後は月に2度程度)1時間余り繰り返される。

とはいえ、これが官公庁の補助金業務の実態なのだろう(長年続いてきた補助金であればもう少し緻密ではあるが)とは思っている。そしてこのブルシットの積み重ねのような業務に付き合っているうちに、気がついたのが日本ではブルシットの積み重ねこそが「高付加価値」なのではないかということである。この補助金の受託業務には非常に多くの人間が関わっている。コーチは一部上場企業から派遣されてくる。ウェブ申請を受託しているのもきっと名が通った企業なのだろう。そして多分そこから派生的に下請けに出されているのだろう。(おかげさまで(?)しっかり申請画面から申請できないというエラーが発生しても、一向に解決できずそのままである)。要は高給を得ている人間が多数関わっているということだ。ということは、この事業自体非常に経費がかかった「高い」事業になっている。なんという無駄…と思いつつ、申請の手引きを読み直していたら、この事業の目的の一つである「高付加価値化」が全て「客単価をあげる」「来客数を増やす」であることに気がついた。

そう、高付加価値化とはお金がたくさん費やされることなのだ。ということは、この補助金事業そのものも、多くの経費を費やすからこそ、付加価値を高める事業になっているわけだ。とうとうここまで来たのか。そう思った。付加価値とは何か。元々の財やサービスが持っている価値以上の価値のことだ。現代経済学の「常識」では価値は消費する個々人が持っている価値観に基づいている。温泉旅館の下にも置かぬもてなしに「価値」を見出す人もいれば、温泉があるだけ他には何もないところに「価値」を見出す人もいる。前者にとっての高付加価値は多くの従業員がいて、痒い所に手が届くサービスを提供してもらうことである。その結果として客単価は上昇する。しかし後者にとって他人のサービスだとか、便利な道具は邪魔なだけ。付加価値を高めるどころか価値を低めることになる。後者にとっては「何もないこと」こそが付加価値なのだから。結果として後者のような消費者は客単価が低い。長々と書いてしまったが、付加価値を高めることと、金銭が多く得られることとは全く別の次元の話なのだー現代経済学でも。

しかし日本では「高付加価値」は「貨幣をたくさん費やすこと」に変化してしまった。さらにそれが当然視され、誰も不思議に思わないらしい。70数年間の戦後の歴史がこの意識を形成してしまったのだろう。なにしろより便利に、より清潔に、より贅沢にが目標だったのだから。けれど、付加価値は本来その人独自の感覚によるものだ。ホームレスのダンボールハウスの建築を研究していた大学院生が、恋人を段ボールハウスの住人に取られてしまったという笑えない実話がある。建築学では有数の大学院に所属していることと、人間の魅力は別だったのか、それとも「生きる力」に惹かれたのかは定かではない。しかし彼女は一般的な高付加価値(学歴の高さ)よりも、自分自身の直感的価値観で選んだのだろう。日本人はこれからも沢山の貨幣が高付加価値だという常識に従って生きていくのだろうか?それとも自分の直感的な価値観を取り戻すのだろうか。

4⽉5⽉の楠クリーン村からの呼びかけではアジアの⽣活技術で協⼒「保存⾷」

松⼭⼤学経済学部教授 松井名津

ミャンマーでの活動に関しては折に触れ紹介しているところですが、今回は保存食技術提携のその後についてお知らせいたします。まずは皆様から、梅干しや漬物、ひしおなどさまざまな技術の詳細や、技術を持っている方の紹介をいただき、ありがとうございました。「自分には技術がないから、せめてお金だけでも」と寄付していただく場合も多く、感激しております。さて、今回の保存食技術提携は日本からだけでなく、アジアネットワークのコミュニティからも、それぞれのコミュニティに伝わる様々な保存食、あるいは保存の技術が紹介されました。その一部をここで皆さまに紹介し、日本でも「もしもの時」の備えにしていただければと思います。ミャンマーの政変は遠いことの様に思えますが、世界に広がるコロナによる都市封鎖(ロックダウン)による流通の機能崩壊・食品不足などは、とても他人事とは思えません。


1)インドからは日干しの技術と土器を使った昔ながらの冷蔵方法が紹介されました。日干しの後か来る油で揚げれば、健康的なスナック…ポテトチップですね。

2)インドネシアからはユダ君が自分の屋台カフェで実践している簡便な保存方法と、プルメリアの花を乾燥させ、油でさっと揚げるスナックが紹介されました。地味なイメージの保存食ですが、花のスナックは可憐で保存食のイメージが変わるかも。


3)ネパールからは伝統食の一つである「グルンドリュック」の作り方です。これは様々な野菜を細かく切って、干して、さらに発酵させたもの。ネパール料理には欠かせない調味料であり、食卓の一品です。手間隙がかかるところはネパールのお袋の味といったところでしょう。


4)フィリピンからはジョリーが実際にイワシの塩漬けに挑戦です。仕上がるのに2ヶ月ほどかかるとのことで、仕上がりのビデオはまだですが、漬け込み方を
YouTubeチャンネルにアップしてくれました。

5)カンボジアからは今までも昆虫食の紹介がありました。ミャンマーでも昆虫は佃煮的に食べられていますし、WHOも未来食として推進中。日本でもコオロギスナックが話題になったばかりです。


6)楠からは簡単な「カクテキ」を楠クリーン村メンターの恒子さんがズームで紹介。日本各地の参加者でも賑わっていました。ミャンマーには大根がありますし(日本とちょっと違うかもしれませんが)ピリ辛味が好みなので、意外と受けるかもしれません。

募集したのが6月と保存食を作るには最適とはいえない時期でした。これから冬に向かう時期。保存食の作り方をご存知の方は、ぜひビデオに収めてお送りください。CWBネットワークの各国も、今後も保存食の情報を集めていきます。

引き際―温泉津の吉⽥屋旅館を輪ケーションに、出会った⼥将から学ぶ

松⼭⼤学経済学部教授 松井名津

どんなに人気を博した主役級の俳優でも、時が経つと自分はもう主役の俳優ではないと感じる時があるのだろう。年齢的な問題、顔や体の変化、あるいは単純にシリーズものが行き詰まったから、等々。その時、どう身を処するか。演劇や映画の世界から身を引く人もいれば、新しい自分を築く人もいる。そこにその人自身の美学だとか、潮目を読む力が集約されている気がする。


こんな前書きで始めたのは、温泉津温泉で引き際を心得ているんだなと思う人に出会ったからだ。子供に継がせることもなく、一人で切り盛りする旅館の幕引きを考えながら、それでも丁寧に朝ごはんを作ってくれた人だ。彼女が幕引きを考えるに至ったのはコロナのこともあっただろう(お客さんがぐんと減ってね)。世間の変化についていけない(何でもネットやけど、ネットはわからんし、1日張り付いてしまうから)のもあっただろうが、何より「潮時」を感じたからではないかと思う。

「若い人が帰ってきてやりよる。新しいもの」に対して羨望するのでも、嫉妬するのでもなく、興味津々で出かけていく。そこに転換期を見出す。自分の今までのやり方が通用しないのも肌身に染みて知っている(パートさんに来てもらってもな、仕入れも無駄になるし)。そろそろ退場の時が来たのだと自覚しているのだなと思った。そして彼女はできるだけ潔く、自分の場所を片付けたいのだろうとも思った。

戦後の社会も70余年。社会に年齢があるとしたら、そろそろ人生の幕引きを考える頃だ。そして確かに一つの時代の幕引きが近づいていることを感じている人も多くなっている。若い人が、ではない。年齢でいえば65から70歳ぐらいの人たち、それも自分で世の中を渡ってきた人たちが感じている。この年代の人たちは戦後の申し子といっていい。ただ申し子といっても常に時代の直中で活躍していたという意味ではない。安保闘争や学生運動の嵐が過ぎゆく頃、ある人は嵐の中にいて、他の人は嵐に遅れてきた。オイルショックの頃、価値観が180度転換するのも知ったし、群集心理の怖さも見た。バブルで踊った人もいれば、踊りたくても踊れなかった人も居ただろうが、時代の雰囲気は濃厚に覚えている。そしてその後の日本が迷走を深める中で、自分の年齢を自覚していった人たちだ。その人たちが「引き際」を考え始めている。なぜなら今が「潮時」だと感じているからだ。

全てが変わる…おそらく10年後には誰の目にもはっきりとわかるように。そう感じている。そしてその新しい何かを支えるのは、自分たちではなく今の高校生か中学生だろうと感じている。感じていて焦り「今」にしがみつこうとする人たちがいるのも確かだ。けれど、しがみつくのは自分たちが当然としてきた価値観が崩壊すると知っているからでもある。そういう人は総じて暗い顔をして悲観的なことを語る。

引き際を考えている人は結構明るい。悲観的なことを言いはする(特に日本社会がこのまま「戦争をする国」になるだろうという危機感を持っている人は多い)。けれど根っこは明るい。「見るべきほどのものは見つ」といって碇を担いで、仰向けに入水した平知盛ではないけれど、時代の変化を時代とともに見てきたと思っている。その上でこれからの10年、社会がどんなに変化していくかを見る楽しみにワクワクしている。そしてその新しい動きに自分の居た場所を明け渡したとしても、どうとしても生きていけるという「軽さ」を持っている。私の個人的な感覚なのだが、若い世代よりもこの辺りの世代の方が、今が転換期だと確信している気がする。それはこの人たちが色々な潮目を見て、経験してきたからかもしれない。若い人にとっては生まれてから今まで、自分が生きている今ここの価値観しか知らないわけだから、この価値観がゴロっと変わるとは確信が持てずにいるのだろう。だとしたらできれば何かをやりたいと思っている若い人は、引き際を知っている人から話を聞くといい。人や時代が変わる時というのはどんな雰囲気なのか。多くの人はどんな風に行動を変えるのか(より正確にいうと行動を変えていないつもりで、変えているのか)。自分の思いを語るのもいいだろう。ただ言葉が通じないこともあるかもしれない。なにせ流行語には疎いから。でも自分の思いを多くの人に通じる言葉を練習する機会だと思って欲しい。彼らは君たちの話をじっくり聞くだろう。助言をするかもしれないが、邪魔はしない。躊躇する原因を抉り出されるかもしれないから、覚悟は必要になるだろうが。

4⽉5⽉の楠クリーン村からの呼びかけではアジアの⽣活技術で協⼒「保存⾷」

松井名津

ミャンマーでの活動に関しては折に触れ紹介しているところですが、今回は保存食技術提携のその後についてお知らせいたします。まずは皆様から、梅干しや漬物、ひしおなどさまざまな技術の詳細や、技術を持っている方の紹介をいただき、ありがとうございました。「自分には技術がないから、せめてお金だけでも」と寄付していただく場合も多く、感激しております。

さて、今回の保存食技術提携は日本からだけでなく、アジアネットワークのコミュニティからも、それぞれのコミュニティに伝わる様々な保存食、あるいは保存の技術が紹介されました。その一部をここで皆さまに紹介し、日本でも「もしもの時」の備えにしていただければと思います。ミャンマーの政変は遠いことの様に思えますが、世界に広がるコロナによる都市封鎖(ロックダウン)による流通の機能崩壊・食品不足などは、とても他人事とは思えません。

1)インドからは日干しの技術と土器を使った昔ながらの冷蔵方法が紹介されました。日干しの後軽く油で揚げれば、健康的なスナック…ポテトチップですね。

2)インドネシアからはユダ君が自分の屋台カフェで実践している簡便な保存方法と、プルメリアの花を乾燥させ、油でさっと揚げるスナックが紹介されました。地味なイメージの保存食ですが、花のスナックは可憐で保存食のイメージが変わるかも。

3)ネパールからは伝統食の一つである「グルンドリュック」の作り方です。これは様々な野菜を細かく切って、干して、さらに発酵させたもの。ネパール料理には欠かせない調味料であり、食卓の一品です。手間隙がかかるところはネパールのお袋の味といったところでしょう。

4)フィリピンからはジョリーが実際にイワシの塩漬けに挑戦です。仕上がるのに2ヶ月ほどかかるとのことで、仕上がりのビデオはまだですが、漬け込み方をYouTubeチャンネルにアップしてくれました。

5)カンボジアからは今までも昆虫食の紹介がありました。ミャンマーでも昆虫は佃煮的に食べられていますし、WHOも未来食として推進中。日本でもコオロギスナックが話題になったばかりです。

6)楠からは簡単な「カクテキ」を楠クリーン村メンターの恒子さんがズームで紹介。日本各地の参加者でも賑わっていました。ミャンマーには大根がありますし(日本とちょっと違うかもしれませんが)ピリ辛味が好みなので、意外と受けるかもしれません。

募集したのが6月と保存食を作るには最適とはいえない時期でした。これから冬に向かう時期。保存食の作り方をご存知の方は、ぜひビデオに収めてお送りください。CWBネットワークの各国も、今後も保存食の情報を集めていきます。

引き際―温泉津の吉⽥屋旅館を輪ケーションに、出会った⼥将から学ぶ

松井名津

どんなに人気を博した主役級の俳優でも、時が経つと自分はもう主役の俳優ではないと感じる時があるのだろう。年齢的な問題、顔や体の変化、あるいは単純にシリーズものが行き詰まったから、等々。その時、どう身を処するか。演劇や映画の世界から身を引く人もいれば、新しい自分を築く人もいる。そこにその人自身の美学だとか、潮目を読む力が集約されている気がする。

こんな前書きで始めたのは、温泉津温泉で引き際を心得ているんだなと思う人に出会ったからだ。子供に継がせることもなく、一人で切り盛りする旅館の幕引きを考えながら、それでも丁寧に朝ごはんを作ってくれた人だ。彼女が幕引きを考えるに至ったのはコロナのこともあっただろう(お客さんがぐんと減ってね)。世間の変化についていけない(何でもネットやけど、ネットはわからんし、1日張り付いてしまうから)のもあっただろうが、何より「潮時」を感じたからではないかと思う。

「若い人が帰ってきてやりよる。新しいもの」に対して羨望するのでも、嫉妬するのでもなく、興味津々で出かけていく。そこに転換期を見出す。自分の今までのやり方が通用しないのも肌身に染みて知っている(パートさんに来てもらってもな、仕入れも無駄になるし)。そろそろ退場の時が来たのだと自覚しているのだなと思った。そして彼女はできるだけ潔く、自分の場所を片付けたいのだろうとも思った。


戦後の社会も70余年。社会に年齢があるとしたら、そろそろ人生の幕引きを考える頃だ。そして確かに一つの時代の幕引きが近づいていることを感じている人も多くなっている。若い人が、ではない。年齢でいえば65から70歳ぐらいの人たち、それも自分で世の中を渡ってきた人たちが感じている。この年代の人たちは戦後の申し子といっていい。ただ申し子といっても常に時代の直中で活躍していたという意味ではない。安保闘争や学生運動の嵐が過ぎゆく頃、ある人は嵐の中にいて、他の人は嵐に遅れてきた。オイルショックの頃、価値観が180度転換するのも知ったし、群集心理の怖さも見た。バブルで踊った人もいれば、踊りたくても踊れなかった人も居ただろうが、時代の雰囲気は濃厚に覚えている。そしてその後の日本が迷走を深める中で、自分の年齢を自覚していった人たちだ。その人たちが「引き際」を考え始めている。なぜなら今が「潮時」だと感じているからだ。

全てが変わる…おそらく10年後には誰の目にもはっきりとわかるように。そう感じている。そしてその新しい何かを支えるのは、自分たちではなく今の高校生か中学生だろうと感じている。感じていて焦り「今」にしがみつこうとする人たちがいるのも確かだ。けれど、しがみつくのは自分たちが当然としてきた価値観が崩壊すると知っているからでもある。そういう人は総じて暗い顔をして悲観的なことを語る。

引き際を考えている人は結構明るい。悲観的なことを言いはする(特に日本社会がこのまま「戦争をする国」になるだろうという危機感を持っている人は多い)。けれど根っこは明るい。「見るべきほどのものは見つ」といって碇を担いで、仰向けに入水した平知盛ではないけれど、時代の変化を時代とともに見てきたと思っている。その上でこれからの10年、社会がどんなに変化していくかを見る楽しみにワクワクしている。そしてその新しい動きに自分の居た場所を明け渡したとしても、どうとしても生きていけるという「軽さ」を持っている。

私の個人的な感覚なのだが、若い世代よりもこの辺りの世代の方が、今が転換期だと確信している気がする。それはこの人たちが色々な潮目を見て、経験してきたからかもしれない。若い人にとっては生まれてから今まで、自分が生きている今ここの価値観しか知らないわけだから、この価値観がゴロっと変わるとは確信が持てずにいるのだろう。だとしたらできれば何かをやりたいと思っている若い人は、引き際を知っている人から話を聞くといい。人や時代が変わる時というのはどんな雰囲気なのか。多くの人はどんな風に行動を変えるのか(より正確にいうと行動を変えていないつもりで、変えているのか)。自分の思いを語るのもいいだろう。ただ言葉が通じないこともあるかもしれない。なにせ流行語には疎いから。でも自分の思いを多くの人に通じる言葉を練習する機会だと思って欲しい。彼らは君たちの話をじっくり聞くだろう。助言をするかもしれないが、邪魔はしない。躊躇する原因を抉り出されるかもしれないから、覚悟は必要になるだろうが。

安全安心が死語に!未来しよう! Progressの多様性

松井名津

わざわざ英語で始めたのは訳がある。通常Progressは進歩とか発展と訳すのだけど、単に「成り行き」とか「経過」という意味もあって、必ずしも前進とか成長という意味になるわけではないのだ。その時代、その地域なりの「成り行き」があって、その成り行きのまま進んでいった結果、没落したり、危機に瀕したり、極端な場合その国や文明が滅亡することだってあり得るわけである。

で、ミルによれば(と相変わらずミルを持ち出してしまうのだが)中世〜近代までプログレスは、王家同士の戦い・領土の取り合いとその中で の武勇の発揮であった。もちろん王家同士の戦いに無縁な一般庶民にとって、プログレスは無関係であり、たまさか領主が変わって税が重くなったりすると、抗議のために森に隠れたりしたのである。中世のプログレスは一部の人たちのためのものであり、そこで技芸がどのように発達しようとも、その恩恵は一部の人たちのものでしかなかった。これに対し、近代の「貨幣」あるいは「経済」をめぐるプログレスは、その恩恵がより多くの、より普通の人々にまで行き渡る可能性が高いプログレスだといえよう。そして、プログレスへ参加するチャンスも、中世に比べ ればより多くの人に与えられている。それゆえ通常、中世よりも近代の方が「進歩」したと考えられているわけだ。特により多くの人に必需品のみならず、ちょっとした贅沢品をもたらすことになった経済面での発展と交易は、結果的に人々の間の争いを鎮め、温和にしてきたと主張されていた( 18 世紀の終わりの頃だ)。

しかし時代が 50 年ほど進むと、今度は近代の悪弊も明らかになってきた。「貨幣の絆」だけで人々が結ばれている、情け容赦のない解雇や劣悪な労働条件、金儲けしか考えない人々 ……(ディケンズが書いた『クリスマス・キャロル』のスク ルージが代表人物だ)。全てが金・金・金になってしまった!!今の時代に必要なのはかつて中世に存在していた騎士道的精神であり、高貴や崇敬、誇りや敬愛という精神であると、ここまで書くとこの「成り行き」、なんだか戦後の日本の成り行きと似てはいないだろうか?戦時中、「武勇」「天皇陛下の御ため」の名の下、横行していた陰湿なイジメ(それは軍隊内だけではなかったろう)からの解放。 そして「アメリカの豊かさ」への憧れ。より便利に、簡単になる家事。会社で働いてさえいれば自動的に上昇していく給与。貸家暮らしから一軒家へ 。かつては一部の高級官僚や高級将校しか持てなかった「豊かさ」が、より多くの人々の手に届くようになる戦後。 ノスタルジックに語られる「昭和」はそんなイメージである。実際には貧富の差があったし、浮浪児や孤児、若年者の犯罪の多さ、失業者 さまざまな社会問題が溢れていたのだが。そして 1990 年代以降、失われた00年といわれつつ、一向に回復しない経済状況が続く中に生まれ、育ってきた若者 たち(といってももう 30 歳、 40 歳になるわけだが)は、既得権益に阻まれて自分たちが息をできないと感じ出している。そして既得権益をぶっ潰すために、あるいは、自分たちが権益を得るために、昭和の価値を壊そうとしている(その代表が憲法第9条なのかもれない) 。 その時に持ち出されるのが、自国への誇りと愛国心、規律と統制そして倫理(道徳)である。

丸山眞男という政治学者が日本の古層に「つぎつぎとなりゆくいきほひ」があるといったそうだが、意外と私たちが思っている戦後日本の「発展」は「なりゆくいきほひ」=成り行きであり、プログレスだったのではないか。高度経済成長時代、経済の成長に、給与の上昇に喜ばない人はいなかった。ところが同じ時代に水俣病やイタイイタイ病が発生しているのだが、経済成長の副作用として陰に隠れてしまっていた。ちょうど今、原子力発電所立地地域の住民が発電所の存在に対して口が重いのと似た構図だ(題目は経済成長からクリーンエネルギーに変わったけれど)。

昭和 年代半ば生まれの私にとって、高度経済成長は自分の身の回りの風景が年毎に変化することでもあった。家の周りは水田で私の家自体が風景の中で異質な存在だった。地区の道路は舗装されていないのが当たり前で、裏小路で繋がった長屋がちょっと羨ましかったりした。大きな道路を挟んで徒歩 10 分圏内に牛舎があった。水田や畑の肥料はまだまだ人糞で(年に1回誰かが肥壺に落ちる事故が発生していた) 。しかしそんな中に私の家も含めて新興住宅や社宅が建設され、水路はコンクリート化されていった。年毎の変化は「当たり前」のことであり、変化=良いこと・素晴らしいことへの進歩だとされていた。

70 年代オイルショックとともに成り行きは変化した。「大きいことは良いことだ!!」は「スモールイズビューティフル」に急展開した。公害問題が声高に
語られ、消費者運動が盛んに報じられるようになった。一夜にして、といえば大袈裟だが、憧れの対象だった自家用車は急に「排ガスの塊」「ガソリン=石油
資源の無駄遣い」の烙印を押された。夜間のネオン消灯・オフィスでの昼休み消灯が推奨され、多くの企業が自主的に協力をした(その分電気代が浮いたので、
協力金は問題にな らなかった)。灯りの消えた夜の街はひたすら寂しく、狂乱物価が消費に冷や水を浴びせかけた。消費は美徳から一転して、節約・倹約・生活の知恵になった。しかし経済が上向きになるにつれ、節約とか倹約だとかはいつの間にか自分らしい生活=消費の追求に変わった。「おいしい生活」の始まりである。そして世界的に貨幣が実物経済よりも多く出回る時代が来た。日本がニューヨークを買い占めるとか(ダイハード第1作。テロに狙われた高層ビルは日本の会社の持ち物だった)、 などといわれた時代だー今の若い人には信 じられないことだろう。オイルショックの時には狂乱物価といわれたが、日本中が狂乱する貨幣に浮かれ騒いでいた。そして迎えたバブルの崩壊。震災・サリン禍、2度目の震災、さらにコロナ禍。

この間、日本でも世界でも「信頼」や「信用」が大きく揺ぎ、閉塞感に満ちた空気が満ち溢れている。なぜ閉塞感を感じるのか。若者たちにも分からないとい
う。あるいは明確に「既得権益があるゆえ」と断じるものもいる。どちらもごく普通に共有化されている「成り行き」としての感覚だろう。「自分たちには特
別のことなんて起こらない」。「平凡な毎日がただ過ぎていくだけ」。「でもそれ以外に幸せはない」。「自分たちは前の世代ほど恵まれていない」。「前の
世代が一方的に得をしている」。全員がこんな思いを持っているわけではないだろう。しかし こんな思いに駆られたことがないかと問われると、なんとなく
と思ってしまう。なんとなく世間的にそうだから。結局、経済「成長」も経済「停滞」も成り行きとして、大事なことだと思ってはいないだろうか。なぜ新
聞は一面に経済ニュースを取り上げるのか。なぜ全てのニュースで経済的影響が語られるのか。生まれてから死ぬまでにいくらかかるか。どうすれば楽して金が
手に入るのか。「給与は減ったけど、仕事に生きがいを感じている」と生きがいを論じる際に、何故わざわざ給与に言及するのか。お金だけが全てではないとい
いつつ、でも最低限 は と思ってしまうのは何故か。

結局、私たちはどこかでお金を意識しつつ生活をしている。それはこれまでの成り行きであったから、仕方がないともいえる。しかし今、成り行きが変化しつつある。プログレスが経済だけではないということに気付かざるを得ないところに来ている(感染防止か経済かの二者択一を迫られたとしたら、どちらを優先するのだろう。もっともこの選択を曖昧にしたまま、成り行きに任せてなんとか切り抜けて来たのが日本だけど、たまたま運が良かっただけだった ということに終わりそうだ)。オリンピック論議では一国の宰相が 「国民の健康」と「国の国際的威信(?)」を天秤にかけている。で肝心のオリンピックといえばロス五輪からこの方「金儲けのための五輪」といわれ続け、実際アメリカのスポーツシーズンとゴールデンタイムに合わせて競技日程と時間が定まっている(選手の健康かスポンサーの金儲けかでいえば、スポンサーに完全に軍牌が上がって儲けかでいえば、スポンサーに完全に軍牌が上がっているわけだ)。金儲け五輪への批判は従来からあったいるわけだ)。金儲け五輪への批判は従来からあったけれど、パンデミック下でもなお五輪を強行するとなけれど、パンデミック下でもなお五輪を強行するとなれば、日本だけでなく世界的に五輪の存在意義が問われば、日本だけでなく世界的に五輪の存在意義が問われることになるだろう。れることになるだろう。

通常のビジネスを見ても、金儲けを全面に通常のビジネスを見ても、金儲けを全面に出せば出出せば出すほど、顧客が寄り付かない。だからフェアトレードすほど、顧客が寄り付かない。だからフェアトレードだとか、品質へのこだわり、環境品質、だとか、品質へのこだわり、環境品質、などななどなど、とにかくお題目を掲げておかないと、と言わんばど、とにかくお題目を掲げておかないと、と言わんばかりの商品が今日もスーパーの店頭に並んでいる(有かりの商品が今日もスーパーの店頭に並んでいる(有機機、無農薬、有機栽培、特別栽培、契約栽培、顔、無農薬、有機栽培、特別栽培、契約栽培、顔の見える生産者、地場産の見える生産者、地場産一体何がどうなっているの一体何がどうなっているのか、見当もつかないから、結局値段で買うしかなかっか、見当もつかないから、結局値段で買うしかなかったりする)。どの企業も顧客が環境優先なのか価格優たりする)。どの企業も顧客が環境優先なのか価格優先なのか、怖々でうかがっている。あっさりと低価格先なのか、怖々でうかがっている。あっさりと低価格を売りにしたいところだが、グローバル展開をすればを売りにしたいところだが、グローバル展開をすればするほど、するほど、あたりあたりが黙ってはくれない。環境や人が黙ってはくれない。環境や人権を優先した商品と銘を売っても売れるとは限らない権を優先した商品と銘を売っても売れるとは限らないーいや、全然売れないわけではないのだが、所詮数がーいや、全然売れないわけではないのだが、所詮数が限られてしまう。とはいえ環境優先や人権配慮をいわ限られてしまう。とはいえ環境優先や人権配慮をいわなければ大企業でございとはいえない感じがあるなければ大企業でございとはいえない感じがある。。企業も、個々人もどこかで今までの成り行きが変化し企業も、個々人もどこかで今までの成り行きが変化していることは感じている。でもどこに成り行きが向かていることは感じている。でもどこに成り行きが向かうのかわからない。文字通り右往左往で、やけに高いうのかわからない。文字通り右往左往で、やけに高いお金でこだわりたまごを買いつつお金でこだわりたまごを買いつつ均でゆで卵器を均でゆで卵器を買う。今まで通りの商売が通じないと思いつつ、今ま買う。今まで通りの商売が通じないと思いつつ、今まで通りを捨てきれない(それは消費者も同じだ)。おで通りを捨てきれない(それは消費者も同じだ)。お金金ばかりが問題じゃないんだというと「お花畑」と揶ばかりが問題じゃないんだというと「お花畑」と揶揄される。利益優先というと「算盤と論語」と諭され揄される。利益優先というと「算盤と論語」と諭される。兎角この世は住みにくいる。兎角この世は住みにくいとぼやきたくなる。なとぼやきたくなる。なぜなのだろう。ぜなのだろう。
実際答えは皆薄々知っているのだ。みんな誰かが実際答えは皆薄々知っているのだ。みんな誰かが「こっちだぞ!」と指差してくれるのを待っている。「こっちだぞ!」と指差してくれるのを待っている。もしくは何かが起こって、ある方向に行かざるを得なもしくは何かが起こって、ある方向に行かざるを得ない時がくるのを待っている。自分一人が飛び出すのだい時がくるのを待っている。自分一人が飛び出すのだけは避けようと、アンテナだけは高く立てて、周囲のけは避けようと、アンテナだけは高く立てて、周囲の様子を見守っている。だから住みにくく、生きづら様子を見守っている。だから住みにくく、生きづらい。いっそ、と踏み切りたいけどい。いっそ、と踏み切りたいけど踏み切るにはしが踏み切るにはしがらみがあるらみがある(と思っている)。でも、本当に何か指差(と思っている)。でも、本当に何か指差が必要なのだろうか?踏み切らなければいけない程のが必要なのだろうか?踏み切らなければいけない程の高い壁があるのだろうか?森岡泰昌が「壁にぶつかっ高い壁があるのだろうか?森岡泰昌が「壁にぶつかったというけれど、その壁を周りこんでみたら壁が切れたというけれど、その壁を周りこんでみたら壁が切れていたりしないだろうか」というようなことを書いてていたりしないだろうか」というようなことを書いていた(森岡泰昌『美術の解剖学講義』)。全くなのいた(森岡泰昌『美術の解剖学講義』)。全くなのだ。今までの成り行きが経済一辺倒だったから、そのだ。今までの成り行きが経済一辺倒だったから、その成り行きが変化するとしたら「経済ではない全く別の成り行きが変化するとしたら「経済ではない全く別のなにものか」になると思い込んでいるだけなのだ。ゴなにものか」になると思い込んでいるだけなのだ。ゴッホの「ひまわり」を3億円で買う人もいる。だからッホの「ひまわり」を3億円で買う人もいる。だからといって「ひまわり」に変化があるわけではないといって「ひまわり」に変化があるわけではない。ゴ。ゴッホが好きな人にとっては3億という金では表せないッホが好きな人にとっては3億という金では表せない絶対無比の価値があるだろう。あの絵の中に人生の全絶対無比の価値があるだろう。あの絵の中に人生の全てを見出す人もいるだろう。超一級のミステリを感じてを見出す人もいるだろう。超一級のミステリを感じる人もいれば、ただひたすら退屈な絵としかみない人る人もいれば、ただひたすら退屈な絵としかみない人もいるだろう。それぞれの価値は対立するものだろうもいるだろう。それぞれの価値は対立するものだろうか。どれか一つに価値を統一しなくてはならないのだか。どれか一つに価値を統一しなくてはならないのだろうかー「正しい『ひまわり』の価値」はあるのだろろうかー「正しい『ひまわり』の価値」はあるのだろうか?私にはそうは思えない。どの見方が正しいのでうか?私にはそうは思えない。どの見方が正しいのではなく、一枚の絵に対して無数の見方があり、無関係はなく、一枚の絵に対して無数の見方があり、無関係に見えて相互に重なり合いながら「ひまわり」の価値に見えて相互に重なり合いながら「ひまわり」の価値を作り出しているのだと考えてを作り出しているのだと考えているいる。。「あんな絵に3「あんな絵に3億も出して」という人も、「あの絵を3億とはいえ金億も出して」という人も、「あの絵を3億とはいえ金で独占しようとするなんて」という人も、それぞれので独占しようとするなんて」という人も、それぞれの見方で「ひまわり」の存在は認めているのだ。価値と見方で「ひまわり」の存在は認めているのだ。価値というのは元来そんなものではないだろうか?いうのは元来そんなものではないだろうか?

絵画や芸術だから複数の多様な見方が同時並存でき絵画や芸術だから複数の多様な見方が同時並存できるのであって、現実の社会問題ではそうはいかないとるのであって、現実の社会問題ではそうはいかないという意見もあるだろう。それも一つの見方だ。しかしいう意見もあるだろう。それも一つの見方だ。しかし現実の問題だからこそ、二者択一では割り切れないも現実の問題だからこそ、二者択一では割り切れないものがあるのではないか。どちらかが悪でも善でもなのがあるのではないか。どちらかが悪でも善でもない。多様い。多様な見方や考え方があることを前提にな見方や考え方があることを前提にしした時、た時、そのどれでもない何かが立ち現れてくる可能性が増大そのどれでもない何かが立ち現れてくる可能性が増大するのではないだろうか。かつて「ひまわり」は二束するのではないだろうか。かつて「ひまわり」は二束三文の売れない絵だった。その時も今も、「ひまわ三文の売れない絵だった。その時も今も、「ひまわり」は「ひまわり」であって変わりはない。変わったり」は「ひまわり」であって変わりはない。変わったのは人間の芸術への見方だ。何を美とするのか、何をのは人間の芸術への見方だ。何を美とするのか、何をアートとするのか。その前提がガラッと変わっただけアートとするのか。その前提がガラッと変わっただけではない。美とは何かという問いに対する答えが多様ではない。美とは何かという問いに対する答えが多様化し、混沌状態となり、何から何まで芸術になってい化し、混沌状態となり、何から何まで芸術になっていく。それでもやはりそれぞれの美のあり方は違っていく。それでもやはりそれぞれの美のあり方は違っていても、美を求めるという点では一致している。ても、美を求めるという点では一致している。だからだからこそ新しい美を求める動きは続く。現実の社会問題でこそ新しい美を求める動きは続く。現実の社会問題であろうと、民族問題であろうとあろうと、民族問題であろうと((そして「お花畑」とそして「お花畑」と揶揄されようと)揶揄されようと)多様化の中で、互いが求める先にな多様化の中で、互いが求める先になんらかの共通項があるはずだと信じることが、本来のんらかの共通項があるはずだと信じることが、本来の「成り行き」プログレスだろう「成り行き」プログレスだろう。。